2019/06/29 - 2019/06/30
9位(同エリア266件中)
旅猫さん
大人の休日倶楽部パスを利用して、梅雨真っただ中の東北へ。
向かったのは、柳田国男氏の『遠野物語』の世界が広がる遠野。
4年前に初めて訪れた時は、定期観光バスを利用して主だった場所は巡ったことから、今回は、より『遠野物語』の世界に浸るため、国選定重要文化的景観『遠野 荒川高原牧場 土淵山口集落』のうち、土淵山口集落を歩いてみることにした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回は、大宮駅を7:42に出る『はやぶさ101号』に乗車。
窓の外には梅雨空が広がり、どんよりとしている。
山も見えないので、こうなると新幹線は面白みがない。
そこで、JR東日本の情報誌『トランヴェール』を読むことにした。
すると、偶然にも、今月号の特集は『山怪×賢治×遠野物語』だった。 -
新花巻駅で9:57発の釜石線の普通列車に乗り換え遠野駅へと向かう。
やって来た列車は二両編成。
ホームには人が溢れていたが、運良く席は確保できた。
列車は長閑な景色の中を走って行く。遠野駅 駅
-
そして、1時間足らずで遠野駅に到着。
駅舎を出ると、かなり小柄で細い河童たちが出迎えてくれた。 -
そのすぐ近くでは、民話の里らしい陶板が歩道に埋め込まれている。
-
とりあえず、駅前にある観光案内所に立ち寄り、地図をいただく。
そして、まずは駅近くの施設を巡ることにする。
久しぶりに訪れたが、街並みはほとんど変わっていないようだ。 -
足元には、ご当地マンホールも。
描かれているのは、市の鳥であるヤマドリと竜胆。
ちなみに、平成18年以降の市の花は山百合なので、このマンホールは旧遠野市のものだ。 -
駅から数分歩くと、城下町資料館がある。
入場券を買い、中へ入ってみる。
すると、そこには遠野を治めた遠野南部氏所縁の資料が収められていた。
史料の数は少なかったのが残念だったが。遠野城下町資料館 美術館・博物館
-
史料館からは、すぐ近くにある『とおの物語の館』へと向かう。
史料館の入場券で、こちらも観ることが出来るとのことだったからだ。
移動途中には、街道筋のような風情のある建物が建っていた。 -
その街並みを過ぎたところに『とおの物語の館』があった。
思ったよりも広い施設で、柳田國男が滞在した旧高善旅館の建物が移築され、展示施設して利用されたいた。とおの物語の館 美術館・博物館
-
館内は、旅館当時の面影が色濃く残り、見応えがあった。
-
二階には、柳田國男などが宿泊した部屋が、当時の姿に復元されていた。
この旅館でも一番上等な部屋だったらしく、専用のお手洗いもあったそうだ。 -
その建物の裏手には、柳田國男が晩年に暮らしていた隠居所も移築されていた。
世田谷区の成城にあったもので、書斎に隣接する和室で亡くなったそうだ。 -
遠野物語の世界の予習をした後、駅前へと戻る。
その途中の交差点の角に、趣のある建物があった。
登録有形文化財に指定されている仙臺屋の店舗兼主屋だ。
屋号の由来は、江戸時代後期に、初代が仙台から移って来たことからだそうだ。
取り扱っていた商品は和菓子とお茶だったそうだが、現在はお茶だけらしい。 -
遠野駅に近づいて来ると、何やら音が聞こえて来た。
蒸気機関車の汽笛だ。
急いで改札まで行くと、『SL銀河』が到着するという。
せっかくなので、ホームまで行き、到着する『SL銀河』を見物した。SL銀河 乗り物
-
客車は4両で、『銀河鉄道の夜』を表現した鮮やかな青色を纏っていた。
それぞれの客車には、さそり座などの星座が描かれている。
今回の旅で利用して観たかったのだが、満席で乗ることは出来なかったのだ。 -
バスの時間となったので、駅前のバス乗り場へと向かった。
そして乗り込んだのは、12:26発の岩手県交通土淵線西内行きのバス。
乗り合わせたのは、地元の方2,3名と観光客の男性1名だけ。
