
2018/04/29 - 2018/05/04
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Tatsuoさん
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この旅行記のスケジュール
2018/05/01
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ポンペイウス劇場跡
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地下鉄A線 オッタヴィアーノ駅ーテルミニ駅
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ローマ再訪~古代ローマ遺跡三昧の旅
2007年にローマを初めて訪れたときに古代ローマの魅力にはまり、それ以来いつかお膝元のローマの遺跡巡りをしたいと思っていました。
そして2018年のゴールデン・ウィーク、うまいこと休みが取れたので、急に思い立って念願のローマの遺跡巡りに出かけることにしました。
訪れた遺跡は全部で70個。古代ローマ遺跡まみれの4泊5日の旅です。
(調べるうちに知らない遺跡を気付かずに見ていたことがわかり数が増えました。)
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【5】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る【後編】 (2018/5/1)
ローマ市内の古代ローマ遺跡を一筆書きで辿る1日の後編です。
共和政ローマ時代のセルウィウス城壁の北側、カンプス・マルティウス、マルスの野と呼ばれる地域の遺跡22個を巡ります。
オベリスクがあちこちに登場します。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
事件現場、ポンペイウス劇場(イタリア)
http://roman-ruins.com/pompeius/
ナボーナ広場~古代の陸上競技場跡(イタリア)
http://roman-ruins.com/navona/
アウグストゥス廟―初代皇帝の墓はとても地味(イタリア)
http://roman-ruins.com/augustus_mausoleum/
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【1】ローマ到着~予想外の古代ローマ遺跡に遭遇 (2019/4/29)
【2】ハドリアヌスの別荘~静かにひっそり過ごす別荘だと思ったら・・・ (2018/4/30)
【3】まだ明るいのでテルミニ駅近くの遺跡めぐり (2018/4/30)
【4】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る 【前編】(2018/5/1)
>【5】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る 【後編】(2018/5/1)
【6】アッピア街道~起点から4km、埃っぽいアッピア街道を歩く (2019/5/2)
【7】帰国 (2019/5/3-4)
参考資料
・「とんぼの本 ローマ古代散歩」小森谷 慶子、小森谷 賢二
・「世界のオベリスク」 http://www.obelisks.org/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
[11:21] ※主要箇所には最初に時刻を記載しています。
【遺跡No.30】トッレ・アルジェンティーナ広場
※古代ローマ遺跡にはこの旅で見た通番をつけて記載しています。
アラコエリ広場の噴水からアラコエリ通りを北に進みます。
共和制の頃のローマ市内を囲んでいたセルウィウス城壁の外で、カンプス・マルティウス、マルスの野と呼ばれる地域に入りました。
カンピドリオの丘周辺にはあれほどいた観光客の姿はほとんどありません。
東西に走るボッテーゲ・オスクレ通りに出たら左折し西に200mちょっと進むと、右側に建物のない広い空間が現れます。
ここは古代の神殿が発掘されたトッレ・アルジェンティーナ広場です。4つの神殿の跡があります。
この広場はネコが多いことでも有名で、野良猫の保護施設があるそうです。 -
[11:29]
トッレ・アルジェンティーナ広場の北を東西に走るヴィットリオ・ヴェネト2世大通りを西に200mほど行くと、左手にあまり目立たないサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会があります。この教会の先を左に100m入ると、右斜めに枝分かれする道があります。 -
イチオシ
【遺跡No.31】ポンペイウス劇場
この道は大体同じような調子で左にカーブしていて、両側の建物まで弧を描いています。これは紀元前55年に完成したポンペイウス劇場の名残です。
ポンペイウス劇場の観客席の半円形の土台の上に建物が建てられているためにこんな形をしているのです。
これが今回見たかったものの2番目。
当時の建物の残骸がこの下に埋もれていて、この写真の手前にあるホテル・テアトロ・ディ・ポンペオでは地下のアーチ型天井の空間をレストランにしているそうです。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
