2019/04/09 - 2019/04/18
202位(同エリア1078件中)
マーさん
いよいよ、今回のポーランド・ダーク旅 最終日となりました。 昨年10月、インド・ラジャスタン地方の旅から
帰国後、1ヶ月もしないウチに今回のポーランド行きを決め、まずやった事 ! 妹は元々定期的にジム通い
してたらしいのですが、回数を増やしさらにプライベートイントラに付いて足腰強化 ! ワタシは、ウォーキング(1日3~4K)
を毎日欠かさずやってましたが、さすがにこちらへ来てから ほぼ毎日12K~15Kを歩いてくると、足が悲鳴をあげかけて
ました。 ホントに「修行」のような旅になってます(笑)
昨年末から行程表の作成始めたのですが、お互いの希望する場所が全て半端ない距離を歩いて見学する場所
ばかりになってしまい(苦笑)前述のトレーニングとなった次第です。
まぁ、ツアー旅行は2人ともNGだったのも有り 往復のチケットとホテル手配だけツアー会社に依頼し
中味は全て自分達で決める旅にしました。
結果 !! 大正解だったと思ってます 欲を言えば、クラクフでの時間が足りなかったですね
後1~2泊延長してればよかったと思いました。
ワタシ達が旅した、行程はどなたにでもお勧め出来るものでは決してありませんが(笑)
ポーランドって、ホントに優しい国(ほぼ全てにおいて) 特に、クラクフは再訪したい街になりました。
さて、最終日はワルシャワ蜂起博物館をメインにユダヤ関連等を巡ってます。ちなみに、文化科学宮殿は
妹のリクエストでした(笑)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- タクシー 徒歩
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-
ワルシャワ最終日スタートです。
早めに朝食を済ませ、ホテル前からUberを手配し「ワルシャワ蜂起博物館」
に9時前には到着しました。この博物館は火曜が休館で土日は10時開館
その他は朝8時より開館してます。混み合う博物館と聞いてましたので
早めのスタート地点としました。この博物館はワルシャワ蜂起60年を記念して
2004年10月2日にオープン毎年蜂起を開始した8月1日17時は「W」の時
として、ワルシャワ市内は一斉にサイレンが鳴らされ市民は1分間の黙祷を
捧げるそうです。 -
入口ゲートを真っすぐ進んだ所に「KASA」(チケット売り場)があります。
開館間もない時間帯でしたので、行列も無くすんなり買えました
1人25PLN です。ポーランド旅行記を読むと、こういったチケット売り場とか
スーパー等、特に女性は愛想が無いなんて書かれてるのをよく目にしてましたが
けっしてそんな事はありませんでしたね(笑)
片言でいいからポーランド語を使うと態度が一変「ジンドブレ」って挨拶するだけでにこっ(´▽`)っと笑いながら応対してくれるのを何回も経験しました。 -
これがチケットになります。「ワルシャワ蜂起」ですが、もしこれから行かれる予定のある方は
絶対、概略だけでも予習されてた方が良いのではと思います。展示物の理解度がまったく違って来るからです。 -
左側の黒い扉が入口になります。中に入ると、職員が2~3名居てチケットの
スキャンをして貰い見学スタートです。尚、大きな手荷物等は持ち込み禁止で
この向かい側のコインロッカーに預けます。
日本語レシーバーは中に入って左手にショップがありますので、そこで
貸し出してもらう事になってます。1台10PLNでした。 -
「ワルシャワ蜂起」とは ?ナチスドイツの敗色が濃厚になってた1944年夏
ソ連赤軍は7/30、ワルシャワ近郊10K地点まで迫りそれに呼応した
ポーランド国内軍(市民や女性子供も含む)が8/1 17時に開始した反抗作戦
の事を云います。しかし、頼みの綱だったソ連赤軍はそれ以上
侵攻せず、援軍の得られぬままついに10/2ポーランド軍は降伏し
国内軍5万の内3万人が戦死及び行方不明、市民の犠牲も20万人以上に
そしてワルシャワ市内に残った70万が追放され、街の8割方ナチス・ドイツによって破壊された戦いです。
結局、スターリンの思惑によってワルシャワは見捨てられたワケです。
悪魔の独裁者と云ってもいい位、大量虐殺を行ってますから ユダヤの民への
ホロコーストより一桁多い自国民を虐殺してます。
この部屋は、小学生達が学ぶ為の部屋だそうです。
学校単位で学ぶ社会科になってる歴史みたいですね -
子供達は、伝令兵的な役割を担ってたそうです。
-
奥のパネル写真が、まだ平和だった頃のワルシャワ市内
そして手前がナチスに破壊された建物の瓦礫
展示の仕方が上手いなぁと思います。 -
見学路は全て、石畳の通路となってます。
徹底して造りこんであります。 -
館内の一角には、小型シネコン並みのスクリーンが設置してあり
ワルシャワ市街戦の記録フィルムを上映してました。 -
左翼はカットされてますが、当時ポーランド国内軍に空から物資補給を
した中型輸送機も展示されてます。連合国側はソ連赤軍に対しても
全面的な物資支援を要請したらしいのですが、消極的で賛同は
得られなかったらしいです。ここにも、スターリンの政治的な思惑がありました。
戦後を見据えて、国内軍に勝利されたらソ連赤軍の影響力が弱まり