男性は伝承園で降り、他の乗客も途中で降りてしまい、目指す山口バス停で降りた時には、私一人になっていた。
遠野駅からは、40分ほどの時間が経っていた。 -
バス停から、地図を頼りに歩きはじめる。
周囲は苗植えの済んだ田んぼが広がり、長閑そのものであった。 -
まず足を向けたのは、土淵山口集落を象徴するデンデラ野。
デンデラ野とは、この地方にかつて存在した習わしにより、60歳になった年寄りを捨てた場所。
老人たちは。ここで身を寄せ合って暮らし、日中は里へ下りて農作業を手伝っていたそうだ。デンデラ野 名所・史跡
-
その一角に『あがりの家』と言う、老人たちが暮らしていた小屋を再現したらしいものが建っていた。
この場所は、昔、縄文人が暮らしていたらしく、食い扶持を減らすための習わしではあるが、ある意味、何とか自給自足は出来たような感じがした。 -
デンデラ野からは、美しい里の風景が望めた。
老人たちは、毎日、このような景色を眺めながら、デンデラ野への坂を登り下りしていたのだろうか。
この地域では、農作業に出ることを『ハカダチ』、帰ることを『ハカアガリ』と言っていたそうで、『ハカ』とは『墓』のことのようだ。
しかし、ここで亡くなった老人たちは、家族たちが引き取り、里で埋葬されたらしい。 -
デンデラ野から集落へと戻り、山口の街道と呼ばれる、古い時代の道沿いに歩いて行く。
集落には、土壁の民家が風景に溶け込むように建っていた。 -
のんびり歩いていて気付いたのは、兜造りのような屋根をした民家が多いことだ。
太平洋側だが、この辺りは雪が多いのだろうか。 -
道沿いの民家の庭先に、草に埋もれるように建つ祠を見つけた。
龍神様のようだが、これではお詣りも出来ないだろう。 -
しばらく歩くと、大きな曲り屋が見えて来た。
その家は、かの『遠野物語』の話者であり、昔話研究の先駆者と言う佐々木喜善氏の家。
ここに、多くの研究者が訪れ、遠野の聖地とされているそうだ。佐々木喜善の生家 名所・史跡
-
近くの農家では、牛が飼われていた。
岩手特産の短角牛ではと思ったが、少し違うようだ。 -
この集落では、酪農を営む家が多いようだ。
あの兜造りのような建物は、牛舎などに利用されるもののようだ。
周囲の風景に水色の屋根が映え、いかにも日本の酪農風景だ。 -
さらに歩いて行くと、建物を解体している現場に行き会った。
地図を見ると、その近くに孫左衛門家の墓なるものがある。
ところが、探してみるても見つからない。
近くで野良仕事をしていらした女性に尋ねてみると、なんと、当の孫左衛門家の子孫の方だという。
教えていただいた墓の場所は、電気柵に囲まれた中にあり、遠目でしか見ることは出来なかった。 -
美味しそうなエンドウ豆を集荷宇宙だったその子孫の方に話を聞けば、遠野物語にあるように、山口孫左衛門家は茸の毒に当たり女の子一人を除いて一家全滅したのは間違いないようだが、その茸が生えていたのは、蛇の死骸だったそうだ。
残された女の子にも子が出来ず、結局、孫左衛門家の血筋は絶え、現在の家系は、養子により継がれたものらしい。
ちなみに、遠野物語によれば、孫左衛門家の凶兆は、家に棲んでいた座敷童が他の家に引っ越ししたからだとしている。 -
女性にお礼を言い、さらに集落の奥へと進む。
すると、今度は簡素だが大きな木の鳥居が見えて来た。
薬師堂の鳥居と呼ばれるもので、鳥居の奥に薬師堂があるらしいので、帰りに寄っていることにする。 -
とりあえず、先へと歩みを進める。
それにしても、なんと長閑な場所なのだろう。
聴こえてくるのは、牛ののんびりとした鳴き声と鳥のさえずりばかりだ。 -
そして、山口集落の象徴とも言える水車小屋が見えて来た。
田に映る茅葺屋根が美しかったが、思ったよりも綺麗な姿だった。
明治期にはすでにあった小屋らしいが、老朽化により、最近修復されたそうだ。
水車も現役に復帰したらしいが、この日は回っていなかった。 -
