
2018/04/29 - 2018/05/04
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Tatsuoさん
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この旅行記のスケジュール
2018/05/02
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電車での移動
地下鉄B線 テルミニ駅ーコロッセオ駅
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アッピア街道の起点 カペーナ門跡
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ドルーススの凱旋門
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アッピア街道の第1マイルストーン
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バスでの移動
バス118番 Appia Pignatelli/Almoneーフォーリ・インペリアーリ
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電車での移動
地下鉄B線 コロッセオ駅ーテルミニ駅
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ドガリのオベリスク
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この旅行記スケジュールを元に
ローマ再訪~古代ローマ遺跡三昧の旅
2007年にローマを初めて訪れたときに古代ローマの魅力にはまり、それ以来いつかお膝元のローマの遺跡巡りをしたいと思っていました。
そして2018年のゴールデン・ウィーク、うまいこと休みが取れたので、急に思い立って念願のローマの遺跡巡りに出かけることにしました。
訪れた遺跡は全部で70個。古代ローマ遺跡まみれの4泊5日の旅です。
(調べるうちに知らない遺跡を気付かずに見ていたことがわかり数が増えました。)
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【6】アッピア街道~起点から4km、埃っぽいアッピア街道を歩く (2019/5/2)
アッピア街道の起点、カペーナ門のあったところからチェチーラ・メテッラの墓までの約4kmを歩いてみます。
古に思いを馳せながらアッピア街道を歩くロマンティックな旅、のつもりだったのですが現実はいかに。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アッピア街道・起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓まで(イタリア)
http://roman-ruins.com/appia/
アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
http://roman-ruins.com/milestone/
∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵ ∴∵
【1】ローマ到着~予想外の古代ローマ遺跡に遭遇 (2019/4/29)
【2】ハドリアヌスの別荘~静かにひっそり過ごす別荘だと思ったら・・・ (2018/4/30)
【3】まだ明るいのでテルミニ駅近くの遺跡めぐり (2018/4/30)
【4】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る 【前編】(2018/5/1)
【5】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る 【後編】(2018/5/1)
>【6】アッピア街道~起点から4km、埃っぽいアッピア街道を歩く (2019/5/2)
【7】帰国 (2019/5/3-4)
参考資料
・「とんぼの本 ローマ古代散歩」小森谷 慶子、小森谷 賢二
・「世界のオベリスク」 http://www.obelisks.org/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
[9:27] ※主要箇所には最初に時刻を記載しています。
【遺跡No.52】コロッセオ
※古代ローマ遺跡にはこの旅で見た通番をつけて記載しています。
今日はアッピア街道に行く予定ですが、その前にコロッセオの寄って行くことにします。
2007年に初めてローマを訪れ、一番最初に見たのがコロッセオでした。
写真や動画で散々見たはずなのに、その巨大さが想像をはるかに越えていて度肝を抜かれました。今思えばそれが古代ローマに魅せられる最初のきっかけだったのです。
地下鉄B線のコロッセオで降ります。駅を出ると目の前にコロッセオが聳え立っています。2度目ですが、やはりそのデカさに圧倒されます。コロッセオ 建造物
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北側から時計回りに回ってみます。
一番外側の壁は北側の半分だけ残っています。
コロッセオも建築材料を取るために壊され、外側の半分は失われてしまったのです。コロッセオ 建造物
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半周するとコンスタンティヌスの凱旋門が見えてきました。遠くには小さくフォロ・ロマーノのセプティミウス・セウェルスの凱旋門も見えます。
