2019/04/27 - 2019/04/30
78位(同エリア346件中)
群青さん
この旅行記スケジュールを元に
平成最後の旅はどこに行こうか?
2019年が明けて早々からあれこれ検討するうちに、自然と方向性が見えてきた。
今という時だからこそ、改めて見ておきたい場所・ものが詰まったあの地域へ!!
そんなわけで震災後4度目となる東北の太平洋沿岸を3泊4日で旅してきました。
今回は敢えて今まで一度も足を運んでない場所のみをセレクトして、行程を組んでみました。
さらに、東北のサクラの名所と福島で開催されている美術展もコースに加え、10連休初日の4/27に、僕は東北への旅人となったのです。
今回の行程
4/27(土)
東北道那須高原SA → 三陸道春日PA → 道の駅大谷海岸 → 気仙沼東日本大震災遺構・伝承館 → 釜石市鉄の歴史館 → 浜べの料理宿 宝来館
4/28(日)
うのすまい・トモス → シープラザ釜石、サンフィッシュ釜石 → 北上展勝地 → 道の駅種山ヶ原 → 碁石海岸 → 大船渡温泉
4/29(月)
かもめテラス → 気仙沼ベイクルーズ → 気仙沼おさかな市場 → 道の駅米山・よねやまチューリップ祭り → 飯坂温泉 摺上亭大鳥
4/30(月)
福島県立美術館「伊藤若冲展」 → 東北道安達太良SA
まずは、旅行初日の気仙沼東日本大震災遺構・伝承館までを書いてみますネ!
過去2回の東北旅行記
*2017夏・みちのくの旅
https://4travel.jp/travelogue_group/10868
*2018GW宮城三陸旅行
https://4travel.jp/travelogue_group/10866
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝5時15分に家を出発。
1時間以上車を走らせ朝食を兼ねて休憩。
本当は東北道上河内SAで1回目の休憩&朝食の予定が、大渋滞で入れず・・・
そのままドライブ続行!
東北道那須高原SAは大型連休初日とあってか、大混雑中!
誘導員の指示に従ってスムーズに駐車できてホッとする。 -
朝なのでやや軽めにかき揚げうどんを!
バカでかすぎるかき揚げにビックリ!!那須高原サービスエリア(下り線)フードコート グルメ・レストラン
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とりあえず渋滞することなく快調に北上することはできたのだが・・・
東北道沿線のどのSAもPAも入る車でビッシリ渋滞していて、トイレ休憩すらままならない状態で・・・
2時間以上車を走らせてやっとたどり着いた三陸道春日PA。
やれやれ。
この先が思いやられる。
肩や首を回したり、足を屈伸したりしてコリをほぐしてから先を目指す。春日パーキングエリア (下り) 道の駅
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最初の目的地に到着したのは何とAM11:30。
まだどこも観光してないというのに、ここでお昼にすることに。(苦笑)
つくづく実感する。
東北は広い!!と・・・道の駅 大谷海岸 道の駅
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簡素な造りの道の駅の一角にあるビーチメモリーという食事処。
店の名前にそぐわず、メニューと言ったら海鮮丼やメカカレー(気仙沼名物のメカジキを使用したカレー)、ふかひれラーメンなどといったものが主。
で頼んだのが海鮮丼。
酢飯じゃないのネ!
