2019/07/14 - 2019/07/14
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たびたびさん
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前半は、朝一番で姫埼灯台に向かい、反時計周りで佐渡島の北部、二ツ亀、大野亀から外海府海岸を南下し、尖閣湾まで。そして、後半は、いよいよこの旅、最大のハイライトでもある相川地区の佐渡金山遺跡に入りました。
ちなみに、佐渡の金山というとこの相川金銀山を指すのが一般的。16世紀末から400年間稼働した日本最大の金銀山で、江戸時代を通じて産出された金は約40t、銀は約1,800t。金は全て相川で小判に加工、銀とともに小木港から江戸へと運ばれました。
さらに、佐渡には相川だけではなく他にも金銀山がいくつかあって、鶴子銀山、新穂銀山、それに最古といわれる西三川砂金山とか。まさに佐渡島といえば金山というイメージはそのままです。
相川で金銀が採れるようになると、相川の人口は一時期5万人まで膨らみ、佐渡奉行所を中心に、京町や米屋町、味噌屋町など職業別の町が計画的に作られる。その人口を支えた生活物資の調達や生産。新田開発なども重要ですが、その立役者は家康の側近である大久保長安。大久保長安は、石見銀山でも活躍していて、まさにこの道のプロですね。
こうしたゴールドラッシュで、それまでの寂しい配流の島という環境はたぶん一変。新しい佐渡の歴史が始まることになりました。ちなみに、明治以降も西洋の技術を導入。日本の近代化に貢献する歴史は続き、閉山は平成元年のことでした。
ところで、ちょっと付言すると佐渡の金銀が徳川幕府の財政を支え続けたという理解。それはそれでいいんですが、流通する貨幣の供給だけかというと実はそういうことではないんですね。鎖国をしていた江戸時代ですが、生活水準の向上とともに、長崎を窓口にして中国産の良質な生糸・絹織物を大量に輸入する。西陣の絹織物の原料の半分以上が輸入生糸に依存していたということもその一例です。一説によれば、江戸時代の最初の100年間で、産出される金の4分の1、銀だと4分の3がその支払いのために海外に流出したあげく、とうとう貨幣鋳造に支障をきたすほどになっていく。そのため、銅の開発にシフトしたというのは、先般の別子銅山の旅でも学んだところです(https://4travel.jp/travelogue/11426778)。そして、それだけでなく、輸出品としての朝鮮人参やなまこ・あわびの増産とかでも収支は改善されていくのですが、結果とすれば、それまでかなりもったいない使い方をしてしまったのかなという気はしないでもない。
新井白石の正徳の治、徳川吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革など江戸時代にたびたび倹約の政策が出されますが、それは国内的な話だけではなくて、こうした貿易収支の要因も大きなものだったんですね。ただ、それでも巡り巡って、佐渡の金銀が江戸時代の絹織物の普及にもひとかたならぬ貢献をしていたと考えれば、少しは救われるのかな。どっちにしても、経済はいろんなところで結びつく。そんなに、不思議なことではないのかもしれません。
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早朝、宿を出発。まずは、一路、姫埼灯台に向かいます。
まず目に入ってきたのは、灯台の傍らに姫崎燈台館というかつての職員の官舎だった建物を活用した資料館。風雨に強い構造ということでしょうか。屋根から何から、ずんぐりしたデザインが独特です。まだ、この時間だと開いてないので、外観を見ておしまいです。 -
イチオシ
そして、これが姫埼灯台。佐渡の表玄関、両津湾の入口、姫崎の突端に立つ白い六角形鉄造の中型灯台で、明治28年に点灯。日本最古の鉄造りの灯塔です。設置後100年以上経過しているのですが、そんな古びた感じはしないですね。
耐震補強をした鉄骨とかによって、むしろ、新しい力強さを感じられるような気がしました。 -
ここからだと下の方にさっきの姫崎燈台館が見えています。
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姫崎から北上して、一気に佐渡最北端の弾埼灯台へ。ここまでで既に約65kmを走っていて、今日はちょっとハードです。
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灯台の周囲はあまり整備がしてなくて、ちょっと荒涼としています。
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イチオシ
灯台のところから、「喜びも悲しみも幾年月」の銅像に向かいましたが、柵に覆われていて、草深くもある。それを無理やり乗り越えて中に入りました。
夫婦がやさしく寄り添う姿のバックに灯台が見えて、ちょうどいい感じ。「喜びも悲しみも幾年月」ゆかりの灯台はここだけではないのですが、ここに来たなら、やっぱりこの銅像を見ないと話にはならないと思います。
福島県塩屋埼灯台、 三浦半島観音埼灯台、静岡県御前埼灯台 、小樽日和山灯台。振り返るとこんなところも行ってます。今後行けそうなのは、男木島灯台くらいかな。。 -
続いては、これも北端、二ツ亀。沖の島と磯の島が並んだ亀に見えることからのネーミングですが、そこまでのリアルさはないかな。
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イチオシ
むしろ、こちら側と島の間が細い洲でつながっていて、ちょうど海水浴が楽しめるような海岸となっている。この日も島に歩いて渡る人が何人かいて、ちょっとした探検気分のようですね。
