2018/05/27 - 2018/06/21
17位(同エリア178件中)
小心者さん
この旅行記のスケジュール
2018/06/01
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リヴィウバスステーション
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バスでの移動
リヴネ行きミニバス
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Dubnoバスステーション
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徒歩での移動
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Hotel Dubno
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レストランDubno
2018/06/02
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Dubno Castle
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レストランDubno
2018/06/03
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Dubnoバスステーション
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バスでの移動
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タラカノフ要塞
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バスでの移動
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Dubnoバスステーション
2018/06/04
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徒歩での移動
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Dubno 街歩き
2018/06/05
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Dubnoバスステーション
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バスでの移動
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バスでの移動
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バスでの移動
1404番マルシュルートカ 23グリブナ
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バスでの移動
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この旅行記スケジュールを元に
ドゥブノにある『タラカノフ要塞』は18~19世紀の軍事施設。
主に『リヴィウーキエフ』間の鉄道を防護する目的で造られたが、いろんな伝説を持つ謎めいた場所だ。
ここが、ウクライナで最も訪れたかった場所。
けれどドゥブノという街の情報がなかなか得られなくて、かなり不安だった。
リヴィウで何度か「次の滞在先はキエフ?」などと尋ねられ、「ドゥブノです」と答えると、「どこそれ?」とか「何のために?」とか「行ったことない」とか返され、ますます不安が膨れ上がった。
でも…心細さこそ一人旅の醍醐味ですもの(ビブラート気味)
【旅程】
□05/27 出国 機内泊
□05/28 リヴィウ泊
□05/29 リヴィウ泊
□05/30 リヴィウ泊
□05/31 リヴィウ泊
■06/01 ドゥブノ泊
■06/02 ドゥブノ泊
■06/03 ドゥブノ泊
■06/04 ドゥブノ泊
■06/05 夜行寝台列車
□06/06 キエフ泊
□06/07 キエフ泊
□06/08 キエフ泊
□06/09 キエフ泊
□06/10 キエフ泊
□06/11 夜行寝台列車
□06/12 カーミャネツ・ボディリスキー泊
□06/13 カーミャネツ・ボディリスキー泊
□06/14 チェルニフツィ泊
□06/15 チェルニフツィ泊
□06/16 夜行寝台列車
□06/17 コーベリ泊
□06/18 夜行バス
□06/19 ワルシャワ泊
□06/20 機内泊
□06/21 帰国
□06/22~ 床に臥す
為替レート:1グリブナ≒4円
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
リヴィウ14時発のリヴネ行きミニバスは高速道路をひた走り、いくつかの街に停車し、17時半頃にDubnoのバスターミナルに到着。
鉄道ではなくバスを選んだのは、到着時刻が早いのと、バスターミナルと宿泊するホテルが近いから。
料金は、2等なら電車の方が安くて約半額。
(バス料金 155グリブナ) -
バスターミナルから1キロほど歩いて、『Hotel Dubno』に到着。
立派そうに見えるが、老朽化が進み、内部大規模修繕工事中。
宿泊費は驚くほど安い。 -
エコノミーツインルーム(シャワー・トイレ共用)、1泊なんと150グリブナ(約600円)。
リヴィウのドミトリーより安い。
英語は全く通じないが、ホテルの人は親切で、わざわざ部屋までシャンプーと石鹸を二泊分持ってきてくれた。 -
何やら体調が良くないので、外出はせずにホテルのレストランで夕食。
メニューはもちろんウクライナ語オンリーだが、写真があって助かった!
が、写真があっても得体の知れないものが多く、結局無難にボルシチ(35グリブナ)。
一緒に出されたガーリックトーストがめちゃくちゃ美味しかった! -
翌朝。
どうも風邪を引いたらしく(虚弱すぎ)、栄養をつけようとガッツリ朝食を。
…と思ったが、こんなに食べられるワケもなく…。
朝食はいろいろ種類があり、これが一番高くて40グリブナ(160円)。
ウクライナ万歳! -
『タラカノフ要塞』の情報を得るべく、観光案内所がありそうな『ドゥブノ城』へと向かう。
これはその途中にあったカエルのモニュメント。
土台の周囲になんとも情けない表情の男性の顔が3つ(それぞれ別人)。
なんすかコレ? -
お城近く。
立派な像はあるが、インフォメーションなどどこをどう探してもなさげ。
ついでに、ここでは英語はほぼ100%通じないと思ったほうがよさげ。 -
何もしてないのに身体がだるく、どうやら風邪菌がウハウハ増殖中らしい…
なぜか吹奏楽団がいたので、建物の窓枠に腰掛けて拝聴する。
あまりにも言葉が通じず、体調も悪化しつつあり…メンタルがヘロヘロ。
しかし音楽は世界共通! 音楽って偉大!
