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ブエノスアイレス初日の続き、夕方の6時15分頃。ブエノスアイレスの中心であるモンセラート地区(Barrio Monserrat)から北に進み、サンニコラス地区(Barrio San Nicolas)に進む。ブエノスアイレスの商業の中心地となる地区で、5月広場(Plaze de Mayo)の北側となるこの地区の東側一帯には繁華街が広がっている。大聖堂の西側のサンマルティン通り(Ave. San. Martin)を北に進むと、5分ほどでバルトロメ・ミトレの家(Casa de Bartolome Mitre)へ。1862年から68年まで在任した第4代大統領のバルトロメ・ミトレ(Bartolome Mitre)が退任後から1906年になくなるまで住んでいた家で、ミトレ博物館(Museo Mitre)として公開されている。残念ながら公開時間は過ぎていたし、外観も工事中でよく分からない。コロニアル(Colonial)様式の美しい家とのこと。<br /><br />ミトレの家を過ぎるとコリエンテス大通り(Av. Corrientes)との交差点に。この通りは「決して眠らぬ道(La calle que nunca duerme)」と呼ばれるブエノスアイレスのブロードウェイ(Broadway)。大聖堂(Catedral Metropolitana de Buenos Aires)から斜めに延びたロケ・サエンス・ペーニャ大統領通り(Av. Presidente Roque Saenz Pena)の先に見えたオベリスコ(Obelisco)を挟んで東西に延びている通りで、多くの劇場・映画館・コンサートホールが並ぶ。アルゼンチンタンゴの歌詞にその名が度々登場する通りとして知られる。<br /><br />コリエンテス大通りを1ブロック西に歩くと南北に走るのがフロリダ通り(Calle Florida)。アルゼンチンの流行はここから生まれると云われるブエノスアイレス一の繁華街で謂わばブエノスアイレスの表参道。南の5月大通り(Avenida de Mayo)から北のサンマルティン将軍広場(Plaza General San Martin)までの約1㎞の歩行者専用道にブティック、ギャラリー、書店、飲食店など600軒余りの店がひしめいている。ヨーロッパからの最新モードはまずこの通りのブティックに並び、そこからアルゼンチン中に広められていく。歩いている人はほとんどが白人だし、まさにヨーロッパと変わらない。スペイン語なのでスペインのマドリード(Madrid)やバルセロナ(Barcelona)と云っても通りそう。<br /><br />コリエンテス大通りの1本北側のラバージェ通り(Calle Lavalle)は映画館通りと云われ、フロリダ通りの1本西側のマイプー通り(Maipu)から3ブロック先の7月9日大通り(Av. 9 de Julio)までの間は映画館ばかり。近辺の映画館を含めれば20件以上の映画館がある。<br /><br />ラバージェ通りから3ブロック北のコルドバ通り(Cordoba)との交差点の北東角に建つセデセントラル(Sede Central)は1914年に建てられたアルゼンチンのスポーツ&amp;社交クラブの名門セントロナヴァール(Centro Naval)のビルで、20世紀のアルゼンチンの建築技術を代表する建物の一つ。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2136748899728456&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />30分ほどでサンニコラス地区を北に向かって横切り、レティーロ地区(Barrio Retiro)に到達。この地区はターミナルを中心に発達した地区で、多くの高級店があり、地元の裕福な階級の住民やアルゼンチン駐在の高官に人気の高級住宅地だがスラム街もあり、多様な地区である。レティーロは隠れ家を意味し、17世紀後半のスペイン総督の邸宅の名前だった。フロリダ通りを北に抜けるとサンマルティン将軍広場に突き当たる。1時間半ほど前に乗った地下鉄の駅のそばだが、その時にはすぐに地下鉄に乗ったので、ゆっくり見てない。<br /><br />この公園は1862年に出来た公園で、ブエノスアイレスで最も美しい広場の一つと云われ、地元の人たちの憩いの場となっている。公園の中には名前の由来となった「祖国の父」と呼ばれるサン・マルティン(Jose Francisco de San Martin y Matorras)将軍の騎馬像(Monumento al General San Martin y a los Ejercitos de la Independencia)が建つ。1862年に造られたもの。サン・マルティン将軍はスペイン軍人の息子で、アルゼンチン北東部の村で生まれた。7歳で家族と共にスペインに渡り、彼もスペイン軍人となり師団長にまでなったが、1812年に母国アルゼンチンでの独立運動を耳にして、今まで築いた全ての地位を捨てて帰国し、革命政府に参加、騎馬選抜隊(Granaderosa Caballo)を組織する。1816年に現在のアルゼンチンとなるリオ・デ・ラプラタ連合国(Provincias Unidas del Rio de la Plata)が独立、さらに18年にはチリ、21年にはペルーの独立も達成させたが、同じく南米解放の英雄、5つ下のシモン・ボリーバル(Simon Bolivar)と意見が対立するようになり、引退した。