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で、私はここから海岸の遊歩道を大野亀の方に向かい、賽の河原を目指します。
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このあたりの海岸は外海府海岸。佐渡島の北部一帯で、国の名勝にも指定されているのですが、弾崎から尖閣湾までの約50Kmにまたがる広いエリアの海岸なので、ちょっととらえどころがないくらい獏とはしています。
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こんな崖下に細く続く海岸。
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ここは、二ツ亀から大野亀の中間あたりでしょうか。
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沖合に適度な岩が立っていて、それらしい景色となっていました。ただ、はっきりした特徴という意味ではこれから行く尖閣湾が一番だったかなとは思います。
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ところで、遊歩道は始めはちゃんとしていたんですが、そのうち、草で埋もれてしまったり、こんな風にごつごつ岩の道なき道風だったり。
心細くて何度か引き返そうと思ったのですが、心を強く持って進みます。 -
すると、やっとのことですけど、賽の河原らしい景色が見えてきましたよ~
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海食洞穴の中や周辺には、地蔵菩薩のほか、無数の石地蔵や石積。
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そこまで陰気ではないのですが、十分あちらの世界の雰囲気が漂っていました。
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ちなみに、ここからだと大野亀はこんな感じ。また、さっきの二ツ亀まで戻って、車で向かいます。
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改めて、大野亀に到着。こちらは、標高167mの一枚岩。海に突き出している岬のような姿です。
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近くにきちんとした駐車場があって、そこから草原を抜けてこの大野亀のあちらこちらに散策路が巡っていて、意外にほどよいピクニックの気分が味わえます。
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そして、途中、海に向かっては、さりげなく波が打ち寄せる切り立った崖が見えたり、
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ダイナミックな景色もあって、いいじゃないですか。さっきの茨道のことを思うとここは天国です。
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ここから先はしばらく何もないので、ここで早めの昼飯としておきましょう。
おおのがめロッジは、大野亀の駐車場前。一つポツンとある食堂です。 -
店内は広くてゆったり。海鮮丼をいただきましたが、活きもいいしなかなかのもの。あんまり期待はしていませんでしたが、かなり満足できました。使えるお店だと思います。
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再び、車で出発。
ここから佐渡島の西側を南下します。 -
途中の峠越えみたいな場所で、面白いものを発見。
佐渡の車田植の田植えそのものは、5月に行われるのですが、その田植えの終わった田んぼです。車状に植え付けられたという形状は、言い方を変えると渦巻きのような形。末広がりで縁起のよい形であり、奈良時代の田植え神事を受け継ぐのだそうです。
自動車道から少し上がったすぐのところなので看板に気が付いて簡単に寄ってみることができました。 -
大野亀から外海府海岸を南下しながら、気にしていたのは大ザレの滝。海岸線に設置された橋の上から見えるよという現地の人の説明だったので、そのとおり、拝んだのがこの滝です。しかし、後で両津の観光案内所で確認したところ、これは泊川滝(トマリガワダキ)のよう。そして、大ザレの滝は実は船からじゃないと見えないんだとかの説明もありました。さらに調べると、別のところから眼下に見えないことはないという情報も。観光案内所でこんな頼りない説明ですから、地元でもやっぱりはっきりとは認識されていない滝なんじゃないかと思います。
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イチオシ
さらに南下して、これは関岬。カーナビでセットしていましたが、情報にあった関岬オートキャンプ場にはたどり着けませんでした。
これは、トンネルを抜けて、出たところから、振り返るようにして、こんもりした岬の地形を確認しました。ただ、特にインパクトがあるというほどの眺めではなかったような気はします。 -
続いての入崎海水浴場は、国道のすぐ脇。階段状の堤防の先に広がる長い海岸線の砂浜です。一部岩場もありますが、たいていは砂浜。全体としては安全な感じですね。
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また、隣接した場所にキャンプ場があったりして、施設が比較的充実しているように思います。
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少し進んで、夕鶴の里。
