2006/05/17 - 2006/05/17
4位(同エリア31件中)
jijidarumaさん
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<2006.5.“ドイツ ライン・モーゼル・ラーン周遊の旅”>
期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
目的地: 今回の旅の目的地は二度目のドイツ駐在を終え、1985年5月31日に帰国して以来、21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”が第一です。
そして週末や休暇の帰途に、何度も立ち寄った“ライン・モーゼル川、更に言えばルール川、アール川、ラーン川の流域等”を旅するものです。
この地はノルトライン・ヴェストファーレン州、ラインラント・プファルツ州、ザールラント州、ヘッセン州と“父なるライン川・落ち着いた佇まいのモーゼル川”を挟んだドイツの北西部の地域になる。
写真はラーン川流域図
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ドイツの最も豊かで繁栄してきた諸都市;エッセン・デュッセルドルフ・ケルン、そして古きローマ時代からの世界遺産の町々を訪ね、ドイツワインで有名なラインガウ・モーゼル・アール等のワイン産地の町々を巡る---“ワイン街道”をたどる旅でもある。
この旅は中・下ライン川とモーゼル川流域巡りが中心になるが、更にはルール川、アール川、ザール川、ラーン川流域巡り等もあって、“川の旅”とも言えましょう。
この項ではラーン川流域巡りだけを取り上げた。
この時期はデジカメも持っていないので、アルバム等から写真集を
作ってみた。
写真はドイツの地図・各州 -
“Die Lahnラーン川”(ラーン川流域図をご参照下さい)
ノルトライン・ヴェストファーレン州南東部、ヘッセン州との州境付近のロタール山地南東部にあるロタールシュタイク沿いのネトフェンという町、そのラーンホフと呼ばれる地域にあるラーンコプフという標高612mの斜面にラーン川の水源地はある。
ラーン川はまず東に向かい、グラーデンバッハ山地北部をカルデルンまで至り(上部ラーン渓谷)、Marburgマールブルグ(城、エリザベート教会、旧市街、大学都市)の上流で、南に下り、Staufenbergシュタウフェンベルク城、Giesenギーセン(城、大学都市)の辺りで、ギーセン・ラーン渓谷の地域を切り開いて、西に向きを変えて流れる。
さらにWetzler,Weilburg,Limburgの町々を経由し、幾つかの小さな川がラーンに合流し、全長242kmをゆったりと穏やかに流れていき、やがて標高61mの地点、Lahnstein・コブレンツでラインの大河に注ぎ込む。
写真はこの地域にあるFachwerk Strasse木組み建築街道:
Vom Lahntal zum Rheingauラーン川流域からラインのラインガウ地域まで
この旅ではLimburgリンブルクとBraunfelsブラウンフェルス、Wetzlarヴェツラーの木組み建築を見たことになる。 -
イチオシ
<使用レンタカー>
メルセデス・ベンツ C-220-D 2200CC ディーゼル オートマチック
KI―NE 772 がその番号でした。
デュッセルドルフ空港で借りた車は珍しく、北の軍港・大学都市であり、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州の州都Kielキールナンバーだった。
昨年までの三年間はWI、ヘッセン州の州都Wiesbadenヴィースバーデンでした。
(1974年12月10日、ドイツで生まれて初めての運転免許を取得。ドイツ等の
旅行でレンタカー使用の際には、2018年現在も有効な、この免許証を使っている)
写真の構図は右上にメルセデス・ベンツ C-220-D、
左上にフンスリュック地方の中ほどにこのHistorische Schlossmuehleヒストリシェ・シュロスミューレ=歴史的城の水車と呼ぶ古城ホテル(昔はBergmuehleベルグミューレと言った)、
左中にモーゼルの上流・ザール川の蛇行、
左下にMettlachメットラッファのヴィレロイ・ボッホ陶磁器美術館、
下中央にライン川のフェリー、
右下に猫城 -
<ラーン川流域巡り:フランクフルトへ>
2006.05.17(水) 晴れ 時に雲が出て、20℃程度の一日 、
146km(通算1857Km)
