2020/02/05 - 2020/02/12
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noriyosiさん
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2020年イタリア8日間の旅12回たぶん最終回 ローマ編2
2020年2月10日 イタリア ローマ編後半です。
既に古くなったとはいえ,全身全力で話を続けて参りました。
途中でどうなるかと思いましたが、最終回にこぎつけました。
三日坊主の私にいまだかって、こんなことがあったでしょうか。
(知らん。早く始めて。)
写真1サンピエトロ大聖堂のクーポラ丸天井です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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-
写真2夕暮れのコロッセオ(フラウィウス円形闘技場)です。
-
写真3明かりの燈ったトレヴィの泉とポーリ宮殿です。
スペイン広場にもいきます。 -
写真はチビタのトラとシロ、モッサンミッシェルのクロです。
会ったらよろしくいってください。
(ムリ)シロはどこにいるかわかりますか。
うちの可愛いマイケルとマルです。
子供とほぼ互角の闘いをして、一緒に遊んでもくれました。
一緒になって私が読んでいる新聞を破いてくれました。
(可愛いね。こら。)
2匹とも亡くなったときわんわん泣いて「この猫の代わりはいらん。」
それでうちには猫はいません。 -
前回のサンピエトロ大聖堂の続きです。
聖セバスチャン礼拝堂
モザイク祭壇画は「聖セバスティアヌスの殉教」
聖セバスチャンの祭壇画の下、
Body of John Paul II ヨハネパウロ2世の遺骨が安置されている。
左Monument to Pius XII(ピウス12世)
右Monument to Pius XI (ピウス11世=バチカン初代元首教皇)
のモニュメント -
北側廊(前庭)をさらに進む。
側廊奥に見えているのは
祭壇画「聖ヒエロニムスの最後の聖体拝領」
聖ヒエロニムスの祭壇の下には、
ヨハネ二十三世の遺体が安置されています。 -
南側廊に柵があるので、北側廊を進んでいます。
写真は対面の
右聖歌隊の礼拝堂
左は聖母礼拝堂・プレゼンテーション 礼拝堂あたりです。 -
サクラメント礼拝堂 前庭1
(何と訳せばいいのか。祝福された聖餐礼拝堂) -
サクラメント礼拝堂 前庭2
奥にベルニーニが作った祭壇があるはずです。 -
サクラメント礼拝堂 前庭3
-
サクラメント礼拝堂
祝福された聖餐礼拝堂 前庭の丸天井
図柄は天使は聖徒たちの祈りを受け取る
ピエトロ・コルトーナのデザインより(1652-1656) -
サクラメント礼拝堂からみる身廊
このまま側廊を進んで行きたかったが、
先のグレゴリオ礼拝堂前に柵があったのでそのまま進めず、
身廊のかまぼこ天井をみあげる。 -
いったん身廊に出ると、バルダッキーノが目の前に現れた。
「このブロンズの巨大なバルダッキーノは、建築とも彫刻ともつかず、」 これは彫金か、彫刻で作った、ブロンズ製の天蓋というアンティーク家具です。
私が知っている建築というものではありません。
聖ペトロ像は横にあります。お祈りをささげました。
ベルニーニの聖ロンギヌス像はこの裏にあります。
「ベルニーニの聖ロンギヌス像は高さ四・四メートルという巨像である。
この巨像を制作するのに、全体を四つの部分に分けて彫刻し、それを寄せ合わせる方式を採用した。これはルネサンスではできない斬新なことで、バロックの神髄。
キリストの脇腹を刺したローマの兵士ロンギヌスが十字架を見上げて、
『確かに彼は神の子だった』と叫ぶ瞬間で両手を大きく広げたポーズは堂々としている。」
どの作品も傑作でいつ見ても立派で美しくため息ばかりです。
聖ペトロ(ピエトロ)は岩さんですが、ロンギヌスは正典から300年経って突然その名前が外典に現れる。不思議なことに、このラテン姓をギリシャ風に読み替えるとぼんやり槍さん(ランス)になるという。 -
(前半の大聖堂に入った直後の写真、なにかおかしい。)
ただ、死んだかどうか、キリストの脇腹を突いた検視役の兵士が「神の子」だと気づいたとき、どんな表情になるのか、問いたいのです。
堂々としておられますか?
