2019/07/13 - 2019/07/13
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たびたびさん
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今回の旅は、佐渡の四日間。
ずっと以前から佐渡は課題となっていたところ。金山をはじめ、近年だと人工繁殖の朱鷺。北前船の寄港地、島流しにあった日蓮ほかやんごとなき人々。隠岐の島とはまた違った歴史と文化があって、それを直に感じてみたいと思ったんですね。
島は島であること自体にロマンの匂いがするものなんですが、新潟市内からでも遠望できて、意外に近い島という印象も。「荒海や佐渡によこたう天の川」。芭蕉は、想像してこの句を詠んだのではなく、実際にその目で佐渡を遠望し、その実感を持ってして詠んだのでしょう。島根県人にとっては、隠岐の島ははるか遠い存在なんですが、新潟県人にとって佐渡はそうでもないような。そんなところも、ちょっと確かめてみたいと思いました。
ただ、いつものように網羅的に回るとなると、やっぱり最低でも四日間。レンタカーを駆使してもめいっぱいの旅となりました。天気が今一つで、せっかくの美しい景色が少し色あせていたのは残念でしたが、まあ、それはそれ。自分の目で見て直接体感する佐渡の目的は達せられたかなと思います。
さて、一日目は、両津港を出発して、トキの森、根本寺、妙宣寺、佐渡歴史伝説館、真野御陵といったところ。予め、想定していたテーマの旅がいよいよ始まったなという感じです。
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佐渡島へは新潟港から両津港までのフェリーを利用します。
ということで、まず新潟駅から新潟港までは新潟交通のバス。このバスはフェリーの出航時間に合わせているのでしょうが、ただ、ちょっとのんびり感もなくはない。結果的にさほど時間はかかっていないんですが、これで時間に間に合うのかなあ。あんまり気にせず走っているような感じがしてちょっと焦りました。なお、PASMOも利用可です。
ここは、切符の売り場。乗船待ち合わせのホールなども含めて、フェリーのターミナルは巨大な建物。ゲートで切符をチェックされてから船に乗るまでの通路も圧倒的な広さがあって立派です。 -
さて、佐渡汽船のフェリーの所要時間は約2時間半。時間的には隠岐へのフェリーとほぼ同じです。
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デッキに出て、
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新潟港とお別れ。ここは信濃川の河口。こうしてみると信濃川は本当に大河ですよね。
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二時間半なので、デッキでカモメを眺めたり、2等客室でごろごろしたりしているとどうってことはありません。ところどころにコンセントもあるので、スマホの充電もちゃんとできました。
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ドラが鳴って、外洋に向かいます。
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そして、いよいよ佐渡島が見えてきましたよ~
初佐渡島ですか -
両津港です。新潟港に比べると小さいですけど、これなら十分な規模でしょう。
ちなみに、佐渡島には新潟港~両津港と直江津港~小木港の二つのルートがありまして、東京からだと今回のルートになります。 -
これは観光案内所。まあ、下調べは済んでいるのでちらりと確認しただけで、さっそく両津市街の方へ向かいます。
佐渡島の玄関という意味ではこの周辺が一番賑やかなエリアかなと予想していたのですが、結果としてみると市街がなくはないけど意外にさみしい。今はどうも佐和田の辺りが一番賑やかなんだそうです。 -
どっちにしても、両津港から歩いて訪ねられる観光スポットは限られるのですが、村雨の松はその一つ。両津港から歩いて数分です。
樹高約16m。空に向かってよく伸びた枝ぶりが特徴的。かつて、海上を航海する船の目標にされたのは分かる気がします。名前の由来は、尾崎紅葉。島を訪れた際に、波のしぶきに濡れるこの松を見て、「村雨に濡れる風情あり」と命名しました。 -
幸次郎製菓は、市街の裏通り沿い。「わかめもなか」というのが看板商品。わかめは佐渡島の北部の方で養殖しているようですが、それを使ったもなか。
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餡子にたっぷりわかめが入っていて、わかめの香りが意外に濃厚です。ただ、それが違和感を持つほどではなく、いいバランスになっているのが、このもなかの味噌でしょう。
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これは、大阪屋。新潟県内でもけっこうあちこちで見かけるお店ですよね。ここにもありましたかって感じです。
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いただいたのは、ずんだの餡子のおまんじゅう。すんだの香りがしっかりあって、やっぱり手堅い仕上がりです。
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それから、喜昇堂 両津店は、両津の商店街の中ほど。「フリースペースあすなろ市」と書いた看板のお店の中に売り場がありました。
明日の朝飯の調達なんですが、前日の売れ残ったパンとかもちょろっと置いてあって、まあしょうがないかなという感じでそれをいただきました。それでも、パン屋さんがここにあるということだけでもありがたいと思わないといけないかなと思います。 -
昼飯は、いしはら寿司です。狭い敷地いっぱいにちょっとモダンな建物が建っていますよ~
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海鮮丼をいただきましたが、ここのご飯は酢飯ではなくて白飯。まあ、この方が海鮮の味がよく分かりますからね。一見小さく見えた丼ですが、食べ始めるとなかなかのボリューム。それなりにお得感もあるような気がしました。ただ、出てくるのはちょっと遅いかもしれません。
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今回の旅はフルフルレンタカーの旅。