事件現場、ポンペイウス劇場(イタリア)
http://roman-ruins.com/pompeius/ -
ポンペイウス劇場自体は残念ながら何も残っていません。外周部分に一部壁が残っているらしいのですが、このときは知らなかったので見そびれました。
古代ローマの建物はどこも、建築や装飾、彫像などの材料を取るために破壊されていいきました。ポンペイウス劇場を構成していたものもいろいろなところに再利用されたようですが、そのうちの一つはこの後見に行きます。 -
道はほぼ半円を描き元の道に再び合流します。
まっすぐな道の側が舞台で、先ほど曲がった角の教会は舞台の袖にあたる場所なのだそうです。(とんぼの本 ローマ古代散歩)
ポンペイウス劇場は古代ローマ初の常設の劇場で、舞台の後ろ側には広大な庭園や回廊がありました。その端はトッレ・アルジェンティーナ広場にまで掛かっています。
ポンペイウス劇場はカエサルが暗殺された場所でもあります。カエサルは元老院議場で殺されたのですが、当時フォロ・ロマーノの議場は改修中で、代わりにポンペイウス劇場が議場になっていたのです。最近カエサルが殺された正確な場所を特定したという発表がありましたが、それはトッレ・アルジェンティーナ広場にあるようです。 -
[11:41]
ヴィットリオ・ヴェネト2世大通りを更に西に160mほど行くとカンチェッレリア宮があります。
カンチェッレリア宮は16世紀に完成した宮殿ですが、この外壁のトラバーチンがポンペイウス劇場のものらしいのです。でも残念ながら改装中で覆いが掛けられていて見えません。カンチェッレリア宮 建造物
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【遺跡No.32】ポンペイウス劇場の柱(カンチェッレリア宮)
中庭のアーチを支える柱もポンペイウス劇場のもので、元は劇場の座席を支える柱でした。カンチェッレリア宮 建造物
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柱はエジプトの花崗岩でできていて赤っぽい色をしています。
4世紀にサン・ロレンツォ・イン・タマーゾ教会に使われ、それが更にここに転用されました。カンチェッレリア宮 建造物
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中庭の端に石の欠片が並べてあります。
これももしかしてポンペイウス劇場から来たものでしょうか?カンチェッレリア宮 建造物
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[11:56]
【遺跡No.33】ナヴォーナ広場
カンッチェッレリア宮からヴィットリオ・エマヌエーレ2世大通りを挟んで北に100mのところにナボーナ広場があります。
雨がちょっと強くなってきました。広場は大勢の人で混雑しています。
この楕円形の広場は、紀元1世紀に11代皇帝ドミティアヌスが造ったドミティアヌス競技場の跡です。ポンペイウス劇場と同じようにここも観客席の土台の上に建物が立ち、かつて競技場だった場所を取り囲んでいます。
今のような広場になったのは16世紀から17世紀にかけてです。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
ナボーナ広場~古代の陸上競技場跡(イタリア)
http://roman-ruins.com/navona/ナヴォーナ広場 広場・公園
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広場には3つの噴水があります。
南にあるのがムーア人の噴水です。
中央がイルカと格闘するムーア人で、その周りを4対の海神トリトンが囲みます。ムーア人の噴水 史跡・遺跡
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説明はそうなのですが、口になにか咥えて吐いている人が4人、口から水を吐き出しているおじさんが4人、としか見えません。
グロテスクにしか見えず、この美的感覚が私には理解できません。ムーア人の噴水 史跡・遺跡
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広場の中央にあるのが四大河の噴水です。
ローマではいたるところに登場する商売上手なベルニーニ作です。
ガンジス川、ナイル川、ラプラタ川、ドナウ川を擬人化したのだそうです。でもなぜラプラタ川?四大河の噴水 史跡・遺跡
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イチオシ
【遺跡No.34】アゴナリス・オベリスク
四大河の噴水の上にはオベリスクが建っています。
このオベリスクは1世紀にドミティアヌスの命により、ナイル川の花崗岩を使ってローマで造られたものです。
ここにあった競技場と同じ人物が造ったものですが、もともと競技場に建っていたわけではありません。そもそもここは陸上競技場なのでオベリスクを建てられる中央のスピナはありませんでした。
最初はこの少し東側にあったイシス神殿の前に建てられました。その後4世紀にアッピア街道沿いのマクセンティウス競技場に移され、更に17世紀にこの噴水を作るためにここに移されました。そのマクセンティウス競技場は明日訪れます。四大河の噴水 史跡・遺跡