*10:15漸く古城ホテル シェーンブルグを出発。B9Kaubカウプのフェリーで対岸へ。B42->42km、Lahnsteinラーンシュタインで、渓谷沿いに走るB260に入る。“Lahn-Ferienstrasseラーン休暇街道”沿いを走り、古城、木組みの家々の町々を訪れる計画である。
->9km、11:40 Bad Emsバード・エムス保養地->10km、11:50 Nassauナッサウ 城址B417->31km、12:38 Diezディーツ城->2km、Limburgリンブルク大聖堂 観光(13:00~13:45)、L3020->8km、14:05 Runkelルンケル城 L?->14km、B456->4km、14:30 Weilburgヴァイルブルク観光:Schlosshotel Weilburg古城ホテル ヴァイルブルク城、15:35出発、L3451-> 15:52 Braunfelsブラウンフェルス観光:Schloss Braunfelsブラウンフェルス城(16:30~17:30)、ホテルに17:45着。
夕食は19時、Grill-restaurant“LIKA”でのクロアチア料理。
写真はBurg Lahneckラーンエック城 -
<Lahn-Ferienstrasseラーン休暇街道巡り>
クレジットカードを紛失するというチョンボで日本への連絡等で時間がかかり、ホテルのポーターの小父さんを散々待たせてしまい、恐縮だったが、10:15漸く古城ホテル シェーンブルグを出発した。
B9Kaubカウプでフェリーに乗りラインの対岸へ(4Euro)。B42->42km、Lahnsteinラーンシュタイン、山上にそびえる、Burg Lahneckラーンエック城を横に眺めながら、渓谷沿いに走るB260に入る。
今日からラーン休暇街道を即ち、Lahnラーン渓谷沿いの古城、城址、木組みの家々の旧市街、庭園が残る、美しい町々を走り、訪れる計画である。
写真はラーン川:Burg Lahneckラーンエック城 -
イチオシ
11:40、
最初の町Bad Emsバード・エムスは戦禍から免れ、今もなお華麗な街並みを保っている。
1867年から20年もドイツ皇帝ヴィルヘルム一世が夏の保養に滞在した町として知られている。
写真はシェーンブルク城、Bad Emsバード・エムス、Nassauナッサウ城址の天守閣 -
数十メートル程度の狭い川に沿って、ピンク色した宮殿風の建物はKursaal保養所(温泉療養所)だとか。
大きな菩提樹の並木道を走る。
写真はラーン川:Bad Emsバード・エムス・Kursaal保養所 -
11:50 、
Nassauナッサオは見事な古城(城址)が見られる。
ナッサオ伯爵家の根拠地であり、この城は1128年築城と云う。
車が1台しか通れない、急な坂道を登ると、20m近い高さのがっしりした塔が出てくる。旗が揚がっているので、誰かいるのだろうが、人影なし。
四画形の塔の上部に筒状の小さな塔が6つ付いた面白い形だ。
写真はナッサウ城址の天守閣、ディーツ城、リンブルク大聖堂 -
写真はラーン川:Nassauナッサウ城址のしっかり残った天守閣
-
写真はラーン川:Nassauナッサウ城址の遠景
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12:38 、
次の町Diezディーツもラーン渓谷の高台にある古城Schloss Diezディーツ城(伯爵家の城として、11世紀頃から築かれた)がある。
ラーン川からの眺めはロマネスク・ゴシック風の城郭が緑の木々の間に見られて、木組みの家々に囲まれた景色は絵のように美しい。
写真はSchloss Diezディーツ城とラーン川 -
ディーツからLimburg リンブルグは近い。
13:00、
Limburgリンブルグの大聖堂近くの駐車場に到着。
リンブルグは木組みの家々が軒を連ねる旧市街があり、ラーン川に沿った人口3万5千の古都は千年の歴史あるDom大聖堂を中心にし、その風景は素晴らしいものがある。
13世紀前半に、ロマネスク様式で建てられた大聖堂はまるで美しい王冠を頂いたような姿である。大聖堂の内部は19世紀に改造された為、大変シンプルなもの。
歴史的な旧市街に足を運び、大聖堂から石畳みの坂道を左右の木組みの家並み・・・13~19世紀・・・を楽しみながら下りていく。
最も見栄えの良い、撮影ポイントの石造りのラーン橋で写真を撮っていると、親切なダックスフントを連れた小母さんが我々を『写しましょうか!』と言ってくれた。写真は残念ながら、期待した大聖堂が家内に隠れてしまっていました。
