2019/05/29 - 2019/05/29
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ken-kenさん
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今までイタリアには結構来ていたのになぜかヴェローナは訪れる候補に入れませんでした。
歩くのには大きな都市すぎる、その割に交通が不便(実は地下鉄に乗るのは好きですが、時間がわからず乗る場所も判りにくいバスは嫌いです)、そして見所が少ない・・・・・と言った理由でした。
今回もパドヴァからマントヴァに行くにはヴェローナ経由でないと行けないしという極めて消極的理由からでした。
でマントヴァからパドヴァへの帰りの午後の時間をヴェローナにあてたのですが・・・・・はてさてヴェローナの印象は変わるでしょうか?
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ヴェローナ駅前は結構大きな広場が広がっています。
どのバスに乗ったらいいか・・・・そんなことを考えるのも面倒なので、ともかく歩きます(笑)。
アレーナは入場券を買うのに並ぶということなので、駅のタバッキでヴェローナカードを購入しました。
駅のそばにあるポルタ・パリオ。
実は帰りがけにポルタ・ヌオーヴァだと思って写しました・・・・・ -
しばらく歩くとブラ広場に出ます。
ローマ時代の闘技場アレーナはこの広場にあります。
ブラ広場にあるブラ門。
古代ローマの遺跡かと思いましたが十三世紀に造られた門だそうです。 -
ブラ広場です。
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これもブラ広場。
なんとなく建物の感じがヴェネチアに似ているような気がします。
ヴェローナは中世こそはパドヴァやヴィチェンツァなどを支配下に置き繁栄しましたが、やがて国力が衰え1405年にヴェネチアの支配下にはいりました。
そのためヴェネチア色が強いのですね。
1400年代からのヴェネチアの強さはかなりのもので、特に海軍力はヨーロッパNO.1と言われていました。(スペインがオスマントルコと戦い勝利したレパントの海戦でも同盟軍のヴェネチア海軍の活躍も大きかったといいます)
1797年にナポレオンに征服されるまで繁栄が続きました。 -
ただヴェネチアはあまりに繁栄したために、貴族が金持ちになりすぎて戦うということを嫌がり始めました。
これがヴェネチア没落のきっかけとなりました。
元々共和制であったヴェネチアは傭兵を雇わず、戦いがあれば全市民が戦いに参加しなければならなかったのです。
特に貴族たちは先頭に立って危ない場所で戦いました。
おかげでヴェネチアの海軍は世界一強いとまで言われました。
しかしヴェネチアが繁栄したおかげで金持ちになった貴族たちはブレンタ川のほとりに次々と豪壮な別荘を建てそこに住まうようになります。
そうなると贅沢暮らしになれもう戦争に出ることを嫌がります。
上に立つ貴族がその体たらくでは庶民も命を懸けて戦うなんてことをしなくなります。
結果、国力は衰え、没落し、ナポレオンに占領されてしまいます。
さらにナポレオン失脚の後は長くオーストリアの支配下に入ります。
(ヴィスコンティの映画「夏の嵐」はオーストリアの支配下だった頃のヴェネチアが舞台)
栄枯盛衰はこの世の常ですね。
なんにしても運河があればこの広場はヴェネチアのようです。 -
そしてブラ広場の中心にあるアレーナ(古代ローマの円形闘技場)
少なくとも紀元30年ころには完成していたらしいです。
最初は闘技士同士の戦い、そして後には闘技士と猛獣の戦いを見せていたようです。
ただここでキリスト教徒が殺された記録はないとか・・・・
逆に1278年に二百人の異教徒をここで火刑に処したという記録があるそうです。 -
1580年ころには貴族たちの騎馬試合の会場に使われていたという記録があるそうです。
そして今は夏の野外オペラで有名です。 -
古代ローマ遺跡の中でもかなり完璧な姿を残している数少ない遺跡です。
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内部です。
コンサートの準備が行われていました。
そのため閉館が早まっていました。
後三十分遅かったら入れなかったところでした。
ただおかげで人も少なくヴェローナカードを買わなくともすぐ入れる状況ではありました。 -
これも内部。
前方席はともかくコンサートや野外オペラでは石の上にじかに座ることとなります。
なので一般席に座る人は座布団必須と何かの本に書いてありました。 -
やはり内部です。
二階建てで表から見ると低い感じですが、こうして内部のてっぺんに来ると相当な高さがあることがわかります。 -
普段は舞台であろう所にも席を設けてあるので相当な人数が入るのでしょう。
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このあたりはいかにもローマ遺跡という感じです。