集落を歩いていて気が付いたのは、田や畑の中に、古い墓が点在していること。
このように、集落の中に墓があるのは、縄文時代の遺跡にも見られ、東北地方では、近代まで普通に行われていたのだろう。 -
舗装された道が途切れ、その先は過ぎの林の中に消えていた。
異世界に迷い込みそうな気配を感じたので、ここで戻ることにする。 -
歩いて来た道を戻ると、また違った景色が広がっている。
観光客はもちろんのこと、地元の方の姿も無い。 -
歩いていると、民家の軒下に、鹿の角が吊るされていた。
何に使うのだろうか。
そう言えば、デンデラ野の手前にあった橋の親柱の上に、鹿の頭骨の一部が置かれていて驚いたことを思い出した。 -
往きに見かけた鳥居の奥にあるという薬師堂へと向かう。
しかし、鳥居を潜っても参道は無く、田畑が広がっているだけ。
仕方が無いので、畦道などを伝いながら進んで行く。
そして、ようやく背の低い素朴な鳥居を見つけた。 -
鳥居を潜り、薄暗い山道を登って行く。
曇り空なので、森の中は怖いほどに暗く、知らず知らずのうちに歩みが速くなる。 -
途中には、朽ちて倒れそうな鳥居もあった。
ひんやりとした空気が漂い、身が引き締まるような感覚だ。 -
そして、ついに薬師堂に辿り着いた。
思ったよりも立派なお堂で、小奇麗な印象だ。
薬師堂なので本尊は薬師如来だが、お殿前には鈴が下がり、参道には鳥居がある。
これは、近くにあった山口館の主、山口修理が勧請した神社の別当寺の名残なのではないだろうか。
いつしか薬師堂だけになってしまったのかもしれない。
とりあえず、山口集落にお邪魔しているご挨拶をした。 -
その後、里と森との境にある小路を辿り、ダンノハナへと向かう。
ダンノハナとは、遠野物語に囚人の処刑場と書かれている場所だ。
そこは、中世に築かれた山口館の一部で、現在は共同墓地となっていた。
一人で彷徨い歩くには少し怖かったので、早々に退散した。 -
山口集落は、なだらかな斜面に広がっているため、帰りは下って行く。
人家は街道沿いにあり、後は田んぼや牧草地ばかりだ。 -
多くの人が好む絶景は無いかもしれないが、心休まる風景がここにはある。
観光地にならないおかげで、遠野物語の世界が感じられる景色が残されているのだ。
しかし、帰ってきてから調べてみると、日本遺産への登録のために動いているらしい。
このような動きは、多くの場合、そこに住んでいる人たちの意見や暮らしを考慮に入れておらず、地元の経済界が中心となっている。
日本遺産に認定されるための指南書のようなものには、『地域に点在する文化財の把握とストーリーによるパッケージ化 』などと言う文言などがあり、まるで客を惹き込むための商品化を提唱しているかのようだ。
自然に文化に歴史までも金儲けに利用しようとすることには、どうもにも賛同することができない。
このような人と自然の調和が生み出した風景こそ、後世にきちんと残すべきだと思う。
もちろん、人の営みが消えれば、自然に還るだけ。 -
そんな景色の中に、こんもりとした緑があった。
その中には小さな祠があり、地図を見ると古屋敷家のお稲荷様と記されている。
ここだけは、外とは違った時間が流れているようだった。 -
祠の裏手には、美しい里の風景が広がっていた。
点在する民家の造りは変わっていても、稲作が始まったころから、あまり大きく景色は変わっていないのではないだろうか。 -
変わっているとすれば、後は風に揺れる麦畑くらいなものか。
麦の穂も色付き始め、そろそろ麦秋のようだ。 -
最近ではあまり見かけなくなった桑畑の脇を抜け、水路沿いにさらに下って行く。
目に映る色彩のほとんどが緑。
空気も清々しく、高原を歩いているかのようだ。 -
あと少しでバス停と言う頃になって、急に大粒の雨が降って来た。
近くに民家の軒先を借りて雨宿り。
雨に煙る景色は、まさに日本の梅雨そのものだ。 -
しばらく待ったが止む気配も無いので、傘を出す。
