2019/06/04 - 2019/06/04
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ミラノでは絵画三昧でした。
イタリアは19世紀までは多数の小国に分裂していました。
ルネサンス期にはその中でも5つの国が大国として力を持っていました。
ヴェネチア共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、ローマの法王庁、ナポリ王国です。
このうちナポリは13世紀ににはフランスのアンジュー家に支配され、以後アンジュー家とスペインのアラゴン家がナポリを巡って争い、そのたびにイタリアの外国勢力侵攻を招いていました。
ヴェネチアは共和国として栄え、特に海軍力はヨーロッパ一と言われ18世紀にナポレオンに滅ぼされるまで存続しました
フィレンツェ共和国は共和国と言いながらメディチ家の傀儡政権が長く続き、16世紀に完全に共和国となりましたが、結局すぐにスペインの後ろ盾を得てメディチ家が返り咲き、トスカーナ大公国になりました。
そしてミラノはミラノ公国としてスフォルツァ家が支配していましたが、身内内の争いに付け込まれ結局スペインに支配され、その後フランス・スペイン・オーストリアと目まぐるしく支配者が変わりました。
ただルネサンス期はいずれも非常に栄え、どの都市の美術館も他の国の首都の美術館並のコレクションを有しています。
ミラノはなんと言ってもブレラ絵画館のコレクションが素晴らしいです。
そのブレラ絵画館を中心に、ポルディ・ペッツォーリ美術館とアンブロジアーナ絵画館を絡めた記録です。
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ブレラ絵画館の中庭です。
中央の彫像はカノーヴァ作「ナポレオン一世の銅像」
ナポレオンは当時オーストリア領だったミラノに進軍し征服しました。
イタリア全土を支配下に入れ、イタリアの美術作品がかなりフランスに略奪されています。
ナポレオンの没落以後取り返したものもありますが、結構な量がそのまま残ってルーブル美術館に飾られています。(ただしダ・ヴィンチは自ら望んでフランス王フランソワ一世に仕えたので「モナリザ」などダ・ヴィンチの諸作品は略奪したものではありません) -
やはり中庭です。
ブレラ絵画館の建物には絵画館以外にも様々な研究機関や美術学校、図書館などが入っていて、一階はそれらが入り、二階がブレラ絵画館になっています。 -
二階のテラスから見た中庭です。
-
やはり二階から見た中庭。
ミラノはイタリア有数の大国でありながら、スフォルツァ家が芸術家の育成にはあまり力を入れなかったのか、ミラノ領出身の画家で有名な人が意外に少ないんです。
したがってこの絵画館のコレクションも有名なものはほとんどイタリアの違う国の芸術家の作品を買い入れたものです。 -
美術館の中に入ると礼拝堂があります。
ミラノ郊外のレンターテ・スル・セーヴェゾという町にあったオラトリオ・ディ・モッキローロの礼拝堂をそのまま持ってきたそうです。
ジョヴァンニ・ダ・ミラノがフレスコ画を描きました。
ジョヴァンニ・ダ・ミラノは1346年にミラノで生まれ、後フィレンツェに行って絵を学びジョット派としてフィレンツェやローマで活躍したそうです。 -
この美術館のコレクションはヴェネチア派が一番充実しているような気がします。
なので、まずはヴェネチアの画家から。
ジョヴァンニ・ベッリーニの「キリストの死体を抱く聖母マリアと預言者ヨハネ」
1460年頃、ベッリーニの初期の作品です。 -
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子像」
1460年頃の作品です。 -
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子像」
こちらは1510年頃の作品です。
前の作品から五十年も経っています。
ベッリーニが八十歳の頃の作品。
作品の出来もさることながら、当時八十歳でこんな絵を描けるのが凄い! -
アップです。
気品に満ちています。 -
ジョヴァンニ・ベッリーニ作「アレキサンドリアの聖マルコの説教」
1504年頃の作品です。
ヴェネチア派の特徴として帆布に描かれた油絵ですので非常に大きな絵です。
お兄さんのジェンティーレ(ただしジョヴァンニは愛人の子で庶子だそうです)との共作です。
当時二人とも七十代半ばです。 -
聖マルコは有名なサン・マルコ寺院があることでわかる通り、ヴェネチアの守護聖人です。
聖マルコはキリストの弟子ではありません。
ただ福音書を書いた一人です。
アレキサンドリアで布教し、アレキサンドリアの初代総司教となりました。