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四大河の噴水の横に建つのは4世紀に殉教したアグネスを祀るサンタンニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂です。
アグネスが殉教したのは、キリスト教を弾圧したということでキリスト教徒に嫌われているディオクレティアヌス帝のときのことです。サンタニェーゼ イン アゴーネ教会 寺院・教会
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北にあるのがネプチューンの噴水。
広場の周囲にはレストランやカフェが並んでいます。ちょうど昼時なのでどこも混んでいます。
面倒なので食事は後回しにして遺跡めぐりを続けます。ネプチューンの噴水 史跡・遺跡
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[12:30]
ナボーナ広場を北側から出て路地を東に200mほど進むと、右手の路地の向こうにパンテオンの大きなドームが見えます。パンテオン 建造物
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イチオシ
【遺跡No.35】パンテオン
パンテオン前は大混雑です。ここは前回2008年にも来ているので2回目です。
パンテオンは初代皇帝アウグストゥスの右腕であったアグリッパが創建した神殿で、今残っているのはハドリアヌスが再建したものです。パンテオン 建造物
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【遺跡No.36】マクテオ・オベリスク
パンテオンの前のロトンダ広場に建つオベリスクはエジプトから運ばれてこの近くのイシス神殿に建てられていたもので、18世紀にこの広場が造られたときにここに建てられました。
根元の噴水ではやはり化け物が水を吐き出しています。ロトンダ広場 広場・公園
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パンテオンに入る行列が広場を斜めに横切って北東の端までつながっています。
2008年に来たときは中で儀式か何かをやっていて入れませんでした。今日は絶対に入りたいので列に並びます。パンテオン 建造物
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近づいてきました。近くで見ると想像以上の大きさで圧倒されます。
ほんとにAGRIPPAって書いてありますね。
ハドリアヌスが再建したのになぜこれはアグリッパのままなんでしょうか。パンテオン 建造物
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パンテオン入場は無料です。
チケットを買うなど時間がかかるものがないので、意外と列は早く進み、5~6分で中に入れました。パンテオン 建造物
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中がまた想像以上に広大な空間で驚きます。あんなに行列して大勢の人が入っているのに空間があります。
天井の中央に空いた穴から光が降り注ぎ、荘厳な雰囲気を造っています。
壁は彫刻や彫像で埋め尽くされています。パンテオン 建造物
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パンテオンから出てきた頃には雨がやみました。
パンテオンの左側の道に入り、ドームの部分を横に見ながら歩きます。
ドームを後ろ側から見るとこんな感じです。ドームの中は整然と飾り付けられていますが、外から見ると放置された残骸のようにも見える荒れた感じです。パンテオン 建造物
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[12:58]
【遺跡No.37】ミネルバ・オベリスク
パンテオンの南東にミネルバ広場があります。
その中央には可愛らしい象の彫刻があり、ミネルヴァのひよこと呼ばれています。これもベルニーニの作です。
そして象の背中にはオベリスクが乗っています。1世紀末頃にエジプトから運ばれてイシス神殿に建てられていたものです。
そのエジプトの女神イシスを祀るイシス神殿は、この広場の東にありました。これまでに見たナヴォーナ広場のものやパンテオン前のものも建っていたところです。今はサンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ聖堂という教会が建っています。後ろの修復中のものがその教会です。ミネルヴァ広場 広場・公園
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イチオシ
ミネルヴァのひよことパンテオンはこんな位置関係です。
知らなかったのですが、パンテオンの南の方にパンテオンと同じくアグリッパが造ったアグリッパ浴場の残骸があります。実は私はアウグストゥスとアグリッパが大好き。それなのにこの浴場跡を見落としてしまいました。不覚。
ローマにはまだまだ知らない遺跡がたくさんあります。ミネルヴァ広場 広場・公園
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[13:09]
【遺跡No.38】モンテチトーリオのオベリスク