でも、これだけで、この町が気に入る。 (13:00~13:45)
写真はLimburgリンブルグの大聖堂と旧市街大聖堂(リンブルク) 寺院・教会
-
14:05、
同じくラーン川に沿った要害の地にRunkelルンケル城が立っている。
見事なほど力強い、この石造りの城はドイツでも有数の美しさを持った城と云われている。
ここは12世紀中頃、バロバロッサ王の裁可によって、ラーン川の交通の防御を目的に築城された。
1634年大火により、消失する。現在、ルンケル城址は博物館などになっている。
因みにラーン川では現在、水運としての交通手段の利用は禁止され、レジャー用の船舶のみが運航できる事になっているそうだ。
写真はRunkelルンケル城とラーン川 -
イチオシ
水量も少なく、狭くなったラーン川に沿って、田舎町を走っていく。
Weilburgヴァイルブルクにはずれずれの時間、14:30到着。
14:30、
ラーン川はWeilburgヴァイルブルクの町で大きく湾曲しており、ドイツでも類を見ない舟のためのトンネルが掘られている。
ラーン川に囲まれたような突き出た丘の上に、1355~1816年まで、ナッサオー・ヴァイルブルグ家の宮殿になっていたWeilburgヴァイルブルグ城が立つ。
ルネッサンスとバロック様式の館に囲まれた広い内庭はヨーロッパで最も美しいと言われて、ヘッセン州の文化的遺産として大切にされている。
写真はRunkelルンケル城(左上)とWeilburgヴァイルブルクの古城ホテル(右下) -
写真はラーン川の蛇行:Weilburgヴァイルブルク俯瞰
-
今年、2006年はバロック様式の宮殿都市が906年から数えて、1100年の記念すべき年となる事から、コンサート等の催しが予定されているとか。
写真はWeilburgヴァイルブルク:ラーン川に架かる石橋と、右上に城 -
時間がずれ込んでいるので、宮殿内部の見学は断念し、15、6世紀のルネッサンス風建物が囲む内庭やヨーロッパで最も美しいとされる、ヴェルサイユ風オランジェリー(温室;1711-13年完成)前の庭園を散策する。
Blutbuchen血のように赤い葉のブナの大木が何本もあり、不思議な印象を受ける。その木の下で、町の老人達がベンチで憩いの時間を過ごし。
さらに進むとLinden菩提樹の林があり、葉が出てきたばかりだが、整然と並んだ林が特徴的だ。
階段を下りた先の、テラスの庭園は園丁達が忙しく、花植えの作業中である。
写真はWeilburgヴァイルブルク城とオランジェリー、庭園 -
この宮殿の前部にあたる場所には古城ホテルSchlosshotel Weilburgがあり、前庭のテントの下で人が集まっている。
このホテルには1982年の12月25日~26日に家族旅行で泊まった事がある。雪が少し積った古城の景色が大変気に入った覚えがある。
写真はWeilburgヴァイルブルクのSchloss宮殿内の様子、時間が無くて見送ったが。 -
古城ホテルから、ラーン川に架かる石橋に向かい、橋の上からの眺めを楽しむ事に。
灰色の屋根、クリーム色に壁が塗られ、赤で窓枠などを縁取った宮殿・古城ホテルが丘の上にどっしりした壁のように立っている。
何が取れるのか?川中で釣りをしている人も見える。
此処でも、ダックスフントを連れた小父さんに声をかけられ、二人の写真を撮っていただく。不思議な日である。ここでの写真はお願いした古城ホテルがしっかり撮れていました。
駐車した場所に戻る途中、石橋の袂で家の壁をペンキで塗っているもう一人の小父さんにお会いする。
『ここの水路の先に二つの水車小屋が昔あってね。たまたまどちらの家にも息子、娘が一人居たそうだ。年頃になって、二人が恋をして、結婚したと云う。その後、水車小屋は一つになって栄えたとさ!!!』と小父さんが語る。
ラーン川本流から水をひいた水路の先を示して、お話してくれました。
何がきっかけで、そのような話になったか?今は覚えていないのだが、旅はこうゆう事があるから面白い。
写真はWeilburgヴァイルブルク城とSchloss Braunfelsブラウンフェルス城 -
15:35出発、途中の山道から、山上にメルヘンチックなSchloss Braunfelsブラウンフェルス城が見える。三つの塔が高々と立っていて、初めて見る城だが、なかなか形の良い城だ。
15:52 、
Braunfelsブラウンフェルスに着く。
Braunfelsブラウンフェルスは高タウナス山系の国立自然公園内にある。ラーン川の南に、750年以上の古い歴史をもつFachwerk木組みの家並みの町があり、今はラーン休暇街道沿いの、人口11400人が住む保養地となっている。