アレキサンドリアは絵が描かれた当時はオスマン・トルコの領土でしたからイスラム圏。
なので絵の全体に異国風の情緒が漂っています。
特に後ろの寺院の形が面白いです。 -
壇上で青いケープを着て説教しているのが聖マルコ。
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男たちはターバンをかぶり、後ろにはキリンやラクダがいます。
ターバンはイスラム時代になってから出てきたものですから(インドのシーク教徒もかぶっていますが)この頃はまだ普及していなかったはずです。 -
そして女性は変な帽子をかぶってみな顔を隠しています。
多分アヤバというイスラムの衣装です。
(ただし普通は黒で白い衣装は着ませんし、帽子もないと思います。) -
ジャンティーレ・ジョヴァンニのお父さんヤコポ・ベッリーニの娘(多分二人の妹)と結婚して二人とは義理の兄弟の関係になるアンドレア・マンテーニャはヴェネチアの領土だったパドヴァの出身です。
年齢もほぼ二人と同い年です。
ただ1460年以降はルドヴィーコ・ゴンザーガ(その孫のフランチェスコがイザベラ・デステの夫です)に招かれマントヴァの宮廷画家になっています。
イザベラ・デステは1490年にマントヴァ侯のフランチェスコ二世と結婚していますので晩年のマンテーニャと顔見知りということですね)
アンドレア・マンテーニャ作「祭壇画」
1453年作 -
アンドレア・マンテーニャ作「聖母子」
1485年の作品です。
天使の顔が聖母子の回りを取り囲んでいます。
普通は顔だけで結構不気味なんですが、マンテーニャは雲から天使が顔を出しているように描いて普通感があります。
ただしどの天使もあまり可愛い顔とは言えません(笑)。 -
そしてアンドレア・マンテーニャの後期の傑作「死せるキリスト」
1490年頃の作品です。
義理の兄弟のジョヴァンニ・ベッリーニが理想の姿をした美しい人を描こうとしたのに対して、マンテーニャはとにかくリアリズムを追求しました。
足元から見るという大胆な構図、一切美化せずに描いた筆致。(左で泣いている聖母マリアは普通のお婆さんですし、その隣で手を組み合わせている預言者ヨハネも若い美青年ではなく目元に皺がある小父さんです。)
後世の画家に大きな影響を与えました。 -
キリストの手や足にある聖痕(釘の刺されたあと)もかなりリアルです。
-
彼らと同時代に活躍した画家カルロ・クリヴェッリの「蝋燭の聖母を含む三連画」です。
1490年頃の作品です。
真ん中の絵が「蝋燭の聖母」です。
ビザンチン美術の流れをくむ豪華な絵です。
なぜ「蝋燭」かわかりませんでした。
キリストが蝋燭を手にしているという解説もありましたがどう見ても梨です。
大きくしていただくとお分かりになると思いますが、一番下の左側に細長い蝋燭がありました。 -
梨だのリンゴだの瓜だのに囲まれています。
自分だったら「果樹園の聖母」にするところですが・・・・ -
縦長にしてみました。
クリヴェッリの絵って非常に豪華で、宗教画なのに何故かエロティックなところが好きです。 -
こちらもカルロ・クリヴェッリの「聖母子を含む三連画」です。
1482年頃の作品です。 -
エロティックな理由は聖母マリアの目ですね。
このキリストは鳥を抱いています。 -
カルロ・クリヴェッリ「聖母マリアの戴冠」
1493年頃の作品です。 -
彼らより三十歳以上年下なのがヴィットーレ・カルパッチョです。
ヴィットーレ・カルパッチョ「聖ステファノの論争」
1514年頃の作品です。
聖ステファノはキリストの死後一番最初に殉教した人です。
石打の刑にあって死にました。
そしてステファノを石打にするのに賛同した人の中にまだキリスト教徒ではなかった聖パウロがいたそうです。 -
ヴィットーレ・カルパッチョ作「聖母マリアの神殿奉献」
1504年頃の作品です -
ヴィットーレ・カルパッチョ作「聖母マリアの結婚」
1504年頃の作品です。
聖母マリアの右隣に夫のヨセフがいますが、すごい年寄りに描かれてマリアが処女であることを強調しています。 -
そしてカルパッチョより二十歳ほど年下のティツィアーノ。
ティツィアーノ作「男の肖像」です。
1548年頃の作品です。
ティツィアーノは九十歳近くまで生きたので非常に多くの作品を残しているのですが、この美術館はそんなに多くの作品は所有してません。 -
ティツィアーノより八才年上のロレンツォ・ロット。
ロレンツォ・ロット作「ピエタ」です。
1545年頃の作品です。
この作品Web gallery of Artで見るとかなり色がくすんでいます。
それがこんなに鮮やかなのですから近年修復されたのでしょう。
ただこの絵ってポルディ・ペッツォーリ美術館にあるボッティチェリの「ピエタ」に凄く構図が似ています。