今度は北東に進みます。路地をジグザグに200mほど進むとモンテ・チトーリオ広場に出ます。
この広場にもオベリスクが建っています。
アウグストゥスが紀元前10年にヘリオポリスからローマに運び、この近くにあったらしい「アウグストゥスの日時計」の柱にしたものです。アウグストゥスの日時計がどんなものだったか見てみたいですね。どこかに復元してくれないかな。
元々ヘリオポリスでは、今ポポロ広場に建っているフラミニオ・オベリスクと対で建っていました。
広場北側のモンテチトーリオ宮殿はイタリア代議院議事堂です。代議員は下院に当たりますが、上院に当たるのはなんと「元老院」。そうそう、そうでなきゃ。モンテチトーリオ宮 建造物
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[13:14]
【遺跡No.39】マルクス・アウレリウスの記念柱
そのすぐ東にコロンナ広場があり、そこにはマルクス・アウレリウスの記念柱が建っています。
2世紀後半の第16代皇帝、哲人皇帝と言われるマルクス・アウレリウス・アントニヌスの功績を顕彰する記念碑です。マルクス アウレリウスの記念柱 モニュメント・記念碑
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リアルで動きのある人の姿がものすごい細かさで描かれています。作る手間を考えると気が遠くなりそう。
このレリーフは北方で起きたマルコマンニ戦争の様子を螺旋状に刻んだものです。フォーリ・インペリアーリのトラヤヌスの記念柱と同じ形式です。
マルクス・アウレリウス帝はこの遠征中に亡くなりました。マルクス アウレリウスの記念柱 モニュメント・記念碑
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[13:20]
【遺跡No.40】ハドリアヌス神殿
コロンナ広場の南西端の道を南下すると建物の前に柱列だけが並ぶハドリアヌス神殿跡があります。
残っているのは北面の柱列だけなので、全体像は全くわかりません。アドリアーノ神殿 史跡・遺跡
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[13:34]
ハドリアヌス神殿から東に300mほど行くとトレビの泉です。
超定番スポットなので大混雑で、特に泉の近くは大変な人だかりです。泉自体に興味はないので近づくのはやめにします。
古代のものではないので、もちろん今回見た遺跡にはカウントしません。トレヴィの泉 建造物
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じゃあなぜ来たのかというと、2つのレリーフが見たかったからです。
トレヴィの泉は、紀元前19年にアグリッパが造ったヴィルゴ水道が15世紀に修復されアックア・ヴェルジネとして蘇ったときに、水道の終点として造られたものです。
そして泉背後の壁面の右上には、水源となった湧水を乙女が指し示すという、ヴィルゴ水道の伝説の場面を描いたレリーフがあります。トレヴィの泉 建造物
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そして左上にはアグリッパがヴィルゴ水道の建設を指図している姿が描かれています。
アグリッパ好きとしてはこれを見ないわけにはいきません。トレヴィの泉 建造物
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[13:41]
トレビの泉の東側はローマ七丘の一つクイリナーレの丘です。
トレビの泉から南下して左側の坂道を登っていくと、クイリナーレ宮殿があります。
そろそろ疲れてきて坂道が足にとても堪えます。
クイリナーレ宮殿は大統領官邸です。先ほどのモンテチトーリオ宮殿もそうですが、警備員はいるものの警備はかなり簡素です。クイリナーレ広場 広場・公園
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【遺跡No.41】クイリナーレのオベリスク
【遺跡No.42】セラピス神殿の群像
宮殿前のクイリナーレ広場にはまたまたオベリスクが建っています。
ローマで作られてアウグストゥス廟の前に2本セットで建てられていたもので、碑文がありません。セットの片割れは、昨日の朝に見たサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の裏手、エスクイリーノ広場のものです。
そして根本に飾られているのは悍馬を制する双子神カストルとポルックス像で、この西側にあったセラピス神殿にあったものが、後にコンスタンティヌス浴場に移されたものと考えられているとのことです。(とんぼの本 ローマ古代散歩)クイリナーレ広場 広場・公園
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[14:02]
もと来た坂道の途中から北に向かう路地に入り、北北西の方角に700mほど行くとスペイン広場です。
これも超定番なので大混雑です。
お目当ては階段の上にあるので、広場は素通りしてスペイン階段を登っていきます。スペイン広場 広場・公園
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スペイン階段を登った先にはトリニタ・デイ・モンティ教会があります。
そして私の目的はその前に建っているものです。トリニタ デイ モンティ教会 寺院・教会
