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前回③より、今回の旅のメインである「ダークツーリズム」スタートしましたが、読んで下さる方の中には<br /> 不快な思いしかない方もいらっしゃるかもしれませんね・・・楽しい旅ではけっしてありませんので<br />ただ、今まで 本や映画 そして、画像でしか見た事のなかった 「アウシュヴッツ・ビルケナウ絶滅収容所」<br /> その現場に立ってその空気感を、自分の肌身で感じる事が こんなにまで違うと云う事 実感致しました。<br /><br /> つくづく、人間って愚かな生き物 だって事 痛感させられます。<br /><br /> 大戦後も世界の各地で、ルワンダ、イランイラクのクルド人 カンボジアのポルポトクメールルージュ ユーゴの内戦等<br />   大虐殺の繰り返し枚挙がありません<br /> アウシュヴッツ・ミュージアム唯一の日本人ガイド 中谷剛氏の著書の中に、アウシュヴッツ・ミュージアム館長を<br />   30年以上勤められた カジミエシュ・スモレン氏がドイツ人学生に言った言葉がとても印象的です<br />  「君たちには戦争責任はない、でもそれを繰り返さない責任はある」<br /> これは、加害者国 ドイツだけに限らず 現代の全人類に 言える事なんだと<br /><br />   このアウシュヴッツ・ミュージアムのテーマは「この歴史を繰り返さない事」 その為に存在してると <br /><br /> 近年、日本人の訪問者も増加傾向にあるらしいのですが それでも他の先進国からすると、残念ながら僅かな割合らしいです。<br /><br />  さて、後半は少し休憩したあと連絡バスで、ブジェジンカ(ビルケナウ)<br /> 収容所へ向かいます、第1収容所へ収容者を運んだ貨物列車のレール<br />  跡と並行して走ります。途中、ナチス占領時の工場跡も廃屋の<br />  まま残されてます。4~5分も走るとあの有名な「死の門」が<br />   視界に、ついに来たんだなぁと云う想いが・・・・<br /> もう完全に、ポーランド語ツアーのグループとは離れ 綾香さんと<br />   妹、そしてワタシの3人で、急がされることも無く<br />  マイペースで見学出来てよかったです。<br />順路は、逆になりますが ほとんどツアー見学では訪れない<br />  「ユーデンランペ」から紹介します。      <br /><br /> <br />   <br />        <br />            

カタール航空ビジネスで行く ポーランド・ダーク旅(ブジェジンカ・ユーデンランペ編)④

21いいね!

2019/04/09 - 2019/04/18

88位(同エリア385件中)

マー

マーさん

前回③より、今回の旅のメインである「ダークツーリズム」スタートしましたが、読んで下さる方の中には
 不快な思いしかない方もいらっしゃるかもしれませんね・・・楽しい旅ではけっしてありませんので
ただ、今まで 本や映画 そして、画像でしか見た事のなかった 「アウシュヴッツ・ビルケナウ絶滅収容所」
 その現場に立ってその空気感を、自分の肌身で感じる事が こんなにまで違うと云う事 実感致しました。

 つくづく、人間って愚かな生き物 だって事 痛感させられます。

 大戦後も世界の各地で、ルワンダ、イランイラクのクルド人 カンボジアのポルポトクメールルージュ ユーゴの内戦等
   大虐殺の繰り返し枚挙がありません
 アウシュヴッツ・ミュージアム唯一の日本人ガイド 中谷剛氏の著書の中に、アウシュヴッツ・ミュージアム館長を
   30年以上勤められた カジミエシュ・スモレン氏がドイツ人学生に言った言葉がとても印象的です
  「君たちには戦争責任はない、でもそれを繰り返さない責任はある」
 これは、加害者国 ドイツだけに限らず 現代の全人類に 言える事なんだと

