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東北北部の名城巡りです。2泊3日のツアーに参加して、7箇所を巡りました。内訳は、日本百名城が弘前城、根城、盛岡城と久保田城の4箇所、続日本百名城が九戸城と秋田城の2箇所、その他が三戸城でした。最初に向かったのは秋田の久保田城です。

2018春、東北北部の名城(1/28):4月24日(1):久保田城(1):名古屋から東京経由秋田へ

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2018/04/24 - 2018/04/26

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旅行記グループ 2018春、東北北部の名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

東北北部の名城巡りです。2泊3日のツアーに参加して、7箇所を巡りました。内訳は、日本百名城が弘前城、根城、盛岡城と久保田城の4箇所、続日本百名城が九戸城と秋田城の2箇所、その他が三戸城でした。最初に向かったのは秋田の久保田城です。

交通手段
新幹線 徒歩

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  • 往きは名古屋から東京までが東海道新幹線、東京で秋田新幹線に乗継いで秋田までの移動です。雲行きが怪しい空模様ですが、まだ名古屋の空です。7:53分発の『のぞみ08号』を待つプラットホーム光景です。

    往きは名古屋から東京までが東海道新幹線、東京で秋田新幹線に乗継いで秋田までの移動です。雲行きが怪しい空模様ですが、まだ名古屋の空です。7:53分発の『のぞみ08号』を待つプラットホーム光景です。

  • 同じく、7:53分発の『のぞみ08号』を待つ名古屋駅のプラットホーム光景です。乗り継ぎの東京駅への到着予定は9:33分、1時間40分の乗車時間です。旅行計画書では、東京駅での乗り継ぎ時間が1時間弱の予定になっていました。

    同じく、7:53分発の『のぞみ08号』を待つ名古屋駅のプラットホーム光景です。乗り継ぎの東京駅への到着予定は9:33分、1時間40分の乗車時間です。旅行計画書では、東京駅での乗り継ぎ時間が1時間弱の予定になっていました。

  • 定刻に東京駅に到着し、秋田新幹線の『こまち15号』への乗り継ぎです。東京駅を10:20分発、秋田駅への到着予定が14:08分でしたから、4時間弱の乗車時間です。往きはトータルで5時間半ほどの予定乗車時間でした。『ただ今田沢湖』の表示が出ていました。田沢湖は仙北市にある日本一深い湖です。周囲20キロ、水深423.4メートルです。

    定刻に東京駅に到着し、秋田新幹線の『こまち15号』への乗り継ぎです。東京駅を10:20分発、秋田駅への到着予定が14:08分でしたから、4時間弱の乗車時間です。往きはトータルで5時間半ほどの予定乗車時間でした。『ただ今田沢湖』の表示が出ていました。田沢湖は仙北市にある日本一深い湖です。周囲20キロ、水深423.4メートルです。

  • 出発した名古屋は、どんよりとした空模様でしたが、秋田地方の空模様も勝れないようでした。車窓で眺めた、まだ緑が少ない土色の田園光景です。秋田新幹線は、東京から岩手県の盛岡まで北上し、盛岡から西行きに方向を変え、雫石、田沢湖を経由し、角館、大曲を経て終点の秋田に向かうコースを走ります。

    出発した名古屋は、どんよりとした空模様でしたが、秋田地方の空模様も勝れないようでした。車窓で眺めた、まだ緑が少ない土色の田園光景です。秋田新幹線は、東京から岩手県の盛岡まで北上し、盛岡から西行きに方向を変え、雫石、田沢湖を経由し、角館、大曲を経て終点の秋田に向かうコースを走ります。

  • 田新幹線は、東京都の東京駅から岩手県の盛岡駅を経て秋田県の秋田駅まで東北新幹線・田沢湖線・奥羽本線を直通して走行する東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線車両を使用した列車の通称、およびその列車が走行する同区間の通称とされます。秋田新幹線の名称はあくまで通称であり、山形新幹線同様、正式にこの名称を持つ路線は存在しません。

    田新幹線は、東京都の東京駅から岩手県の盛岡駅を経て秋田県の秋田駅まで東北新幹線・田沢湖線・奥羽本線を直通して走行する東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線車両を使用した列車の通称、およびその列車が走行する同区間の通称とされます。秋田新幹線の名称はあくまで通称であり、山形新幹線同様、正式にこの名称を持つ路線は存在しません。

