2019/05/29 - 2019/05/29
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せんなさん
近江・奈良旅2019~改元記念・古代の都を訪ねる~
2泊3日で近江・奈良に行って来ました。
今回のテーマは古代の都を尋ねること!
令和元年がスタートしましたので、このタイミングで、最初の元号"大化"周辺の史跡を巡ってみたいと思い立ちました。
■二日目(令和元年五月二九日)■
高松塚古墳→文武天皇陵→欽明天皇陵→吉備姫王墓(猿石)→天武・持統天皇陵→鬼の俎・鬼の雪隠→亀石→川原寺跡→橘寺→石舞台古墳→岡寺→伝板葺宮跡→万葉文化館→飛鳥寺→入鹿首塚→飛鳥坐神社
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二日目は飛鳥を回ります。
大学時代の一人旅でちょこっとだけ立ち寄ったことがあるのですが、その際は高松塚古墳くらいしか見られませんでしたので、
今回はたっぷり一日かけて、レンタサイクルで沢山の見処がある飛鳥を回りたいと思います。
しかしチャリ通をしていた中学時代ですら「自転車が下手くそ」と言われていた私…。
もともと運動音痴な上に慢性運動不足…。
しばらく乗っていないこともあり、初っ端から不安だらけではありますが、レンタサイクル屋のおっちゃんに勧められた電動自転車で飛鳥駅を出発です。
実は今回が電チャリ初体験!
まずは高松塚古墳へ向かいますが、坂もこんなにスイスイ進むものなのかと感動したのは言うまでもありません!笑 -
まずは壁画館を拝観します。
"飛鳥美人"で有名な高松塚古墳壁画のレプリカが展示されています。
極彩色で描かれた美しい壁画。
何かの番組で、この壁画に描かれている人物達は、披葬者の身近な人物・あるいは臣下では?というのを見たことがありますが、
もしそうだとしたら、死した主をずっと長い年月、囲って守り続けていたということですね。
レプリカながらも大変精巧な壁画と、感慨に耽りながらじっくり見学させていただきました。高松塚壁画館 美術館・博物館
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壁画館を出て高松塚古墳へ。
日本に数ある古墳の中でもかなり有名な古墳ではないでしょうか。
現在のものは復元されたものではありますが、高さ5mにもなる二段式円墳。
披葬者は不明ではありますが、天武天皇の皇子であるとする説が有力なようですね。
高市皇子か、はたまた忍壁皇子か…
お二人とも天武・持統時代に新しい国家作りに貢献した方であるのは間違いありませんし、
この美しい形や壁画を見るに、高貴な人物が葬られているというのは確かなような気が致します。
高松塚古墳の前にある"星宿の広場"、壁画に描かれた二十八宿がモチーフ。
渡瀬悠宇さんの漫画「ふしぎ遊戯」が丁度世代で、子供の頃から大好きだったもので、二十八宿の和名読みはバッチリです(笑)
しばし公園内を散策し、
次はすぐ裏手にある文武天皇陵へ向かいます。国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
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文武天皇 檜隈安古岡上陵 。
[もんむてんのう ひのくまのあこのおかのえのみささぎ]と読みます。
難しい名前…(笑)
高松塚古墳のすぐ裏ですが、あまり訪れている方もいないようで、静かな場所でした。
第42代 文武天皇。
天武天皇・持統天皇の孫、天智天皇を曾祖父に持つ、まさに皇統のサラブレッドともいえる方です。
有名な"奈良の大仏"をお造りになった聖武天皇の父でもあります。
父である草壁皇子が即位を目前に皇太子のまま亡くなった為、明確には"天皇の皇子"ではありませんが、祖母である持統天皇の寵愛を受けて立太子・わずか15歳で即位されました。
その後、病弱だったこともあり25歳の若さで薨去されています。
大宝律令の施行もこの文武天皇の御代でのことです。
天智・天武・持統と続いてきた律令国家作りが、文武天皇時代にようやく完成したというところですね。
個人的なイメージとしては、賢く繊細な方。
ガッチリとした体型ではなかったとのことで、病弱だったことも含め…
幼い頃に父を亡くし、祖母・母に厳しく育てられたのでしょうが、ご本人は皇位を望んでいなかった?という説もあるくらいで、生来優しい気性の方だったのではないでしょうか。
ただ、持統天皇が後見としていらっしゃった為、影に隠れてしまっているような気も致しますが、
