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2017年11月24日(金)、ブエノスアイレス(Buenos Aires)での2日目、11時過ぎ。レコレータ地区(Barrio Recoleta)の最後、聖母ピラール聖堂(Basilica Nuestra Senora del Pilar)のお隣のレコレータ墓地(Cementerio de la Recoleta)へ。墓がある場所によって階級を評価されるこの国にあって、永遠の眠りについたアルゼンチン人の最高級住宅地。5.5ヘクタールの広大な墓地は、市内で最も高価な不動産とも云われるそうだ。元々は聖母ピラール聖堂の墓地だったが、1882年にブエノスアイレス最初の公共墓地となった。2013年にCNNが発表した「世界の美しい墓地10選(10 of the world&#39;s most beautiful cemeteries)」に選ばれ、2011年にはBBCが「世界最高の墓地の一つ(The world&#39;s best cemeteries)」として取り上げている。<br /><br />その理由はこの墓地に建つ6400を越える墓廟(霊廟、納骨堂)。本物の街のようなレイアウトに、国内外の彫刻家が手掛けた様々な墓廟が並ぶ。礼拝堂、ギリシャ風神殿、ピラミッド型など様々な形に、建築様式もアールデコ(Art Deco)、アールヌーボー(Art Nouveau)、バロック(Barocco)、ネオゴシック(Neo-Gothic)など様々。一度にありとあらゆる建築様式、彫刻様式を見ることが出来る貴重な場所とも云われる。また、1880年頃から1930年頃に建てられた墓廟は、ほとんどがパリ(Paris)やミラノ(Milano)から取り寄せた石材が使用されている。<br /><br />背の高いドーリア式(Doric order)の柱を備えた新古典主義様式(Neoclassical Architecture)の門を抜けると、あるわあるわ、いろいろな墓廟。昔、アメリカのニューオリンズ(NOLA)のセントルイス墓地(Saint Louis Cemetery)の築山式墓地を訪ねたた時にすごいと思ったのだが、レベルが違う。レコレータ墓地と比べればニューオリンズの墓地なんて、質素なもんだ。なんと、この墓地の中の70の墓廟は国の歴史的建造物に指定されているそうだ。ただ、専門の補修士でなければメンテナンスも出来ず、維持費もかなり掛かるようで、手入れが行き届いてないものもあるようだ。<br /><br />この由緒正しい墓地に眠るのは、アルゼンチンの由緒正しい一族や大富豪、13人の歴代大統領、歴史上の重要人物たちなどで、墓地内を回るガイドツアー(一部は英語らしい)もあるそうだが、サッカー選手以外、ほとんどアルゼンチン人を知らないので、エビータ(Evita)の墓廟へ向かう。さすが、今でも人気のエビータ、光沢を放つ黒御影石の墓廟の前は混雑し、多くの花が手向けられている。<br /><br />改めてエビータだが、本名はマリア・エバ・ドュアルテ・デ・ペロン(Maria Eva Duartte de Peron)。この墓地にある墓廟は彼女個人のものではなくドュアルテ家の墓廟。ただし、このドュアルテ家は名門でも富豪でもなく、ブエノスアイレスから西に300㎞余り離れたパンパ(Pampa)の中の小さな村の農場主で、こいつが妻帯者でありながら、コックの若い女性に手を出して生ませた5人の私生児の1人がエビータになった。<br /><br />1919年生まれの彼女は15歳で家出をしてブエノスアイレスに出、ウエイトレスをしながら、当初はグラビアや広告などのモデルの仕事をしつつ、高級売春婦としても生計を立てていたが、30年代後半から次第にラジオドラマの声優や映画女優として活躍し始める。そして、43年に、パーティーで軍事政権の副大統領兼国防大臣兼労働局長の肩書きを持つフアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Peron)大佐に出会う。以後、政界に強い影響力を持つペロンの恋人として過ごし、その庇護の下で、自身のラジオ放送番組によってペロンの民衆向け政治宣伝を担い、貧しく無学な労働者階級から大きな支持を得た。エビータの愛称は、この頃から使われ始めたもの。<br /><br />第二次世界大戦終結直後の45年10月にアメリカに支援された敵対勢力によりペロンは収監されるが、エビータのラジオキャンペーンなどにより釈放され、その直後に結婚、翌年にペロンは大統領となり、エビータはファーストレディーとなる。彼女は夫の地位を背景に、その権利はないのに政治に介入し、中流層以上の知識階級や富裕層、軍上層部からは大きな批判を浴びたが、アルゼンチン国民の多くを占めるブルーカラーの労働者階級からは絶大な支持を受ける。<br /><br />51年頃、ペロン大統領はエビータを副大統領にしようとするが、その直後、エビータは子宮癌と診断され、これを断念。翌年7月、最高、最先端の治療の甲斐もなくウンスエ宮殿(Palacio Unzue)で亡くなった。享年33歳。ちなみにペロンの最初の妻もエビータと出逢う以前の38年に同じ子宮癌で36歳で亡くなっている。エビータの葬儀には数十万の市民が参列した。<br /><br />彼女の遺体はエンバーミング(Embalming)処理を施され、パレルモ地区(Barrio Palermo)に計画されてた彼女の記念碑に収められる予定だったが、55年にクーデターでペロンが大統領を追われ亡命すると、彼女の遺体もミラノからスペインに移された。76年、73年に大統領に復帰したペロンが在任中に亡くなり、その後を継いだ3番目の妻のイサベル・ペロン(Isabel Martinez de Peron)が失脚し、ようやくエビータの遺体は、このレコレータ墓地に収められた。ペロンやエビータは上に書いたように一部の富裕層から疎まれ嫌われていたので、その話を聞いてここを出て行ったファミリーもいくつかあったそうだ。なお、ペロンの3番目の妻のイサベル・ペロンも癌で亡くなったと云う話もあるようだが、現時点(19年)では、彼女は88歳でご健全である。<br /><br />マドンナ(Madonna)主演で1996年に映画化もされたミュージカル「エビータ(Evita)」は彼女をモデルとしてアンドリュー・ロイド=ウェバー( Andrew Lloyd Webber)作曲、ティム・ライス(Timothy Miles Bindon Rice)作詞で78年にロンドンで初上演された。日本でも劇団四季により上演されている。79年のブロードウェイ(Broadway)公演では、トニー賞(Tony Award)ミュージカル作品賞(Best Musical)を受賞した初めてのイギリスのミュージカルとなった。映画もアカデミー賞(Academy Awards)5部門にノミネートされ、「ユー・マスト・ラヴ・ミー(You Must Love Me)」が最優秀歌曲賞(Best Original Song)を受賞している。今更だが、見たいものだ。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2138772659526080&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br /><br />セントロ西部散策へ続く。

