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この年も 9月7日から 26日まで3週間の旅。<br />相変わらず大半はパリで映画を見るだけで<br />帰りに初めての北欧でコペンハーゲンに 3泊した。<br />いつもは基本的に映画を見るだけの一人旅なので<br />他人と交流することは滅多にない。<br />しかし、この年は例外的にパリで<br />何人かの友人に会いパーティにも行った。<br />残念ながら、ほとんど写真 (ビデオ) は残っていないが<br />その一部を…<br /><br />代表写真は、すでに &quot;右岸編&quot; に書いたように<br />帰国後ビデオを編集して、作品に仕上げた一部で<br />何かというと Pariscop(e) という &quot;ぴあ&quot; などの<br />元祖のイベント情報誌で映画・演劇・音楽・美術など、<br />さらにはレストランなど観光情報も少し載っている優れもの。<br />パリにいるときは当然、毎週買っていて少なくとも 50冊以上は<br />あったと思う。 現在は大半を処分し10冊も残っていない。<br />ちなみに作った作品は 2本で、1つは<br />「Paris vu par le cinema」 <br />もちろん映画 「Paris vu par...」『パリところどころ』 から<br />取った映画館案内で前回の旅行記のような内容。<br />もう1本が今回 引用する 「Towns による &quot;人&quot;」<br />[Towns とは非常に優秀だった Fujitsu のパソコンで、<br />もちろん Town の意味も込めている]<br /><br /><br />

1993年 パリところどころ 4/6 :珍しく交流、でもそれっきり…

6いいね!

1993/09/07 - 1993/09/21

9462位(同エリア16385件中)

旅行記グループ 1993年 パリ・コペンハーゲン

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21

milouchat

milouchatさん

この年も 9月7日から 26日まで3週間の旅。
相変わらず大半はパリで映画を見るだけで
帰りに初めての北欧でコペンハーゲンに 3泊した。
いつもは基本的に映画を見るだけの一人旅なので
他人と交流することは滅多にない。
しかし、この年は例外的にパリで
何人かの友人に会いパーティにも行った。
残念ながら、ほとんど写真 (ビデオ) は残っていないが
その一部を…

代表写真は、すでに "右岸編" に書いたように
帰国後ビデオを編集して、作品に仕上げた一部で
何かというと Pariscop(e) という "ぴあ" などの
元祖のイベント情報誌で映画・演劇・音楽・美術など、
さらにはレストランなど観光情報も少し載っている優れもの。
パリにいるときは当然、毎週買っていて少なくとも 50冊以上は
あったと思う。 現在は大半を処分し10冊も残っていない。
ちなみに作った作品は 2本で、1つは
「Paris vu par le cinema」
もちろん映画 「Paris vu par...」『パリところどころ』 から
取った映画館案内で前回の旅行記のような内容。
もう1本が今回 引用する 「Towns による "人"」
[Towns とは非常に優秀だった Fujitsu のパソコンで、
もちろん Town の意味も込めている]


旅行の満足度
5.0
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 本来なら前の映画館編に入れるべきだが<br />前回は写真が多く、今回は極めて少ないので<br />編集の都合上 (?) 繋ぎのプロローグ。<br />上に書いたように情報誌の大半を処分したので<br />いつ頃からか分からないが、見て分かるように<br />なぜか雑誌の名前が &quot;pariscop&quot; から &quot;pariscope&quot; に!<br />(語尾の e あるなしで少し発音が変わる)。<br />左は 1974年2月27日、右は1979年1月17日号で<br />サイズも少し小さくなっている。<br />ちなみに左の表紙は 「パリの中国人」 というフランス映画だが<br />ソルボンヌ留学中の長塚京三が映画デビューした作品。<br />残念ながら映画は見なかったが、中国がパリを占拠し、<br />その隊長である将軍の役で、主役級のようだ (表紙にもなってるし)

