2019/04/05 - 2019/04/05
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しにあの旅人さん
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ローマ郊外、アッピア・アンティカ(以降アッピア街道と表記)の東に広がる広大な遺跡です。AD151年ごろ、ローマの裕福な貴族クインティーリ兄弟が建設した邸宅です。
182年、ローマ皇帝コモドゥス帝は、兄弟が皇帝暗殺の陰謀を企てたという理由でクインティーリ弟を暗殺しました。兄弟が陰謀に加わった可能性はなく、その後この屋敷は皇帝の離宮になったので、これがほしくて弟を殺したと、当時から言われていたそうです。
このコモドゥス帝は、ライオンの毛皮を被り、コロセオで自ら剣闘士をやったという、ローマ屈指のバカ皇帝です。
コモドゥス帝が皇帝権力で邸宅を改修したのかと思いましたが、10年後には彼自身が暗殺されているので、その時間はなかったでしょう。邸宅はクインティーリ兄弟の思い通り建設されたということです。
クインティーリ荘というから、のどかな別荘かというと、とんでもない。広大な土地に築かれた大邸宅でした。
高さ14メートルのプライベート浴場があったといいます。
帰国して、この旅行記をほぼ書き終えたあと、ふと疑問に思いました。
「浴場の水は、どこから来るの?」
「この別荘、入口はどこだろう?」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅のブログなので、まず少しは役に立つ情報を。
地下鉄B線のコロッセオ下車、目の前がコロッセオです。道路を渡ってやや左前方が118番のバス停です。
バスはアッピア街道を走ります。ローマ時代のアッピア街道と同じ道筋です。石畳の騒音と揺れのすごい道路。反対車線はローマに向かう車の列、通勤時間です。
バスの運転手に「クインティーリ荘についたら教えてほしい」と頼みました。彼はイヤホーンをはずして「なんだって?」音楽を聴いていたのですね。私の言うことが聞こえないのですから、ほかの車の警笛など当然聞こえません。
でも彼はとても親切で、目的地に着いたら、クインティーリ荘の入り口を教えてくれて、「帰りのバス亭はちょうど反対側だよ」 -
バスが来ていました。
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バスを降りたら右にこれが見えるので間違えようがありません。
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10台くらいは駐められるパーキングがありました。
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アッピア・ヌオーボ(新アッピア街道)に面するクインティーリ荘の入り口です。管理事務所と小さな博物館です。
入場料は1人5ユーロでした。
受付には幼稚園の女の子。ママのお仕事についてきました。おばあちゃんが今から迎えに来るそうですが、初めて見る日本人に固まっていました。おばあちゃんが来なくてもずっと遊んでいられたと思う。客は私たちだけだったから。
管理事務所右にトイレがあります。これ大事!ここで入っておかないと、クインティーリ荘遺跡内、アッピア街道にはトイレはありません。つまりこれから半日トイレはないんですぞ! -
いよいよです。
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遺跡手前、写真中央下端に橋があります。
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橋の拡大です。小さな小川です。小川と遺跡の標高差はかなりあります。30メートルくらいでしょうか。つまりこの川がもとからここにあったとしても、またもっと水量があったとしても、この川から浴場に水は供給できません。
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グーグルマップの航空写真です。
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遺跡に入ります。
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これがなんであったか、覚えていません。
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兵どもが夢の後。
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そしてこれが浴場のシルエット。
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浴場跡です。高さ14メートル、温水と冷水の浴槽がいくつもありました。