町の中心のMarktplatzマルクト広場からは、見事なSchloss Braunfelsブラウンフェルス城が見える。
城の成り立ちは1280年にSolmsゾルムス伯がNassauナッサウ伯との戦いの為に、砦を築いたことに始まり、15世紀に城は完成するが、17世紀の30年戦争で被害をうける。
その後、ネオ・ゴシック様式の城が1891年に出来上がり、第二次大戦では、隣町のWetzlerヴェツラーは英軍の空襲により殆ど壊滅したが、この町は幸いにも被害も受けずに現在に至り、城は博物館となっている。
写真はSchloss Braunfelsブラウンフェルス城の俯瞰 -
イチオシ
<Schloss Braunfelsブラウンフェルス城見学>
城の裏手の駐車場から、山上までの坂道を登り、裏手の備えとして1851年に造られたRittertor騎士の門を抜け、新城門を過ぎると、チケット売り場が出てくる。
ガイドツアー(8Euro)のチケットを購入して待っていると、ドイツグループが先にスタートして行き、英語のツアーはなかなか始まらない。
実はドイツ人のご夫婦が『貴方たち、日本人は英語の方でしょ?!』と言ってくれたため、なんとなく英語のグループになる。30分ほど待たされて、英語のツアーが始まる。アメリカ・テキサスから来られたご婦人二人と、その友人であるドイツ人夫妻と我々の6名だけのミニ・ガイドツアーである。ドイツ人で英語を達者に話すお爺さんがガイドだ。
陽気な彼について、重い格子戸を通り、内庭に入るとFriedrichsturmフリードリッヒ塔(天守閣)が黒々と立っている。
皇帝フリードリッヒⅢ世が1887年にこの城を訪れ、【ブラウンフェルスを見ずに、老いてゆけようか?!(日本的には“日光を見ずに、結構と言うな!”かな?!)】と言ったという。
この城のおびただしい文化遺産は絵画であり、武器、家具調度品、陶磁器等のコレクションである。それらは確かに一見の価値あるものである。
最初の①騎士の間には、13~18世紀の数々の武器が展示されていて、なかなか見事なものだ。その一角に皆を誘い、ガイドが鎖帷子を皆に持たせて、『どのくらいの重さか?』と聞く。私は『10kgだ』と答えると、ほんとに10kg!!『孫の重さがこんなものでね!』と言うと、ガイド曰く『日本人は頭が良いからな!』
馬上試合の甲冑姿の騎士と馬がホールの西側に堂々と立ち、マクシミリアン皇帝の頃、ミラノで作製されたと思われる甲冑。その他見事な剣、ナイフが。
写真はSchloss Braunfelsブラウンフェルス城 -
階段を下りた②サロンには、この城に関係するフィリップ伯爵等の人物画が壁を覆っている。極東の陶磁器、二つの巨大な花瓶はロシア・ペテルスブルグ作である。
③ゴブラン織りの間には1600年代・フランドル製の5つのゴブラン織りが架かっている。狩りや田園風景が描かれたもので、大変素晴らしい。
それから、④フランドルの間、⑤ルネッサンスの間等、数々の人物画を見て、次の
⑥ゴシックの間に進む。
ここにはマールブルグ・聖女エリザベートの一番下の娘Gertrud von Altenbergゲルトルート・アルテンベルク(1227~1297);彼女は母が死んだ時、たった3歳であった為、Kloster Altenbergアルテンベルク女子修道院で育ったという)が持っていたゴシック様式の櫃がある。
となりの、
⑦祭壇の間には、最も、興味深い、聖女エリザベートの指輪が展示されている。テューリンゲン方伯・夫ルートヴィヒ四世が十字軍に出かける際に、聖女エリザベートに与えた指輪であると・・・
【この城で聖女エリザベートの話を聞くとは想像だにしませんでした。夫ルートヴィヒがイタリアの南・Otrantoオトラントで戦死した時、エリザベートのしていた指輪のオパールの石が血を流したと】・・・伝えられているそうだ。
指輪の横にある、13世紀の銀製のピッチャーは聖女エリザベートが貧者や病人に、それでワインを与えたと云う。
(注)ブラウンフェルス城はSolms-Braunfels ゾルムス・ブラウンフェルス伯家の居城であり、近隣のNassauナッサオ伯家などと共に、アルテンベルク女子修道院の支援者であった関係で、聖女エリザベートや娘のゲルトルート・アルテンベルク女子修道院長の遺品が展示されたようである。
【聖女エリザベートはハンガリーの王女に生まれ、4歳の時にヴァルトブルグ城の城主、テューリンゲン方伯のヘルマンの息子だった、当時11歳のルートヴィヒ四世の婚約者として、城にやって来て、14歳で結婚しました。