    本来なら前の映画館編に入れるべきだが
    前回は写真が多く、今回は極めて少ないので
    編集の都合上 (?) 繋ぎのプロローグ。
    上に書いたように情報誌の大半を処分したので
    いつ頃からか分からないが、見て分かるように
    なぜか雑誌の名前が "pariscop" から "pariscope" に!
    (語尾の e あるなしで少し発音が変わる)。
    左は 1974年2月27日、右は1979年1月17日号で
    サイズも少し小さくなっている。
    ちなみに左の表紙は 「パリの中国人」 というフランス映画だが
    ソルボンヌ留学中の長塚京三が映画デビューした作品。
    残念ながら映画は見なかったが、中国がパリを占拠し、
    その隊長である将軍の役で、主役級のようだ (表紙にもなってるし)

  • これも、いつ頃からか不明だが (これは2002年10月23日号)、<br />雑誌の中頃に cinéscope として映画部分だけを表紙付きで<br />独立させ (この号は87ページ分)、必要に応じ切り離すことができる。<br />とにかく紙質が悪いので非常に軽く (中身は重い)、料金も異常に安い。<br />この号は 0.40ユーロ、上の左は 1.2、右は 1.5フランで 100円もしない。<br />(以前にも書いたが日本と違い発売日は番組が替わる水曜日当日)

    これも、いつ頃からか不明だが (これは2002年10月23日号)、
    雑誌の中頃に cinéscope として映画部分だけを表紙付きで
    独立させ (この号は87ページ分)、必要に応じ切り離すことができる。
    とにかく紙質が悪いので非常に軽く (中身は重い)、料金も異常に安い。
    この号は 0.40ユーロ、上の左は 1.2、右は 1.5フランで 100円もしない。
    (以前にも書いたが日本と違い発売日は番組が替わる水曜日当日)

  • こちらが 「Towns による人」 のオープニング・タイトルで、<br />まず最初に &quot;人&quot; 1文字が現れ上がってゆく。 <br />そして、大勢の &quot;人&quot; の流れが続いて上がっていく

    こちらが 「Towns による人」 のオープニング・タイトルで、
    まず最初に "人" 1文字が現れ上がってゆく。
    そして、大勢の "人" の流れが続いて上がっていく

  • そして少しずつ &quot;人&quot; という文字が消えていき<br />同時にレ・アール Forum のエスカレーターの<br /> &quot;人&quot; たちが現れる…

    そして少しずつ "人" という文字が消えていき
    同時にレ・アール Forum のエスカレーターの
    "人" たちが現れる…

  • だから、前回書いたようにエスカレーターの<br /> &quot;人&quot; の流れを 10分以上撮り続けていたわけです

    だから、前回書いたようにエスカレーターの
    "人" の流れを 10分以上撮り続けていたわけです

  • さて、プロローグは終わり、本編の &quot;人&quot; (知人)です。<br />残念ながら映像は これしかなかったが、<br />オデオン座のそば 4 carrefour Odéon に<br />La Chope D&#39;Alsace というアルザス料理の店があった。<br />一時 NHKテレビ フランス語講座の講師で人気が高かったので<br />知っている人も多いだろうが、彼 ミカエル・フェリエが<br />(僕は学生ではないが) 京都の日仏学館で教えていた頃に<br />知り合い 、バカンスで帰国していたので会うことになった。<br />彼も日本在住なのでパリで会う友人も多く<br />この店の2階で総勢7人で食事をした。<br />もちろん日本人は僕だけ…

    さて、プロローグは終わり、本編の "人" (知人)です。
    残念ながら映像は これしかなかったが、
    オデオン座のそば 4 carrefour Odéon に
    La Chope D'Alsace というアルザス料理の店があった。
    一時 NHKテレビ フランス語講座の講師で人気が高かったので
    知っている人も多いだろうが、彼 ミカエル・フェリエが
    (僕は学生ではないが) 京都の日仏学館で教えていた頃に
    知り合い 、バカンスで帰国していたので会うことになった。
    彼も日本在住なのでパリで会う友人も多く
    この店の2階で総勢7人で食事をした。
    もちろん日本人は僕だけ…

