2019/06/05 - 2019/06/05
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ken-kenさん
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実はミラノで一番行きたかった場所は「ミラノのシスティーナ礼拝堂」と言われているサン・マウリツィオ教会でした。
ここはルネサンスのミラノを代表する画家(というくらいルネサンス期のミラノに有名画家はいません)の一人であるベルナルディーノ・ルイーニとその息子たちが描いたフレスコ画で埋め尽くされています。
入場無料なのに写真は撮り放題!
あまりのありがたさに献金するとそれを見ていた教会関係の人がわざわざミラノの教会のパンフレットまでくれたほど親切にしていただきました。
そして午後は「最後の晩餐ツアー」に入ってドゥオーモと最後の晩餐を徒歩で見学しました。
その記録です。
表紙の写真はサン・マウリツィオ教会の内部です。
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まず朝のうちに行ったナヴィリオ運河。
ここはレストランが多い地区で夕方から賑わう場所です。
本来は夕方に行くべきところなのですが、まだ静かな朝のうちに行ってしまいました。 -
運河をボートが進んでいきます。
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そしてサンタンブロージョ聖堂に行きました。
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サンタンブロージョ聖堂の回廊です。
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内部です。
結構若い方がお祈りに来ていました。 -
サンタンブロージョ聖堂の中にあったベルナルディーノ・ルイーニのフレスコ画で飾られた礼拝堂です。
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そして9時半の開場まで表で待ち、念願のサン・マウリツィオ教会に一番で入場いたしました。
入ったとたんに「あ!」と声を上げていました。 -
もう教会全体にフレスコ画が描かれていて「ミラノのシスティーナ礼拝堂」の名に恥じません。
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立ち並ぶ礼拝堂とその上の窓と天井画。
素晴らしい調和です。
そしてこの教会、殉教した聖人の絵がたくさん描かれています。 -
主祭壇です。
暗くて判りにくいですが真ん中に「マギの礼拝」があり、それを7枚の絵が取り囲んでいます。 -
主祭壇の一番上の絵です。
両脇は聖人の絵だと思います。
(どちらも首を切られようとしている絵があるので殉教した聖人の絵ではないかと・・・・)
左側に描かれているのがこの教会の名前にもなっている聖マウリツィオ(英語名ですと聖モーリス)です。(ベルナルディーノ・ルイーニの絵です)
聖マウリツィオは古代ローマ軍の隊長でキリスト教徒でした。
ある反乱軍を鎮圧するのですが、その反乱軍がキリスト教徒だと知った彼はローマ皇帝マクシミアヌスに願い出て処刑を拒否します。
怒ったマクシミアヌスはマウリツィオどころか部隊全員を処刑してしまうという話です。
トリノを支配したサヴォイア家のアメーデオ八世(教皇エウゲニウス四世の対立教皇フェリクス五世でもあります)がこの人の名前を冠した聖マウリツィオ騎士団を1434年に作っていますから、北イタリアではかなり信仰された聖人なのでしょうね。 -
主祭壇の真ん中にあるのは「聖母被昇天」の絵です。
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そしてその下にこの教会を寄贈したスフォルッツァ家の人々が描かれています。
聖人に導かれるスフォルッツァ夫人。 -
洗礼者ヨハネに導かれるスフォルツァの当主。
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キリストの脇腹から吹き出す血をグラスで受け止めるシュールな絵を中心に、右にいるのが聖ルチアで左にいるのが聖アポロニアです。
聖ルチアも殉教聖人ですが処刑前に目をくりぬかれたという逸話があります。
それでも目が見えたとか・・・・
この絵ではなんと串刺しになった二つの目玉を持っています(汗)。
聖アポロニアも歯を全部引き抜かれるという拷問を受けています。
なので歯を抜くペンチを持っています(しかも歯を挟んでいます)(汗)。 -
こちらは左が聖チェチリアで右が聖ウルスラです。
聖ウルスラは矢で射殺されていますので彼女が持っているのは矢尻でしょうか?