ひょっとしたらボッティチェリを真似たのかもしれません。
この鮮やかさはロット独特のものですね。 -
これがポルディ・ペッツォーリ美術館にあるボッティチェリの作品です。
ロットの作品より50年も前に描かれています。
どちらもキリストを中心にしてピラミッドのような三角の中に納まり、聖母マリアを預言者ヨハネが抱きかかえています。
ただこの作品は全体的に硬さがあって自分はロットのほうが好みです。 -
ロレンツォ・ロット「女性像」
1544年頃の作品です。
ロレンツォ・ロットはヴェネチアではジョルジョーネやティツィアーノの陰に隠れてしまい、ヴェネチアを出てイタリア各地を転々とします。 -
ロレンツォ・ロット「男性像」
1544年頃の作品です。
晩年には精神を病んで、貧困のために修道院の住み込み雑用係として76年の一生を終えたと言います。
最後まで名声を保ち弟子も多く仕事の絶えなかったティツィアーノと対照的な晩年です。 -
ティツィアーノより十歳ほど年下のパリス・ボルドーネです。
ティツィアーノの弟子だったそうですが、ティツィアーノに不満を感じそこを飛び出しています。
パリス・ボルドーネ「キリストの洗礼」 -
パリス・ボルドーネ「聖カテリナの神秘の結婚」
現在はあまり有名な画家ではありませんが、当時はティツィアーノに並ぶほどの売れっ子だったそうです。
どこかロレンツォ・ロットに似ているような気がして、今回の旅で好きになった画家の一人です。 -
そしてさらに三十歳ほど年下のヴェロネーゼ。
ヴェロネーゼは本名パオロ・カリアーリ。
ヴェロナの出身だったのでヴェロネーゼ(ヴェロナ人)と呼ばれています。
ヴェロネーゼ作「シモン家の宴」
1567年頃の作品です。
ヴェロネーゼと言えばこういう横長の作品を得意としました。 -
ある日イエスはシモンの家の宴に招かれます。
そこに罪深い女(多分娼婦)が入ってきてイエスの足に香油を塗り始めます。
シモンはこれを見て不快な気持ちになりますが、イエスがシモンを諭し、女に「あなたの罪は許された」という話です。 -
イエスの足に香油を塗る女。
右側でシモンが不愉快な顔でそれを見ています。
そしてシモンの右には黒人の召使がいます。 -
真ん中に犬が二匹いてどうしてもこれに目が行ってしまいます(笑)。
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そして右側は正直あってもなくてもいいんじゃないかと思うような絵です。
傑作の「カナの婚礼」や「レヴィ家の饗宴」に比べるとちょっと劣るような気もします。 -
ヴェロネーゼ「最後の晩餐」
1585年頃の作品です。 -
左側に最後の晩餐が描かれています。
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そして右側はまるで関係のない話が描かれています。
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これもヴェロネーゼ「キリストの洗礼と誘惑」
1580年頃の作品です。 -
左側に描かれているのは「キリストの洗礼」です。
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そして右側は「荒野の誘惑」
洗礼を受けた後聖霊によって荒れ野に送り出されたキリストを誘惑する悪魔。
悪魔が石を持っているようなので「もしお前が神の子ならこの石をパンに変えてみろ」と言っている場面でしょうか?
それに対するキリストの回答が有名な「人はパンのみにて生きるにあらず」です。
時間的につながるので同じ絵に描かれたでしょうが、並べて描かれるとなんかしっくりこないような気がします。 -
ヴェロネーゼの「シモン家の宴」のそばにティントレットの「聖マルコの遺体の発見」があります。
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ティントレット「聖マルコの遺体の発見」
1562年頃の作品です。
ティントレットはヴェロネーゼより十歳上です。
本名はヤコポ・ロブスティですが、父親が染物師だったのでティントレット(染物屋の息子)というあだ名で呼ばれています。 -
ティントレットは横長のヴェロネーゼとは対照的に奥行きのある絵を描きました。
左側に横たわっている死体が聖マルコ。
そしてその左に微かな光輪を頭に乗せて立っているのが聖マルコの幽霊(?)です。
みながいろいろな人の遺体をどこかに移動させようと動かしている最中に聖マルコが現れ「ああこれが聖マルコの遺体だったんだ!」とみなが納得するシーンらしいです。 -
聖マルコの遺体とすくっと立ち上がって何事か演説している聖マルコ。
そして赤い僧衣を着て両手を広げているのが依頼主でしょうか?
