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2017年11月25日(土)、ブエノスアイレス(Buenos Aires)最終日だが、フライトが午後なのでまだ余裕がある。2週間ちょっと前に日本を出た時には、この日は朝の8時50分発のフライトの予定だった。それが、旅に出てからメールがやって来て、そのフライトはキャンセルとなり、午後の便に変更したって。まあ、なくなったもんはどうしようもないし、とりあえず午後には移動できるので良しとしよう。<br /><br />朝急ぐ必要はなくても明るくなると目覚める私。6時半頃には起き出して買い出ししてたもので朝食(下の写真1)。空港に行くには早過ぎるし、部屋でボーっとしていてもしょうがないので、その時まで行こうと思ってなかったプエルトマデロ地区(Barrio Puerto Madero)を歩くことにする。<br /><br />この地区はもともと港だったとこ。16世紀にブエノスアイレスの町が造られてからブエノスアイレスの港はボカ港(Puerto La Boca)であったが、大きな船が接岸するには浅すぎて、沖に停泊してはしけで荷物や人を運んでいた。1882年、政府は地元の実業家のエドゥアルド・マデロ(Eduardo Madero)と契約し、これらの問題を解決する新しい港を造ることにした。工事は1887年に始まり、10年掛けて完成し(一部はそれ以前に供用開始された)、マデロの名を取ってマデロ港(Puerto Madero)と呼ばれるようになった。<br /><br />しかし、この港の寿命は短かった。完成から10年、20世紀に入るとますます貨物船は大型化し、この港には入れなくなり、新港の建設が必要となった。その名通りの新しい港、現在も使われているヌエボ港(Puerto Nuevo)の建設が1911年に始まり、1926年に完成、マデロ港は引き続き補助的な港湾機能を果たしていたものの、徐々に縮小され、この地域は荒廃していった。以降、何度も再開発の計画が提案されども、実現することはなかったのだが、1990年にようやく再開発が開始され、おしゃれな店や高層ビルが立ち並ぶ地区へと変貌を遂げた。<br /><br />もともとの港だった、ドック(Dique)1から4までの運河沿いの古くからあった赤レンガの倉庫などは、高級レストランやお店などに生まれ変わり、レストランでは、素晴らしい風景を眺めながらの食事を楽しめる。夜景も素晴らしい。運河の東側にはには、多くの高層マンションやホテルが立ち並び、ブエノスアイレス一の高級住宅街になった。さらに、ラプラタ川(Rio de la Plata)沿いは、きれいに整備された緑あふれる自然生態保護区(Reserva Ecologic)となっている。<br /><br />7時半過ぎにアパートを出て、15分ほど南東に歩くとプエルトマデロ地区の運河に着くが、運河の一番北にあるダルセナノルテ(Darsena Norte)港はウルグアイのコロニア(Colonia)、モンテビデオ(Montevideo)へ向かうフェリーターミナルになっている。ブケブス(Buquebus)社のターミナルに入ってみる。結構人が多い。時刻表を見るとコロニアへは約1時間で1日6便、モンテビデオへは約2時間15分で1日3便が就航している。朝ちょうど8時頃だったので、モンテビデオ行が出て、コロニア行が乗船しているところ。私は船乗るの好きなので、モンテビデオまでこれに乗ってみたかったのだが、7時半発で早過ぎるんだよな。2便と3便は夜だし。<br /><br />後でと云うか、最近になって初めて知ったことなのだが、実はこの時、乗船中のコロニア行にサルタ(Salta)で雲の列車(Tren de las Nubes)を一緒に行ったF島さんが乗ろうとしてたそうだ。彼はこの日、フェリーでウルグアイへ往復してたそうで、ニアミスだったんだ。私がもう少し早く行ってたら顔合わせてびっくりしてたかも。<br /><br />そんなことは想像もせず、運河の西岸を南に歩き出す。立ち並ぶレンガ造りの倉庫は元は保税倉庫だったもので、一流レストランやおしゃれなイタリア料理の店、オープンカフェなどの店舗が並び、エノスアイレス随一のレストラン街となっており、このドック(Dique 4)はヨットハーバーになっている。