おかげさまでちょっと元気になった。
でも拍手したら変な目で見られた…汗
後で知ったが、これは本番前の音合わせだったらしい。 -
誰ともコミュニケーションがとれず泣きそうになっていると、女性(後から知ったが先生)がジェスチャーで『城のカッサに行きなさい』と。
で、近くにいた生徒さんに案内を頼んでくれた。
かわいい彼女に連れられ、お城の入場券売り場へ。
そこでしばらく待つように言われる。
15分ほどすると一人の学芸員らしき男性がやって来て、英語で
「ドゥブノ城の歴史について学びたいのですって?」
と言われる。
ホントすみません。ちがいます。
でもついに言葉が通じる人に出会えた!!!!
男性は親切に要塞への行き方を説明してくれ、メモも書いてくれ、
「少し危険な場所だけれど、明日は日曜日だから他にも観光客がいるはず。彼らに付いて行くといい。万が一帰り方が分からなかったら、最悪、ドゥブノ駅まで6キロほど歩いて(え?)そこからバスに乗りなさい」
と教えてくれた。 -
「行けないかも」と弱気になっていたが、この方のおかげで何となく行けそうな気がしてきたぞ!
-
先程ここまで案内してくれ、あれこれ世話を焼いてくれた生徒さんにお礼を言いたくて、彼女を探しに戻る。
これも後でわかったことだが、城入口の前にあるここは芸術学校で、今日は発表会が行われていたのだった。
さっきとは別の先生がジェスチャーで舞台を観ていくよう勧めてくれ、せっかくなのでお言葉に甘えて楽器演奏や歌、ダンス、劇などを楽しむ。
もちろん芸術学校だけにそれぞれレベルが高い。
そして、最後はプロのゲストによるコントと民族舞踏『ゴパック』。
会場大ウケのコントは全く蚊帳の外だったが、男女総勢20人ほどのゴパックが素晴らしくてめちゃくちゃ感動した。
ずっと口を開けて見とれていたので、写真すら撮れなかったことが残念。
興味ある方はぜひ『Гопак(ゴパック)』でお調べください。 -
発表会終了後、仲良くなった生徒さんたちと記念撮影をしていると、英語が話せる先生(すごい美人)が登場。
フレンドリーな彼女から
「要塞に行くなら、手前に真っ暗なトンネルがあるから懐中電灯が必須よ。地下は本当に危ないから気をつけて。以前に男性が穴に落ちて亡くなったの」との情報を頂く。
更に、この時点では行くつもりのなかった『愛のトンネル』を猛烈に勧められた。
彼女「ロマンチックですっごく美しいところだからぜひ行ってみて!」
私 「でも、蛇も蚊も大の苦手で…」
彼女「蛇はいないわよー。蚊はスプレーしていけばそこそこ大丈夫(しらんけど)」
私 「…か、考えておきます」
電話番号とFacebookを教わり、お別れ。
正直言うと、午前中くらいまで、あまりの心細さに「ドゥブノに来たのは失敗だったかも」としおしおだった。
好意的な人々に恵まれた観光客いっぱいのリヴィウから一転、この絶望的に言葉の通じない小さな街へ。
人々は決して冷たくはないけれど、話しかけると手を振って避けられることも多く、些細な情報すら全く得られず…要塞に行ける確証も持てず…
でも今日の素晴らしい出会いのお蔭で、そんなネガティブな気持ちはキレイに消えた。 -
翌日。遺憾ながら体調は更に悪化。
栄養をつけようと今朝もレストランへ。
本日は控えめにトマト添えオムレツ。
…って、これも結構な量だな。
昨日学芸員のお兄さんに行き方を教わり『行ける気』になっていたが、今朝になってまたぞろ不安になってきた。
近くで若いカップルが朝食を摂っていたので、念押しのために要塞のことを尋ねてみる。
英語は通じなかったが、若い人は『スマホ』という文明の利器を持っている!
