2019/04/26 - 2019/05/08
2539位(同エリア6773件中)
令和さん
福岡からヨーロッパへの唯一の直行便、フィンエアにての旅。全13日間。
●イギリス●イタリア●フィンランド
これはイタリア「ローマ」編で、当記事は★印日程でのもの(☆は別記事)です。
↓start↓
イギリス滞在
☆2019 4/26 ~2019 5/1
↓
ロンドンからローマへ
☆5/2
↓
ローマ滞在
☆5/3
★5/4
☆5/5
↓
ローマからヘルシンキへ
☆5/6
↓
ヘルシンキから福岡へ
☆5/7
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
午後からくる疲れは認めざるを得ないが、朝は相変わらず早く目覚める。
私たちが滞在した『カステル・サンタンジェロイン』の泊数分の朝食券が使える場所、ホテルから角を曲がったその『Il Lunch Roma』は、日曜以外は6:30から。前日は朝七時半すぎにその店を訪れたが、この二日目の朝は、開店同時位に向かった。それというのも6:45にはタクシーを呼んでおり、バチカン美術館早朝入場を控えていたからだった。なのでこの日は、飲み物なしで、パンだけ袋に入れてもらい受け取ろうということに。 -
ちなみに、あんなに時間にルーズと言われているイタリアだけれど、頼んでいたタクシーは、多分15分位前にはホテル前に到着しており、貴重な朝食であるパンの準備にこだわっていた私たちは、慌てた。すぐ戻るから!と運転手さんに待ってもらったほどだった。
またこのタクシー予約に関しては、ボラれるとか悪い話ばかりを聞きかじっていたので、前日、日中にホテルにひょろっと戻った際に、ホテルの人に会えたのが幸運で、予約をお願いできたものだったが、そうしたらえらく律儀な運転手さんが来てくれた運び。
実際には1.8kmの距離なので、普通なら歩けるのだが、美術館内巡りは数時間にも及ぶ為、パワーはそこで使いたかったのと、実際、何が助かったって、この日は結構な雨降り。しかも風が強い悪天候となったのだった。
私達のバチカン美術館見学ツアーでの予定では、7:05集合で、15分後に入場とあったが、グループにも順番が有り、結局30分くらいそこで待たされた。その間、雨がバチバチと傘を打つ。 -
私たちの早朝入場チケットは『Get Your Guide』から事前に購入。(英語ツァー)
昼間の人混みを避けるべくの手法だが、そもそもこの早朝入場の主催会社はいくつもあり、皆、集合場所が同じ所なので、雨の降る中、待っている人々の多さに、こうして観る美術館って一体…とじれったささえ感じた。
が、ものは考えよう。
雨の中、美術館予定は最も恵まれた予定だったはず。
【システィーナ礼拝堂】Cappella Sistina
最初にシスティーナ礼拝堂に案内される。そこまでの通路で、まさに、た'ま'げ'た'まま天井を見つめ、一行について行く。バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
絶対見なくちゃいけないのは、中央のミケランジェロ『アダムの創造』。(これも天井。ちなみに撮影禁止の為これはネット上より拝借)
ハイ、この美術館のために単眼鏡を取り寄せ準備、OK!
(旅前の用意は出費がかさむし、荷物が増えるのも避けたい。だけれど、この美術館は観る方も色んな意味で大変。ただ歩けば鑑賞できるという所ではない。単眼鏡 -双眼鏡でもまぁOK- は、一生覚えておきたい美術館には必ず用意されたし!と進言するものである)
以下ウィキペディアより。 [このミケランジェロが描く天井画、最終的には約300人の人物像を含む画となり、4年の歳月をかけ1512年に完成。ミケランジェロは、天井画を描く時、俗説のように仰向けになって描いたのではなく、台の上に立ち、そのまま見上げて首をL字に反らせる格好で描いた]
ってまさか…。これが本当ならミケランジェロや弟子達は人間離れしている。 -
ツアーの引率はこのシスティーナ礼拝堂で終わり。
あとの美術館見学は自由である。
しかしもう辺り一面、人だらけ。
しかも館内マップを持っていても、初めて訪れる人には、ここは巨大な迷路のようなところ。(自分なら二度目でも迷うと思う) -
アントン・ラファエル・メングス
The Triumph of History over Time, ceiling Vatican Library.