ネットで情報が多かったアイランドレンタカーを使います。予定より少し早めの時間から借りることになってしまい、それでもちょっとサービスしてくれるかなと期待したのですが。。そこはきっちり超過料金を請求されてしまいました。ネットでは親切心いっぱいのイメージを出してましたが、商売になると妥協は一切なしって感じですね。 -
レンタカーで出発して、加茂湖は両津港からすぐ。というか、両津の市街地は、この加茂湖と日本海の間の砂州上にあるんですね。
日本百景の一つで、青く光る湖面がとても美しい汽水湖です。面積4.85km2、周囲長17kmは、実は、新潟県でも最大の湖沼なんだとか。ただ、広さよりも、やっぱり美しさの方が印象的かなとは思います。 -
続いては、道の駅 芸能とトキの里。標識に気が付いて入りましたが、駐車場は広くても人けがなくて、建物の方もなんだかがらんとしています。もしかして、やってないのかなあという感じ。ただ、向かいに本間家能舞台があるので、ここでいったん駐車します。
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本間家能舞台は、門前に大きな標柱が立っています。
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門から入る時、少し荒れた感じがする屋敷でしたが、ここは、もともとは城主の家柄でもあったという佐渡宝生流家元の本間家。この舞台は明治18年に再建されたものですが、寄棟瓦ぶきのしゃんとしたたたずまい。今でも現役の能舞台のようです。
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ちなみに、佐渡は佐渡に流罪となった世阿弥の影響もあって、能舞台がいくつかあり、それぞれ見どころとなっています。
続いての牛尾神社の見どころも能舞台。草原のような駐車場から、 -
杉木立の参道を丘の上に上っていくと、
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思いがけずの
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広い敷地を持つ神社が現れます。
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この神社は、出雲大社から大国主命などを勧請して8世紀後半に建立された古い歴史。
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その境内に建つ能舞台がこちら。
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イチオシ
ちょっと風雪に耐えた感もありますが堂々とした本格的な構えですね。
なるほど。佐渡でも三本の指に入る能舞台のようです。 -
そして、今日のハイライトの一つ、トキの森公園へ。佐渡島に来たら、ここは定番スポットですよね。
広い駐車場には大型バスがやってきたりして、この日もそこそこの賑わい。園内も緑が豊かで広々。メインは朱鷺ですが、落ち着いた公園としての魅力もあると思います。 -
ケージ内で飼育されているトキを間近に観るだけでなく、これまでの保護活動を幅広く紹介する展示施設です。
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トキの森公園にある佐渡のシンボル、トキに関する総合的な施設がトキふれあいプラザ。
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最後の日本産のトキ、キン。
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こっちは、ギンだったかな。はく製もありますけど、
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イチオシ
ただ、朱鷺の特徴である鮮やかな朱鷺色は、朱鷺が羽を広げて初めて見える色。その色は、こうしたパネル写真じゃないと確認することはできません。
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最後のお楽しみは、トキの森公園売店。こちらのエダマメソフトが名物なんですが、
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佐渡の特産枝豆を使ったソフトクリーム。枝豆の青臭い感じも想像していましたが、そんなことはまったくなくて、少し青い色合いとさわやかな甘さがいい感じ。ちょっとした佐渡の思い出にもなりそうです。
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ここからしばらくは寺社巡り。
根本寺は、日蓮ゆかりの寺。流罪となった日蓮が建てた三昧堂が始まりで、日蓮宗の霊跡に数えられる名刹です。 -
三昧堂は、境内入ってすぐ。
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日蓮が他宗の僧と問答(塚原問答)を戦わせたりした場でもあります。
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堂内の拝観もできまして、
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イチオシ
色鮮やかな装飾天井や
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イチオシ
内陣の天女の絵とか。はっとするくらいの美しさがありました。
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これは戒壇塚。日蓮が住んでいた場所に築かれたもの。「日淨上人此の地に於て、親しく本門大戒を受戒されたるを以てなり。」とされています。
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なお、境内はこれだけではなくて、広々として奥も深い。二王門は、
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仁王門かな。
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さらに二天門をくぐって、奥に続く。
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二天門からの正面の