バスの時間までまだ1時間近くあるので、周辺を彷徨ってみることにする。
国道に通じる道を歩いて行くと、二又道が分かれている辻に出た。
その辻には、石碑が集められていた。
火石の石碑群と呼ばれるもので、馬頭観音や庚申塔などが15基ほどあった。
ここから東へ延びているのが大槌街道で、西へ延びているのは小国街道だと、説明板に書かれていた。 -
近くに、8体のオシラサマを祀る家があると言うので探してみたが、今は公開されていないようだ。
代わりに、ヤマボウシが咲いているのを見つけた。 -
雨は一向に降り止まず、仕方が無いので、国道に出る手前にあった和野バス停の待合室で雨宿りをすることにする。
大雨の中、待つこと45分ほどで、16:19発の遠野バスセンター行がやってきた。
このバスで駅まで戻り、預けていた荷物を取りだし、歩いて今宵の宿へと向かう。
宿は、駅から5分ほどのところにある『福山莊』と言う旅館。
昼食が食べられなかったので、荷物を置き、まずは何かを食べるために外へ出た。 -
足を向けたのは、目星を付けていた、遠野醸造のタップルーム。
店内で麦酒を醸造しているので、新鮮な麦酒が楽しめる。遠野で麦酒を飲むならここ! by 旅猫さん遠野醸造TAPROOM グルメ・レストラン
-
とりあえず、ペールエールを注文。
つまには、クリームチーズの味噌漬けを頼んだ。 -
二杯目には、しおツェンなる小麦の麦酒をいただく。
ようするにヴァイツェンだが、やはり喉越し良い麦酒だった。
この後、インドで流行っているという『チキン65』なる、鳥の唐揚げにスパイシーなたれを絡めたものを追加した。
この『チキン65』が癖になるほど美味しくて、つい麦酒が進んでしまい、セッションIPAも頼んでしまった。 -
店の方に訊くと、現在は遠野産ホップを使った麦酒は醸していないとのこと。
仕方が無いので、遠野産ホップIBUKIやホップの新芽などを練り込んだソーセージがあるというので、1本だけいただくことにした。
そして、最後にベルジャンホワイトをいただいた。 -
少しの予定が、思ったよりもしっかり飲み食いしてしまった。
雨は小降りになったが、街はしっとりと濡れていた。 -
宿に戻り、ひとまず休憩。
今回の宿は、街道沿いの商人宿と言った感じだった。
部屋は、6畳の和室。
居心地の良い部屋で、とても寛げた。遠野観光に最適な市街地にある旅館 by 旅猫さん旅館 福山荘 宿・ホテル
-
窓は、障子とガラスによる懐かしいもの。
硝子も柄入りで、なんだかホッとする。 -
部屋の隅には衣桁もあった。
最近、衣桁も滅多に見かけなくなった。 -
一休みした後、とりあえず一風呂浴びることにした。
階段の踊り場は、左右に降りられる形。
その床は、磨かれていて輝いていた。 -
玄関側に降りて振り返る。
階段の脇に大浴場へと向かう通路と待ち合わせ場所があり、なぜか電子レンジが2台置かれていた。
この辺りが、商人宿と言った感じだな。 -
帳場の脇には、電話室もあった。
この宿は、外から見るより規模が大きく、造りも立派なので、昔は遠野でも格式の高い宿だったのではないかと思う。 -
廊下を通って大浴場へ。
入口に下がる『入浴場』の文字が良い。 -
中へ入ると、思ったよりも洗い場が広い。
湯船はこじんまりとしていたが、岩もあり、なかなか風情がある。
脱衣場に温泉の表示があったが、天然温泉とは思えないが。 -
夕食は大広間で、しかもお膳で出て来た。
畳に座ってお膳で食べるなんて久しぶりだ。
主菜は、白銀豚のしゃぶしゃぶだった。 -
お酒は、遠野名産のどぶろくを。
これがかなり濃厚で、部屋に持ち帰ってゆっくりと味わうことにした。 -
途中で、郷土料理のひっつみが登場。
これが熱々で、しかも味わい深く、夕食の中で一番旨かった。 -
翌朝も、同じ広間で朝食をいただく。
目玉焼きが主役のようなお膳であったが、主菜は焼鮭。
量もちょうど良く、美味しくいただいた。 -