大宝律令の制定・唐との国交の修復・元号の再制定…等、大変歴史的意味のある御代だったと思います。
本日は古墳が続きます。(笑)
再び高松塚古墳と公園を抜けて、次は欽明天皇陵に自転車を走らせます。文武天皇陵 名所・史跡
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欽明天皇 檜隈坂合陵
[きんめいてんのう ひのくまのさかあいのみささぎ]
第29代 欽明天皇の御陵とされています。
この旅のテーマである天智・天武時代からは少し遡りますが、
初の女性天皇であった推古天皇の父、有名な聖徳太子(厩戸皇子)の祖父にあたります。
仏教の伝来や、それによる蘇我氏の台頭、物部氏との対立がはじまったのもこの御代で、歴史の大きな転換期であったといえます。欽明天皇陵 (平田梅山古墳) 名所・史跡
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前方後円墳ですが、地上からでは全体像はなんとなくしか確認できません。
欽明天皇陵 (平田梅山古墳) 名所・史跡
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吉備姫王墓
[きびひめおうのはか]
欽明天皇の孫にあたり、
皇極(斉明)天皇の母、天智・天武天智の祖母にあたります。
近くで発掘された"猿石"が置かれています。吉備姫王墓 名所・史跡
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飛鳥には、色々な謎の石造物が残されていますが、そのひとつ。
猿石 名所・史跡
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柵越しですが、ユニークな猿の形をした石が4体、ぐるりと置かれていました。
猿ではなく渡来人を表したもの?という説もあるようです。
何にしても何故これを作ったのか、どんな意味があるのか……確かに謎ですね。
さて、次も古墳!
天武・持統天皇陵へ向かいます。猿石 名所・史跡
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天武・持統天皇 檜隈大内陵
[てんむ・じとうてんのう ひのくまのおおうちのみささぎ]
古代律令国家の父、第40代 天武天皇
それを引き継いだ賢妻、第41代 持統天皇
天皇陵は発掘調査されないケースも多く、披葬者がはっきりしないものが多いのですが(おいそれと天皇の墓暴きはできないということですかね…)
こちらはお二方の陵墓と特定されています。
というのも、鎌倉時代に盗掘にあった記録が残っているため…という、残念なお話でもあるのですが。
下に自転車を止め、拝所まで上ります。天武 持統天皇陵 名所・史跡
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拝所まで登ってきました。
天武天皇は言わずと知れた歴史上の偉人ではありますが、意外にも苦労人?というイメージがあります。
舒明天皇を父に、皇極(斉明)天皇を母に、天智天皇を兄に持つという皇統の中に生まれ、
天智天皇の治世では右腕となり辣腕をふるい、誰もが次代の天皇と思っていました…が、
天智天皇の息子可愛さにより暗雲が立ち込め一度は出家。
吉野にお籠りになられるも、天智天皇の崩御後に挙兵、壬申の乱で勝利、そしてようやくご即位……という紆余曲折を経て天皇になられた方。
律令の制定や、管制改革等、その偉業は大変大きいものです。
そして天武天皇の後、それを引き継いだのが皇后であった持統天皇。
大津皇子の事件があるからか、悪女と言われることもある持統天皇ですが、
夫の残したものを引き継ぎ進めるため、非情にならざるを得なかった、逞しくも悲しい女性だと思います。
里中満智子さんの漫画「天上の虹」が有名で、最近ではその生き方に魅せられたファンも多いようです。
持統天皇は初めて火葬された方ということで、
先にも書きました盗掘にあった際に骨壷が見つかっています。
ただ、その際に遺骨は盗賊により捨てられてしまったようで行方知れず…。
現在はご夫婦で一緒に眠っていらっしゃる訳ではありません。
個人的に「天上の虹」の最後のシーンがとても印象に残っているのですが、
火葬され、煙となって空気と一体化し、飛鳥の地、ひいてはこの国を見守っていらっしゃるのだと思います。
お二人の強い生き方に想いを馳せ…
次は御陵の横道を回り、徒歩で鬼の俎・雪隠へ向かいます。天武 持統天皇陵 名所・史跡
