2018/04/29 - 2018/05/04
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Tatsuoさん
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ローマ再訪~古代ローマ遺跡三昧の旅
2007年にローマを初めて訪れたときに古代ローマの魅力にはまり、それ以来いつかお膝元のローマの遺跡巡りをしたいと思っていました。
そして2018年のゴールデン・ウィーク、うまいこと休みが取れたので、急に思い立って念願のローマの遺跡巡りに出かけることにしました。
訪れた遺跡は全部で70個。古代ローマ遺跡まみれの4泊5日の旅です。
(調べるうちに知らない遺跡を気付かずに見ていたことがわかり数が増えました。)
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【4】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る【前編】 (2018/5/1)
ローマ市内の古代ローマ遺跡を一筆書きで辿ります。
見たいものが多すぎて絞ることができず、とにかく全てを見尽くしてやることにしました。地図とにらめっこしてできる限り多くの遺跡を見るルートをあれこれ考えた結果、チルコ・マッシモを起点に南から北にジグザグに巡っていくことにしました。一日で訪れた遺跡の数は43個。有名無名織り交ぜてひたすら遺跡を辿る一日です。
前半は古くからローマ市内だったセルウィウス城壁内の遺跡21個を紹介します。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
1日でローマ市内42個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る(イタリア)
http://roman-ruins.com/42ruiins-in-1day/
地味だけれど重要な地フォルム・ボアリウム[フォロ・ボアリオ]-首都ローマの商業の中心(イタリア)
http://roman-ruins.com/forum-boarium/
インスラ
http://roman-ruins.com/insula
アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
http://roman-ruins.com/milestone/
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【1】ローマ到着~予想外の古代ローマ遺跡に遭遇 (2019/4/29)
【2】ハドリアヌスの別荘~静かにひっそり過ごす別荘だと思ったら・・・ (2018/4/30)
【3】まだ明るいのでテルミニ駅近くの遺跡めぐり (2018/4/30)
>【4】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る 【前編】(2018/5/1)
【5】ローマ市内遺跡めぐり~1日で43個の遺跡を一筆書きで歩いて巡る 【後編】(2018/5/1)
【6】アッピア街道~起点から4km、埃っぽいアッピア街道を歩く (2019/5/2)
【7】帰国 (2019/5/3-4)
参考資料
・「とんぼの本 ローマ古代散歩」小森谷 慶子、小森谷 賢二
・「世界のオベリスク」 http://www.obelisks.org/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
[9:12] ※主要箇所には最初に時刻を記載しています。
遺跡巡りのスタート地点、チルコ・マッシモに向かいます。
テルミニ駅9:12発、地下鉄B線で昨日ハドリアヌスの別荘に行ったのとは反対方向の電車に乗車します。テルミニ駅 駅
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[9:17]
9:17にチルコ・マッシモ駅に到着。チルコ マッシモ駅 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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【遺跡No.9】チルコ・マッシモ
※古代ローマ遺跡にはこの旅で見た通番をつけて記載しています。
一筆書き遺跡巡りのスタートです。
地下鉄駅を出ると道の反対側に戦車競技場、チルコ・マッシモが広がっています。
どんよりした雲が垂れ込めて今にも雨が降りそうです。遺跡巡りは全部徒歩なので気掛かり。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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南側の通り沿いには柵があって柵越しに中を見ることになります。
弧を描いているのは観客席の残骸です。全体で25万人収容できたと言われています。
ここには古くから競技場がありましたが、カエサルとアウグストゥスが巨大な施設を作りました。