雨は夜通し降る続き、朝になっても本降りだった。
仕方が無いので、宿でしばらく様子を観ることにする。
そこで、館内をしばし散策。
奥に長い宿の建物は、本館、新館、別館があり、かなりの規模だ。 -
別館の建物も趣があり、階段なども凝った造りをしていた。
-
現在の旅館多くは中央に廊下があるが、ここは昔ながらの窓のある廊下。
このような造りの宿も、今後貴重になって行くことだろう。 -
別館の洗面所は、大正浪漫を感じさせる意匠が施され、とてもお洒落な感じ。
入口の扉に印された『御手洗所』と言う表記も好ましい。 -
館内にある扉や窓の桟の一部には、刀の鍔のような意匠も。
現在の建物と違い、さりげないところに趣向を凝らしていて、それを見つけるのも楽しい。 -
雨はまだ降り続いているので、諦めて出掛けることにした。
精算をしたが、一泊二食付どぶろくつきで8千円ちょっととは安かった。 -
雨の中を歩き始めると、宿の並びに、洒落た店を見つけた。
昨夜も気が付いていたのだが、入りそびれてしまったのだが、今朝はまだやっていなかった。
次回訪れる機会があれば、ここで珈琲でもいただこう。 -
この日は、天気も悪いので、駅周辺の街歩きを楽しむことにする。
歩き始めると、紫陽花たちがあちこちで出迎えてくれた。
梅雨の季節、紫陽花たちは気持ちよさそうだ。 -
大工町通りと言う場所に出た。
城下町時代、大工などの職人が多く住んでいた街だそうだ。
歩道は板張りで、それが雨に濡れてしっとりとした風情を醸し出している。
街並みも、どこか落ち着いた感じだった。 -
その通りを駅とは反対の方へと歩くと、道が筋違いになってる場所があった。
城下町らしい街の構造が残る場所だ。
その角には、雰囲気の良さそうな旅館が建っていた。 -
その旅館の斜向かいの角には、石柱が建っていた。
読んでみると、ここに、柳田國男らが滞在した宿『高善旅館』があったそうだ。
背後に蔵が建っていたが、旅館に所縁のものなのか。 -
筋違いを道なりに辿ると、来内皮に架かる橋の手前に、古びた建物が建っている。
酒屋を営んでいるようだが、現役とは思えない外観だった。
懐かしい琺瑯製の看板がいくつか掲げられ、とても趣があった。 -
橋を渡った先にも、古い大きな建物が。
-
そして、道はその先で丁字路となっていた。
その突き当りに建っていたのが、旧村兵商家。
江戸時代、酒や衣類、質屋などを営み、遠野第一の豪商と呼ばれた近江屋兵右衛門の屋敷の一部だそうだ。
中に入ることは出来なかったが、殿様の御成の間もあるそうだ。 -
旧村兵商家の脇から続く道へと入る。
地図によれば、この界隈は武家屋敷が建ち並んでいたそうだ。
今でも、その風情が感じられる。 -
一角には、いかにも武士の住んだ屋敷と言った感じの家も残っている。
通りから引っ込んだ感じと緑が、とても良い風情を出していた。 -
旧村浜商家まで戻り、今度は南部神社の方へと向かう。
その途中、白壁と緑が美しい光景に出会った。 -
道なりに進むと、急な石段が見えて来た。
多賀神社とあったので、参拝することにする。
石段を登り詰めたところに、かなり質素な社殿があった。
一説には、鍋倉城主阿曽沼広郷が城の鎮守として勧請したものと云われているそうだ。 -
石段の途中から、山の中腹を辿る道があったので歩いてみる。
すると、途中に眺望が開けた場所があり、遠野の市街地が見渡せた。
遠くの山には朝霧が掛かり、何とも言えない景色だった。 -
道の先には、知恩寺と言う寺院が建っていた。
日蓮宗久遠寺の末寺らしいが、遠野南部氏初代の実長が、身延山を寄進し、久遠寺が建立されたことに因み、昭和になってから『北身延』の公称を許されたそうだ。 -
そこからさらに回り込むと、南部神社の参道に出た。
石段を登ると、そこに大きな社殿が建っていた。
南部神社や多賀神社、知恩寺が建つこの山は、遠野南部氏の居城、鍋倉城があった場所。
この神社は、遠野南部氏の祖、南部実長から八代正光までが祀られている。
