2019/03/03 - 2019/03/06
604位(同エリア2120件中)
kuritchiさん
- kuritchiさんTOP
- 旅行記383冊
- クチコミ223件
- Q&A回答42件
- 1,193,996アクセス
- フォロワー100人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
2018年のNHK大河ドラマは鈴木亮平さま(実は大フアン♪)主演の「西郷どん」
毎週日曜日の放送をとても楽しみにしていたkuritchi♪
ずーーっと「西郷どん」を求めて鹿児島に出かけたかった!!
そして、、お休みが取れる様になった3月、、
やっとkuritchiのCangoxinaへのひとり旅です♪
※ Cangoxina ※
Cangoxina(ポルトガル語)は16世紀のヨーロッパの地図でジパングの入口鹿児島のこと、、
「西郷どん」でもCangoxina(カステラの紙に記されていた)が要所で何度も登場しましたね、、
【 2日目 】 「西郷どん」の跡を巡ります、、
雨の残る中、、霧島から鹿児島市に向かいます、、
いよいよ、西郷どんゆかりの場所めぐりのスタート♪
今回の旅で絶対に訪れたかった場所のひとつ、、
「龍門司坂(たつもんじさか)」にも寄ります、、
鹿児島市内に入り、ランチ後、、
幕末・維新の時代、、多くの偉人を輩出した加治屋町を歩きます、、
楽しみにしていた美味しいお魚がいただけるという居酒屋さんへも、、
< 美味しい鹿児島のお魚も いただきますよ~♪ >
目の前に桜島が見える ≪鹿児島サンロイヤルホテル泊≫ 、、
Cangoxinaうまかっ~♪ 「西郷どん」を訪ねて、、 ①
~~霧島神宮&古宮址・霧島温泉・霧島神話の里公園・日当山西郷どん村 編~~
https://4travel.jp/travelogue/11471064
Cangoxinaうまかっ~♪ 「西郷どん」を訪ねて、、 ②
~~ 龍門司坂・加治屋町・ちりめん・しらす専門店 凪・さかな酒場 半魚人 ~~
https://4travel.jp/travelogue/11475037
Cangoxinaうまかっ~♪ 「西郷どん」を訪ねて、、 ③
~~ 桜島・仙巌園・我流風ラーメン・むじゃき白くま・両棒(ぢゃんぼ)餅 ~~
https://4travel.jp/travelogue/11480573
Cangoxinaうまかっ~♪ 「西郷どん」を訪ねて、、 ④
~~ 武西郷屋敷跡・城山・南洲神社・赤鶏炭焼 大安・うなぎの末よし ~~
https://4travel.jp/travelogue/11491772
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー タクシー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「龍門司坂(たつもんじさか)」はこれまでも「篤姫」や「龍馬伝」など
多くの大河ドラマのロケ地になった場所、、
2018年大河ドラマ「西郷どん」にも登場する重要な場所です、、
オープニング映像で西郷どんがこの龍門司坂を歩く場面、、
そして、ひと際心に残った、、
一蔵こと大久保利通との熱い友情を感じさせられたシーンもこの龍門司坂、、
そして、西南戦争(西南の役)勃発時に西郷隆盛以下私学校党の兵達が江戸へ向かった時に通ったのもこの龍門司坂でした、、
kuritchiにとっては「龍門司坂」は桜島と並ぶ「西郷どん」の象徴ともいえる場所なのです♪龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂(たつもんじさか)
到着したのがちょうど12:00PM、、
看板より龍門司坂を てくてく、、
あっという間に 幕末時代にタイムスリップ、、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
雨に濡れた石畳の上に紅の椿の花が落ちている、、
十分 絵になる龍門司坂、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
龍門司坂は鹿児島(薩摩)から熊本を繋ぐ重要な街道(大口筋)として繁栄してきました。
石畳の道の平均幅は約4m、最大幅7m、
当時の全長約1500m、
現在残っている龍門司坂は約500m、、
杉木立と苔むした石畳の道が空気感も含めて当時の姿そのままを残しています、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
イチオシ
龍門司坂
ひとり、、静かに歩いていると、、
今にも 向こうからちょんまげをしたお侍様がやって来そうな錯覚を覚えます、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
イチオシ
龍門司坂
苔むす石畳みの道、、
その道を取り巻く、、杉の大木、、、