ポーランドを傘下におけなくなる心配があったからとの事 -
それでも、イギリスにあるポーランド亡命政府を通じて物資補給は
行えたようです。 補給物資を入れて投下したカプセルです。 -
中は、武器や食料などですね。
-
小学生も社会科の授業で訪れる施設ですから、残虐な写真等は子供の背丈では
見えない位置に配慮され設置されてました。 -
市街戦で亡くなった国内軍の兵士のお墓
-
当時の埋葬してる写真も残されてましたがまったく同じに再現されてます。
ありのままをとにかくリアルに再現し、視覚に訴えるような展示に
なってるのは、前日の「闘争と殉教の霊廟」もそうですしクラクフの
「オスカー・シンドラー博物館」もしかり・展示の仕方は上手ですね。 -
国内軍やレジスタンスのメンバーが使用してた銃器です。
ソ連製ですね -
こちらも同じくそうです。ただ、蜂起直後は銃器不足で数人に一丁
のライフルしか無く、
ナチス・ドイツ軍から銃器を奪いながら戦ってたとの事 -
「戦場のピアニスト」の主人公 ウワディスワフ・シュピルマン氏に
関しての展示コーナーです。画像右側の柱にある44番って数字ですが
借りたレシーバーを再生する時のNOになります。各コーナーにある数字を
入力し再生ボタンを押し日本語の説明を聞けるシステムです!
ただ惜しむらくは、ヘッドホン方式だったらもっと良いのにと
思いましたね・このレシーバー!?ずっとスマホで通話してるような状態になり
両手が使えないから不便でした(苦笑) -
充分な援軍も得られぬまま、国内軍はもとより市民まで巻き込んだ戦いも
ついに 1944年10月2日 全面降伏を迎えました。
生き残った市民約70万人は追放となり、強制収容所へ送られました。
この写真は、1944年クリスマス時期収容所内で撮られたワルシャワから
追放させられた市民との事です。 -
結局、3時間近く見学してました。中庭に出ると、社会科の授業の一環なのか ?
学生集団で溢れかえってました。表通りには、貸し切りバスが
列をなして 停車してます。
やはり午前中、開館直後に入ったのは正解でした。
今回の旅では、施設見学及び街歩きではほぼランチ抜きでした
探す手間が勿体無い(笑) ランチする時間があれば見学に時間を
使いたいってので意見が一致してたのもありましたが・・・
その分、ホテルでの朝食はガッツリ食べてました(笑) -
次に向かった場所がここでした。
「ウムシュラークプラッツ」ドイツ語表示で「集荷場」
日本では「死の待合室」と表現されてます。
しかし !?? 集荷場って? 運ばれてたのは人間なんですよね!?
家畜並みの扱いだったのがよく判る表現です。
-
1942年7月22日 ワルシャワゲットーのユダヤ人移送が始まりました。
毎日7000人ものユダヤ人が、ワルシャワから90Kの地点
にある「トレブリンカ絶滅収容所」へ送られました。
この収容所は、強制労働は無く着いて数時間後にはガス室へ
ここから約30万の人々が移送され その内
26万5千人が亡くなってます。シュピルマン一家もここから
移送され、本人以外はガス室へ送られました。
「戦場のピアニスト」でも集荷場での印象的なシーンが
シュピルマンの父親が、キャラメルを家族の
人数分ナイフで切り分け、家族で食べるシーンが何とも言えず
悲しくせつない別れになってました。 -
現在の「集荷場」跡地です。
貨物列車を模した(正面はドアが開いてる状態)
モニュメントが建立されてます。当時は貨物駅がすぐ近くにあり
その一角に移送するユダヤ人達を集めてました。
現在は、その駅や引き込み線も残されてはいませんが
広場跡は一部当時の煉瓦壁もそのまま残されています。 -
後ろから周りこんだ画像です。
この場所は、ゲットーの北端にあたります。 -
壁面には、最初に移送されたユダヤの人々400人の名前が刻んで
ありました。 -
やはり、イスラエルからの慰霊の方々も訪れているようでした。
-
モニュメントの裏手には、白水仙も混ざってますが
殆どが「黄水仙」の花畑 妹がホテルへ帰って
調べて見ると、花言葉が「私の元へ帰って」だそうです。
2人で思わず納得しました。この場所に植えられてる意味を! -
「集荷場」からそう遠くない距離に「パヴィアク刑務所」も
あるのですが月曜は休館日の為、諦めて次の場所へ
中央駅にほど近い「ワルシャワゲットー」壁跡です。
2つのアパートメントに挟まれた奥の場所に残ってます
「集荷場」から呼んだUberのドライバーさんが
親切で詳しく行き方を教えてくれました。 -
62番地の標識が目印になります。
入るとすぐに案内板が、住宅地の中にありますので
22時~06時はご遠慮願います ! 的な案内だと思います -
この62番のアパートメントを抜け、右の突き当りにありました。
-
「ワルシャワゲットー」は、ナチスが造ったゲットー
の中でも最大規模で1940年11月に完成し1941年3月
には約45万人を狭い区域に押し込めました。
残されてる壁跡はゲットーの南端になります。 -
イチオシ
ゲットー壁跡と向こうに見える近代的な高層ビル
辛い歴史を見てきたゲットー壁跡 からすると
この風景はどんな風に映るのでしょうか ? -
62番のアパートメントの裏側にさらにもう一か所、壁跡が
残されています。
-
アパートメントの間に挟まれるように残してある壁跡 !