遠野を訪れ楽しませていただいたお礼に参拝させていただいた。南部神社 寺・神社・教会
-
参拝後、麓に建つ市立博物館を見学。
ここは、遠野の歴史や文化が紹介されている施設。
本来なら最初によるべきだが、二回目の遠野来訪にして、しかも最後に立ち寄ることになってしまった。遠野市立博物館 美術館・博物館
-
館内では、やはり『遠野物語』や民話に関する展示が多かった。
その中には、『遠野物語』の初版本も展示されていた。 -
興味深い展示も多かったが、残念ながら時間が足りなかった。
もう一度、しっかり『遠野物語』を読み込んでから来たいと思う。 -
博物館を後にして、駅へと戻る。
鍋倉城の堀の役割をしていた来内川を大手橋で渡る。
橋からは、前の日に訪れた『とおの物語の館』が望めた。 -
11:06発の快速『はまゆり4号』で遠野を離れる。
この快速『はまゆり』には、指定席が付いているので旅人にはありがたい。
このような列車が、他の線区でも走ってくれると便利なのだが。 -
列車は、梅雨空の中を走って行く。
今回の旅は、大人の休日倶楽部パスを利用しての節約旅。
雨に祟られたが、遠野物語の世界にも触れることが出来たし、美味しい料理も味わえたので良かった。
梅雨旅。
来年もまた楽しもうと思う。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
【陸奥国】陸中国
この旅行記へのコメント (6)
-
- 前日光さん 2020/04/18 00:26:44
- デンデラ野
- こんばんは、旅猫さん。
天候のせいかしっとりとした田園風景、その緑が目に染みますね。
「遠野物語」の里、遠野。
最近は観光地化されすぎたキライはありますが、旅猫さんが訪れた山口集落はまだまだひっそりと、物語の面影を色濃く伝えているように感じました。
六〇歳を過ぎると追いやられたデンデラ野、私も世が世なら間違いなくデンデラ野にうち捨てられるお年頃です(>_<)
これは実際にあってもおかしくないような話ですよね。
老いること、そして当時の貧しい暮らし等々考え合わせると、合理的とさえ言える精神に基づいているような気も。
老人達が里と行き来していたという話も現実味があります。
死後は家族が引き取って行ったというのも、習わしとして古来その地に根付いたものならば納得できる部分もあります。
水車小屋を過ぎて、田畑の間にある古い墓石の次の写真、舗装が途切れた道が森の中に消えて行っているものですが、私はコメントを読む前に写真を見ただけで、胸の辺りがゾワゾワとしました。
写真だけで、こんなにゾクッとしたのは初めてです。
確かにあの道の先には異界がありそう(*_*)
足を踏み入れない方が賢明だったと思いますよ。
薬師堂に向かう山道の崩れかかった鳥居も怖いです。
土地の地縛霊に魅入られて、この世に戻って来られなくなると大変です。
ダンノハナも、早いところ引き上げて来て正解だったと思います。
遠野には、この世とあの世との境目が数多くあって、うっかりするとあちらの世界に引っ張り込まれそうな気がしました。
多分に湿気を孕んだ空気が、そんな気分にさせるのかと思います。
これがカラリと晴れた日だったら、ずいぶんとイメージが異なるのでしょうね。
でも、こういう不気味な空気感が、けっこうな好物だったりするので、怖いもの見たさでついつい入り込んでしまいました。(^_^;)
前日光
- 旅猫さん からの返信 2020/04/18 08:22:41
- RE: デンデラ野
- 前日光さん、おはようございます。
書き込みありがとうございます。
遠野は、伝承園やカッパ淵など、観光客で賑わっていますが、点在しているので、思いのほか静かな街ですね。
山口集落は、日本遺産に登録されているようですが、はっきり言って訪れる人はあまりいないようですね。
おかげで、のんびりと散策を楽しめました。
ただ、天候が悪かったので、遠野物語の世界が強く滲み出ていたのが、ちょっと怖かったですが。