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【遺跡No.43】サルスティアーノ・オベリスク
教会前に建っているのはまたもやオベリスク。
古代ローマで作られたものと考えられていますが、いつ誰が造ってどこに建てたものか不明です。ここに建てられたのは18世紀のことです。トリニタ デイ モンティ広場 広場・公園
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オベリスクの建つスペイン階段頂上部から見ると、6階建ての家並みを越えて遠くが見渡せます。
古代ローマのインスラは7階建てもあったので、家並みはこれより高かったことになります。
正面に伸びる道沿いにはブランド店が集まっているそうです。全く興味ありませんが。トリニタ デイ モンティ広場 広場・公園
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ここから北に連なるのがピンチョの丘です。丘の突端に沿った道を北に向かいます。意外なことにこれは車道です。
450m位のところで右側に上り坂の歩道があり、これを登るとローマの街が遮るものなく一望できるテラスに出ます。
左手、南側を見るとヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂がそびえています。あの辺りがカピトリーノの丘やフォロ・ロマーノのある古代ローマの中心ということですね。目印にはなりますが、雰囲気はぶち壊しています。 -
教会のドームや塔がたくさん見えます。
正面に見える大きなドームはテベレ川の近くにあるサンティ・アンブロージョ・エ・カルロ・アル・コルソ教会です。 -
やや右手の遠方に大きなドームが見えます。距離が遠そうなのにこの大きさに見えるのですから相当巨大なものであることがわかりますが、これがサン・ピエトロ大聖堂です。
雨もやんだので、景色を眺めながらの歩きは爽快です。 -
[14:28]
【遺跡No.44】ピンチョのオベリスク
テラスの先を右に入るとオベリスクがあります。 -
エジプトの神聖文字がはっきりわかります。
このオベリスクはハドリアヌス帝が造らせたもので、最初は昨日行ったティヴォリのハドリアヌスの別荘にありました。別荘の入口脇にあった、ハドリアヌスが寵愛した美少年アンティノウスの墓苑に建っていたのです。この墓苑は最近発掘されて明らかになったものです。(とんぼの本 ローマ古代散歩)
その後は転々として、19世紀にここに建てられました。 -
オベリスクの先はピンチョのテラスです。
ひときわ混雑しています。この真下に超有名スポットであるポポロ広場があるために、そちらから人が回ってくるのです。ポポロ広場の脇には地下鉄駅もあるので便利なのです。ピンチョの丘 広場・公園
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[14:41]
ピンチョのテラスの真下がポポロ広場です。
下る坂道の脇にはスフィンクスの像が並んでいます。そして広場の真ん中にはスオベリスク。統一されていると言えないこともありませんが、なんか妙な感じです。ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園
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イチオシ
ポポロ広場の上空を大きな鳥が悠々と旋回しています。
広場の南端には双子の教会があります。
教会の間の道はローマから北に伸びるフラミニア街道です。ちょうど広場の北をアウレリアヌスの城壁が通っていて、そこにフラミニア門がありました。今はその場所に16世紀に建て替えられたポポロ門が建っています。これはうっかり見落としてしまいました。古代のものではないけれど見ておくのだった。ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園
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【遺跡No.45】フラミニオ・オベリスク
広場中央のオベリスクは、アウグストゥスが紀元前10年にヘリオポリスからローマに運び、チルコ・マッシモの中央分離帯スピナに建てたものです。その後16世紀にここに建てられました。
ヘリオポリスでは、先ほど見たモンテチトーリオ広場に建っているものと対でした。
ルネッサンス以降、広場を造るといえばオベリスクを建てるのが定番になったようです。古代ローマではオベリスクはエジプトブームで建てたように思いますが、ルネッサンス以降のは単に飾るのに都合がよく見栄えもしたので使ったように感じます。ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園
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双子の教会の右側のリぺッタ通りを南下します。
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イチオシ
[15:00]
【遺跡No.46】アウグストゥス廟
500mほど行くとアウグストゥス廟があります。