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鬼の俎
[おにのまないた]
こちらも飛鳥に数ある謎の石造物のひとつ。
平べったい形から「まないた」と言われているそうです。
何かの台座…のようにも見えますが…鬼の俎 自然・景勝地
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鬼の雪隠
[おにのせっちん]
俎のすぐ近くにあります。
雪隠は所謂トイレのことですが、まな板とトイレがあると、本当に鬼がここで生活しているようで面白いですね。
元々は古墳で、先程の俎の上にこの雪隠が乗っていたという話もあるようです。
俎より少し下のほうにあるのですが、何らかの原因でここまで転がり落ちてしまったのでは…とのこと。
なんにせよ、なんだか不思議な形です。
自転車を停めた天武・持統天皇陵へ戻り、再び自転車を走らせます。鬼の爼 鬼の雪隠 名所・史跡
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亀石
[かめいし]
こちらも飛鳥を代表する謎の石造物のひとつ。
微笑んでいるような寝ているような…なんとも愛嬌のある顔です。
なんでも、この亀が西を向くと奈良盆地は泥に沈む…という言い伝えがあるとか…。
可愛い顔して…(汗)
横には直売所があり、少し休憩させていただきました。亀石 名所・史跡
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川原寺
[かわはらでら]
橘寺のちょうど向かいにありました。
斉明天皇の川原宮跡に、息子の天智天皇が冥福を祈って建てた寺院。
飛鳥の四大寺にもあげられていた程の大寺でしたが、現在は広大な敷地の跡が残るのみ。
記録が少なく、創建に関しても謎の多い寺院のようです。
敷地内には中堂跡に建てられた弘福寺(ぐふくじ)や、お食事どころがあるようです。
今回は外から眺めるだけでしたが、広大な敷地から、 往時の威風が忍ばれます。川原寺跡 名所・史跡
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橘寺
[たちばなでら]
聖徳太子生誕の寺と言われています。
太子が建立した7ヵ寺のうちのひとつで、
太子が『勝鬘経』を講じたとき、この地に蓮華が降ってきたので建立したそうです。
現在は焼失等で衰退してしまいましたが、当時は66ものお堂がある大寺だったとか。
発掘によると、伽藍配置は四天王寺式とのこと。
四天王寺には以前に大阪旅行で立ち寄ったことがありますが、やはり同じく太子建立の寺ということで、空気が似ているような気も致します。(気のせい?)橘寺 寺・神社・教会
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聖徳太子の愛馬「黒駒」の像。
太子とこの黒駒の絆はとても固いものだったようで、太子が亡くなったときも黒駒は棺の傍に寄り添っていたという話があるくらいです。
太子の本名は「厩戸(うまやど)」ですし、馬に縁があるのでしょうかね。
そういえば最近の歴史の教科書では「聖徳太子」とは書かずに「厩戸王」と表記しているそうですね。
"聖徳太子は存在しなかった!"なんて説もあるくらいですし…
古代日本史のスーパーヒーロー(笑)ですが、聖徳太子という名前は勿論後世になってつけられたものでしょうし、"厩戸"と表記するのが正しいのでしょうかね。
ただ、やっぱり「聖徳太子」っていっちゃいますけど(笑) -
二面石
橘寺の境内で一番インパクト大なのはこの石。
こちらも飛鳥の謎の石造物の一つで、善の顔と悪の顔が背中合わせになった石。
人の心の善悪二相を表しているそう。
いつからここにあるのかも謎ですが、
この二人はもう何百年(千年?)と一緒にいるのにお互いの顔は見たことがないんですよね。
そう考えるとちょっと切ないような気も…。
橘寺には他にも見所が沢山あります。
写真は撮っていませんが、往生院の天井画も素敵なものでしたし、
色々とたらい回しにされてようやく所縁の橘寺に設置されたというエピソードをもつ太子像は何やら訴えかけるようなものがありました。
さて、橘寺を出て石舞台方面に自転車を走らせます。
ずっと坂を登る形なので、ここでも電チャリの威力を思い知りました(笑)二面石 名所・史跡
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石舞台古墳
[いしぶたいこふん]
巨石を30個も積み上げて作られた、国内最大の石室!