   このアウシュヴッツ・ミュージアムのテーマは「この歴史を繰り返さない事」 その為に存在してると

 近年、日本人の訪問者も増加傾向にあるらしいのですが それでも他の先進国からすると、残念ながら僅かな割合らしいです。

  さて、後半は少し休憩したあと連絡バスで、ブジェジンカ(ビルケナウ)
 収容所へ向かいます、第1収容所へ収容者を運んだ貨物列車のレール
  跡と並行して走ります。途中、ナチス占領時の工場跡も廃屋の
  まま残されてます。4~5分も走るとあの有名な「死の門」が
   視界に、ついに来たんだなぁと云う想いが・・・・
 もう完全に、ポーランド語ツアーのグループとは離れ 綾香さんと
   妹、そしてワタシの3人で、急がされることも無く
  マイペースで見学出来てよかったです。
順路は、逆になりますが ほとんどツアー見学では訪れない
  「ユーデンランペ」から紹介します。      

 
   
        
            

旅行の満足度
5.0
同行者
その他
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「死の門」を外側から見たshotです。<br />  ここ第2収容所が稼働し始めたのが、1941年10月 そして この門に<br /> 直接、貨物列車が入れるようになったのは1944年5月からなんですね<br />それまでは、今回訪ねた場所「ユーデンランペ」(300m程離れてます)<br />  にユダヤ人50万人、ポーランド人その他20万人が降ろされ、選別<br /> され、この第2収容所へ歩いて収容されてます。<br /><br />※余談ですが「シンドラーのリスト」にもこの収容所が登場しますが、撮影許可<br /> が下りなくて、丁度この画像の区域に収容所内のセットを構築し<br />   貨物列車を逆に走らせ、さも「死の門」をくぐり入ったように<br />  撮影したらしいです。   

    「死の門」を外側から見たshotです。
      ここ第2収容所が稼働し始めたのが、1941年10月 そして この門に
     直接、貨物列車が入れるようになったのは1944年5月からなんですね
    それまでは、今回訪ねた場所「ユーデンランペ」(300m程離れてます)
      にユダヤ人50万人、ポーランド人その他20万人が降ろされ、選別
     され、この第2収容所へ歩いて収容されてます。

    ※余談ですが「シンドラーのリスト」にもこの収容所が登場しますが、撮影許可
     が下りなくて、丁度この画像の区域に収容所内のセットを構築し
       貨物列車を逆に走らせ、さも「死の門」をくぐり入ったように
      撮影したらしいです。   

  • 今にも、みぞれか ? 粉雪に変わりそうな雨模様の中、歩いて行くと<br />  残されてます。当時の「死の門」へ続く、引き込み線のレールがそのまま<br /> 何十万人もの人たちが、このレールの上を運ばれたのかと<br />想うと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

    今にも、みぞれか ? 粉雪に変わりそうな雨模様の中、歩いて行くと
      残されてます。当時の「死の門」へ続く、引き込み線のレールがそのまま
     何十万人もの人たちが、このレールの上を運ばれたのかと
    想うと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

  • 細い道を抜け、少し広い通りを右に曲がると見えてきます。<br />  全体図を示した案内版の、Cの位置がこの「ユーデンランペ」です。<br />今回、この場所は絶対訪れたいと考えてました。  

    細い道を抜け、少し広い通りを右に曲がると見えてきます。
      全体図を示した案内版の、Cの位置がこの「ユーデンランペ」です。
    今回、この場所は絶対訪れたいと考えてました。  

  • 身元不明の収容者が、書いた「ユーデンランペ」のスケッチです。<br /> ここで、降車させられ 第2収容所まで歩かされたのでしょうね 

    身元不明の収容者が、書いた「ユーデンランペ」のスケッチです。
     ここで、降車させられ 第2収容所まで歩かされたのでしょうね 

  • 選別の様子<br /><br /> このスケッチは、ガラス瓶の中に入れられ 戦後、1947年に第2収容所内の<br />   敷地で見つかったそうです。 

    選別の様子

     このスケッチは、ガラス瓶の中に入れられ 戦後、1947年に第2収容所内の
       敷地で見つかったそうです。 

  • その当時、使われた貨物用貨車が2両 ぼつんと線路上に置いてあります。<br /><br />  ビルケナウ収容所内に置いてある貨車より、生々しい感じがします。