紀元前28年にアウグストゥス自身が霊廟として建てたものです。75歳まで生きたアウグストゥスがまだ36歳のときです。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
アウグストゥス廟―初代皇帝の墓はとても地味(イタリア)
http://roman-ruins.com/augustus_mausoleum/アウグストゥス帝の廟 モニュメント・記念碑
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2007年には夕方薄暗くなったころ、少し離れたところからちら見しただけですが、荒れ果てた廃墟という感じでした。
見栄えのするものではないのですが、アウグストゥス好きにはたまりません。
今修復の真っ最中です。かなり大々的なもので、できあがりが楽しみです。アウグストゥス帝の廟 モニュメント・記念碑
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[15:19]
【遺跡No.47】アラ・パチス
アウグストゥス廟から道を挟んだ向かい側、テベレ川沿いにアラ・パチス、アウグストゥスの平和の祭壇があります。
残念ながらこの日は休館日でした。2007年は夕方になってしまい閉館で見られなかったので、今度こそと思ってきたのです。今回見たいもの3番目で、じっくり近くでじっくり見ようと意気込んできたのに。本当に残念。アラ パチス(平和の祭壇) 寺院・教会
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仕方ないのでガラス越しに眺めます。
ガラスが反射してしまいよく見えません。
アラ・パチスは紀元前9年に元老院がアウグストゥスに奉献したもので、パクス・ロマーナ、ローマによる平和の訪れを象徴するものです。
元はローマから北に伸びるフラミニア街道、今のコルソ通り沿いにありました。ここより南東の方角で、モンテチトーリオ宮殿の北側辺りです。
地中に埋もれていた破片を繋ぎ合わせて復元したのが今の姿です。アラ パチス(平和の祭壇) 寺院・教会
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ガラスに顔を近づけ手で顔の周りを覆って反射を避けて見ると、大理石に細かくて写実的な人の姿がぎっしりと彫刻されているのが見えてきます。これはやはり近くでじっくり見たい。
それにしてもこのガラス張りの建物、はやりのカフェか前衛芸術の美術館みたいで安っぽく、アラ・パチスの2000年の重みを台無しにしています。テベレ川沿いの景観にも全くそぐわず浮いています。そもそもアラ・パチスは元々川沿いにあったものではありません。
ぜひ元あったところに、もっとその意義にふさわしい形で展示して欲しいものです。
一休みしたくなり、入り口前のベンチのようなそうでないようなところに座ったら、雨に濡れた泥だか木ノ実だか鳥のふんだかわからないものがズボンに付いてしまいまい、印象はさらに悪くなりました。最悪です。アラ パチス(平和の祭壇) 寺院・教会
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残すはサンタンジェロ城とサン・ピエトロ寺院の2つ。
気を取り直して蛇行するテベレ川に沿って南下します。歩いているうちに薄日がさしてきました。ちょっと気分が上向いてきました。
川原は意外ときれいな道です。最初は閑散としていたのですが、途中のウンベルト1世橋は大勢の人が行き交っていました。右手に見えているドームはサン・ピエトロ大聖堂です。この橋は昼にいたポポロ広場から200mくらのところで、そこからサン・ピエトロ大聖堂に行こうとするとちょうどルートに当たります。
※2021/4/24 サン・ピエトロ大聖堂サンティ・アンブロージョ・エ・カルロ・アル・コルソ教会のものと誤解していたので訂正しました。ウンベルト1世橋 建造物
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【遺跡No.48】サンタンジェロ城
アラ・パチスから900m程でサン・タンジェロ城です。
昨日の別荘を始め登場回数の多いハドリアヌスが、自らの霊廟として造り始め、紀元139年、次の皇帝アントニヌス・ピウスのときに完成しました。
墓というよりは城です。実際、401年にホノリウスがアウレリアヌス城壁を改修したときには城壁に要塞として組み込まれましたし、その後にも要塞として使われたことがあります。
サン・タンジェロという名は城のてっぺんに建つ天使像に由来します。ここには元はハドリアヌスが4頭立ての戦車を引く像が設置されていたそうです。そっちを見たかった。サンタンジェロ城 城・宮殿
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イチオシ
[15:50]
【遺跡No.49】アエリウス橋(サンタンジェロ橋)
カンプス・マルティウスとサンタンジェロ城を結ぶ橋はハドリアヌス自信が架けたものです。今はサンタンジェロ橋と呼ばれていますが、元はアエリウス橋という名でした。アエリウスというのはハドリアヌスの氏族名です。
真ん中の3つのアーチが当時のまま残っています。サンタンジェロ橋 建造物
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橋はサン・ピエトロ寺院への参詣路としても使われたそうです。
欄干の上にはベルニーニが制作を指揮した全部で10体の天使像が建っています。サンタンジェロ橋 建造物