ローマ市内には、時の皇帝が帝国の総力をあげて建設した巨大な公衆浴場がいくつかあります。ローマ人にとって、入浴は身体の清潔を保つために必須のものであり、また社交の場であり、最高の娯楽、贅沢でありました。
これらは公衆浴場であり、ローマ市民はだれでも利用できました。
クインティーリ一兄弟は、それを自分たちだけで楽しもうとしたわけです。「風呂には嫌いなやつなんかと入りたくねーや!」
その富がいかほどのものか!。 -
敷地内にはメインの建物以外にいくつか別邸があります。
最も目立つのが、アッピア街道に面する建物。「Grande Ninfeo」といいます。Ninfeoは妖精のほかに、ローマ時代の噴水のある大きな館という意味があるそうです。したがって「噴水の館」としました。 -
敷地内からみた「噴水の館」です。
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アッピア街道から見るとこうなります。ローマ帝国第一の公道であるアッピア街道に、堂々と、またはわざわざと、噴水のある館を誇らしげにさらしていたのです。見せびらかしですな。
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妙なものが写って恐縮です。お見せしたいのはこれではなく、背後の「Aquedotto del Grande Ninfeo」となっている水道橋です。
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遺跡本体から「噴水の館」まで続いております。水を供給していたのですね。
このようにクインティーリ荘では浴場以外にふんだんに水が使われておりました。
☆水はどこから? ローマの水は垂れ流し。
クインティーリ荘はちょっとした高台にあります。
14メートルの巨大な浴場、日常の水、それに加えて約400メートルの水道橋を通じて別邸の噴水に水を供給するとなると、相当な量の水が必要となります。ローマの水の使い方は垂れ流しです。24時間、大量の水を流し続けるのです。そうしないと、水が腐るからです。
アッピア街道に面する「噴水の館」など、見栄で造ったようなもので、夜は噴水を止めるとか、時間給水するとか、渇水時の日本の自治体みたいなみみっちいまねは絶対にしたくなかったでしょう。
と、なると、この水はどこから来たのか?
「細かいことが気になる性分でして」・・・杉下右京の真似をしてみます。
解決策その1。
麓の小川からは自然には水は流れてきません。ローマ時代ですから、奴隷を使って水を運ばせることは、やろうと思えばできたでしょう。
想像してみました。1日24時間、数十人、交代要員を入れると数百人の奴隷さんが、桶を抱えて標高差30メートルを往復します。夜は坂道に赤々と松明が灯っていることになります。風雨が強くて松明が消えたらおしまいですね。「本日は雨天につきお風呂と噴水はおやすみです」などと、クインティーリさんとしては意地でも言いたくなかったでしょう。したがってこの案はボツ。
解決策その2。
井戸を掘る。
これは天候に左右されません。でも大量の水となると、井戸は1本や2本ではすみません。敷地のあちこちに何十本もの井戸があって、滑車を使って、連続的に水をくみ上げることになります。1日中、クインティーリ荘内で、ジャラジャラ滑車の音が鳴り響くことになります。
「うるさくて、やってられないね」この案もボツ。
そもそも、こういう土木工事にかけては天才的なローマ人が、水をふんだんに使えることを考えずに、浴場がウリの別荘を造るはずがないのです。逆に言うと、自然流水による水の供給のメドがあったので、ここに大邸宅を築いたというのが、合理的な解釈です。
自然流水による水の供給となると、水道を建設する。ローマ人のお家芸ではないですか!
☆そこでグーグルの航空写真で近くを探してみました。 -
見つけちゃいました。水道橋ですよね。すぐ西に「Villa Rinald All’acquedotto」というレストランがあります。店の名前に「acquedotto」とついているので、これが水道橋であることは間違いないでしょう。
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クインティーリの丘の遺跡から、南西に直線約2キロの位置です。ここから先はたどれませんでした。
ローマ市内に給水した11本の水道のどれもこんな所は通っていません。マルキア水道が比較的近くを通っていました。
これにつなげたのか。さらに南西直線約12キロ、アッピア街道の後身である国道7号線近くに、アルバノー湖というカルデラ湖があります。ここが水源か。
だとしたら、直線でも14キロになるかもしれない水道橋を、自費で造っちゃうクインティーリ一家の財力はすごいものですねえ!
この水道の現物を見たくなりました。アッピア街道のこの先も行ってみたい。なんで行かなかったんだろう?勉強不足を悔やむ二人です。
ローマはこれでもうおしまいと思っていたのですが、宿題ができちゃった。
☆入口は?
