2018/07/08 - 2018/07/08
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旅人のくまさんさん
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福井の続百名城巡り、越前大野城紹介の締め括りです。大野城築城当時の信長は、東海から北陸へのルートを岐阜城、郡上八幡城と越前大野城を統治下に置いて、信長包囲網を分断することを図ったとされます。
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越前城下町の寺町の紹介の続きです。左側の看板に『寺町』のタイトルがありました。北側が左側になる地図には、隣接するお寺が並んでいました。ネット情報では、六つの宗派の16箇寺が整然と並ぶ寺町通り』と紹介されていました。
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墓地の配置が記された薄い石盤の光景です。中央最上段に記されているのが、越前大野藩の第7代藩主で名君とうたわれた土井利忠公の墓です。土葬のため、石畳の上をお歩きくださいとの注意書きもありました。
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イチオシ
第7代藩主の土井利忠公を中心とした、土井家累代の墓の光景です。正面に見える大きな墓石が『柳涯墓』と記された利忠公の墓のようです。お寺とは公道を挟んだ場所にあった墓地でした。
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『浄土宗・光明山善導寺』の境内にあった鐘楼と梵鐘の光景です。先程の土井家累代の墓は、このお寺が管理しているようでした。
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真新しいコンパクトな石塔の光景です。『浄土宗・光明山善導寺』の文字が刻まれていました。創建年は永禄元年(1558年)、開山は大誉鏡山和尚です。
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南北に伸びる寺町通りを見学した後、次は東方面に向かって、結ステーションに向かいました。南北の寺町通りに別れを告げ、東方向に向かい始めた時の町並み光景です。
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長く続く、白壁と黒い板塀、その上の本瓦をp葺いた墓塀の光景です。その中に、六角堂のような建物がありました。残念ながら、細かなことは現地でもネットでも分かりませんでした。寺町の一角化、それに隣接する区域の光景です。
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山門前に旅姿の僧の像が建っていた、『浄土真宗本願寺派・紫雲山・浄勝寺』の紹介です。お寺の由緒書きによれば、寛永3年(1627年)松平大和守より領受し、西實法師が開基されたお寺のようです。
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『浄土真宗本願寺派・紫雲山・浄勝寺』の立札が建っていた立派な山門の光景です。重厚な扉にも彫刻が施されていました。『宝性院・暢道乃寺』の表札もありました。ネット情報では、創建年不明、御本尊は阿弥陀如来立像(安難作)と紹介されていました。
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手掘りの菊のご紋の光景です。花弁の数は40枚近くあるように見えました。皇室のご紋の十六八重表菊より花弁の枚数が多そうでした。重厚な扉に刻まれていた菊の紋です。
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少し雰囲気を変えて、この季節の『ガクアジサイ(額紫陽花)』の花の紹介です。通路に面したお寺の境内で咲いていました。白色系の装飾花を持った額紫陽花です。
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同じお寺で、通路に面した境内で咲いていた『ガクアジサイ(額紫陽花)』の花の光景です。こちらの装飾花は、紫色と、少し茜色が混じった紫色でした。
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越前大野の城下町の町造りの起点とされた場所に建つ、『石灯篭地蔵尊』の光景です。石灯篭の火袋の部分に小さな地蔵尊が祀られているようでした。この後紹介する由緒書きには、石灯篭通り1番町見付に、測量縄その他の用具が埋められ、その上に『石灯篭地蔵尊』が祀られたと紹介されていました。
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『石灯篭地蔵尊』のタイトルがあった石盤の光景です。少し拾い読みしますと、石灯篭地蔵尊の安置は、今を遡る4百余年、越前大野の城下町の縄張りの起点と紹介されていました。
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越前大野城の東側の城下町で、東西に長く伸びた大通りの光景です。今はがらんとして。赤い幟だけが彩りを添えていましたが、朝市が拓かれる『七間通り』のようでした。七間朝市は、400年の歴史があるとされます。赤い幟をズームアップしましたら、『七間朝市通り』の文字が読み取れました。
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『藩主隠居所』の表札があった建物の入口光景です。現在は、無料休憩所として使われていました。第7代藩主の土井利忠公は、文久2年(1862年)に病気を理由に引退し、家督を15歳の三男に譲りました。最後の藩主の土井利恒公(1848~1893年)です。どの時代の藩主の隠居所だったのかは、詳しくは分かりませんでしたが、利忠公の可能性が高いようです。