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祖師堂は
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一段高い場所。
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振り返ると太鼓堂に
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本堂やその他の堂宇が29棟もあって、どれが大事な建物なのかわからなくなるくらい。
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一応順路もあるのですが、
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迷いそうなほど。意外な感覚がありました。
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続いては佐渡清水寺。こちらは、桓武天皇の勅により建立された古刹というのですが。。
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しかし、山門から本殿に向かう参道の石段はもう崩れそう。
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かなり荒れた感じです。
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見どころだというこの清水寺を模して造られたという救世殿もちょっと朽ちていくのを待っているような状態。
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かつての雰囲気は偲べますが、廃墟と紙一重の状態が残念です。
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次の長谷寺は、大同2年(807年)空海の開基と伝わる、こちらも古刹。
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奈良の長谷寺を模したといわれ、流罪となった世阿弥ゆかりの地でもあります。
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境内の配置がちょっと変わっていて、仁王門から山上の本堂にまっすぐ登っていく石段が中心。
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その脇に塔頭のような建物がいくつかあるのですが、
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見ごたえとしては
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どうでしょう。
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階段を上がり切った先に建つ本堂と
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その先、一番奥に建つ、この赤い多宝塔が唯一の迫力かなと思います。
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また少し移動して。
妙宣寺は、日蓮の弟子、阿仏房日得が自宅を寺として開基した日蓮宗佐渡三本山のひとつ。 -
境内は広大で、立派な五重塔もすごいし、
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その脇の楼門を
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くぐって進んだ先の
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見事な日本庭園のエリアも美しく整備。
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イチオシ
本堂前の広々空間には芝生の一帯から
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前の二つ。荒れた寺を見てきたせいもあるかもしれませんが、この上質な雰囲気はなんだか特別な感じもしてきます。
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近場にあるのは佐渡国分寺跡。国分寺は、例によって聖武天皇の勅願によって全国に建てられた国分寺の一つ。
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国分寺跡としては、広々した草原のような場所に整備されたエリアもあるのですが、それに隣接して、こちらは再建された堂宇が建つエリア。
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この瑠璃堂は、寛文6年(1666)の建立。桁行5間、梁間4間の方形の仏堂で往時の華やかさが偲べます。
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中庭の付いた本堂も意外にスケールが大きいですね。
現在の国分寺は、江戸初期に再建されたもの。 -
古びていますが、ひとけがほとんどない中、この本堂のほか、仁王門、瑠璃堂、鐘楼
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がちょっと亡霊でも見ているような感じで配されています。
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また少し移動して。
大膳神社は、地頭、本間山城守が日野資朝、大膳坊を合祀した神社。日野資朝は、正中の変で流罪となった貴族。大膳坊は、その一子を佐渡に手引きするのですが、父に会わなかった山城守の弟を切り殺す事件を起こしさらし首となった人物。その霊を収めるためだったようです。 -
見どころは1846年に再建された能舞台。
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厚い藁ぶき屋根が特徴的で、重厚感ある雰囲気を漂わせていました。
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ここで、今日の最後のハイライト、真野地区です。
まずは、佐渡歴史伝説館。 -
