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2017年11月24日(金)、ブエノスアイレス(Buenos Aires)での2日目の午後3時半前、ボカ・ジュニアーズ・スタジアム(La Bombonera)を出て、北のサンテルモ地区(Barrio San Telmo)に移動する。ブエノスアイレスで一番古い地区であり、狭い小道や石畳、コロニアルな建物のそこかしこにノルスタジックなムードが漂う。船員の守護聖人サンペドロ・ゴンサレス・テルモ(Saint Pedro Gonzalez Telmo)にちなんで名付けられたこの地区は、ブエノスアイレスで最も文化的に多様な地域として長い歴史を持っている。<br /><br />17世紀から多くの移民が暮らしていたこの地区に残る19世紀の建物は、この地区の豊かさを物語る。1852年には下水道が整備され、ガス灯も設置され、今も残る大邸宅が建てられた。しかし、1871年に黄熱病が発生、裕福な住民はさらに北のレコレータ地区(Barrio Recoleta)などに移り、大邸宅は分割され、新しい移民に賃貸された。貧しい人々はうっぷん晴らしに酒を飲み、歌を歌い、そしてアルゼンチンタンゴを踊った。ボカ地区とともに昔の面影を強く残すこの地域には、夜を彩るタンゲリア(Tangueria)が多くある。この前日の夜に行ったエル・ビエホ・アルマセン(El Viejo Almacen)もこの地区にある。<br /><br />まずは20分ほど歩きレサマ公園(Parque Lezama)へ。20エーカーある丘状になった公園で、樹木が茂り、人々の憩いの場となっている。1536年、この頃はラプラタ川(Rio de la Plata)の川岸はこの公園の東側を走るパセオコロン通り(Av. Paseo Colon)辺りにあり、ここはスペインから派遣されたペドロ・デ・メンドーサ提督(Don Pedro de Mendoza)がサンタマリア・デ・ロス・ブエノスアイレス港(Puerto de Santa Maria de los Buenos Aires)を建設した場所と云われる。だが、先住民の反抗にあい、翌年には撤退した。1857年にホセ・デ・レサマ(Jose Gregorio de Lezama)がこの土地の持ち主となったが、彼の死後(1894年)、その名前を残す公園にすることを条件に市に売却された。<br /><br />公園の南西部に建つのが国際友好記念碑(Monumento a la Cordialidad Internacional)。1936年にブエノスアイレスの400周年を記念してウルグアイから贈られたもので、アルゼンチンとウルグアイの連合を象徴する船の上にブエノスアイレス建都の歴史が刻まれた高さ15m、直径4mの柱が建つ。船首の女性像は左手にウルグアイ、モンテビデオ(Montevideo)市の盾を掲げている。なかなか立派。<br /><br />この記念碑と道を挟んで建つのがレサマ宮殿(Palacio Lezama)。1910年にカナルビスケット(Bizcochos Canale)の本社として建てられたもの。現在は市政府や省庁のオフィスとして使われるほか、イベントホールとしても使われている。オフィスビルだったとは思えない。<br /><br />公園の西側、中央部にあるのが国立歴史博物館(Museo Historico Nacional)。19世紀半ばに建てられたレサマ家の32室ある大邸宅をそのまま利用している。アルゼンチン史にかかわる重要なコレクション1万500点余りが展示されている。無料らしいが入ってない。<br /><br />公園の北東部にはメンドーサ提督の記念碑(Monumento Fuente a Don Pedro de Mendoza)が建つ。彼は先住民との戦いに敗れ、スペインに戻る途中の1537年にアフリカ大陸の北西沿岸に浮かぶカナリヤ諸島(Canarias)の近くで亡くなったが、1937年、400年後の同じ日にこの銅像は除幕された。<br /><br />公園の真ん中辺り、北側の道路を挟んで建つのは青いタマネギ形のドームが印象的なロシア正教会(Iglesia Ortodoxa Rusa de la Santisima Trinidad)。1901年に建てられたもので、アルゼンチンの人口の大部分を占めるカトリックではなく、少数派のロシア正教に属しており、外観、内装ともにカトリックのものとは大きく異なっているそうだが、中は入ってない。青が鮮やか。<br /><br />4時、レサマ公園からもう少し北に歩く。5分ほどでサン・ペドロ・テルモ教会(Parroquia San Pedro Gonzalez Telmo)。1734年に建設が始まり、正面の2つの塔が完成したのは1876年。最初はベツレヘムの聖母教会(Iglesia de Nuestra Senora de Belen)と呼ばれていた。植民地時代には病院としても使われたバロック様式の教会。1807年の第2次イギリス軍侵略の際には、この教会の鐘で造られた砲弾が使用されたと云う。正面のファザードは結構凝ってるし、内部も結構豪華。<br /><br />サン・ペドロ・テルモ教会からデフェンサ街(Defensa)に出ると北東の角にドレーゴ広場(Plaza Dorrego)。青く光る石畳、タンゴの流れる古びたカフェ、テラスの張り出したスペイン風の家並み、「タンゴが生まれた頃の街並みが残る」と云われるのがこの辺り。毎週日曜、骨董品市(Feria)が開かれることで有名。この日は金曜だったので、市は出てないが、広場内には所狭しとカフェのテーブルが並び、いい感じ。トイレに行きたかったので、公園のカフェでなく、近くのコーヒーショップで一休み。35ペソだったので200円ちょっと。安い。久々のコーヒー。<br /><br />レサマ公園から前日最初に行った5月広場(Plaze de Mayo)まで1.7㎞ほど南北に続くデフェンサ街は、南米のパリ(Paris)のモンマルトル(Montmartre)とも云われる通り。石畳の道がコロニアルな建物に挟まれて続き、アンティックの店やレストラン、カフェが多い。歩きにくいけどムチャ雰囲気はある。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2138793832857296&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br /><br />サンテルモ地区から昨日最初に行ったモンセラート地区へ戻るが、続く。

