2018/07/08 - 2018/07/08
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旅人のくまさんさん
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福井城の前身は、柴田勝家公が築いた『柴田北ノ庄城』とされ、現在の『福井城』は、家康公の命により次男の結城秀康公がその後に築いた『結城北ノ庄城』とするのが定説のようです。今回は、『結城北ノ庄城』だけを見学しました。
- 交通手段
- 観光バス
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越前大野城の見学を終え、次は福井城見学です。福井城近くには適当なバス駐車場がないらしく、福井市内でバスを降り、福井城まで少し歩きました。バスを降りた直後の光景です。
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後を振り返ると、まだ観光バスが止まっていました。福井市内を走る緑色の市電も調度通りかかりました。福井鉄道が運営する福武線の路面電車のようです。見ることが少なくなった路面電車ですが、一部には復活の動きもあるようです。
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同じくバスを降りた近くで見かけたブドウの光景です。まだ緑の実の房ですが、順調に育っているようでした。歩道に面した民家での光景です。推測ですが、葡萄酒用の品種ではなく、生食用の品種のようです。
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福井神社の社殿光景です。明治維新の際、徳川親藩・譜代大名の尊王派の中心人物となった松平慶永(号・春嶽)を祀る神社です。昭和18年(1943年)に創建された、日本最後の別格官幣社です。元々の社殿は総檜造りでしたが、創建からわずか2年後の昭和20年(1945年)7月に第二次世界大戦の戦災で焼失し、昭和32年(1957年)に再建された総コンクリート造りの神社です。
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幅広で、横木が1本だけの独特の形をした、福井神社のコンクリート製の鳥居の光景です。福井大学工学部の五十嵐直雄教授の設計による、本殿と意匠が統一された、モダニズム様式の『二の鳥居』です。五十嵐直雄(1915~1982年)は、福井大学の学長も務めた建築家で、昭和13年の東大建築学科卒業の同期生には、丹下健三氏らがいます。
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イチオシ
英邁な藩主として知られ、幕末四賢侯の一人と謳われている、松平春嶽(1828~1890年)公像です。幕末から明治初期にかけての大名で政治家でした。第16代越前福井藩主です。因みに、幕末四賢侯の他の三賢侯は、土佐藩第15代藩主の山内豊信(容堂)、薩摩藩第11代藩主の島津斉彬と宇和島藩第8代藩主の伊達宗城です。『明治』の元号は、春嶽公が命名したとされます。
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現地で確認はできませんでしたが、金屏風を背景に、衣冠束帯姿で手に笏を持った松平春嶽公の肖像のようでした。春嶽公を御祭神とする福井神社の内部に飾ってあった絵の1枚です。ガラス張りの額でしたから、周りの映り込みが激しい写真になってしまいました。モノクロ写真で見ることができる春嶽公の顔に似ているようでした。
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こちらの文字額には『福井神社』のタイトルがありました。昭和18年に春嶽公を御祭神として創建された福井神社でしたが、昭和20年の戦火で焼失し、その債権がなったことでの奉納額でした。昭和41年9月、福井神社奉讃会長名での奉納でした。
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推測ですが、江戸時代の藩校での教育か、それに似た場面を描いているようでした。教える人の特定ができませんでしたが、春嶽公に一番縁が深いのは横井小楠(1809~1669年)当たりのようです。春嶽公が招請した熊本藩士です。明治2年、元熊本藩士に暗殺されました。
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福井神社の狛犬光景です。逆光での写真となってしまいましたが、口を開けた阿形の雄獅子です。なかなか厳めしい姿、顔付きでした。
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こちらは、もっと逆光での撮影になりましたが、一対になった吽形の雌獅子です。首周りの毛がふさふさとしていました。
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先に紹介したモダニズムの鳥居と違って、こちらはオーソドックスな姿の鳥居でした。こちらも福井神社の鳥居のようでしたが、戦災を免れたようです。
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『福井市指定天然記念物・福井神社のイチョウ』の文字が記された石標の光景です。福井市の天然記念物には、国指定の霰が小生息地1件、県指定のタラヨウ1件と、市指定の18件があります。その内の公孫樹の1件です。
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真下から見上げた、『福井市指定天然記念物・福井神社のイチョウ』の光景です。福井市のHPには、樹高22.7メートル、目通り3.6メートル、根周り3.8メートルと紹介されていました。右手に、モダニズムの鳥居が見える場所にありました。
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『別格官幣社・福井神社』の文字が刻まれた石標の光景です。昭和18年(1943年)に創建された神社で、これが日本最後の別格官幣社の指定となりました。かつての社格は、『別格官幣社・別表神社』です。