佐渡に伝わる伝説の一つである「鶴女房」。いわゆる「鶴の恩返し」をモチーフに木下順二が作った戯曲「夕鶴」を記念する施設。建物は開いていなくて、外から覗いただけですが、公民館のような感じ。 -
ただ、それより、木下順二自筆の記念碑も建って、「夕鶴」に思いを馳せるだけで十分かな。けがをした鶴を助けた農夫与ひょう、鶴の化身で与ひょうの女房つう。美しい場面が目に思い浮かびました。
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平根崎波蝕甌穴群は、尖閣湾もだんだん近づいてきて。海岸線を走る国道のすぐ脇。ひょっこり小さな駐車場があって、その海岸側に波蝕甌穴群がむき出しになった場所があります。
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限られた範囲の場所なので、そこまでの迫力はないような気がしましたが、あとで別の写真を見たら、まあるい穴が波に洗われているのがありましたが、そんな場所あったかなあ。よくわかりません。
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さて、前半のハイライト、尖閣湾揚島遊園に到着しました。深く切り込んだ崖が連なる尖閣湾を見渡せる一角に整備された観光施設。
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こんなおみやげ物売り場もあって、いかにもの観光地って感じ。ここまでの観光スポットからするとなんか久々の感覚です。
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売り場を抜けて園内へ。ここからは有料のエリア。
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すぐに、そのダイナミックな景観が現れます。
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イチオシ
ちなみに、尖閣湾は、姫津から北狄まで約3㎞の海岸に広がる5つの小湾の総称で、ここはその中心の揚島峡湾です。
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園内には歌碑に
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灯台も。
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その先が展望所です。
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この展望台から見る切れ込んだ尖塔状の断崖は、ひとつひとつがまるで戦艦の艦橋みたいな感じ。
それが連なって独特の景観を構成します。 -
この日は天気がイマイチだったので、船のコースはやめましたが、海上から見るとたぶんもっと迫力が増すんでしょうね。そこはちょっと、残念でした。
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ほか、この施設は、
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水族館と
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その二階がロケ地となった映画「君の名は」のパネルを展示する資料館。氏家真知子(岸惠子)と後宮春樹(佐田啓二)のスターのオーラもすごいし、
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その後の鈴木京香の美しさもやっぱり半端ではない。
真知子と春樹との恋愛ドラマが一世を風靡したのも、これならわからないではないなと感じました。 -
尖閣湾揚島遊園を出て、続いての姫津大橋は、市街地のちょっと先。運河を挟むようにして架かる人道のアーチ橋。デザインがシンプルだけどけっこうインパクトありですね。予想していないシチュエーションでいきなり現れたので、それもあって余計に印象的だったかも。
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緩い階段を上って、簡単に登れますが、
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ただ、上からの眺めは普通かな。橋自体を見る方がずっといいように思います。
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少し移動して、達者海岸にも寄ってみます。
名前が変わっていますが、安寿と厨子王の姉弟が母と生き別れになる悲話「山椒大夫」ゆかりの地。成長した厨子王と佐渡で盲目となった母が再会し、互いの達者を喜んだとされる場所なんですね。まあ、海岸の景色は普通です。 -
菓子舗 きすけは、そこから佐渡金山方面に入っていくという相川の市街地エリア。
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小さなお菓子屋さんですが、ちゃんと老舗感もありますね。
いただいたのは車まんじゅう。洋風の表面がコーティングされたパイ生地に餡子を組み合わせたお菓子。脂分がほどよくのって、おいしいですね。老舗らしいきちんとしたお菓子屋さんだと思います。 -
そして、ここからは金山遺跡に入ります。
まずは、北沢浮遊選鉱場跡。 -
浮遊選鉱場というのは、銅の製造工程で行われていた浮遊選鉱法を金銀の採取に応用して実用化した施設。1か月で5万t以上の鉱石を処理したということ。