ちなみに聖ウルスラはヴェネチアのアカデミア美術館にあるヴィットーレ・カルパッチョの作品「聖ウルスラ伝説」が有名です。 -
こちらは洗礼者ヨハネの物語を描いた礼拝堂です。
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正面にキリストを洗礼する洗礼者ヨハネが描かれています。
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そして右にはヨハネの首を持つサロメが描かれています。
うっかり撮り忘れたのですが左には洗礼者ヨハネの誕生が描かれています。
そして後で調べたら、この左右の二枚のフレスコ画を描いたのが野菜や果物などで顔を作った肖像画で有名なアルチンボルドだそうです。
こんな普通の絵を始めてみました(笑)。
元々はミラノ生まれだそうですが、ウィーンに行って宮廷画家となって出世した人です。
一番右端にいるのがサロメの母ヘロデアでしょうね。
二人とも実に憎々し気な顔をしていますし、正直サロメはすごくブスに描かれています(笑)。 -
キリストの復活です。
左側に描かれているのは多分「我に触るな」だと思います。 -
モーゼが十戒の石板をユダヤの民に投げつける場面でしょうね。
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そしてその下ではキリストが神殿で商いをしていた商人を鞭で打っています。
きっとモーゼの石板もここに堕とされるんじゃないでしょうか? -
こちらは石打の刑にあう聖ステファノ。
本当に殉教シーンのオンパレードです(笑)。
ちなみに聖ステファノは殉教聖人の第一号だそうです。 -
磔にされるキリスト。
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その左下には司祭アンナスの前に引き出されるキリストが。
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そんな処刑シーンが多い中で、これはなんか癒されます。
「放蕩息子の帰還」 -
その上ボールトに描かれた絵です。
この教会のフレスコ画のあまりのすばらしさにさすがに無料は気が引けたので献金したら「11時頃になると太陽の光が当たるから待っていなさい」と受付にいた人に言われて待って撮った写真です。 -
キリストの十字架降下が描かれた礼拝堂。
右側に開いた入り口をくぐると「修道女たちの部屋」に行けます。
昔は修道女のみが入れた場所です。 -
十字架降下の絵です。
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それを左右で野次馬が見守っています。
こちらが左側の野次馬(もしかすると前列の二人は使徒でしょうか?) -
右側の野次馬(これも前列の三人は使徒?)
そしてこの下を通って「修道女たちの部屋」に行きます。 -
修道女たちの部屋です。
入り口側を撮りました。
二階にもフレスコ画があるのですが、残念ながら二階にはいけません。 -
下から撮るとどうしても手すり部分で下部が切れてしまいます。
右側には「洗礼者ヨハネによるキリストの洗礼」 -
左側に描かれているのは「マギの礼拝」
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そして真ん中に描かれているのが「カナの婚礼」です。
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天井画です。
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深い青がまるで海のようで非常にきれいです。
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多分当時貴重な貴石ラピスラズリを多用したのでしょうね。
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右側のフレスコ画です。
一番左にいる人は傷を負った左腿をさらしているので聖ロッコだと思います。
聖ロッコはフランス人でイタリアでペスト患者の看護にあたった人です。
ペストの守護神のためいろいろな場所で信仰されました。
ヴェネチアに彼を祭ったスクオーラ・ディ・サンロッコがあり、ティントレットの絵であふれかえっています。 -
右にいるのが聖アガタです。
この人は殉教前に乳房を切り取られました。
けれども切り取られた乳房がまた元通りに胸についたということです。
二つの肉まんのようなものを皿に乗せて持っていますが、これは彼女の乳房だそうです。
左側が聖カテリナ
神秘の結婚で有名です。
車輪に繰り付けられて回されるという拷問にかけられましたが、車輪が壊れてしまったそうです。
なので左側に壊れた車輪が描かれています。 -
二人の上のヴォールトにはキリストの埋葬のフレスコ画が描かれています。
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そして左側のフレスコ画です。
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右が聖ルチアで左が聖アポロニアです。
こちらの聖アポロニアもやはり歯を挟んだペンチを持っています。
聖ルチアはこの写真では見えにくいですが本の上に二つの目玉を載せています。 -
こちらの写真ならよくわかると思います。
本の上にちゃんと目玉が二つ乗っています。
こうしてみるとどれもつくづく残酷で趣味が悪いですね(笑)。
そして右側で矢を受けているのは聖セヴァスチャンです。
彼もペストの守護神です。(矢を撃たれた傷がペストの斑点と似ているため) -
そしてこの二つの上のヴォールトに描かれているのが「十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうキリスト」です。
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修道女たちの部屋のフレスコ画。
「キリストの十字架降下」です。 -
「キリストの捕縛」
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ヴォールトに描かれた「最後の晩餐」
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やはりヴォールトに描かれた「大祭司アンナスの前に引き出されるキリスト」
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そして礼拝堂です。
左側が「キリストのもとに兵士を連れて行くユダ」
右が「オリーブ山の祈り」です。 -
こちらはその右側です。
左が「オリーブ山の祈り」で右が「嘲笑されるキリスト」 -
真ん中の「オリーブ山の祈り」です。
上でキリストが神に祈り、下では弟子が眠りこけています。 -
そしてその時ユダは役人や兵士を連れてキリストの捕縛に向かいます。
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捕縛されたキリストは人々に罵られます。
そんな物語が一つの礼拝堂の中に描かれています。 -
こちらはキリストの復活です。
左側が「キリストの埋葬」で真ん中が「キリストの復活」 -
「キリストの復活」です。
上で復活したキリストが神々しく光臨し、下ではそれを見た兵士たちが驚いています。 -
その左に描かれているのが「キリストの埋葬」
真ん中の絵の前の話ですね。
そして右側に描かれていたのは「キリストの復活」の後の話「我に触るな」なんですが、写すのを忘れました(汗)。 -
旧約物語の絵も描かれています。
「原罪」です。 -
そして「ノアの箱舟」のシーン。
素晴らしかったです!