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これが客席への入り口です。
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アレーナから見たブラ広場です。
マントヴァでは快晴だったのですが、雲行きが怪しくなってきました。 -
そしてヴェローナに来たらやはり行っておかなければならないジュリエッタの家。
人が入らないように撮っていますが、中庭は大混雑です。
表にあるジュリエッタの像です。
ジュリエッタの乳房に触ると幸運になるそうで、皆さんお触りになっています。
その順番待ちもすごい行列で自分は触る勇気がありませんでした(笑)。 -
中庭はただでだれでも入れますが、屋敷の内部は有料です。
ヴェローナカードで内部に入れるので取り合えず入ってみました。
ぐっと観光客の数が減ります。
ジュリエッタの寝室です。 -
内部にもジュリエッタの像があります。
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有名なバルコニー。
これは誰もいない状態です。 -
そしていかにもジュリエッタという感じの女性が立ちました。
下にいる恋人に撮影してもらっていました。
でもこの人は絵になっていますね。
ここまでぴったりの人が立ってくれるとこちらも嬉しくなりますね。 -
もう一枚。
ここまでぴったりの人に立たれると、大勢ならともかく一人で立つ自信がなくなりますね(笑)。(てか男は立ちにくいです) -
これはジュリエッタの家から見たバルコニー。
この人もステキです。
黒髪なのでオリビア・ハッセー的ジュリエット。 -
一般的にはこのように「みんなで立てば怖くない」状態でないとなかなか立てないと思います(笑)。
なんせ下には大勢の人が犇めいていますから(笑)。
この写真はさらに上の部屋からバルコニーを見下ろして写しました。 -
ジュリエッタの家を出てシニョーリ広場に向かいます。
途中にあった古代ローマ時代の遺跡。 -
シニョーリ広場につきました。
このそばにあるスカリジェリ家の霊廟に行くのをすっかり忘れていました。 -
シニョーリ広場。
いかにもイタリアらしい広場です。 -
シニョーリ広場にある獅子のレリーフ。
ヴェネチア領であった印ですね。 -
シニョーリ広場。
見えている高い塔はランペルディの塔。 -
シニョーリ広場です。
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ランペルディの塔です。
ヴェローナカードで塔の上に上ることが出来ますが、そうすると市立美術館に間に合わなくなるかもしれないので泣く泣くスキップしました。 -
こちらはエルベ広場。
シニョーリ広場と隣り合っています。
ランペルディの塔がそびえています。 -
やはりエルベ広場。
広場中央に屋台が立ち人で込み合っています。 -
市立美術館のあるカステル・ヴェッキオに向かいます。
14世紀にスカラ家によって建てられた城です。
カステル・ヴェッキオは「古い城」の意味です。
その城を美術館として利用しています。 -
これもカステル・ヴェッキオです。
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やはりカステル・ヴェッキオ。
ちょっとミラノのスフォルツァ城を思い出させます。 -
美術館に入る前にスカリジェロ橋に行くことにしました。
スカリジェロ橋に行く道です。 -
こんな風情のある道を通って橋に行きます。
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これがスカリジェロ橋です。
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橋の上にも登れます。
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いかにも中世の趣きがある橋です。
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スカリジェロ橋から見たカステル・ヴェッキオ。
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スカリジェロ橋とカステル・ヴェッキオ。
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それでは市立美術館に入りましょう。
なかなか素敵な美術館でした。
ヴェロネーゼの「ピエタ」 -
ヴェロネーゼ「聖母子と二人の聖人」
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ジョヴァンニ・ベッリーニの二枚の「聖母子像」
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ティントレットの「マギの礼拝」
ティントレットはヴェネチア派の巨匠です。
同時代にティツィアーノ、ヴェロネーゼがいてこの三人でヴェネチア絵画を盛り上げました。 -