コロッセオ 建造物
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イチオシ
南側の草むらに紫色の小さな花が咲いていました。
コロッセオ 建造物
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【遺跡No.53】コンスタンティヌスの凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門の脇を通り南に行くとバス停があるので、チルコ・マッシモまでバスで行こうとしたのですが、手前に観光バスが停まっていて、目的のバスに合図を送れず通過してしまいました。他にも乗る人がいたのですが。
面倒になり、そんなに遠くないので歩くことにします。コンスタンティヌスの凱旋門 建造物
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[9:56]
500mほど歩くと、右手に昨日歩いたチルコ・マッシモ跡の広大な空間が広がります。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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そしてチルコ・マッシモの反対側、南東に向かう4車線の広い通り、カラカラ浴場大通りがかつてのアッピア街道です。
アッピア街道の起点はカペーナ門でした。これは共和制ローマの時代にローマを取り囲んでいたセルウィウス城壁に設けられた門です。しかし今ここに門があるわけではありません。
どこをスタート地点にしようかと思って辺りを見回していると、道路の東側の一角に何かの残骸のようなものがあるのが目に入ったので行ってみます。 -
イチオシ
【遺跡No.54】カペーナ門
交差点から100mほどの横断歩道近くにその残骸があります。
近くで見ると、薄いレンガを積み重ねたものであることがわかります。
昨日テルミニ駅前で見た地上に出ているセルウィウス城壁は大きな石積みだったのでこれとは違いますが、地下にあった城壁の基礎の部分は同じような薄いレンガを積み重ねたものでした。それに後で見るアウレリアヌス城壁は全体がこんな感じです。
これがカペーナ門かセルウィウス城壁の残骸である可能性は高そうに思えますが、どうなんでしょうか。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アッピア街道・起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓まで(イタリア)
http://roman-ruins.com/appia/ -
よく見るとそれに「INIZIO DELLA VIA APPIA」「アッピア街道の起点」と書かれたプレートが取り付けてあります。
本当に起点のカペーナ門かどうか定かではありませんが、この辺りが起点であることは間違いありません。
ここをアッピア街道の旅のスタート地点とします。 -
[10:12]
【遺跡No.55】アッピア街道
10:12、アッピア街道を歩きはじめました。
広い車道なので元の姿を思い起こすのはちょっと無理です。
歩き始めるとすぐに水飲み場があります。いつの時代からあったのでしょうか。ローマでよく見る先を指で塞いで上に空いた穴から飛び出す水を飲むタイプのものです。 -
間もなく右側にカラカラ浴場が見えてきます。アッピア街道の敷設から500年後に造られたものです。
今から500年前は織田信長がまだ生まれていません。古代ローマという括りでアッピア街道もカラカラ浴場も一緒くたにしてしまいますが、両者が造られた時代はそれほど離れているわけです。
ここは前回2007年に見ました。今日は通りがかっただけなのでカウント外です。カラカラ浴場 史跡・遺跡
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【遺跡No.56】ヌマ・ポンピリオ広場の公衆トイレ
カラカラ浴場を過ぎたところで大通りが右側に大きくカーブして逸れて行き、左からドルソ通りが交差します。
この辺りはヌマ・ポンピリオ広場 Piazzale Numa Pompilio という名がついています。ヌマ・ポンピリオはロムルスに継ぐローマ2代目の王の名で、ヌマが妻エゲリアと会っていた神聖な木立ちがあったのがここでした。
交差点の南にある謎の建物は古代の公衆トイレ Vespasiano と説明しているものもありますが、真相は不明です。 -
アッピア街道は正面に伸びる石畳の細い道です。雰囲気がでてきました。
すぐに道が二手に分かれます。分岐点には円柱形の道標が建っています。 -
右はサン・セバスチアーノ門通り。
こちらがアッピア街道です。 -
左はラティーナ門通りとあります。
こちらも古代からの道で元はラティーナ街道という名でした。アッピア街道も通るカプアとの間を結んでいます。アッピア街道より早く造られ始めたようですが、アッピア街道とは違って地形に沿った道だったようです。 -
もちろん右の道を行きます。
車は南行きの一方通行で、交通量はさほど多くありません。
自転車に乗った観光客が思いのほか多く追い越していきます。貸自転車でアッピア街道巡りというのが流行っているようです。若い女性の単独行もいました。ローマもだいぶ治安がよくなったのですね。 -
右にゆるやかにカーブする石畳の道は両側を3mくらいの壁に囲まれていて、ところどころに建物の入口があります。
人通りはほとんどなくて静かです。なかなかいい気分です。 -
起点から1.4kmほどのところに何かが立ち塞がっています。
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[10:36]