聖ロンギヌス像の400年以上前のこと、
仁王門の金剛力士像は身長約8.4m、
1203年、運慶・快慶とそのグループでわずか69日で寄木造(部材約3000)で造像した。口を開いて怒りをむきだしにした阿形像と、口を結んで怒りを内に秘めた吽形像。阿吽の呼吸,仏教の守護神で悪霊や邪気から守るため立っています。
険しい表情をしていますが、頼りたい気持ちになります。造像意図と像の表情が一致するからです。 -
なぜか相性が悪いのです。
バルダッキーノは魔界の入口のようで、圧迫感は感じました。
地下洞窟の発掘の様子をみて、何世紀何代にも渡る墓場の上に立つ建物だと先入観を持ったのがよくないのかもしれません。 -
クーポラの丸天井
心を落ち着かせるのにいい。窓から偏らず均等でまんべんなく光が気持ちよく入ってくるからです。 -
クレメンタイン礼拝堂1
-
クレメンタイン礼拝堂2
モザイクの祭壇画は 「聖グレゴリウスの奇跡」 -
クレメンタイン礼拝堂3
ピウス8世記念碑
記念碑の下 は、聖具室と宝物博物館に通じるドアです。 -
クレメンタイン礼拝堂4
-
ピウス7世の記念碑
この記念碑はトルヴァルセン作 (サンピエトロ大聖堂で唯一のプロテスタントの彫刻家) -
変容の祭壇
ラファエロの「変容」のモザイク画です。
(6人のチーム画家でモザイク画の制作に9年を要し、1767年に完成)
イスラエルにあるダボル山で、
キリストが突然光を放ちながら主の声を届け、
自らが神の子である事を弟子達に示した奇跡の瞬間 -
いよいよ奥にむかっていこうか。
(もう、後陣まで行ってきたよ。)
いつの間に
(あんたが、ボーとしている間に5分もあればいける。)
ボーとしているじゃなくて私は没頭しているんだけどね。
そんなこと、できるんですか。
(もう戻らないと。) -
(ここで気が付いた。
不思議なことに南側にあった柵がない。北側にいったのか。) -
グレゴリオ礼拝堂
突き当りに見える祭壇画は「救いの聖母(永遠の助けの聖母)」1578年
ほとんどモザイク画に置き換わっているが、これは木に描かれた絵画です。
ベネディクトXIVおよびグレゴリウスXVIの墓が安置されています。
以前は旧大聖堂の聖レオ礼拝堂にありましたが、1578年にここに移されました。
グレゴリオ礼拝堂にいつの間にか行けるようになっている。
(遅れるよ)
恐ろしいことに、いつの間にか、南側の柵が北側に移動している?
(係りの人が動かしたんでしょ) -
強心剤を持ってくればよかった。
心臓がいたい。
私に気付かれずに移動できるものだろうか。
(うん、できるよ。ボーとしてるからね。わたしが5分の間に奥まで行ってきたのに気付かなかった。)
あー怖かった。ことの真相を理解するまでは。 -
聖母礼拝堂
プレゼンテーション 礼拝堂
モザイクの祭壇画は、「両親による神殿における聖母マリアの奉献」
祭壇の下には、列聖された最後の教皇である聖ピオ十世(1904-1914)
の遺体が安置されています。 -
間違いなく、いつの間にか、北側に柵があって
それは南側から移動している?
それなら、動かした係の人はどこにいるのだろう。 -
ちょっと待って。
急いでも奥さんに追いつけない。
せめて南側廊を通ればいいのに。
・・・多分一人取り残されるからやめておこう。 -
玄関廊から広場が見える。
何かがおかしい。
なぜあんなに大きく、オベリスクがみえるのだろう。 -
ポーチから広場を見る人。
外に出て、ほっと一息。 -
神父様には
モザイクをかけてはいけないでしょうか。
後ろ姿の聖ペトロ像、
ここはサンピエトロ大聖堂だということも忘れないで。 -
すっかり回復して、また調子に乗ってきた。
兵隊さん、ご苦労様です。
(違う、スイス衛兵さんでしょう。お疲れ様です。」
困るな。傭兵さんでしょ。あれ違う、なんだったっけ。 -
Per favore, esci di qui. velocemente.
(とっとと立ち去ってくださいな。)
Sei arrabbiato?(怒ってます?)
Non sono arrabbiato, per niente.