女性が地図で調べ、翻訳機能を使って説明してくれる。
そして一旦別れた後に、バス停名を書いたウクライナ語のメモをわざわざ持ってきてくれ、「要塞では足元に気をつけて。よい一日を」と書かれた翻訳画面を見せてくれた。
優しさに感動! -
この体調でキエフへ移動するのは無理ゲーなので、フロントで延泊を申し出る。
が、ちょっと高いトリプルルームしか空いてないと言われる。
ツインでも無駄なのに、更に無駄なトリプルルームへ。
エコじゃないのう。
写真は、ホテル隣のスーパーマーケットの隣の教会。
日曜ミサを入口で見学していると、売店の女性が出てきて中に引っ張り込まれた。 -
体調は不安だが、タラカノフ要塞へ向かう。
『危険だ』と繰り返されてビビっているので、観光客のいそうな日曜日を外す勇気はない。
まずは一昨日降り立ったバスターミナルへ。 -
どの街にもあると思える『タラス・シェフチェンコ像』
-
街のランドマーク(かも)『Lutsk Gate』。
建物横の歩道には、落下物用の屋根がある。
でも、この薄い板ごときが石の落下物に耐えられるのかすこぶる不安である。 -
そろそろ修復が必要だと思われる。
私はもちろんこのままの方が好きだが。 -
まぁまぁの苦戦の末、どうにか要塞最寄りの停留所までたどり着くことができた。
ラッキーだったのは、要塞への分岐点近くにあるレストランの人が一緒だったこと。
とても親切な女性で、わざわざ英語を話せる友人に電話してくれ、その電話を手渡された。
ここでも
「危険だから気をつけて。暗い所を歩かないようにね。以前に男性が落ちて亡くなったの」
とアドバイスされた。
レストランの前で彼女から「次の道を曲がるのよ」と教えられ、お別れ。
ありがとうございました。 -
次の道って…まさかこれじゃないですよね…?
(ちがいました)
さらっと書いているが、実は1キロほど先の要塞入口に着くまで
「本当はあの畦道が正解だったのでは?」という不安に苛まれ続けた。
ウクライナでは畦道だって『一本』に数えるかもしれないし。
尋ねようにも人っ子一人歩いてないし。 -
森の中の道を、誰にも会わないまま1キロほど進む。
もしさっきの畦道が正解だったとしたら、またあそこまで戻らないといけないという不安でいっぱいだった。
たどり着いた小さな広場には車が停まっていて、そばに男性がいたので「要塞はここですか?」と勢い込んで尋ねる。
彼は少し英語が話せ、「そうだよ。懐中電灯持ってる?」と。
おぉう!しまった!
すっかり忘れてました!
(°_°) ←こんな顔をしていると、彼が要塞まで連れて行ってくれると言う。
事前の情報で
『休日には入口広場にガイドがいるので、地下を探検したいなら必ずガイドをお願いすること。個人で入るのは絶対に危険』
と聞いていたので、この人の好さそうな男性ガイドさんに料金を尋ねてみる。
すると「要らないよ」との答え。
なぜか広場でマグネットを売っていた彼の奥さんも一緒に、要塞へ向かう。
要塞へと抜けるトンネル(約100M)は本当に真っ暗で、一人だと絶対に歩けなかった。 -
ついにやって来ました、タラカノフ要塞!
-
感動!