  • 窓ガラスに雨滴が付いてきました。窓の外に見えるのは、1級河川の『雄物川(おものがわ)』のようです。秋田県の南半分が流域とされます。秋田新幹線は、東京駅から盛岡駅までは東北新幹線、盛岡駅から大曲駅までは田沢湖線、大曲駅から秋田駅までは奥羽本線になります。日本の鉄道路線や運転系統ごとに定められた色、秋田新幹線の『ラインカラー』はピンクです。

    窓ガラスに雨滴が付いてきました。窓の外に見えるのは、1級河川の『雄物川(おものがわ)』のようです。秋田県の南半分が流域とされます。秋田新幹線は、東京駅から盛岡駅までは東北新幹線、盛岡駅から大曲駅までは田沢湖線、大曲駅から秋田駅までは奥羽本線になります。日本の鉄道路線や運転系統ごとに定められた色、秋田新幹線の『ラインカラー』はピンクです。

  • 『まもなく角館』の車内表示が出ました。仙北市にある『角館(かくのだて)』は、現在も藩政時代の地割が踏襲され、武家屋敷等の建造物が数多く残されていて、『みちのくの小京都』とも呼ばれます。 桜の名所としても知られます。武家地のシダレザクラが『角館のシダレザクラ』として国の天然記念物に、檜木内川左岸堤防の桜並木は『檜木内川堤(サクラ)』として国の名勝に指定されています。

    『まもなく角館』の車内表示が出ました。仙北市にある『角館(かくのだて)』は、現在も藩政時代の地割が踏襲され、武家屋敷等の建造物が数多く残されていて、『みちのくの小京都』とも呼ばれます。 桜の名所としても知られます。武家地のシダレザクラが『角館のシダレザクラ』として国の天然記念物に、檜木内川左岸堤防の桜並木は『檜木内川堤(サクラ)』として国の名勝に指定されています。

  • 車窓で眺めた、角館駅付近の街並み光景です。角館のシダレザクラは、角館北家2代目佐竹義明の妻が嫁入り道具の一つとして持ってきたのが始まりとされます。樹齢300年以上の老樹など約400本が古い町並みの中に立ち並び、見事な景観となっています。今回のお城巡りツアーでは、残念ながら割愛されていました。日本屈指の桜のある街並みと呼んでいいようです。

    車窓で眺めた、角館駅付近の街並み光景です。角館のシダレザクラは、角館北家2代目佐竹義明の妻が嫁入り道具の一つとして持ってきたのが始まりとされます。樹齢300年以上の老樹など約400本が古い町並みの中に立ち並び、見事な景観となっています。今回のお城巡りツアーでは、残念ながら割愛されていました。日本屈指の桜のある街並みと呼んでいいようです。

  • 先に紹介した、1級河川の『雄物川(おものがわ)』の光景になるようです。秋田県湯沢市と山形県最上郡真室川町の県境付近にある大仙山が源であり、十分一沢川と南沢川が合流して雄物川になります。穀倉地帯の横手盆地を北へ流れ、大仙市大曲で玉川が合流する付近から流路を西寄りに変えます。蛇行しながら北西に向かい、秋田市に入り平野部の秋田市街の南部を流れ、日本海に注ぎます。

    先に紹介した、1級河川の『雄物川(おものがわ)』の光景になるようです。秋田県湯沢市と山形県最上郡真室川町の県境付近にある大仙山が源であり、十分一沢川と南沢川が合流して雄物川になります。穀倉地帯の横手盆地を北へ流れ、大仙市大曲で玉川が合流する付近から流路を西寄りに変えます。蛇行しながら北西に向かい、秋田市に入り平野部の秋田市街の南部を流れ、日本海に注ぎます。

  • 『まもなく大曲』の車内表示が出ました。『大曲(おおまがり)駅』は、大仙市大曲通町にあるJR東日本の駅で、乗り入れている路線は、所属線である奥羽本線と、田沢湖線の2路線です。また、大曲駅はミニ新幹線である秋田新幹線の停車駅となっています。秋田新幹線は、田沢湖線と奥羽本線秋田駅方面とを直通運転のため、秋田新幹線用の標準軌との並列区間となっています。

    『まもなく大曲』の車内表示が出ました。『大曲(おおまがり)駅』は、大仙市大曲通町にあるJR東日本の駅で、乗り入れている路線は、所属線である奥羽本線と、田沢湖線の2路線です。また、大曲駅はミニ新幹線である秋田新幹線の停車駅となっています。秋田新幹線は、田沢湖線と奥羽本線秋田駅方面とを直通運転のため、秋田新幹線用の標準軌との並列区間となっています。

