2019/08/21 - 2019/08/21
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たびたびさん
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鹿角市には、国指定の重要無形民俗文化財が三つあって、前日の花輪ばやしに大日堂舞楽。そして、この毛馬内の盆踊り。花輪ばやしは、ユネスコ世界遺産になりましたが、大日堂舞楽と毛馬内の盆踊りもそれを目指しているんだそう。小さな街なのになかなか欲張りですよね。
さて、毛馬内の盆踊りの起源は約450年前。京都の念仏踊りの流れを汲むという説があるようです。
会場は一直線のメインストリートこもせ通り。路上に篝火を焚き、その周りを細長い輪となって踊ります。踊りは、以下の三種類です。
○笛の囃子の「大の坂」踊り
江戸時代の明暦3年(1657)、南部藩の桜庭光英が宮古から毛馬内に移封になった頃には、この踊りがあったと言われます。
○唄のみの「甚句」踊り
「甚句」については戦国時代の永禄10年(1567)に南部氏が安東氏との鹿角地域での戦いに勝ち、 毛馬内に凱旋した際に将兵をねぎらうために「陣後踊り」を催した。これが毛馬内盆踊りの起源と言われます。
○少し短い「じょんがら」踊り
大太鼓と横笛のはやしが踊りをリードしますが、目を見張るのは大太鼓。一人では抱えきれないくらいの大きさをなんとか持ち上げて、両手にしなやかなバチを持った叩き手と二人で組みになって奏じます。ちなみに、この地は、南部藩時代に軍馬であった南部馬の産地。大太鼓は、馬皮製です。
ドドーン、ドドーン。ピーヒャッヒャ。ドドーン、ドドーン。ピーヒャッヒャ。死者への哀悼の響きかな。哀愁を帯びたスローテンポのリズムが印象的。そして、踊りは念仏踊り風に、途中に合掌のポーズが入る。
紋付き・留袖に蹴出しときらびやかな帯。たんすの底を着ると言われる衣装は見事な美しさだし、豆絞りの手ぬぐいでこもかむりをした姿も特徴的ですが、指先まですっと伸ばす美しい所作もやっぱり大きな見どころかと思います。ベテランは、このポーズがキチッと決まる。飛び入りの若い大学生もいましたが、年季の差は覆うべくもありません。
ちなみに、秋田の盆踊りと言えば、湯沢の西馬音内の盆踊りも有名。これも一応参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/10922923
さて、毛馬内の盆踊りの前に、今日はレンタカーの旅。尾去沢鉱山から久しぶりに十和田湖に大湯環状列石をちょこっと拝見しつつ時間をつぶします。
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早朝、大滝温泉から鹿角花輪駅まで戻ってレンタカーを借りて。さっそく向かったのは尾去沢鉱山です。
ちなみに、鹿角には小坂鉱山と尾去沢鉱山の二つがあって、どちらも日本を代表する鉱山。小坂鉱山の方は以前行ったことがあるのですが、(https://4travel.jp/travelogue/10834598)発見されたのは幕末。銀の生産量が日本一となったのは明治34年だし、歴史的にはやっぱり今回の尾去沢かな。
途中、微妙な二又の道とかあって不安でしたが、何とか到着したようです。 -
まずは、敷地に入ってすぐの資料館へ。
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これは無料の施設。ホールのような展示室があって、
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鉱物類から始まる展示品。
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ちなみに、尾去沢鉱山は708年(和銅元年)に銅山が発見され、産金が東大寺の大仏や中尊寺で用いられたという伝説も残ります。
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江戸時代の前半は金、後半は銅で活況。南部盛岡藩が経営し、粗銅は陸路で領内の青森県野辺地港へ。そこから先は幕府の雇船によって、精錬業者のいる大阪へと廻送されました。
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江戸時代は、別子銅山(愛媛県)、阿仁銅山(秋田県(久保田藩))と並ぶ日本の主力銅山の一つ。金の産出が振るわなくなる中、銅が幕府の苦しい財政を支えることとなりました。明治になると三菱合資会社の経営。日本の近代化、戦後復興に貢献します。
参考まで
https://4travel.jp/travelogue/11426778 -
資料館の後は、いよいよ坑道です。
鉱山跡には、総延長1.7kmの観光坑道。江戸時代の前期には、金山奉行が置かれたほどの宝の山。いかがでしょうか。 -
入場料を払って、
誰もいない坑道をどんどん進みます。 -
レールの跡があるし、近代になってからの坑道。
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坑道には余裕があるので、
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圧迫感などもありません。
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鍾乳洞の感じに似ているかもしれませんね。
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鍾乳洞のように高低差もないので、
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楽チンです。
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あ、やっと観光坑道らしくなってきましたね。
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機械化された近代の掘削の姿です。
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ここは、かつての休憩室。
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昼飯を食べたりする当時の写真もありました。
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さらに進むと、この辺りから江戸時代ですね。
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金山奉行の厳しい監視の下、
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イチオシ
男も女も重労働に勤しむ日々。
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劣悪な環境での労働は、危険がいっぱい。
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食い扶持を求めて自分の意志でやってきた人だけではなくて、
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イチオシ
もしかしたら、無宿人とか罪人なんかも働かされていたかもしれませんね。
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佐渡の金山ではそうした歴史が語り継がれていますが、
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どこの鉱山でも似たようなことはあったのではないかと思います。
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つまり、金、銀、銅は、徳川幕府の財政を支えた基本。絶対命令の下での経営が行われていたのは、どこの鉱山も大差ないような気がします。