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管理も保護もされてなく、朽ちるに任せてある。
-
二階建ての建物の周囲をぐるりと回る。
こちらの建物は状態がいい。 -
兵士の寝室や病院、貯水槽などを指さして教えてくれる。
-
とても大きな窓
-
アーチの連なる美しい場所も
-
地下も案内してくれた。
地下はもちろん真っ暗闇で、ところどころ階段もあり、たとえ懐中電灯があったとしても危険な雰囲気だった。そして、めちゃくちゃ寒かった。
写真は一枚もないが、兵士のための食堂や礼拝室?など、大きな柱に支えられた多くの部屋があった。微かに光が射し込む部屋やカフェもあった。
1900年頃のオスマン兵の落書き(?)も見ることができた。
また、奥には木片などで塞がれた深い井戸があり、彼が懐中電灯で照らしてくれた。
男性が落ちたというのはこの井戸かな、とゾッとした。 -
要塞を見下ろせる丘にも連れて行ってくれた。
-
その後、彼は「帰りは妻に連れて帰ってもらって」と言いおいて入口広場へ戻っていった。
(しばらく後に、10人くらいのグループを引率する彼と出会った) -
本音としては一人でじっくり散策したかったが、あの真っ暗なトンネルを一人で抜けるのは絶対に無理なので、帰りもお世話にならざるを得なかった。
-
そして、奥さんは懐中電灯もスマホも持ってなくて、二人で団子状になってナメクジ並のスピードで闇のトンネルを抜けるという貴重な体験もできた(ものすごく怖かった)。
広場に戻ると、来た時はなかった簡易カフェが開店し、太鼓を叩くおじさん達や別のガイドさんが出現していた。
私が訪れた午前中はほとんど人がいなくて、多分ガイドしてくれた男性もまだ『準備中』だったのだろう。
そして、観光客は大抵グループでやって来るので、私のような一人客をガイドしても大したお金にならないのだと思う。
英語のガイドさんではないということもあったのだろう。
とにかく私はラッキーだったと思う。
せめてものお礼に、広場で奥さんからマグネットを購入させて頂く。
よくよく見ると、ただの写真の裏にマグネット片を貼り付けただけの代物だったが、これもいい思い出だ(ついでに市価の倍)。 -
森の中の道を抜けて幹線道路まで戻る。
途中、背後から車がやって来て「50グリブナでドゥブノの街まで行くけど?」と声をかけられた。
正直心が動いたが、ちょっと怖そうな男性だったので遠慮しておく。
嫌というほど生きてきた自分の勘を信じることにしているが、もちろん嫌というほど頭を打ちます。 -
(風邪と暑さで)フラフラしながらも墓地には立ち寄る。
-
生花と造花が咲き乱れる美しい墓地。
-
来る時お世話になった女性のレストランに立ち寄る。
ランチを頂こうと思ったのだが、貸切パーティの準備中で休業だった。 -
彼女が出てきて「コーヒーでも?」と言ってくれたのでお願いする。
財布を出すと、「プレゼントよ」と笑う。
ウクライナ人、半端ねえ! -
放し飼いの鶏に絡みながらバス停へ。
帰りは、電話で教わった通り『リヴネ行き』のバスを捕まえてバスステーションへ戻る。
少々心残りはあるが、多くの人々の優しさがなければ行けなかったと思うので、どれだけ感謝しても足りない。 -
バスステーションからホテルへ向かって歩いていると、子供から「ドブリー」と挨拶された。
まさか私に言ってるとは思わなくて、危うく無視するところだった。
ありがとうね。
写真は途中の教会。
要塞を歩いている時はテンションが上がっていたが、それでもずっと微頭痛と熱っぽさと目眩を覚えていた。 -
なんだかちょっぴり意識が朦朧としてきたような…
これはヤバイかもしれないぞ。
ホテルに戻って明日の夜も泊まりたいと申し出る。
今度はツインルームが空いていた。
明日は一日ホテルで休養しようと決める。 -
まだ16時頃だが、今日ももう部屋で休むことに。
隣がスーパーというのが非常にありがたく、買物してホテルへ帰る。
スーパー内ベーカリーのクリームパン、惣菜売場のピラフ、イチゴとチェリー少々、ペプシチェリー500ml(チェリーが被っとる)。
コレ全部で約150円…。ウクライナ万歳!