<br /><br />広場の西側にある建物は1909年にアンチョレナ宮殿(Palacio Anchorena)として建てられたものだが、1934年に外務省の庁舎となりサンマルティン宮殿(Palacio San Martin)に改名された。現在は外務省庁舎は移転し、外務省のセレモニーなどの会場として利用されている。<br /><br />この公園だけではないが、この季節(11月末)、ジャカランダ(Jacaranda)の紫の花が咲き乱れ、とても美しい。ジャカランダは日本ではキリモドキとも紫雲木(シウンボク)とも呼ばれ、花が非常に華やかなので熱帯・亜熱帯地方で広く栽培されている。カエンボク(火焔木)、ホウオウボク(鳳凰木)と共に「世界の三大花木」に数えられ、また「紫の桜」とも呼ばれる(いずれも日本でのみなので、日本人以外には通じない)。「紫の桜」と呼ばれるが桜と違って花の咲いている期間は長い。ただし、花弁が落ちると一面薄紫色の絨毯を敷いたようになるのは桜と似ている。日本では熱海、雲仙、日南に鑑賞スポットがあるそうだが、全然知らなかった。5月から6月に掛けて満開となるそうで、一度行ってみたいものだ。<br /><br />サンマルティン将軍広場の北側、思いがけなくブエノスアイレスでの宿となった民泊のアパートがあるリベルタドール大通り(Av. del Libertador)を越えて向かい合う公園がアルゼンチン空軍広場(Plaza Fuerza Aerea Argentina)。元々はアルゼンチンの独立100周年を記念して、1916年にイギリス系移民から寄贈された塔が置かれた公園で、英国広場(Plaza Britannia)と呼ばれていたが、マルビナス戦争(Guerra de las Malvinas)(もしくはフォークランド紛争(Falklands War))後に改名された。重さ7トンの鐘が付いた高さ59mのこの塔は時計台で、時計の直径は4.4mあり、30分おきにロンドン(London)のビッグベン(Big Ben)と同じ音で時を告げ、英国塔(Torre de los Ingleses)と呼ばれていたが、マルビナス戦争の際に格好の標的となり、かなりの部分が破壊され、修復後記念塔(Torre Monumental)に改称された。マルビナス諸島(Islas Malvinas)(もしくはフォークランド諸島(Falkland Islands))は1816年のアルゼンチン独立直後の33年からイギリスが実効支配しているので、実際にアルゼンチンの支配下にあったことはほぼないとは云え、地理的にはほとんどアルゼンチンなので、気持ちは分かるなあ・・・<br /><br />アルゼンチン空軍広場の西側がレティーロ駅(Estacion Retiro)。ブエノスアイレス1=アルゼンチン1のターミナル駅。アルゼンチンの鉄道の歴史は1857年に始まり、一時は総延長4万㎞に及ぶ世界有数の鉄道網を誇っていた。ほとんどの路線はブエノスアイレスを起点として放射状に国内全土にはりめぐらされ、ブエノスアイレスは陸上輸送の結節点であった。しかし、1990年代の鉄道民営化に伴って国内の旅客列車の多くが廃止となった。現在ブエノスアイレスとアルゼンチン第2の都市コルドバ(Cordoba)を第3の都市ロサリオ(Rosario)を経由して結ぶ高速鉄道プロジェクト(Tren de Alta Velocidad de Argentina - TAVe)の計画はあるが、中長距離列車はほとんど運行されておらず、近郊鉄道が中心で、市内・郊外両路線を含んだ全路線の総延長は813km、295駅、7主要路線におよび、毎年4億4500万人の旅客を輸送し南北アメリカ大陸ではニューヨーク(New York)に次ぐ第2の都市鉄道網を誇っている。<br /><br />レティーロ駅はその中心のターミナル駅。駅舎は1915年に完成したもの。鉄骨構造はイングランド(England)のリヴァプール(Liverpool)で作られ、アルゼンチンで再び組み立てられた。長年に渡り、南米の土木工学上もっとも重要な例であり、建築学上世界でもっとも優れた建築物のひとつであるとされ、1997年にアルゼンチン歴史遺産に指定されている。外観も素晴らしいが、内部のホールの天井も高く立派で、行き止まりのホームが並ぶ姿は旅情を誘う。<br /><br />7時過ぎ、いったん部屋に戻ることにする。駅からリベルタドール大通りへ戻ると1段高くなったサンマルティン将軍広場の後ろ(南西)にカバナフ・ビル(Edificio Kavanagh)がそそり立っている。31階建てで高さ120mのこの高層マンションは1936年の竣工時、ラテンアメリカで一番高いビルだった。この建物を建てたのはコリーナ・カバナフ(Corina Kavanagh)と云う40歳になったアイルランド系の大富豪だったのだが、仕返しでこのビルを建てたと云う説がある。彼女はサンマルティン将軍広場を挟んだ反対側に建つアンチョレナ宮殿(上で説明した現在は外務省のサンマルティン宮殿になっているもの)に住んでいたアンチョレナ(Anchorena)家の息子と恋に落ちたのだが、貴族のアンチョレナ家は、裕福だが貴族でない彼女との結婚は許さなかった。で、アンチョレナ家が1914年に建てた教会(Basilica del Santisimo Sacramento)が宮殿から見えなくなるようにこのビルを建てたと云う。実際、この教会はこのビルの裏にある。ただ、着工時の34年にすでに宮殿は外務省のものになってるので、本当かどうかは分からないが・・・<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2136753709727975&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br /><br />アルゼンチンタンゴの夜へ続く。