  • そして食事の後の 12時過ぎに、<br />僕のホテルの通りにあったジャズ・バーに<br />数人で行った (ライブハウスではない)。<br />僕が東京に住んでいた頃は日仏の映画会で<br />何度かミカエルに会ったが、それっきり…<br />[Wiki を見ると来日は 1992年らしいので<br />知り合ったのは 日本に来たばかりの頃]

    そして食事の後の 12時過ぎに、
    僕のホテルの通りにあったジャズ・バーに
    数人で行った (ライブハウスではない)。
    僕が東京に住んでいた頃は日仏の映画会で
    何度かミカエルに会ったが、それっきり…
    [Wiki を見ると来日は 1992年らしいので
    知り合ったのは 日本に来たばかりの頃]

  • これは、ミカエルの友人の1人で、<br />ドキュメンタリー映画を作っていたフランソワ。<br />映画という共通点から、彼の仕事場を訪ねた。<br />(場所は覚えていない)<br />バックに並んでいるのは、もちろん<br />業務用のビデオテープ U マチック

    これは、ミカエルの友人の1人で、
    ドキュメンタリー映画を作っていたフランソワ。
    映画という共通点から、彼の仕事場を訪ねた。
    (場所は覚えていない)
    バックに並んでいるのは、もちろん
    業務用のビデオテープ U マチック

  • 製作中のTVのためのドキュメンタリーで<br />タイムコード (TCR) が見えている。<br />ちなみにフランス (PAL:1秒 25コマ) と日本 (NTSC:30コマ) は<br />テレビ方式が違い1秒のフレーム数も異なり、<br />普通に見ても分からないが微妙に作品の長さが変わる。<br />現地で PAL の DVD を買っても一般のレコ-ダーでは<br />再生不可なので要注意。 ただし PC はテレビ放送<br />ではないので再生できる (リージョンは別の話)<br />

    製作中のTVのためのドキュメンタリーで
    タイムコード (TCR) が見えている。
    ちなみにフランス (PAL:1秒 25コマ) と日本 (NTSC:30コマ) は
    テレビ方式が違い1秒のフレーム数も異なり、
    普通に見ても分からないが微妙に作品の長さが変わる。
    現地で PAL の DVD を買っても一般のレコ-ダーでは
    再生不可なので要注意。 ただし PC はテレビ放送
    ではないので再生できる (リージョンは別の話)

  • 編集台が見える。 うらやましい!<br />僕など今も複数のデッキしかなく<br />まともな編集はできない。<br />というか、今では編集する気はなく<br />大量の旅行ビデオも撮ったままで、<br />旅行記を書くようになるまで<br />ほとんど見返しすらしなかった。<br />[また余談だが、今でこそ素材がデジタルのファイルだから<br />フリーソフトでもプロ並み (?) に編集できる (よう)。<br />当時はアナログのテープでパソコンも高価な物は別として<br />個人用は 8ビットが主流で、まともなソフトもなかった。<br />だから2台のデッキを使いコピーコピーで画質も悪くなる。<br />その時代に Towns (使っていたのはモニター一体型の UG) は<br />ビデオ入出力があり文字を重ねて出力できた

    編集台が見える。 うらやましい!
    僕など今も複数のデッキしかなく
    まともな編集はできない。
    というか、今では編集する気はなく
    大量の旅行ビデオも撮ったままで、
    旅行記を書くようになるまで
    ほとんど見返しすらしなかった。
    [また余談だが、今でこそ素材がデジタルのファイルだから
    フリーソフトでもプロ並み (?) に編集できる (よう)。
    当時はアナログのテープでパソコンも高価な物は別として
    個人用は 8ビットが主流で、まともなソフトもなかった。
    だから2台のデッキを使いコピーコピーで画質も悪くなる。
    その時代に Towns (使っていたのはモニター一体型の UG) は
    ビデオ入出力があり文字を重ねて出力できた