でも、デンデラ野は思ったよりも明るい場所でした。
集落とも谷を挟んですぐの場所なので、捨てられたという感じでは無かったです。
さすがの私も、あの森の奥へ続く道へは入れませんでした。
行ってはいけないような、そんな感覚が伝わってきて。
薬師堂へ向かう森の中の道も、何とも言えない雰囲気がありました。
あまりにも静かすぎるし、人の気配もまったくないですし。
ダンノハナもかなり強い気のようなものが漂っていました。
山口の集落は、古の、まだ人の住む里と、神が住む場所やあの世の境と言う概念が色濃く残っているような感じがしました。
自然への畏怖や死の穢れに対する、この国の本来の姿を見せられたような感覚です。
ある意味、貴重な土地かもしれません。
前日光さんは、気に入ると思います(笑)
旅猫
-
- 三昧さん 2019/08/10 12:59:24
- 旅猫風遠野物語
- 今日は
自動車でしか旅行出来ない人間から見ると、いつもながら羨ましく4トラを覗かせて貰ってる次第です。
今回の旅猫風遠野物語も、4トラを見読みながら、旅猫さんだと こんな感じで遠野物語を吟味していくんだ。って、感じながら楽しませて貰いました。
- 旅猫さん からの返信 2019/08/10 14:14:27
- RE: 旅猫風遠野物語
- 三昧さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
自動車だと、時間も自由ですし、どこへでも行けるので、羨ましく感じています。
公共交通機関だけだと、行ける範囲も限られてしまいますから。
でも、計画している時は、とても楽しいですけどね。
楽しく読んでいただけて、とても嬉しく思います。
旅猫
-
- こあひるさん 2019/08/01 09:29:12
- 遠野、大好き!
- 旅猫さん、こんにちは。
わたしも遠野が大好きで・・・これまで3~4回行ったかな(なかなか旅行記に手が回りません)・・・。遠野物語の聖地巡りにハマって、タクシーであちこち訪れました。
さすが旅猫さん、土淵村に行くにも、バスを上手く利用されていますねぇ。遠野は、聖地を巡りたくても、交通が異常に不便・・・というのが玉にキズです。
土淵村からあの二股道までわたしも歩きましたが・・・このあたりにオシラサマのあるお家があるはずなのに・・・と、ウロウロして見つからなかった思い出がありますが・・・やはり公開されていないのですねぇ。そうだろうなぁと思いながらも、今でも家庭に保存されているオシラサマ、ちょっと見てみたいですよね。
な~んにもなく・・・山々がそこまで迫ってきている静かで美しい田園風景・・・。改めて、やっぱり遠野好きだなぁ~と思い出させてくれました。
こあひる
- 旅猫さん からの返信 2019/08/01 19:42:48
- RE: 遠野、大好き!
- こあひるさん、こんばんは!
書き込みありがとうございます。
こあひるさんも、遠野がお好きでしたか!
良いところですよねぇ
日本らしい、自然に囲まれた街で。
確かに、交通はかなり不便ですよね。。。
前回は、定期観光バスで巡りましたが、今回は山口が目的だったので、バス利用。
三時間以上バスの便が無いので、かなり待ちました。
でも、おかげでのんびりできました。
あの二又道近くの民家は、現在非公開のようですね。
観たかったのですが、残念でした。
今度は、爽やかな季節に自転車で回ろうかなと思っています。
旅猫
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
旅館 福山荘
3.09
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
遠野(岩手) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 【陸奥国】陸中国
6
94