東岸の一番北にはアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)やサルバドール・ダリ(Salvador Dali)など、国内外の芸術家の作品が観賞できるフォルタバット美術館(Coleccion de Arte Amalia Lacroze de Fortabat)もある。<br /><br />ドックに浮かんでいる船はウルグアイ海防艦博物館(Buque Museo Corbeta A.R.A. Uruguay)になっている。この船は1874年にイギリスで建造されたもので、アルゼンチン海軍(A.R.A.)の最も古い船舶で、南米一古い可能性もある。砲艦として建造されたが実際には訓練船として使われ、その後海軍訓練本部艦として使われたり、南極遠征隊の救助やサポートのためにも使われた。1926年に退役し、1967年から博物館として公開されている。名前のウルグアイはウルグアイとの国境を流れるウルグアイ川(Rio Uruguay)から来ており、19世紀初期のアルゼンチンとブラジルのシスプラティーナ戦争(Guerra da Cisplatina)で活躍した帆船砲艦の名前を引き継いでいる。<br /><br />南に進んでドック3(Dique 3)に入るとちょっとへんな形の橋がまず見える。タンゴ(Tango)を踊るペアを表わしているそうだが、女性の橋と云う意味のムヘール橋(Puente de la Mujer)。2001年に竣工した旋回歩道橋。船舶通航時には90度回転する。ちなみにこの地区の道や橋などは全て女性名なのだが、これはこの地区が再開発された時に、敢えて行ったこと。1995年当時、2200以上ある通りの名前に女性名が使われていたのはわずか24件であったが、これ以来少なくとも30件は増えている。<br /><br />ムヘール橋の先に停泊しているのはサルミエント大統領号博物館(Buque Museo Fragata A.R.A. &quot;Presidente Sarmiento&quot;)。これも訓練船として使われたもので、1897年の建造。第7代大統領ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(Domingo Faustino Sarmiento)にちなんで名付けられた。1890年代の最後の無傷の巡航訓練船であると考えられている。1899年から1938年の間、航海練習のために37回にわたって世界中を巡ったと云う。日本にも何度か寄港しており、東郷元帥の写真もある。1961年退役後、博物館として使われている。<br /><br />この辺りから運河と反対側を見ると、初日に行った大統領府(Casa Rosada)の裏側にあたることが分かる。この辺りで8時半になるので、折り返す。先に行けばドック1(Dique 1)にカジノ(Casino Buenos Aires)もある。ブエノスアイレスではカジノは条例で禁止されているが、運河に浮かべた船で営業している。アメリカでもそう云うところあったな。シカゴ(Chicago)とかセントルイス(St. Louis)とか。<br /><br />あと、この運河西岸にはドック4から2まで、かつてはライトレール(Tranvia del Este)が07年から4つの駅間で走っており、北はレティーロ(Retiro)駅、南はボカ(La Boca)まで伸ばすプランもあったようだが、乗客数は伸びず、12年の車両故障時に廃止となった。残念・・・<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150300521706627&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />9時頃アパートに戻り、荷物を転がしてティエンダレオン(Tienda Leon)のバスターミナルへ(下の写真2)移動し、10時15分過ぎの空港バスでアエロパルケ(Aeroparque)空港へ(下の写真3)。空港で昼食(下の写真4)を食べ、13時40分のフライトでアルゼンチンを飛び立った。<br /><br />アルゼンチン、イグアスの滝(Cataratas del Iguazu)はぜひ行きたかったところで、サルタ(Salta)周辺も知ってからは絶対行きたかったところだったが、ブエノスアイレスはせっかく来たんだから首都にも寄って行こう程度だった。しかし、思ってたより良かった。来て良かった町だった。<br /><br /><br />アルゼンチンは終了、ウルグアイに続く。