    その当時、使われた貨物用貨車が2両 ぼつんと線路上に置いてあります。

      ビルケナウ収容所内に置いてある貨車より、生々しい感じがします。

  • イスラエルの修学旅行の集団も、ここまでは来ていないようです。<br /> <br />  ステップ上に、祈りのメッセージ だと想うのですが 石に色んな<br />言葉を書き供えてありました。

    イスラエルの修学旅行の集団も、ここまでは来ていないようです。
     
      ステップ上に、祈りのメッセージ だと想うのですが 石に色んな
    言葉を書き供えてありました。

  • 「ユーデンランペ」の全景です。 <br /><br />  周辺は整備されてはいますが、なんとも言いようのない寂寥感が<br />   漂ってました。この時も、ワタシ達2人以外は誰も訪れる人は<br />  居ませんでした。  

    「ユーデンランペ」の全景です。 

      周辺は整備されてはいますが、なんとも言いようのない寂寥感が
       漂ってました。この時も、ワタシ達2人以外は誰も訪れる人は
      居ませんでした。  

  • その周辺には、当時使われてた 事務所や倉庫が 朽ち果てるにまかした<br />  まま放置されています。 

    その周辺には、当時使われてた 事務所や倉庫が 朽ち果てるにまかした
      まま放置されています。 

  • 雑草が生い茂り、近ずくことも出来ない感じでした。

    雑草が生い茂り、近ずくことも出来ない感じでした。

  • 帰り道の風景です。左上奥に、第2収容所ビルケナウの建物が遠くに見えてます  ここで降ろされ選別された集団もこうやって歩かされていたの<br /> でしょうね。。。この辺りの民家ですが、敢えてなのか ? レールを<br />撤去する事なく、そのまま状態で残してありました。<br /> このレール右手上方に緩やかにカーブして、「死の門」へと続いてます。  

    帰り道の風景です。左上奥に、第2収容所ビルケナウの建物が遠くに見えてます  ここで降ろされ選別された集団もこうやって歩かされていたの
     でしょうね。。。この辺りの民家ですが、敢えてなのか ? レールを
    撤去する事なく、そのまま状態で残してありました。
     このレール右手上方に緩やかにカーブして、「死の門」へと続いてます。  

  • 投稿順が逆になってしまいました(;&#39;∀&#39;)<br />  こちら、ビルケナウの象徴でもある 「死の門」から<br /> ますます、雨風が酷くなり皆さんこんな格好で<br />  見学スタートです。  

    投稿順が逆になってしまいました(;'∀')
      こちら、ビルケナウの象徴でもある 「死の門」から
     ますます、雨風が酷くなり皆さんこんな格好で
      見学スタートです。  

  • 門をくぐると、まず目に飛び込んでくるのが 広大な敷地 !! <br /> 東京ドーム37個分とか云われてますが、この場に立って<br /> 体感しないと実感が湧いてきませんね。。。。<br /><br /> そして、訪れた方達もよく書いておられますが<br />  木造バラックのあった区域、土台と暖炉用の煉瓦煙突のみ<br /> 林立して残されてます。 本当に墓標のような感じです ! 

    門をくぐると、まず目に飛び込んでくるのが 広大な敷地 !! 
     東京ドーム37個分とか云われてますが、この場に立って
     体感しないと実感が湧いてきませんね。。。。

     そして、訪れた方達もよく書いておられますが
      木造バラックのあった区域、土台と暖炉用の煉瓦煙突のみ
     林立して残されてます。 本当に墓標のような感じです ! 

