2018/11/24 - 2018/11/24
2位(同エリア118件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記841冊
- クチコミ41172件
- Q&A回答431件
- 6,777,274アクセス
- フォロワー687人
この旅行記スケジュールを元に
別子銅山産業遺産の観光は、マイントピア別子から始まります。
マイントピア別子からトロッコ列車で向かう、といっても歩ける距離ですが、端出場ゾーン。そこからシャトルバスで30分はかかる山の上の東平ゾーンの二つで構成されている一帯。東平ゾーンは、シャトルバスを利用しないでマイカーでも行けますが、道は細くて崖に面した道。あまりお勧めはできません。それにシャトルバスだと現地でボランティアガイドさんがちゃんと案内してくれるし、やっぱりこっちがお勧めです。
ところで、別子銅山の成功が住友家発展の基礎となったことはよく知られるところですが、そもそも銅はどのような存在だったのか。江戸時代の貨幣の中心は佐渡金山を始めとする金と銀。銀の方は生産技術の発展もあって石見銀山、生野銀山等、慶長から元和年間にかけて最盛期を迎えますが、生糸の購入等で金銀は国外に大量に流出。貨幣用としての量まで不足してくると、幕府は今度は元禄年間に世界一の産銅国となるなど増産が目立ってきた銅に目をつけ、大坂銅吹屋という機関を使って全国の銅山から産出した荒銅を大坂に集積し、統制管理。国外への支払いは銅を奨励することになります。
住友家はこの大坂銅吹屋の筆頭。ちなみに、大坂銅吹屋は、南蛮吹により少量含まれる銀を分離し精銅を製造するという技術を持った集団。その中でも住友家は、寛永13年(1636年)、長堀茂左衛門町に移転した最盛時、銅の3分の1を取り扱っていた筆頭です。別子銅山もどちらかというとその位置づけから押し付けられた面もあるようで。別子銅山請負稼行認可は、4代目住友友芳に対する幕府の命令で、元禄4年(1691年)のこと。以降、住友家の永代請負となり、閉山の昭和48年までの282年間に渡り、通算約70万トンの銅を産出。住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となりました。
ちなみに、振り返ってみると鉱山、炭鉱を訪ねる旅もけっこう重ねてきました。北からだと、小坂鉱山、常盤炭田、足利銅山、生野銀山、石見銀山、宇部炭田。九州だと飯塚、直方、田川の筑豊炭鉱から北九州の火野 葦平の世界に、万田坑跡の大牟田、三井三池炭鉱。資源小国と言われる日本ですが、なんと鉱山が多いことか。今はすべてが閉山していますが、その原因は資源の掘り尽くしだけではない。採算性も大きな原因。例えば、極端な円安となれば、採算性が復活するものもなくはないんですね。ただ、それで逆戻りできるかというとそうではない。過酷な労働条件に身を置く労働者はもう日本にはいないでしょう。そして、円高の進行で、実は想像以上の産業の構造転換が進んできたのが日本。敢えて付言すると、そのことで結果的に公害をまき散らす産業が海外に移ったのも大きい。日本は公害対策の技術が進んだことも事実ですが、円高により、そうした産業が根こそぎ後進国に移っていったことで公害が解消された面がもしかしたらより大きいことも事実です。
横道に入ってしまいましたが、これまで鉱山・炭鉱で課題となっていたのは、北海道の炭鉱、佐渡の金山、それとここ。そういう意味で今回は満を持しての訪問です。
-
イチオシ
今日は、住友家のルーツ別子銅山跡がメインなんですが、お昼前のシャトルバスを予約しているので、それまでの間を利用したりして、新居浜の市街周辺も訪ねます。
早朝、まず向かった池田池は国道11号線で新居浜市街を東に抜けてすぐ。国道には入口の標識があるので助かります。
この池は、天平勝宝8年(756年)の記録にも残るという古池。堤防から眺めるとけっこうな規模じゃないですか。ちょうど、この時期はちょうど池の水抜きをやっていて、池の底が現れていました。 -
これは堤防部分ですが、さらに進んだ周囲は穏やかな景色の公園となっています。
-
続いても公園。
黒島海浜公園は、新居浜市街中心部からは少し距離がありますね。 -
駐車場から、丘を越えるようなかっこうで公園を抜けると海が見える。
-