競技場の部分は周囲より低くなっていますが、かつての競技場の地面は更にこの下10mのところに埋もれているそうです。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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イチオシ
2007年に来たときは、下に人の姿が見えて降りてみたいと思ったものの、当時はまだ外国の街歩きに慣れていなくて臆病になりやめてしまいました。今回は下を歩いてみます。
チルコ・マッシモの横(長辺の方)に回り100mくらい行くと階段がつけられているので、これを使って競技場に降ります。降りてみて高低差が見た目よりあることに気付きました。
この大都会の真ん中にこんな広大な空間が、建物が建つでもなくそのまま放置され、歴史的に重要な建造物の跡なのに立ち入り自由というのは驚きです。イタリアらしいと言えるかもしれません。スペイン、メリダの競技場は立ち入り禁止でしたからね。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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中央部が盛り上がっていてその上が道になっています。犬の散歩をしている人に何人も行き会いました。この広大な空き地は犬の散歩に最適です。旅行者らしい人はほとんどいません。
かつて競技場の中央部にはスピナと言う中央分離帯があました。この盛り上がった中央部分がそれに当たります。ここにはエジプトから運ばれたオベリスクが2本建っていました。
一つは紀元前10年にアウグストゥスが建てたもので現在ポポロ広場の四大河の噴水の上にあるもの。もう一つは紀元357年にコンスタンティウス2世が建てたもので現在モンテ・チトーリオ広場に建っているものです。どちらも後で訪れます。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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【遺跡No.10】パラティーノの丘
右手、北東側は皇帝の住居があったパラティーノの丘です。
競技場の中央に皇帝観覧席があり、後にパラティーノの丘の皇帝住居と接続されたそうです。皇帝は住居から直接観覧席に出られたわけです。
見えている巨大な建物は、2世紀末から3世紀初めに第20代皇帝セプティミウス・セウェルスが建てたドムス・セプティミ・セウェリです。
競技場跡には小さな花が咲いています。また「兵どもが 夢の跡」という句が浮かんできました。昨日のハドリアヌスの別荘より、こっちの方が戦いの場なので相応しいかも。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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チルコ・マッシモを縦断して北西の端に来ました。
こちら側に出走ゲートがありました。競技のときは祭列がフォロ・ロマーノからフォロ・ボアリオを通って入場しこちら側から出走したのです。
戦車はコースを反時計回りに7周(後に5周)し、周回数がスピナにある卵型の装置でわかるようになっていました。
この広大な競技場を馬に惹かれた戦車が駆け回ったのです。きっとコーナーでは激しいぶつかり合いがあったでしょう。大迫力なのが想像できます。古代ローマ人が熱狂したのもわかります。チルコ マッシモ 史跡・遺跡
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[9:55]
雨が降ってきました。傘はあるけれど面倒なので、ウィンド・ブレーカーのフードを被って歩きます。
チルコ・マッシモの北西端を登り、左側の道を進んで交差点を右折すると、超有名スポットである真実の口があります。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)の壁に付けられた顔の浮き彫りのある円盤で、映画ローマの休日の影響でみんな行列を作って口に手を入れています。教会は修復中らしく絵の書いてあるシートに覆われています。
真実の口は実は古代ローマの遺物で、道路の向かいにあるヘラクレス・ヴィクトール神殿の排水口の蓋(英語版wiki)だったとも言われています。かつてあったドーム型の屋根の中央の穴から入る雨水の排水用とか、牛商人が生贄に捧げた牛の血を排水するためとか言われています。13世紀に教会の壁に付けられ、17世紀にこの場所に移されました。
お金を払って行列に並び排水口の蓋の模様に手を突っ込む暇はないので、ちら見するだけで済ませます。ちゃんと見ていないのでこれはカウントしません。
*2020/8/22修正(天井の中央の穴→排水口の蓋)、2020/9/1追記、修正サンタ マリア イン コスメディン教会(真実の口) 寺院・教会
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イチオシ
【遺跡No.11】フォルム・ボアリウム(フォロ・ボアリオ)
この辺りは古代ローマの広場、フォルム・ボアリウムです。「牛市場」という意味だそうです。
真実の口の道の向かい側は広場になっていて、二つの神殿と18世紀に造られたトリトンの噴水があります。