夫が1227年に十字軍遠征で戦死した為、3人の子供と共に城を追放されてしまいます。マールブルグにやってきた聖女エリザベートはそこで信心深い一生をおくり、貧者救済の為に献身しました。余りに献身が過ぎた為、24歳で亡くなります。
死後、エリザベート信仰が起こり、その墓地への巡礼が始まり、ドイツ各地からの巡礼が行われるようになりました。4年後の1235年、彼女は“聖女”の称号を受け、マールブルグに聖女エリザベート教会の建設が始まります。】
ガラス窓の廊下を通り、⑧Deikerギャラリーには入る。大きなフェルニナンド王子の狩りの絵が架かり、面白い事にどちらから見ても、鑑賞者を睨んでいる猪の騙し絵がある。ガイドの小父さんもここぞとばかりの説明だ。
⑨青のサロンには1845年移民を率いて、アメリカ・テキサスに新しいブラウンフェルスを創ろうとしたプリンス・カールの絵も見られて、テキサス夫人達は興味深そうに見ていた。
最後は眺望の良い内庭に出て、4つの大砲が町に向けて置かれた⑩砲台で、凡そ一時間のガイドツアーは解散となる。
丁寧な、楽しいガイドさんに2Euroのチップを。(16:30~17:30)
城を見上げるとGerogturm、Judenturm、Hubertusturm、Fahnenturm、Glockenturmのたくさんの塔や教会などが見え、どれがどれだか、案内図の名前と一致しない。
写真はSchloss Braunfelsブラウンフェルス城内:騎士の間 -
小雨が振り出した。ホテルに17:45着。
(1泊) Schloss-Hotel Braunfels
D-35619 Braunfels ob der Lahn、Hubertusstrasse 2、
Turmzimmer(塔の3階) Euro120 ;全30室、3星
TEL:49(0)6442-3050
Schloss-Hotel Braunfels古城ホテル ブラウンフェルスは、1886年頃、当地のGeorgゲオルク侯爵やその息子達が、自らの財産を活用させ、且つブラウンフェルスへの来訪者の便宜を図る為、古城ホテルを造り、教会、水車小屋も設置したという。その後、このホテルを賃借していたFamilie Witkopヴィットコップ家が、1908年に買取り、100年を超えた家族的伝統を維持して、現在に至っている。
18ホールの緑あふれるゴルフ場に囲まれた古城ホテルである。
ホテルの部屋は予約通り、塔の3階にある部屋。ホテルのパンフレットに載っているので、ホテル一番の部屋なのでしょう。
6角形の塔の中に部屋を造ったようで、広い部屋である。2階には、レストランやバー、会議室などが見られる。ホテル前の駐車場の混み具合からすると、ゴルフ客を含め、湯治客も多いようだ。
<夕食はGrill-restaurant“LIKA”でのクロアチア料理でした>
ホテルの地下にあるのですが、ホテルとは別の入口に回らねばならない。予約をお願いしてあったはずだがと、レストランに入って言ってみるが、どうもその形跡はなさそうだ。
マー、良いかと、クロアチア料理はどんなものか?メニューを見てみる。ハンガリー料理、ジプシー料理のようなものらしく、串焼きも名物なのか、席から見える厨房で焼いている。日本人が(アジアのほかの国に間違えていたかは、分からないが?!)珍しいのか、厨房の小母さんがニコニコしながら、こちらを見ています。
さて、黒っぽいビールをまず飲みたい。今夜の私が選んだのは“ハンガリー風グラッシュスープ”・・・パプリカ、唐辛子、その他の香辛料のが入っていて、汗が出てくる。赤っぽい壷に入ったスープは実に美味しい。
メインに家内は“大きな肉二枚のウイーンナーシュニッツエル(ウイーン風カツレツ)、ジャガイモ・サラダ付き、トマトソース”を頼み、私は“ジプシー風シュニッッエル、サラダ付き、ジャガイモ、唐辛子、トマトソース”です。これも汗が湧いてくる代物でしたが、味は美味で結構なものだった。
(19~20:10、Euro33)
予想しなかったクロアチア料理でしたが、安い上に、美味しく、充分満足あるものでした。
さー、明日はこの旅行最後のドライブです。
写真はBraunfelsブラウンフェルスの古城ホテルとGrill-restaurant“LIKA”でのクロアチア料理の夕食 -
2006.05.18(木) 午前中は小雨も、午後は快晴 18℃ 、
118km(通算1975km)