Noriyosi-sun
(怒ってませんよ、ぜんぜん。
Noriyosiさん)
(なんていったの。)
奥さんは綺麗ですねと言ってます。
(うそつけ、) -
南側の柱廊(北側もやれば同じ)
centro del colonnato(列柱の中心)に立ってみれば、それぞれの柱の列が1本の柱に見えます。
4枚を合成したのが次の写真です。 -
centro del colonnatoは列柱の中心。
「centro del colonnatoからみると一本の柱にみえるのはミステリー」
普通です。
列柱は同心円の弦上に並んでおり、
だれでも、円の中心から、直線上に柱を配置すれば
1本の柱に見えます。繰り返し角度を均等にして配列すれば柱のあきも
均等に出来ます。端部はほれ、円弦から外れると2重に見えます。
建築学科の卒業記念の模型作りにも使えます。
(建築の話になると人がかわるね、)
時々私は誰だろうと思う時がある。 -
柱を1本ごと間引きしました。
景色がみえてすっきりしませんか。
(しません。) -
ほら、柱廊がない方がスッキリしませんか。
サンマルコ大聖堂はどうでした?
(どうすればよかった?)
かわりに大鳥居をたてる。
手を洗い、口をすすぐ手水所、
水分補給の休憩所、
御守りを扱う札所に、ペットの預かり所を作る。
迷子にならないように、北側に行き用の千本鳥居、
南に帰り用の千本鳥居を寄付で並べる。
(それは伊勢神宮と伏見稲荷) -
清水寺もまけとらん。
滝に水汲み所があればいい。
三重の塔にクリスマスにはネオンを付ける。
通りはお土産屋の通りにする。
(ずいぶん 和風やね。)
オベリスクも、エジプト風やからえんとちゃうか。
遍路小屋にお接待もいいぞ。
・・・本気にされては困るけど、そんなことではなく、
石のベンチぐらい置いて、少しだけ優しくしてはもらえんのでしょうか。
(無理、やっぱりベルニーニは偉いわ。)
パーパ・ピオ12世広場の建物が見えるのでほっとする。
ここまで来たら大丈夫。 -
豪華付録1
サンピエトロ広場 -
なんとなく心細くなる気持ちが分かりますか。
(わかりません) -
どうやって此処まで来たのだろう。
(あるいて) -
オベリスクと同じくらいの高さのバルダッキーノ
代わりに立っていればどう感じただろう。
屋外用に作っていないバルダッキーノは、あの高さでは風や雨などの外力に多分もたない。第一、ブロンズが足りないのでクーポラのリブやから剥がしてつくっているほど高価なものを持ち出すわけがない。
(どうした。人がかわるね。) -
広場にバチカン簡易郵便局が出ています。
バチカンの消印が付いた郵便が届きますよ。
広場を出て、ローマの赤いポストに入れてもバチカンの消印は
付きません。 -
あの旗印。
ガイドさんが付いてきていた? -
添乗員さんはいるのはわかってました。
ガイドさんの存在はわすれていました。
ここまで映像キャブチャです。
これがないと、間違って記憶したままだった。
旅行の記録はこれからは忘れないうちにします。 -
ローマからサンピエトロ大聖堂を見る。
サンマルコ大聖堂はわくわくして楽しかった。
フイレンチェ大聖堂はクーポラが威張って嬉しそう。
大聖堂は見るからに
夕暮れ時は寂しそう。
とても一人じゃいられない。 -
笑ってくれよ。うふふとね。
進んで明るくいたしましょう。
アクションカメラ系は集光力が弱いのか暗くなる。補正しました。
この位置だとオベリスク
を中央からはずして撮るしかない。
(クーポラが隠れるもんね。)
誰がオベリスク置いたん?