ブエノスアイレス サンニコラス地区からレティーロ地区(Barrio San Nicolas & Retiro, Buenos Aires)

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2017/11/23 - 2017/11/23

696位(同エリア741件中)

旅行記グループ ブエノスアイレス

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ちふゆ

ちふゆさん

ブエノスアイレス初日の続き、夕方の6時15分頃。ブエノスアイレスの中心であるモンセラート地区(Barrio Monserrat)から北に進み、サンニコラス地区(Barrio San Nicolas)に進む。ブエノスアイレスの商業の中心地となる地区で、5月広場(Plaze de Mayo)の北側となるこの地区の東側一帯には繁華街が広がっている。大聖堂の西側のサンマルティン通り(Ave. San. Martin)を北に進むと、5分ほどでバルトロメ・ミトレの家(Casa de Bartolome Mitre)へ。1862年から68年まで在任した第4代大統領のバルトロメ・ミトレ(Bartolome Mitre)が退任後から1906年になくなるまで住んでいた家で、ミトレ博物館(Museo Mitre)として公開されている。残念ながら公開時間は過ぎていたし、外観も工事中でよく分からない。コロニアル(Colonial)様式の美しい家とのこと。

ミトレの家を過ぎるとコリエンテス大通り(Av. Corrientes)との交差点に。この通りは「決して眠らぬ道(La calle que nunca duerme)」と呼ばれるブエノスアイレスのブロードウェイ(Broadway)。大聖堂(Catedral Metropolitana de Buenos Aires)から斜めに延びたロケ・サエンス・ペーニャ大統領通り(Av. Presidente Roque Saenz Pena)の先に見えたオベリスコ(Obelisco)を挟んで東西に延びている通りで、多くの劇場・映画館・コンサートホールが並ぶ。アルゼンチンタンゴの歌詞にその名が度々登場する通りとして知られる。

