2019/03/09 - 2019/03/09
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ドクターキムルさん
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鎌倉市長谷3にある光則寺は文永11年(1274年)の創建であるとはいえ、やぐらはあったとしても開山・日朗上人の墓がそうであるのかも知れない。しかし、古墳時代末期に造られた横穴墓(おうけつぼ、横穴古墳)は確実にある。
源頼朝に捕らえられた九州平氏の大橋太郎通貞が投獄されていたという土牢がある。ここでは大橋太郎通貞に関する伝説(https://www.yoritomo-japan.com/kamakura136/kosokuji-tutiro2.htm)は割愛する。
大橋太郎通貞土牢は横浜市栄区やその他の鎌倉郡内に見られる横穴墓(横穴古墳)で間違いない。天井はアーチ形で、玄室の奥には棺や棺を置く台を削り出している。大橋太郎通貞土牢内部は棚を除いても1坪程度の広さがあり、壁面には木の根が絡みついている。松ではないが、木の根は岩をも砕くとはこのことなのかも知れない。
横穴墓(横穴古墳)は単独で存在することは稀で、鎌倉幕府5代執権北条時頼の家臣であった宿屋光則のこの邸宅跡の裏山にはもう1基以上の横穴墓(横穴古墳)があったと考えられている。また、横穴墓(横穴古墳)は、山の斜面や崖の同じ高さに掘られているので、この大橋太郎通貞土牢と呼ばれている横穴墓(横穴古墳)の近くで山腹の同じ高さに他の横穴墓(横穴古墳)があってしかるべきである。それが日朗上人土牢(https://4travel.jp/travelogue/11467660)に違いない。大橋太郎通貞土牢から山道を少し上って下ると日朗上人土牢である。2つの土牢はそれほど離れてはいない。
(表紙写真は大橋太郎通貞土牢)
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