十分に満足してこの教会をでました。 -
サン・マウリツィオ教会出てスフォルツァ城に向かいます。
スフォルツァ城の正面。
1450年にフランチェスコ・スフォルツァが建てた城兼要塞です。 -
スフォルツァ城の正面広場には噴水があります。
フランチェスコ・スフォルツァは当時ミラノの支配者だったヴィスコンティ家に傭兵隊長として使えました。
戦上手だったので何度もミラノの危機を救い、ヴィスコンティ家の娘(ただし庶子)を後妻に貰いました。
ヴィスコンティ家の当主フィリップ・マリーア・ヴィスコンティが跡継ぎを残さず死ぬと一時ミラノは共和制になりました。
そこでフランチェスコ・スフォルツァはミラノを長く包囲し兵糧攻めにしてとうとうミラノの支配者となることに成功しました。 -
スフォルツァ城の中庭です。
いかにもルネサンス期の要塞という感じですね。
左側にある壁にくっついた建物に重要な展示物があり後で行くことになります。
こうしてミラノの支配者となったフランチェスコ・スフォルツァですが、政治家としてはかなり有能で、ミラノの収入は増加し、彼の宮廷は芸術と文化の中心となりミラノの人の間でも人気があったそうです。 -
スフォルツァ城の中門です。
これをくぐって博物館に向かいます。
ところがフランチェスコ・スフォルツァの長男ガレアッツォは残忍な圧制者となり、三人の貴族に暗殺されてしまいます。
その跡をガレアッツォの息子のジャン・ガレアッツォが7歳で継ぎます。
幼い彼の摂政になり政治を意のままに動かしたのがフランチェスコの弟のルドヴィーコ(通称イル・モーロと呼ばれています。イタリア語でムーア人の意味です。色黒だったのでムーア人みたいということでつけられたあだ名のようです)。 -
内部にスフォルッツァ博物館があります。
やがてルドヴィーコ・スフォルツァは摂政の地位だけでは飽き足らなくなり、ミラノの支配者になろうと画策します。
しかし甥のジャン・ガレアッツォの妻はナポリ王アルフォンソの娘です。
ナポリ王国を後ろ盾にしているので迂闊には手を出せません。
そこでナポリを自分のものにしようとしているフランス王シャルル八世を焚きつけてフランス軍にイタリア侵攻をさせました。
おかげでイタリアは大混乱に陥ることとなります。
フランスのイタリア侵攻でルドヴィーコの目論見通りナポリは没落します。
ルドヴィーコは後ろ盾を失ったジャン・ガレアッツォをミラノから追い出し、ミラノの支配者の地位につきます。
が、人を呪わば穴二つ、これ以後列強はイタリアに目をつけ、何度もヨーロッパの列強がイタリアに侵入することになります。
フランスはナポリどころかミラノにも目をつけ、ルドヴィーコもフランスと戦いますが結局フランス軍に捕らわれ獄死することとなります。
目先の欲に駆られて自滅したいい例ですね。 -
博物館の内部です。
多分石棺だと思います。 -
ロマネスク時代の石像です。
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やはりロマネスク時代の石板です。
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天井画です。
割りと地味な感があります。 -
こちらも天井画。
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これは結構派手です。
キリストの復活をテーマに描いたものです。 -
ところが、ある部屋より先に進めません。
なにかショーの時間待ちのようです。
時間が来てある部屋にみな入りました。
どうやらレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた天井画の部屋らしいです。
ルドヴィーコ・スフォルッツァのことを悪く書きましたが、彼はレオナルド・ダ・ヴィンチの重要なパトロンでもありました。
その為ミラノには「最後の晩餐」を含むレオナルド・ダ・ヴィンチの作品がたくさん残っているのです。 -
この天井画もレオナルドダヴィンチが描いたものです。
長らく修復されていましたが、近年やっと修復が完了し公開と相成ったようですね。 -
ただ、レオナルド・ダ・ヴィンチの画と知らなければ、天井に黴が生えてるのかなと思いかねないものです(笑)。
葡萄棚を描いたものだそうです。 -
ショーと言いましたが、なんとプロジェクションマッピングで天井に直接映像を映し出すというもの!