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また、浮遊選鉱法は、粉砕した鉱石を油や起泡剤を加えた水に入れてかきまぜ、ぬれにくい鉱物粒子を気泡に付着させて分離・回収する方法。
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イチオシ
斜面いっぱいにまるでテラスのようにコンクリートの構造物が建っていて、
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大量の水に鉱石がここで処理されていたことを想像させるには十分な迫力が感じられると思います。
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佐渡の金銀山は江戸時代だけではない。明治に入ってからでも、金山が活況を呈していたことがよくわかります。
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そのまま、すぐ近くにある施設も訪ねます。相川技能伝承展示館は、
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相川地区の伝統工芸である「無名異焼(むみょういやき)」と「裂織り」の体験ができる施設。
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ただ、体験はしなくても、
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裂織りの作品はあれこれ見れるし、
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この文弥人形の展示も見ごたえあり。ちょっと寄っても無駄はない施設です。
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そして、もう一つは相川郷土博物館。
この建物自体が御料局佐渡支庁を活用したもので、国指定史跡となっています。 -
展示は、金山と佐渡奉行所に、
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地元の神社や
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祭り関係のあれこれ。
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ムカデのコテ絵も豊かな時代の名残り。
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相川遊女の道具類なども、まあ同じことでしょう。
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瓦もなかなか多彩だし、
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ほか、金山の排水を行ったポンプの操作もできて、やっぱりかなりの重労働だったことが実感できました。
少しごちゃごちゃ感もないことはないですが、丁寧にみると面白くなる資料館だと思います。 -
続いての佐渡奉行所は、幕府の天領だった佐渡を治めていた中心施設。
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再現建物あので、
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内部はまだ木の香りがする感じ。
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役所部分や
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身分の違いによる白洲などが同じ建物の中にありました。
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これは銀の塊で貴重なk物のようですが、めぼしい展示品とかは特にないので、
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意外にあっさりした印象かなと思います。
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また、これと別に一段低い場所には、
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金銀を精製する寄勝場(よせせりば)の再現。
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イチオシ
長い樋のようなものを使って水を流しながらより分けるんでしょうか。金山の作業の工程とかも説明パネルがありました。
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では、まだ明るいうちに、一気に白雲台に向かいましょう。
佐渡奉行所、金山を過ぎて白雲台に向かう約30kmの展望道路、大佐渡スカイラインを進みます。佐渡が島であることを忘れるくらい長い距離があって、本格的なドライブコースですね。半面、延々道が続くのでちょっと心細くなるくらい。白雲台に到着してやっとほっとした気分になりました。 -
白雲台は、これ。標高約850mの見晴らしの良い場所に小さな山小屋風の建物がありました。
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イチオシ
展望台からは両津湾、国中平野、小木半島など。
