2019/04/04 - 2019/04/04
427位(同エリア6773件中)
しにあの旅人さん
- しにあの旅人さんTOP
- 旅行記210冊
- クチコミ220件
- Q&A回答17件
- 198,562アクセス
- フォロワー71人
ラファエロ・粉屋の娘(La Fornarina、バルベリーニ美術館)
「毎日毎日、マリアの憂鬱な顔と、血だらけの磔の絵を描かされて、もううんざり」
「あんた、そんなこと言って、工房クビにならない? それより、いつあたしをお嫁さんにしてくれるの?」
若き日の、駆け出しの徒弟ラファエロと、その恋人、粉屋の娘マルゲリータの会話。
そのラファエロが、ある日散歩の途中に蹴飛ばした彫刻の首を見て、愕然、「なんだこの生き生きとした表情は!」それは1500年も前のローマの彫刻だったのです。
で、ルネッサアンスが始まった、ルネッサンス起源の新説です。
どう、おもしろいでしょう?
「つまんない」 By 妻
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
バルベリーニ美術館。ローマのテルミニ駅から歩いて15分くらいです。有名なボルゲーゼ美術館に匹敵するコレクションだそうです。でもボルゲーゼは予約必須ですが、こちらはいつ行ってもすぐ入れると言われております。
行ってみました。行列なし、一人も待たずに入れました。
昨年3月、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどを旅しました。ガイドブックの言うとおり、有名な美術館を回りました。確かに傑作ばかり鑑賞したと思いますが、とても疲れました。歩き疲れたのは当然です。それ以上に宗教絵画が多かったせいです。マリアの受胎告知とか、キリストの受難、磔の場面など、憂鬱なテーマの絵が多かった。
それが、ローマ国立博物館の、古代ローマ、ギリシャの彫刻を思い出すと、スカッとするのです。彫刻ですから、絵画にくらべて人間の表情を表現するには不利なはずなのに、はるかに生き生きとしている。
美術のルネッサンスとは、中世のカトリックの型にはまったつまらん絵画や彫刻を、ローマの昔の作品を参考に、生身の人間らしく表現しよう。乱暴に言えば、そういうものでありました。
15世紀のイタリアで始まったと言われておりますが、あたりまえで、ローマ時代の遺跡が町中にごろごろしていたわけで、画家がその気になってみれば、自分の描いているものがいかにつまらんものか、気がつく機会はいくらでもあったわけです。
それではそれ以前の絵画とはどんなものであったか、見たくなるのは人情です。
バルベリーニ美術館では、11世紀の絵画から見られるというではありませんか。行ってみよう、ついでに、ローマ国立博物館にももう一度行ってみよう。バルベリーニ宮(国立古典絵画館) 城・宮殿
-
作者は「ROMAN PAINTER active 1050-1075」となっております。「1050年-1075年に活動したローマの画家」ということでしょうか。無名の画家ということですね。「聖母マリアと祝福するキリスト」というような題名です。この美術館でも一番古い絵のようです。
キリスト教宗教絵画以前の印象です。
聖母マリアといっても、キリストを抱いていません。もしかすると、キリスト教以前の、古い地母神信仰の生き残りかもしれません。左上のキリストも、とってつけたようです。 -
作者、題名を記録し損ねました。これも、このあと紹介する聖母子像とはかなり違います。イタリア、フランス、スペインなど南欧のマリア信仰は、古い地母神信仰をベースにすると言われます。キリスト教によって葬り去られたはずの土俗の神が形を変えて生き残ったとしたら、こんな感じの絵になるのではないかと。
-
バルトロ・ディ・フレーディ(シエナ、活動時期 1353-1410)「聖母子」
イタリア語は「Madonna con Banbino」英語でも「Madonna and Child」なので、「聖母と子」なのですが、「聖母子」と訳されることが多いのでそれに従います。
このマリア様、あなたをぐっと睨み付けて、迫力あると思いませんか。
おわかりになりますか。主人は「聖母子」は、「聖」が母にも子にもかかる聖母と聖子なのだ。原題は「聖母と子」「聖」は母にしかかかっていないと言っているのです。母マリアは選ばれて処女懐胎した段階で、すでに「聖」なのでしょう。それに対して、イエスは復活して初めて神の子イエスになったということなのでしょうか。専門家に教えてほしいところです。by 妻。 -
