2018/04/24 - 2018/04/26
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旅人のくまさんさん
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東北北部の名城巡り、続日本百名城の九戸城見学の後、次は、今回の最後の見学場所となる、岩手県の日本百名城の盛岡城に向かいました。いずれも南部氏に所縁のお城です。
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
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九戸城の見学を終えて、再集合場所に戻る途中の光景です。中央前方に見えるのは、先に紹介した『九戸城戦没者供養塔』です。
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往きにも通ったような、二の丸脇の『深田堀』付近の光景になるようです。似たような地質の別の場所かもしれません。
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往きにも通ったような気がしますが、もし違っていたら、今度は二の丸から本丸の北側を回って『エントランス広場』に向かったのかも知れません。
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右側の案内乾アbンには、右向きの矢印で『二ノ丸大手』、左向きの矢印で『二ノ丸搦手』が記されていました。パネルの下に、左向きの矢印で『エントランス広場』も記されていました。
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『周辺案内図』のタイトルがあった説明看板のズームアップ光景です。1591年の戦い時の包囲人の陣取りが記されていました。右上から時計回りに、井伊直政、浅野長政、堀尾吉晴、蒲生氏郷と、錚々たる遠征軍の顔ぶれです。
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この辺りも、『二の丸』の南西部を取り囲む『深田堀』になるようです。右手前にツワブキの群生があり、その先には水の流れが見えました。騎馬や甲冑姿では、難儀しそうな泥濘です。
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菫のような野草の花と思って撮影しましたが、後で写真を確認しましたら、シソ科の植物のようでした。オドリコソウか、ザゼンソウのようです。
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八戸から盛岡まで観光バスで移動する途中に撮影した光景です。満開にはもう少しのピンクの一重咲の桜の花です。やや下向き加減に咲いて、赤っぽい新芽も出始めていました。
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染井吉野よりは濃いピン色の花が咲き始め、赤っぽい新芽も一緒に出ていた桜のズームアップ光景です。『ヤマザクラ(山桜)』の1種でしょうか。現在は一重の花が5~7分咲といったところでした。
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『高速道路に桜前線」のタイトルがあった説明看板の光景です。日本地図の中に、現在地が『二戸PA』であることが分かるよう、黄色のマークが付いていました。二戸付近の開花予想は、10日刻みの前線図の4月30日のエリアになっていました。北海道の開花予想は5月でした。
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八戸から盛岡まで観光バスで移動する途中に撮影した光景が続きます。コブシ(辛夷)の白い花のようです。『ハクモクレン(白木蓮)』の花姿とは少し違っていたようです。
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盛岡城に到着しました。盛岡公園の枝垂れ桜の光景です。『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)』当たりでしょうか、満開になっていました、
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『盛岡城跡公園』の表示があった大きな案内看板の光景です。『『史跡・盛岡城跡・日本百名城』の表示も添えてあり案した。最初に盛岡城の歴史についての簡単な紹介です。安土桃山時代の1590年(天正18年)、天下統一を果たした豊臣秀吉より、陸奥国北部を勢力下に置く南部氏に、当主の南部信直が5ヶ郡(閉伊郡、岩手郡、鹿角郡、紫波郡、ならび糠部郡)の所領を安堵しました。1591年(天正19年) 、九戸政実を倒し、三戸城から九戸城(のち「福岡城」と改める。現在の二戸市福岡)に本拠を移しました。失領していた津軽3郡(平賀郡、鼻和郡、田舎郡)の代替地として和賀郡、稗貫郡の2郡が加増されて、7郡10万石の所領を安堵されました。
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1592年(文禄元年)、蒲生氏郷や浅野長政より九戸では北辺に過ぎるとの助言を受け、不来方(こずかた)の地を本拠とする整地を開始しました。1598年(慶長3年)、京都にあった南部信直は、嫡男の利直に築城を命じ、兵学者の内堀伊豆を普請奉行として築城に着手しました。
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これより先、南部氏の臣下である福士慶善淡路が不来方の地に設けた『慶善館』が、本来の『不来方城』とされます。福士氏は、南部氏が滅ぼした九戸氏と縁戚関係にあり、これを忌避した南部氏が不来方から福士氏を遠ざけたことにより、当地は南部氏の居城となりました。『不来方』は、少なくとも570年の間存在する由緒ある名であることから、現在は『盛岡の雅称』として残りました。