  • 一定の間隔で置かれてる 見張り台

    一定の間隔で置かれてる 見張り台

  • 収容者達が移送されてきた家畜用の貨車が、1両だけ <br />  この貨車は2010年、収容され奇跡的に生き残った方が<br /> 当時使われていた貨車と同型車を買い取り、アウシュヴィッツ博物館<br />  へ寄贈されたものだそうです。  

    収容者達が移送されてきた家畜用の貨車が、1両だけ 
      この貨車は2010年、収容され奇跡的に生き残った方が
     当時使われていた貨車と同型車を買い取り、アウシュヴィッツ博物館
      へ寄贈されたものだそうです。  

  • 象徴的な風景

    象徴的な風景

  • 到着したばかりの収容者<br /> 1944年後半時期です 右奥に見える高い煙突が第2クレマトリウム<br />  の焼却炉の煙突 左側の新収容者受け入れ所は現存してます。

    到着したばかりの収容者
     1944年後半時期です 右奥に見える高い煙突が第2クレマトリウム
      の焼却炉の煙突 左側の新収容者受け入れ所は現存してます。

  • そして、この受け入れ所前、ランペの中央に位置するこの場所で<br />  生と死の「選別」が行われました(左側のパネル写真)<br /> SSの医師が、右へ差すと受け入れ所前を通り第2クレマトリウム(ガス室、焼却炉)へ、左側に差された人は労働可能者としてそれぞれ収容棟へ<br />  ただ、労働可能者の中にも「検体者」として生体実験にまわされた<br /> 人達もかなりの数だそうです・・・    

    そして、この受け入れ所前、ランペの中央に位置するこの場所で
      生と死の「選別」が行われました(左側のパネル写真)
     SSの医師が、右へ差すと受け入れ所前を通り第2クレマトリウム(ガス室、焼却炉)へ、左側に差された人は労働可能者としてそれぞれ収容棟へ
      ただ、労働可能者の中にも「検体者」として生体実験にまわされた
     人達もかなりの数だそうです・・・    

  • これが、現存してる 「新収容者受け入れ所」です。

    これが、現存してる 「新収容者受け入れ所」です。

  • そしてこの道が<br />  クレマトリウムに続く「死のロード」と云われてます。<br /><br /> なんとも言いようのない不快感がシャッター押しながら湧いてましたね <br />  

    そしてこの道が
      クレマトリウムに続く「死のロード」と云われてます。

     なんとも言いようのない不快感がシャッター押しながら湧いてましたね 
      

  • 引き込み線の終点 <br /><br />  「死の門」が遙か遠くに霞んで見えてます。800mあります<br /> どれほど広いか ? 伝わるのではと思います

    引き込み線の終点 

      「死の門」が遙か遠くに霞んで見えてます。800mあります
     どれほど広いか ? 伝わるのではと思います

  •  突き当りに、犠牲者追悼碑が23の言語プレートで<br /><br />  その脇に、第2クレマトリウムへの入り口門扉が残されてます。 

     突き当りに、犠牲者追悼碑が23の言語プレートで

      その脇に、第2クレマトリウムへの入り口門扉が残されてます。 

  • 4つのクレマトリウムの中でも、最大の規模だった<br />  第2クレマトリウム跡です。この階段が2度と戻る事が出来ない<br />「死」への入り口 地下の脱衣所へ続いてます。  

    4つのクレマトリウムの中でも、最大の規模だった
      第2クレマトリウム跡です。この階段が2度と戻る事が出来ない
    「死」への入り口 地下の脱衣所へ続いてます。  

  • 安易な言葉では、表現できない光景です

    安易な言葉では、表現できない光景です

  • 脱衣所へ続く、ゾンタ―コマンド達が出入りした地下への階段

    脱衣所へ続く、ゾンタ―コマンド達が出入りした地下への階段

  • 脱衣所跡の向こう鉄条網の先には、戸建ての住宅が並んで平和な暮らしのある<br />  田舎町の風景が・・・75年前ここで亡くなった人達には、<br />想像もつかない風景かもです。 

    脱衣所跡の向こう鉄条網の先には、戸建ての住宅が並んで平和な暮らしのある
      田舎町の風景が・・・75年前ここで亡くなった人達には、
    想像もつかない風景かもです。 

  • 稼働してた頃の、第2焼却炉<br /> 全景ではありませんが、かなり大きな建造物です

    稼働してた頃の、第2焼却炉
     全景ではありませんが、かなり大きな建造物です

  • ソ連軍が開放する、1週間前から証拠隠滅の為SSがダイナマイトを<br />  使い破壊した 焼却炉  

    ソ連軍が開放する、1週間前から証拠隠滅の為SSがダイナマイトを
      使い破壊した 焼却炉  

  • これは、梁の部分でしょうか ?