ティントレットの絵って劇的ですが結構わかりにくいです。 -
ティントレット「少年の肖像」
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そしてその後ヴェネチアの絵画は暫く停滞期に入ります。
17世紀にはそれほど有名な画家は出てきません。
しかし18世紀になって再び花開きます。
ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロ「聖母子と聖人」
1730年頃の作品です。
ティエポロは主にフレスコ画を描き、バロックの最後を飾ります。
ただロココ風味がかなり入っていて、この人のフレスコが描かれているとロココじゃないのかなと思ってしまいます。 -
そして風景画の巨匠カナレット
カナレット「サンマルコ広場とドゥカーレ宮殿」
1730年頃の作品です。 -
カナレット「ヴェネチアの運河」
やはり同じ頃の作品でしょう。 -
そしてカナレットより十五歳年下のフランチェスコ・グアルディも風景画を描いています。
フランチェスコ・グアルディ「リアルト橋のある風景」
1765年頃の作品です。
グアルディは自分が大好きな画家です。
今回の旅ではたくさんのグアルディの作品が見れて本当に幸せでした。 -
フランチェスコ・グアルディ「大運河と魚市場の風景」
1765年頃の作品です。 -
そして当時の風俗画を描いたがピエトロ・ロンギです。
ピエトロ・ロンギ「家族の音楽会」
1746年頃の作品です。 -
ピエトロ・ロンギ「歯医者」
1746年頃の作品です。
真ん中に立っているのが歯を持っているから歯医者さんなんでしょうね。
その下で男がハンカチで口元を押さえています。
ロンギは当時のこういう風に当時の職業がどうなされていたかを描いていて、非常に興味深いです。 -
ヴェネチア派以外の作品です。
ドッソ・ドッシの「聖フランチェスコ」
ドッソ・ドッシは1500年代にフェラーラの宮廷の庇護を受けて活躍した人です。 -
ウルビーノ近くで生まれ建築家として活躍したブラマンテの絵がありました。
ブラマンテ「柱に括りつけられるキリスト」
1490年頃の作品。
ブラマンテは始めは画家を志しマンテーニャのもとで学んだそうです。
その後建築家になり、「最後の晩餐」で有名なミラノのサンタ・マリア・デル・グラッツィエ教会の設計をしました。
サンピエトロ寺院の最初の設計をしたのもブラマンテです。 -
ブラマンテのフレスコ画「ヘラクレイトスとデモクリトス」
二人とも古代ギリシアの哲学者です。
二人とも笑っているというよりなんかニヤニヤして気持ちの悪い絵ですね。
画家をあきらめて建築家になって正解だと思ったのは自分だけではないと思います(笑)。 -
トスカーナはアレッツォ近郊で生まれたピエロ・デッラ・フランチェスカ
ピエロ・デッラ・フランチェスカ「モンテフェルトロ祭壇画」
1472年頃の作品です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカはウルビーノを支配していたウルビーノ公の庇護を受けました。
フィレンツェのウフィツィ美術館には有名なウルビーノ公夫妻の肖像画があります。 -
この絵はウルビーノ公の二番目の妻が産後の肥立ちが悪くて亡くなった後、その追悼のために描かれた祭壇画です。
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その為か聖人たちに交じってウルビーノ公の一家が描かれています。
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聖母子の前に跪いているのが当のウルビーノ公です。
本名フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロです。
傭兵をして国の財政を支えていました。
顔の右側に大きな傷があったためこの人の肖像画は常に横向きで顔の左側を見せています。 -
そして聖母マリアのモデルは亡くなった妻バティスタと言われています。
ただウフィツィの肖像画を見る限り美化しすぎです。 -
キリストのモデルは多分その時に生まれたグイドバルド・ダ・モンテフェルトロです。
フェデリーコにとってグイドバルドは50歳になってやっと生まれた後継ぎです。
可愛くて仕方なかったと思います。
が、グイドバルドが十歳の時に亡くなってしまいます。 -
聖母マリアの横にうつっている天使のモデルは実はフェデリーコの庶子のアントーニオだと言われています。
父が亡くなった時後継ぎの弟はまだ十歳で病弱。
弟を廃して自分が後継者にと思ってもいいのですが、アントーニオは体が弱く気も弱い弟を陰で支え続けたそうです。
なんか泣ける話です。
(ただアントーニオは継母のバティスタとも仲が良かったし、バティスタも当時まだ二十代なので、もしグイドバルドがアントーニオとバティスタの子だったらと思うと・・・・・昼メロの世界ですね) -
ルネサンスの三大天才の一人ラファエロはそのウルビーノ生まれで、グイドバルドの肖像画も描いています。
ラファエロ「聖母マリアの結婚」
1504年頃の作品です。
ラファエロはまだ19歳くらいではないかと思います。
ラファエロの師匠はペルジーノで初期の絵は非常にペルジーノに似ています。 -