正面沖合いには瀬戸内海の小島が見えたりもしていますが、これといった景色のアクセントはないような。だらんとした印象しかない公園です。
-
海岸部を移動して、今度はマリンパーク新居浜。たくさんのコンテナが並んで、フェリーにも乗船する新居浜港の岸壁を抜けた先の方。
-
イチオシ
芝生の広場が現れて、広々とした公園。かなりよく整備されています。
キャンプ場があって、その芝生の広場をそのまま利用したもの。思い思いにテントを張っていて、これなら安全だし、何の問題もなし。近くに管理棟もあって、それも心強いと思います。 -
一方、そのまた先の海辺には、堤防でしっかり守られたこの人工海浜が造られていて、何とも至れり尽くせりの感。立派なビーチバレーボールのコートまでありました。
-
ここからは、また新居浜市街の中心部に戻りましょう。その途中。
パン工房 ルバンは、ロードサイドの老夫婦がやっている小さなお店。正直言えばあんまり目立たない感じです。 -
いただいたのは、クリームパン。丁寧に作られてはいますが、うーん。コメントとしては柔らかいというだけかな。今の流行でもないように思います。
-
再びの公園で、これは滝の宮公園。新居浜市内に整備された風致公園。
-
昭和31年に開設された公園なので、そんなに歴史はないのですが、大池の周囲に植えられた桜の木なんかはけっこう大木となっていて、すっかり落ち着いた感じ。
-
穏やかな水辺の景色を見ながら散策している人が大勢いて、市民に愛される公園であることが感じられました。
-
ちょっと、マイナーですが。
萩岡神社は、中萩駅近く。国道11号線からこんもりした神社の山が見えているのですが、地元の人に聞いてやっと分かりました。 -
国道から線路を越えて、坂を上ると本殿のある境内。
-
特に観光スポットということでもなくて、地元の鎮守ということくらいしか分かりません。
-
さて、続いてはいよいよ別子銅山関係のスポットです。
旧広瀬邸は、幕末から明治の動乱期、住友の経営難などから別子銅山を守り、その近代化に尽くした広瀬宰平の邸宅。新居浜市街中心部から少し離れた小高い場所に広々とした敷地を有します。 -
駐車場から邸宅入口へのアプローチは公園のような丘を越えていく順路。もうそこからして、独特の雰囲気が漂います。
玄関から見えるこの池だって、普通の邸宅では考えられない悠々としたものですよね。 -
敷地内には、広瀬歴史記念館というのもありまして。たまたま休館日でしたが、
-
この建物自体が明治時代に作られた国の重要文化財の建築物であり、見どころ。海へ船出する船をイメージしたデザインで、周囲は石垣の塀と芝生の広場。先ほどの池に向かってせり出したロケーションと併せて楽しめます。
-
邸宅内は和風の建築群が心地よく配されて、外部と隔絶された世界が広がります。
-
イチオシ
明治22年に完成した旧広瀬邸ですが、奥に造られた旧広瀬氏庭園は、接待館として用いられた新座敷から眺める庭園。
-
大阪の庭師、植木屋清兵衛の手による回遊式庭園です。
-
芝生から奥の池と築山の部分までにはたっぷりのスペースがあるのが特徴で、ゆったりと心を和ませる工夫だと思います。
-
建物と庭の調和がとても素晴らしい庭園です。
-
別子銅山に向かう前。最後に訪ねたのは、山根公園。旧広瀬邸から別子銅山の方に向かった新居浜市街の端っこ。
-
中央の芝生の広場は運動場と思えるほど広いし、たぶん、新居浜では最大の公園。通路の幅も広いし、駐車場もかなりの台数が置けるでしょう。テニスコートなども備えています。
それにしても、新居浜の公園は、どこに行っても荒れた感じがしない。市の財政もけっこう安定しているのかもしれません。 -
別子銅山跡の見学は、このマイントピア別子から。
新居浜市街からだと車で20分くらいと意外に近いです。
例の日本のマチュピチュと呼ばれる東平ゾーンへは、ここからシャトルバスを利用することになりますが、私は予め予約をしているので慌てることはない。 -
さて、ここの施設は道の駅みたいに賑やか。
-
お土産物や簡単なレストランがあって、普通に楽しめます。
-
カニ汁をやっていたので、
-
一杯いただいて、ちょっと落ち着きました。
-
時間が来たので、マイントピア別子から東出ゾーンに向かうシャトルバスの乗り込みます。
-
ここから、別子ラインをさらに進むことになる。
-
新居浜市街からマイントピア別子まではなんということはなかったのですが、