*9:30ブラウンフェルスをスタート。L3451・B49->13km、9:50ライカとゲーテの町・Wetzlarヴェツラー観光:Dom大聖堂、Lottehausロッテハウス、12:30フランクフルトを目指す。B49->3km、A45・E41・A5・E451・A661->71km、Frankfurtフランクフルトの南OffenbacherKreuzオッフェンバッハ―クロイツで降り、B3->17km、13:50 SachenhausenザクセンはウゼンのKonrad-Adenauerアデナウワーの屋内駐車場、昼食:タイ・中華料理(14:00~14:45)Museumsufer博物館通りを歩いて、10分、シュテーデル美術館見学(15:30~16:40)、17:00 B43->15km、フランクフルト飛行場へ。最後の給油(Shell)。Hertzハーツに17:40レンタカー返却。チェクイン。
*昨夜は相当雨が降ったようで、車がきれいになった。城下町の木組みの家々を見る余裕も無く、残念ながら、9:30ブラウンフェルスをスタートする。
13kmで、ライカとゲーテの町として世界的に有名となったWetzlar ヴェツラーには9:50に早くも到着だ。
写真はWetzlarヴェツラーのラーン川からの眺め・Alte Lahnbruecke mit Domアルテ ラーン橋と大聖堂 -
Wetzlar ヴェツラーにそびえるDom大聖堂を目指して、坂道を登り、大聖堂前の駐車場に停める。堂内は二次大戦の戦災後に再建されただけに新しい。
ただ、1460年代の聖母子像、1500年代の錬鉄製のギルド燭台や、パイプオルガンが見られ、外側のゴシック様式の南玄関は終末の審判、受難のキリスト像が彫られている。
ドーム広場に面して、今はレストランになっているが、プロイセン王国時代のHauptwache警備所(1861年築)の建物が立っている。
だらだら坂を下りながら、木組みの家並みの旧市街を見て周る。歩行者天国の道は店先のテーブル席で、コーヒーを飲み、アイスを楽しんでいる。
ライカの看板が街の入り口に見えたが、現在はカメラの生産工場は移転し、他の機械生産が行われているらしい。
写真はブラウンフェルスの古城ホテル、ヴェツラーDom大聖堂ドーム広場 (ヴェツラー) 広場・公園
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ヴェツラーはゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”の舞台となった町で世界に知られている。
若い頃、世界青春文学名作集(片岡啓治訳)で、熟読した事を思いだします。
ゲーテの“若きウエルテルの悩み”はヴェツラー高等法院の研修生としての3ヶ月の短い体験から生まれている。1774年に出版されたゲーテ26歳の処女作品であり、ドイツの新しい文芸思潮が生まれた時代、Sturm und Drang:シュトルム・ウント・ドランク:疾風怒涛時代の代表的作品と言われる。
(ゲーテの“若きウエルテルの悩み”は青年ウェルテルが婚約者のいる身である女性シャルロッテに恋をし、叶わぬ思いに絶望して自殺するまでを描いている。出版当時ヨーロッパ中でベストセラーとなり、ウェルテルを真似て自殺者が急増するなどの社会現象を巻き起こした。現在も世界中で広く読まれている。)
写真はヴェツラー旧市街、ラーン川からの眺め、Dom大聖堂、Hauptwache警備所、Lottehausロッテハウスロッテの家 博物館・美術館・ギャラリー
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ゲーテの記念館とも言うべき、Lottehausロッテハウスは大聖堂近くにあり、此処は元々、ゲーテが恋した、大変な美人Charlotteシャルロッテの両親Buffブッフ・・・三代続いた・・・の家であった。
1922年より、町の博物館となっている。入ってみると、当時の市民階級の家は、意外に小さな部屋ばかりだ。
1772年の夏、ゲーテは殆ど毎日のように、この家を訪れたと云う。2階に肖像画、個人が使用した品々、食器、古い家具が置かれ、寝室や子供部屋があり、当時の市民生活を知ることができる。
下の階には、各国で翻訳された“若きウエルテルの悩み”本の数々が陳列され、日本版も置いてあります。
驚く事に、ご主人が亡くなられた後、8人もの子供をかかえた、シャルロッテの生活苦であり、実弟への経済援助を依頼した書状が展示されている。
館員の方に『ゲーテの支援は有ったのでしょうか?』と聞いてみると、『それは有ったと思う!』との事でしたが・・・。
世界青春文学名作集の解説では、老境に入ったゲーテとシャルロッテが1816年に一度会った事があるそうです。周辺が興味深げにした事もあってか?