バチカン美術館の代表的作品や観るべきもの、解説や史実までちゃんと収めた記事はちょっと検索すればたくさん出てくるので、それでここでは敢えて、超有名にこだわらずに、気の向くまま並べるとする。 -
作品名、調査するも不明。
タチアオイ風の画がなーんかジャパネスクで好きだった。
その手前のおじさんが見ている感じも和む。 -
バチカン美術館 図書館内の通路一部(と思われる)
-
ステンドグラス
聖母子像 1922年にローマ法王になったピウス11世に贈られた バチカン図書館 -
メロッツォ・ダ・フォルリ
Melozzo da Forlì
なんだか見るほどに好きになるこの画家を調べてみたら、メロッツォは名前で、フォルリは地名なんだそう。(この時代、名前プラス出身地が使われていたとのことで、同じようにレオナルド・ダ・ビンチも、ビンチ村のレオナルドさんなんだって。へぇ!?である)
そしてもう一つ、メロッツォの作品はこの前日に訪れたパンテオンにも存在するとのことで、慌てて写真アルバムを見るとあった、あった!(以下写真)↓ -
↑パンテオンにある『受胎告知』
そしてバチカン美術館
*私には斬新だった作品その一* 『今どきの美少女』
奏楽の天使 (Angeli musicabti)
メロッツォ・ダ・フォルリの代表作。ヴァチカン美術館展示の作品の中では異色のイメージを醸し出す。
柔らかなフレスコ画の色調に細かな線、それだけなく、表現された顔が…(絵の一部をアップにしている)↓ -
↑のように、今どきの 美少女 だったりする。アイライナーテクとぷっくり涙袋が羨ましひ!
ところで(バチカン美術館の話ではないが)
奏楽の天使より六年後には、イタリア,ロレートのサンタ・カーザ大聖堂
で、フォルリは、3Dワザで下のような聖具室壁画を描いている。この当時、相当斬新な技法だったのではないだろうか。是非ともホンモノを見に行きたい↓ -
(そして話はバチカンに戻る…) -
【ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)】
朝七時半のヴァチカン美術館ツアー(正確にはシスティーナ礼拝堂、そして美術館)を予約したのは、開館後はとんでもなく混み合うとの前情報があったからだが、まさか8:45着のラファエロの間(4つのフレスコ画の部屋)で既にまぁまぁの人が居り、9:54に到着した絵画館(Pinacoteca)の、ラファエロの作品が置かれている第八室に辿り着いた時は、もうわんさと鑑賞者が居るとは想定外だった。
これはかなり偉くなって、VIPとしてここを訪れない限り、落ち着いて絵を観るなど無理だと思った。
ま、現実的には、帰宅し、ベッドで画集をめくるというコースに落ち着きそう。(それが一番幸せかも!)