政治の中心フォロ・ロマーノに比べて地味で無名なので、人が全くいません。私はこういう珍しいのを見てワクワクしていますが、辺りはうら寂しい雰囲気です。
王政ローマ時代というので紀元前6世紀以前ですが、そのころ牛市場がありました。その後傍らにテベレ川の港が設けられて商業の中心になりました。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
地味だけれど重要な地フォルム・ボアリウム[フォロ・ボアリオ]-首都ローマの商業の中心(イタリア)
http://roman-ruins.com/forum-boarium/ -
【遺跡No.12】ヘラクレス・ウィクトール神殿(エルコレ・ヴィンチィトーレ神殿)
広場の奥、テベレ川寄りに形の違う神殿が2つあります。
南側の丸い方はエルコレ・ヴィンチィトーレ神殿(ヘラクレス・ウィクトール神殿) で、紀元前2世紀に建てられたと言われています。
20本の柱のうち19本が古代のまま残っています。
元は柱の上に帯状のアーキトレーブという装飾帯があり、その上に屋根が乗っていました。
Wikiにはローマにある最も古い大理石建築の一つとあります。これ以外は何なのでしょうか。
ヘラクレス・ウィクトールというのは勝利者ヘラクレスという意味で、コリントスの戦いでアカイア同盟軍を破った共和政ローマの軍人ルキウス・ムンミウス・アカイクスにより建てられたと言われています。
12世紀以降は教会に転用されていました。ヘラクレス神殿 史跡・遺跡
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【遺跡No.13】ポルトゥヌス神殿
北側にある四角いのがポルトゥヌス神殿です。紀元前75年に建設された港の神ポルトゥヌスに捧げられた神殿です。
傍らにあった港を守る神殿ということですね。テベレ川の港はローマに物資を運び込む玄関口でした。ポルトゥヌス神殿 史跡・遺跡
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【遺跡No.14】ヤヌス門(ジアノ凱旋門)
真東の方向にヤヌス門、別名ジアノ凱旋門があります。
壁龕(くぼみ)にはきっと彫像があったのでしょう。
4世紀初めに既存の建物の部材を寄せ集めて造らた4面の門です。
これが何なのかはわかっていませんが、コンスタンティヌス帝の顕彰記念門、市場の境界を表す門、牛市場の商人の避難所といった説があるそうです(英語版Wikipedia)。
排水口クロアカ・マクシマの真上に建っています。ジアノ凱旋門 史跡・遺跡
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[10:03]
【遺跡No.15】アエミリウス橋(ポンテ・ロット)
ポルトゥヌス神殿の北側を回って西に行くとすぐにテベレ川で、パラティーノ橋が架かっています。テベレ川の西岸、トランステベレ地区に一旦渡ります。
右側に橋の残骸があります。古代ローマ時代の橋、アエミリウス橋で、ローマで一番古い橋です。
「壊れた橋」という意味のポンテ・ロットという別名がついています。1887年に今渡っているパラティーノ橋を架けるために壊されたとのことです。邪魔なところだけ壊したのですね。
この辺りの東岸に大排水口クロアカ・マクシマがあるのですが見落としてしまいました。ポンテ ロット 史跡・遺跡
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【遺跡No.16】ティベリーナ島
右手の上流側にテベレ川の中洲ティベリーナ島が見えます。
紀元前3世紀にペストが流行したときに医療の神アスクレピオスの神殿が建てられて病人が収容されました。16世紀に病院が建てられそれが今も残っています。古代の医療の聖地が未だに医療に関係あるところが面白いですね。
島は船を象って装飾されていました。ティベリーナ島 散歩・街歩き
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【遺跡No.17】ケスティウス橋
テベレ川の川岸に降りてみます。
西岸のトランステベレ地区とティベリーナ島を結ぶケスティウス橋を下から見上げます。
紀元前1世紀、島の反対側のファブリキウス橋より後に架けられた橋です。
その後4世紀に改築されましたが、そのときにはマルケッルス劇場を取り壊して得られた建材を使ったそうです。
19世紀終わりに川幅を拡張するのに伴い架け替えられましたが、中央のアーチは2/3が元の橋の部材です。チェスティオ橋 建造物
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笛の音が聞こえてきたと思ったら、自転車で笛を吹いてコース上の人をどかしていき、後からランナーが走ってきました。テベレ川マラソン大会です(勝手に命名)。
以前カナディアンロッキーのバンフにあるサプライズ・コーナーというボー川沿いでマラソン大会に出会ったのを思い出しました。チェスティオ橋 建造物
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赤いアーチはマラソンのゴールでしょうか?