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盛岡城の歴史紹介の続きです。1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで南部利直は東軍に属したため、徳川家康より所領を安堵されました。慶長年間の1615年には、総石垣の城としてほぼ完成し、利直は地名を『盛り上がり栄える岡』と言う願いを込め、『不来方』から『盛岡』に改めました。写真は、櫻山神社の鳥居光景です。盛岡城跡公園に隣接し、桜山商店街のある盛岡の中心地に位置します。
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盛岡城跡にある『桜山神社』の拝殿光景です。創建は江戸時代の1749年です。今から約280年近く前の1749年に創建されて以来、この地を納めていた南部藩の総鎮守として深く信仰されていました。
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『櫻山神社御由緒』のタイトルがあった説明看板の光景です。御祭神が、南部光行公、南部信直公、南部利直公、南部利敬公の4柱などであることが紹介されていました。
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桜山神社は、全体的にはこじんまりとしていますが、長い歴史を感じさせる凛とした雰囲気を感じさせます。地元のネット情報には、『比較的小さな神社ですが、立地がいいことや、由緒ある神社なので、平日でも多くの参拝客が訪れます』と紹介されていました。
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『おもかげ地蔵尊』のタイトルがあった説明パネルの光景です。かつては南部家の江戸屋敷に祀られていたものが、この地に遷されたことが紹介されていました。左端に見える地蔵尊は、微かにお姿が確認できました。
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『盛岡城跡公園(岩手公園)開園百年』のタイトルがあった説明看板の光景です。明治39年(1907年)に開園されたことなどが紹介されていました。櫻山神社社務所名での看板でしたが、現在の社殿が建造された頃の開園になるようです。
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賽銭箱のズームアップ光景です。その側面に記されていた金色のご紋の光景です。向かい合った鳥が羽を広げた姿です。『南部鶴(清和源氏義光流)』と呼ばれる南部家の家紋です。
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朱塗りの欄干と手摺りが付いた石段の上に見えていた巨石の光景です。パワースポットとして有名な、烏帽子岩です。烏帽子(えぼし)は、平安時代から近代にかけて和装での礼服着装の際に成人男性が被った帽子のことです。 その姿に似た岩としての命名です。
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巨大な『烏帽子岩』の光景です。桜山神社は、岩手山(2038m)を祖山とするパワースポットとされています。その桜山神社の最大のパワースポットが本殿の後ろにある『烏帽子岩(えぼしいわ)』と呼ばれる7m近くの巨大な奇岩です。この岩は、盛岡城築城時に掘り出されたもので、当時の藩主がこの巨岩を見て良い兆しだと喜び、それ以降の歴代藩主も『宝大石』として大切に祀ってきました。
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最後にもう一度、石垣の上に400年ほど鎮座する『烏帽子岩』の紹介です。『烏帽子岳』や『烏帽子山』などをはじめ、日本全国の陸地や海上の尖った岩などに『烏帽子岩』の名前が数多く付けられています。
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逆光での撮影で、少し見難い写真になりましたが、盛岡城・三の丸の石垣光景です。盛岡城の全城が竣工したのは3代藩主重直の時代、1633年(寛永10年)です。翌1634年(寛永11年)、失火により本丸を焼失し、一時、福岡城(九戸城)を居城としました。翌年の1635年(寛永12年)には修復され、再び盛岡城に戻り、以後、盛岡藩の藩庁として明治維新を迎えました。
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打込み接ぎの石垣のズームアップ光景です。1871年(明治4年)、廃藩置県により盛岡城は廃城となりました。1874年(明治7年)、廃城令では当初存城とされましたが、老朽化が著しく一般に払い下げとなり、ほとんどの建物が解体移築されましたた。その後、陸軍用地となった土地の建物を除いて、旧藩主南部家に払い下げとなりました。
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同じく、打込み接ぎの石垣のズームアップ光景です。1906年(明治39年)、岩手県に貸与され、長岡安平の設計により『岩手公園』として開園しました。『長岡安平:ながおか・やすへい:1842~1925年)は、造園家、作庭家で、茶人でもあり、『祖庭』と号しました。明治年代から大正初期における造園技術の第一人者で、『日本人初の公園デザイナー』とも称されます。
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『三ノ丸』の文字が刻まれた石標の光景です。ローマ字表記もありました。1937年(昭和12年)、城跡が国の史跡に指定され、1956年(昭和31年)、『岩手公園』として都市計画決定し、一般公園として開設されました。
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庭園として整備された、三の丸跡の光景です。1980年(昭和55年)、総合公園として開設され、1989年(平成元年)には、『日本の都市公園100選』に選定されました。また、2006年(平成18年)、『日本100名城(6番)』、『日本の歴史公園100選』に選定され、愛称が『盛岡城跡公園』に決定しました。
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