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隠居所の室内に展示してあった越前大野城のジオラマ模型の光景です。右上の白い部分が亀山で、赤いひものような表示が百間坂、その先に天守も記されていました。百間掘りを挟んだ手前側が城下町の町並みです。
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イチオシ
隠居所の中から眺めた庭の光景です。利忠公が使われた隠居所のようでしたが、この場所に移築された建物のようでした。厳めしさのない建物で、癒される思いがしました。混んでいないことも幸いしましたが、無料の休憩所としては、申し分がありませんでした。
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質素な造りの枯山水の庭の光景です。推測になりますが、利忠公の生前の気質、生きざまを踏まえて、質素に拵えられたものかもしれません。小さめの飛び石が並んだ石庭でした。
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質素な造りの隠居所の室内光景です。畳み敷きの部屋に上がることができあmした。普段の手入れが良く行き届き、この場所を使用されていた地元のお子さん達も、しっかりとルールを守って利用されているように見えました。
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最後に見学したのが、旧内山家の武家屋敷でした。入場する時間はありませんでしたから、外回りの光景の紹介です。先ほど見学した『藩主隠居所』から至近距離にありました。内山家の祖先は、越前大野藩の財政立て直しのために、藩主の土井利忠から抜擢された内山兄弟です。兄の七郎右衛門(しちろううえもん)良休と、弟の隆佐(りゅうすけ)です。
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『武家屋敷旧内山家案内図』のタイトルがあった、観光案内図です。母屋を中心に離れと四つの蔵などが広い敷地内に記されていました。その一角が駐車場にもなっていました。内山兄弟の紹介を続けます。兄の良休は、藩の直営商店の『大野屋』を開設、銅山経営など経済面で手腕を発揮し、多額の借財に苦藩しんでいた藩財政を立て直しました。万延元年(1860年)、家老職に就きました。
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外側から眺めた、旧内山家の武家屋敷の光景です。兄の良休は、廃藩後も士族の救済を図るなど活躍し、明治14年(1881年)に75歳で亡くなりました。武家屋敷旧内山家は、2人の遺業を偲ぶため、後の内山家の屋敷を解体復元し、保存したものです。
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イチオシ
案内図には、『新蔵』と記された建物光景です。頬杖で軒先を支えた、この地方独特の造りです。雪対策とお聞きしました。弟の隆佐(りゅうすけ)は、蝦夷地開拓の推進、洋式帆船『大野丸』の建造、蘭学の振興、軍備の刷新等を行いました。文久3年(1863年)、家老職と軍事総督を命じられましたが、家老職を辞退しています。翌元治元年(1864年)、52歳で病気で亡くなりました。
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生垣の外から眺めた、旧内山家の建物光景です。母屋と渡り廊下で繋がれている離れは、大正時代に建てられたもので、切妻造りきりづまづくり平屋建ての数奇屋風書院です。門の脇には味噌蔵、南西端に米蔵、その北に隣接して衣装蔵があります。衣装蔵と米蔵は頬杖で軒先を支えた、この地方独特の造りです。雪対策とお聞きしました。
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母屋は明治15年(1882)ごろ建てられました。1階は座敷・仏間・1間間口の式台のある次の間(それぞれ8畳間)、6畳間、ニワ(玄関)、4畳間、台所があります。2階は段差をつけた10畳間2室と2畳間、物置があります。屋根は現在は瓦葺きですが、元は板葺きだったことが復元修理の段階で判明しました。
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七夕飾りがあった出入口脇の光景です。その脇に『まちなか博物館』の立看板がありました。越前市のHPでは、『越前市の「まちなか」を歩くと、数多くの寺社仏閣、古い建物や商いのある風景に出会います。その中の20の建物等を「府中まちなか博物館」に指定し一般公開しています』と紹介されていました。旧内山家の建物は入っていなかったようです。
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時間となりましたので、再集合場所のバス駐車じぃおうに向かいました。その途中の光景です。百間堀越しに眺めた、『明倫』の石碑と建物の光景です。
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再集合場所のバス駐車場から眺めた、結ステーションの建物光景です。シックな造りの長い瓦ぶきの屋根です。『北陸の小京都』と呼ばれる越前大野城下の町並みの一部になっていました。
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最後に紹介する、結ステーション前の『時の鐘』の光景です。時計の針は午後の2時10分頃を指していました。次は、2箇所目の福井県の続日本百名城の福井城に向かいます。福井県では、今回見学した二城のほか、佐柿国吉城と玄蕃尾城を含めて四城が続日本百名城に選ばれました。
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