2019/03/07 - 2019/03/10
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nichiさん
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大内宿を出て、白河に向かいます。
途中、国道289号沿いにある座頭ころばし展望台へ寄り、景色を楽しみ、
白河へ。
駅で無料のレンタル自転車をお借りして、白河の街散策スタートです。
まずは白河小峰城へ。
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座頭ころばし展望台です。
国道289号(甲子道路)を走行中、展望台の表示を見つけ寄ってみました。 -
西側の鎌房山から、東側の白河市街など、阿武隈川沿いに広がる由井ケ原高原の大パノラマの眺望を楽しみました。
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鎌房山です。
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アップでの鎌房山です。
あの山の反対側の北斜面に羽鳥湖スキー場があります。 -
由井ケ原高原とその奥は白河市街。
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何かポイントで象徴的なものが見えるわけではありませんが、バーンと広がったパノラマが素晴らしいです。
写真ではなかなか伝わりにくいですね。 -
白河駅に到着しました。
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駅でレンタル自転車を借りるのが目的です。
駅の駐車場に車を停め、自転車を借りる手続きをしました。 -
料金はなんと無料。
18時までに返却です。
白河の街歩きマップを頂き、スタートです。 -
まずは隣の白河駅へ。
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東北本線の白河駅です。
開業は明治20年。
この駅舎は大正時代(1,921年)に建てられました。 -
駅構内です。
レトロ感あります。 -
待合室にあるステンドグラスです。
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これもレトロ感ありますね。
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さあレンタサイクルでの白河の街の散策スタートです!
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「こみねふれあい通り」と言う地下道で線路をくぐります。
階段ではなくスロープなので自転車で通ることができます。 -
トンネル内部には、白河の歴史を知ることができるパネル展示がありました。
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東北本線をくぐり、北側に出ました。
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振り向くとこんな感じです。
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正面に白河小峰城が見えます。
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やってきました白河小峰城!!
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ここから入ります。
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幾多の歴史を見つめた名城です。
そもそも小峰城は、結城親朝が14世紀中頃、小峰が丘に城を構えたのが最初と言われています。
でも、結城親朝って誰??
ググってみました。
鎌倉後期から南北朝の武将で、小峰氏初代当主なんですね。
私にとっては江戸の寛政の改革で有名な松平定信のお城と言うイメージが強いです。 -
ここは清水門跡です。
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この辺に自転車停めてもいいのかな?
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工事の方がいらしたので、自転車を停めてもいい場所を伺い、ここに停めました。
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この石垣、東日本大震災で10か所が崩落し、4か所が修復が必要な場所になりました。
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しかし鹿島建設によって14か所すべて修復されました。
石垣復旧工事は2013年に開始され、2018年に完了しました。 -
こちらに行ってみましょう。
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江戸幕府成立後、丹羽長重が大改修を行い、白河の街の基礎が出来ています。
これは復元された三重櫓と前御門です。 -
丹羽長重はあのチョー有名な丹羽長秀の長男です。
信長亡き後、秀吉の対応に苦労します。
関が原では西軍に加わったため、その後もっと苦労します。
でも大阪冬の陣と夏の陣で大活躍!
徳川秀忠によって大抜擢されます。 -
この広場は?
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竹之丸と言う曲輪があった所です。
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本丸の東側にあった曲輪です。
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前御門です。
この城の表門で本丸の正門です。 -
駅で頂いたブロッシャーを見ながら城を拝見します。
下には白河藩主であった7家の家紋です。
左から丹羽、松平(榊原)、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部の7家。 -
前御門をくぐったらこんな広場。
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ここは本丸御殿跡です。
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本丸御殿の南側には多聞櫓と言う櫓がありました。
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多聞櫓があった場所から本丸跡を振り返ります。
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高台の角にあるため見晴らしがいいです。
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白河の街が広がっています。
これは城下町であった所です。 -
復元された前御門と三重櫓。
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平成3年(1,991年)に三重櫓、平成6年(1,994年)に前御門が、「白河城御櫓絵図」と言う江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元されました。
見事ですねーーー -
三重櫓前から本丸御殿跡を見下ろします。
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復元された三重櫓の前です。
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三重櫓は本丸の北角に立つ三層三階の櫓です。
小峰城の中心となる最も規模の大きな櫓です。
高さは約13m、一階が約12m四方、二階が約8m四方、三階が約四m四方の四角い櫓です。
外観は黒塗り板を張った「下見板張り」で、耐久性が高いと言われています。
江戸時代の初期、幕府は武家諸法度で城郭の新たな建築や増改築を制限しました。
武家諸法度が発布されて以降は、天守に匹敵する三重屋根の櫓が「三重櫓」と称され、天守の代用として城郭の象徴となりました。 -
中に入ってみましょう。
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小峰城の三重櫓と前御門は、「白河城御櫓絵図」や発掘調査に基づき、1,991年と1,994年に木造で忠実に復元されました。
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これが「白河城御櫓絵図」です。
松平定信が城内の門や櫓など37の建物を実測させて絵図を作成しました。 -
これは石落としです。
石垣を登ってくる敵を監視し、攻撃する施設です。 -
復元された櫓内を見て回ります。
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有名な「白河口の戦い」は戊辰戦争の中でも100日間に渡る大きな戦いでした。
「白河口の戦い」の激戦地になった稲荷山は仙台藩と会津藩vs新政府軍との間で激しい銃撃戦が行われた場所です。
今回三重櫓復元の為に稲荷山の杉を伐採・製材したところ、弾丸が多く発見されました。
この弾丸の跡が一階の通し柱や二階の腰板に見ることができました -
ここにも戊辰戦争の時に打ち込まれた弾痕が、、、
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上の階に上がってみましょう。
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まだ木の香りがする新し建物です。
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南側の景色
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これは西側
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那須連山が見えます。
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柱をみたら、なんと手斧削りです!
松か樫木でしょうか? -
床は杉でしょう。。。
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ここも、
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手斧削りです。
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通し柱です。
立派です。
よく今の日本で原木がありましたね。。。。 -
その通し柱にも戊辰戦争の弾痕が、、、、
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こちらにも、、、
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在りし日の小峰城の全景の「絵」です。
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阿武隈川を背に小峰城があります。
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楔が打ち込まれている日本古来の釘を使わない工法なんですね。
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三重櫓の前に出ました。
古き大きな桜がありました。 -
おとめの桜?
小峰城の大改修が行われた江戸初期、本丸の一角にある石垣が幾度となく崩れることから、人柱を立てることになりました。
たまたま父に合う為にやってきた藩士和知平座衛門の娘「おとめ」が不運にも人柱になりました。
小峰城の完成後、悲運を哀んで桜を植え、「おとめ桜」と称されるようになりました。 -
三重櫓の前に桜があります。
そもそも小峰城は桜の名所です。 -
西側にこんな景色が広がっています。
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遠くに見えるのは那須連山です。
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三重櫓、かっこいいです!!!
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立派に復元されています。
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降りながら撮影。
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裃を着た侍が出てきそうです。
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石垣と桜並木。
咲いたら綺麗だろうなー -
立派な石垣です。
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小峰城内を自転車で進みます。
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白河藩の歴史を詳しく知るために白河集古苑へ。
でも生憎旧館中、、、、、、、
残念。 -
仕方がないので次に行きましょう!
小峰城をあとにします。
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