ただ、江戸期、こうした財力が向かった先の最大のものが中国産の生糸であり、絹織物の需要を賄っていたことは意外といえば意外。経済はどこまでもつながっていることに今更ながら驚きます。 -
尾去沢鉱山を後にして、小坂経由で、十和田湖に向かいます。
その途中で寄った桃豚直売所 こももは、ロードサイドショップ。 -
桃豚のコロッケをいただきます。ちなみに、桃豚というのは、肉の色が桃みたいなピンク色だからなんだそう。
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牛肉のコロッケと違って、ちょっともっさりした感じがなくもないですが、食べて行くうちに違和感はすぐに解消。豚のしっかりした味わい深さが感じられました。
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前回の小坂で行ってなかった小坂鉄道レールパークは、小坂鉱山のために敷設された小坂鉄道の線路と駅舎などを活用した複合施設。
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レトロな駅舎を抜けて、
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ホームから線路を渡って
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列車の格納庫へ。
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格納庫には
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ディーゼル機関車とか
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ラッセル車とか。寝台車の方も宿泊施設となっているようでした。
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ほか、かつての鉄道関係の資料展示室もありましたが、これはぽっぽ屋風かな。全体としては鉄道の保存施設といった方がいいかなと思います。
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道の駅秋田こさか七滝は、東北自動車道から十和田湖へ向かう秋田県道2号大館十和田湖線沿い。施設は、滝の茶屋 孫左衞門やハートランドマーケットほかそれなりに充実。それなりに楽しめます。
なお、道路を挟んだ向かい側に日本の滝百選に選ばれた七滝があって、簡単に見物できます。 -
ということで、これはハートランドマーケット。地元産品の販売所です。
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イチオシは小坂で採れるぶどうのぶどうジュース。
ただ、私のお勧めは、もろこしかな。小豆粉を使った落雁の一種。秋田ではあちこちで見かけるし、口の中でじんわり溶ける味わいも悪くないです。 -
滝の茶屋 孫左衛門は、こちら道の駅のメイン施設。
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ここの名物はこの山ぶどうソフトクリーム。ぶどうの香りがほんのりいい感じ。ただ、それをまたあんまり強調しすぎていないのがいいんじゃないかと思います。
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そして、最後に七滝へ。道の駅秋田こさか七滝の道路を挟んだ向かい側。けっこう簡単に見物できます。
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山間から流れ落ちる滝はさほどのスケール感はないですが、ちょっと日本庭園のような風情がありますね。
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菅江真澄が十和田湖を目指した際、ここにも立ち寄り、「十曲湖」の中に二首の短歌とスケッチを残しています。古くからこの辺りの名所として知られていたんでしょう。
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さて、再び出発して。笹森展望所は、小坂町側から十和田湖へ向かう樹海ラインの途中。車を走らせていると突然標識が現れます。
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眼下に広がる樹海が一望できるということだったのですが、霧が出ていて、遠くが見えない。ただ、それにしてもラインのすぐ脇なので、あんまり展望所としての気分は出ないかもしれません。
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続いては、紫明亭展望台。
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この後向かう発荷峠からと同じような方向から十和田湖を眺めますが、こちらは標高がもうちょっと高いのかな。好みはあると思いますが、こちらの方が全景をゆったり眺められるような気分。ただ、辺りはちょっと荒れているし、人もあまり来ないように思います。
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そして、やっぱり有名なのはこの発荷峠。鹿角市と小坂町のちょうど境にある峠です。
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標高 631mの展望台は、十和田湖の外輪山の南に位置し、眼下に十和田湖を一望できる展望台として人気。 湖面に伸びる御倉半島と中山半島の眺めが自慢なのですが、私としては紫明亭展望台と比べるとちょっと目の前過ぎるような気もします。
今回はこれでおしまいですが、やっぱり私の中では遊覧船からの絶景が今でも印象深い。ずどんと落ちるカルデラの地形に、崖にへばりつくように錦秋の紅葉。大町桂月が小船で、一日遊んだと言う日暮岩とかが思い出されます。 -
十和田湖を青森の方に向かうと奥入瀬ですが秋田方面にもちょっとした滝がいくつかあって、それらも回ってみます。まず最初の銚子の滝は、発荷峠から大湯の方に下りてきて、しらはぎラインに出た辺り。わき道をしばらく入っていくと「銚子の滝 徒歩1分」という看板を見つけました。しかし、辺りをいくら探しても滝らしいものはない。
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後で分かりましたが、実はそこからけっこう奥の方。この水力発電所のさらに先。この看板は間違っていますので、要注意。
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ほかの滝もちょっと分かりにくい。まずは、中滝ふるさと学舎を訪ねて。
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そこの地図で場所を確かめます。
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止滝は、学舎から歩きます。川の途中で、がくんと崖になったところに水が落ちる形。川の水はすべてこの滝を落ちるので水量が豊富でダイナミック。激しい水の音も印象的な滝だと思います。
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続いては、
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中滝。川沿いの道をしばらく歩きますが、川向うは大きな道路。その道路からでもよく見える場所でした。下の方が平らで二段になった姿です。
以上ですが、まあ、結局は地味。さすがに、奥入瀬とは比べものにはなりません。 -
さらに大湯に向かいますが途中には果樹園がいくつもあって。そのうちの一つ平塚果樹園に寄ってみます。
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それなりに大きな販売所を構えていて。リンゴが主力商品のようだったので、こちらで製造しているリンゴジュースを一本。ちょっと気分がシャキッとしました。