【遺跡No.57】ドルーススの凱旋門
近づくと手前には門のようなものがあります。これは「ドルーススの凱旋門」という名が付いています。
ドルーススは2代皇帝クラウディウスの弟ですが実際はこの人とは関係がなく、トラヤヌスの凱旋門として建てられたものが、後に水道に転用されたものと考えられているとのことです。たまたま便利な場所に凱旋門があったので、その上に水道を通したということですね。通っていた水道はカラカラ浴場に水を引くために造られたアントニニアーナ水道です。 -
【遺跡No.58】サンセバスチアーノ門(アッピア門)
その先に立ちはだかる城のようなものは、この通りの名になっているサン・セバスチアーノ門です。
起点のカペーナ門があるセルウィウス城壁は、帝政になるころには市街地の拡大や、平和で異民族が迫る恐れもなくなって廃れます。その後3世紀後半にローマの弱体化によって異民族の侵入が激しくなり、新たにローマを守るために造られたのがアウレリアヌス城壁で、これとアッピア街道との交点にあるのがサン・セバスチアーノ門です。
元はアッピア門と呼ばれていました。サン セバスティアーノ門 史跡・遺跡
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サン・セバスティアーノ門の内部は城壁博物館として公開されています。
入場は無料でした。(2018年5月)
前回2008年に来たときは夕方だったので閉館後で見れず、いつか来たいと思っていたのです。
まず城門の階段の途中にある扉を出て城壁の中を歩きます。ここは兵士が移動できるよう通路になっていました。城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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城門の内部の床に美しいモザイクがあります。
説明板などはなかったので、古いものなのか不明です。城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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外から見ると左右に二つの塔が建っていますが、その塔の中は上部が吹き抜けの空間です。
城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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塔の中の階段を上ると螺旋階段があり、これを登ると屋上に出ます。
城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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塔の屋上から城壁を見下ろします。
城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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北を見るとこれまで歩いてきたカーブした道が見えます。
道の両側は塀があってその向こうは見えませんでしたが、上から見ると塀の向こうは緑が多いのがわかります。城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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南の遠方には山並みが広がっています。
城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ここは2つの塔を繋ぐ部分の屋上。
城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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すぐ下に城門を潜って次々と出ていく車が見えます。
城壁博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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さっきはあの塔の上から見下ろしていました。
サン・セバスティアーノ門を出たところが交差点になっていて信号があります。
原チャリが並んで信号待ちしてます。サン セバスティアーノ門 史跡・遺跡
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信号が青になると、サン・セバスティアーノ門の小さな開口部から車がぞろぞろと連なって出てきて3方向に散っていきます。なんとなくその様子がユーモラスです。
サン セバスティアーノ門 史跡・遺跡
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サン・セバスチアーノ門から正面に向かう「アッピア・アンティカ通り (Via Appia Antica)」がかつてのアッピア街道です。
アッピア・アンティカ通りというのは旧アッピア街道という意味。並行して東にアッピア・ヌオボ通り Via Appia Nuova、すなわち新アッピア街道があるのでそれに対する名です。サン セバスティアーノ門 史跡・遺跡
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【遺跡No.59】サン・セバチアーノ門前の水飲み場(石棺とレリーフ)
交差点の南東の隅に水飲み場があるので喉をうるおそうと思ったのですが、、、。