この円形の寺院は師匠のペルジーノが1481年頃システィーナ礼拝堂の壁に描いた「聖ペテロへの鍵の授与」に似ています。
さらに構図もよく似ていると思います。 -
これがペルジーノ作「聖ペテロの鍵の授与」です。
システィーナ礼拝堂は写真撮影禁止なのでWikiより画像を拝借しました。 -
聖母マリアに指輪を渡すヨゼフです。
これは天使が現れ国中の独身者を集め、木を持たせその木に花が咲いたものが聖母マリアの夫となる資格を持つと言い、ヨゼフの持った木に花が咲きヨゼフが選ばれたという話です。
こんなに大変な思いをして結婚したのに、相手は既に身重だったとは・・・・・
ヨゼフの嘆きはいかばかりだったでしょうか・・・・・ -
選ばれずに怒りに任せて木を折る若者が描かれています。
-
フィレンツェでコジモ一世の宮廷画家として十六世紀に活躍したのがブロンツィーノ。
ブロンツィーノ「ネプチューンに扮したアンドレア・ドーリア」
1540年頃の作品です。
この頃のブロンツィーノはコジモ一世の庇護を受け飛ぶ鳥を落とす勢いだったと思います。
フィレンツェの名士の肖像画をたくさん描いています。 -
生粋のミラノっ子であったにもかかわらず喧嘩で役人に怪我をさせミラノを出てローマを中心として活躍したものの人を殺してしまい、結局イタリア中を転々とし、最後はトスカーナのポルト・エルコレで鉛中毒で死んだと考えられているカラヴァッジョの作品も一枚ここにあります。
カラヴァッジョ「エマオの晩餐」
1606年作
バロック絵画と言えばオランダのレンブラントとイタリアのカラヴァッジョが真っ先に思いつきます。 -
レンブラントとカラヴァッジョ、この二人の絵だけは暗くて写真が撮りにくく本物を見ないと駄目なんじゃないかと思います。
-
キリストの死後弟子が旅をしているとエマオという町でキリストに出会うという話です。
キリストだけはいかにもな感じですが、弟子といい給仕する女性といいまるで農民のような感じです。 -
カラヴァッジョはこのテーマの絵をもう一枚描いていますがまるで雰囲気が違います。
もう一つの絵はロンドンのナショナルギャラリーに展示されていますがカラヴァッジョの最高傑作と言われています。
キリストには髭がなく若き日の姿で描かれ明暗もはっきりしています。
ところがこちらは画面全体が暗く、キリストもやつれ果てています。
この絵はカラヴァッジョがローマで人を殺した後、その逃亡資金を得るために描いたと言われていて、その時の気持ちがこの絵に反映しているのではないかと言われています。
ただ自分はこちらの絵のほうが好きですね。 -
ここでやっとミラノで活躍した画家が出ます。
ベルナルディーノ・ルイーニ「薔薇園の聖母」
1510年頃の作品です。
ルイーニはレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子というわけではありませんが(ルイーニがミラノに父親と出てきた時には、レオナルドのパトロンのルドヴィーコ・スフォルツァは既に投獄されていましたから、レオナルドもミラノを脱出していたと思います)レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を非常に受けている画家です。
多分レオナルドの画をかなり見て勉強したんだと思います。
そのため後世、彼の作品にレオナルド・ダ・ヴィンチのものと間違えられたものが数多くあると言います。
この作品もレオナルド・ダ・ヴィンチのものと言われても違和感はありません。
レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を強く受けている画家です。 -
実に優美な作品だと思います。
-
同じくルイーニの「ハムの嘲笑」
ハムは「ノアの箱舟」で有名なノアの息子です。
大洪水の後、ワインに酔って泥酔し全裸で寝ていたノアを見つけたハムは他の兄弟のセムとヤペテをわざわざそこに呼んで嘲笑ったという話です。
セムとヤペテはノアを見ないようにして布をかけてノアの裸を隠しました。
そして侮辱されたノアはハムの息子のカナンを呪い、カナンの子孫はセムとヤペテの奴隷になると予言したそうです。
ノアって凄く善人だから神に選ばれて大洪水を家族で逃れたわけですが、この話を聞くと神様は根本的に間違っていたんじゃないかと思うのは自分だけでしょうか? -
ルイーニのフレスコ画もありました。
なお、ミラノにはルイーニ一族がフレスコ画を描いたサン・マウリツィオ教会がありまる。
ここはミラノのシスティーナ礼拝堂と呼ばれていて個人客の間で非常に人気があります。 -
これもルイーニのフレスコ画です。
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どこかの礼拝堂からルイーニのフレスコ画を持って来ています。
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その礼拝堂の天井画です。
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1475年にスペインで生まれた画家フェルナンド・イヤネスもレオナルド・ダ・ヴィンチに影響された一人でしょう。
「聖母子」の絵です。