それと値段(1800円)の割にちょっと・・・ -
震災前まではこの場所にはJR気仙沼線の大谷海岸駅があった。
ホームの名残こそあれど、土嚢が高く積まれ、線路が撤去されて、周囲はひっきりなしに嵩上げ工事が続くこの場所からは、かつての面影を探すことがドンドン難しくなっていることが窺える。 -
国道45号線を北上。
道の駅とさほど離れていない場所にそれはあった。
気仙沼東日本大震災遺構・伝承館
http://www.kesennuma-memorial.jp/ -
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。
元々この場所は宮城県立気仙沼向洋高校だった。
あの日、襲ってきた津波によってこの地域は破壊し尽くされた。
その学校を気仙沼市は整備して震災遺構として保存し、8年後の今年3月、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」として公開を始めた。
旧校舎と新造された震災伝承館エリアによって構成されており、入場するとまず映像シアターであの日の気仙沼市の様子を見ることができる。
今改めてそれらを目にしても、あの日の衝撃が瞬時に思い出されて、ゾワゾワしてしまう。
で、展示エリアを見ながら奥に進むと、いよいよ震災遺構である旧校舎へと入っていく仕組み。 -
のっけからこういう惨状が目に飛び込んでくる。
片隅のプレートにはCAD室の表記が。 -
男子トイレも瓦礫で埋め尽くされている。
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保健室。
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会議室。
去年訪れた仙台市立荒浜小学校の震災遺構との違いは、校内に流入した瓦礫類の有無。
ここ気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の最大の特徴は、安全性を担保しつつも極力あの日の惨状をそのまま残そうと努めていることにある。
言葉すら出てこない・・・
「仙台の震災遺構を訪ねて」
https://4travel.jp/travelogue/11361119 -
館内はきちんとコース案内されているので、迷うことなく公開エリアを見て回ることが可能。
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エレベーターホールも設置されており、また車いすの使用も可能な広さが確保されている状態。
3階へ足を進める。 -
エレベーターを降りて数歩行った場所に突然、ギョッとする光景が!!
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津波によって校舎3階にまで車が漂ってきて、教室に激突して停まった状態。
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校舎の3階は地上8mほどの高さなのだとか。
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これ何だと思います???
ミイラ化した魚なんですって。
気仙沼向洋高校は水産高校で、遠洋漁業や水産加工を担う人財を育成する学校。
校内に設置されていた冷蔵庫から流れついて、そのまま土と同化してしまったのだそうだ。 -
エレベーターで4階へ。
通信実習室。
教室に設置されていたパソコン類が折り重なっている惨状。
パソコンの形状が時代を感じさせますネ。 -
うわ!何じゃこれ!!
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流木が教室内に入り込んでいるんです。
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4階のこの教室の床から25cmほどの高さまで津波が押し寄せたため、鉄製のレターケースが錆びてしまってる。
地上から12mもの津波が襲い掛かった痕跡が、ここからも窺えます。 -
4階建ての校舎の縁の部分が大きく破壊されている理由は、学校の近隣にあった冷凍工場が津波で流され、校舎の4階部分と激突した時に生じた痕跡なのだとか。
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黄褐色の塊が教室内に点在しているのですが、これは何かというと冷凍工場の壁材として用いられていたスポンジなんですって。
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公開エリアと非公開エリアはきちんと区分けされている。
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エレベーターで屋上に行ってみましょう。
何箇所にわたって、こうした案内看板が設置されています。 -
あの日、この屋上に逃れて命を繋ぐことができた人は数十名。
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学校の周囲は震災後8年経った今もなお、こうした光景が続いています。
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去年訪れた岩井崎が。
「気仙沼観光・海の市と岩井崎」
https://4travel.jp/travelogue/11358837 -
屋根が完全に無くなってしまっている!!
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屋内運動場だった場所。
屋根が津波で破壊・流失してしまい、基礎部分だけが残されたのでしょう。 -
モロに津波の影響を被った南校舎と較べると、北校舎はまだ残されている方に感じられるのだが・・・
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かつて何度も地震による津波被害に襲われた気仙沼。
海と共に生きるこの町は、それ以外にも海難事故などによって尊い生命が失われてきたため、「海の殉難者慰霊塔」が設置されているという。 -
白い構造物の海の殉難者慰霊塔の付近には新たな建造物ができ、また地盤整備工事が連休中も続いていた。
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校舎の北東側にも新たな工場が建ち始め・・・
1年前にはなかった光景。
ようやくこの場所も、少しづつ環境整備がされ、人の生活の息吹が感じられる場所に歩み始めたようだ。 -
北校舎。
それでも所々、こうして大きく破壊された場所があるにはある。 -
北校舎外観。
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南北の校舎に挟まれた中庭は、あの日このような光景だったらしい。
ゾワゾワしてくる・・・ -
エレベーターで1階まで戻ると、校舎の外に出られるようだ。
順路案内に従って歩みを進める。 -
校舎玄関付近。
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先程見た4階の光景を外から見るとこのような様子。
頑丈に作られた校舎の壁があんなにめり込んだ状態で破壊されるなんて・・・ -
配置図
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屋根が破壊された室内運動場。
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何か凄いものの予感が・・・
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うわッ!