(後ろにいってとれば。)
わしら、ローマ側にいるんやで。
集合写真をとったあと、バスの待つ地下駐車場へ -
鐘の音をきいた?(聞いてない)
ぐおん、ぐおん、ぷしゅん、くあん、くあん、かん、かん
(ぷしゅんて)
屋根裏の鐘突き室で、窓開口を大きくできないから音がこもる。足りない分、屋根に穴をあけて音が出るようにしているが、金属の屋根カバーが反響する。大、小二つの鐘のグループ切り替え時にぷしゅんと切り替え音がする。
(思い込み。ドイツの時と勘違いしている。)
ミュンヘンの鐘は方々から四六時中、せわしなく、繰り返し聞こえる。
かん、かん、かん、かん、かあん、かあん、かあん、ゥカン、カん、カカン、カン
カンカ、カンカ、ンカン、
(そんなふうには聞こえんやろ。)
ビックベンの鐘は
カーン、カーン、カン、コン、カン、コン、カン、リン、ドン、リン、ドンや。
(そんな風に聞こえるか。耳もわるい。)
そう、私は性格も悪いが耳も悪い。なぬ。 -
バスにのってほっとひといき。
バスで移動中。 -
ローマのどこかの交差点。
-
ローマのどこかの道にオープンバス。
(手を抜いてきたな。) -
ローマのどこかの河辺。
(なんとかせい。)
または河川敷とローマの道路。 -
夕暮れのコロッセオ(フラウィウス円形闘技場)です。
コロッセオはイタリア語で Colosseo 、ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた。円でもないが、日本語で円形闘技場。
コロッセオがつよいのも
垂直方向は多層連続アーチ、水平方向には多層スラブが支えているからです。
パブリックドメインつけました。
Colosseum-profile-english.png
アップロード: 2006年2月14日
断面図(高さ52m) -
コロッセオ
しばらくバスからの車窓映像を楽しんでください。 -
(楽しいか)
-
そういわずに
-
楽しんでね。
-
(楽しんでね)
有難う。 -
(寝るな。)
コロッセオの連続写真どうでしたでしょうか。
(しょぼい) -
建物や工作物は1点で見てはいけないのです。あらゆる角度から気のすむまで没頭してみてください。新しい発見があるはずです。
(やかましい。寝てたくせに。)
くわしい旅行記にはかないませんが、少しでも役に立てばと思います。 -
トレヴィの泉とポーリ宮殿です。
バスから下車して、かなり歩きました。
(かなりあるいたね。) -
暗くなって明かりがともりました。
-
トレヴィのバール(喫茶店)です。アイスクリームをたべました。
(ジェラートやろ)
カフェとジェラートのお店です。 -
トレヴィを背景に記念写真を撮りました。
明かりがつくといいですね。 -
泉に背を向けてコインを1枚投げ入れるとローマへの再訪が叶う。
私は1枚です。
2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、
3枚になると恋人や夫・妻と別れることができる。
何枚いれた?
(ふん)
ごめん、悪かった。
ほんとに怖いトレヴィの泉 -
夜のスペイン広場1
左奥私の好きな税務署と、右奥スペイン大使館
塔に見えるのはコリント式無原罪懐胎の柱にマリア像です。
この辺りがスペイン広場です。
スペイン広場の名前は
1622年以来ローマ法王庁のイベリア国家大使館が置かれているスペイン宮殿(いまはローマ教皇庁のスペイン大使館)に由来しています。 -
スペイン広場2
スペイン階段前の私たちです。私は笑顔が好き。みんな楽しそうです。
上に見えるのは
サルスティアン・オベリスク
2~3世紀にローマでオベリスクを模倣して作成されました。ファラオ時代の碑文はコピーで、記載ミスがあります。
オベリスクがクーポラに刺さらずにみえるのがいいです。 -
階段を上がるとトリニタ デイ モンティ広場
トリニタ デイ モンティ教会(1502~1585)があります。
斜め横にオベリスクがあります。
13.9m、台座と先端をいれて30.45m。
サルスティアン庭園に設置予定でしたが、(経緯略)
中世まで埋もれていました。ピウス 6 世によって最終的な場所が
決定され1789年に立てられました。 -
トリニタ デイ モンティ広場から東の通りを見ています。
-
三越前のお地蔵さんに見えるかみさんです。
(ほめているのか、どっちやねん。)
かみさんがいるから、私があるのです。 -
三越の半地下
コピーマンホールの「真実の口」前のかみさんです。
(三越は閉店となっております。) -
本当はいけなかった。「真実の口」に気持ちだけ行ったつもりです。
道すがらバスの車窓から見ると人がいっぱい並んでいました。 -
この後レストランで食事をしたあと、ホテルにはいりました。
(つかれてる?しゃべり過ぎたのか。言葉すくないな。)
「皆さんこれまで、自分勝手にしゃべりまくり、
わがまま勝手なことばかり。聞きたくないわいと
お叱りの言葉もございましょうが、
これひたすら、わたくし一人の人徳の致すところ」……
、いままでご静聴賜りまして誠に有難うございました。
(ボヤキ漫才か)
「笑いこそ健康の栄養素! 凝りと疲労の回復剤!笑え。笑え。笑う門には福来る。」
皆様のご健康とご発展とを、はるかローマの空より、心よりお祈り申し上げ、イタリア編予定終了でございます」
(わしら帰っとるやろ。)
皆様の無事な帰国を、心から願いつつ、
楽しいお話を聞けることを楽しみにしております。
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