ブエノスアイレス サンテルモ地区(Barrio San Telmo, Buenos Aires)

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2017/11/24 - 2017/11/24

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ちふゆ

ちふゆさん

2017年11月24日(金)、ブエノスアイレス(Buenos Aires)での2日目の午後3時半前、ボカ・ジュニアーズ・スタジアム(La Bombonera)を出て、北のサンテルモ地区(Barrio San Telmo)に移動する。ブエノスアイレスで一番古い地区であり、狭い小道や石畳、コロニアルな建物のそこかしこにノルスタジックなムードが漂う。船員の守護聖人サンペドロ・ゴンサレス・テルモ(Saint Pedro Gonzalez Telmo)にちなんで名付けられたこの地区は、ブエノスアイレスで最も文化的に多様な地域として長い歴史を持っている。

17世紀から多くの移民が暮らしていたこの地区に残る19世紀の建物は、この地区の豊かさを物語る。1852年には下水道が整備され、ガス灯も設置され、今も残る大邸宅が建てられた。しかし、1871年に黄熱病が発生、裕福な住民はさらに北のレコレータ地区(Barrio Recoleta)などに移り、大邸宅は分割され、新しい移民に賃貸された。貧しい人々はうっぷん晴らしに酒を飲み、歌を歌い、そしてアルゼンチンタンゴを踊った。ボカ地区とともに昔の面影を強く残すこの地域には、夜を彩るタンゲリア(Tangueria)が多くある。この前日の夜に行ったエル・ビエホ・アルマセン(El Viejo Almacen)もこの地区にある。

まずは20分ほど歩きレサマ公園(Parque Lezama)へ。20エーカーある丘状になった公園で、樹木が茂り、人々の憩いの場となっている。1536年、この頃はラプラタ川(Rio de la Plata)の川岸はこの公園の東側を走るパセオコロン通り(Av. Paseo Colon)辺りにあり、ここはスペインから派遣されたペドロ・デ・メンドーサ提督(Don Pedro de Mendoza)がサンタマリア・デ・ロス・ブエノスアイレス港(Puerto de Santa Maria de los Buenos Aires)を建設した場所と云われる。だが、先住民の反抗にあい、翌年には撤退した。1857年にホセ・デ・レサマ(Jose Gregorio de Lezama)がこの土地の持ち主となったが、彼の死後(1894年)、その名前を残す公園にすることを条件に市に売却された。

