2018/09/14 - 2018/09/14
559位(同エリア911件中)
ムッシュさん
最古の街道、奈良”山の辺の道”を歩く
- 旅行の満足度
- 5.0
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ハイキングの前日は、奈良駅近くの 藤田観光ホテルに宿泊する。
朝散歩に、猿沢池、興福寺に出掛けた。途中の観光駅前道で見た、奈良県の道路元標。 -
その隣に高札場。
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猿沢池の辺りには、采女祭りの説明板。この池で祭りは行われる。
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興福寺南門に通じる石段で、朝散歩してる鹿に遭遇。
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鹿、一頭だけではありません。ファミリーか?
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2018年10月に落慶する興福寺金堂の最後の修繕工事の姿を見る。堂々たる建築物です。まだ、工事中の囲いが付いている。
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同じ境内に建つ五十の塔です。
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猿沢池の周囲には、お祭りの提灯が飾られている。
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采女神社は小さくて可愛いかんじです。祭りではないので、本日はクローズです。
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鹿ファミリーの池周辺を散歩中。今、4頭が行進中。
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こちらJR奈良駅。これから天理の先、桜井方面に電車で向かう。そこから天理までの16kmをハイキング。
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奈良駅
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桜井の一つ手前の三輪駅で降りました。
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山辺の道にコースマップ。
今回の歩きコースは、桜井駅の隣接駅三ノ輪大神神社から天理の石上神社まで歩いた。 -
大神神社へ続く参道。
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大神神社一の鳥居です。立派です。
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大神神社(おおみわじんじゃ)、別名三輪明神とも言う。
神が住まう聖なる三輪山を御身体とあおぐ。 -
いよいよ、階段を上って、拝殿にあがります。本殿は、後方の三輪山です。
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これは豪華な拝殿。背後の三輪山を御神体とする我が国最古の神社。三輪山は御諸山又は神体山ともいわれ、古くから聖なる山、神の山として崇められており、三輪山神話として、記紀にも登場する。
国重文に指定される大神神社の拝殿は、江戸時代に四代将軍徳川家綱が寄進したもの。 -
拝殿。国重要文化財。1664年徳川家綱公により再建。
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三輪山に鎮まるのが大物主大神。西麓に立つ大神神社がこのかみを奉斎する。
大国主が国土を開拓するときに協力し、初代天皇神武の皇后は大物の娘だと古事記は書く。
国内に疫病が流行り多くの人が亡くなる。大物主は崇神の夢に現れ、自分の子孫の意富多々泥古(おおたたねこ)を祭主にして祀ってくれれば、疫病は収まると告げた。
やがて疫病はやみ、国内は穏やかになり栄えたと古事記はつづる。
そのご大物主は朝廷と密接な関係を築き、王権の守護神になっていく。 -
本当に、豪華で立派な拝殿。
大神神社には本殿が無い。拝殿から三ツ鳥居を通し、御身体との三輪山を拝する仕組み。
太古の自然崇拝を残すもので、日本最古の神社とする見方がある。 -
祈祷殿、儀式殿、参集殿。平成9年に竣工。三つ鳥居
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三つ鳥居。神の山と拝殿を区切る位置に立つ。
桧原神社
大神神社の摂社で元伊勢と称される。 -
柿畑の向こうに箸墓や二上山を望む高台にあり、夕景が絶景らしい。
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山の辺の道より、奈良の街を望む。
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崇神天皇陵のある、前方後円墳で周囲に濠がめぐらせてある。天皇陵としては最古。
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彼岸花が満開の頃です。
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長岳寺
9世紀に淳和天皇の勅願を受けて、弘法大使が開いた寺伝にいう古刹。 -
柿本人麻呂の歌碑(出典:「万葉集」巻2~212)
衾道を 引手の山に
妹を置きて 山路を行けば
生けりともなし
詩の意味
「引手の山に妻の屍を葬っておいて、山路を帰ってくると悲しくて生きた心地もしない」 -
柿本人麻呂の歌の解説
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萱生環濠集落。後方の森は山塚古墳。
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西山塚古墳
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松尾芭蕉句碑
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松尾芭蕉句碑
”うち山や とざましらずの 花ざかり”(出典:大和巡礼)
内山永久寺に参拝してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている。土地の人々にはこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが、外様は知る由もない。 -
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石上神宮(いそのかみじんぐう)
神武天皇を熊野で助けた聖なる剣を御身体とする。
記紀にも名前が載る王権とも関わり深い古社。
歴代の天皇の崇敬が厚く、神庫には多くの武器が収められ、武器についての伝承が多い神社で、神功皇后の摂政52年に百済の使者が献じたという七支刀も伝えられている。祭神は布都御魂大神といわれる神剣。
奈良朝以前から神宮の号を使ったのは伊勢神宮とここだけである。
国宝に指定される鎌倉期に建立された拝殿。 -
日本書紀では石上神宮と伊勢神宮だけ、神宮の社号を冠し尊敬する。
布都御魂大神、布留御魂大神、布都御魂大神の三柱が主祭神。このうちの布都御魂大神は本殿に祀られる布都御魂剣に宿る神霊だとされる。これは、神武天皇の窮地を救った神剣である。
別の神剣伝説では、須佐之男命が八岐大蛇を退治した、十拳剣の神霊であり、この剣も御神体として本殿に祀られる。
歴史的にも重要な剣が収蔵されていて、それが有名な七支刀である。
朝鮮半島百済国から贈られたもので、日本と百済の同盟の証しで国宝。 -
柿本人麻呂歌碑 (出典:「万葉集」巻4~501)
未通女らが(おとめらが) 袖布留山の瑞垣の
久しき時ゆ 思ひき吾は
訳
石上布留の杜の瑞垣が長い間あるように、私はあなたを久しい間思っていた。 -
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当宮では神の使いの神鳥とされ大切にされている。
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入母屋造りで檜皮葺(ひわだぶ)き、二層式の楼門は国の重要文化財。鎌倉時代後期に建立。
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石神神社参道。
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