*私には斬新だった作品そのニ* 『敢えて遮る』
ラファエロ・サンティ(伊: Raffaello Santi) バチカン美術館
「ヘリオドスの間」の壁画一部「聖ペテロの解放」
はヘロデ王に捕えられたペテロが神に使わされた天使によりで出獄できたという新約聖書の場面を描いたもの。↓ -
漆黒の檻に対し、檻の中がボケて見えるのが構図の狙い。それが斬新。まるでカメラの焦点のよう。
しかし、だからこその向こうの天使の後光を私たちはとても見たくなる。ラファエロの直筆ということで驚く。すごいアイデア。なんだか劇画チックだし…。乞わせて恋わせる。
(ラファエロの話はここで終わりとし)
そして… -
【ヨハンヴェンゼルピーター (Johann Wenzel Peter)】
1745年9月9日(チェコ共和国/カールスバッド)~1829年12月28日(イタリア/ローマ没)
エデンの園のアダムとイブ
Adamo ed Eva nel paradiso terrestre
ヴァチカン 絵画館 第16室
この作品を見られるのが楽しみだった。日本では余り知られていないが、描きこまれた動物と自然との絡み、色彩もすべて好み! また当然のヒトの裸体も納得感があるし。
全体を幾つかに割ってひとつずつ眺めると一層よく鑑賞できるので、ここでは幾つかに分割し、残しておこうっと。 -
-
-
-
全体はこんな感じ。
この後、自分たちはこの美術館を這う這うの体で抜け出し、サン・ピエトロ大聖堂へ向かっている。(10:40頃)
いかんせん、このバチカン美術館は、自分の容量を超えるというか、パワーが削がれる程の、強大無比の施設と内容、そして人混み威力であった。
【サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro in Vaticano】 -
そもそもサン・ピエトロ大聖堂がヴァチカン美術館より人が少ないかもしれないなどと、期待したのが大見当違いであった。
この両施設を直接通じる通路があっただけ、御の字である。もみくちゃになりながら、サン・ピエトロ大聖堂へ入った。
いやー。圧巻。神がかりとはまさにこのことで、そこに東洋からの異邦人(自分のこと)がそこに立てていること自体、かたじけなきことなり。サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会
-
世界中のカトリックの信者さんが憧れて、この聖堂にようやく辿り着くのと、自分のような文字通り「サイトシーイング!」でここを訪れるのとでは、熱心の次元が違うのだと思う。
感謝と共にただただ驚嘆を持ち帰る。 -
サン・ピエトロ大聖堂見学の後、広場にあるバチカン国の郵便局(バスにしつらえてある)から、将来の自分宛てに郵便を一通送った。郵便は後日、もちろん無事に届き、その将来の記念日に備えて、封を開けずに今は大切に閉まってある。
-
この後、昼食として行きたいとしていたバチカン近くの「リオーネXIVビストロ」に着くと、開店の10分程前で、覗くと、「まだ15分後!」と応えたのは、店主かな。(おじちゃん♪)
相変わらず、雨はパラパラ、待てるスペースもなかったので、もうどこでもいいよという気になり、入ったのが斜向いのココ↓
【Scialla the Original Streetfood】
シアラ・ザ オリジナル ストリートフード
こういう時に『OPEN』と書かれた看板の有り難さよ。
失敗するのが嫌さに、候補にピックアップしていなかった所は一瞬躊躇するのだが、結果、ここに縁があって大変良かった~のお味。
私たちが店に入った時は、客は誰も居らず一番奥の席にした。その後、私達がしたように、店頭で「どうする?」的な人たちがメニューを見て検討している。 「いや、めっちゃOKだよ~!」と伝えたい気持ちに。
そして入ってきた客が必ず、私達の横のピザのショーケース前に立ち、ある種類を指差し「これは何?」と尋ねている。それもさっき私達も同じ質問をしたばかりだ。その黒っぽい具は、フンギ(きのこ)だと、おばちゃんが毎回同じ優しい口調で答えている。ラベルがあったら便利なのにね。 -
★★★
詳細はレシートが見つかり次第。
イタリアでは好きなだけパスタを食べる!としていたからまぁいいのだが、あれだけ歩きまくった日々なのに、帰国すると体重が2kgほど増えていた。(当然、多少は軽くなっていると踏んでいたのに…)
炭水化物ってすごい。(単に自分の代謝が落ちただけ?) -
よくよく考えると、この後、ジェラートを堪能している。
【アリーナデルジェラート】 Arena del Gelato
これも贅肉プラスの後ろ盾だったろうが、やましさより、ここは本能を大切にしたい。口にした瞬間、うぉ~と唸り声を挙げたいほど。あまりに「美味しい~っ」を連発する私に、それは良かったね~と相方はアイスと同じ冷ややかな口調で呆れ顔。 -
No. 1 in the world!
