2019/08/22 - 2019/08/22
2位(同エリア77件中)
- #歴史・芸術
- #温泉
- #緑風荘の座敷わらしの由来
- #緑風荘宿泊記
- #街歩き
- #街道歩き、一里塚、一戸、二戸
- #金田一温泉立ち寄り湯巡り
- #金田一温泉郷周辺風景
- #鉄道・バス
- #青い森鉄道といわて銀河鉄道
関連タグ
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記843冊
- クチコミ41172件
- Q&A回答431件
- 6,834,976アクセス
- フォロワー687人
今回の旅の最後は、二戸を訪ねます。盛岡からいわて銀河鉄道で、1時間ちょい。近いようで遠くて、これまで行けてなかったんですが、岩手県内の探訪ではやはりここも外せない。南部氏のルーツを確認できる場所の一つなんです。
ところで、南部氏というのは、もともとは三戸南部氏を中心とした八戸氏、九戸氏、櫛引氏、一戸氏、七戸氏ら南部一族による連合体。三戸南部氏の当主信直が南部氏宗家としての地位を公認されたのは、秀吉の奥州仕置きの後です。以降、有力一族であっても、宗家の家臣となるのですが、これに異を唱え反旗を翻したのが、信直と宗家の跡継ぎを争っていた九戸政実。
これは、九戸政実の乱と呼ばれ、舞台となったのが、二戸に残る九戸城です。鎮圧に向かったのは、奥州再仕置軍。豊臣秀次を総大将に率いられた3万の兵に、徳川家康以下、上杉景勝、大谷吉継、前田利家、前田利長、石田三成、佐竹義重ほか。伊達政宗、最上義光も指揮下に。さらに、蒲生氏郷や浅野長政と合流し、総勢6万の兵が九戸城を囲みました。一般には、小田原の戦いが戦国時代が終わりとされていますが、この戦いが実質的には戦国時代の終わりという考え方もあるようです。
ただ、戦いは助命の約束で降伏開城させた政実方を裏切り、城内にいた者は女子供もすべて皆殺し。おぞましい結末だったこともあり、歴史の中でも積極的に語られることがなかったようです。
その後、九戸城は蒲生氏郷によって改修され、南部宗家の本城となる。1591年(天正19年)、南部信直は、三戸城からここに居を移すことになりました。 ただ、 蒲生氏郷や浅野長政より九戸では北辺に過ぎるとの助言を受け、1598年(慶長3年)には、盛岡城の築城に着手しています。
天下統一の新しい時代に対応できず、滅びていった九戸氏。広大な縄張りの九戸城址を訪ね、みちのくの悲しい歴史をまたひとつ知ることになりました。ここも、やはり岩手のルーツとしては外せない場所だったかなと思います。
-
今日は、一泊した大湯温泉から、盛岡経由で今日のメインの二戸に向かうのですが、鹿角でもう少し気になるところが二つあって、早朝にそれをチェックします。
まず訪ねた錦木塚伝説公園は、十和田南駅からほど近く。 -
何でもないような公園の一角に、
-
錦木塚という塚がありまして。
この錦木というのは、かつて男女の恋文の役目を果たした鹿角地方の風習。五色に彩った一尺ばかりの木枝を束ねたものを恋する人の家の門口に立て、相手がこれを受取れば愛を受入れたことになったというものなんですね。
この塚は、それにまつわる悲恋の二人を弔う塚。 -
イチオシ
「錦木塚物語」という伝承があって、その資料館もありました。
-
錦木を売り買いしている黒沢万寿(まんじゅ)という若者。政子姫という美しい娘に恋をして、三年の間、毎日、錦木を女性の元に立て続けるが思いはかなわず行き倒れる。しかし、理由があって思いを受け入れられなかった女性もその後を追って命を絶つ。
-
もう少し補足すると、政子姫が思いを受け入れられなかった理由は、五の宮岳に住む子どもをさらうという大鷲よけに、鳥の羽を混ぜた布を織っていたというのですが、その満願成就の最後の最後も父から受け入れることを禁じられてしまったんですね。
-
政子姫の父は二人を手厚く葬ったのですが、その悲しみはいかばかりだったことか。後々の世まで多くの人の共感を呼んで、魅了する伝説となっていったことを知り、私もちょっと胸が熱くなりました。
-
能因法師の「錦木はたてなからこそ朽にけれ けふの細布むねあはしとや」
金田一京助から錦木塚の伝説を聞いた石川啄木の「鹿角の国を懐う歌」
世阿弥の晩年の謡曲「錦木」
素晴らしい思いが積み重なった歴史です。う~ん。朝からテンション上がりますねえ。 -
そして、二つ目は大日堂。
鹿角市には、国指定の重要無形民俗文化財が三つあって、花輪ばやしに毛馬内の盆踊り。そして、この大日堂舞楽。行われるのは毎年正月二日なのですが、そうじゃなくても行ったら解説資料とかがありますよということでここも訪ねてみました。
