2018/07/08 - 2018/07/08
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旅人のくまさんさん
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福井県の続百名城巡りです。138番の越前大野城と137番の福井城の見学です。どちらもすでに見学したことがある名城ですが、続日本百名城に指定されてからは初めてです。厳しい天気予想の中での出発となりました。(ウィキペディア、続日本百名城公式ガイド)
- 交通手段
- 観光バス
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現地集合場所の名古屋駅前の光景です。梅雨末期の大雨が降り続き、集合場所での催行中止を覚悟をしてのバスツアーでした。当初予定された東海北陸自動車が通行止めとなり、少し西を回って福井に向かうことになりました。岐阜県が大雨警報、京都方面も大雨予想の中で、その間を縫うようにして名神高速道から北陸自動車道に乗り継ぎ、琵琶湖東岸を日本海側に向かいました。(同上)
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木曽三川を超える時の光景です。木曽三川は、東側から木曽川、長良川斗揖斐川が南に流れ、伊勢湾に注いでいます、最初の木曽川の光景です。予想通りの高水位になっていました。いつ降り出してもおかしくないような空模様でした。期待できたのは、日本海側が天候回復の天気予報があったことです。(同上)
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木曽三川は、名神高速道路で越えました。手元の地図で確認しますと、この木曽川が、愛知県と岐阜県との県境となっていました。伊勢湾に注ぐ河口からは、北に?キロほどの地点になるようでした。愛知県側が一宮市、岐阜県側が羽島市になるようです。(同上)
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次に渡った川が長良川になるようです。河口から20キロ近くは、木曽川と長良川は狭い間隔で並行して流れていますが、その上流ではその間隔が広がり、この辺りでは5キロほどの距離でした。こちらでも、堤防が隠れてしまうような川の水位でした。長良川は、この辺りでは岐阜県の羽島市を通っています。(同上)
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同じく、堤防が隠れてしまうような水位の長良川の光景です。木曽川も長良川も鵜飼いで有名な1級河川です。堤防敷きはすべて冠水しているようでした。(同上)
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イチオシ
最後に越えた木曽三川の一つ、揖斐川です。田圃も一部冠水しているようでした。大垣城は、この辺りからおよそ5キロほど北に位置しています。明治29年(1896年)7月21日の大洪水では、岐阜県下全域に大被害を及ぼし、最大の湛水深さは14尺(4.2メートル)にも及び、大垣城天守の石垣も途中まで水没しました。(同上)
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同じく、田畑も冠水した揖斐川流域の光景です。揖斐(いび)川は、岐阜県、三重県を流れる木曽川水系の一級河川で、木曽三川の一つです。愛知県内を流れてはいません。岐阜県内の豪雨の影響のようです。(同上)
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名神高速道路を西向きに走り、米原インターチェンジから北向きの北陸自動車道に乗り換えました。この光景は、まだ名神高速で関ヶ原を超えた辺りか、あるいは北陸自動車道に入って間もない区間だったかもしれません。山裾近くまでを覆った雲が続いていました。(同上)
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同じく、不安定な空模様が続いていました。順調な走行で、越前大野城への最後の休憩所は、賤ケ岳サービスエリアになりました。滋賀県長浜市にある北陸自動車道のサービスエリアです。(同上)
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北陸自動車道の賤ケ岳サービスエリアに到着しました。コース変更になったおかげで、琵琶湖東畔の長浜城に始まり、小谷城、この賤ケ岳古戦場近くを通ることができました。『賤ヶ岳の合戦』は、本能寺で信長が亡くなった後に、豊臣秀吉と柴田勝家が主導権を争い、秀吉の勝利に終わった戦いです。大正11年(1583年)4月に争われました。(同上)
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バスツアーに参加しての福井県の2箇所のお城巡りですが、昼食はレストランではなく、仕出し弁当でした。お馴染みの仕出しやさんの『彩り弁当』です。お茶もセットでしたが、小さな白ワインを用意して来ました。(同上)
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この日の『彩り弁当』の中身の紹介です。白ワインの摘みになりそうな料理がいくつかありました。揚げ物ばかりの弁当に比べれば、大満足です。賤ケ岳のサービスエリアを出発し、越前大祐に到着する前の車中で戴きました。(同上)
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麓から見上げた、越前大野城の天守の光景です。最近は雲海に浮かぶ天空の城としても有名です。その魁(さきがけ)は日本百名城の竹田城でした。今では、竹田城、越前大野城と備中松山城が天空の三名城と呼ばれるようになりました。このほかに、郡上八幡城と赤木城を加えて、天空の五名城とも呼ばれているようですが、天空の城候補は、15城ほどあるようです。(同上)
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越前大野城の天守部分のズームアップ光景です。天正3年(1575年)、織田信長は、金森長近と原清茂の両名に命じて、大野郡の一向一揆を収束させました。その恩賞として、 大野郡の3分の2を長近に、3分の1を政茂に与えました。 長近は程なく亀山に平山城の城郭と、その東麓に、後に『北陸の小京都』と呼ばれる城下町をつくり始めました。大野藩の始まりです。(同上)