私は大変な満足感を以て、12:40にジェラート店を後にし、ハイネケンを買って以来、お気に入りとなったキンキン冷蔵庫のお店で水などを抱え、徒歩でホテルに帰っている。 -
(上の写真は自分たちの滞在するカステル・サンタンジェロインの入口ドア。湾曲して見えるのは魚眼型レンズのせい。3m位の高さの、でかくて重々しい扉だった)
この2019年、5/4、土曜日のメインイベントは、もう一つ、いや、二つ控えていた。(後になり、この日の無謀な計画を反省した)
強行軍のこの日、次の予定の15時出発まで、30分ほど横になったような記憶がある。 -
個人手配の観光タクシー会社に、幾つかのミニ旅行を依頼した話は『ローマNo.1』に書いているが、この5/4の15時からは『エステ荘行き』、そしてそのまま引き続き『ローマ夜景観光』の二つを予約していた。
エステ荘は確か19:30に閉園だったので、往復+3hrの観光を逆算しても、この位の時間の出発でいいんじゃない?という考えでの手配が、結果的に一つ幸運だったのは、その頃には雨が上がっていたことだった。曇りになっていた。
フィウミチーノ空港に着いた際の迎えのブランドというお名前の運転手さん、再び。ホテル建物前でピックアップを受け、やがて45分くらいで、エステ荘の駐車場に到着。(人を待たせたまま観光など、偉そうで慣れぬ方法だが、私達が見学の間は運転手さんはじっと駐車場に控えてくれている。念の為、互いの携帯番号は交換した)
さてエステ荘、『荘』と呼ぶ位だから、建物内部にもちゃんと観れば、美術館要素がある、でも私たちは、噴水、噴水と目的に向かう。
足元の坂は雨上がりの苔で結構すべる。少し錆びた細い手すりを頼って庭へと降りていった。 -
まずはオルガンの噴水へ。
水圧が奏でるパイプオルガンの大きなメロディは二時間おきに聴くことが出来る。
皆、時間を知って周囲に集まっているが、音が鳴っている間も、目にできるのはこの動かぬアーキテクチャーのみ。その水圧がどう奏でているかの実際の様子が見れないのは惜しまれる。 -
「ネットゥーノの噴水」これはイタリア語での呼び方、
又の名は英語で「ネプチューンの噴水」
ネットゥーノ、海王星のこと。海神。
ギリシアのポセイドンがローマではネットゥーノと言い換えられた。
ということを、只今再認識した次第である。
夜空の星はさっぱり判別できなかったものの、昔々、なぜかギリシャ神話を読みふけっていた頃の私は、時が経ち、何でも忘却する今の私に、果たしてネットゥーノの業を説明できるのだろうか。
まぁ、現実逃避の為に、神々しさの浪漫だけ享受すべく、いい加減な読み方をしていた可能性もまた大である。
この噴水はエステ荘のメインと言え、豪華であり、壮麗な魅力を讃えている。
私のローマでの大きな目的の一つは今回、細かな水のしぶきが織りなす生命力をを絵にしたような、フランツ・リストが描いた名曲、「エステ荘の噴水」のまさにそれを、自分の目で観に行くことだった。 -
エステ荘は1560‐70年に建築されたとの資料がある。それから300年の時を得て、ここにフランツ・リストが訪れる。絶望の果て、53歳で聖職者となった彼は、ホーエンローエ枢機卿により招かれ、「エステ荘の糸杉に:哀歌」を二曲と「エステ荘の噴水」 Les jeux d'eaux à la Villa d'Esteを残し、これらの曲はピアノ曲『巡礼の年 第三年』の楽譜の中におさめられている。
-
「エステ荘の噴水」は、描写に生命力を見出す名曲として、リストの名曲の中でも特に多くの人に愛されている。
曲の半ばでは、彼自身がヨハネ福音書を引用し「私が差し出した水は人の中で湧き出でる泉となり、永遠の生命となるであろう」書き添えている。 -
この2019年、5月4日、こうして私はリストが居た場を訪れることができ、同じ噴水の142年後を眺めながら、なおも新鮮な水のしぶきと決して古くはならない音楽を想った。
というわけで↓
https://www.youtube.com/watch?v=6NDrMixzxDs
↑リストの音楽に乗せて、自分たちが収めてきた記録を、実際の噴水の音入りで、動画としてまとめた。リスト作曲 『エステ荘の噴水』 -