チェスティオ橋 建造物
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ケスティウス橋でティベリーナ島に渡ります。
観光客の姿がちらほら。観光の中心は東岸なので、トランス・テベレに渡る人はそんなに多くありません。チェスティオ橋 建造物
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橋の中央部の欄干に白いトラバーチンの部材がはめ込まれています。両側にありますが、下流側のものには文字が刻まれているようです。
おそらく架替え前のものでしょう。もしかしたらマルケッルス劇場の壁から剥がしたものかもしれません。チェスティオ橋 建造物
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橋というと鍵をつけたがる人たちがいるのです。
これはローマを表す「SPQR」のマークですね。こんな狭いところにまで付けなくてもいいのに。チェスティオ橋 建造物
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テベレ川マラソン大会は早い人がゴールしてます。まだ横を通り過ぎて走っていく人もいます。小雨がぱらついていて走るのには今ひとつの天気です。
チェスティオ橋 建造物
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【遺跡No.18】ファブリキウス橋
ティベリーナ島の中には目立った古代遺跡がないのでそのまま通り過ぎ、ファブリキウス橋でテベレ川東岸に戻ります。
ファブリキウス橋は紀元前62年に架けられた現存する最も古いローマの石造アーチ橋で、こちらはそのままの姿で残っています。もちろん現役で渡れます。ファブリキウス橋 史跡・遺跡
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この橋は観光客がたくさん行き交っています。
ほとんどの観光客はティベリーナ島を見て戻っていくのでしょう。ファブリキウス橋 史跡・遺跡
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東岸の橋の欄干には両側とも4つの顔のある大理石の石柱が取り付けられています。このためこの橋はクアトロ・チャピ橋 Ponte dei Quattro Capi 、4つの頭の橋という別名がついています。
顔がすり減っていて古そうな感じです。
これは1840年に近くのグレゴリオ・デッラ・ディウィナ・ピエタ聖堂から移設されたもので、元はマルケッルス劇場の近くにあったヤヌス神殿に関連するものと考えられるそうです。
ヤヌスは境界の神で表と裏の二面の顔を持ちます。
(移設については”Claridge, Amanda (1998). Rome: An Oxford Archaeological Guide. Oxford: Oxford Univ. Press”による。Wikipediaはこの書籍を中として載せているが、Wikipedia自体の記述は日本語版も英語版も間違っています。)ファブリキウス橋 史跡・遺跡
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橋のたもとに下に降りる階段があります。薄汚れていてちょっとためらってしまいますが降りてみます。
下からだと橋がよく見えます。
真ん中の小さな孔は、洪水時に水が通ることで水圧を逃がすためのものだそうです。ファブリキウス橋 史跡・遺跡
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アーチに「ファブリキウス」って書いてあります。
ファブリキウスは今の石造の橋の建設を監督した道路長官の名です。ファブリキウス橋 史跡・遺跡
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[10:32]
【遺跡No.19】オッタヴィアのポルティコ
ファブリキウス橋を渡って左斜め前に伸びる道を進むとオッタヴィアのポルティコがあります。
建物の前面の壁だけが残っています。どんな建物だったのかちょっと想像がつきません。
初代皇帝アウグストゥスが建造して姉の名を付けた建物で、図書館、集会所、学校があったそうです。オッタヴィア(オクタウィア)は兄アウグストゥスと夫アントニウスの間で大変な苦労をした人ですが、人々の尊敬を集めた人物です。オッタヴィアの列柱 史跡・遺跡
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右手にマルケッルス劇場の建物があります。よく見る姿の裏側になります。
マルケッルス劇場の向こう側に行きたいのですが、柵があって行けません。 -
川沿いの教会の手前に道があったので通り抜けられるかと思って入ってみたら行き止まりでした。
これもマルケッルス劇場の跡に建っているようです。舞台の袖あたりでしょうか。 -
【遺跡No.20】フォロ・オリトリオ