中規模の施設ですが、
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流人として佐渡にやってきたやんごとなき人々、順徳上皇、日蓮聖人、世阿弥について、ロボットの演技解説を加えて分かりやすく紹介しています。
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スタートは、順徳上皇。
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イチオシ
順徳上皇は、承久の乱で敗れ、鎌倉幕府執権の北条義時により佐渡に配流。
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父、後鳥羽上皇も隠岐に配流となりました。在島21年。享年46で、佐渡において崩御しています。
ちなみに、承久の乱では、「頼朝の恩は山よりも高く、海よりも深い」という北条政子の叱咤激励が功を奏し、天皇に弓を引く圧倒的な不利を跳ね返したのが有名な話。
いずれにしても、鎌倉幕府は、この勝利によって、従来は東国のみの支配権だったのに全国に支配が及ぶことになる。そして、さらには敗者の所領には新補地頭が任命され、新恩給与が行われたのですが、それまでまがりなりにも維持されてきた律令制度は、土地は公のものというのが前提の制度。荘園制度もそれを逃れるための手段だったのですが、それがこれを機に年貢の徴収権だけではなく下地中分とか土地の所有権まで含めた所領の分割も進み、土地の私有制がさらに広く進んでしまう大変革だったという重要性はあまり広くは認識されていないかもしれません。 -
イチオシ
こちらは、日蓮。
鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を連行、日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしたが、江ノ島方より光の玉がやってきて、刑は中止されたという龍ノ口法難ですね。 -
その後、佐渡に流罪となった日蓮ですが、佐渡に渡ったのは12月初旬の真冬。
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荒れた日本海を渡った姿が想像されます。
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流罪の身だった日蓮ですが、ここでも、塚原問答の紹介。法華経が唯一の正しい教えであるという信念は微塵も変わることはありませんでした。
ちなみに、佐渡の生活は3年。蒙古襲来が切迫する中、北条時宗は日蓮を赦免。日蓮は鎌倉に帰還します。しかし、鎌倉幕府に考えが受け入れられないと知り、身延山に入り晩年まで。激動60年の生涯でした。 -
こちらは世阿弥。今日も見たとおり、佐渡島内には能舞台がたくさんあって、これほどの影響を与えていたとは知りませんでした。
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イチオシ
世阿弥は、物まねなど民衆の芸能だった猿楽を幽玄の極致である能へと実質的に高めた人物。足利義満に見いだされ、庇護されますが、義満の死後は疎んぜられ、とうとう佐渡へと流される。
能は日本的なものの最たるものの一つでしょうが、いわば創業者がこうしてはっきりしているのは面白いこと。お茶の千利休や歌舞伎の出雲阿国もしかりです。もちろん、それ以前に下地が醸成されていてのことではあるのですが、そこに何か革新的な命が吹き込まれるんですね。 -
最後の方に佐渡の民話の紹介もありましたが、ここはちょっとスルーです。
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表に出て、今度は真野宮。
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黒木御所に移る前の順徳上皇が住んでいた真輪寺が、明治の廃仏毀釈を経て真野宮と改称されたもの。
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順徳上皇を祀り、裏手の方には行在所跡があります。
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イチオシ
そして、真野宮からさらに移動したところにあるのが真野御陵。
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承久の乱で佐渡配流となり、在島22年。46歳で崩御された順徳天皇のお墓です。石の囲いで囲まれてアカマツの美しい森に覆われた御陵を奥に進むと
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菊の紋章の門が現れて、やんごとなき天皇を埋葬されているのを感じます。規模も大きいし、周囲はよく整備されて美しい。地元で大事にされている御陵です。
もともとは、順徳上皇を火葬した順徳天皇御火葬塚。つまり、火葬塚が御陵に格上げされたようです。 -
帰りにちらりと見た真野公園は、真野宮の隣り。約2,000本の桜がウリのようなんですが、季節でなければ、普通の公園でしょう。
いずれにしても、このエリアは、承久の乱で敗北し、佐渡に流罪となった順徳上皇ゆかりの地。上皇を偲ぶのであれば、真野宮の行在所跡、真野御陵が優先です。 -
さて、初日の晩飯は長三郎鮨。
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イチオシ
こちらには、ぶり丼というぶりだけの海鮮丼があって、それにしてみました。ぶりだけで、ちょっとくどいのではないかと思いましたが、そんなことはない。ごく自然にぺろりといけちゃいました。本格的な寿司屋さんなんですが隣りを見るとラーメンを食べている人。あれ?こんなのもあるんだというちょっとサプライスの一面もありました。
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そして、今日の宿ロハスの館こがね荘は、日帰り温泉に併設された宿泊所。建物は古くて、ちょっと寂れた感もなくはないですが、広い温泉に自由に入れるメリットがあるので、それで十分と思えば問題なし。
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それに、部屋は和室。まあまあ広いので、そこも悪くないです。
これで、一日目は終了です。
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