もう、、すっかり、、西郷どんになった気分♪龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
来た道を振り返ってみると、、
結構急な坂道だとわかりますね、、
特に雨が降っているので、滑らない様に気を付けて歩きます、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
雨が木の葉の上に落ちる音のみが響く中、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
イチオシ
龍門司坂
kuritchiの他に誰も通る気配はなく、、
ひとり、、思う存分西郷どんの世界にひたる、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
< いいなぁ~~♪ この感じ、、>龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
西郷どんのオープニングで鈴木亮平さん演じる西郷どんが触れていた『決意の杉』、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂 決意の杉
ひと際目立つ、、 立派な幹の大きな杉、、
この杉の幹に触れ、西郷どんと同じポーズを取る人が多かったそうです、、
順番待ちの列も出来ていたほどだとか、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂 決意の杉
kuritchiも思いを込めて 触れてみました(^^龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
雨に煙る、、龍門司坂、、
特に『決意の杉』を過ぎたこの辺りの美しいこと、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
若かりし頃の西郷どんと一蔵どん(大久保利通)の友情に涙した場面が思い出されます、、
真っ直ぐな目をして見つめた西郷どん(吉之助)が
「忘れ物をした、、お前、大久保正助じゃ」と告げたあのシーンは何度見ても泣いてしまうkuritchi、、
思い出しながら、、杉木立を見上げ 歩くkuritchi、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
目は、、うるうる、、
&
どっぷり、、「西郷どん」の世界に入り込んでいるkuritchiです、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
雨の降る中、、 すーっと光が入り込み、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
ひかりを浴びた石畳、、苔は
更に鮮やかな みどりに輝やき、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
イチオシ
龍門司坂
まるで、、宝石のよう、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
イチオシ
龍門司坂
150年前の息吹 そのまま、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
約500mの道なので往復20分もあれば通れるはずですが、、
ゆっくり、、ゆっくり、、 かみしめながら歩く、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
イチオシ
龍門司坂
この龍門司坂は加治木(鹿児島)から霧島へ向かう大口筋の一部の山道、、
人吉(熊本)とを繋ぐ重要な領内の街道でした、、
西郷どんや参勤交代がこの道を通ったかとなると疑問の残るところだそうで、、
実際は九州を横断する時や江戸へ向かう時には薩摩街道が使われていたそうです、、
※薩摩街道※
鹿児島県や熊本県の西側を通る道で古来より九州を横断時に使われていた街道
西郷隆盛が実際にこの龍門司坂を通ったのは明治10年2月、、
6000名の兵を率い、多くの人々に見送られこの龍門司坂を通り、熊本へ向かいました、、
その時の西郷どんの胸の内はいかばかりだったのでしょうか、、
海路ではなく、時間をかけて陸路を通ったのは
各地の新政府に不満を持った者たちと一団になりつつ
江戸へ向かい 新政府に”物を申す”つもりだったのでしょうか、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
それとも、、既に"命もいらず、、名もいらず、、"の心境に達していたのでしょうか、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
私学校や薩摩の人々はやっと西郷どんが重い腰を上げてくれたのでこれで
世の中が良くなる、、新政府の間違いを正せる、、と信じていたのでしょうか、、
きっと、、志高く進んで行ったであろう西郷隆盛一行の事を思うと、、