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イチオシ
季節と天候によっては天空の城となる、更にズームアップした越前大野城の天守の光景です。右が再建された大天守、左が小天守になります。金森氏による創建当時の大野城は、本丸に望楼付き2層3階の大天守、2層2階の小天守、天狗櫓などを置き、麓に二の丸、三の丸があり、二重の堀と川をつないで城を守っていました。(同上)
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結ステーション前の広場に設置された大きな時計塔の光景です。かつての除夜灯か灯台のようなデザインでした。大野市の公式HPによれば、『シンボルモニュメント時鐘(ときがね)は、大野市を訪れる来訪者の「ランドマーク」』と粗油買いされていました。また、高さ約10メートルの木造建築は、『金森長近公が晩年治めた、岐阜県美濃市にある長良川の上有知湊(こうずちみなと)の川湊灯台(かわみなととうだい)をモデル』とも紹介されていました。(同上)
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イチオシ
結(ゆい)ステーション前の時計塔、『時鐘(時がね)』と、その左背後に見える越前大野城の天守光景です。時計搭には、電波時計が4面に取り付けられていて、その上に、かつて消防用に使われていた実物の半鐘が吊り下げられています。(同上)
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6箇所が案内されていた道案内標識の光景です。上から、左向きの矢印が御清水と朝倉義景墓所、右奥向きが七間朝市と寺町、二段目の左向きの矢印が越前大野城、
右向きの大きな表示が城下町東広場でした。(同上) -
破風の部分に掲げられた大きな看板の光景です。左から読んで『結楽座(ゆいらくざ)』の文字が認められていました。戦国時代の『楽市楽座』に因む命名のようでした。(同上)
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三方向に記された、観光案内標識の光景です。右向きが七間朝市と寺町、左向きが越前大野城、手前向きが御清水と朝倉義景墓所でした。(同上)
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『大野藩洋学館跡の碑』のタイトルがあった石碑の光景です。蝦夷地や樺太の開発を目指す大野藩は、西洋技術の習得と実践を目指していて、安政3年(1586年)、この地に蘭学館(後に洋学館)が建設され、生徒が全国から集まるようになりました。教授として招かれたのが、緒方洪庵の適塾で学んだ伊藤慎藏でした。(同上)
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『伊藤慎藏先生顕彰碑』のタイトルがあった、御影石を使った真新しい記念碑の光景です。セピア写真を素材にしたような肖像と功績の紹介文でした。緒方洪庵(1810~1863年)の適塾に学び、後に塾長、大野藩主の土井利忠公に請われて大野藩の洋学館の教授を務めた人です。(同上)
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かつての越前大野城の外堀跡の光景です。そのコーナー部分です。『百間掘』とも呼ばれたようです。堀の内側は、現在は学びの里『めいりん』です。(同上)
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約2万坪の土地を利用して平成18年(2006年)9月に建設された、学びの里『めいりん』とその周りの『百間掘』の光景です。小学校と公民館、生涯学習センターの機能を併せ持つ福井県初の複合施設とされます。(同上)
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少し場所を変えて撮影した、学びの里『めいりん』とその周りの『百間掘』の光景です。『めいりん』の呼び名の由来は、幕末の大野藩が人材育成に開いた「明倫館』とされます。(同上)
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学校の周りの池の行止まり付近の光景です。その傍にあった立札は、『越前大野城・感性はがき展』の作品展示でした。この作品には18番の番号が付されていました。この後も紹介しますが『水』がテーマでした。(同上)
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『大野中学校・大野高等学校跡の碑』の文字が刻まれた石碑の光景です。大野高等学校の創立百周年を記念して平成17年(2005年)に建てられたものでした。大野中学校は、明治38年(1905年)に創立された旧制中学校のことでした。(同上)
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右手に見える、『越前・大野城登り口』の案内標識と、その横にあった石垣の上の屋根付き看板の光景です。『お馬屋池の由来』のタイトルがありました。境内に残った、かつてのお堀の一部だった池の由来説明でした。(同上)
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ややこしい矢印表示があった五方面への道案内標識の光景です。上から民俗資料館、越前大野城、御清水、武家屋敷の内山家と田村家、それに結ステーション方面でした。ややこしい矢印表示でしたが、下に地図が表示されていました。(同上)
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半ば削り取られた『県社』と、『柳廼社』の文字が刻まれた古い石標の光景です。亀山山麓にある『柳廼社( やなぎのやしろ)』 は、大野城が聳える亀山山頂への登山口ともなっています。柳廼社は明治15年(1882年)、大野藩第七代藩主、土井利忠(1811~1869年)により建立されました。現在地に移転したのは明治44年(1911年)のことです。(同上)
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