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お堀端の大樹の陰から眺めた内堀と本丸石垣の光景です。静かな水面位は、本丸の石垣と、本丸の樹木が写り込んでいました。石垣は、切込み接ぎではなく、打込み接ぎのようでした。
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これから向かう『御廊下橋』が前方に見えて来ました。福井城本丸の西面に架かる橋です。再建されたばかりの橋です。壁と銅葺の屋根を持った、お城としては珍しい橋です。
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イチオシ
内堀に架かる『御廊下橋』の光景です。江戸時代末期、松平春嶽公が、政庁だった本丸と西三の丸の御座所とを往復する時に、日常使われた橋とされます。『御廊下橋』の屋根と壁が、内堀の途中までだったのが、少し不思議でした。和歌山城の場合は、藩主が移動する姿を監視されないよう壁を設けたらしく、全長に亘って屋根と壁がありました。
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『福井城址・御廊下橋』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左上の写真は、明治初期に写されたものでした。説明文の中見出しは、『福井城と御廊下橋』と、『御廊下橋の復元』でした。
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西側から眺めた『福井城址・御廊下橋』の光景です。橋の途中に、観光用らしい船着き場が設けてありましたので、その影響で橋の全長に亘って、屋根と壁が設けられなかったのかと推測してみましたが、それは間違っていたようです。先程紹介した明治時代の写真にも、屋根と壁が付いた区間は限られていました。和歌山城のケースとは目的が違っていたようです。
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『御廊下橋』の手前、左手に見えていた、桟橋らしい箇所の光景です。水面に向かって下り勾配になっていました。係留した船の姿はありませんでしたが、小さな船用の桟橋のように見えました。廊下橋の目的ですが、これも推測になりますが、東西に架かる橋ですから、内堀を渡る冷たい北風や吹雪を避ける目的もあるのかも知れません。
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『福井城址・御廊下橋』の袂付近から眺めた内堀と本丸石垣の光景です。一見、整然と見える打込み接ぎの石垣ですが、この写真の左側3分の1くらいの場所に、かなりの膨らみが生じていました。これは、震災の影響ではなく、樹木の根や、水圧によるものかもしれません。
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『山里口御門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『山里口御門』は、築城当時から本丸の西側を守る枡形門として存在し、『廊下橋御門』や『天守台下門』とも呼ばれていたことが紹介されていました。寛文9年(1669年)の大火で焼けましたが、再興されました。武器庫などとして利用された櫓です。
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イチオシ
漆喰で真っ白に塗り籠められた、楼門様式の『山里口御門』の二階部分のズームアップ光景です。細長い縦方向の隙間を持った狭間が再建してありました。監視用と、弓狭間として造られたものに見えました。
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『山里口御門』付近の石垣のズームアップ光景です。補修されたらしい跡も見えましたが、綺麗な切込み接ぎでした。殊に、角の部分の算木積には、ことさら立派で大きな石が用いられていました。
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『山里口御門』の正面光景です。先に紹介した弓狭間らしい細工は、門の中央部に設けてありました。子の楼門の二階は、自由に見学できると案内されていあmしたが、残念ながら限られた見学時間ですから、そのタイミングを失しました。
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『山里口御門』の正面に向かって、左手方面のズームアップ光景です。弓狭間兼のぞき窓からの光景は、下からの眺めとは、まったく別世界にンz理想です。金沢城の石川門の楼門でも、その景色を経験しました。
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『山里口御門』の更に左手の二階部分のズームアップ光景です。守り優先らしく、弓狭間らしい細工は、十分な間隔を開けて設けられているように見えました。
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あまり高くない石柱に張り付けられた、『山里口御門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左下の写真が、城址西側から眺めた山里口御門の光景、右の写真が、その内部光景です。楼門二階は、自由に見学できることが紹介されていました。
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『山里口御門』の近くの石垣のズームアップ光景です。大きく膨らんでしまい、早急に手を打たないと取り返しがつかない状況にも見えました。福井震災の影響か、背後の土圧が高まって石垣が変形したのか、判断は付きませんでしたが、どちらかと言えば、震災の影響のようです。積み直しには、中途半端ではない資金が必要なようです。
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