大日堂は緑の屋根の堂々たる構え。 -
イチオシ
大きな内部空間に舞楽の舞台があり、舞楽の写真もたくさん展示されていました。ちょっと神楽みたいな感じですね。
-
始まりは、養老二年(西暦718年)。元正天皇の勅命により、大日堂が再建された際の落慶式礼で都から行基が遣わされる。その際の舞楽が里人によって伝承されてきたということです。
-
ただ、舞楽も素晴らしいですが、この建物も伝統の重み感じる迫力がある。やっぱり一見の価値があると思います。
-
鹿角花輪駅から「みちのく号」で盛岡まで。盛岡では、二戸に向かういわて銀河鉄道の乗り換え時間を利用して、早めの昼飯にしたいと思います。
予定していたつぼ半は、盛岡市街の街の中華屋さん。盛岡駅から少し歩きますが、人気のようなので頑張って行ってみました。 -
イチオシ
平日のお昼でしたが、お客さんが次々やってきてすごい人気。私は、炒飯をいただきました。
なるほどー。炒飯の粒々がはっきり立っていて、これはうんまあい。盛岡は冷麺にわんこそばもうまいですが、ラーメンも和菓子もすごいんですよ。そのレベルの高さをこれでまた思い知ったような気がしました。 -
そして、盛岡駅から二戸駅は、一時間ちょっと。ちなみに、二戸から八戸が40分ですから、二戸は盛岡よりも八戸の方が近い。そういう位置関係です。
二戸駅ビルがけっこう立派。駅ビルに入った二戸広域観光物産センターは、商業ビルを含む総合施設です。 -
二戸の市街は商店街とかもないし限られますが、この施設は規模が大きいし、売り場もかなりの充実ぶり。観光案内みたいなところも悠々としていて、街の寂しさを全部補っているような存在感かもしれません。
-
さて、駅を出て、まず目に飛び込んでくるのはこの景色。二戸の市街を二つに分断するように流れているのは馬淵川です。
本当に市街を真っ二つに分断していて、変わった街。こんなところで暮らしたら、暮らしにくくないのかなあと心配になるくらい。目の前のところに行くのにすべて大回りしないといけませんからね。 -
ということで、二戸駅からその馬淵川を渡って。二戸市埋蔵文化財センターは、九戸城に行く前に立ち寄ります。
-
展示のメインは、
-
やっぱり九戸氏や九戸城の関係。
-
中世がこれで終焉を迎えたという九戸政実の乱やその時代の周辺事情。
-
南部氏と九戸氏の関係、秀吉の奥州仕置きとかも詳しい解説がありました。
-
また、縄文時代の遺跡なんかも豊富。そんなところも東北らしい感じかな。
-
例えば、この遮光器土偶も東北地方からよく出土する縄文時代晩期のものですね。
-
そして、いよいよ九戸城跡へ。入口にちょっとした事務所みたいなのがあって、ちょこっと拝見しましたが、展示はごく簡素なものです。
-
九戸城は戦国時代の最後の戦いとなったといわれる九戸政実の乱の舞台。九戸政実は南部一族の有力者だったのですが、宗家に歯向かう反乱を起こしました。
この鎮圧に向かったのは、宗家の要請も受けた奥州再仕置軍。豊臣秀次を総大将に率いられた3万の兵に、徳川家康以下、上杉景勝、大谷吉継、前田利家、前田利長、石田三成、佐竹義重ほか。伊達政宗、最上義光も指揮下に置き、さらには、蒲生氏郷や浅野長政と合流し、圧倒的な兵力差の総勢6万の兵が九戸城を囲む。
ところが、助命の約束で降伏開城させた政実方は裏切られ、城内にいた者は女子供もすべて皆殺しとなる。そのおぞましい結末から、以降、歴史の中で積極的に語られることはなかったというほどむごい戦いだったようです。これも南部藩の負の歴史の一つなのかなと思います。
余談ですが、信長に比べて明るいイメージの秀吉で陰惨な戦いは朝鮮出兵くらいかなという人は多いと思いますが、ここで思い浮かぶのは雑賀・根来衆を始めとする紀州攻め。島津を標的にした九州平定や長宗我部を標的にした四国平定と違って、10万の兵力で土着勢力を撫で切りにした感のあるこの戦いは、地元に秀吉への深い恨みを残しました。真言宗智山派なんかはその典型。秀吉には恨み骨髄ですから、家康はそれをうまく利用して、関東では多くの寺がありますね。京都の智積院には長谷川等伯。久蔵父子が、秀吉の子で夭折した鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺に描いた障壁画がありますが、たぶん豊臣家を慕う気持ちとは逆の思い。分捕り品くらいのつもりだと思います。ですから、秀吉親派が多い関西にあって、徳川御三家の一つを和歌山に置いたのは絶妙の判断だったのではないかと私はひそかに思っているところです。 -