-
そこから先のシャトルバスは深い峡谷を縫うように崖路に入っていく。
一気に山岳地帯に入ってきたという感じ。四国山脈は険しくて、一気に山岳地帯に入るというこの感覚は独特。他の地域ではあまりないものです。 -
遠くに滝が見えたり、紅葉の季節でもありましたが、
-
そんなことより、この急峻な地形を走る道自体がドキドキものでした。
マイカーで乗り入れている観光客もいるんですが、やっぱりそれは避けた方が無難かと思います。 -
マイントピア別子の東平ゾーンに到着して。
シャトルバスに同乗していたボランティアガイドさんが案内をしてくれます。なんといっても滞在時間が限られるので、効率よく見て回らないといけません。
まずは、東平歴史資料館へ。 -
施設を入ってすぐに別子銅山産業遺跡全体の模型があって、端出場ゾーンと東平ゾーンの位置関係や山の間に走っていた鉄道の路線などが確認できます。
-
ただ、展示はやや雑駁。
ボランティアガイドさんは鉄道敷設の先進性を力説していらっしゃいましたが、これですべてが分かるといった感じでもないように思います。 -
小マンプと呼ばれる頑丈そうなトンネルを抜けますが、
-
銅山で使われていた輸送用の車両。人を運んだ車両に
-
発電機みたいなものとか。
今の感覚でいうとちっちゃな感じです。 -
開けた場所に出るとその先が展望台。
-
イチオシ
眼下には、例の東洋のマチュピチュと言われる山あいに築かれた煉瓦の遺構の風景が現れます。
遺構は東平選鉱場跡。花崗岩で作られた貯鉱庫と索道停車場跡。坑道で掘られた鉱石は鉄道でここに運ばれました。 -
その先はるかに見えているのは新居浜市街。瀬戸内海にも続いています。ここは標高750m。これだと街の夜景もはっきりと見えるのではないかと思います。
-
イチオシ
角度を変えて、真裏からの眺め。
ただ、この写真ではイマイチ迫力は伝わらないかもしれません。 -
別子銅山産業遺跡を見下ろす東平ゾーンの展望所から正面に見える山は銅山峰。高山植物ツガザクラが群落していて、それが国天然記念物となっています。後で見ごろの時期のパネルを見ましたが、山全体がピンクに染まっていて、なかなか見事。花の時期ではないと普通の山にしか見えませんでしたが、それを知って見るとまた印象が違ってくるように思います。
-
ボランティアガイドさんはここでも再び鉄道の説明。
透明なパネルには、これを透かすとかつての鉄道の位置が分かるようになっていて、いかに急峻な地形に鉄道が造られたかが確認できます。 -
この写真もちょっとすごいですよね。
-
旧保安本部のマイン工房。
-
東平ゾーンの四季を撮った写真の数々。
-
先ほど触れたツガザクラが見事です。
-
これはマイン工房から見下ろす現在の駐車場。
かつて、一帯は小学校もある町だった場所。限られた土地ですが遺構を上がり下がりして回ると、当時の生活がどんなものだったか少しづつ実感できるような気がしました。 -
いずれにしても、大正5年から昭和5年までの間、ここに別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅や小学校、劇場に接待館が建てられるなどして、人口4,000とも5,000とも言われる大変な賑わいがあったという場所。その後、鉱山が休止されるのは昭和43年です。
-
最後は、ここからさっきのマチュピチュ、貯鉱庫の方に降りてみます。220段の石段です。
-
一番下まで降りて、貯鉱庫を正面から見上げると
-
まさに巨大な壁。丁寧に積み上げられた黒い石は瀬戸内海から運ばれた花崗岩ということでした。
-
これは壁の前に残る東平索道停車場。索道は、東平と端出場を結ぶ主要輸送機関。
-
中を覗くとそれらしい跡がまだ生々しく残っています。
-
中腹に上がると
-
イチオシ
煉瓦の柱。
花崗岩の石垣との組み合わせに産業遺産としての迫力を感じます。当時は、ここに屋根が付いていたのかなあ。ちょっと想像がついていかないのがもどかしいところです。 -
再び、上へ上へと戻っていきます。
-
途中でまた
-
ふり返るとこんな感じ。ここでもなかなか全景を捉えるのは難しいですね。
-
東平ゾーンからマイントピア別子に帰る途中。道のすぐ脇に見えてくるのが別子ダム。
工業用水、発電を目的として、昭和40年に竣工。事業者は、住友共同電力です。