  • ★これが使っていた Towns (もちろん他にも持っていた)。<br />ちなみに後ろの雑誌は 「スクリーン」。<br />60年代から 30年分ぐらいは揃っていたが、<br />度重なる引っ越しで、すべて処分した

    ★これが使っていた Towns (もちろん他にも持っていた)。
    ちなみに後ろの雑誌は 「スクリーン」。
    60年代から 30年分ぐらいは揃っていたが、
    度重なる引っ越しで、すべて処分した

  • 次に会ったのがシテ島で花屋をやっている Siobahn 。<br />僕の初海外は 1974年のパリ1か月だったが、最初は<br />ヨーロッパを周遊するつもりでユーレイルパスを買っていた。<br />しかし Pariscop を見ると、名前は知っているが日本では<br />見ることのできない映画が山ほどあり、結局パリから<br />離れられなくなってしまった。<br />アリアンス・フランセーズに1日2時間だけ通うコースに登録し、<br />最初は行く気は全然なかったが、パリに留まったことで<br />授業にも出て2人のクラスメートと仲良くなった。<br />彼女は、その1人でアイルランド系イギリス人。<br />当時は恋人とシャトレーで古着屋をやっていたが<br />別れて、ここに店を出していた

    次に会ったのがシテ島で花屋をやっている Siobahn 。
    僕の初海外は 1974年のパリ1か月だったが、最初は
    ヨーロッパを周遊するつもりでユーレイルパスを買っていた。
    しかし Pariscop を見ると、名前は知っているが日本では
    見ることのできない映画が山ほどあり、結局パリから
    離れられなくなってしまった。
    アリアンス・フランセーズに1日2時間だけ通うコースに登録し、
    最初は行く気は全然なかったが、パリに留まったことで
    授業にも出て2人のクラスメートと仲良くなった。
    彼女は、その1人でアイルランド系イギリス人。
    当時は恋人とシャトレーで古着屋をやっていたが
    別れて、ここに店を出していた

  • 彼女はロンドンにいた頃はダンサーで<br />「ジーザス・クライスト・スーパースター」 の<br />舞台でも踊ったという。<br />あるとき日本で『エリザとエリック』を見たら<br />ちょい役だが彼女が登場し驚いた。<br />監督のヴィルジニー・テヴネと友人だったらしい。<br />彼女とはパリで何回か食事をしたが、<br />それっきり…<br />もう1人は俳優で半年カナダで TV などの仕事をして<br />残りの半年は、マルセル・マルソーの恩師でもある<br />エチエンヌ・デクルーのもとでミーム (パントマイム) を<br />習いにパリに滞在していた。<br />彼とは、しばらく文通し数年後にパリでも会い、<br />歌舞伎の魅力を紹介しカセットを送ったりもしたが、<br />やはり それっきり…

    彼女はロンドンにいた頃はダンサーで
    「ジーザス・クライスト・スーパースター」 の
    舞台でも踊ったという。
    あるとき日本で『エリザとエリック』を見たら
    ちょい役だが彼女が登場し驚いた。
    監督のヴィルジニー・テヴネと友人だったらしい。
    彼女とはパリで何回か食事をしたが、
    それっきり…
    もう1人は俳優で半年カナダで TV などの仕事をして
    残りの半年は、マルセル・マルソーの恩師でもある
    エチエンヌ・デクルーのもとでミーム (パントマイム) を
    習いにパリに滞在していた。
    彼とは、しばらく文通し数年後にパリでも会い、
    歌舞伎の魅力を紹介しカセットを送ったりもしたが、
    やはり それっきり…