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劇的なポーズで建つ天使像はそばで見ると迫力があります。
サンタンジェロ橋 建造物
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ベルニーニはあまり好きではないけれど、人をあっと言わせるような演出はうまいですね。つい見入ってしまいます。
間違いなくインスタ映えしますね。サンタンジェロ橋 建造物
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サンタンジェロ橋を渡ったところがサンタンジェロ城の入り口ですが、前回2007年に入っているのでパス。
城の前で左折すると、正面がサン・ピエトロ寺院です。
古代ローマ人の格好をした人がいます。一緒に写真を撮る商売ですね。 -
やっぱりでかい。なかなか近づきません。
前回2007年に来たときにあのドームに登ったのを思い出します。手前の縁に立っている彫像が近くで見ると想像以上に巨大で驚きました。 -
[16:16]
やっと着きました。サン・ピエトロ寺院の周辺だけは別の国、バチカン市国です。境目に低い柵が置いてありますが、パスポートチェックなどなく自由に入れます。
広場を横切って中に入る長い行列ができています。これも前回入ったのでパス。サン ピエトロ広場 広場・公園
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薄日が射して来たので、巨大な噴水の水がキラキラ輝いてきれいです。
サン ピエトロ広場 広場・公園
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【遺跡No.50】バチカン・オベリスク
ここに来た目的はこれ。本日8本目のオベリスクです。
サン・ピエトロ広場の真ん中に建っています。
紀元37年に3代皇帝カリグラがアレキサンドリアからローマに運び、この辺りに造った円形競技場の中央分離帯スピナに建てました。
ちょうどこの年にカリグラは重い病に合い、その後暴君に変わったというので、正常な時の最後の仕事かもしれません。サン ピエトロ広場 広場・公園
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イチオシ
これで本日の一筆書きの古代ローマ遺跡巡りは完了です。
やれやれと思って一休みしていたら、広場の端で俄に歌が始まりました。
ギターやなんだかわからない丸っこい弦楽器、太鼓の音に合わせて歌い、輪になって踊っています。なんとなく南米を思わせる哀愁を帯びた曲調で、エンドレスです。
お揃いの服の背中に書かれた文字によると「新求道共同体」というカトリックの一派のようです。
遺跡巡りの締めくくりに聞いたこの音楽、なぜか妙に耳に残り、頭の中でしばらく鳴り続けました。実はその後も思い出すたびに頭の中でしばらく鳴り続けます。
もちろん旅行記を書いている今も鳴っています。サン ピエトロ広場 広場・公園
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[17:27]
サン・ピエトロ寺院から700mほど北のオッタビアーノ駅から地下鉄A線でテルミニ駅に戻ります。
地下鉄は自動改札です。オッタヴィアーノ駅 駅
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疲れ切っていて食事が面倒なので、夕食はテルミニ駅のフードコートにある揚げ物の店で買ったコロッケで済ますことにします。昨日のパスタ屋の隣です。
いつもならカプチーノなどミルク入りのコーヒにするのですが、せっかくイタリアなので苦いエスプレッソにしてみました。
やっぱり苦いな。量も少なくて飲み物という感じじゃないですね。メルカート チェントラーレ ローマ イタリアン
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コロッケは一個はケチャップライス入り。
メルカート チェントラーレ ローマ イタリアン
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もう一個はジャガイモ入りの普通のコロッケ。
どちらも想像通りの味で、まあこんなものか、という感じです。メルカート チェントラーレ ローマ イタリアン
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[18:34]
【遺跡No.51】セルウィウス城壁
そして駅前なので1個おまけの遺跡見物。セルウィウス城壁です。
テルミニ駅の正面を出て右側、北東寄りにあります。
セルウィウス城壁は紀元前4世紀ころ古代ローマの街を守っていた城壁です。 -
テルミニ駅地下のマクドナルドのそばにも、埋もれていたセルウィウス城壁のかけらがあります。
城壁の高さは最高10mくらいだったようですが、駅前で地上に顔を出しているは5mくらいなので、地下に5mほど埋もれていることになります。ちょうど今立っている辺りが当時の地面だったのでしょうか。
ローマは掘ればいたるところにこうした遺跡があるのでしょうね。
本日歩いた距離は23.9km、歩数32,409歩、登った階数28階でした。
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