もともとは土を盛り上げていた墳丘だったようですが、月日により盛土が失われ、現在のように石室が露呈した状態になったようです。
"石舞台"の名前は、天井が平らなことに所以します。
近くで見ると迫力…!
他の古墳と違い、石がむき出しだからかもしれませんが、力強い印象を受けます。国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
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石室の中にも入れます。
披葬者は蘇我馬子、もしくは稲目ではないかとのことですが、詳細は不明。
ただ、この巨大さや、受ける印象的に、やはり権力者が埋葬されたものなのだろうという気は致します。
天皇陵とはまた違った雰囲気です。
高松塚古墳と並ぶ飛鳥の代表的な史跡だからか、修学旅行?社会科見学?の学生さん達が沢山いました。
次は岡寺へ向かいます。
ものすごい上り坂…!
電チャリの威力に助けられて登りましたが、
途中からは急坂で危険なので自転車は停めて登ってくださいとのこと。
しかし…ここからが……しんどかった。
運動不足ではありますが、一応まだ若い部類に入るので、今のうちに来ておいて良かった…あと十年もしたら登れなくなってるかも…とつくづく思いました(笑) -
岡寺
[おかでら]
ぜーはー言いながらもどうにかたどり着きました。
正式には「龍蓋寺(りゅうがいじ)」と言いますが、飛鳥の岡にあるため「岡寺」と呼ばれているそうです。
日本で最初の厄除け霊場としても知られています。
日本最初の僧正とも言われる義淵僧正が開祖とのこと。
義淵僧正は、草壁皇子と兄弟のように育ったようで、邸宅であった岡宮を譲り受けてこの寺を作られたそうです。岡寺 寺・神社・教会
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別名花の寺とも呼ばれる岡寺の見所といえば、
このように美しく水面に浮かべられた花! -
手水舎や池...
カラフルで華やかですが、やはりお寺だからでしょうか、どこか凛とした奥ゆかしさも感じられます。
坂を登ってきて疲れていましたが、癒されました。
季節によっては池いっぱいに浮かぶ花を見ることができるそうで、まさに極楽のようだとか。
いつか来てみたいですね。坂を登る体力があるうちに(笑) -
境内奥にある弥勒の窟。
石窟内に弥勒菩薩像が安置されています。
少し腰を屈めながら入ると、ひんやりとした空気と、ぼうっとした明かりに照らされた弥勒菩薩様がなんとも幻想的でした。 -
義淵僧正の廟所。
境内の中でも高台にあり、今も境内を見守っていらっしゃるかのようですね。 -
ご本堂。
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高いところにあるので、飛鳥の都がよく望めます。
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治田神社
[はるたじんじゃ]
岡寺を出てすぐ横にある神社。 -
もともとは岡寺の伽藍跡地だったようです。
この日は他に参拝者はいませんでしたが、
木が生い茂った広い境内と、趣ある本殿、
とても雰囲気の良い神社で落ち着きます。
さて、坂をくだり、再び自転車で進みます。 -
飛鳥板蓋宮跡
[あすかいたぶきのみやあと]
乙巳の変(大化の改新)の現場となった、
皇極天皇の宮殿跡と言われています。
この場所でまさに中大皇子(天智天皇)が斬り込み、蘇我入鹿の首が飛び…
と考えると感慨深いものがあります。飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡) 名所・史跡
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入鹿首塚のある飛鳥寺の方面を撮影。
入鹿の執念により首が飛んできた、襲ってきたという話が有名ですね。
次は万葉文化館に向かいます。
(ここからしばらく修学旅行の学生さんの団体に鉢合わせてしまい写真が撮れていません…(笑) )
その名の通りですが、万葉集に関する展示があります。
万葉集をモチーフにした日本画展をやっていたのですが、これがすごく素敵で…!