この水を受けている直方体のもの、石棺じゃないの?
街道沿いには墓が建ち並んでいたというので、その石棺を再利用したんじゃないでしょうか。蛇口の上にある夫婦らしき男女の像も、おそらく墓に付けられていた被葬者の像です。見られているみたいで怖い。
こんな気持ち悪い水飲み場を作ったのはいったい誰だ? -
[11:28]
【遺跡No.60】第1マイルストーンの複製
気を取り直して先に進みます。
交差点から100mほど進むと右側に最初のマイルストーンがあります。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
http://roman-ruins.com/milestone/ -
円柱の上の部分に「I」と書いてあります。
起点のカペーナ門から1マイル、約1.48kmです。
ローマ街道には1アイル毎にマイルストーンが建てられていていて、マイル数が刻まれていました。これがブリンディシまで300本以上建っていたのです。 -
イチオシ
これは複製で、ミケランジェロがカンピドリオ広場を飾るために持って行ってしまいました。まったくあの時代の芸術家はやりたい放題です。
しかし複製でも本来の場所にある状態で見るのが私は好きです。特にこれはここにあって初めて意味をなすものですよね。 -
ここは交通量が多くバスも頻繁に通りますが、歩道が狭いので気をつけないと危険です。
マイルストーンの側は歩道もないので、マイルストーに近づくのはやめておきます。 -
マイルストーンを過ぎるとすぐに道路と鉄道の下をくぐります。空港行きのレオナルド・エクスプレスも通る線路です。
ここで歩道はなくなってしまいます。 -
[11:38]
サン・セバチアーノ門から800m程で道は3本に分かれます。左がアッピア街道です。
分岐点の左側にあるドミネ・クォ・ヴァディス教会 Chiesa del Domine Quo Vadis は、ペトロがローマから逃れようとしているときに既に磔になって死んだイエスと行き合ったという伝承があるところだそうです。話としては面白いし、カトリックの総本山サン・ピエトロに祀られている人物に関係するところなのでもっと人が訪れるのかと思っていましたが、意外なことに閑散としています。キリスト教には興味がないので素通りします。ドミネ クオ ヴァディス教会 寺院・教会
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分岐点手前の左側の壁にこの案内板があります。左側の道を行けということなのでしょうが判りにくいです。
ドミネ クオ ヴァディス教会 寺院・教会
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分岐してすぐの右の壁にアッピア・アンティカ通りの銘版。
左側の道で間違いありません。 -
そのあと右にカーブすると、その先はずっと直線が続きます。やっとアッピア街道らしくなってきました。
アッピア街道は軍隊を素早く通すために出来るだけ直線かつ勾配がないように敷いた道です。 -
地中にカタコンベがあり観光客で賑わっていますが、これも興味がないので素通り。
直線が続くので運転の荒いイタリア人の車はかなりスピードを出しています。石畳の道なので大きな音がします。車がホコリを巻き上げ排気ガスを撒き散らしていくので目と喉が痛くなってきました。すれ違うときには車が端に寄って歩行者すれすれに通っていき、スピードをあまり落とさない車もあってときどきヒヤッとします。両側が塀で遮られているので逃げ場もありません。
早くここを抜け出したいという気持ちでただひたすら急いで歩くという感じになってきました。古に思いを馳せながらアッピア街道を歩く、という事前に想像していたロマンティックなものとは程遠い状況です。
自転車でアッピア街道を走ることを考えている人は、この道路状況を考えに入れて決めた方がいいでしょう。端的に言ってやめた方がいいです。 -
[12:06]
【遺跡No.61】マクセンティウスの競技場
サン・セバチアーノ門から2km程で斜め左にアッピア・ピニャテッリ街道 Via Appia Pignatelli が分岐し、そこから先は一方通行になります。車に怯えなくて済むようになりほっと一息つきます。
分岐して300mちょっとのところにあるローマ7大巡礼聖堂の一つサン・セバスティアノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂は観光客が大勢いますが、もちろん素通り。サン・セバスティアーノ門はこれにちなんだ名前です。
しばらく歩くと左手にマクセンティウスの競技場があります。
起点から約4km、サン・セバチアーノ門から2.6kmです。マクセンティウスの競技場 史跡・遺跡
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イチオシ
4世紀初めの皇帝マクセンティウスが造った馬車競技場で、ヴィッラ、つまり自分の別荘に隣接しています。
ローマ市外からは遠すぎて、ローマ市民のために造ったものとは到底思えません。マクセンティウス個人用の競技場だったのでしょう。その証拠にこの競技場で開催された記録が残っているのは、309年のマクセンティウスの長男、14歳ほどで早世したウァレリウス・ロムルスの追悼式典だけです。ウァレリウス・ロムルスの円柱形の墓が競技場の横にあります。マクセンティウスの競技場 史跡・遺跡
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馬車が走った競争路は元の姿がよく残っていて、スピナという全長296mの中央分離帯があるのが判ります。
スペインのメリダにあるものはもっとはっきりとスピナや観客席の形がわかりますが、イタリアでは一番元の形をよく残しているものとのことです。マクセンティウスの競技場 史跡・遺跡