小女郎川に建設されたこのダムによってできた人造湖である別子の湖はけっこう大きくて、奥が深い。道沿いしばらくの間、景観を楽しめるので、別子ラインの見どころの一つでしょう。 -
マイントピア別子に帰ってきて、こちらで改めて端出場ゾーンを拝見します。
マイントピア別子の建物からトロッコ列車に乗って出発。 -
トロッコ列車から降りて少し歩くとこの坑道の入り口です。
-
坑道を歩いた後はそのままぐるっと回ってマイントピア別子に戻ってくるというコース。
-
坑道内は、
-
江戸時代の掘削や
-
イチオシ
鉱山での暮らし、
-
精錬の様子などを人形を使って
-
リアルに展示・解説していましたが、
-
距離が短いのであっという間。
手軽な観光と言えばそうですが、期待を大きく持つとがっかりする人も多いかもしれません。反面、子供連れにはとても安全なので、そこは安心です。
それに私の思いはやっぱり冒頭触れたような産業としての解説や住友家での重要性とかの説明がこの後行った別子銅山記念館も含めて、もっとほしいところ。そういう点では、生野銀山とか石見銀山、小坂鉱山などの方が充実していますね。正直、ちょっと残念な気もしました。 -
大山積神社は、新居浜市街から別子銅山に向かうとすぐ。大きな鳥居と山すそに上がっていく立派な石段は道路沿いです。
-
まだ新しい感じの神社ですが、もともとは、元禄4年(1691年)、別子銅山開坑直後に、鎮護の神として大三島の大山祇神社より勧請したもの。境内には、別子銅山記念館もあって、全体が別子銅山関連です。
-
別子銅山記念館は、新居浜市街から別子銅山に向かってすぐの大山積神社の境内。石段を上がったすぐの場所です。
別子銅山の歴史を展示解説していますが、本格的な博物館といった立派な館内。静かな環境で展示品をゆっくりと拝見できます。
ただ、先ほども触れましたが、別子銅山の始まりと住友家の関係のところはさらっとしたもの。もう少し詳しく解説があるとよかったかなと思いました。 -
菓舗むらかみは、ロードサイドの和菓子屋さんですが、大人気なのは別途店頭で販売している今川焼。
-
よぼよぼのおじいちゃんが焼いているんですが、近所のこれもお年寄りが車を乗り付けては大量買いしていきます。
-
私も一ついただきましたが、そこまでのインパクトはないですが、普通においしい。このくらいが飽きが来なくていい加減なのかもしれません。
-
あかがねミュージアムは、新居浜駅そばの巨大な施設。
-
イチオシ
イベントがある時に利用されるのでしょうが、ちょっとした展示室に新居浜太鼓祭りの神輿が展示されていて、それがなかなかの迫力。大きさもあるし、最上部から大きな房を垂らした奇抜なデザイン。
-
これを見れば祭りも見てみたくなるのは当然です。
しっかり私の宿題としてロックオンされました。 -
萩の茶屋は、新居浜の人気そば店。
-
そばって特に新居浜の名物でもないと思うんですが、なんですかあ。ここのそばはとんでもないうまさ。そばの香りにほどよい細さの抜群のキレ。出汁のさっぱり感もすごいし、もう非の打ちどころがありませんね。山形でも、長野でも、これなら決して引けを取ることはないでしょう。恐るべしのお店です。
-
別子飴本舗は、大きく言えばママの味、あのミルキーの飴に近いでしょう。
-
イチオシ
ただ、なんでしょうねえ。溶けがそこまでなくて、少しづつ少しづつ。
-
しかし、そこにオレンジや塩味のバラエティー豊かな品ぞろえがあって、それぞれが賑やかに自己主張するので、口が寂しいことはない。もう昔から作ってますとおっしゃっていましたが、これならロングヒット商品であるのは当然かも。けっこうおもしろい名物飴です。
-
永久堂は、多喜浜駅前の人気洋菓子屋さん。店内は活気があるし、さすが品ぞろえも豊富です。
-
いただいたのは、レモンケーキ。スポンジケーキに例によってレモン風味のクリームが乗っていて、うーんおいしいです。しかし、レモンケーキは尾道とかが本場。ここのも悪くはないんですが、こうしてここでいただくと、尾道のレモンケーキのレベルがいかに高かったのかに気が付かされたような気持ちにもなりました。
-
新居浜の一宮神社は、新居浜市街中心部。
-
本殿などまだ新しい感じだし、
-
国の天然記念物という大きな楠木もありますが、第一印象としては、むしろ広い空き地が目立つシンプルな境内。
-