コリエンテス大通りを1ブロック西に歩くと南北に走るのがフロリダ通り(Calle Florida)。アルゼンチンの流行はここから生まれると云われるブエノスアイレス一の繁華街で謂わばブエノスアイレスの表参道。南の5月大通り(Avenida de Mayo)から北のサンマルティン将軍広場(Plaza General San Martin)までの約1㎞の歩行者専用道にブティック、ギャラリー、書店、飲食店など600軒余りの店がひしめいている。ヨーロッパからの最新モードはまずこの通りのブティックに並び、そこからアルゼンチン中に広められていく。歩いている人はほとんどが白人だし、まさにヨーロッパと変わらない。スペイン語なのでスペインのマドリード(Madrid)やバルセロナ(Barcelona)と云っても通りそう。

コリエンテス大通りの1本北側のラバージェ通り(Calle Lavalle)は映画館通りと云われ、フロリダ通りの1本西側のマイプー通り(Maipu)から3ブロック先の7月9日大通り(Av. 9 de Julio)までの間は映画館ばかり。近辺の映画館を含めれば20件以上の映画館がある。

ラバージェ通りから3ブロック北のコルドバ通り(Cordoba)との交差点の北東角に建つセデセントラル(Sede Central)は1914年に建てられたアルゼンチンのスポーツ&社交クラブの名門セントロナヴァール(Centro Naval)のビルで、20世紀のアルゼンチンの建築技術を代表する建物の一つ。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2136748899728456&type=1&l=8a89379cb0

30分ほどでサンニコラス地区を北に向かって横切り、レティーロ地区(Barrio Retiro)に到達。この地区はターミナルを中心に発達した地区で、多くの高級店があり、地元の裕福な階級の住民やアルゼンチン駐在の高官に人気の高級住宅地だがスラム街もあり、多様な地区である。レティーロは隠れ家を意味し、17世紀後半のスペイン総督の邸宅の名前だった。フロリダ通りを北に抜けるとサンマルティン将軍広場に突き当たる。1時間半ほど前に乗った地下鉄の駅のそばだが、その時にはすぐに地下鉄に乗ったので、ゆっくり見てない。

この公園は1862年に出来た公園で、ブエノスアイレスで最も美しい広場の一つと云われ、地元の人たちの憩いの場となっている。公園の中には名前の由来となった「祖国の父」と呼ばれるサン・マルティン(Jose Francisco de San Martin y Matorras)将軍の騎馬像(Monumento al General San Martin y a los Ejercitos de la Independencia)が建つ。1862年に造られたもの。サン・マルティン将軍はスペイン軍人の息子で、アルゼンチン北東部の村で生まれた。7歳で家族と共にスペインに渡り、彼もスペイン軍人となり師団長にまでなったが、1812年に母国アルゼンチンでの独立運動を耳にして、今まで築いた全ての地位を捨てて帰国し、革命政府に参加、騎馬選抜隊(Granaderosa Caballo)を組織する。1816年に現在のアルゼンチンとなるリオ・デ・ラプラタ連合国(Provincias Unidas del Rio de la Plata)が独立、さらに18年にはチリ、21年にはペルーの独立も達成させたが、同じく南米解放の英雄、5つ下のシモン・ボリーバル(Simon Bolivar)と意見が対立するようになり、引退した。

広場の西側にある建物は1909年にアンチョレナ宮殿(Palacio Anchorena)として建てられたものだが、1934年に外務省の庁舎となりサンマルティン宮殿(Palacio San Martin)に改名された。現在は外務省庁舎は移転し、外務省のセレモニーなどの会場として利用されている。

この公園だけではないが、この季節(11月末)、ジャカランダ(Jacaranda)の紫の花が咲き乱れ、とても美しい。ジャカランダは日本ではキリモドキとも紫雲木(シウンボク)とも呼ばれ、花が非常に華やかなので熱帯・亜熱帯地方で広く栽培されている。カエンボク(火焔木)、ホウオウボク(鳳凰木)と共に「世界の三大花木」に数えられ、また「紫の桜」とも呼ばれる(いずれも日本でのみなので、日本人以外には通じない)。「紫の桜」と呼ばれるが桜と違って花の咲いている期間は長い。ただし、花弁が落ちると一面薄紫色の絨毯を敷いたようになるのは桜と似ている。日本では熱海、雲仙、日南に鑑賞スポットがあるそうだが、全然知らなかった。5月から6月に掛けて満開となるそうで、一度行ってみたいものだ。

