2018/04/28 - 2018/04/30
119位(同エリア257件中)
群青さん
この旅行記スケジュールを元に
2013年10月以来4年半ぶりに宮城三陸沿岸を旅してきました。
前回は時間的余裕が無くて回れなかったものの、ずっと気になっていた場所にも訪れることができ、また前回見た場所に関してはこの間の復興の様子の濃淡が如実に感じられて、ハンドルを握りつつ様々な感情が浮かんでは消えの旅でありました。
2018年の現在の姿を自分なりに書き記してみたいと思います。
2011年3月11日。
あの日、あなたにとって、最初に途轍もない大惨事が起こっているのだ!と認識させられた事象を覚えてますか?
僕にとってそれは、「津波が仙台市内に向けてドンドン浸水している」と、外回りの営業マンからの報告からでした。
仕事中でテレビ映像を見ることもできなかったからでしょう。
ラジオでは刻々と信じられない報道が流れてきている中でも、仙台が津波被害に遭っているなんて全く想像できない事態でした。
あの時、甚大な被害を受けた海沿いの地域の、何度もニュース映像で見ることになった仙台市立荒浜小学校が、震災遺構として保存され内部の一般公開が始まったのが昨年。
今回の旅を企画した時、イチバン行きたいと思った場所、見なければという思いのイチバン強かった場所である荒浜小学校を、最後の目的地とすることにしました。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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三陸自動車道松島海岸ICから仙台方向に向けて車を走らせる。
そのまま仙台東部道路で仙台東ICまで走り一般道へ。
やはりこのエリアもカーナビがまったく当てにならない。
新しき道路、新築の家々。
7年の歳月によって人はここまで新生活を切り拓けるものなのか!と、軌道に乗った復興の光を感じさせるような地域。
仙台市営地下鉄東西線の終点駅である荒井駅の周辺はまさにそんな状態だった。
荒浜小学校に行く前に、仙台の震災復興の足どりを確認しておきたい!と思い、荒井駅構内に併設されているこの施設を見学することにした。
と思ったが、時間的に昼食を済ませておいた方がスムーズそうなので、近くで食事をすることに。せんだい3.11メモリアル交流館 名所・史跡
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駅付近の仙台ギグスというライブホールの1階に牛タン屋さんがあったので、3日目の昼食は仙台名物と行きますか!
牛タン利休仙台ギグス店。
11:30の開店と同時に入店。
30周年記念の特別ランチを提供しているとのことで、期間限定メニューを食することに。
右の皿は牛たん、左の皿は仙台牛ステーキ。
ご飯とテイルスープ。
肉は柔らかく味付けも良し。
再び「せんだい3.11メモリアル交流館」に戻り展示を見学。
内部の撮影ができなかったので文章で説明することにするが、1階のスペースは仙台全域の地図が掲げられ、津波浸水エリアが色を変えて示されています。
じっと見入っていると係員の方が声をかけてきました。
「仙台市内の浸水は仙台東道路によって遮られた箇所が多かったのですが、それは土を盛る形で道路が形成されている地域だけで、他の道路と交叉するために橋脚によって作られた箇所から海水が内陸へと流れ込んだのです」と。
地図の向かい側には映像が流れていて、しばし腰を掛けてそれを見てきました。
2階は震災によって野被害の写真の数々や時系列に沿っての復興に向けての足取りを紹介。
人口が多く面積が広い仙台市は、取り組まねばならぬことも多岐にわたっていて、その労苦をひしひしと感じる一方、この先を見据え、災害に強い街づくりを目指し着々と復興計画を実現していっている状況に、この街の底力を感じます。
そして、そんな街だからこそ、これから行く荒浜小学校のように、他の地域の震災遺構として保存の仕方・独特なアプローチが可能となるのだな!とも思いました。 -
海沿いに向かって車を走らせる。
天気は徐々に雲行きが怪しくなり、風が海から吹き付けてきます。
到着した荒浜小学校の校舎を見た第一印象は「随分スッキリとキレイに仕上げて一般開放したんだな~!」って事。
正直もっと異様な校舎を想像しておりましたので・・・ネ。 -
ただそれは愚かな感想でして(汗)
校舎に近づいて飛び込んできた光景は、やはりかなりのものでした。 -
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津波は校舎の1階を完全に飲み込んで2階にまで及んだことが示されています。
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津波の威力をまともに受けた校舎東側。
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校舎の中に入ると、ところどころにこうしたパネル解説がされていて見入ってしまいます。
ここの場合、校内に入り込んだがれきを一切除去して、耐震工事を施した上での一般展示。
そういう点ではある種”クリーニングされた”震災遺構であることへの疑義を呈する話を聞いたことがありますが、それは仕方ないことだと僕は思うのです。 -
2階廊下に置かれたスチールロッカーも床から40㎝あたりまで浸水し、錆びてしまっているのがわかります。
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校舎3階は一般開放されておらず固くシャッターで閉じられていたので4階へ。
体育館の壁に掛けられていた時計は、津波が押し寄せた瞬間に時を止めてしまっています。 -
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時系列に紹介された幕。
その奥では震災後、津波が押し寄せて来るまでの様子や周辺が海水によって浸水し取り残されてしまった学校の状況、避難した生徒や近隣の住民とどうやって救助までの時間を過ごしたかを、当時の校長先生・教頭先生、自治会長のインタビューを通じて検証していく映像が映し出されていました。
特に印象に残ったのが校長先生の冷静沈着な対応。
赴任してきた当時は、もし地震に伴う津波が発生したら体育館を避難場所として想定していたのを改めて校舎の4階に避難という形に変更したこと。
少なくともその判断があったがために、あの大震災の津波に対応でき、生徒や教職員の生命を守り抜けたと知り・・・
前日見てきた石巻市立大川小学校の悲劇と重ね合わせてしまいました。
やはり日頃の備えが大切。
そしてリーダー・長の果たす役割・責務の大きさも。 -
屋上に登ってみました。
東側の景色。
1kmもしない場所に太平洋。 -
校舎南側の風景。
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校舎西側の風景。
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校舎北側の風景。
周囲はすべて何もかも失われたまま。
ところどころに復興の工事車両と現場があるのみ。
連休前半の最終日、前日の大川小学校ほどの賑わいではなかったけれど、それでも多くの見学者が真剣に見入っていました。
こうして2泊3日の宮城三陸旅行を終えて、震災後7年目の光景を目の当たりにして思うことは、まだまだこれからもかなりの年月が必要であること。
地域によって復興への濃淡があまりにも激しく、場所によっては工事が完了する頃には住人が誰もいなくなるのではないか?と疑問に思うほど生活臭のしない場所が増えていたことも衝撃でした。
どの地域も足並み揃えて仙台のように着実に復興が進めば万々歳なのだが・・・
こればかりは各自治体が先々のビジョンをどう描くか!によって異なるのかもしれません。
と同時に、私たちも折に触れ被災地に思いを馳せ、足を運び、関心を持ち続けることの必要性を痛感させられた旅でした。
これからも自分なりにできることを探し、時には観光支援の形を借りて足を運び続けよう!
そう決意し、仙台を後にしました。 -
東北道国見SAで休憩中に食べた桃ソフトクリーム。
果汁感あふれていて美味しく瑞々しいソフトクリームでしたよん!(笑)
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