ティントレット「マギの礼拝」のアップ。
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ティントレット「男の肖像」
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ピエトロ・ロンギ「家族の肖像」
ピエトロ・ロンギは18世紀にヴェネチアで活躍した風俗画を得意とした画家です。
今回の旅ではこの人の絵を堪能しました。
18世紀と言えばヴェネチア貴族がブレンタ川に屋敷を建てまくり、完全に爛熟期に入ったころです。 -
そして自分が大好きなフランチェスコ・グアルディの作品も二つ並んで展示されています。
この人も18世紀の人。 -
フランチェスコ・グアルディ作「廃墟」
フランチェスコ・グアルディは18世紀のイタリアを代表する画家です。
主に風景画を得意としたことは十五歳年上のカナレットと同じですが、カナレットとの違いはその作風です。
カナレットが風景をリアルに描いたのに対して、グアルディは印象派かとも思えるような筆致で叙情的に描きました。 -
フランチェスコ・グアルディ「風景画」
当時より現在のほうが評価が高いのではないかと思われる画家です。
彼の一大傑作「ラグーナ(干潟)」がミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館にあり、ぜひ見たいと思っていたのですが今回念願がかないました。 -
そして18世紀と言えばティエポロ親子が大活躍しました。
ブレンタ川の屋敷の天井に絵を描きまくったのがジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロです。
父親ほど有名ではありませんがジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロもヨーロッパ貴族の屋敷に絵を描きまくりました。
そのジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロの天井画をカンヴァスに描いたもの。
父親のバッティスタはバロックとロココの端境期にありロココを推進した画家、息子のドメニコはもうすでにロココの時代の画家です。 -
ここからはそれほど有名ではない画家の作品を。
ピエトロ・ヴェネチアーノの「キリスト像」 -
ピエトロ・リッチ「ホロフェルネスの首を持つユディット」
バロック期の作品だと思います。
暗い中の光の描写が見事。 -
フランチェスコ・マッフェイの「最後の晩餐」
「最後の晩餐」なので写してしまいました(笑)。 -
モレットの「サヴォナローラの肖像」
こちらは画家よりもモデルのほうが有名です。
サヴォナローラは15世紀末のフィレンツェの修道僧。
カリスマ性が凄くあったらしくフィレンツェの人々の心をとらえました。
フィレンツェを支配していたメディチ家を追い出してフィレンツェで神聖政治を行いました。
が、あまりにも行き過ぎた宗教政治を行った結果人民の心は離れやがて失脚し、絞首刑にあいます。
この人を評価する人も大勢いますが、塩野七生さんの著作を読んだ自分にとっては正直大嫌いな人間の一人です(笑)。
自分を正しいと信じている真面目で融通の利かない人間が権力を握るとこんな悲劇が起きるといういい例だと思います。
一介の修道僧であれば信仰に生涯をささげた素晴らしい人で人生を終えたのでしょうけど・・・・・でも自分は関わりたくはない人です(笑)。 -
この美術館、作品を見るだけでなく、城の内部を見れるのもいいですね。
カステル・ヴェッキオの中庭です。 -
少し上から見た中庭です。
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カステル・ヴェッキオから見たアルジェディ川とヴェローナ市街。
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カステル・ヴェッキオから見たスカリジェロ橋。
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やはりカステル・ヴェッキオから見たスカリジェロ橋。
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カステル・ヴェッキオから見たスカリジェロ橋。
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カステル・ヴェッキオの屋上から見た庭。
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やはりカステル・ヴェッキオの屋上から見た庭。
こうしてヴェローナ市街をざっと見た感想は・・・・・取り合えず来てよかったけど、一度でいいかなというのが正直な感想です。
(パドヴァ・マントヴァはまた来てみたいけど・・・・)
ヴェローナの町がお好きの方がいらしたら申し訳ありません。
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