2018/09/09 - 2018/09/09
3114位(同エリア4515件中)
AandMさん
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イスタンブールに4泊してイスタンブールとその周辺を観光しました。ボスフォラス海峡のクルーズ・ツアーにも参加しました。約10時間でイスタンブールと黒海を結ぶボスフォラス海峡を巡るフルクルーズです。事前に海峡ツアーを調べてみると大部分のクルーズが海峡の一部クルーズでしたが、Viator社が提供する英語ツアー「Bosphorus Strait and Black Sea Day Cruise from Istanbul」は海峡のフルクルーズで、ホテル送迎付きで約\9000/personでした。価格も妥当です。景色が中心ですので、英語でも大きな問題はなかろうと考えて参加することにしました。ツアー運営はイスタンブールの旅行会社のIBO Cruiseでした。
8:30amにホテル・ピックアップする、と事前連絡がありました。実際にガイドさんがホテルロビーに迎えにきたのは20分遅れの8:50am頃でしたが、ツアー船に間に合えば大きな問題はありません。ボートは小さめで、一緒に参加した乗客数は20人程でした。日本からの参加者は我々だけでした。
イスタンブールの港を9時過ぎに出発し、途中数カ所でヨーロッパ側、アジア側で上陸観光をしながらボスフォラス海峡を北上し、黒海を目指しました。
黒海への出口付近で折り返して、イスタンブールの港に夕方の6時過ぎに戻りました。海峡からの景観と途中上陸した箇所では城塞、宮殿、港町など、多彩でした。コスパが良く、満足感のあるボスフォラス海峡クルーズでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9月9日
午前8時半のピックアップとの事前連絡が入っていましたので、ホテルロビーで8:20am頃から待っていました。予定時間を過ぎても迎えのガイドさんが現れません。おかしいので旅行社に連絡を取ろうかな、と思い始めていると、ガイドさんがアタフタと登場しました。予定より20分遅れです。ザ リッツ カールトン イスタンブール ホテル
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ピックアップ・バスには多くの先客が乗っていました。我々のホテルが最終で、途中の交通渋滞などで遅れたようです。ツアーボートが出発する港は、我々のホテルから徒歩で数分の距離にありました。ピックアップが最後になった訳が理解できました。
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バスを降り、他の乗客と一緒に港に向かいます。東洋系の参加者は、我々だけでした。
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小さな船が波止場に近づいてきました。これが我々が乗船するツアーボートのようです。
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参加者は20人程でした。乗船して1階と2階の好みの席に座ります。
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出航しました。港近くにあるドルマバフチェ・モスクです。
ドルマバフチェ ジャーミイ 寺院・教会
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モスク北側に宮殿が見えてきました。
1856年に完成したドルマバフチェ宮殿で、以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用された宮殿です。ドルマバフチェ宮殿 城・宮殿
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隣に立派な建物がありました。ガイド説明によると、焼失した宮殿をケンピンスキーが買い取ってホテルにしたそうで、イスタンブールで最も高価なホテルだそうです。現在はフォーシーズン・ホテルになっています。
フォーシーズンズ ホテル イスタンブール アット ザ ボスポラス ホテル
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最初の寄港地オルタキョイ港に近づきました。前方にオルタキョイ モスク、その向こうに第1ボスフォラス大橋(7月15日殉教者の橋)が見えます。
オルタキョイ メジディエ ジャーミィ 寺院・教会
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第1ボスフォラス大橋(7月15日殉教者の橋)は海峡に架けられた最初の橋で、前方がアジアになります。
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オルタキョイ モスクの内部見学ができました。ガイド説明によると、この部屋は女性専用の祈りの場だそうです。男性と女性でモスク内で祈りの場所が区別されているのが普通で、以前はこのルールが厳格に守られていたとのことです。
今日も基本ルールは同様ですが、以前ほど厳格ではなくなった、とのことでした。オルタキョイ メジディエ ジャーミィ 寺院・教会
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モスク入り口です。我々以外にも結構な数の観光客がいました。見事なモスクです。
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乗船までの時間を利用してオルタキョイの町を散歩しました。狭い通りの両側にお店が並んでいます。時間が早いためか、開店前のお店があり、人通りもまばらです。
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オルタキョイ波止場には公園があり、皆さんベンチに座って海を眺めています。公園の目の前にオルタキョイ モスクとボスフォラス大橋があります。印象的な光景が広がる海浜公園です。
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船に乗ってボスフォラス大橋の下を通り、北に進みます。