    これは、梁の部分でしょうか ?

  • これは、航空写真で見るとよく判りますが 屋根の部分がそのまま<br />  落ちてます。

    これは、航空写真で見るとよく判りますが 屋根の部分がそのまま
      落ちてます。

  • 焼却炉跡の瓦礫を左側に回り込むと、遺灰を廃棄した池があります<br />  こんな池が敷地内に数か所、そしてビスワ川にも廃棄された<br /> そうです。 右側奥には、ガス室跡の瓦礫も見えます。

    焼却炉跡の瓦礫を左側に回り込むと、遺灰を廃棄した池があります
      こんな池が敷地内に数か所、そしてビスワ川にも廃棄された
     そうです。 右側奥には、ガス室跡の瓦礫も見えます。

  • そして、敷地内至る所で目にするのが 高圧電流が流れてた鉄条網<br />  手前には、SSが収容者に掘らせた溝 

    そして、敷地内至る所で目にするのが 高圧電流が流れてた鉄条網
      手前には、SSが収容者に掘らせた溝 

  • 元々、湿地帯で地盤が悪い土地に建てられた為、煉瓦バラック棟は<br />  崩壊の恐れもあるため、こうやって補強されてます。<br />また、数棟ずつテントで覆い修復作業も行われてます。  <br />  

    元々、湿地帯で地盤が悪い土地に建てられた為、煉瓦バラック棟は
      崩壊の恐れもあるため、こうやって補強されてます。
    また、数棟ずつテントで覆い修復作業も行われてます。  
      

  • 木造バラック跡 <br />  土台と煉瓦煙突のみ

    木造バラック跡 
      土台と煉瓦煙突のみ

  • 厨房棟です <br />  荷車は当時使われてたとの事

    厨房棟です 
      荷車は当時使われてたとの事

  • 煉瓦バラック棟の内部で撮影した、窓からの風景 <br /> <br />  第1収容棟のアウシュヴィッツからすると比較になりませんね

    煉瓦バラック棟の内部で撮影した、窓からの風景 
     
      第1収容棟のアウシュヴィッツからすると比較になりませんね

  • 煉瓦バラック棟の定員は700人で、3段の棚が60個作られ 1棚4人の定員に<br /> 対して常時6~7人が入れられてたらしいです。<br />暗くてジメジメしていて、何とも酷い環境だったのが<br />  感じられます。<br />地盤が軟弱なせいか ? 見学者も連日多いからなのか ? 通路に敷き詰めてある<br />  レンガ完全に凸凹状態になってました  

    煉瓦バラック棟の定員は700人で、3段の棚が60個作られ 1棚4人の定員に
     対して常時6~7人が入れられてたらしいです。
    暗くてジメジメしていて、何とも酷い環境だったのが
      感じられます。
    地盤が軟弱なせいか ? 見学者も連日多いからなのか ? 通路に敷き詰めてある
      レンガ完全に凸凹状態になってました  

  • これは、中段の棚ですが この幅の狭いスペースに6~7人も<br />  寝起きしていたなんて・・・人間とはまったく考えても<br />いなかったのでしょうね

    これは、中段の棚ですが この幅の狭いスペースに6~7人も
      寝起きしていたなんて・・・人間とはまったく考えても
    いなかったのでしょうね

  • 一番悲惨なのが、下段に寝起きするしかなかった人達<br />  体力が弱って上の段に這い上がれないと<br />必然的に下段しかなく、ネズミが這いずり回っていたそうです

    一番悲惨なのが、下段に寝起きするしかなかった人達
      体力が弱って上の段に這い上がれないと
    必然的に下段しかなく、ネズミが這いずり回っていたそうです

  • 使われていた洗面所 <br /><br /> 石鹸置きがありますが、果たして置いてあったのでしょうか?? 