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これが復元図。
中央分離帯の真ん中に建っているのはオベリスクです。
1世紀にドミティアヌスの命により、ナイル川の花崗岩を使ってローマで造られ、パンテオン近くのイシス神殿に建てられていたものを移設したものです。
そして時を経て今はナヴォーナ広場の四大河の噴水の上にあります。そう、昨日最初に見たオベリスクです。マクセンティウスの競技場 史跡・遺跡
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イチオシ
[12:29]
【遺跡No.62】チェチーラ・メテッラの墓
マクセンティウスの競技場から300mほど行くと、左手に円筒形のチェチーラ・メテッラの墓が聳え立っています。高さ21m、直径29mと、墓としてはとんでもなく巨大なものです。チェチーリア メッテラの墓 史跡・遺跡
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被葬者のチェチーラ・メテッラはカエサル、ポンペイウスと第一回三頭政治という密約を結んだクラッススの息子の妻だそうです。夫のクラッスス一族は執政官や法務官を多数輩出した家柄で、本人も執政官を輩出した家の出です。しかし本人も夫も特に際立った事績はないのに、なぜこんな大きな墓に入っているのか謎です。息子のマルクス・リキニウス・クラッススはオクタヴィアヌスのもとで戦果を挙げそこそこ活躍した人なので、母親を敬っている立派な人ということを宣伝するためにこれを建てたのかもしれません。皇帝の墓であるアウグストゥス廟やハドリアヌス廟(サンタンジェロ城)は大きくても当然ですが、考えてみたらその他に見た古代ローマ人の墓は執政官を務めたとはいえ無名のガイウス・ケスティウスのピラミデや、マッジョーレ門の間近に立つ解放奴隷のパン屋マルクス・ヴェルギリウス・ユリサケスの墓で、やはりなぜそんな大きな墓なのか首をかしげるものでした。墓を建てるのは超一流からは外れた人の間で流行したものなのでしょうか。
チェチーリア メッテラの墓 史跡・遺跡
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後に南側に接して建物が付け足され、要塞として使用されました。
チェチーリア メッテラの墓 史跡・遺跡
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この窓の形からすると、ここは教会だったのでしょうか。
窓に鳩が停まっているのが侘しさを増します。チェチーリア メッテラの墓 史跡・遺跡
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アッピア街道に面した城の壁にはチェチーラ・メテッラの墓の断片が取り付けられています。
チェチーリア メッテラの墓 史跡・遺跡
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ここにも旧アッピア街道の銘版がありました。
チェチーリア メッテラの墓 史跡・遺跡
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イチオシ
[12:43]
【遺跡No.63】アッピア街道の石畳
チェチーラ・メテッラの墓から100mほど先にアッピア街道の元の石畳が残っています。
黒くて大きな石は表面がデコボコで石と石の間には隙間が空いていますが、古代ローマ時代には隙間なく平らな石が敷き詰められていて、木の車輪の馬車がスムーズに進めました。ローマが滅びてメンテナンスされなくなり、風雨に削られて今のような姿になってしまったのです。 -
2018年のアッピア街道の度はここまでです。
地図を見るとこの先もしばらく道は直線で続いています。最短コースを通したローマ街道の特徴がよくわかります。
起点のカペーナ門からここまで約4kmで、ブリンディシまでの全長540kmのほんの0.7%にすぎません。アッピア街道の旅は始まったばかりです。(アッピア街道の延長は書かれているものによって数字がかなり違うのですが、ローマ=ブリンディシ間の距離からみて540km程度のはずです。)今度は車でローマから終点のブリンディシまでたどってみたいと思っています。
チェチーラ・メテッラの墓から東に3km程、地下鉄A線に近いところに水道橋公園があってそこも見たかったのですが、そちらの方に行くバスはその時間帯にはありませんでした。歩けない距離ではありませんが、人気がありそうもなく道も定かではないので、安全を考えてやめました。
ローマ方面行きの118番のバスが通るアッピア・ピニャテッリ街道 Via Appia Pignatelli は400mほど東です。 -
交差点のすぐ北側にある停留所からバスに乗ります。
-
[13:09]
118番のバスはローマ中心部まで行きます。
待っているとバスに乗る人がもう2人来ました。
バスが来たら手を大きく振って乗る意志を示します。こうしないと通過してしまいます。 -
北行きはサン・セバスティアノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂には寄らず、アッピア・ピニャテッリ街道を直進します。
間もなくアッピア街道に合流して、先ほど歩いてきた石畳の道を豪快に飛ばします。ローマのバスは街中で突然燃える事故が何度も起きているほど老朽化がひどいのですが、乗ったバスもバネが全く効いていなくて、ガタガタガタガタものすごい音を立てて激しく揺れながら走ります。踏ん張っていないと体が跳ねて椅子から落ちそうなほどです。ちなみにバスの火災は私が訪れた直後の2018年の5月8日にあり、これでこの年9件目だったそうです。街中で高く炎を上げ、黒焦げの骨組みだけになった映像は衝撃的でした。2017年には22件起きたそうです。