思わず涙ぐんでしまうkuritchi、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
進む 曲がり道の先には、、また、、石畳の道、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
そして、、 苔、、、
兵(つわもの)が夢のあと、、
(時代や背景、場所も違いますが、、)龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
約500m先には集落、、
集落の中は道路は舗装されており、
150年前の石畳の坂から一気に現代の道へ、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
鑑賞に浸っていたkuritchiも、、現代の世界に戻り、、
帰りは、、滑らない様にカメラを抱えて気を付けながら戻ります、、
(今回の旅は色々と考え、トレッキングシューズを履いています、、)龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
龍門司坂
石畳の道なので雨が降ると特に滑りやすいので心配していましたが
雨は龍門司坂をより美しくしてくれてかえって良かったかも、、
また、猿に注意!との看板もありましたが、全くお猿さんの姿もなし、、
(雨の為お猿さんもやって来なかったのかも、、)
どんどん雨が強くなってきた龍門司坂を後にして鹿児島市内へ向かいます、、
龍門司坂滞在時間、、約30分、、、龍門司坂(国指定史跡) 名所・史跡
-
鹿児島中央駅
龍門司坂を出発したのが12:30PM、、
レンターカーを急いで返さなくてはなりません、、
高速道路も工事の為一部交互通行と聞き、一般道路でオリックスレンターカー鹿児島中央駅店へ、、
何とか、、15分遅れで返却、、
スーツケースをオリックスレンターカーで預かってもらい、、
遅いランチをいただきに行きましょう♪
< どこに行こうかなぁ~ >
鹿児島中央駅の前を通り、、 -
ちりめん・しらす専門店 凪
http://www.kagoshima-chirimen.com/nagi/index.php#gaiyou
JR鹿児島中央駅から歩いてすぐ、東口南側ベル通りにあるお店です
大久保水産の「幸栄丸」で捕った新鮮なちりめん・しらすを使った漁師さん直営のお店、、ちりめん・しらす専門店 凪 グルメ・レストラン
-
ちりめん・しらす専門店 凪
一番人気の「三色丼」を注文♪
丼ものには、さつま揚げ&サラダ、吸い物、香物付き
メニュー案内にある通り 絶品♪でした
<また、鹿児島のちょっと甘めのお醤油がお魚と合うのよね~♪>
でも、若かりし時に鹿児島を訪れた時はこの甘めのお醤油が苦手だったkuritchi、、
歳を重ね、、ものの味もわかる様になった?!(^^ちりめん・しらす専門店 凪 グルメ・レストラン
-
ちりめん・しらす専門店 凪
わさびは”花ちりめん"の上にのっています
花ちりめんはちりめんをぎゅっと圧縮したもの、、
パリっとしていて美味しい♪
そして、、雲丹、生まぐろも~♪
もう、、ほっぺ落ちちゃう!(^^♪
でも、、一番美味しかったのが味が付いているちりめん♪
ちりめん大好きkuritchiも思わず う~~んと唸る美味しさ~♪
鹿児島を再訪した時にも絶対に寄ります!!
夜のメニューも美味しそうだったので、夕食&晩酌で訪問したいなぁ~♪ちりめん・しらす専門店 凪 グルメ・レストラン
-
鹿児島サンロイヤルホテル ダブルルーム
http://www.sunroyal.co.jp/
ランチを終え、、預けたスーツケースを受け取り、、
鹿児島中央駅からホテルのシャトルバスに乗車してホテルへ、、
まだ、チェックイン時間の3時には早いので荷物だけ預かってもらおうと思っていたのですが
お部屋の準備が出来ているとこと、、
早速お部屋へ、、
お部屋の扉を開けると、、まず目に入って来たのが「桜島」♪
もう、、目がLOVE ~♪鹿児島サンロイヤルホテル 宿・ホテル
-
鹿児島サンロイヤルホテル お部屋より、、
この錦江湾越しの桜島を見る為に鹿児島の真ん中から少し離れてはいるものの
このホテルを選びました、、
kuritchiはあくまでビューView重視(^^♪
尤も鹿児島中央駅や繁華街の天文館までシャトルバスが運行されるので余り不便を感じませんでしたよ、、
屋上には展望温泉もあって(ちょっと小さめ)、
http://www.sunroyal.co.jp/spa/
また朝食バイキングも種類豊富で美味しくてGOOD♪
次回リピート決定!鹿児島サンロイヤルホテル 宿・ホテル
-
鹿児島サンロイヤルホテル
予約したお部屋はダブルルーム(22㎡)
http://www.sunroyal.co.jp/room/
決め手は高層階9F~12Fの桜島が正面に見えるお部屋、、
ベランダの前に椅子も2脚置かれ、
楽しみにしていた桜島を朝昼晩と眺めるのにバッチリ!