教会まで戻り、川沿いの道に迂回してマルケッルス劇場の反対側に回ります。
マルケッルス劇場の南側に何やら遺跡があるので写真を撮っておいたのですが、これはフォロ・オリトリオという青果市場の遺跡でした。先程見た牛市場フォロ・ボアリウムはこのすぐ南です。
かつては神殿が3つ並んでいたそうです。傍らに建つサン・ニコラ聖堂の壁面に列柱が埋もれているらしいのですが、修復中で覆いがかけられていて見えませんでした。 -
【遺跡No.21】共和制期の凱旋行列の道筋にあった凱旋歩廊
真実の口からヴェネツィア広場に通じる大通りに出ると、交差点の向こう側にまた遺跡があります。
共和制期の凱旋行列の道筋にあった凱旋歩廊のようです。(ローマ古代散歩 小森谷慶子・賢治)
凱旋式のパレードは北から来てフォルム・ボアリウムを通りフォロ・ロマーノに入って行ったらしいので、その通り道でしょうか。 -
イチオシ
[10:42]
【遺跡No.22】マルケッルス劇場
【遺跡No.23】ソシウスのアポロン神殿
大通りはマルケッルス劇場の横を通って右に緩やかにカーブして登っていきます。
マルケッルス劇場はカエサルが着工してアウグストゥスが完成させた劇場です。マルケッルスはアウグストゥスの姉オクタウィアの息子の名で、後継者候補として期待していたようですが、18才で早逝しました。
右側に柱が3本だけ残っているのは紀元前5世紀に創建されたソシウスのアポロン神殿です。マルチェッロ劇場 史跡・遺跡
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マルケッルス劇場を見渡せる辺りは近くにバスの駐車場もあって観光客がたくさんいます。
マルケッルス劇場は今ではアパートになっていて中に人が住んでいます。マルチェッロ劇場 史跡・遺跡
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[10:51]
【遺跡No.24】インスラ
今回一番見たかったのはこれ。
マルケッルス劇場から更に登ると右側にカンピドリオ広場に登る階段、その隣にはアラコエリのサンタ・マリア聖堂に登る階段があります。この二つの階段の左下に埋もれるように建物の残骸があります。
この地味な残骸こそ、今回の旅で私が見たかったもの。インスラという庶民の住宅です。
※古代ローマ遺跡に興味のある方はぜひ下記のサイトもご覧ください!
インスラ
http://roman-ruins.com/insula -
イチオシ
インスラの周囲が掘り込まれていて、地下に2階分が埋もれていることが判ります。全体では4階建てですが、考古学者によると最低5階はあったそうです(英語版Wikipedia)。
2000年前の古代ローマには、5階から7階建てのインスラという高層アパートが建ち並んでいたのです。まるで今の街並みと変わりませんよね。本当に驚きです。
人通りはとても多いのですが、古代ローマの驚異を目の当たりにできるすごい遺跡なのに、立ち止まる人はほとんどいません。私も以前来た時には知らずに通り過ぎてしまいました。
塔や色鮮やかな壁画は教会になっていたときのものです。たまに立ち止まる人もいますが、この壁画を見ている人が多いようです。
ひとりでしばし感慨に浸ります。 -
【遺跡No.25】カストルとポルックス像(カンピドリオ広場)
すぐ横にあるカンピドリオの丘への大階段コルドナータを登ります。
人が多いですね。有名観光地は雨でも観光シーズンじゃなくても関係なく混んでいるのですね。
このカストルとポルックス像はここからテベレ川の方に下った辺りで出土した破片をもとに復元したものです。(ローマ古代散歩 小森谷慶子・賢治)カンピドーリョ広場 広場・公園
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イチオシ
よく見ると広場の端にいろいろなものが建っています。その一番右にある円柱は、アッピア街道の第1マイルストーンです。
ミケランジェロがこの広場を飾るために持ってきてしまったもので、現地にはレプリカが建っています。(明日訪れます。)カンピドーリョ広場 広場・公園
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【遺跡No.26】アッピア街道のマイルストーン(カンピドリオ広場)
一番上に「Ⅰ」(ローマ数字の1)と刻まれているのがはっきりわかります。
「全ての道はローマに通ず」のローマ街道の第一号であるアッピア街道、その第1番目のマイルストーンです。ものすごく面白いと思うのですが、誰もこれには見向きもしません。
実はこれは前回2007年にも見たので2回目です。もし初めてだったら一番見たいもののトップを争うくらい興味津々なのです。カンピドーリョ広場 広場・公園
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そして左端にあるのは同じくアッピア街道の第7番目のマイルストーン。
カンピドーリョ広場 広場・公園