    使われていた洗面所

     石鹸置きがありますが、果たして置いてあったのでしょうか?? 

  • 復元されてる、木造バラック棟のトイレとは違い これは<br />  当時、使われてたトイレです。<br />脱走防止用に、各穴に鉄格子がはめ込まれているのが見えます。 

    復元されてる、木造バラック棟のトイレとは違い これは
      当時、使われてたトイレです。
    脱走防止用に、各穴に鉄格子がはめ込まれているのが見えます。 

  •  ビルケナウ見学時の一番不愉快で腹立たしい出来事のショットです<br /><br />  upしようか ? 迷いましたが・・・・<br />イスラエルの学生集団です !! ワタシ達より後から入って来て、奥に入り<br />  博物館専属ガイドが説明してる、最後尾の奴等なのですが<br /> アウシュヴィッツそしてこの広いビルケナウの敷地 歩き疲れたのは<br />  理解出来るのですが、事もあろうに中段の棚に腰かけて休んでる<br /> 有様 ??? 何回も訪れてる綾香さんも、こんな非常識なグループ<br />   初めて見ましたって ! 狭い通路の最後尾の為、ガイドの目にも<br /> 付いてない位置だったんですね <br /><br />   なんかもう お前らの祖先が苦労して亡くなっていった場所で<br />     ようそんな真似出来るな !? って<br />  このグループ!? 死の門出る際も 大声で歌いながら出て行きましたが<br />    周りの見学者達も呆れてました。<br /><br />   最後にホントに後味の悪い思いが・・・ただこれだけでは<br />    終わりませんでした、翌日のシンドラー博物館でも違う<br />   イスラエルのアホグループと遭遇してしまったのですが・・・・・ <br /> 

     ビルケナウ見学時の一番不愉快で腹立たしい出来事のショットです

      upしようか ? 迷いましたが・・・・
    イスラエルの学生集団です !! ワタシ達より後から入って来て、奥に入り
      博物館専属ガイドが説明してる、最後尾の奴等なのですが
     アウシュヴィッツそしてこの広いビルケナウの敷地 歩き疲れたのは
      理解出来るのですが、事もあろうに中段の棚に腰かけて休んでる
     有様 ??? 何回も訪れてる綾香さんも、こんな非常識なグループ
       初めて見ましたって ! 狭い通路の最後尾の為、ガイドの目にも
     付いてない位置だったんですね 

       なんかもう お前らの祖先が苦労して亡くなっていった場所で
         ようそんな真似出来るな !? って
      このグループ!? 死の門出る際も 大声で歌いながら出て行きましたが
        周りの見学者達も呆れてました。

       最後にホントに後味の悪い思いが・・・ただこれだけでは
        終わりませんでした、翌日のシンドラー博物館でも違う
       イスラエルのアホグループと遭遇してしまったのですが・・・・・ 
     

  • 「死の門」のゲートを出て 外側から撮ったshot<br />  当初の予定では、「ユーデンランペ」を見学後 また敷地内へ<br />戻り、第4、5クレマトリウム そして カナダ棟 サウナ棟まで<br />  見学予定でしたが、雨脚は弱まる事なく寒さがよけいにひどくなり<br />翌日の事も有り断念し17時前のバスでクラクフに帰る事にしました。<br />  昼食抜きで、8時間近く見学してました。<br />かなり疲れましたが、有意義な時間を過ごせました。<br />  歩いた距離 約15K近くになってました。 <br />   

    「死の門」のゲートを出て 外側から撮ったshot
      当初の予定では、「ユーデンランペ」を見学後 また敷地内へ
    戻り、第4、5クレマトリウム そして カナダ棟 サウナ棟まで
      見学予定でしたが、雨脚は弱まる事なく寒さがよけいにひどくなり
    翌日の事も有り断念し17時前のバスでクラクフに帰る事にしました。
      昼食抜きで、8時間近く見学してました。
    かなり疲れましたが、有意義な時間を過ごせました。
      歩いた距離 約15K近くになってました。 
       

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