kuritchiはこの椅子に座って、、ひたすら、、桜島の姿を眺めて過ごしていました♪鹿児島サンロイヤルホテル 宿・ホテル
-
次は、、鹿児島市内を散策♪
ホテルのシャトルバスで鹿児島中央駅へ、、
(考えたら、ホテルの外観もシャトルバスの写真も撮っていませんでした><)
若き薩摩の群像
まだ、幕府が海外に渡航を認めていなかった時代に
薩摩藩が派遣した英国留学生たち19人の像です、、
19人の中には「花子とアン」で大ブレークした五代さまこと五代 友厚も含まれます、、
薩英戦争(1863年)直後1865年に欧州の力を実感した薩摩藩は鎖国の禁制を破って
藩の優秀な青少年15名と使節団4名、計19名をイギリスに派遣しました、、
決断した薩摩藩も大したものだと思いますが、
出発した19人の若者の熱い思い、決断にも感服、、
留学生達は帰国後、近代日本の発展の為に大いに貢献しました、、
(昭和57年3月31日・制作者:中村晋也・高さ12.1m)若き薩摩の群像 名所・史跡
-
鹿児島中央駅から、西郷どん達の誕生の地、そして、郷中教育を受けた
加治屋町へ、、
路面電車も走っていますが、徒歩約15分、、
若き薩摩の群像からスタートして、てくてく、、
星印は通った所、、
赤い丸印は西郷どんに関係ある場所、、 -
まずは、、「西郷南洲翁宅地跡碑(上之園町)」から、、
鹿児島中央駅前の広い『ナポリ通り』を5分も進むと、共研公園があり、
その一角に「西郷南洲翁宅地跡碑」があります、、
この場所は父も母も亡くなってしまった後、西郷家は生活に困窮し加治屋町の家を手放し、甲突川の対岸のこの地に移って来ました、、
西郷隆盛の父が作った借金に加えて西郷どんを江戸に出す為の費用を更に借りた為に一家の生活は大変でした、、
西郷家の余りの極貧の暮らしぶりに最初の妻須賀の実家が娘を引き取ったというくらい、、
西郷どんはというと、1854年に江戸詰となり、島津斉彬公のお庭方として活躍していた頃です、、
当時は江戸詰の為の費用は個人で用意するものでした、、
なので、余程裕福な家でないと江戸詰はできなかったとも言われていました、、
西郷家は47石、下級武士の生まれ、、
しかも、薩摩藩は当時各藩の中で一番武士が多かったと言われます、、
領内の人口のうち武士は25%、、つまり4人に1人が武士(琉球国はのぞく)、、
(各藩平均の武士比率は5~6%)
と言う事は米を生産してくれる農民の人口比率が低い、、
増して薩摩は火山灰土壌で稲作に適していません。
島津藩72万石と言われていても実際の石高はそんなになかったと言われています、、
kuritchiのおじいちゃんが西郷どんの鹿児島は米が取れなかったから(貧しくても)仕方ない、、とよく口にしていたのもこの事からきているのでしょう、、
と言っても下級武士の石高約40石は全国平均で言うとごく当たり前な額だった様です、、
因みに西郷どんと江戸城無血開城の交渉にあたった勝海舟、勝家も40石だったそうです(御家人のほぼ平均石高)
つまり、、薩摩藩はお殿様も武士も皆 貧しかった?!西郷南洲翁宅地跡 名所・史跡
-
「西郷南洲翁宅地跡碑」から甲突川の方に歩くと、
鹿児島市観光交流センターがあり、
甲突川に架けられた橋を渡ると次の目的地「鹿児島市維新ふるさと館」、、鹿児島市観光交流センター 名所・史跡
-
甲突川に架かる橋の名前は「南洲橋」
南洲とは西郷隆盛の号、、
西郷どんが鹿児島の人々に愛されてきた事がわかりますね、、 -
甲突川(こうつきがわ)
西郷どん達を始め加治屋町で育った薩摩の偉人たちはこの甲突川に親しみ伸び伸びと育ったのですね、、
西郷どんも大好物だった うなぎをこの甲突川でも獲っていたのでしょうか(^^ -
鹿児島市維新ふるさと館
年中無休 9時~17時(最終入館16時半)
http://ishinfurusatokan.info/toukan/
1階には当時の郷中(ごじゅう)教育や維新の時代に活躍した西郷どんなどの展示物や売店など、、
地下1階にはマルチ映像や等身大のロボットを使った体感シアターとテーマ展示室、、
館内はほとんど撮影不可
kuritchiは3:30PM~閉館時間の5:00PMまで
なんだかんだと楽しみ1時間半びっちり滞在(^^鹿児島市維新ふるさと館 美術館・博物館
-
鹿児島市維新ふるさと館
1階では西郷どんの陸軍大将軍服(現在の延岡市で燃やした軍服)のレプリカを着て記念撮影が撮れたりもします、、
写真の西郷どんは上野公園の西郷像そのもの、、
西郷どんがツンを連れてこんな服装で狩りを楽しんだのかはわかりませんが、、
糸夫人が存命だったら「こんな(格好をする)人ではなかった!」と言われる?!