サンマルティン将軍広場の北側、思いがけなくブエノスアイレスでの宿となった民泊のアパートがあるリベルタドール大通り(Av. del Libertador)を越えて向かい合う公園がアルゼンチン空軍広場(Plaza Fuerza Aerea Argentina)。元々はアルゼンチンの独立100周年を記念して、1916年にイギリス系移民から寄贈された塔が置かれた公園で、英国広場(Plaza Britannia)と呼ばれていたが、マルビナス戦争(Guerra de las Malvinas)(もしくはフォークランド紛争(Falklands War))後に改名された。重さ7トンの鐘が付いた高さ59mのこの塔は時計台で、時計の直径は4.4mあり、30分おきにロンドン(London)のビッグベン(Big Ben)と同じ音で時を告げ、英国塔(Torre de los Ingleses)と呼ばれていたが、マルビナス戦争の際に格好の標的となり、かなりの部分が破壊され、修復後記念塔(Torre Monumental)に改称された。マルビナス諸島(Islas Malvinas)(もしくはフォークランド諸島(Falkland Islands))は1816年のアルゼンチン独立直後の33年からイギリスが実効支配しているので、実際にアルゼンチンの支配下にあったことはほぼないとは云え、地理的にはほとんどアルゼンチンなので、気持ちは分かるなあ・・・

アルゼンチン空軍広場の西側がレティーロ駅(Estacion Retiro)。ブエノスアイレス1=アルゼンチン1のターミナル駅。アルゼンチンの鉄道の歴史は1857年に始まり、一時は総延長4万㎞に及ぶ世界有数の鉄道網を誇っていた。ほとんどの路線はブエノスアイレスを起点として放射状に国内全土にはりめぐらされ、ブエノスアイレスは陸上輸送の結節点であった。しかし、1990年代の鉄道民営化に伴って国内の旅客列車の多くが廃止となった。現在ブエノスアイレスとアルゼンチン第2の都市コルドバ(Cordoba)を第3の都市ロサリオ(Rosario)を経由して結ぶ高速鉄道プロジェクト(Tren de Alta Velocidad de Argentina - TAVe)の計画はあるが、中長距離列車はほとんど運行されておらず、近郊鉄道が中心で、市内・郊外両路線を含んだ全路線の総延長は813km、295駅、7主要路線におよび、毎年4億4500万人の旅客を輸送し南北アメリカ大陸ではニューヨーク(New York)に次ぐ第2の都市鉄道網を誇っている。

レティーロ駅はその中心のターミナル駅。駅舎は1915年に完成したもの。鉄骨構造はイングランド(England)のリヴァプール(Liverpool)で作られ、アルゼンチンで再び組み立てられた。長年に渡り、南米の土木工学上もっとも重要な例であり、建築学上世界でもっとも優れた建築物のひとつであるとされ、1997年にアルゼンチン歴史遺産に指定されている。外観も素晴らしいが、内部のホールの天井も高く立派で、行き止まりのホームが並ぶ姿は旅情を誘う。

7時過ぎ、いったん部屋に戻ることにする。駅からリベルタドール大通りへ戻ると1段高くなったサンマルティン将軍広場の後ろ(南西)にカバナフ・ビル(Edificio Kavanagh)がそそり立っている。31階建てで高さ120mのこの高層マンションは1936年の竣工時、ラテンアメリカで一番高いビルだった。この建物を建てたのはコリーナ・カバナフ(Corina Kavanagh)と云う40歳になったアイルランド系の大富豪だったのだが、仕返しでこのビルを建てたと云う説がある。彼女はサンマルティン将軍広場を挟んだ反対側に建つアンチョレナ宮殿(上で説明した現在は外務省のサンマルティン宮殿になっているもの)に住んでいたアンチョレナ(Anchorena)家の息子と恋に落ちたのだが、貴族のアンチョレナ家は、裕福だが貴族でない彼女との結婚は許さなかった。で、アンチョレナ家が1914年に建てた教会(Basilica del Santisimo Sacramento)が宮殿から見えなくなるようにこのビルを建てたと云う。実際、この教会はこのビルの裏にある。ただ、着工時の34年にすでに宮殿は外務省のものになってるので、本当かどうかは分からないが・・・
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2136753709727975&type=1&l=8a89379cb0


アルゼンチンタンゴの夜へ続く。

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