そして、引きこもり準備万端! -
洗面所で果物を洗っていると、通りがかったスタッフの女性が
皿とプラスチック製コップを持ってきてくれた。
なんかもう、ホントに皆さん親切なんだよね。 -
夜、一階のレストランに行くと『貸切パーティー』開催中。
ウクライナの人はパーティーが好きらしい…。
仕方ないので隣のスーパーへ。
ヴァレニキとロールキャベツとコールスローを少しずつ。
面倒くさい客だと思うが、惣菜コーナーの女性は嫌な顔ひとつせずに相手してくれる。
奥からじゃがいもを持ってきて、「ヴァレニキの中身はコレよ」と教えてくれる。
これ全部で約65円。
…何かおかしいと思う。 -
翌日。
ものすごく寝たらずいぶん元気になっていたので、
「ちょっとだけー」と街歩きに出かける。
ここはGoogle-mapでは『シナゴーグ』となっていたが、行ってみたら『シナゴーグの廃墟』だった。わくわく。 -
屋根を修復している様子。
-
窓から中をガン見していると、作業中のおじさんに見つかった。
-
おじさんがニコニコと「ここはシナゴーグだよ」と教えてくれる。
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わざわざ手を止めて写ってくれた(屋根の上の)おじさんたち。
なのに米粒みたいにしか写せなくてごめんなさい。 -
中もえらい状態になっているが、ぜひ保存してほしい遺産だと思う。
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街の中心と思われるエリアへ。
ここは多分ネットカフェ。 -
カトリック教会
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中に入ると、神父さんが
「ウクライナ語とポーランド語しかないけど、どうぞ」
と、パンフレットを勧めてくれた。 -
-
発音してみてほしい。
ウクライナでは寿司が人気らしく、スーパーには 漢字で『北海道』と書かれた手巻き寿司セットが売られていた。 -
カフェスタンドでカフェラテを注文。16グリブナ。
おにいさんがきちんと入れてくれるコーヒーはとても美味しい。 -
ホットでもストローの刺さった状態で渡されるが、意外と飲みやすく、これいいかも。
-
噴水のある公園のベンチで頂く。
こういうのんびりした時間が、最も「贅沢だなー」と実感する。 -
更に元気になったので、もう少し散歩。
橋が国旗の色に塗られている。 -
素敵な廃屋(?)発見!
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城の北にある公園。
この左側はアスレチック公園。 -
難易度高そうだし、病み上がり(まだ上がってない)だし、さすがに遠慮しておく。
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橋からの眺め。
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ドゥブノ城も見学しようと思ったが、小さな子供たちの集団が絶え間なく入場していくので遠慮しておく。
入口の案内によると子供向けのエキシビションが多く、ちょっとしたテーマパークのような雰囲気だった。 -
お城の入口正面のこの建物が、初日にお世話になった芸術学校。
夏休みに入り、今は閑散としている。
もしもドゥブノに来るのが一日でも遅かったら、あの素敵な出会いはなかったんだな。 -
一旦ホテルへ戻り、
-
また隣のスーパーで惣菜とパンとジュースを買って、遅い昼食。
-
1泊600円のツインルームには、ちゃんとテーブルセットもある。
体調も良くなったので、明日キエフに向かうことに。
昼間の移動も考えたが、『夜行』好きなので寝台列車の予約を試みる。
ドゥブノ→キエフ間は空席なし。
リヴネ→キエフ間は辛うじて通路側の上段が3席ほど残っていたので、それを押さえる。
通路側上段の寝台があれほど過酷だと知っていたら、昼間の移動にしただろうな…。 -
Google-mapで面白そうな公園を見つけたので行ってみる。
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木製彫刻が点在する『Park Imeni Tarasa Shevchenka』
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生えていた樹木を削ってあるっぽい!
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すごいなぁ。
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しかも、なかなかハイレベル。
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子供の遊びは世界共通だ。
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ファスナーを開けたら動物がギュウ詰めとか…
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かなりの大作。
3つの頭を持つ竜に乗った子供。
あんまり期待せずにやって来たけど、思いの外楽しいぞ! -
これなんかもう何が何だか!
