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東北北部の名城巡りです。日本百名城の弘前城の見学の後、続日本百名城の浪岡城に向かいました。

2018春、東北北部の名城(14/28):4月25日(9):弘前城(6完):お堀:浪岡城(1):城跡

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2018/04/24 - 2018/04/26

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旅行記グループ 2018春、東北北部の名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

東北北部の名城巡りです。日本百名城の弘前城の見学の後、続日本百名城の浪岡城に向かいました。

交通手段
観光バス 新幹線
  • 弘前城の見学の後の再集合場所です。約束の時間までに全員が揃いました。

    弘前城の見学の後の再集合場所です。約束の時間までに全員が揃いました。

  • 波岡城跡の見学の前に立寄った、『青森市中世の館』です。公式HPには、『中世の館は、青森県を代表する中世城館「国史跡浪岡城跡」から出土した遺物を中心とした資料展示室と文化ホール等を備えた複合施設です』と紹介されていました。波岡城跡の発掘調査で、大量の武具類や生活用具、建物跡などが発見されたことも紹介されていました。

    波岡城跡の見学の前に立寄った、『青森市中世の館』です。公式HPには、『中世の館は、青森県を代表する中世城館「国史跡浪岡城跡」から出土した遺物を中心とした資料展示室と文化ホール等を備えた複合施設です』と紹介されていました。波岡城跡の発掘調査で、大量の武具類や生活用具、建物跡などが発見されたことも紹介されていました。

  • 『青森市中世の館』に展示されていた、『本郷だるま凧』の光景です。縦470センチ、横326センチの大きさです。畳(180センチ×90センチ)4枚を優に超える大きさです。『西の内100枚凧』とも紹介されていました。

    『青森市中世の館』に展示されていた、『本郷だるま凧』の光景です。縦470センチ、横326センチの大きさです。畳(180センチ×90センチ)4枚を優に超える大きさです。『西の内100枚凧』とも紹介されていました。

  • 『本郷だるま凧』の制作者の本郷氏による解説板と、製作者の写真などの展示光景です。『本郷だるま凧』は、明治時代の中期頃、南津軽郡の本郷村で発案されたことなどが紹介されていました。

    『本郷だるま凧』の制作者の本郷氏による解説板と、製作者の写真などの展示光景です。『本郷だるま凧』は、明治時代の中期頃、南津軽郡の本郷村で発案されたことなどが紹介されていました。

  • 小休止に立寄った、『青森市中世の館』の建物光景です。第1展示室のテーマは『よみがえる浪岡城』、第2展示室は『縄文から現代』のテーマが紹介されていました。

    小休止に立寄った、『青森市中世の館』の建物光景です。第1展示室のテーマは『よみがえる浪岡城』、第2展示室は『縄文から現代』のテーマが紹介されていました。

  • ここからは、波岡城跡の紹介です。築城以前には、1373年(文中2年)に平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていた場所です。その後、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造されました。

    ここからは、波岡城跡の紹介です。築城以前には、1373年(文中2年)に平安京を模して敷地の四隅に祇園(現・北中野広峰神社)、八幡(現・浪岡八幡宮)、加茂(現・五本松加茂神社)、春日(現在は廃社)の各神社が配置されていた場所です。その後、北畠家の支族である浪岡北畠氏の居城として長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造されました。

  • 東西1,200m、南北600mの敷地を持ち、幅10~30mの二重堀で分けられた八つの館(郭)がありました。各館は丘陵を掘切るように構築され、東から順に新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館と呼ばれていました。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていました。

    東西1,200m、南北600mの敷地を持ち、幅10~30mの二重堀で分けられた八つの館(郭)がありました。各館は丘陵を掘切るように構築され、東から順に新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館と呼ばれていました。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていました。

  • 石標の光景です。右側の石標には、『行岳公園』の文字が、左側には一戸陸軍大将(1855~1931年)落款の『御大典記念公園』の文字が刻まれていました。学習院院長などを務めた軍人です。

    石標の光景です。右側の石標には、『行岳公園』の文字が、左側には一戸陸軍大将(1855~1931年)落款の『御大典記念公園』の文字が刻まれていました。学習院院長などを務めた軍人です。

  • 『スイセン(水仙)』<br />ヒガンバナ科スイセン属<br />原産地:地中海沿岸<br />花期:春<br />その他:日本水仙も、元は渡来したものです。

    『スイセン(水仙)』
    ヒガンバナ科スイセン属
    原産地:地中海沿岸
    花期:春
    その他:日本水仙も、元は渡来したものです。

  • 小高い丘をバックにして建てられていた石標と案内パネルの光景です。石標が丘の上の『猿楽館』の表示、案内パネルが、波岡城跡全体の案内でした。

    小高い丘をバックにして建てられていた石標と案内パネルの光景です。石標が丘の上の『猿楽館』の表示、案内パネルが、波岡城跡全体の案内でした。

  • 『史跡・波岡城跡・案内図』のタイトルがあった案内パネルです。写真入りで、主要な場所が紹介されていました。現在位置は、『猿楽館』の右横です。

    『史跡・波岡城跡・案内図』のタイトルがあった案内パネルです。写真入りで、主要な場所が紹介されていました。現在位置は、『猿楽館』の右横です。

  • 『史跡・波岡城跡・案内図』のタイトルがあった案内パネルのズームアップ光景です。写真で紹介された主要な場所は、検校館、西館、内環、北館、猿楽館と東館でした。浪岡北畠氏の城として、15~16世紀(1460年代~1578年)の間繁栄していたことも紹介されていました。大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ、落城しました。

    『史跡・波岡城跡・案内図』のタイトルがあった案内パネルのズームアップ光景です。写真で紹介された主要な場所は、検校館、西館、内環、北館、猿楽館と東館でした。浪岡北畠氏の城として、15~16世紀(1460年代~1578年)の間繁栄していたことも紹介されていました。大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ、落城しました。

  • 『猿楽館』の文字が刻まれた真新しい石標の光景です。『猿楽館』は、先に紹介した八つの館(郭)の内の一つです。内館の東、東館の南に位置します。最広部は東西約80m、南北約80mです。西・北に二重の堀があり、東は断崖です。猿楽館の名称は、この地で猿楽が催されたことが由来とされます。

    『猿楽館』の文字が刻まれた真新しい石標の光景です。『猿楽館』は、先に紹介した八つの館(郭)の内の一つです。内館の東、東館の南に位置します。最広部は東西約80m、南北約80mです。西・北に二重の堀があり、東は断崖です。猿楽館の名称は、この地で猿楽が催されたことが由来とされます。

  • 『ソメイヨシノ(染井吉野)』<br />バラ科サクラ属<br />原産地:日本<br />開花期:春(3月~4月)<br />その他:岡の上の桜は濃いピンク色ですから、染井吉野とは別種かも知れません。

    『ソメイヨシノ(染井吉野)』
    バラ科サクラ属
    原産地:日本
    開花期:春(3月~4月)
    その他:岡の上の桜は濃いピンク色ですから、染井吉野とは別種かも知れません。

  • 『順路」の案内表示です。右向きの矢印になっていました。

    『順路」の案内表示です。右向きの矢印になっていました。

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