この日の夕方のティヴォリは晴れ間がすっと顔を出すタイミングも合ったが、基本、曇り空。時間と共にグループで来ていた客もまばらとなり、広い園内に相方と二人だけでいるような錯覚に陥るような時もあった。
まぁ午前中のバチカンとはえらい違いである。
派手派手ローマやバチカンからここにポンと来ると、寂しくさえある。
自分たちは結局19時頃このエステ荘をあとにした。
外に出たら、急に何か食べちゃいましょという感じになり、少しうろうろ。
タクシーのブランドさんを待たせているので、ファストフードのようなものにしておけばいいものを…、 -
通りに出ていたメニュー表をちょっと見ていたら、元気で熱心な女子の営業を受け、「ま、いっか」という感じの流れで食事をすることに。
Ristorante L'Angolino di Mirko
と、店に入ったら、急に勢いある雨が降り出してびっくり。
店ではお一人、老齢の女性が、野菜たっぷりのサンドイッチを食事をしていて、自分も同じものがいいと思いつつ、席に座り、改めて出されたメニューから少し探すがちょっとわからない。
結果、
Maxi Insalatona di Tonno
Salad wicth Tuna Oloves Tomato 11.50
と
Fettuccine con Funghi Porcini
Fettuccine with Porcini Mushrooms 14:00
をチョイス。
調理を急ぎお願いすると共に「実は自分たちは運転手さんを待たせているので、少し遅れると事情を話して欲しい」と私たちの携帯を女性の店主-と思えた-に手渡す。
その店主がカッコいいのなんの。
黒の革のぴっちりワンピースみたいな服装で、低い声で話す。
海外テレビドラマ「グッド・ワイフ」でカリンダ・シャルマを演じたアーチー・パンジャビのイメージだ。
私たちの携帯は、通話状態が良くないのか、途中で店の電話からブランドさんにかけ直し、イタリア語で何か案外長くしゃべっている。
そして戻ってきて「大丈夫」と伝えた。
彼女は厨房も急がせてくれ、パンはすぐに出された。これを「美味しい!」とつまんでいると、食事していたおばさんが振り返り、「私がパンを焼いているのよ」と話してくれた。
運ばれてきたパスタがまた大変結構で、いつかまたティボリに来て、今度はエステ荘はいいから、ここでの慌てない食事を第一目的にしたいぞと本気で思った。
それにしても、自分たちがエステ荘に居た間、雨は空でどんなに堪え降らずにいたのか、今は逆にそれを発散する位、開いた店のドアから見える外の通路を打ち続けている。
こんな中、思いやられるこの後のローマの夜景ツアー、その運転手さんを待たせている自分たちは、今、美味なる食事に舌鼓という、変な心境だった。
多分結局19:40位に店を出て、車に戻る。
★★★
http://www.angolinodimirko.com/
そうして私たちはエステ荘の地、ティボリを後にし、車で再びブランドさん運転の車でローマに戻る。私たちは多分40分ほどティボリで、ブランド氏の拘束時間を使いすぎたので、ローマ夜景見学時間はどうぞ減らして構わないと伝えた。 -
不思議なことに、ローマへ戻っている間、空は明るくなり始め、もしかしたら夜景ツアーは希望が持てるかもしれないという可能性が出てきた。結果は写真の通りである。
スペイン階段では傘は不要の代わり、夜も多くの人々が座っていた。
-
夜景ツアーは確かにお勧めだが、撮影に三脚を持参していなかったので、ぴたっとくる自慢の写真はそう多くない。
またチャーターしたタクシーで回るのは楽であるが、これもまたホントはセグウェイの方が、回った実感があるのではないかと感じた。
運転手から「ハイ」と教えてもらうまで、フィルムを張った窓のガラス越しに大人しくしているというのは、臨場感という意味でマイナス。
来た!着いた!やった!感はとっても大切。 -
しかしよく遊んだ一日であった。
おそらくホテルには22時すぎ頃のご帰還であったか。 -
感謝とともに。
2019年5月4日終了の巻
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