-
子供を遊ばせていた若いご夫婦から「キタイ(中国)?」と尋ねられる。
昨年訪れたコーカサスでは『日本人』だと答えると歓迎してくれる人が多かったが、ウクライナではそういうことはなく、「遠くから来たのね」と言われるのみ。
中国だろうが韓国だろうが日本だろうが、おそらく同じ反応が返ってくると思われる。
ちょっと寂しい気もするが、妙なプレッシャーがなくて気楽でもある。
フレンドリーな彼らと記念撮影し、ホテルへ向かう。 -
帰り道。
前から来た男の子(悪ガキふう)に、すれ違いざま日本語で「コンニチハ」と言われて驚愕する。
思わず振り返った私に親指を立てて笑う。
なぜあなたは日本語を? そしてなぜ私を日本人だと? -
ホテルの窓から眺めるサンセット。
もうすぐ21時。
来た時はとてもよそよそしく感じたドゥブノだが、4泊もすると愛着も湧き、親切な人々にも癒やされ、明日去るのがとても寂しい。
…泣きそう。 -
お世話になったレストランへ。
灯りが少ししか点いてなくて、いつも薄暗い。 -
写真では『ワラジ』にしか見えなかったメニュー。
片言の英語ができる若い女性スタッフから『チキンカツ』だと教えてもらったので注文した。
ものすごく大きいが、鶏肉はぺったんこに伸ばしてある。
それでもものすごい量。
半分ほどでギブアップしたら、「部屋に持って行きなさい」とお皿に入れ替えて持たせてくれた。 -
翌朝。
レストランでの最後の朝食。
写真で『シリアル+ミルク』だと思って注文した。
が、苦手なオートミール的なものだった。
しかも熱々…こらあかん。 -
喉が痛むのでキャンディを買いにスーパーへ。
近くに立っていた怖そうな警備員のおじさんに「これって飴ですか?」と尋ねると、無表情でその袋をモミモミ揉みまくり、「キャラメル」と一言。
そして他の袋を次々と揉みまくったのち、「キャンディ」と言って、無表情でこれを手渡してくれた。
お礼を言ってつい手を振ると、そのまんまの無表情で手を振り返してくれた。
…恋をしそうになった。 -
12時にホテルをチェックアウトしてバスステーションへ。
しかし、切符売場に人はいなくて数人が困ったように佇んでいる。
覗いてみると、奥で窓口係のおばさんがのんびり食事中。
結局30分ほど皆と一緒におとなしく待って、ゆったり戻ってきたおばさんからチケットを購入(バスの中でも買えると思うが、どうしても不安で)。
ドゥブノ→リヴネ:39グリブナ。
タラカノフ要塞に行った時とは違い、『リヴネ』という表記は読めるのですんなり乗車。
バスはリヴネの郊外バスターミナルに到着。
64番の市内バスで鉄道駅へと向かう。
実は、この時点でも『愛のトンネル』に行く決心はついてなかった。
とりあえず飲み物を買うために立ち寄った駅前のスーパーマーケットで、入口のロッカーに荷物を預けたのだが。
「このまま荷物を置かせてもらえたらトンネルに行ってみようかな」と思いつく。
店長さんらしき男性にジェスチャーで「3~4時間ほど…」とお願いすると快くOKしてくれたので、トンネルに行くことを決意。 -
駅前の乗り場から1404番マルシュルートカでクレヴァニ村へ。23グリブナ。
「テュネル」と伝えておいたらちゃんと降ろしてくれた。 -
トンネルまで1.3キロを黙々と歩く。
-
日陰のほとんどない道はかなり暑い。
元々訪れるつもりがなかっただけにテンションが上がらない。
で、そうなると足取りが重くなり、更に遠く感じる。 -
踏切で貨物列車に阻まれる。
そのあまりの長さに、ここはツッコミどころだと判断し、
「いつまでやっとんねん!」と裏拳付きのツッコミを入れておく。
愛のトンネルはもうすぐだ。 -
やっと到着。
人はほとんどいない。 -
入口付近の木々にはカラフルなリボンが結び付けられていた。
これはウクライナカラー。 -
確かに素敵なところだが、噂通り凄まじい数の蚊が。
要塞で使った虫除けクリームを塗りたくったが、それでも「ぅわんぅわん」と寄ってくる。
静止すると一斉に喰われるので、ボケた写真を大量生産。 -
奥からカップルが歩いてきた。
フードを目深に被った彼らの背後が何やらぼんやり暗いので目を凝らしてみると、なんと、巨大な蚊柱だった!!