まあ、日本でも大阪城なんかでやっていますからそんなに驚くことではないのかもしれません。 -
プロジェクションマッピングで本来の姿を再現しています。
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壁にはこんな風にレオナルドと弟子の姿を影で映し、この天井画が出来上がったいきさつが説明されます。(ただし台詞やナレーションはイタリア語なのでさっぱりわかりません)
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別の部屋では3D映像でレオナルド・ダ・ヴィンチの物語が演じられていました。
なんかすごいです。
ミラノで観光客に人気のあるのは「最後の晩餐」とドゥオーモで、その二つに比べるとスフォルツァ城はいまいち人気がありません。
なので観光客誘致に必死になっている気がします。 -
博物館から見た中庭です。
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やはり博物館から見た中庭。
この博物館にミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」があるはずなのですがいくら探しても見つかりません。
係員の人に聞くとここではないとのこと。 -
で、教えてもらったのが博物館を出た中庭のこの建物でした。(中庭を写した最初の写真の左側にも写っています)
正直、教えてもらわなかったら気が付かなったと思います。
入場券は博物館と共通なのでくれぐれも捨てないようにしてください。 -
ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」です。
ミケランジェロが最後に手掛け未完成のままに終わった作品です。 -
元々はローマのロンダニーニ邸の中庭に置かれていたため「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれているそうです。
ミケランジェロは病に倒れる前日まで制作を続けたそうです。
照明が左の壁にあって、左側から光が当たるようになっています。 -
照明の光で出来た影がまるで「聖母子像」のように見えます。
子供時代のキリストを抱く聖母マリアと、死んだキリストを抱く聖母マリア。
もしこれが意図的だったとしたらミケランジェロの構想の凄さが分かります。 -
スフォルツァ城を出てドゥオーモに向かいます。
途中オペラの殿堂と言ってもいいスカラ座があります。 -
その前の広場に立つレオナルド・ダ・ヴィンチの像。
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そしてその広場からドゥオーモまでミラノを代表するアーケード、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガレリアが続きます。
東京ディズニーランドの入り口にあるワールド・バザールみたいだと思ったら、東京ディズニーランドがこのガレリアをモデルにしたそうです。 -
中心にあるガラスの円天井。
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建物の上部にはフレスコ画が描かれています。
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そして床にはモザイク画が。
その中でも特に有名なのがこの雄牛のモザイク画。
この雄牛の股間の部分に靴のかかとをつけて三回回れば幸せになれるというものです。
でも一人旅ですとなんか恥ずかしくてやれませんね(笑)。
前に見た写真では雄牛の股間に窪みが出来ていましたが、修復直後のようできれいになっていました。(窪みがあまりに大きくなると定期的に修復しているようです。ただ毎日何千人もの人が回るので、すぐ窪みが出来てしまうらしいです) -
ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世のガレリアを抜けるとドゥオーモに遭遇します。
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ミラノの領主ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの「ローマのサンピエトロ寺院に次ぐ大聖堂を建築する」という夢の実現のため1386年に着工されましたが、完成したのはなんと五百年も後の1887年でした。
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世界最大級のゴシック建築と言われています。
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夕日を受けて輝くドゥオーモ。
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たくさんの塔が屋根の上についています。
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塔の上には聖人たちが乗っています。
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そして壁には石像が。
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石造のアップです。
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内部はちょっと前までは無料でしたが、今は入場料がかかります。
最後の晩餐ツアーに含まれていましたので入らないでいいかなと思いましたが、意外にも入場の列はほとんどありません。