作者名は英語なし、イタリア語だけで、「MAESTRO DELLA MADONNA DI PLAZZO VENEZIA」「ヴェネティア宮殿の聖母の工匠」とでもいうのでしょうか。「14世紀前半にシエナで活動」となっておりました。
題名は「聖母子」 -
これからの3枚はすべて聖母子像ですが、作者、題名が分からなくなってしまいました。
これはおそらく、ネリー・ディ・ビッチー(NERI DI BICCHI、1418-1491)だと思います。間違えたらごめんなさい。 -
同じ場所に展示されていたので、14世紀-15世紀の作品です。
-
共通しているのは、キリストを左手に抱くポーズ、無表情な聖母マリアです。おそらく当時は聖母子像とはこういう風に描くものだという約束があったのですね。
-
ヴィンセンツオ・ディ・アントニアオ・フレディアニ、VINCENZO DI ANTONIO FREDANI(ルッカ 1481-1505)「聖ピーターと聖ポールの間の聖母子」
-
拡大しました。15世紀末-16世紀初めです。聖母に少し人間の母親らしい表情を読み取れます。子供を左に抱くポーズは同じです。
-
「受胎告知と二人の寄付者」フィリッポ・リッピ(1406-1469)
ルネサンス中期の画家。
右下の2人はこの絵の発注者。当時スポンサーを絵の中に描き込むのは普通だったそうです。
私が昔から不思議に思っていたのは、受胎告知の絵で、マリアが驚いているシーンがないこと。
マリアは処女です。それがまったく身に覚えがないのにいきなり天使ガブリエルがやってきて、お腹に子がいることを告げられます。これ、常識的に考えて、マリアはめちゃくちゃ驚いていいはず。
でもそういう取り乱したマリアを描いた絵は見たことがない。キリスト教徒としては、そういうマリアを見たくないのは理解できます。でも不自然です。
ありえる解釈としては、受胎告知が終わって、マリアが納得したあとを、受胎告知として絵にしている。それならマリアが落ち着いているのは理解できます。
それにしても、晴天の霹靂ともいうべき大事件のあとにしては、マリアは無表情です。
マリアに人間らしい表情をあたえてはいけなかったのでしょうか。
茫然自失しているんじゃないの?
マリアが納得って、納得できることですか?だって、身に覚えがないのに妊娠って。しかも背中に翼の生えた人が言ってるし。
「夢だわ、これは夢!」とか、ボーっとしているところなのよ。
じゃなかったら、遠藤周作なんか、イエス・キリストをててなし子あつかいしていますが、その場合だと大天使ガブリエルは産婦人科医ね。そのガブリエル産婦人科医に妊娠を告げられて、
「えー、どうしよう。ヨセフにどう言おう・・・」と途方に暮れている顔。どっちにしても嬉しい懐胎じゃあないわね。
また遠藤周作によると、あの時代私生児(ここではイエス・キリストね)と大食いは、他の罪を犯さなければ何ら咎められることではなかったそうです。大食いと同格って。
ということは、結構私生児多かったということじゃないでしょうかね。
でも年老いた養い手にとって、自分の子供じゃないのに育てるって、「ううーむ」の出来事じゃないですかね。
深刻なのは無理ないと思うけど。by 妻。 -
アンドレア・デル・サルト(1486-1531)「聖家族」
この絵の聖母には、明らかに今までの絵とは違った表情があります。当惑したような、疑っているような、何かを恐れているような。絵の右下、枠外になにがあるのでしょうか。16世紀になると、マリアは人間らしくなりました。 -
サノ・ディ・ピエトロ(シエナ 1406-1481)「磔」
-
ジロラモ・ディ・ベンヴェヌト(GIROLAMO DI BENVENUTO シエナ 1470-1524)「磔」
-
アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ1435/40-1508/12)
「San Sebastian between Onorato II and Pietro Bernardio Gaetani」
アントニアッツォ・ロマーノは、当時のローマ画壇の大物だそうです。
見ていて、うんざりしませんか。
こういう絵が、当時の工房に発注され、盛んに制作されていたわけです。だれが何のために発注したのか、調べる気にもなりません。工房の絵描きたちは来る日も来る日も、血だらけのキリストやサン・セバアスティアンを描いていたわけです。見ていてうんざりですから、描いている方はもっとうんざりでしょう。