もうダメです。逃走です。
蚊柱に気付いたカップルも一緒に逃走です。
ここで撮った素敵な写真をUPしている人はいったいどれほどの犠牲を… -
山羊に無表情に見送られ、
-
バス停まで戻る。
今夜はシャワー浴びられないのに汗だく。
バスは空いていたが、悪路すぎて居眠りは不可能。 -
リヴネ駅まで戻り、スーパーに荷物を受け取りに行く。
店長さんがニコニコと手を振ってくれる。
本当に助かりました。ありがとうございました。 -
リヴネ駅前。
構内ではWiFiが繋がった。
地図で見つけた近くのレストランに行ってみたが潰れていた。
遠くまで行く元気はないので、待合室でネットなどして時間を潰す。 -
リブネ駅。時刻は20時前。
-
まだまだ時間があるので、またお世話になったスーパーに行ってみる。
店長さんが「おっ!」って感じでやって来て、荷物をロッカーに入れてくれたりと世話を焼いてくれる。
ヨーグルトのスプーンが無いか尋ねると、隣のプリンのスプーンをベリッと剥がして付けてくれた。
…また恋をしそうになった。
リヴネはドゥブノよりも遥かに都会で、人々もオープンな雰囲気だった。
特にこの親切な店長さんに出会えたことはとてもいい思い出になった。
正直、トンネルよりもはるかに… -
リヴネからキエフまでの2等寝台料金は102グリブナ。安っ!
名○電車なんか、30分ほど乗っただけで同じくらいかかるのに!
乗り込んだコーヴェリ発の寝台は既に灯りが消えていて、飲食などできる状態ではなかった。
また、通路と平行の上段寝台は『寝返りうったら確実にアウト』な狭さで、恐ろしくて熟睡には程遠かった。
今後、同様の寝台しか空いてなかったら絶対に昼の移動にしよう、と密かに決意した。
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旅行記グループ
'18 ウクライナ・ポーランド
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2018初夏01 ウクライナ(リヴィウ1)
2018/05/27~
リヴィウ
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2018初夏02 ウクライナ(リヴィウ2)
2018/05/27~
リヴィウ
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2018初夏03 ウクライナ(Dubno)
2018/05/27~
その他の都市
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2018初夏04 ウクライナ(キエフ1)
2018/05/27~
キーウ (キエフ)
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2018初夏05 ウクライナ(キエフ2)
2018/05/27~
キーウ (キエフ)
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2018初夏06 ウクライナ(キエフ3)
2018/05/27~
キーウ (キエフ)
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2018初夏07 ウクライナ(Kamyanets-Podilsky)
2018/05/27~
その他の都市
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2018初夏08 ウクライナ(チェルニウツィ)
2018/05/27~
その他の都市
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2018初夏09 ウクライナ(コーヴェリ)
2018/05/27~
その他の都市
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2018初夏10 ポーランド(ワルシャワ)
2018/05/27~
ワルシャワ
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この旅行記へのコメント (2)
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- seghersさん 2018/08/14 10:57:39
- その寝台、苦い経験あり、
- お疲れ様でした。
7月中旬のモスクワからキエフまでの一人9千円ほどの夜行列車で与えられたベッドがまさにそれでした。しかもトイレ近い所、
ワールドカップ時期の駅発売でしたので列車の種類を聞くほど余裕がなかったんですが…、モスクワーウクライナ路線はネット販売をしてませんでした。
その路線はいつも満席だといわれ、ロシアに入ってすぐ(14日前)購入しましたが、苦しい一晩でした。だぶんウクライナ鉄道の車両のせいかなと思って、あえてキエフからリヴィウまでは昼に移動しました。
seghers
- 小心者さん からの返信 2018/08/14 12:08:52
- Re: その寝台、苦い経験あり、
- こんにちは。
Seghersさんもあの過酷な寝台を利用されたのですか!
あれは本当にキツかったですよね。
寝台の狭さ・高さもさることながら、上り下りがすごく怖くて更に寿命が縮む思いでした。思い出しただけでも眉間にシワが寄ります。
向かいの快適な下段も同じ料金だと思うと腹立たしく、顔を踏んでやろうかとちょっと思いました。
それにしても、国内の移動に比べ国際列車はずいぶん高いのですね。
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