ブエノスアイレス レコレータ墓地(Cementerio de la Recoleta, Buenos Aires)

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2017/11/24 - 2017/11/24

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ちふゆ

ちふゆさん

2017年11月24日(金)、ブエノスアイレス(Buenos Aires)での2日目、11時過ぎ。レコレータ地区(Barrio Recoleta)の最後、聖母ピラール聖堂(Basilica Nuestra Senora del Pilar)のお隣のレコレータ墓地(Cementerio de la Recoleta)へ。墓がある場所によって階級を評価されるこの国にあって、永遠の眠りについたアルゼンチン人の最高級住宅地。5.5ヘクタールの広大な墓地は、市内で最も高価な不動産とも云われるそうだ。元々は聖母ピラール聖堂の墓地だったが、1882年にブエノスアイレス最初の公共墓地となった。2013年にCNNが発表した「世界の美しい墓地10選(10 of the world's most beautiful cemeteries)」に選ばれ、2011年にはBBCが「世界最高の墓地の一つ(The world's best cemeteries)」として取り上げている。

その理由はこの墓地に建つ6400を越える墓廟(霊廟、納骨堂)。本物の街のようなレイアウトに、国内外の彫刻家が手掛けた様々な墓廟が並ぶ。礼拝堂、ギリシャ風神殿、ピラミッド型など様々な形に、建築様式もアールデコ(Art Deco)、アールヌーボー(Art Nouveau)、バロック(Barocco)、ネオゴシック(Neo-Gothic)など様々。一度にありとあらゆる建築様式、彫刻様式を見ることが出来る貴重な場所とも云われる。また、1880年頃から1930年頃に建てられた墓廟は、ほとんどがパリ(Paris)やミラノ(Milano)から取り寄せた石材が使用されている。

背の高いドーリア式(Doric order)の柱を備えた新古典主義様式(Neoclassical Architecture)の門を抜けると、あるわあるわ、いろいろな墓廟。昔、アメリカのニューオリンズ(NOLA)のセントルイス墓地(Saint Louis Cemetery)の築山式墓地を訪ねたた時にすごいと思ったのだが、レベルが違う。レコレータ墓地と比べればニューオリンズの墓地なんて、質素なもんだ。なんと、この墓地の中の70の墓廟は国の歴史的建造物に指定されているそうだ。ただ、専門の補修士でなければメンテナンスも出来ず、維持費もかなり掛かるようで、手入れが行き届いてないものもあるようだ。