しかし、毎年秋に行われる新居浜太鼓祭りの会場となる神社であり、そのことを考えるとこれでちょうど具合がいいのかなと思いました。
-
新居浜のシャッター通り商店街から
-
銅夢にいはまは、新居浜商店街の裏手みたいなところ。市街中心部です。立派と言えば立派ですが、ぬくもり感もあるような建物。
-
この日は、地元のサークルによる生け花の企画展をやっていました。市民が気軽に利用できる施設のようです。
さて、新居浜は以上で終了。今日の宿は道後なので、これから長躯帰る必要があります。 -
で、その帰りに前半の西条で見落としていたところをチェックします。
西条市観光交流センターは、西条駅のすぐそば。昭和8年に建てられた倉庫を改築した建物。 -
観光案内所と地元の特産品のアンテナショップもあったりしますが、ちょっとした展示室もあってそちらは今工事中でした。
-
ちょっとびっくりしたのは、この湧水。西条は湧水が有名ですが、こんな建物の中にあるのには驚きました。
-
西条市役所十河信二記念館は、これも西条駅のすぐそば。西条市観光交流センター、四国鉄道文化館と併せて、ちょっとした観光エリアとなっています。
-
この記念館は、西条市の名誉市民、十河信二氏の功績を伝えるもの。ちなみに、信二氏は第4代国鉄総裁となり、東海道新幹線の建設を実現した人物。パネルの開設によると国策というよりも国策とすべく、氏が正解を始め強力な運動を行ったみたい。新幹線について、ちょっと認識が変わったように思います。
-
四国鉄道文化館は、その隣り。東海道新幹線の実現に功績のあった十河信二氏ゆかりの地であることから、ここにできた施設。
-
線路の南側と北側に二つの建物があって、
-
それぞれに新幹線や蒸気機関車など列車の保存展示がありました。
-
ただ、それらを見ると改めて四国が鉄道の後進地帯であるという気持ちが湧かなくもない。ちょっと複雑です。
-
あとは、ちょっとマイナーですが。。
禎祥寺は、西条の市街地。ちょっと入口が狭くて分かりにくいかも。
見どころは、境内の観音堂の藤。樹齢400年余りと伝えられ、東西に16m、南北に14mと枝が伸び、見事な藤棚を形成しています。ただ、花の季節ではないと、勢いよく茂っているなというくらいしかない。そこは仕方がないかなと思います。 -
西條神社は、西條東照宮とも。つまり、祭神は、徳川家康に西條藩松平家の初代松平頼純以下、歴代藩主を祀ります。
-
しかし、建つのは町はずれみたいなパッとしない場所。本殿や境内全体もパッとしない感じに見えました。
-
楢本神社は、その隣り。ですが、実はこちらの神社の方が西条の名の発祥地。西条荘守護神として、奈良朝以前に創祀されたとありました。
また、太平洋戦争で人間爆弾となった神風特別攻撃隊敷島隊の隊長、関行男中佐の慰霊碑が建立され、追悼式典が10月25日とも記されていました。小さな神社ですが、なかなか重い内容の神社です。
ここで日没ですね。とうとう東予の旅も終盤ですか。 -
ここで、西条市の観光パンフレットに紹介されていて気になっていた「ももくり三年かき八年」に行ってみます。こちらは、栗を食べさせて育てたという栗豚のお店。
ただ、西条市の中心部からだとけっこう遠い。こんなところに何があるんだろうというような山の中です。 -
お店はログハウス風。
-
イチオシ
バーベキューのセットをいただきました。栗豚の方は見るからに新鮮な感じ。ウインナーやハムが意外においしくて、それもけっこう印象に残りました。
-
そこから、一気に道後に戻って、今夜の宿は、ビジネスホテルさくら。
松山道後の中心部なんですが、風俗街の少し奥まったところにあるので、それが気になる人は気になるかもしれません。
部屋のお風呂の湯舟がとても大きくて、かなりゆったり。すっかり体がほぐれました。
なお、レンタカーを駐車場に止めさせてもらいましたが、ちょっと離れた場所。しかし、こんな街中でもちゃんと駐車場が確保されているのは価値ありかなと思います。
さて、最終日の明日も早起き。8時のレンタカー返却前の時間を使って、近郊の八十八か所を回るという強引な計画なんですよね。とにかく、早く休みましょう。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
新居浜(愛媛) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
116