行きに歩いた時に見ていた通り、道がそんなに広くないのにすれ違うときもスピードを落とさずに右側の壁ギリギリを走り抜けます。右側の窓際に座っていたのですが、壁を擦りそうで怖くなり窓から離れたほどです。 -
ヌマ・ポンピリオ広場からサン・セバチアーノ門までは南方向の一方通行なので、門の手前で左折して西を迂回します。ヌマ・ポンピリオ広場でアッピア街道のルートに合流し、その後カペーナ門からチルコ・マッシモの西側を通ってローマ中心部に進みます。
-
【遺跡No.64】エジプト風ライオンの噴水
バスはちょうど一昨日歩いたチルコ・マッシモ、フォロ・ボアリウム、マルケッルス劇場を経てカンピドリオ広場の下を通り抜けていきます。
なんとここで一昨日見落としたコルドナータ(大階段)下のライオン像が見えました。これもイシス神殿から出土した古代のものです。 -
[13:38]
この辺りなら他の人が降りる停留所で適当に降りてもなんとかなります。
バスはインスラの横を通りヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の下をかすめ、フォーリ・インペリアーリに進みます。
ここで他の人に続いて降りました。
人が多くてごった返しています。 -
もう一度コロッセオを眺めながら花壇の縁に腰掛けて一休み。歩き疲れてバテ気味なので小一時間休んでました。
それにしても人が多い。バッテリーを持って充電させる商売があるようでやってもらっている人がいます。ぼったくられないといいんですが。コロッセオ 建造物
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[14:34]
コロッセオ駅から地下鉄A線に乗ってテルミニ駅まで戻ります。
ローマの地下鉄もずいぶんきれいになりましたが、来たのは昔ながらの乗るのがはばかられるような落書きだらけの車両でした。コロッセオ駅 駅
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[15:18]
新しいフードコート、メルカト・チェントラーレを一回り眺めてみましたが今ひとつ食欲をそそるものがありませんでした。以前からある2階のフードコートを見たらリゾットがあります。疲れた体にはこういうお腹に優しいのがうれしいので、これを夕食にすることにします。チャオ イタリアン
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夕食には早いので空いていました。
ここはAuto grillというヨーロッパ各国で展開しているサービスエリアを運営している会社がやっているチャオ Ciao というレストランです。メルカト・チェントラーレがちょっと凝ったものが多いのに対してオーソドックスで見劣りしますが、手軽に済ますには便利です。チャオ イタリアン
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窓から駅の1階を行き交う人を眺めながらの食事です。
リゾットとズッキーニ。ちょっと味付けが薄かったかったけれどまあまあといったところ。チャオ イタリアン
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食後にメルカト・チェントラーレでお茶します。
今日は素直にカプチーノにして砂糖をたっぷり入れて飲みます。やっぱりミルクたっぷりで甘いのが一番です。メルカート チェントラーレ ローマ イタリアン
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[16:45]
【遺跡No.65】国立ローマ博物館(ディオクレティアヌス浴場)
最後にテルミニ駅の近所の遺跡を一回り。足がパンパンにはって挫けそうになりますが、気力を振り絞って最後の見物です。
駅の北側にはローマ国立博物館がありますが、ここはディオクレティアヌス浴場の建物を利用しています。国立ローマ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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広くてでかいのですが、これでも元の浴場のほんの一部です。
国立ローマ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
【遺跡No.67】ドガリのオベリスク
共和国広場の南西側にある小さな三角形の公園にはオベリスクが建っています。 -
ラムセス2世がヘリオポリスの太陽神殿に建てたもので、一昨日いくつかあったのと同じく、これもまたパンテオン近くのイシス神殿に建てられていました。
ヘリオポリスでは2本対で建てられていて、その片割れはフィレンツェのボーボリ公園にあるそうです。
今回見たオベリスクはこれで12本目。オベルスクを制覇する意図はなかったのですが、結果的にローマとヴァチカンにある13本中12本を見ました。残る1本はチェリモンターナ公園にありますが、地図を見るとアッピア街道の起点カペーナ門の近くです。うまく回れば見れたな。 -
イチオシ
【遺跡No.68】サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂
そして真ん中に噴水のある共和国広場の東側はサンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂。ミケランジェロがディオクレティアヌス浴場の遺構を利用して造った教会です。