7月15日殉教者の橋 建造物
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ボスフォラス大橋のヨーロッパ側麓に、火事にあったような廃墟がありました。ガイドが、これはナイトクラブ「レイナ」で、2017年1月2日に爆発テロ事件があった場所だ、と説明してくれました。
テロ事件以降、そのまま放置されているようです。周辺には綺麗な家々が並んでいる中でナイトクラブ「レイナ」の廃墟は目立っていました。 -
海峡を進むと、ヨーロッパとアジアを繋ぐ第2の橋であるファーティフ・スルタン・メフメト橋が見えてきました。この橋を過ぎる手前で、アジア側の港に上陸します。
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アナドル・ヒサル港です。ここにはオスマン皇帝が狩猟を楽しむために建造したギョクス宮殿(Kucuksu Pavilion)があります。
アナドル ヒサル 建造物
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港から数分歩いて宮殿入り口に到着しました。トルコ語と英語で宮殿の概要が説明されていました。1857年に建設され歴代のオスマン皇帝が使用してきましたが、トルコ共和国になった以降は賓客接待のゲストハウスとして活用され、1944年以降は博物館として一部か公開されています。
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陸側から見た宮殿です。宮殿内も見学しましたが、内部撮影は禁止されていました。
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ボスフォラス海峡側から見た宮殿です。
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宮殿の海峡側に庭園付きのテラスがありました。
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テラスで宴席の準備が進行中でした。
ガイド説明によると、今夕にトルコ大統領主催の宴席がこの場所で開かれるとのことでした。我々の訪問の10時間程後に、トルコ大統領のエルドアンがこの場所に登場することになります。本当かな? -
20分程見学して、宮殿を後にして乗船します。
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次は対岸ヨーロッパ側のルメリ・ヒサルに上陸です。
ルメリ ヒサル 史跡・遺跡
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ルメリ・ヒサルの波止場から10分程歩いて、城塞遺跡に向かいます。ルメリ・ヒサル城塞はオスマン帝国のメフメトII世が1452年に建造したもので、わずか4か月で完成させたことで知られています。
この城塞(Rumeli Fortress)はボスフォラス海峡の最も狭い部分に建造され、対岸アジア側にあるアナド城塞(Anadolu Fortress)と相まって船の通行をコントロールしたものです。コンスタンチノープル攻略の要点として活用され、歴史的にも重要な要塞だそうです。 -
城塞内に円形階段からなる舞台がありました。城塞内で演劇でも行われたのでしょうか?
ルメリ ヒサル 史跡・遺跡
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城塞タワーの向こうに、ボスフォラス海峡に架かるファーティフ・スルタン・メフメト橋が見えます。海峡の狭い部分架かる大橋です。
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城塞の説明には、海峡の最も狭いカ所の両側にオスマン帝国は城塞を作り、海峡を行き来する船を制御した、と書かれていました。
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再び乗船し、海峡を黒海に向かって進みます。
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ファーティフ・スルタン・メフメト橋を通過して、船は北に向かいました。
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船上で出された昼食です。チキン料理でした。
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アジア側の景観です。裕福そうな家々が並んでいます。ヨーロッパ側に比べてアジア側の経済状態は良くない、との説明がありましたが、ボスフォラス海峡沿岸では必ずしもそうではないように感じました。
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船は約30kmの長さのボスフォラス海峡半ばを過ぎて、黒海に向けて北進します。
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海峡の中央部に灯台がありました。
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海峡両側にも所々に灯台があります。交通の要所である海峡通行の安全確保の重要設備であることが伺えます。
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トルコ海軍の軍船と思われる船も停泊していました。ボスフォラス海峡はロシア海軍なども行き来する戦略的に重要な海峡です。ガイド説明では、時々ロシアの潜水艦も海峡を浮上航行しているそうです。
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前方に黒海に最も近い場所に架かるヤヴズ・スルタン・ セリム橋が見えてきました。ボスフォラス海峡に架かる3番目の橋で、2016年に完成した最新の橋です。