ナチス・ドイツとソ連赤軍、同時に侵攻されたポーランド
その悲惨な歴史を残さなきゃならないと云う この国の
姿勢が伝わってくる気がしました。 -
イチオシ
復興した現代のワルシャワ
旧ソ連体制下での象徴でもある「文化科学宮殿」
対照的な近代建築の高層ビル
面白い構図だと思い シャッターを -
ワルシャワ中央駅の裏手 ショッピングモール
にしても、クラクフと比較すると戦後作り直された街だから !?
道路幅の広い事 片側3~4車線が当たり前 中央にはトラム
の路線があったりして、対面に渡るの一苦労 -
中央駅を迂回して、スターリンの要らない贈り物である
「文化科学宮殿」へ 30階にある展望台へは
駅前通りから見て右手、東側の入り口から入ります。 -
周りのビル群からすると、やはりかなり異質な感じがしますね
1955年に完成 42階建て 高さが237m
展望台の30階テラスは114m 社会主義国である中国の首都「北京」
に引っ掛けて「PKiN」ピキンと呼ばれてるそうです(笑) -
東側から入り、階段を登った右側にチケット売り場があります。
1人20PLNでした。奥に進むと左右に5~6基エレベーターが
展望台へは一番奥の専用エレベーターであがります。
このチケット売り場のホールや降り口専用の地階の建物内
旧ソ連時代のモスクワを訪ねた事がありましたので
何か ? 懐かしい感じがしました。造りが同じ(笑)
まぁ設計がロシア人ですからね -
あっと云う間に到着 ! クラクフ滞在時と違い、3日間ずっと晴
でしたので、じゃぁ登ってみようとなった次第です。
ホントに真っ平らって云うのがよく判ります。
高層ビルもそれほどまだ多くはありませんので、眺望は抜群です。
右側の平たい建物が、中央駅になります。 -
視線を左側に移すと、中央駅前の大通りが見えます。
この通りを東へ真っすぐ行くと
国立美術館や国立軍事博物館があります。
眺望は抜群なのですが、風が強くてメチャ寒かったです(苦笑)
4月で日本の真冬でしたので、冬季はやめた方が -
カメラ構えながら歩いてると、2歳位でしょうか !?
可愛い女の子と遭遇(^^♪ お母さんに写真撮らせて
下さいとお願いしたら、快くOK貰い タイトル画に
しました。 -
ゲットー壁跡があるアパートメントも判りました。
高層ビルの端に少しだけ見えてます。 -
30階展望テラスはこんな感じで、四方がすべて見渡せる
回廊になってます。夏は涼しくて良いかも。。。 -
北側には、立ち寄りもしなかった 王宮や旧市街が見えます。
戦後、復興された旧市街には余り興味が湧かなかったですね
どうしても、クラクフの街並みと無意識に比べてしまって(苦笑)
-
翌日のフライト時間が早いので、カルフールで最後の
買い物を済ませ、Uberを呼び早めにホテルへ
ワルシャワで宿泊した「ゴールデンチューリップ」は交通の
便はすごく良いのですが、周りに飲食店が殆ど見当たらない
ので(笑) ポーランド最後の夕食は隣の3星ホテル「カンパニール」へ
-
ポーランド料理と云うよりは、創作料理的な感じでした。
ワタシがオーダーしたビーフスープ
味付けは薄味で好みの味でした。 -
妹がオーダーしたスープ
確か !? きのこスープだったかな ? -
そして妹のメインがこれ !
さすがに、サーモンばかりだと飽きもきますので(笑)
他の魚料理はって聞いたら、白身魚のソテーがあるとの事
迷わず オーダー 味はイケルよ~との感想 -
ワタシは生ビールと、ビーフステーキをチョイス !
出てきたステーキ見て、やっぱりねって !
拳より遥かに大きい赤身の塊でした。ミディアム・レアに
して正解でした。 そして笑えたのが、食事用のナイフではなく
ホントのナイフが添えられてました。
でも硬くもなく肉の味はちゃんとしてました。
いちばん美味しいと思ったのが、添えてあるポテトチップ
じゃがいもは、どのレストランも日本で食べるモノとは
別物でした(^^♪
ポーランド旅もあっと云う間に終わりの時が来ました。
アクシデントも無くと思ったのですが・・・
ドーハ市内でやらかしましたぁ~ 次回最終の旅行記で
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