  • 大曲駅での撮影です。JR東日本の『ENR-1000』の表示があった特殊車両の光景です。先端に着く排雪用のウイングを閉じるとラッセル車に、開くとロータリー除雪車になるという優れものです。この車両の登場によって、除雪用機関車のDE15が引退に追い込まれたようです。

    大曲駅での撮影です。JR東日本の『ENR-1000』の表示があった特殊車両の光景です。先端に着く排雪用のウイングを閉じるとラッセル車に、開くとロータリー除雪車になるという優れものです。この車両の登場によって、除雪用機関車のDE15が引退に追い込まれたようです。

  • 秋田駅に到着しました。<br />

    秋田駅に到着しました。

  • 秋田駅の構内光景です。

    秋田駅の構内光景です。

  • 秋田駅の構内に飾ってあった大きな絵の紹介です。七夕祭りの光景です。なぜか地面に雪が残ったお祀り光景のようです。

    秋田駅の構内に飾ってあった大きな絵の紹介です。七夕祭りの光景です。なぜか地面に雪が残ったお祀り光景のようです。

  • 同じく、秋田駅の構内に飾ってあった絵画の紹介です。雪国のかまくら光景です。かまくらは、秋田県、新潟県など日本の降雪地域に伝わる小正月の伝統行事です。雪で作った『家(雪洞)』の中に祭壇を設け、水神を祀ります。

    同じく、秋田駅の構内に飾ってあった絵画の紹介です。雪国のかまくら光景です。かまくらは、秋田県、新潟県など日本の降雪地域に伝わる小正月の伝統行事です。雪で作った『家(雪洞)』の中に祭壇を設け、水神を祀ります。

  • 秋田駅の構内光景です。

    秋田駅の構内光景です。

  • 秋田駅から、歩いて今晩泊まるホテルに向かいました。その途中の光景です。久保田城見学の順路にもなるようです。

    秋田駅から、歩いて今晩泊まるホテルに向かいました。その途中の光景です。久保田城見学の順路にもなるようです。

  • 秋田市で1泊した、『秋田ビューホテル』の自室からの光景です。秋田市街が一望できました。

    秋田市で1泊した、『秋田ビューホテル』の自室からの光景です。秋田市街が一望できました。

  • 同じく、『秋田ビューホテル』の自室からの光景です。最上階の12回に、レストランがあります。

    イチオシ

    同じく、『秋田ビューホテル』の自室からの光景です。最上階の12回に、レストランがあります。

  • 『秋田ビューホテル』からの秋田市街紹介はここまでです。荷物を部屋において、早速久保田城の見学に出掛けました。

    『秋田ビューホテル』からの秋田市街紹介はここまでです。荷物を部屋において、早速久保田城の見学に出掛けました。

  • 『千秋公園入口』の標識の光景です。現在地が、お堀を横断する『中土橋通り』の橋の北詰めに赤く表示されていました。『久保田城』と『千秋公園(久保田城跡)』の呼び名が、秋田市指定の名勝としての正式名称とされます。『久保田城』は、雄物川の支流である旭川の左岸、程野村窪田にある標高40mの『神明山(しんめいやま)』に築かれた平山城です。

    『千秋公園入口』の標識の光景です。現在地が、お堀を横断する『中土橋通り』の橋の北詰めに赤く表示されていました。『久保田城』と『千秋公園(久保田城跡)』の呼び名が、秋田市指定の名勝としての正式名称とされます。『久保田城』は、雄物川の支流である旭川の左岸、程野村窪田にある標高40mの『神明山(しんめいやま)』に築かれた平山城です。

  • 『大手門の堀』の文字が記された白い木標の光景です。久保田藩主佐竹氏の居城で知られ、『矢留城』、『葛根城』とも呼ばれています。『久保田城』は、江戸時代後期から明治時代の公式文書では『秋田城』と書かれることも多かったようですが、古代に出羽国府が置かれた『秋田城』は別にあり、こちらは明日の見学予定です。

    『大手門の堀』の文字が記された白い木標の光景です。久保田藩主佐竹氏の居城で知られ、『矢留城』、『葛根城』とも呼ばれています。『久保田城』は、江戸時代後期から明治時代の公式文書では『秋田城』と書かれることも多かったようですが、古代に出羽国府が置かれた『秋田城』は別にあり、こちらは明日の見学予定です。

  • かなりの幅を持った、『大手門の堀』の光景です。『久保田城』は、石垣は基底部に僅かにあるのみで、その上に『鉢巻土手』と呼ばれる土塁が盛られています。遺構は、土塁、堀、門と番所とされ、その一つの『堀』になります。天守も持たず塁上に『出し御書院(だしおしょいん)』、または『御出書院(おだししょいん)』と呼ばれる櫓座敷を建てて、その代わりとしていました。