ブエノスアイレス プエルトマデロ地区(Barrio Puerto Madero, Buenos Aires)

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2017/11/25 - 2017/11/25

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ちふゆ

ちふゆさん

2017年11月25日(土)、ブエノスアイレス(Buenos Aires)最終日だが、フライトが午後なのでまだ余裕がある。2週間ちょっと前に日本を出た時には、この日は朝の8時50分発のフライトの予定だった。それが、旅に出てからメールがやって来て、そのフライトはキャンセルとなり、午後の便に変更したって。まあ、なくなったもんはどうしようもないし、とりあえず午後には移動できるので良しとしよう。

朝急ぐ必要はなくても明るくなると目覚める私。6時半頃には起き出して買い出ししてたもので朝食(下の写真1)。空港に行くには早過ぎるし、部屋でボーっとしていてもしょうがないので、その時まで行こうと思ってなかったプエルトマデロ地区(Barrio Puerto Madero)を歩くことにする。

この地区はもともと港だったとこ。16世紀にブエノスアイレスの町が造られてからブエノスアイレスの港はボカ港(Puerto La Boca)であったが、大きな船が接岸するには浅すぎて、沖に停泊してはしけで荷物や人を運んでいた。1882年、政府は地元の実業家のエドゥアルド・マデロ(Eduardo Madero)と契約し、これらの問題を解決する新しい港を造ることにした。工事は1887年に始まり、10年掛けて完成し(一部はそれ以前に供用開始された)、マデロの名を取ってマデロ港(Puerto Madero)と呼ばれるようになった。

しかし、この港の寿命は短かった。完成から10年、20世紀に入るとますます貨物船は大型化し、この港には入れなくなり、新港の建設が必要となった。その名通りの新しい港、現在も使われているヌエボ港(Puerto Nuevo)の建設が1911年に始まり、1926年に完成、マデロ港は引き続き補助的な港湾機能を果たしていたものの、徐々に縮小され、この地域は荒廃していった。以降、何度も再開発の計画が提案されども、実現することはなかったのだが、1990年にようやく再開発が開始され、おしゃれな店や高層ビルが立ち並ぶ地区へと変貌を遂げた。

もともとの港だった、ドック(Dique)1から4までの運河沿いの古くからあった赤レンガの倉庫などは、高級レストランやお店などに生まれ変わり、レストランでは、素晴らしい風景を眺めながらの食事を楽しめる。夜景も素晴らしい。運河の東側にはには、多くの高層マンションやホテルが立ち並び、ブエノスアイレス一の高級住宅街になった。さらに、ラプラタ川(Rio de la Plata)沿いは、きれいに整備された緑あふれる自然生態保護区(Reserva Ecologic)となっている。

7時半過ぎにアパートを出て、15分ほど南東に歩くとプエルトマデロ地区の運河に着くが、運河の一番北にあるダルセナノルテ(Darsena Norte)港はウルグアイのコロニア(Colonia)、モンテビデオ(Montevideo)へ向かうフェリーターミナルになっている。ブケブス(Buquebus)社のターミナルに入ってみる。結構人が多い。時刻表を見るとコロニアへは約1時間で1日6便、モンテビデオへは約2時間15分で1日3便が就航している。朝ちょうど8時頃だったので、モンテビデオ行が出て、コロニア行が乗船しているところ。私は船乗るの好きなので、モンテビデオまでこれに乗ってみたかったのだが、7時半発で早過ぎるんだよな。2便と3便は夜だし。

後でと云うか、最近になって初めて知ったことなのだが、実はこの時、乗船中のコロニア行にサルタ(Salta)で雲の列車(Tren de las Nubes)を一緒に行ったF島さんが乗ろうとしてたそうだ。彼はこの日、フェリーでウルグアイへ往復してたそうで、ニアミスだったんだ。私がもう少し早く行ってたら顔合わせてびっくりしてたかも。

そんなことは想像もせず、運河の西岸を南に歩き出す。立ち並ぶレンガ造りの倉庫は元は保税倉庫だったもので、一流レストランやおしゃれなイタリア料理の店、オープンカフェなどの店舗が並び、エノスアイレス随一のレストラン街となっており、このドック(Dique 4)はヨットハーバーになっている。東岸の一番北にはアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)やサルバドール・ダリ(Salvador Dali)など、国内外の芸術家の作品が観賞できるフォルタバット美術館(Coleccion de Arte Amalia Lacroze de Fortabat)もある。