ゲーテにとっては煩わしく?!シャルロッテにとってもまた、あまり良い印象をゲーテに持たなかった?!とある。 (30分見学:Euro5)
写真はゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”の本 -
イチオシ
ここでも、1288年に造られた石造りの古ラーン橋が架かり、そこからの大聖堂や町の眺めは美しい。
二次大戦中、爆撃でこの橋も壊されたが、その後、町同様に再建されている。
曇り空が残念なほどに、ここも良い町である。
ゆっくりした2時間半が過ぎて、いよいよフランクフルトだ。
12:30フランクフルトを目指す。
Hertzレンタカー
5月07日(日) 09:48 賃借 、スタート時 12,569 km 。
5月18日(木) 17:43 返却 、返却時 14,544 km 。
通算走行距離 : 1,975 km:予定よりも195km多し。
写真はヴェツラー旧市街、ラーン川からの眺め、Dom大聖堂、Lotteロッテ、フランクフルト -
写真はゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”
ウエルテル:WertherAusDieLeidenDesJungenWerthersZeichnungChodowiecki -
写真はゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”
シャルロッテ・ブッフ:LotteAusDieLeidenDesJungenWerthersZeichnungChodowiecki -
写真はゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”
ヒロインであるシャルロッテ・ブッフ -
写真はゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”
WertherウエルテルとLotteロッテ、子供たち -
写真は写真はゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers=若きウエルテルの悩み”
ヒロインCharlotte_Buffシャルロッテ・ブッフ_(1753-1828)_Goethes_Liebschaft -
おまけ:『ワイマルのロッテ』(独:Lotte in Weimar)・Wiki
1929年にノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンの小説。1939年刊。ゲーテの著名な小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)のヒロイン・ロッテのモデルとなったシャルロッテとゲーテとの40年越しの再会を扱った作品である。
宮廷顧問官夫人となっていたシャルロッテ・ケストナー(旧姓ブッフ)は1816年に実際にヴァイマルを訪れゲーテと会っているが、ゲーテの日記には9月25日に1行触れているのみで詳細は書かれておらず、マンはそのわずかな記事をもとにゲーテ作品からの引用やフィクションも交えて長編小説に仕立てた。
作中では老いたシャルロッテのもとを訪れる様々な人物がゲーテについて語り、ゲーテの秘書をしていたリーマー、ショーペンハウアーの妹アデーレ(右のアウグストの妻の友人であった)、そしてゲーテの息子のアウグストといった者たちの口を通してゲーテの人物像が多面的に浮かびあがる構成になっている(ゲーテ本人が登場するのは後半)。
写真はWetzlarヴェツラー:Thomas_Mannトーマス・マン_Lotte_in_Weimarワイマールのロッテ_1939年の表紙 -
写真は古城ホテル写真集
Hotel Schloss Hugenpoet (5星)、Essen-Kettwig
Hotel Burg Wassenberg (4星)、Wassenberg
Schlosshotel Kurfuerstliches Amtshaus:Dauner Burg (4星)、
Daun-Vulkaneifel
Historische Schlossmuehle (4星)、 Horbruch-Hunsrueck -
写真は古城ホテル写真集
Schloss-Hotel-Petry(3星)、Treis-Karden
Burghotel Stromburg(Johann Lafer) (4星)、Stromberg
Burghotel Auf Schoenburg(4星)、 Oberwesel/Rhein