ツンも薩摩犬と思われるので耳としっぽはピンと立ったはずだし、、
薩摩犬は成長すると黒毛胡麻と呼ばれる黒褐色が強く出てくるはず、、
< おっと、、そんな事にこだわっていてはいけませんね(^^;>鹿児島市維新ふるさと館 美術館・博物館
-
鹿児島市維新ふるさと館
篤姫の展示物もありました(ここは撮影可)
華やかな大奥の様子が伝わってきます、、
琉球貿易や奄美の黒糖貿易で得た利益を惜しげなく費やした篤姫のお嫁入り道具、、
そのお嫁入り道具を斉彬公の命を受け揃えたのは西郷どんだったのは有名な話ですね、、鹿児島市維新ふるさと館 美術館・博物館
-
西郷隆盛誕生の地碑(加治屋町)
鹿児島市維新ふるさと館を出て、、
次は西郷隆盛誕生の地へ、、
西郷隆盛はこの加治屋町で生まれ、郷中(ごじゅう)教育を受け育ちました、、
郷中(ごじゅう)教育とは、早く言えば幼き頃より、体を鍛え、武芸の稽古に励み、良く学び、同じ郷中で鍛錬し合い学び合う、、
隆盛は長男、次男は戊辰戦争で亡くなった吉二郎、三男は西南の役で新政府軍に残った従道、四男は西南の役で隆盛と共に戦い戦死した小兵衛、、
また、西南の役では政府軍の指揮官として戦った後の陸軍大臣 大山巌は いとこ、、
(いとこの大山巌の家はこの鍛治屋町の西郷家のすぐ近く)
西郷どんは幼い頃から体も大きかった事からまわりから一目置かれた存在だった様です、、
そんな西郷どんは郷中仲間と月例のお宮参りに行った際、喧嘩の仲裁に入り右手に大怪我を負ってしまいます、、
一命は取り留めたものの、武士の魂ともいえる刀を握れなくなった西郷どんは学問に励み、武芸では相撲に取り組み、
郷中教育の二才組(にせこ)に昇進し、後輩たちの指導にあたる様になっていきます、、
何故薩摩の武士たちが皆 西郷どんを信頼し、後についてきたのか不思議でしたが、郷中教育の指導係と教え子たちの関係だったからなのですね、、西郷隆盛誕生の地碑 名所・史跡
-
西郷隆盛誕生の地(加治屋町)
この一画に東京目黒の西郷従道邸庭園にあった石が置かれています、、
(中央の大きな石:伊豆石 左の石:紀州の青石 右:伊予石)
従道は将来西郷どんの隠居場所として暮らせるようにと東京目黒に大きなお屋敷を築いていました。西南の役でその願いは叶いませんでしたが
下男熊吉(「西郷どん」ではドランクドラゴンの塚地武雅さん)は後に従道に呼ばれ、東京目黒の西郷邸の管理や庭園の手入れをし晩年を送ったそうです、、西郷隆盛誕生の地碑 名所・史跡
-
大山巌誕生の地碑、、
元帥・公爵まで上り詰めた大山巌卿は
西郷隆盛と父親同士が兄弟、つまり いとこ同士、、
西郷どんとは同じ加治屋町で育ち、10歳以上年の差がある西郷どんは郷中教育の指導係(二才組・にせこ)でした、、
維新後、西南の役を含めて多くの士族反乱を鎮圧、、
特に西南の役では司令官を務め、いとこの西郷隆盛を城山に追い詰め最期の時を迎えさせた事を生涯気に掛け、2度と薩摩の地を踏むことはなかったそうです、、
糸未亡人にも見舞金を渡すのですが、受け取る事はなかったとか、、
(糸夫人の西郷隆盛の妻としての誇り、意地を感じますね)
年齢の近かった西郷どんの弟の従道とは生涯親戚以上に近しい関係であったともいいます、、
西南の役以降すっかり落ち込んだ大山巌ですが、明治天皇から直接「西郷の代わりと思って頼りにする」と言われ、再度軍人として活躍