この歌を詠んだ人の気持ちや、その時の風景…様々な視点から描かれており、その場にいるかのように考えたり、思いを巡らすことができました。
芸術系にはとんと疎い私ですが、じーっくり説明読んで拝見していたら1時間弱たっていました(笑)
その後は常設展も見学。
人形や資料、色んな角度から万葉集の世界を表現してあり…こちらも面白かったです。
ちょうど柿本人麻呂の歌劇がはじまるとのことで見学。
歌劇…というか、人形劇?でしたが。
人形の動きと四方スクリーンの文字に合わせて和歌が歌われるというもの。
一応私の本業は音楽(声楽)なので、歌劇(オペラ)には馴染みがあるつもりでしたが、これは新しいかも…。
和歌は今でこそなんとなく詩というか文字のイメージですが、こうして聞くとやはり音節や韻の踏み方など、音楽になっているので、間違いなく《歌》なんだなぁと実感しました。
思いがけず万葉文化館で長時間過ごしてしまいましたが…
次は飛鳥寺へ向かいます。
日本最古と言われる飛鳥大仏で有名な飛鳥寺。
こじんまりはしているのですが、間近で見ると、お顔がどことなく優しい気がしました。今風に言うとイケメン風?な感じでしょうかね。
左右から見るとそれぞれ違った表情に見えるそうです。
……が、ここでも修学旅行の団体さんと鉢合わせ、お寺の中がぎゅうぎゅうになってしまったのでゆっくりは見られませんでした。 -
飛鳥寺を見学後は近くにある入鹿首塚へ。
天智天皇が神格化されすぎて、なんとなく悪のイメージがある入鹿ですが、
優秀な頭脳と大きな権力を持って国を回していた、当時としては国に不可欠な人物であったのではないかと思います。
なんだかんだ日本書紀でも入鹿のことはベタ褒めしていますしね。
優秀さが故の傲慢や妬み、政治についての意見の違い、色々な事情がからみあって乙巳の変で悲劇の最期を遂げたのでしょう。蘇我入鹿首塚 名所・史跡
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さて、本日の最後です。
飛鳥坐神社
[あすかにいますじんじゃ]
朱鳥1年の文献には既に記述があることから、かなり歴史の古い神社と思われます。
「おんだ祭り」という奇祭が行われることでも有名。
男性器・女性器を表す陰陽石(形が露骨…(笑))が点在しており、古代からの性信仰が窺えます。
独特な雰囲気の神社ですが、どことなく神聖な空気を感じます。
1日無事に自転車を走らせることができたことへの感謝と、今後の無事も祈りつつ参拝。
と、いうところで自転車返却の時間も迫っていましたので、飛鳥駅に引き返します。
朝と同じ自転車のおっちゃんに「電動にしといて良かったでしょー?」と言われ、大きく頷いたのは言うまでもありません。笑
長くなってしまいましたが、1日飛鳥をたっぷり満喫してきました!飛鳥坐神社 寺・神社・教会
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