建物や石垣は残っていませんが、それでもあちこちを歩くと周囲を崖が囲む大規模な天然の要害であるこ事務所の正面の山の上が本丸なんですが、切り立った崖が侵入を防いでいて直接は行けません。
-
私は、右手の方から回ることに。
-
湿地みたいなところを進みますが、
-
左手にはどこまでも崖が続いている。これなら、確かに石垣なんかなくても全然大丈夫です。
-
さて、本丸の方に入ってきました。崖に囲まれているし、大したことはないだろうとタカをくくっていたら
-
この運動場のような広さはなんでしょうね。
-
さすがに6万の軍勢には対抗できないかもしれませんが、誰でもかかってこいとそれなりに自信を持つのは分からなくはない。
-
イチオシ
曲輪と曲輪の間の堀もそれなりだし、
-
雄大な気持ちになる城です。
-
今度は反対側の方から降りましたが、草いきれがすごいですね。この日も作業をしている人がいて、大事に守られていることには感謝の気持ちもわいてくる。なるほど意味ある史跡だと思います。
これも余談ですが、こうした雄大さを感じる城だと島原の乱の原城も最たるものかな。ここのさらに二回りくらいは大きくて、34千の軍勢で12万の幕府軍を迎え撃っています。最後の皆殺しとかも含めて、ちょっと似た感覚があるような気もします。 -
九戸城から二戸駅に戻りつつ。
丹市パンは、二戸の名物パン屋さん。
盛岡にフクダパンというビッグネームがありますが、大きく言えばここもその系統かな。 -
イチオシ
しかし、ここのパンは最初は柔らかくてふわふわだけど、最後はしっくりした歯ごたえがあって、その歯ごたえが絶妙。柔らかくても基本的な粘りがあるんでしょうね。
-
このパンにいろんなのを塗ってもらうんですが、私はアンズジャムと、ミルクというのは生クリームみたいな感じかな。その二つを塗ってもらいました。
-
しかし、それがなんというか最高にうまい。フクダパンの追従をも許さない圧倒的なうまさ。私的には東京だと中平パンが最高ですが、それも突き抜けてしまったかな。この驚異のうまさは他では決して味わえない、驚異のうまさだと思います。
-
続いてやってきた二戸市シビックセンターは、二戸の市街には不釣り合いなくらい巨大な箱物施設。
館内には福田繁雄デザイン館、田中舘愛橘記念科学館もあったり、とにもかくにもの複合施設です。 -
一階部分には、地域情報センターという地元の祭や生活・文化を解説する人形などを使った展示コーナーもあって、
-
これもなかなか見ごたえがありまして。
-
この祭りの人形たち。
-
祭のにぎやかさがリアルに伝わってきますよね。
-
地元の生活や文化の展示も
-
なんだかそれぞれが美しい。
-
地元の古い道具なんかを集めてきて展示しているのはよくありますが、こうして作品にする方が何か伝わるものがあるように思います。
-
最後に福田繁雄デザイン館の方も拝見。日本を代表するグラフィックデザイナーだそうですが、ちょっと現代アート的な匂いもあって、玄関のモナ・リザの作品ももしかしたら、福田繁雄の作品かもしれません。
-
さて、ここでもうひと頑張り。二戸駅から金田一温泉の方に移動します。
金田一温泉は、座敷わらしに会えるという宿、緑風荘のある温泉です。金田一温泉駅から歩きましたが、駅からはけっこう離れた場所。 -
どれくらい歩いたでしょうか。田んぼの中を延々と歩きました。
-
ただ、調べていた大型の日帰り温泉がなくなってしまっていて、これは困った。仕方がないので、日帰り温泉をやっている宿を探します。これはどうかな。よさそうな感じだったのですが、時間が合わなかったよう。
-
さらに奥に進むと、あー。ありました。スパドーム。これは一番リーズナブルな施設じゃないですか。銭湯に毛の生えたような感じの手軽な温泉施設ですが、湯量はさすがにかなりの豊かさ。ゆったり漬かって、すっかり温まりました。
-
イチオシ
先ほど触れた座敷わらしが出るといわれているのがこの緑風荘。ちょっと怖いもの見たさみたいな気持ちで訪ねてみます。
温泉集落の一番奥の方。 -
そして、敷地内に入っていくと。。
-
古い家屋を想像していましたが、そうではなくてどうかすると藁ぶき屋根を模したリゾートホテルみたいなおしゃれな外観。
-
玄関からのエントランスも近代的だし、ちょっと驚きました。やっぱり、部屋を見ないと伝説の感じは分からないのかもしません。
-
本館の前には金田一京助の歌碑もありました。これも座敷わらしと関係があるのかな。そこはよく分かりませんでした。