この入口部分は円形のカルダリウム,(高温浴室)の壁の一部を使ったものです。
建物の内側の円形を教会正面として使うなんてところは、常人だったらまず思いつかないでしょう。やはり天才なのかな、と思ってしまいます。サンタ マリア デッリ アンジェリ教会 寺院・教会
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入り口に女性の浮浪者がいました。前に来たときもいましたが、いつもいるんでしょうか。
入ったところはドームになっています。これはテピダリウム(微温浴室)をそのまま使っています。
天井中央の開口部にステンドグラスが嵌めてあり、色のついた光が降り注ぐ様子は神秘的です。サンタ マリア デッリ アンジェリ教会 寺院・教会
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その奥は外からは想像のできない巨大な空間です。
この中央の四角い部分はフリギダリウムという冷水プールのあった部屋です。
本当にお祈りしている人もいるのであまりはしゃいじゃだめです。
大勢が裸で汗を流してくつろいだ場所が神聖な祈りの場所になっているなんて不思議な感じがします。サンタ マリア デッリ アンジェリ教会 寺院・教会
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【遺跡No.68】八角形のホール(アウラ・オッタゴナ)
国立ローマ博物館(ディオクレティアヌス浴場)
教会の北側にある建物もディオクレティアヌス浴場の建物です。
1928年から1980にはプラネタリウムとして使っていたのだそうです。アウラ オッタゴナ 博物館・美術館・ギャラリー
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【遺跡No.69】サン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会
共和国広場の一本西のトリノ通り沿いには、これもディオクレティアヌス浴場跡を利用したサン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会があります。
浴場の北西の角にある円形の塔の部分です。サン ベルナルド アッレ テルメ聖堂 寺院・教会
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トリノ通りを南下すると三越ローマ店です。
今回の旅ではほとんど日本人に合うことがなかったのですが、ここには当たり前ですがたくさんいました。三越 (ローマ店) 百貨店・デパート
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イチオシ
【遺跡No.70】ディオクレティアヌス浴場
トリノ通りを南下し、ヴィミナーレ通りをテルミニ駅のある東の方に進むと、北側に円形の張り出しがあります。中央には駐車場の入り口があり左にはレストランの入口が開いています。
これはディオクレティアヌス浴場の南西の角の塔です。
先ほどのベルナルド・アッレ・テルメ教会と対象の位置で、その距離370mがディオクレティアヌス浴場の幅ということになります。
ちょうどその中央東側にある共和国広場を取り囲む半円形の建物は、ディオクレティアヌス浴場のエクセドラという大きな半円形の張り出し部分の上に建てられています。三越の入っている建物もその一部です。 -
これで今回予定していた古代ローマ遺跡は全て見終わりました。
もうへとへと。テルミニ駅でジェラートを食べて一息つきます。テルミニ駅 駅
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駅の本屋にはドラえもん。
テルミニ駅 駅
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ガラス張りの壁に広告や駅の名前の映像がカラフルに舞っているテルミニ駅の西側の出口からホテルに帰ります。
テルミニ駅 駅
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ホテルに帰ったら窓が壊れて閉まらなくなっていたので部屋を変えてもらいました。部屋に確認に来たホテルの人と一緒にフロントまで降りるときに建物中央にある階段を使ったのですが、非常扉を開けると中央が吹き抜けの大きな空間が現れて驚きました。建物全体では口の字型になっていて中央が階段という構造なのですね。
ホテル テックス ホテル
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今度は道に面していないので静かです。
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窓から右奥を見ると雑然とした様子。表通りから見えないと壁の表面が剥がれていてもそのまま放置されています。
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本日は歩いたのは18.1km、24,528歩、登った階数17階でした。
もう歩けません。
この旅行記を書くために調べているうちに、気が付かずに見ていた古代ローマ遺跡がいくつも見つかり、今回見た総数は始めに思っていたものから増えて70個になりました。ホテル テックス ホテル
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ローマ再訪~古代ローマ遺跡三昧の旅(2018年4~5月)
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