まるでレオナルド・ダ・ヴィンチのコピーなんじゃないかと思うような絵ですね。 -
1598年にミラノで生まれ17世紀のミラノで活躍したダニエル・クリスピの最後の晩餐」です。
1624年頃の作品です。 -
そしてフランドルはアントワープで大活躍したルーベンスです。
自らの工房を持ち、ルーベンスの構想をもとに工房での大勢の人間が作品を作ったのでそれこそ星の数ほど絵を描きました。
なので玉石混合も甚だしいですが、これは玉の方なんじゃないかと思います。
ルーベンス「最後の晩餐」
1631年頃の作品です。
上のクリスピと同時期の作品なのですが流石に格が違います。
どちらもユダらしき人物がこちらを向いているのですが緊迫感が違います。
ルーベンスもバロックの作家です。
けれども、中にはどこがバロックなの?と思うような絵もあります。
やや遅れた時期にレンブラント、フェルメールがいますが、日本での人気は彼らとは比較にならないくらいありません。
不遇の晩年を過ごした二人に対して、外交官としても成功し生涯を大金持ちのまま暮らしたということも日本人の反感を買う理由かもしれません。
自分も初めはそんなに好きな画家ではありませんでしたが、いろいろ見て回るうちに結構好みの作品がたくさんあることに気が付きました。 -
そして19世紀にミラノで大活躍したのがロマン主義のフランチェスコ・アイエツです。
フランチェスコ・アイエツの大傑作「接吻」
1859年の作品です。 -
フランチェスコ・アイエツ「アレッサンドロ・マンゾーニの肖像」
1841年の作品
マンゾーニは19世紀にミラノで活躍したイタリアを代表する詩人・小説家です。
日本では「いいなづけ」と言う作品で有名です。
元々伯爵家の生まれだそうで幼少時代をパリで過ごしたというお坊ちゃまです。
銀行家の娘と結婚し金も名声も手にした羨ましい方。
イタリアが王国として統一された七十五歳の年には上院議員に選ばれています。
しかも八十八歳という当時としては滅茶苦茶長生きをしますが、おかげで妻にも子供にも先立たれました。 -
フランチェスコ・アイエツ「マンゾーニ夫人・テレーザ・バリ・スタンパの肖像」
1847年の作品。
最初の妻エンリケッタに先立たれた後に結婚した二度目の妻テレーザの肖像です。
彼女もスタンパ伯爵の未亡人で連れ子がいたそうです。
ただ、結局彼女にも先立たれました。 -
何故かキュビズムのピカソの絵もありました。
-
こちらはブラックの絵です。
-
そしてミラノはナポレオンの支配下に入っているのでナポレオンをよいしょしたであろう作品もたくさんあります。
カノーヴァの彫刻「ナポレオン像」
中庭の銅像もそうでしたがこれも作っているのですね。
じゃあナポレオンの崇拝者だったかと言えば、ナポレオン没落の後ナポレオンが略奪したイタリアの芸術作品の返還要求の指揮を教皇から頼まれているので完全に仕事と政治は分けていたようです。 -
アンドレア・アッピアーニ作「ナポレオンの肖像」
1805年の作品です。
アッピアーニはミラノの画家です。
父親は医者で初めは父の跡を継ごうとしましたが、結局画家となりました。
ナポレオンに気に入られナポレオンや将軍たちの肖像画をたくさん描いたのはいいのですが、ナポレオンの没落とともに仕事を失い、貧困のうちに亡くなったそうです。
ナポレオンが没落した後も仕事が途切れなかったカノーヴァと違ったのは才能の差でしょうか? -
ブレラ絵画館の近くにポルディ・ペッツォーリ美術館があります。
ミラノ貴族ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリが1879年に亡くなった時、自分の私邸を数々のコレクションとともにミラノ市に寄贈して出来た美術館だそうです。
入り口を入って階段を上ります。 -
貴族のお屋敷なので、内装も美しいです。
ジャン・ジャコモには後継者が誰もいなかったようです。 -
天井画です。
-
書斎の装飾です。
「地球の歩き方」によるとジャン・ジャコモはここでくつろぐことを好んだとか。 -
ジョヴァンニ・ベッリーニの「死せるキリスト」
1460年の作品です。 -
アントニオ・デル・ポライオーロの「婦人像」
1460年頃の作品です。
この美術館の至宝でしょう。 -
アントニオ・ポライオーロは弟のピエロと一緒にフィレンツェで工房を開き、ヴェロッキオの工房とライバル関係にありました。
またアントニオ・デル・ポライオーロと書きましたがほとんどが弟との共作みたいです。
この二人の工房はどちらかと言うと彫刻のほうが主力だったようで絵はあまり残っていません。
ただ婦人の横顔を描いたものは他の追随を許さないほどの素晴らしさです。
ベルリンの絵画館にある婦人像、フィレンツェはウフィツィ美術館にある婦人像、そしてこの婦人像の3つが三大傑作だと思います。 -
とにかく素晴らしい絵です。
ただライバルのヴェロッキオ工房が次から次へと良い弟子が出てきたのと対照的にこの工房からは目立った才能の弟子は出てきませんでした。 -
ボッティチェリ「キリストの死」
1495年頃の作品。
もう一度載せました。
これと非常に似た構図の作品がミュンヘンのアルテ・ピナコテークにありました。 -
ボッティチェリ「聖母子像」
1483年頃の作品。
この頃がボッティチェリの絶頂期のような気がします。