さて、金田一温泉はこれでおしまい。金田一温泉駅から盛岡駅まで戻りましょう。 -
東京までの帰りの新幹線までの待ち時間に。
晩飯は寿々苑。フェザン南館の地階の老舗の食堂が軒を並べた場所です。ここはどこも良くて粒揃いなんですが、そういえばここはまだ行ったことがなかったなあと気が付いて今回訪ねた次第です。 -
いただいたのは、当然、盛岡冷麺。辛さを5段階から選んだり、キムチが始めからすべて溶かし込んであるのは特徴かな。そして、味も期待した通り一級品。麺のシコシコ感やスープのキレの良さとか、オーソドックスな盛岡冷麺のうまさをこんなに手軽に堪能できました。
-
食後のデザートは松栄堂。このお店は、実は一ノ関のお菓子屋さんなんですよね。
盛岡のフェザンにきれいな店舗を出していました。 -
きれいな色合いの薄皮まんじゅうを一ついただいて、列車のお供にしました。餡子の甘さがなんか華やか。やっぱりちゃんと個性があって、さすが老舗だなあと思いました。
さて、これで五日間の旅は終了。あとは一路東京まで。お疲れ様でした。
この旅行記のタグ
- #歴史・芸術
- #温泉
- #緑風荘の座敷わらしの由来
- #緑風荘宿泊記
- #街歩き
- #街道歩き、一里塚、一戸、二戸
- #金田一温泉立ち寄り湯巡り
- #金田一温泉郷周辺風景
- #鉄道・バス
- #青い森鉄道といわて銀河鉄道
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- heizaemonnさん 2020/05/24 08:24:09
- 九戸政実のこと
- ちょうど、昨日、九戸政実を描いた「天を衝く」(高橋克彦著)全3巻を読み終えたところでした。秀吉に東北で最後の抵抗をした男。面白く、ドキドキする小説でした。きっと最後の籠城をした城跡もどこかに残っているんだろうなぐらいに思っていた時に、たまたま、このブログに出会いました。城跡があるんだと。旅の目的地がまたひとつ増えました。ありがとうございました。
- たびたびさん からの返信 2020/05/27 20:42:02
- RE: 九戸政実のこと
- 「天を衝く」ですか。貴重な情報ありがとうございました。
全国的には無名だと思いますが、何かを持っていた人物なんでしょうね。
南部藩というと、津軽為信に独立されてしまったり、私としてはちょっと間が抜けたイメージもありまして。。一族内の抗争の方にエネルギーを費やしてしまったことも残念でしたね。
今でも県民のアイデンティティは、石川啄木と宮沢賢治。南部氏なんて、ほとんど意識はないかもしれません。本来は、島津氏なんかと同じくらい長い歴史がある名家なんですけどね。ただ、今回は政実の乱を知って、少しイメージが変わったのは収穫だったかなと思います。
たびたび
-
- しにあの旅人さん 2020/05/19 15:55:39
- こんにちは
- 九戸政実のことは全く知りませんでした。「ここのへ」と読むのですか。あまりに中央から離れていたので、当時の秀吉の実力が分からなかったのでしょうか。
今は全くパソコンゲームをしませんが、30年以上前PC98なる懐かしいパソコンで、「信長の野望」なるゲームに没頭したことがあります。ハードディスクなし、数枚のフロッピーをガチャガチャと入れ替えるというシロモノ。
これで全国制覇を狙う大名を選べるのですが、南部氏でやったことがあります。とにかく京都が遠くて、全国制覇どころか、津軽からほとんど出られない、すぐやめました。多分、当時の状態をかなり正確にシュミレートしていたんじゃないかと思います。
青森が戦国時代最後の戦さだったのですね。九戸政実が天下の実勢を知っていたら、チャレンジすることはなかったでしょうね。
貴重な情報をいただきました。
- たびたびさん からの返信 2020/05/27 20:22:24
- RE: こんにちは
- 信長の野望って、聞いたことあります。内容は知りませんでしたが、自分好みの武将を選んで天下統一を目指すってことですか。なるほど、楽しそうですね。でも、九戸(くのへ)政実では、天下統一はちょっと無理かな。東北なら、伊達政宗ならまあまあ可能性があるかもしれませんが、せいぜいそんなところですかね。
いずれにしても、面白い情報ありがとうございました。
たびたび
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
二戸・一戸(岩手) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
62