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ここで最後の寄港地であるアジア側のアナドル・カヴァウ(Anadolu Kavağı)に立ち寄ります。フェリーも出入りする漁港です。
アナドル カヴァウ 散歩・街歩き
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下船します。
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港町を散策します。地元庶民とフェリー利用などで訪れる観光客が入り混じり、そこそこの賑わいです。町中の狭い道路を観光バスが行き来していました。
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カフェレストランでアイスクリームを注文し、小休憩しました。木製テーブルも簡素で、蠅も飛び交っていました。鄙びた感じの田舎カフェで、イスタンブールのカフェとは印象が異なります。
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見上げると山の上に城塞遺跡がありました。ヨロス城(Yoros Kalesi)の遺跡です。キリスト教徒が支配したビザンチン時代にこの城塞が築かれ、コンスタンチノープルを陥落させたオスマントルコが引き継いでいます。海峡の守りで活用された要塞遺跡です。
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アナドル・カヴァウを出航して、ヤヴズ・スルタン・ セリム橋の付近まで船は進んできました。橋の向こうは黒海です。
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橋の袂、アジア側にある小さな湾で船が止まりました。梯子が降ろされました。黒海でのスイミング時間の始まりです。黒海スイミングを楽しみにしていた乗船客が次々と海に入って行きました。
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岸辺から離れ水深も相当深い場所ですが、皆さんプカプカ浮きながらスイミングを楽しんでいました。
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30分程のスイミング時間が終了し、船が動き始めました。橋み向かって進みます。
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ヤヴズ・スルタン・ セリム橋を船上から眺めることが出来ます。前方はアジア側です。
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大型船が橋を抜けて黒海に入って行きました。
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船上でフルーツ・サービスが始まりました。
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船はヤヴズ・スルタン・ セリム橋の下で方向を変え、帰路に入りました。黒海を後にします。
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アジア側にある美しい建物、Kuleli Sahilです。
ガイド説明によると、医学系の学校だそうです。トルコ・エリートの教育機関のようです。 -
イスタンブールのアジア側高台に建つカムリカ・モスク(Çamlıca Mosque)で2016年完成の小アジア最大のモスクです。37500人の収容が可能とされています。
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ボスフォラス大橋(7月15日殉教者の橋)のアジア側にあるベイレルベイ宮殿が目に入ってきました。1860 年代からオスマン帝国のスルタンが夏を過ごした離宮です。
ベイレルベイ宮殿 城・宮殿
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ヨーロッパ側にあるオルタキョイ モスクが見えてきました。水面から聳え立つ尖塔を持つ見事なモスクです。
オルタキョイ メジディエ ジャーミィ 寺院・教会
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間もなく出発した港に到着です。前方海上に小さな塔がありました。乙女の塔(
Kız Kulesi)で、18世紀に建てられたバロック様式の塔です。現在は塔がレストランになっており、イスタンブール観光地のひとつになっています。
塔には王女と毒蛇に関する話が伝えられ、伝説から「乙女の塔」の名称が付けられています。乙女の塔 建造物
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ドルマバフチェ・モスクです。出発した港に戻ってきました。夕方の6時半過ぎです。
ドルマバフチェ ジャーミイ 寺院・教会
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下船して、ホテル送迎用バスに向かいます。
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ホテル(The Ritz Carlton Istanbul)に戻ってきました。
10時間程のボスフォラス海峡のフル・クルーズでしたが、海峡の両側に散在するモスク、宮殿、城塞、漁村などを訪問し、海峡から両岸の景色を楽しむことが出来ました。ボスフォラス海峡に架かる全ての橋を通過し、黒海も見ることが出来ました。ツアーガイドから、種々のお話も聞くことができました。
「黒海」と呼ぶのは海水色が黒いのではなく、地殻変動でボスフォラス海峡が形成された際に、大量の水がマルマラ海から内海に流れ込んだ結果、内海の周辺陸地に住んでいた多数の人々が亡くなったことが由来だそうです。黒海の「黑」は死、不吉、悪を意味しているそうです。ガイドから教えて頂いた知識の一例です。
大変興味深いボスフォラス海峡のフル・クルーズでした。ザ リッツ カールトン イスタンブール ホテル
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