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 亀ヶ谷坂切通の峠から左に100mほど南東に入った辺りに「今上閣下御野立跡」碑が建っている。大正天皇の御野立跡碑として建てられた立派なものである。御野立とは移動中の貴人(主に天皇)が野外で休憩した場所。御野立所のことである。<br /> 碑側面には明治44年(1911年)3月6日に今上閣下東宮御時代に御光顕(?)された旨が彫られており、大正9年(1920年)3月に建立したとある。<br /> 御光顕(?)とは行啓(ぎょうけい)のことである。「今上閣下御野立跡」が一般的なようだ。そのためか、皇太子が即位した後に「今上閣下御野立跡」碑として建立している。すなわち、9年遅れで建立されている。<br /> では、何故この地で?地元の中年のご婦人は建長寺の療養所があった場所で鉱泉が湧き、温泉施設があったからともいう。しかし、建長寺の療養施設・延寿堂は切通に掘削された道路を隔てた向かい側、現在の延寿堂地蔵尊が建つ墓地にあったと考えられている。<br /> では、石垣が積まれた亀ヶ谷坂切通(https://4travel.jp/travelogue/11451359)から4mほどの高さに石垣を積んで尾根を4、5mの幅で掘削した先にある2mの高さで弧状に石垣を積んだ半円形の平地、現在では四方竹林、の場所には何が建っていたのか?<br /> この弧状に詰まれた石垣には上に上る階段があり、その先には1つだけではあるが中型のやぐらがある。さらに石垣の先にも小型のやぐらがあり、その横には近代に掘られた横穴がある。この横穴は防空壕にしては内部の空間がなく、先日参拝した荏柄天神社の境内社である熊野大権現(https://4travel.jp/travelogue/11449565)の洞窟のような感じだ。上段と下段にそれぞれ1基づつではあるがやぐらがあり、寺院跡であろう。こうした石垣は後ろ側には弧状に詰まれているが、前側にも積まれている。「鎌倉廃寺事典」(有隣堂、昭和55年発行)にある「正円寺(坂中観音堂)」ではあるまいか?勝因寺ヶ谷の山頂近く、亀ヶ谷坂切通の峠とはほんの少ししか標高が下がらない場所に果たして何があったのか?<br />(表紙写真は「今上閣下御野立跡」碑)

大正天皇御野立跡碑

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2019/01/30 - 2019/01/30

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 亀ヶ谷坂切通の峠から左に100mほど南東に入った辺りに「今上閣下御野立跡」碑が建っている。大正天皇の御野立跡碑として建てられた立派なものである。御野立とは移動中の貴人(主に天皇)が野外で休憩した場所。御野立所のことである。
 碑側面には明治44年(1911年)3月6日に今上閣下東宮御時代に御光顕(?)された旨が彫られており、大正9年(1920年)3月に建立したとある。
 御光顕(?)とは行啓(ぎょうけい)のことである。「今上閣下御野立跡」が一般的なようだ。そのためか、皇太子が即位した後に「今上閣下御野立跡」碑として建立している。すなわち、9年遅れで建立されている。
 では、何故この地で?地元の中年のご婦人は建長寺の療養所があった場所で鉱泉が湧き、温泉施設があったからともいう。しかし、建長寺の療養施設・延寿堂は切通に掘削された道路を隔てた向かい側、現在の延寿堂地蔵尊が建つ墓地にあったと考えられている。
 では、石垣が積まれた亀ヶ谷坂切通(https://4travel.jp/travelogue/11451359)から4mほどの高さに石垣を積んで尾根を4、5mの幅で掘削した先にある2mの高さで弧状に石垣を積んだ半円形の平地、現在では四方竹林、の場所には何が建っていたのか?
 この弧状に詰まれた石垣には上に上る階段があり、その先には1つだけではあるが中型のやぐらがある。さらに石垣の先にも小型のやぐらがあり、その横には近代に掘られた横穴がある。この横穴は防空壕にしては内部の空間がなく、先日参拝した荏柄天神社の境内社である熊野大権現(https://4travel.jp/travelogue/11449565)の洞窟のような感じだ。上段と下段にそれぞれ1基づつではあるがやぐらがあり、寺院跡であろう。こうした石垣は後ろ側には弧状に詰まれているが、前側にも積まれている。「鎌倉廃寺事典」(有隣堂、昭和55年発行)にある「正円寺(坂中観音堂)」ではあるまいか?勝因寺ヶ谷の山頂近く、亀ヶ谷坂切通の峠とはほんの少ししか標高が下がらない場所に果たして何があったのか?
(表紙写真は「今上閣下御野立跡」碑)

  • 石碑。

    石碑。

  • 「今上陛下御野立跡」碑(大正9年(1920年)銘)。

    「今上陛下御野立跡」碑(大正9年(1920年)銘)。

  • 明治44年(1911年)3月6日に今上閣下東宮御時代に御行啓された旨が彫られており、大正9年(1920年)3月に建立した。

    明治44年(1911年)3月6日に今上閣下東宮御時代に御行啓された旨が彫られており、大正9年(1920年)3月に建立した。

  • 和歌が彫られている。源三郎とあるから松浦 詮(天保11年(1840年)~明治41年(1908年))の和歌であろう。

    和歌が彫られている。源三郎とあるから松浦 詮(天保11年(1840年)~明治41年(1908年))の和歌であろう。

  • 背面は無地。

    背面は無地。

  • 「今上陛下御野立跡」碑。

    「今上陛下御野立跡」碑。

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