工房の親方「おい、おまえの磔、評判いいよ」
絵描き「Grazie!」
「XX侯爵から注文が入ったぜ。クリスマスまでにもう1枚頼む。〇〇カテドラルからも注文ありそうだな、納期は来年の復活祭かな。え? 間に合わない? そのへんの見習い3、4人使っていいから、なんとか頼むよ」
てな感じで。
私には、無表情な聖母子像や磔の絵ばかり描いていた、中世イタリアの絵描きたちのつまらなさ感が伝わってきます。
それがローマのどこにでも転がっていた、古代ローマの彫刻に出会ったときの驚きはどうだったでしょう。
☆ローマ国立博物館にやってきました。
テルミニ駅を出てすぐ左、マッシモ宮といわれております。 -
アルテミスのワンピースを着た少女像(Statua di fanciulla in veste di Artemide) 1世紀の制作
私が一番好きな彫造です。「ロマ子」と名前をつけました。
「2年E組、ロマ子でーす」とか、言いそうです。こんな感じのミニスカートの中学生、今の日本にいます。イタリアだったら、普通に道を歩いている。「fanciulla」というのは普通12才くらいまでの少女のことだそうです。この子はもうちょっと上かな。
解説によれば、ロマ子は狩の服装で、ハンティング・シューズをはいて、右手は背中の矢筒から矢を取り出そうとしてる。ということは左手には弓をもっていたはず。足下には犬がいた。おてんばな女の子だったのですね。
この年で死んだ娘の姿を刻んだ彫造だそうです。親が、娘の墓に供えたのですね。元気で美しい娘を失った親の思いが込められた姿なのです。ローマ国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
個性の際だった4人の彫造。4人に関係はないそうですが、妻はたちどころに物語を作ってくれました。
いばって言うことではないですが、AKBなんたらが分からない。最近の若手イケメン俳優が誰が誰だか分からない。旅行中に出会った韓国女性が皆同じ顔に見える。この人よく出会うなあと思っていたら、違う人だった。
老化ですかね。と思っていたら、この4人に再会。
「お久しぶりー。お変わりなくて?」と声をかけちゃいました。それくらい生き生きしているでしょう?今にも台の後ろから手が出てきて、握手しそうです。 -
男の彫造、161年-180年制作。マルクス・アウレリウス帝の時代にはやった髪型だそうで、制作年代が推定できたとか。流行にあわせて彫造を作ったのか。個性が出るはずですよね。きっとモデルを前に座らせて、スケッチしてから像を造ったのでしょう。
妻によれば、校長先生。
小さな小学校の校長先生。子供をのびのびと育てたい。性善説の信奉者。子供一人一人の話を丁寧に聞く優しい先生ですが、昨年度の進学率が思うように伸びず、一部の父兄から突き上げを食らっています。
娘が10才のときに妻を亡くし、以来やもめ暮らし。不器用ながら家事もこなし、娘を育て上げ、今は娘に全面的に頼っている。「そろそろ嫁に出さないと・・・」とは思っている。 -
女の彫造。180年頃。センターで分けられたウエーブのかかった髪型は、マルクス・アウレリウス帝治世の最終期からその直後のモードだそうです。長くて彫りの深い目元もこの時代の彫造の特徴。
注文主から、「流行の最先端にして」と希望があったのでしょう。「え、おまえさん、こんな美人かよ」と彫刻家が言ったかも。
この女性は校長先生の娘で、教師始めて3~4年。(これ重要。夢中で突っ走る新米でもないし、まあまあ仕事は覚えたから、いつものルーティーンでこなしているって感じ。やや中だるみのころですよ)
父が校長の学校で勤めていますが、父の理想主義を受け継ぎつつ、ときどき子供になめられているんじゃないかと、高圧的態度をとって、後で自己嫌悪に悩んだりする。
理想主義的教育者として流行のおしゃれに飛びつくのはためらいがあるものの、強い憧れがあって、それも悩み。 -
女の彫造。150年ごろ。厳格な表情が特徴。全身像にはめ込まれていた頭部。顔のしわ、肌の緩みが年齢を表している、そうです。この解説、かなり意地悪。これもまた髪型からAntonine帝の時代のものと分かるとのこと。
妻によれば、ベテラン教師。
「お残しはあきまへんで」という給食のおばさんのセリフが似合いそう。
「忍たま乱太郎じゃないつーの」by 妻。
この人はですね、未亡人。校長親子の理想主義を「世の中そんな甘いもんやおまへんで」と思っている。