  • 次はパーティ。<br />会社で新入社員がメイン対象だが<br />無料の英会話講座があり、僕も少しだけ出席した。<br />講師はニューヨーカーだがスイスに留学していてフランス語も話す。<br />そこで休憩時間には嫌みにも彼女とフランス語で話した。<br />その彼女がパリに引っ越していたので連絡すると、<br />パーティに誘われた。 映画でよく見る個人の家でのパーティ。<br />北駅近くのアパルトマンで入り口のベルを押す。<br />まだ彼女は来ていなかったが名前を出すと開けてくれた。<br />部屋に入ると 10数人の客がいたが、当然 知った人はいない。<br />たまたま、美容師をやっている日本人女性がいたので話を聞いた。<br />写真右の女性は知り合ったブルース・シンガーのソフィー。<br />ライブの予定はないか尋ねると、名前は忘れたが、<br />レ・アールのレストラン地下にあるライブ・スペースで<br />毎日曜夜にジャム・セッションがあり<br />時々出ると言うので、出る日を聞いて見に行った<br />

    次はパーティ。
    会社で新入社員がメイン対象だが
    無料の英会話講座があり、僕も少しだけ出席した。
    講師はニューヨーカーだがスイスに留学していてフランス語も話す。
    そこで休憩時間には嫌みにも彼女とフランス語で話した。
    その彼女がパリに引っ越していたので連絡すると、
    パーティに誘われた。 映画でよく見る個人の家でのパーティ。
    北駅近くのアパルトマンで入り口のベルを押す。
    まだ彼女は来ていなかったが名前を出すと開けてくれた。
    部屋に入ると 10数人の客がいたが、当然 知った人はいない。
    たまたま、美容師をやっている日本人女性がいたので話を聞いた。
    写真右の女性は知り合ったブルース・シンガーのソフィー。
    ライブの予定はないか尋ねると、名前は忘れたが、
    レ・アールのレストラン地下にあるライブ・スペースで
    毎日曜夜にジャム・セッションがあり
    時々出ると言うので、出る日を聞いて見に行った

  • これが穴蔵のようなライブ会場で<br />左下の女性がパーティーのホスト (ホステス?) だった女性。<br />美容師から聞いた話では、かなりの金持ちの娘らしい

    これが穴蔵のようなライブ会場で
    左下の女性がパーティーのホスト (ホステス?) だった女性。
    美容師から聞いた話では、かなりの金持ちの娘らしい

  • 右下のヘアスタイルで分かるように (?)<br />最初はソフィーも客席にいた

    右下のヘアスタイルで分かるように (?)
    最初はソフィーも客席にいた

  • そして、舞台に上がる。<br />もちろん入場料やチャージは不要で<br />カウンターで買うアルコールなどの料金だけ

    そして、舞台に上がる。
    もちろん入場料やチャージは不要で
    カウンターで買うアルコールなどの料金だけ

  • 「ムスタング・サリー」 など 3曲ほど歌ったが<br />完全にプロで素晴らしかった

    「ムスタング・サリー」 など 3曲ほど歌ったが
    完全にプロで素晴らしかった

  • ジャム・セッションなのでバックバンドの<br />メンバーには名前も知らない初対面の人もいる。<br />初対面でもキーとテンポを決めるだけで合わせられる<br />ミュージシャンはすごいなと思う

    ジャム・セッションなのでバックバンドの
    メンバーには名前も知らない初対面の人もいる。
    初対面でもキーとテンポを決めるだけで合わせられる
    ミュージシャンはすごいなと思う

  • その後、彼女はオランジーナの CM ソングなども<br />歌ったと聞いたが、それっきり…<br />

    その後、彼女はオランジーナの CM ソングなども
    歌ったと聞いたが、それっきり…

  • セッションは9時頃から始まる。<br />何度かメンバーが入れ替わり、<br />終わったのは1時を過ぎていた。<br />レ・アールからホテルまで徒歩で<br />20分以上かかるが、もちろん<br />気分よく歩いて帰った

    セッションは9時頃から始まる。
    何度かメンバーが入れ替わり、
    終わったのは1時を過ぎていた。
    レ・アールからホテルまで徒歩で
    20分以上かかるが、もちろん
    気分よく歩いて帰った

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