日清戦争、日露戦争で日本の勝利に貢献するのでした、、大山巌元帥誕生地 名所・史跡
-
村田新八誕生地
もう一人、気になっていたのが 村田新八、、
大層立派な大山巌誕生の地碑のすぐ向かいにその碑はあります、、
村田新八も下級武士、加治屋町の生まれ、、
年少の頃から西郷どんを兄の様に慕い、西郷どんが奄美大島から戻って来た時に西郷どんと行動を共にし、寺田屋騒動を煽動したと久光から疑われ、西郷どんと共に喜界が島に流されました。西郷どんが許されるとその足で新八を迎えに行った程の仲、、
新八も認められ徐々に出世、岩倉具視の使節団に随行するまでとなり、大久保利通の片腕として期待される人物になりました。ところが、西郷どんが下野したと聞くと即辞職、西郷どんの下、薩摩に戻ってきたのでした、、
そして、桐野利秋や別府晋介達と共にに最後まで西郷どんと行動するのでした、、
新八の能力を買っていた大久保利通は西郷どんと一緒に下野してしまった事を大層残念がったと言います、、
新八もそのまま新政府に残っていたとしたら、
新政府で重鎮として活躍したことでしょう、、
< 命もいらず、名もいらず >
村田新八も そんな人物でした、、村田新八生誕地 名所・史跡
-
甲突川歴史ロード 維新ふるさとの道
再び甲突川へ戻り「維新ふるさとの道」へ、、
お散歩にもぴったり♪
写真に写っている橋は「南洲橋」歴史ロード 維新ふるさとの道 名所・史跡
-
大久保利通生い立ちの地 維新ふるさとの道
維新ふるさと館の横にある公園の一画に大久保利通の碑があります、、
(大河ドラマ「西郷どん」では西郷どんの家のお隣りに大久保家があった設定になっていましたが、実際はそこまで近くなかった)
大久保利通も御小姓与下級藩士の出身、、
実際誕生したのは、甲突川を挟んだ高麗町でしたが
幼少の頃この加治屋町に移り、3歳年上の西郷どん達と一緒に郷中教育を受け
藩校造士館で切磋琢磨して育ちました、、
島津久光を説得し、西郷どんの遠島の地から呼び戻したのも大久保利通と小松帯刀(薩摩藩家老)の尽力があったからと言われています大久保利通生い立ちの地 名所・史跡
-
大久保利通生い立ちの地
西郷どんと一蔵どんは無二の友でした、、
この対照的な2人が力を合わせて維新を成し遂げました、、
しかし、何時しか2人の目指すものは違った方向へと進み、、
大久保利通が岩倉使節団から帰国するとその違いはお互い相容れない関係になってしまいます、、
西南の役で敵と味方に分かれてしまいますが、西郷どんの死を告げられた大久保利通は自宅で大きな声で涙したそうです、、
常に冷静(むしろ冷徹)な大久保利通がそこまで取り乱したのは、やはり西郷どんとは仲間以上の関係だったという事なのでしょう、、
2人が向かう方向は違えども一生心の友、同士であったとkuritchiは信じています、、大久保利通生い立ちの地 名所・史跡
-
歴史ロード 維新ふるさとの道
色々な思いにかられながら、、
維新ふるさとの道を てくてく、、歴史ロード 維新ふるさとの道 名所・史跡
-
維新ふるさとの道の先、高見橋近くまで行くと、、
大久保利通像
西洋風を好んだ利通らしく、フックコートをなびかせた姿の大久保利通像、、
没後100年を記念して昭和54年(1979年)に中村晋也氏によって制作されました。本体の高さは4.3メートル、、