Schloss-Hotel Braunfels (3星)、Braunfels ob der Lahn -
写真は各地の写真集:ライン、ルール、モーゼル、ザール川及びバルカンアイフェル
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写真は各地の写真集:モーゼル川流域
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写真は各地の写真集:ライン川流域
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写真は各地の写真集:ライン川流域
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写真は各地の写真集:ライン川流域
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写真は各地の写真集:ライン川流域
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写真は各地の写真集:ラーン流域
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写真は各地の写真集:ラーン流域
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写真は各地の写真集:Historische Schlossmuehle (4星)、 Horbruch-Hunsrueckで頂いた本から
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この旅行記へのコメント (2)
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- ハッピーねこさん 2019/01/15 23:51:59
- 川の旅
- jijidarumaさん、こんばんは。
ラーン川沿いの町巡りをお書きになると伺ってはいましたが、まさかこんなに早く!
素晴らしいスピード感に感服します。
ラーン川沿い、ここも美しい町や風景が満載ですね。
私は特にDiezの町に魅せられました。
ラーン川と、木組みの家を従えたようなお城の眺めは圧巻です。
Wetzler,Limburgとあわせて、いつか訪ねてみたいです。
12年以上前のご旅行の工程が、時刻や車の走行距離まで含めて詳細に記されているのもまた驚きでした。
詳らかな記録を残していらっしゃるのですね。
そしてまた町の名前やコメント、地図までが整然とレイアウトされたアルバムの素晴らしいこと!
こちらはjijidarumaさんが?それとも奥様が?
デジカメ時代になってから、なかなか写真をプリントしてアルバムを作ることをしなくなりましたが、やはりいいものですね。
この時のご旅行は、エッセン、デュッセルドルフ、ケルン、そしてモーゼル、ライン川とお訪ねになったとのこと。
まさに昨年の私の旅と大きく重なりますので、是非ともこの2006年の記をご投稿いただましたらうれしいです。
ハッピーねこ拝
- jijidarumaさん からの返信 2019/01/16 12:56:06
- Re: 川の旅
- ハッピーねこさん、
こんにちは。
早々のコメントありがとうございました。
ラーン川沿いの町巡りのアルバムは私共の共作でありますが、
私は字が汚いので専ら日本語は家内が書いています。
旅の詳細は都度、旅行記を書き、記録としてPCに保存し、
ファイルにも納めていますので、頭の記憶の点を刺激すると
何時でも揃うのですよ(笑)。
それはともかくも、デジカメの無い時代はアルバムを写真に
撮ったもので、いささか量的にも視覚的にも不十分で残念です。
ドイツも広く、様々な小さな町を繋ぐ観光街道が多くあって、
それらは実に魅力的であることをお伝えしたいと思ったのです。
私共の世代にはゲーテの“若きウエルテルの悩み”のヴェツラー、
聖女エリザベート親娘の逸話が残るブラウンフェルズ城が
とりわけ興味深いものでした。
2006.5.“ドイツ ライン・モーゼル・ラーン周遊の旅”は
「ドイツ 懐かしの地再訪」と銘打ったものですから、
いわば私共の原点!デジカメの無い時代、アルバムを写真に
撮ったものでも宜しければ、追々掲載してみようと思います。
それでは。
jijidaruma
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