この建物の玄関、こういうお城みたいな建物でも玄関というかどうかは別にして、どこが入口だったのか。遺跡の案内板には「建物入り口」というのがないのです。
世帯じみた、細かい話しで恐縮です。でも気になったので。
人差し指立てて言ってますよ。私はどのバージョンの相棒なんだろう? By妻 -
遺跡全体図です。
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これが遺跡本体の入口です。写真の「玄関?」です。
玄関入って右手の丸いのは「Teatro Marittimo」となっています。「Teatro」ですから劇場。でも「Marittimo」って? 辞書では「海の」という形容詞。海の劇場?水族館、ってことはないよね。まあ、とにかく劇場です。さすがお金持ち、個人の家で劇場があったんだ。
「客をよんでここで食事しながら歌や踊りを楽しんだのよ」by妻。
きれいなお姐さんが、鯛やヒラメのようにヒラヒラと踊っていたので、水族館でいいのではないか、妻の説です。
一番奥の「大広間」は「Area di rappresentanza」の苦し紛れの訳。
「rappresentanza」レセプションのことらしい。レセプション・ルーム、レセプション用の大広間ということで。要するに宴会場ですな。そのさらに左に小部屋らしきものがいっぱいあります。お客用の個室でしょうか。「大広間」より、「お客用スペース」が適切ですね。
その右の「プライベート」というのはクインティーリ一家のプライベートスペースです。高台に建つ建物の端っこで、眼下に谷間の景色が一望できたはず。私でもここを自分の部屋にする。
左隅が、ここのウリの浴場群です。一番でかいのが「Terme Calidarium温水浴場」、辞書ではそうなっています。サウナのことかな。
そのほかに「冷たい浴場」「生温い浴場」というのもあります。冷水のお風呂というのは分かりますが、「生温い浴場」というのはなんですかね。
玄関入って左はサービススペースです。「台所」としておきました。
さて問題なのは、この導線だと、お客さんは玄関入って、台所の隣を通って大広間に通されるわけですが、この日の料理が分かっちゃいますよね。
「いいじゃない、それで。くんくん、今日のメインは豚の丸焼きだな、とよだれをたらしながら客間にいくの」by妻。
そういうものかね。
「劇場っていうのは、ローマが舞台のハリウッド映画みたいに、ソファーに寝そべって食べながら見るんでしょう。台所が近くて料理が運びやすいじゃない。熱いものは熱いうちに、冷たいものはあくまで冷たく。おいしい料理の原則です」
まあ、たしかに。
妻はあくまで我が家に客をよぶときの主婦目線です。
我が家より、クインティーリ荘の方ちょっと大きいかな。
☆クインティーリ荘全体の入口は? -
「Tumuli degli Orazi e Curiazi」あたりではないかと。
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このあたりからから見た広大な敷地全景。かつては「Giardino ad Ippodromo 庭園と競馬場」だそうです。まあ、馬場というか、馬を走らせたのですね。
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ローマ時代には土地全体が高い石の壁で囲まれていたようです。
その名残でしょう。 -
今はスカスカです。柵は金網。向こうはアッピア街道です。
ローマ屈指のバカ皇帝コモドゥス帝はクインティーリ兄弟からこの邸宅を召し上げて、離宮としていました。
以下は塩野七生「ローマ人の物語」(電子判XI、新潮社)からの要約です。
皇帝は自分で政治をみることはほとんどなく、側近に丸投げしていました。皇帝就任後八年目くらいのころ、奴隷出身、もと寝室つき召使い、皇帝お気に入りのクレアンドロスが政治を牛耳っていました。この人物の悪政で、怒ったローマ市民がクインティーリ荘に押しかけてきました。
引用です。
「そのとき皇帝が滞在していたのは、アッピア街道ぞいにある、クィンティリウス兄弟から取り上げたヴィラだった。(中略)広壮なヴィラを囲む高い塀はあったが、そのすぐ下まで怒り狂う群衆に迫られて、二十八才のコモドゥスは仰天した。(中略)恐怖に駆られたコモドゥスは、犠牲を供することにしたのである。ヴィラの門からは、クレアンドロス一人が押し出され、門の扉はその背後で閉まった。クレアンドロスは、声高にののしる群衆に囲まれたままローマまでの道を連行され、そこで簡単に殺された」