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大湯の市街に入って、これは道の駅おおゆ。
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広々した芝生の敷地には近代的なデザインの建物が建っていて、いったいどうしたんですか?と驚くくらい。
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販売所の方も、単なる地物産品ということだけではなくて、おしゃれな加工食品もあったりしてあか抜けてます。まだ新しい施設のようですが、すごいものができたものです。
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そして、ここで外せないのは大湯環状列石。縄文時代後期の大型の配石遺跡なんですが、いわゆるストーンサークル。国の特別史跡です。
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イチオシ
東西に対峙する野中堂と万座の環状列石があって、見晴らしの良い原っぱにさりげなく現れます。まずは、万座の環状列石。
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自然の中で見ると写真で見たほどの迫力はありませんが、
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不思議なものであることは確かに分かる。相当の目的がなければ作らなかったものだと思いますが、何を意図したものなのか。
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続いての野中堂は、一回り小ぶりですが、
日時計のような、それとも暦の役割? -
いずれにしても、かなり知的な人々が暮らしていたことは間違いないと思います。
ちなみに、縄文時代は紀元前13千年から1万年以上続く。後期は紀元前2千年から1千年くらい。この時代に東北や北海道ではこのストーンサークルが盛んに作られたんだそうです。
縄文時代の後にやってくるのが稲作を基本とする弥生時代。縄文人と弥生人はそれぞれバイカル湖、長江にルーツがあって、人種が違うことまで分かっているのですが、大きく争った形跡はなくて、自然に混じりあってしまったのが日本人と言われています。
ついでに補足すると、稲作は中国から伝わって日本に広がっていくのですが、ルートは二つあって九州から北上するルートと一気に北東北に伝わって南下するルート。それが最後に出会うのが登呂遺跡の静岡辺り。東北は稲作が最後に伝わったというのはフェイクです。
それから、稲作は道具や建物など総合的な文化。これを支えたのは鉄器なんです。鉄器文化は紀元前15世紀くらいから活動の記録があるヒッタイトから始まり、アジアにおいては遊牧民族スキタイからユーラシア大陸を東に進んで中国に伝わったのは春秋時代の中期、紀元前600年頃。鉄器自体は日本へは弥生時代の稲作文化とともに入ってきていますが、たたらによる鉄器の生産が始まるのは朝鮮半島から技術が伝わった古墳時代の6世紀頃です。
鉄器は馬具や強力な武器として優位性があって、スキタイは古代ギリシャにも引けを取らなかったのですが、東アジアにおいては平和的な稲作文化に結び付く。壮大なドラマがあったことにも触れておきたいと思います。 -
同じ敷地内にある資料館の大湯ストーンサークル館です。
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この奥が有料のエリア。
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ストーンサークルの解説やその他、縄文時代の発掘品を展示する施設なんですが、
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イチオシ
ここで大湯環状列石の設計図?を見ると
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知的な匂いがリアルにプンプン。
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謎がよりいっそう謎になるのを感じます。
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また、縄文土器や人型の土偶もけっこう大量で美しい。
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土器の文様を付けるバリエーションも面白いと思います。
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そういえば、もうひとつ。
縄文時代は狩猟採集の生活だったんですが、それは移動生活ではない。
有名な三内丸山遺跡は縄文時代前期~中期の1700年間くらいの遺跡だし、能登の真脇遺跡は縄文時代の前期初頭から晩期終末までの4000年間の遺跡。気が遠くなるくらいの定住が可能になった背景は、交易。交易があれば、確かにいろんな補いができるんですよね。 -
つまり、縄文文化が単純に弥生文化に劣っていたと考えるのは間違い。
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稲作が日本の文化の基本を形成したことはその通りですが、
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縄文時代を軽く見てはいけないと思います。
さて、そろそろ十和田南の方に戻りましょう。 -
まだ時間があるので、鹿角市先人顕彰館へ。十和田南の市街の端っこにある町の小さな資料館です。
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世界的な東洋史家、内藤湖南とヒメマスの養殖に成功し、十和田湖の開発に力を尽くした和井内貞行を紹介しています。
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ただ、内容的には、内藤湖南のコーナーが大半。戦前の邪馬台国論争では現在ではほぼ定説となっている畿内説を強く主張したり、中国における唐宋変革時代区分論争などもある意味卓見。後者は唐と宋の間で大きな時代変革があったとするのですが、確かにそうかも。館長さんと少しお話をしましたが、日本人は唐は好きだけど宋は元に滅ぼされたのでイメージ的に評価は低くなる。そうしたちょっとした偏見も解いていったということなんでしょうが、むしろ、そうした論争が広く注目を集めた時代。ほか、漢詩の数々とかも含めて、日本にとって中国が生命線と言われた時代の空気も改めて感じれたような気がしました。
こんなところで、また思ってもみなかった感覚に触れる。旅ってやっぱり面白いですね。 -
車は顕彰館の駐車場にそのまま置かせてもらって、踊りの会場の方に向かいます。
このまっすぐな通りが会場のようですね。 -
腹ごしらえは、こちらのまちや。
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言ってみれば地域おこしといった感じの施設かな。地元のおばちゃんたちがおにぎりを作ったり忙しく作業をしています。
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私は、遅い昼飯みたいな感じで、まずは、うどんをさらりといただきました。
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通りの中央に設けられた本部席。
ここで有料観覧席と踊りの輪に入って撮影のできる許可証の販売をやっていまして、それを購入します。それぞれ500円でした。 -
では、やっぱりもう少し。
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こちらは、食堂のくら。かつての蔵を活用した食堂。
内部はそれなりのゆったりスペース。 -