この由緒正しい墓地に眠るのは、アルゼンチンの由緒正しい一族や大富豪、13人の歴代大統領、歴史上の重要人物たちなどで、墓地内を回るガイドツアー(一部は英語らしい)もあるそうだが、サッカー選手以外、ほとんどアルゼンチン人を知らないので、エビータ(Evita)の墓廟へ向かう。さすが、今でも人気のエビータ、光沢を放つ黒御影石の墓廟の前は混雑し、多くの花が手向けられている。

改めてエビータだが、本名はマリア・エバ・ドュアルテ・デ・ペロン(Maria Eva Duartte de Peron)。この墓地にある墓廟は彼女個人のものではなくドュアルテ家の墓廟。ただし、このドュアルテ家は名門でも富豪でもなく、ブエノスアイレスから西に300㎞余り離れたパンパ(Pampa)の中の小さな村の農場主で、こいつが妻帯者でありながら、コックの若い女性に手を出して生ませた5人の私生児の1人がエビータになった。

1919年生まれの彼女は15歳で家出をしてブエノスアイレスに出、ウエイトレスをしながら、当初はグラビアや広告などのモデルの仕事をしつつ、高級売春婦としても生計を立てていたが、30年代後半から次第にラジオドラマの声優や映画女優として活躍し始める。そして、43年に、パーティーで軍事政権の副大統領兼国防大臣兼労働局長の肩書きを持つフアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Peron)大佐に出会う。以後、政界に強い影響力を持つペロンの恋人として過ごし、その庇護の下で、自身のラジオ放送番組によってペロンの民衆向け政治宣伝を担い、貧しく無学な労働者階級から大きな支持を得た。エビータの愛称は、この頃から使われ始めたもの。

第二次世界大戦終結直後の45年10月にアメリカに支援された敵対勢力によりペロンは収監されるが、エビータのラジオキャンペーンなどにより釈放され、その直後に結婚、翌年にペロンは大統領となり、エビータはファーストレディーとなる。彼女は夫の地位を背景に、その権利はないのに政治に介入し、中流層以上の知識階級や富裕層、軍上層部からは大きな批判を浴びたが、アルゼンチン国民の多くを占めるブルーカラーの労働者階級からは絶大な支持を受ける。

51年頃、ペロン大統領はエビータを副大統領にしようとするが、その直後、エビータは子宮癌と診断され、これを断念。翌年7月、最高、最先端の治療の甲斐もなくウンスエ宮殿(Palacio Unzue)で亡くなった。享年33歳。ちなみにペロンの最初の妻もエビータと出逢う以前の38年に同じ子宮癌で36歳で亡くなっている。エビータの葬儀には数十万の市民が参列した。

彼女の遺体はエンバーミング(Embalming)処理を施され、パレルモ地区(Barrio Palermo)に計画されてた彼女の記念碑に収められる予定だったが、55年にクーデターでペロンが大統領を追われ亡命すると、彼女の遺体もミラノからスペインに移された。76年、73年に大統領に復帰したペロンが在任中に亡くなり、その後を継いだ3番目の妻のイサベル・ペロン(Isabel Martinez de Peron)が失脚し、ようやくエビータの遺体は、このレコレータ墓地に収められた。ペロンやエビータは上に書いたように一部の富裕層から疎まれ嫌われていたので、その話を聞いてここを出て行ったファミリーもいくつかあったそうだ。なお、ペロンの3番目の妻のイサベル・ペロンも癌で亡くなったと云う話もあるようだが、現時点(19年)では、彼女は88歳でご健全である。

マドンナ(Madonna)主演で1996年に映画化もされたミュージカル「エビータ(Evita)」は彼女をモデルとしてアンドリュー・ロイド=ウェバー( Andrew Lloyd Webber)作曲、ティム・ライス(Timothy Miles Bindon Rice)作詞で78年にロンドンで初上演された。日本でも劇団四季により上演されている。79年のブロードウェイ(Broadway)公演では、トニー賞(Tony Award)ミュージカル作品賞(Best Musical)を受賞した初めてのイギリスのミュージカルとなった。映画もアカデミー賞(Academy Awards)5部門にノミネートされ、「ユー・マスト・ラヴ・ミー(You Must Love Me)」が最優秀歌曲賞(Best Original Song)を受賞している。今更だが、見たいものだ。
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セントロ西部散策へ続く。

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