西郷どん没後50年後に建てられた城山を背景に仁王立ちする威風堂々の高さ8メートルの西郷隆盛像に比べて少し寂しい気がします、、
鹿児島では西郷どんの人気は絶大で、その西郷どんを結果的に見殺しにした(?)大久保利通は余り良いイメージを持たれていない様です、大久保利通像 名所・史跡
-
大久保利通像
一方、、大久保利通は公共事業に私財を注ぎ込み、
亡くなった時は膨大な借金のみが残ったそうです。
その事を知っていた周りの者は誰も大久保家の遺族に返済を請求しなかったのだとか、、
大久保利通には八男一女、9人の子どもがおり、
その利通の孫が吉田茂に、更にその娘が麻生家に嫁ぎ生まれたのが
(2019年現在)安倍総理大臣を支える麻生太郎氏、、
(そのほかにも色々な方面で活躍した子孫も多数)大久保利通像 名所・史跡
-
高見橋
その大久保利通像近くの高見橋から見える「南洲橋」、、 -
「かごっまふるさと屋台村」の前を通り、、
(この日は月曜日定休日)かごっまふるさと屋台村 名所・史跡
-
鹿児島中央駅へ戻って来ました、、
午後5時半、、もうすぐ夕暮れ時です、、
一度ホテルへ戻るとしましょうか、、
(写真はアミュプラザ鹿児島)アミュプラザ鹿児島 ショッピングモール
-
お部屋に戻り、、
桜島へ まっしぐら!
< 鹿児島サンロイヤルホテル >鹿児島サンロイヤルホテル 宿・ホテル
-
一刻一刻、、 雲が動いていく、、
このまま、、夕暮れが見られるといいなぁ~
< 鹿児島サンロイヤルホテル >鹿児島サンロイヤルホテル 宿・ホテル
-
イチオシ
ところが、、、
どんどん桜島の上に雲が増えてきて、、
残念ながら この日の夕日はこれで 終了、、(涙)
< 鹿児島サンロイヤルホテル >鹿児島サンロイヤルホテル 宿・ホテル
-
ホテルにおお部屋で一休みして、、
夕食をいただきに、、ホテルのシャトルバスに乗車して鹿児島中央駅へ、、
夜になると観覧車アミュランがライトアップされて、、
< きれい~♪ >観覧車 アミュラン 名所・史跡
-
鹿児島市には”うまかっもん”がいっぱい~♪
さて、、何をいただきましょうか、、
知り合いのアドバイス「かごっまふるさと屋台村」は、この日月曜日は定休日、、
悩みに悩んだ挙句、、kuritchiは中央駅一番街へ
この商店街を歩いていると、、
西郷隆盛、篤姫、小松帯刀、五代友厚、東郷平八郎など地元が誇る先人の名前が掲げられていて、鹿児島に来た~!と実感も出来ていい感じ♪ -
さかな酒場 半魚人
その一番街にある居酒屋さんへ、、
女性スタッフが3名が店を切り盛りする、
魚料理がとても美味し評判の居酒屋さん
要予約! 予約で満席!!でした、、 -
さかな酒場 半魚人
(左) この日のメニュー♪
もう、、いただきたいものがいっぱい~♪
一人旅で残念なのが、色々な種類のお料理がいただけないこと、、
kuritchiが悩んでいると、、
お店のスタッフさんが「ちゃんとおひとり様用に量を調節しますよ~♪」
では、、まずは、、『お造り6種盛り』♪
大好物の『たら白子とあん肝』♪
それと、お隣りの人が頼んでいてた
ムチャクチャ美味しそうだった『ばかうまきゅうり』♪
& 生ビール♪ -
さかな酒場 半魚人 『たら白子とあん肝』
kuritchiは、たらの白子もあん肝も大好き~♪
< ホント、夢のような贅沢なメニュー♪ >
最初の一皿から、、ほっぺが落ちちゃいました~(^^♪ -
さかな酒場 半魚人