比内鶏の親子丼ぶりをいただいて、これでもう大丈夫ですね。
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通りでは、有料席の設営が始まりました。通りの脇にずらりと椅子を並べます。
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おっと、大太鼓の搬入も。重さはあんまりないようですが、ここまでの大きさだとちょっと異様な感じも受けますね。
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夜の本番の前に、子供たちの踊りが行われるようです。
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お母さんに連れられて、たくさんの子供たちがいそいそと集まってきました。
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大太鼓の方もだんだん集まってきましたけどね。
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さて、子供の部の始まりにあたって、事務局のご挨拶。地区地区のコンテストみたいな面もあるようです。
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さあ、始まりましたよ~
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バックの笛と太鼓のお囃子はスローなテンポ。
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手と足がうまく揃うかなあ。練習は重ねてきたんでしょうが、まだおっかなびっくりの感じです。
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念仏踊りの名残という合掌のポーズが途中で入るとちょっとやれやれかな。
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ドドーン、ドドーン。
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ピーヒャッヒャ。
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ドドーン、ドドーン。
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ピーヒャッヒャ。
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右から左に重心を
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ひょいと変える動作がスムーズな子。
小さくても、そのひょいができる子は踊りが決まる。やっぱり、これも才能なんでしょうかね。
まあ、それはそれとして。だんだん、リズムに馴染んできたところで終了です。お疲れ様でした。 -
さて、これはお囃子の歌詞。甚句です。
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そうこうしているうちに、日が暮れてきましたね。雰囲気がでてきましたよ~
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通りでは、大太鼓が準備を終えました。
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大太鼓は持つ人と叩く人の二人一組です。
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大太鼓が持ち上がりました。いよいよですね。
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太鼓のばちは細くしなるばち。叩く人も体をエビ反りにしてしなやかです。ドドーン、ドドーン。スローなテンポで、音の響きを確かめるように打ち鳴らす。
そういえば、阿波踊りの大太鼓も大きさはもっと小さいですが、形はちょっと似てるかも。しかし、あっちはドロドロドロドロ。力任せの爆音ですからね。印象は全く違います。 -
太鼓の後ろには笛隊です。
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ドドーン、ドドーン。
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ドドーン、ドドーンの大太鼓に対しても、
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やっぱり笛の音がないと締まらない。
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笛の音が加わることで、力強さの中に哀愁を帯びたベーシックな雰囲気が完成します。
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一定の時間演奏すると、場所を移動して。
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イチオシ
また、同じように
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繰り返します。
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賑やかな昨日の花輪ばやしと違って、先祖や死者への思いとか宗教的な匂いが濃いような。
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まあ、盆踊りですからね。
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ただ、一方的に陰気臭くなるのをこの大太鼓のパーフォーマンスが大いに緩和してくれているのは確か。
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尾去沢のルーツというべき白根金山。
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かつては、関西からの人でも多くがやってきて賑わっていたという歴史を持つこの地方。
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いろんな交流の中で、
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もしかしたら、
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ちょこっと影響を受けた演出があってもおかしくはないかもしれません。
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民謡や
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地方芸能って、
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そういうことが往々にしてある。
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始めは小さな変化でも、
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だんだんとそれが磨きこまれて、
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ここまでになったと
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イチオシ
考える方が自然でしょう。
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同じルーツの太鼓なのに、一方では阿波踊り。一方では毛馬内の盆踊り。