結婚5年目で突然夫に先立たれ、この学校の事務として働きながら、通信教育で教員免許をとった苦労人。それ故にすべて思考がマイナスから出発するので、何事にも準備万端おこたりなく、今までも校長のピンチを何度も救っている。
生徒に「先生!」と呼びかけられると「ま~た、何やったの?」と思うので、この口許。
担任がこの人だと分かると子供はがっかりするが、保護者は大喜びする先生。 -
女の彫造。150年頃。若い女。これもヘアスタイルからAntonine帝の治世だと分かるそうです。美人ですね。
妻は新米の教師だと言っています。
今年入った先生。
まだ仕事になれず、ゴミをゴミ箱に捨てに行ったら、生徒がゾロゾロあとについてきたのを見て、「わたし、先生だった!」と叫んだ人。
「犬と子供はしつけ次第!」「鉄と子供は熱いうちに打て!」のおばさん先生主義と、「のびのびと育てれば人間は自然に良き方向に成長する」とする校長の考えの間に揺れている。
が、現在はまだ学生気分が抜けず、おばさん先生に生徒と同等に扱われている。
・・・なんてね。
触れたら温かいような、今にも何か話しそうな顔を見ていると、このただの白い石の塊が、これほどイキイキしていることが奇跡に思えます。その前に、時間的、空間的隔たりを超えて、今ここにこの像があることが奇跡です。体が震えます。
で、冒頭のAKBとかは、こっちが興味がないのが一番の理由だけど、物語を想像させるものが顔に出ていないからじゃないですかね。
と、老化に抵抗してみる妻でした。 -
もちろん無名の人物の彫造だけでなく、有名な大手もあります。
ご存じアポロン。紀元前4世紀の作品だそうです。 -
「Melpomene、悲劇の女神」有名な作品のようです。紀元前1世紀。
お腹の肉のつき具合、触りたいくらいにリアルです。
こうした彫造は、神殿や有力貴族などの発注で、公共建築物におかれて人々の目にさらされることを前提に作られたものでしょう。したがって、だれにでも受け入れられるように、最大公約数的なものになります。だから無個性。
それに反して四つの頭部の彫造などは、注文主も個人、もしかすると本人、制作も彫刻家本人、一対一の関係で作られたので、個性が出るに決まっている。
ああ、そうか。だれにでも受け入れられる顔は無個性。なるほど、だからAKBは無個性なのか。by 妻。
外は雨のようです。
明日はアッピア街道。そろそろホテルに帰らないと。
結論です。
ローマの彫刻を蹴飛ばして、つま先を怪我したラファエロはそれを持って帰ります。土を払ってみると、それは給食のおばさんだったのです。
「おれも、こういう絵を描きたい。でも今描いているマリアをこれにしたら、ホニャラ枢機卿は怒るよな。あいつ、頭固いから。そうだ、マリアじゃなければいいんだ」
そこで横で寝ているマルガリータの耳元でささやきます
「絵のモデルになってくれるかい?」
「いいわよ」
で、できあがったのが、 -
「粉屋の娘(La Fornarina)」
・・・じゃあないかな。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
イタリア2019春
-
前の旅行記
イタリア2019春-2 イタリア国内の移動、鉄道、LCC・Volotea航空、レンタカーとカーナビ
2019/04/03~
その他の都市
-
次の旅行記
イタリア2019春-4 クインティーリ荘(Villa dei Quintili ) 、水はどこから? 入口は...
2019/04/05~
ローマ
-
イタリア2019春-1 アエロフロートごめんなさい
2019/04/03~
ローマ
-
イタリア2019春-2 イタリア国内の移動、鉄道、LCC・Volotea航空、レンタカーとカーナビ
2019/04/03~
その他の都市
-
イタリア2019春-3 ルネッサンス起源のなんちゃって新説、バルベリーニ美術館とローマ国立博物館
2019/04/04~
ローマ
-
イタリア2019春-4 クインティーリ荘(Villa dei Quintili ) 、水はどこから? 入口は...
2019/04/05~
ローマ
-
イタリア2019春-5 アッピア街道、ブリンディッジからローマ
2019/04/05~
その他の都市
-
イタリア2019春-6 プーリアドライブ
2019/04/20~
プーリア州
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
ローマ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ イタリア2019春
0
24