1490年代、サヴォナローラに帰依するころになると絵に柔らかさや優美さがなくなっているような気がします。 -
ルーカス・クラナッハ「ルター夫妻の肖像」
1529年頃
クラナッハはルターの友人で何枚か肖像画を残しています。
なので我々がイメージするルターはだいたいクラナッハが描いた顔ですね。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ「ゴルゴダの丘に向かうキリストと聖母マリア」
-
ベルナルディーノ・ルイーニ「聖母子と聖カタリナ」
-
チェザーレ・ダ・セスト「聖母子」
1515年頃の作品です。
これは完全にレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖母子と聖アンナ」の下半分ですね(笑)。
彼もルイーニと同じくレオナルド・ダ・ヴィンチの大きな影響を受けています。 -
そしてここにもフランチェスコ・グアルディの作品がありました。
フランチェスコ・グアルディ「サンマルコ小広場」
横向きの作品です。 -
フランチェスコ・グアルディ「サンマルコ小広場」
そして同じサンマルコ小広場でもこちらは縦向きです。 -
フランチェスコ・グアルディの「廃墟」です。
-
そしてフランチェスコ・グアルディの一番の傑作と言われている
「ラグーナの風景」
1765年頃の作品です。
ターナー(1775年生まれです)を先取りしたような美しい作品です。 -
これを見るためにこの美術館に来ました。
ポライオーロの「婦人像」もいいのですが、やはりこの作品が見たかった! -
ミラノのドゥオの近くにあるアンブロジアーナ絵画館。
やはりここもフェデリコ・ボッローメオ枢機卿の邸宅を1607年に美術館にしたものだそうです。
やはりここも階段を上がって二階に行きます。
豪華ですが少々下品な階段です(笑)。 -
中庭を見ると子の邸宅がポルディ・ペッツォーリ美術館より豪壮なのが分かります。
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考えればこちらが17世紀前半、あちらは19世紀ですから屋敷自体もこちらのほうが凄いものが建てられたんでしょうね。
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ラオコーン像がありました。
これは欠けた部分も修復したものです。 -
そしてミケランジェロの「ピエタ」も。
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なんとレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンが展示されていました。
今年はレオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなってちょうど五百年にあたるので各地でレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんだ展示をしていました。
ヴェネチアのアカデミア美術館でも秘蔵のデッサンを展示していましたが(中には一番有名なウィトルウィウス的人体図もありました)写真撮影禁止でした。
ところがこちらは撮影可! -
説明文が鏡文字が書かれたものもあります。
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藤本ひとみさんの「逆光のメディチ」(今は「ダ・ヴィンチの愛人」にタイトルが変更されています)の最初の部分でレオナルド・ダ・ヴィンチがなぜ鏡文字を使ったかその理由が書かれています。
それによると印刷して本にするためということでなんか目から鱗でした。
印刷するときにはもちろん絵も掘って判を作らなければなりません。
普通だったら一回すべてを逆に描き、そして掘らなければならない。
その手間を省くためにこのまま掘ればいいように最初からすべてを逆に書いたというのです。 -
サンドロ・ボッティチェリの「聖母子と三人の天使」
1493年頃の作品です。
ボッティチェリにしては聖母の頭がやけに大きいのが気になります(笑)。
ちょうど彼の心の支柱であったロレンツォ・メディチが亡くなってサヴォナローラに傾倒し始めたころです。 -
そしてティツィアーノの絵が三枚も。
ティツィアーノ「キリストの死」 -
ティツィアーノ「マギの礼拝」
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ティツィアーノ「後悔するマグダラのマリア」
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ベルナルディーノ・ルイーニ「我に触るな」
やはりミラノはルイーニの作品が多いなと感じます。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ「授乳の聖母」
1520年頃の作品。
聖母マリアが乳を出しているのはかなり珍しいです。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ「女性像」
このあたり本当にレオナルド・ダ・ヴィンチような絵です。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ「聖家族と洗礼者ヨハネ」