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イチオシ
そんな風に進化していても決しておかしくはないと思います。
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さて、踊りの方も始まりましたよ~
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こもかむりをした一団。
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ドドーン、ドドーン。
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ピーヒャッヒャ。
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イチオシ
ドドーン、ドドーン。
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ピーヒャッヒャ。
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イチオシ
同じリズムをしっかりしっかり確かめる。
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単調な繰り返しのようですが、
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なんでしょうねえ。
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そこには、それぞれに踊り手の思いがこもる。
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ドドーン、ドドーン。
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ピーヒャッヒャ。
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ただ、重心を移すスムーズさと
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指先のきれいさ。
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そうしたところは、ちょっと踊り手によって差が出るかな。
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まあまあ、リズムに乗っているだけじゃなくて、
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やっぱり、
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切れもないとね。
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リズムが遅い分。
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適当に合わせる?だけでは、美しくは見えないような気もします。
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ただ、撮影時間は限られているし、
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とにかく、撮りましょう。
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この雰囲気は
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たくさん撮って
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その中から感じてもらうしかないとないようですからね。
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決めのポーズみたいなところがあって、
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そこをうまく収めたいんですが、
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うーん。
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これはどうかな。この指先はどうですか。
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ただ、スローなようでも。
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動きは止まるわけではない。
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イチオシ
指先まできれいに撮るのはかなり難しいです。
一応、これが今回のベストショットです。 -
その後のこの動きも
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この動きも
手の指の美しさがあるんですが、全然、写ってないですよね。残念です。 -
でも、そこは雰囲気、雰囲気。
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心の目で
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ご覧いただけると
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うれしいです。
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さて、大の坂踊りから、
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甚句。
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そして、最後のじょんがら。
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なんとか一通りを拝見して、
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無事に終了することができました。
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ありがとうございました。
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皆さんも、お疲れ様です。
さて、今夜の宿は大湯温泉。ここからまた車で向かわないといけません。 -
ところで、十和田南駅の周辺で宿を探しましたがなかなか見つからない。この辺りだと宿泊をするならやっぱり大湯温泉なんですね。私はこの花海館に宿泊しましたが、他にも宿はけっこうある。市街も通りに沿ってけっこう長く続きます。つまり、かつては盛岡藩の保養地。盛岡と鹿角を結ぶ来満街道の宿駅でもあったという歴史。十和田南駅からは離れていますが、そういうことだったんですね。
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花海館は、ちょっと古めかしい和室に、
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岩風呂の湯。湯は、ちょっと熱めで単純泉に近いかな。大湯温泉は、開湯800年の歴史ということでしたが、あんまり特徴はないように思いました。
明日は、岩手に戻って、二戸の方を回ります。
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