ドックに浮かんでいる船はウルグアイ海防艦博物館(Buque Museo Corbeta A.R.A. Uruguay)になっている。この船は1874年にイギリスで建造されたもので、アルゼンチン海軍(A.R.A.)の最も古い船舶で、南米一古い可能性もある。砲艦として建造されたが実際には訓練船として使われ、その後海軍訓練本部艦として使われたり、南極遠征隊の救助やサポートのためにも使われた。1926年に退役し、1967年から博物館として公開されている。名前のウルグアイはウルグアイとの国境を流れるウルグアイ川(Rio Uruguay)から来ており、19世紀初期のアルゼンチンとブラジルのシスプラティーナ戦争(Guerra da Cisplatina)で活躍した帆船砲艦の名前を引き継いでいる。

南に進んでドック3(Dique 3)に入るとちょっとへんな形の橋がまず見える。タンゴ(Tango)を踊るペアを表わしているそうだが、女性の橋と云う意味のムヘール橋(Puente de la Mujer)。2001年に竣工した旋回歩道橋。船舶通航時には90度回転する。ちなみにこの地区の道や橋などは全て女性名なのだが、これはこの地区が再開発された時に、敢えて行ったこと。1995年当時、2200以上ある通りの名前に女性名が使われていたのはわずか24件であったが、これ以来少なくとも30件は増えている。

ムヘール橋の先に停泊しているのはサルミエント大統領号博物館(Buque Museo Fragata A.R.A. "Presidente Sarmiento")。これも訓練船として使われたもので、1897年の建造。第7代大統領ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(Domingo Faustino Sarmiento)にちなんで名付けられた。1890年代の最後の無傷の巡航訓練船であると考えられている。1899年から1938年の間、航海練習のために37回にわたって世界中を巡ったと云う。日本にも何度か寄港しており、東郷元帥の写真もある。1961年退役後、博物館として使われている。

この辺りから運河と反対側を見ると、初日に行った大統領府(Casa Rosada)の裏側にあたることが分かる。この辺りで8時半になるので、折り返す。先に行けばドック1(Dique 1)にカジノ(Casino Buenos Aires)もある。ブエノスアイレスではカジノは条例で禁止されているが、運河に浮かべた船で営業している。アメリカでもそう云うところあったな。シカゴ(Chicago)とかセントルイス(St. Louis)とか。

あと、この運河西岸にはドック4から2まで、かつてはライトレール(Tranvia del Este)が07年から4つの駅間で走っており、北はレティーロ(Retiro)駅、南はボカ(La Boca)まで伸ばすプランもあったようだが、乗客数は伸びず、12年の車両故障時に廃止となった。残念・・・
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150300521706627&type=1&l=8a89379cb0

9時頃アパートに戻り、荷物を転がしてティエンダレオン(Tienda Leon)のバスターミナルへ(下の写真2)移動し、10時15分過ぎの空港バスでアエロパルケ(Aeroparque)空港へ(下の写真3)。空港で昼食(下の写真4)を食べ、13時40分のフライトでアルゼンチンを飛び立った。

アルゼンチン、イグアスの滝(Cataratas del Iguazu)はぜひ行きたかったところで、サルタ(Salta)周辺も知ってからは絶対行きたかったところだったが、ブエノスアイレスはせっかく来たんだから首都にも寄って行こう程度だった。しかし、思ってたより良かった。来て良かった町だった。


アルゼンチンは終了、ウルグアイに続く。

  • 写真1 朝食

    写真1 朝食

  • 写真2 ティエンダレオンバスターミナル

    写真2 ティエンダレオンバスターミナル

  • 写真3 ティエンダレオン空港バス

    写真3 ティエンダレオン空港バス

  • 写真4 昼食

    写真4 昼食

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