それなら前に入ってみようかなと思って入場券売り場に行くと・・・・列がない理由が分かりました。
人件費削減のためか機械でないと入場券は買えないのです。
そして機械の台数は5、6台。
だいたいにおいて日本人以外は機械でチケットを買うなんてことすごく苦手です。
ですから一人一人の時間がかかるかかる。
整理券が発行されるのですが、五十人待ちでした。
しかも現金は駄目でカードのみ・・・・・
列の進みは滅茶遅いです。
これではいったんチケットを買ってしまえば簡単に入場できるはずです。
チケットを買うまでが一苦労なのですから・・・・・ -
で、次の日にツアーで中に入りました。
「最後の晩餐」はツアーが優先で個人客だとなかなかチケットが取れません。
なのでツアーに参加しました
最初は高いかなと思いましたが、ドゥオーモにも並ばずに入れるので結果良かったかなと。
内部は本当に広くて柱廊が林のように並んでいます。 -
柱廊の彫刻です。
あっと言う間に見てしまうんだろうと思っていましたが、さすがに日本と違ってガイドさんの説明は懇切丁寧でした。 -
あまりにも懇切丁寧すぎて日本人は時間を持て余してしまいそうです(笑)。
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窓そばの彫刻です。
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ステンドグラスと彫刻。
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きれいだなと思ってカメラを向けると、ガイドさんが「ああ、あれは十九世紀のものよ。」って感じで、いいなと思うものはみんな新しいものでした。
このステンドグラスも十九世紀のものです。 -
壁そばの礼拝堂です。
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そして正面の礼拝堂です。
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礼拝堂のアップです。
で、ドゥオーモに入った感想なんですが、正直同じゴシック建築のウィーンのザンクト・ステファン寺院に比べると感動は薄いかなと・・・・
もう少しチケットの機械が増えて時間がかからなければまだいいでしょうが、今の状況ではこんなにも時間をかけてわざわざはいる価値があるかなとは思います。
むしろスフォルツァ城のほうがはるかに見る価値があったような気がします。 -
礼拝堂脇にあった聖バルトロマイの石像。
この人は皮を剥がされて殉教しました。
なので大抵自分の剥がされた皮を持っています。
ちなみに英語名聖バーソロミュー、フランス語名では聖バルテルミー。
フランスで起きた聖バーソロミュー(あるいは聖バルテルミー)の虐殺はこの人の祝日の出来事です。 -
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デル・グラッツィエ教会です。
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サンタ・マリア・デル・グラッツィエ教会の正面です。
この左側に「最後の晩餐」の入り口があります。 -
「最後の晩餐」の予約時間まで間があったので教会の中に入りました。
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そして「最後の晩餐」です。
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こちらも修復して間もないのに既に色落ちしています。
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ミラノの二大名所といえば「最後の晩餐」とドゥオーモなんですが、正直どちらも名前倒れという気がします。(どちらも見るのが大変な割には、見ると「ああ、こんなもんか」感がつよいです)
独断と偏見で言えば、自分にとってサン・マウリツィオ教会、ブレラ美術館、スフォルツァ城がミラノ三大名所であると思います。 -
ミラノ中央駅です。
このそばのホテルに泊まりました。 -
なので駅そばのレストランで夕食をとりました。
ただ一日はドゥオーモそばにあるアーモイタリアさん御推薦のDoganaに行ったんですが、時間が早かったせいかサービス陣の数が少なく(なのにツアーでガイドさんに推薦されたらしい団体さんのメンバーが多くて)サービスがついて行っていませんでした。
料理もそれほどでもなかったです。
そして写真のGrilio Rossoですが、ここもサービス陣に笑顔がなく(感じが悪いわけではありませんでしたが)正直味もいまいち。 -
自分に凄くあったのはそのそばにあるOstaria la Bitaでした。
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Ostaria la Baitaの店内です。
こちらは店員さんの感じもよく、味も自分向きでした。 -
パンとワインです。
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スパゲッティ・カッチョ・エ・ペペです。
胡椒とチーズのスパゲッティ。
単純なだけに難しいパスタだと思います。
とても美味しかったです。 -
ミラノ風のカツレツと付け合わせのポテトフライです。
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そしてデザートはカラメル・プディングを頼みました。
サービスも料理もコスパもよく感動こそありませんでしたが、満足できたレストランでした。
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