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【遺跡No.27】コンスタンティヌス1世・2世像
両端のマイルストーンの内側には皇帝像が建っています。
左から2番目は皇帝コンスタンティヌス1世の像です。台座に「CONSTANTIN AUG」と書かれているのは CONSTANTIN AUGUSTUS でコンスタンティヌス1世のことを表します。
コンスタンティヌス1世は4世紀初めのキリスト教を公認した皇帝です。カンピドーリョ広場 広場・公園
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そして右から二番目はその子供、皇帝コンスタンティヌス2世の像。
こちらの台座は「CONSTANTIN CAES」、CONSTANTIN CAESAR でコンスタンティヌス2世のことを表します。
コンスタンティヌス2世は皇帝になって3年、23歳で権力争いに破れ没しました。カンピドーリョ広場 広場・公園
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【遺跡No.28】マリウスのトロフィー
皇帝像の内側はマリウスのトロフィーと呼ばれるものです。
本当はマリウスとは関係ないようですが、戦利品を寄せ集めた像なのだそうです。元はテルミニ駅近くのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場にあるユリア水道の泉水堂に飾られていました、(ローマ古代散歩 小森谷慶子・賢治)
写真は右側のもの。カンピドーリョ広場 広場・公園
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そしてこれは左側のもの。
それにしても広場を飾るためによくもまあこれだけいろいろなものを集めたものです。
この他にも階段コルドナータの登り口にあるライオン像もイシス神殿から出土した古代のものだそうです。残念ながら知らずに見過ごしてしまいました。カンピドーリョ広場 広場・公園
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【遺跡No.29】カンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス騎馬像
カンピドリオ広場の真ん中にはマルクス・アウレリウス騎馬像があります。
これはレプリカで、本物は広場脇のカピトリーニ博物館の中にあります。
紀元175年に造られましたがもともとあった場所は不明で、フォロ・ロマーノともコロンナ広場とも言われているそうです。(英語版Wikipedis)
これが残ったのはキリスト教を公認した皇帝コンスタンティヌス1世と間違われたからだそう。
ミケランジェロ設計の広場自体や博物館、近くのフォロ・ロマーノやフォーリ・インペリアーリは前回見ているので、これでここはおしまいです。カンピドーリョ広場 広場・公園
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[11:12]
コルドナータを降り、正面に伸びるアラコエリ通りを北に進むと噴水があります。16世紀に造られたものです。
後ろに見えるのはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。巨大な建物なのでローマのあちこちから見えるのですが、これが目に入るたびに古代のロマンに浸ろうとする気持ちがぶち壊されます。 -
噴水のそばに観光客向けのフリー・ラウンジというのがあります。
トイレもあるようで、観光客には助かりますね。
さてこれから北の方に向かいますが、ここから先は共和制の頃はローマの市外だったところで、カンプス・マルティウスと呼ばれる地域です。
※トッレ・アルジェンティーナ広場、ポンペイウス劇場、カンチェッレリア宮は後半に移しました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- DDさん 2019/07/16 17:23:13
- 1マイルストーン
- 初めまして。
私も古代ローマに魅せられて、毎年ローマを訪れること8年目。
カンピドーリオ広場に1マイルストーンがあるのは知りませんでした。
今年は11月に行くので、絶対に行こうと思います。
情報、ありがとうございました。
- Tatsuoさん からの返信 2019/10/07 21:12:08
- Re: 1マイルストーン
- レスが遅く申し訳ありません。
階段(コルドナータ)を登っていても一番右の端なのでまず気付きません。広場の端っこなので人もほとんど行かない場所です。でも初めて間近で現物を見たときはちょっとした感動がありました。
毎年ローマなんてうらやましいです。ぜひ今年も楽しんでいらしてください。
去年の旅行記も私が行きたいところ満載なので、これからじっくり拝見しますね。
今年の旅行記も楽しみにしています!
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