公園の南西部に建つのが国際友好記念碑(Monumento a la Cordialidad Internacional)。1936年にブエノスアイレスの400周年を記念してウルグアイから贈られたもので、アルゼンチンとウルグアイの連合を象徴する船の上にブエノスアイレス建都の歴史が刻まれた高さ15m、直径4mの柱が建つ。船首の女性像は左手にウルグアイ、モンテビデオ(Montevideo)市の盾を掲げている。なかなか立派。

この記念碑と道を挟んで建つのがレサマ宮殿(Palacio Lezama)。1910年にカナルビスケット(Bizcochos Canale)の本社として建てられたもの。現在は市政府や省庁のオフィスとして使われるほか、イベントホールとしても使われている。オフィスビルだったとは思えない。

公園の西側、中央部にあるのが国立歴史博物館(Museo Historico Nacional)。19世紀半ばに建てられたレサマ家の32室ある大邸宅をそのまま利用している。アルゼンチン史にかかわる重要なコレクション1万500点余りが展示されている。無料らしいが入ってない。

公園の北東部にはメンドーサ提督の記念碑(Monumento Fuente a Don Pedro de Mendoza)が建つ。彼は先住民との戦いに敗れ、スペインに戻る途中の1537年にアフリカ大陸の北西沿岸に浮かぶカナリヤ諸島(Canarias)の近くで亡くなったが、1937年、400年後の同じ日にこの銅像は除幕された。

公園の真ん中辺り、北側の道路を挟んで建つのは青いタマネギ形のドームが印象的なロシア正教会(Iglesia Ortodoxa Rusa de la Santisima Trinidad)。1901年に建てられたもので、アルゼンチンの人口の大部分を占めるカトリックではなく、少数派のロシア正教に属しており、外観、内装ともにカトリックのものとは大きく異なっているそうだが、中は入ってない。青が鮮やか。

4時、レサマ公園からもう少し北に歩く。5分ほどでサン・ペドロ・テルモ教会(Parroquia San Pedro Gonzalez Telmo)。1734年に建設が始まり、正面の2つの塔が完成したのは1876年。最初はベツレヘムの聖母教会(Iglesia de Nuestra Senora de Belen)と呼ばれていた。植民地時代には病院としても使われたバロック様式の教会。1807年の第2次イギリス軍侵略の際には、この教会の鐘で造られた砲弾が使用されたと云う。正面のファザードは結構凝ってるし、内部も結構豪華。

サン・ペドロ・テルモ教会からデフェンサ街(Defensa)に出ると北東の角にドレーゴ広場(Plaza Dorrego)。青く光る石畳、タンゴの流れる古びたカフェ、テラスの張り出したスペイン風の家並み、「タンゴが生まれた頃の街並みが残る」と云われるのがこの辺り。毎週日曜、骨董品市(Feria)が開かれることで有名。この日は金曜だったので、市は出てないが、広場内には所狭しとカフェのテーブルが並び、いい感じ。トイレに行きたかったので、公園のカフェでなく、近くのコーヒーショップで一休み。35ペソだったので200円ちょっと。安い。久々のコーヒー。

レサマ公園から前日最初に行った5月広場(Plaze de Mayo)まで1.7㎞ほど南北に続くデフェンサ街は、南米のパリ(Paris)のモンマルトル(Montmartre)とも云われる通り。石畳の道がコロニアルな建物に挟まれて続き、アンティックの店やレストラン、カフェが多い。歩きにくいけどムチャ雰囲気はある。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2138793832857296&type=1&l=8a89379cb0


サンテルモ地区から昨日最初に行ったモンセラート地区へ戻るが、続く。

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