これもレオナルド・ダ・ヴィンチの絵そっくりです。 -
ベルナルディーノ・ルイーニ「幼児キリストと子羊」
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ベルナルディーノ・ルイーニのフレスコ画もありました。
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カラヴァッジョの初期の作品です。
カラヴァッジョ「果物籠」
1597年頃の作品。 -
アップです。
実に素晴らしいデッサン力です。 -
ヤン・ブリューゲル(父)「花」
1606年頃の作品です。
有名なビーター・ブリューゲルの息子で花の絵をよく描いたので「花のブリューゲル」と呼ばれています。
ブリューゲル一家は代々才能のある画家を生み出し、息子のヤンもやはり有名な画家になったので区別するために(父)を入れています。 -
ヤン・ブリューゲル(父)「エデンの園」
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ヤン・ブリューゲル(父)「原罪」
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ところでどこを探してもレオナルド・ダ・ヴィンチの「楽師の肖像」がありません。
どこかに貸し出されたのかと思い、係の人に聞いてみると最後の部屋に展示してあるとのことでした。
最後の部屋は図書室でした。
部屋はかなり暗かったです。
その中央に一作品だけ特別という感じで展示してありました。 -
レオナルド・ダ・ヴィンチの「楽師の肖像」
1490年頃の作品です。
この肖像画をじっくりと見た後アンブロジアーナ絵画館を後にしました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- お黙り!さん 2019/10/20 08:34:48
- 素晴らしい!
- ken-kenさん、おはようございます。何時もながら素晴らしい解説、ありがとうございます。何時も思うのですが、その辺の解説本より為になります(笑)ご専門なんですか?カラヴァッジョは好きですが、確かに暗いですから、写真では表現出来ない立体感と心の叫びを感じます。本当に「実に素晴らしいデッサン力です」そうですね、現実的にはあり得ないけれど、「本物より本物らしい」と言う事でしょうか。何時か私もこの美術館行ってみたいです。本当に素晴らしい旅行記ありがとうございました。
マリー
- ken-kenさん からの返信 2019/10/20 20:58:09
- RE: 素晴らしい!
- マリーさん、今晩は。
この度は投票とコメントをありがとうございました。
お褒めのお言葉恐縮です。
実は全然詳しくありませんので、いつもいろいろな方のブログだったりWikiだったりを参照しながら書いております。
おかげで非常に勉強になりました。
10年前までは絵のことなどまるっきり詳しくなく、せいぜいダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ程度しか知りませんでした。
ウィーンの美術史博物館に行って開眼したようなものです。
そして好きになるとどんどん好きな画家が増え、それを追って旅しているような感じになりました。
ミラノではブレラ絵画館とサン・マウリツィオ教会のフレスコ画に魅惑されました。
特に教会のフレスコ画はそこに行かないと絶対に見ることが出来ませんので、有名な画家のフレスコ画が溢れているイタリアは死ぬまでに何回も行ってみたい国になりました。
またよろしくお願いいたします。
ken-ken
-
- makiさん 2019/10/19 21:22:29
- こんばんわ!
- 初めましてmaki と申します!
私も絵画が好きで世界10大美術館を
目指してますが、宗教画の良さが知識不足で良く判りません!
ミラノの美術館ですか?結構良いですね!
おしゃる通りローマのカルバチョ暗い中の生首には衝撃でしたし
エイルタージュ他のレンブラントの作品は暗いですよね!
今回は久し振り良い絵を沢山見れました!
- ken-kenさん からの返信 2019/10/19 22:55:08
- RE: こんばんわ!
- makiさん、今晩は
この度は投票とコメントをありがとうございます。
> 私も絵画が好きで世界10大美術館を
> 目指してますが、宗教画の良さが知識不足で良く判りません!
宗教画は本当に難しいですよね。
自分も帰ってからいろいろ調べています。
ただそのおかげで結構勉強させていただきました。
いくつになっても勉強って大事だし、楽しいなと思っております。
> ミラノの美術館ですか?結構良いですね!
ミラノは実はブレラ絵画館が一番の見どころではないかと思っているくらいです。
> おしゃる通りローマのカルバチョ暗い中の生首には衝撃でしたし
> エイルタージュ他のレンブラントの作品は暗いですよね!
> 今回は久し振り良い絵を沢山見れました!
ありがとうございます。
またよろしくお願いいたします。
ken-ken
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