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ここからだと、佐渡島のくびれた地形がそのまま見えて、佐渡を一望した気分になりました。
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ほか、目線より下の方に雲がたなびいていたり、意外に高い場所なのかなとも思います。
やっぱりここも佐渡では来るべき場所一つでしょう。 -
そして、いよいよ佐渡金山遺跡です。
この相川金銀山は、1601年に鶴子銀山の山師3人が発見したと伝わります。1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、明治に入って以降も、三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展。平成元年に閉山されるまで400年の歴史がありました。この間に産出された金は78t、銀は2,330t。日本最大の金銀山です。 -
鉱山のトンネルを行くコースは江戸時代の宗太夫坑と明治以降の道遊坑の二つのコースがあって、それぞれ独立しています。
両方の坑を回る場合は、江戸時代の宗太夫坑を先に見るのが通常なのですが、もう時間が遅いので道遊坑が先になりました。道遊の割戸は屋外なので、暗くなる前に見れるようにということです。 -
道遊坑は、明治32年、佐渡鉱山の主要鉱脈「道遊脈(どうゆうみゃく)」の開発を目的に開削された主要運搬坑道。平成元年の操業停止まで使われました。
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そういう意味では、近代化された後の金山遺跡ですよね。
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とはいえ、
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坑は坑。
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トロッコが通ったレールが敷かれたりしていますが、地下深くに伸びるトンネルはやっぱり日常のものではありません。
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しばらく歩いて、屋外へ。
ここから道遊の割戸に向かいます。 -
イチオシ
坂を上っていった先に現れたこの風景が、道遊の割戸です。
これは、江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘った暁に、とうとう山がV字に割れたような姿になったというもの。割れ目は、幅約30m、深さ約74m。
始めは何の気なしに眺めていましたが、じっと見ていると本当に恐ろしいほど巨大であることに気が付かされる。金鉱脈がいかに大きかったのか。相川金銀山がいかに豊かな鉱山だったのかがリアルに理解できると思います。
写真だとこのスケール感がなかなか伝わらないのが残念です。 -
こちらは、機械工場。
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鉱山の安定操業のために機械類の修理等は自前でやっていたんだとか。
展示されている工作機械類は、今でも使える機械も少なくないようです。 -
ここからでもさっきの道遊の割戸が見えていて、ここからの方が山がV字に割れているのがよくわかると思います。
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そして、トロッコの線路伝いに出口の方に戻ります。
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で、さっきの入り口に戻って、今度はお隣りの宗太夫間歩へ。
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こちらは、江戸時代の手掘り坑道の方。
はじめの方は近代的ですが、 -
すぐに当時の採掘作業を忠実に再現したという人形による作業場があちこちあって、そのまま素直に楽しめます。手掘り採掘作業だけでなく、水上輪による坑内水の汲み上げ作業や
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坑内に空気を送り込む風送り作業。
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坑内の休息所でくつろぐ人夫の生活などもなかなかリアル。家族連れにも学びながらちょっとしたアドベンチャー気分が味わえる本格的な施設となっていると思います。
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こうしてみると
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ちょっとのどかな風に見えないこともないですが、
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実際は過酷な労働。
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労働者は長生きできなかったというのも本当のところ。
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その労働力を確保するために
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罪人がここに送りこまれて
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使い捨てされていったという歴史もあるようです。