    かなりの幅を持った、『大手門の堀』の光景です。『久保田城』は、石垣は基底部に僅かにあるのみで、その上に『鉢巻土手』と呼ばれる土塁が盛られています。遺構は、土塁、堀、門と番所とされ、その一つの『堀』になります。天守も持たず塁上に『出し御書院(だしおしょいん)』、または『御出書院(おだししょいん)』と呼ばれる櫓座敷を建てて、その代わりとしていました。

  • 同じく遺構のお堀の光景です。石垣が無いのは、幕府に遠慮したためとも言われますが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国では、元々石垣を用いない築城法が一般的だったとされます。山川沼沢を巧みに利用し防御を図っていて、水堀や円郭式城郭など、西国の様式も採り入れられています。1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失し、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられました。

    同じく遺構のお堀の光景です。石垣が無いのは、幕府に遠慮したためとも言われますが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国では、元々石垣を用いない築城法が一般的だったとされます。山川沼沢を巧みに利用し防御を図っていて、水堀や円郭式城郭など、西国の様式も採り入れられています。1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失し、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられました。

  • 『ソメイヨシノ(染井吉野)』<br />バラ科サクラ属<br />原産地:日本<br />開花期:春(3月~4月)<br />その他:千秋公園の満開の桜の光景です。

    『ソメイヨシノ(染井吉野)』
    バラ科サクラ属
    原産地:日本
    開花期:春(3月~4月)
    その他:千秋公園の満開の桜の光景です。

  • 『ソメイヨシノ(染井吉野)』<br />バラ科サクラ属<br />原産地:日本<br />開花期:春(3月~4月)<br />その他:雨の中の千秋公園の桜の光景です。

    イチオシ

    『ソメイヨシノ(染井吉野)』
    バラ科サクラ属
    原産地:日本
    開花期:春(3月~4月)
    その他:雨の中の千秋公園の桜の光景です。

  • 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)9月に久保田藩初代藩主の佐竹義宣氏は、秋田氏の居城だった『湊城』に入城しました。『 湊城』は平城で防衛に向かないうえ、54万石規模の家臣団を抱えていた佐竹氏にとっては、秋田氏5万石(ほか蔵入地2万5000石)の城は手狭であり、これが久保田城築城の理由となりました。

    慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)9月に久保田藩初代藩主の佐竹義宣氏は、秋田氏の居城だった『湊城』に入城しました。『 湊城』は平城で防衛に向かないうえ、54万石規模の家臣団を抱えていた佐竹氏にとっては、秋田氏5万石(ほか蔵入地2万5000石)の城は手狭であり、これが久保田城築城の理由となりました。

  • 『千秋公園の由来』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『佐竹氏(さたけし)』は、日本の氏族の一つで、本姓は源氏です。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流です。武田氏に代表される甲斐源氏と同族とされます。関ヶ原の戦で佐竹氏(義宣)は、在国のまま中立的な態度を取り、家康から出羽国への国替えを命じられました。

    『千秋公園の由来』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『佐竹氏(さたけし)』は、日本の氏族の一つで、本姓は源氏です。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流です。武田氏に代表される甲斐源氏と同族とされます。関ヶ原の戦で佐竹氏(義宣)は、在国のまま中立的な態度を取り、家康から出羽国への国替えを命じられました。

  • 右向きの矢印で、『佐竹美術館』と『久保田城御隅櫓』が案内してありました。秋田市立佐竹資料館では、『藩主と家臣の書画展』の企画展が開催されていることも案内されていました。佐竹氏の国替えは、『家康を追撃する密約を上杉景勝と結んでいたことが発覚したため』との説もあります。

    右向きの矢印で、『佐竹美術館』と『久保田城御隅櫓』が案内してありました。秋田市立佐竹資料館では、『藩主と家臣の書画展』の企画展が開催されていることも案内されていました。佐竹氏の国替えは、『家康を追撃する密約を上杉景勝と結んでいたことが発覚したため』との説もあります。

  • 『ソメイヨシノ(染井吉野)』<br />バラ科サクラ属<br />原産地:日本<br />開花期:春(3月~4月)<br />その他:お堀に向かって枝垂れたソメイヨシノの光景です。

    イチオシ

    『ソメイヨシノ(染井吉野)』
    バラ科サクラ属
    原産地:日本
    開花期:春(3月~4月)
    その他:お堀に向かって枝垂れたソメイヨシノの光景です。

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