< 半魚人に来たら 美味しいお造りをいただかなくっちゃ♪ >
お造り6種は どれも、この日のおススメ♪
◎ 珍しい高海老(野間地産)
高海老は別名「薩摩甘エビ」 甘みがあって、ぷりぷり♪
日本海で獲れる甘エビとまた違った触感があって美味しかった~♪
◎ 珍しい月日貝
甘みもあって、こりこり歯ごたえもあって こちらも 美味~♪
◎ 枕崎産のかつお
かつおは3月から北上するので、鹿児島では3月からいただけちゃうんです♪
新鮮なので全く生臭さもなく、美味~♪
◎ 天然鰤(日向)
まさか、、鹿児島で天然ものがいただけるとは~♪
とってもあっさりとしていて美味しい~♪
◎ シマアジ
ぷりっぷりのシマアジ~♪ 言葉がありません~♪
◎ 首折れサバ(屋久島で水揚げされるゴマサバ)
一度いただいてみたいと思っていたが首折れサバが目の前に、、
思わず、、「食べてみたかったんです~♪」
感想、、 サバとは別物、、 ぷりぷり、、飲み込むのがもったいない!!(^^♪
この2皿いただいただけでも、鹿児島にやって来た価値があったと思われるお料理♪
< もう、、最上級の大満足!! >
魚好きの人には絶対におススメのお店♪ -
さかな酒場 半魚人
(左上)『ばかうまきゅうり』も文字通り、、”ばかうま”♪(笑)
あっさりとしたシャキシャキきゅうりに山椒とごま油が効いていて
食べ出したら止まらない美味しさ♪
(左下)首折れサバ、、 色々な角度から写真も撮って楽しんでいました(^^
何せ、一度いただいてみたいと思っていた首折れサバですものね、、
サバ特有のにおいもなく(最初サバだと思わなかったくらい、、)
ピカピカに光っている身は甘みもあって、あっさりしていて ホント、、美味しい♪
(右下)2杯目は 焼酎緑茶割り、、
(右上)鹿児島でなければ食べられないものをリクエスト、、
『鰹の腹皮焼き』 お酢を付けて食べるそうです、、
少し柔らかい肉厚の鰹のたたきの皮、、 -
さかな酒場 半魚人
見ていたら、、ほとんどのお客さんが頼んでいる、、
注文を受けてから作る『だし巻き玉子』も美味しそう~♪
という事で注文♪
熱々の『だし巻き玉子』も最高~♪
もう、、すっかり、、テンション高し!
生ビール(やっぱり生ビール好きkuritchi)2杯目に入ってます(^^
本当は〆に『いくらとしらすプチ丼』も いただきたかったのですが、、
さすがに もう お腹いっぱい!!(笑)
スタッフが女性とあってお客さんは若い女子率高し!
お隣り席の若い女性2人と人生いろいろ話が盛り上がって、、
そちらも面白かった~♪
< 鹿児島 最高~♪ >
魅力は西郷どんだけでなく、親切であたたかい鹿児島の人達、、
そして、、沢山の うまかっ~もの♪
< 再訪決定だね~♪ > -
中央駅一番街
< 満足、、満足、、、>
すっかりご機嫌で TAXIでホテルに戻ったkuritchiでした、、
鹿児島 2日目、、
ちょっぴりだけ、、鹿児島の魅力に触れる、、(^^
3日目も < Cangoxina うまかっ~~♪ > つづきます、、
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
鹿児島市(鹿児島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ Cangoxinaうまかっ~♪ 「西郷どん」を訪ねて、、
0
70