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司馬遼太郎も金山を訪れ、その辺りのことを詳しく紹介していますが、
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ただ、それに類することは戦前の炭鉱等でも少なからずあったんですよね。
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イチオシ
一方で、奥出雲のたたらでは、現場を指揮する村下(ムラゲ)は過酷な重労働と劣悪な環境でこれも長生きができなかったのですが、それでも、その仕事を誇りとし、自ら進んでその道に入っていったという話も聞きました。
自主的、強制的の違いはあるのでしょうが、こうした機会にそれも含めて先人の努力の重さを感じることは悪いことではないと思います。 -
坑を出て、コースの最後は金山資料館ゴールデン佐渡。
第一展示室では、佐渡金山絵巻に描かれた江戸時代の佐渡金山の仕事の様子を忠実に再現しています。 -
金鉱石を採掘、製錬し、
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佐渡小判を作るまでの工程はそれぞれ細かなところまで、小さな人形たちのジオラマになっていて、それがぎっしり連続的に展開します。
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ただ、リアルはリアルなんですが、丁寧に追っていくとちょっと疲れるかな。
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活気があった賑わいの雰囲気を感じるだけでもいいかもしれません。
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中央の船は奉行船。
赤泊と出雲崎を結んでいました。 -
第二室の小判や金塊はおまけかな。私は、佐渡金山の金が大判小判のどれくらいのシェアがあったのか知りたかったのですが、あまりはっきりしない。そこはちょっと残念でした。
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以上、佐渡金山遺跡を終えて、近場をもう少し。
春日崎は、海沿いの通りのすぐ脇の高台。海を望む原っぱのような平地に東屋が建っています。通りを挟んで向かい側にはホテル大佐渡があって、これも目印になるかもしれません。
ここは夕日の人気スポット。まだ、日が高かったのに、何人かのカメラマンがいて日没を待っていました。 -
ところで、この辺りは七浦海岸。相川地区の七つの集落をまたぐ10kmの海岸線で、観光スポットとしては、長手岬、夫婦岩、春日崎。その間はだらだらと海岸や市街が続くので、やっぱりこの三つに絞って行くのがいいと思います。地元で七浦海岸ってどこですかと尋ねても、この辺りだよいう漠とした返事しか返ってこなくて、どこに行けばいいのかけっこう迷いました。
で、こちらはそのうちの夫婦岩。海岸を走る自動車道のすぐ脇なので、走っているとすぐにそれと気が付きます。
夫の岩は高さ22.6m、妻の岩が23.1m。ほとんど同じ大きさの岩が並んで立っていて、周辺にも複雑な形の岩場が広がります。 -
「古事記」の国生み神話に由来するとされるようですが、調べてみるとこれはすごい。イザナミノミコトの女陰に戻る際、これを焼いてしまったヒノヤギハヤヲノカミ(カグツチ)は、この夫婦岩から生まれようとした神。イザナミノミコトはこれにより黄泉国へと退いたというのは有名な下り。これはもっと自慢していい名所だと思います。
ちなみに、夫婦岩の真正面にあるホテルめおと。相川温泉の日帰り温泉と海鮮のよさげ食堂があって利用したいと思ったら。この食堂はやっているのはお昼だけだそう。晩飯をここで食べて温泉でゆっくりとと思ったのですが、そうはいかないということが分かって、温泉もやめて他の食堂を探すことになりました。
温泉と食堂が揃ってせっかくの施設だと思ったのですが、ちょっと残念でした。 -
続いての長手岬は、カーナビをセットして向かいましたが、今では廃業したホテルの敷地の中に入って、駐車場に車を停めて。その敷地の一番奥の方。
不安に思いながら進むと、東屋と長手岬の説明版がありました。 -
海に深く突き出た岬で、ここから眺める落日の風光は素晴らしいということでしたが、言うほどのインパクトはないような気がします。
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相川の市街に戻ってきて
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晩飯はこちらの銀寿司。相川の商店街のエリアにあって、地元では老舗で通っている寿司屋さんです。
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握りのセットをいただきましたが、ひとつひとつの丁寧な作りが光ります。ただ、ボリューム感はイマイチかな。量は少なくてもちゃんと味わいたいという人にはお勧めです。
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今夜の宿は佐渡ベルメールユースホステル。昼間の姫津大橋を近くに見下ろす高台です。
ドミトリーの部屋は二段ベッドと畳に布団を敷くの組み合わせ。早く着いた人は畳の方で、私は二段ベッドの方を利用しました。室内他、それなりに清潔感があって、それが利点かな。比較的気持ちよく泊まれました。
さて、これで二日目が終了。明日は小木から宿根木です。北前船の関係が楽しみです。
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