クレアンドロスが「ほらよっ!」と放り出されたのが、このあたりではないかと。
ただの石の塀ですが、2000年もあれば、いろいろあったのです。
その後コモドゥスはローマ市民の人気取りに、自ら剣闘士としてコロセウムに出場しました。大いにうけたようです。今の日本ですと、お笑い芸人としてテレビに出たようなものですね。
もうそろそろクインティーリ荘を出てアッピア街道に向かいたい。ところが噴水の館からは、出口はありますが、鍵がかかっていてアッピア街道に出られないのです。 -
アッピア街道の柵に沿って右にしばらく行くと、出口がありました。しかし、ここも鍵がかかっています。
-
出られません。緑のボックスは詰め所です。昔は出入り口だったようです。
右にあるピラミッド状の石のかたまりは「Mausoleo piramidale」
ここからは塀沿いに道がないので迂回して「Tenuta di Santa Maria Nova、サンタ・マリア・ノヴァ農場」までやってきました。事務所があって、やっと出られました。
アッピア街道からは、ここがクインティーリ荘への出入り口です。
次回はいよいよアッピア街道です。
と、突然杉下右京から「街道を行く」に変わっちゃいました。
さわやかにさらりと書いてありますが、広いんですよ。遠いんですよ、建物と建物、目印と目印の間が。出口らしきものを見つける。歩く歩く。「エーっ、閉まっている」で、元に戻ろうと歩く歩く。次の出口へ。「エーっ!」以下略。
チケットを買って入った建物ははーるかむこう。おばあちゃん、あのバンビーナを迎えに来たかな。来なくたって、この広い空間のどこかの草の上で遊んでいりゃいいのよ。幼稚園児だけじゃない、中学生だって、高校生だって、この広い庭の中ではカエルと同じ、みんな草木に隠れて分かんなくなっちゃうよ。生きとし生けるもの皆兄弟、なんて悟ったらやっと出られた。
悟らなかったら、未だにさまよっていたかも。やわらかな日の光を浴びて、風はそよ風、この世の楽園でした。
でも、楽園でも足は疲れるのだ。
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この旅行記へのコメント (3)
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- しにあの旅人さん 2019/06/02 09:01:18
- コメントありがとうございます
- 私も水道橋は現物を見たかった。あと2キロくらいアッピア街道を下れば見えたらしいのです。そういえば、犬を連れた地元のおばさんが、この先に橋があるよと言っていた気がします。そのときは、橋などどこにでもあるわいと思いましたが、橋が水道橋とは。
アッピア街道は、国道7号に合流するまで、このさきまだ9キロくらいあるのです。行きたくて、うずうずです。もう1回ローマかなと、思っています。
「アッピア街道の行く末を見届ける」なんて旅行記、読む人いますかね。
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- pedaruさん 2019/06/02 07:10:25
- クィンテーリ荘
- シニアの旅人さん おはようございます。
大変楽しくためになる旅行記を拝見しました。
2年前私もクィンテーリ荘へ行きましたが、不発弾の如くくすぶりながら帰ってきました。もし、この旅行記を見ていたら、もっと実りある旅になったことでしょう。
しかし2年後の旅行記をこの時は見ることはできませんね。
ここに水道橋があったなんて、少しも知らずにいました、見たかったなぁ、
今度は、シニアの旅人さんの後を追いかける旅をしようかしら、でも旅行記書くのが
難しくなりますね。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2019/06/02 09:02:53
- Re: クィンテーリ荘 書くところを間違えました
- 私も水道橋は現物を見たかった。あと2キロくらいアッピア街道を下れば見えたらしいのです。そういえば、犬を連れた地元のおばさんが、この先に橋があるよと言っていた気がします。そのときは、橋などどこにでもあるわいと思いましたが、橋が水道橋とは。
アッピア街道は、国道7号に合流するまで、このさきまだ9キロくらいあるのです。行きたくて、うずうずです。もう1回ローマかなと、思っています。
「アッピア街道の行く末を見届ける」なんて旅行記、読む人いますかね。
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