何じゃこれは!! -
北校舎とその北側にあった総合実習棟の隙間には、流れ着いた車が折り重なって潰れていた。
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さらに、当日はどこかからか流れ着いた家が北校舎とその西側にある生徒会館に挟まって止まったのだとか。
さすがに漂流してきた家屋は、現在は撤去されていたが・・・ -
よくぞまあ、これを震災遺構として残す決断を下したと思います!
気仙沼市の「震災を語り継ぐ」という一貫した姿勢に僕は敬意を表します。
余程の覚悟が無けりゃ、こんな風には残せませんもの。 -
北校舎の1階部分。
天井が剥ぎ落とされ、配管が露出し錆びている様子がわかります。 -
南校舎と異なり、北校舎の公開エリアの教室は瓦礫が撤去され、スッキリした状態になっていますね。
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中庭。
この後再び、震災伝承館部分に戻る形。
展示室・講和室と続くのですが、映像が用いられあの日の気仙沼の様子がハッキリとわかる設えになっていました。
さらに講和室で映像が3本ほど順に放映されていました。
特にご覧いただきたいのが、この地域の階上中学校の卒業式の際の生徒代表による答辞の映像。
胸が熱くなると同時に、頼もしさや希望を感じさせる素晴らしい内容でした。 -
是非とも多くの方たちに、この場所へ足を運んで欲しいと思います。
風化が叫ばれる今だからこそ、東日本大震災はまだ終わっていないのだ!ということも含めて、8年経った今の東北、三陸沿岸地域を体感して欲しいと感じました。
そして、僕もまた少しでも何かのお役に立てればとの願いを込めて、これからも定期的にこの地を訪れようと決意しました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- unotvxqさん 2019/05/03 11:33:28
- 有難うございました!
- テレビでは、見た事が有りますが生々しいですねえ!
涙無くして見れないです、勇気ある行動ありがとうございます!
- 群青さん からの返信 2019/05/03 21:27:33
- Re: 有難うございました!
- カキコミありがとうございます。
気仙沼市がこの気仙沼向洋高校を震災遺構として整備するという報道を最初に耳にしたのはもう1年以上前だったかと思います。
どんな風に公開するのかずっと気になっていたので、早速、今回の旅行に組み込んで見てきたのですが、想像以上の凄まじさでした。
目の前の光景が信じがたいものがあるし、しかもこれが現実だと理解した時、あの日この場所でたくさんの人たちがどんな思いで難を逃れたのだろうと想像してしまうと。
感情がかき乱されるかのようです。
だからこそ、多くの人たちにこの震災遺構のことを知って欲しいと思い、今回、文章と写真を掲載させていただいた次第です。
-
- ひま爺さん 2019/05/02 09:47:30
- 震災遺構
- こんにちは
気仙沼の震災遺構が生々しく当時の様子を
物語っていますね。写真で見ても凄さが伝わるのに
実際現地でその姿を見ると・・・
市民の、これをそのまま後世に伝える
という決断に群青さんの仰る通り
ひま爺も"敬意"を表します。
いい旅行記見せて頂きました。
ひま爺
- 群青さん からの返信 2019/05/02 19:51:12
- Re: 震災遺構
- カキコミありがとうございます。
今回訪ねた気仙沼東日本大震災遺構・伝承館、それまでの被災地の震災遺構と比較しても相当の困難と苦闘があったと想像します。
それだけに伝わるものも半端なく、目の前の光景を見ながら様々なあの日の様子が浮かんできて言葉を失ってしまいました。
この後もう1本、気仙沼に関する文章を書く予定なのですが、気仙沼の街はまだまだ課題は多いけれど、少なくとも一つの大きな山を乗り越えて新たな一歩を踏み始めた!と実感させられました。
被災地のどの地域に行ったとしても、このように次への歩みを進められる自治体ばかりだったら良いのですが・・・
現実はなかなか厳しく、遅々として進まない地域を見ると本当に胸が痛みます。
だからこそ定点観測というわけではないけれど、僕も自分なりにじっくりと見守りつつ、これからも足を運びたいという思いを強くした次第です。
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