2018/03/06 - 2018/03/21
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しにあの旅人さん
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フィレンチェにやってきました。メインテーマは悪名高きマキアヴェッリと怪僧サヴォナローラ。
名画鑑賞などには余り期待しないでください。変わった切り口で解説するか、新説を出すかしないと、絵の紹介は面白くない。とてもそんな知識はありません。
さて、出発。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
銭湯の洗い場というのは、30年ほど前、最初にフィレンチェに来たときの私の印象です。地面から、あちこちに色大理石の壁が直接立ち上がっている様子から、タイル張りの銭湯の洗い場を連想したのです。正面富士山の絵は大聖堂ということで。
今回もその印象は変わりません。ただその規模が、前回の記憶より桁外れに大きかった。年とってエネルギーが枯渇したから負けちゃったのかな。狭い所に大きな建物がぎっしり詰まった宝石箱のような街。
上の写真には左から洗礼堂、ドゥオーモの一部、ジオットの鐘楼の一部が写っています。とにかくみんなでかいので、三つを完全に一つの画面に収めるのは難しい。 -
ドゥオーモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレです。ここまで近づくとクーポラ(ドーム)の上の尖塔が見えない。
このクーポラと、 -
隣のジオットの鐘楼には登れます。ただしどちらかにしておいた方が無難です。クーポラには階段が463段、ジオットの鐘楼には414段あります。エレベータはありません。私たちはジオットの途中三分の一まで登って、クーポラに体力を温存するために引き返しました。
クーポラ登りにトライします。 -
これはクーポールの付け根部分の廊下です。だいたいこんな幅の階段が延々と続きます。
登り切ると、 -
こんな景色や、
-
こんな景色が待っています。
-
これは洗礼堂。
-
内部の天井画はすばらしい。
-
キリストが弟子を左右に従えて、
-
悪魔もいます。
一番下の段。 -
拡大しておきます。なんか、かわいい。あまり怖くない。
-
フィレンチェの旅行記で、まるっきり名画なしというのもどうかと思い、ひとつだけ。
ウッフィツィ美術館のご存じボッティチェリ、プリマヴェーラ(春の祭典)です。
ただし人の頭越し。ウッフィツィ美術館にかぎらず、どこの美術館でも有名な絵はこんな状態です。思ったより小さい絵でしたが、写真を撮るときに人の頭が邪魔にならない最前列にしゃしゃり出たら、今度は全体を撮ることはできないでしょう。 -
かつてのフィレンチェ共和国市庁舎、今のヴェッキオ宮殿です。クーポラの展望台から見下ろしています。
サヴォナローラ(1452年-1498年)
以下は塩野七生(僭越ながら敬称を略させていただきます)「神の代理人」(新潮社 電子版)の一章「アレッサンドロ六世とサヴォナローラ」を参考にさせていただきました。
サヴォナローラは、15世紀末、フィレンチェに一種の神権政治をしいたドミニコ会修道士。フィレンチェの政治顧問だったそうですが、腐敗したローマの聖職者を痛烈に批判し、キリスト教を元の精神にもどすというのを旗印にして、一時期フィレンチェの政治の実権を握りました。16世紀のルターなどの宗教改革の、カトリック側からの先駆者ということになっております。
サヴォナローラに心酔した子供たちが贅沢禁止とかいって街をねり歩き、女性の装身具をはぎ取るなどといったこともあったそうで、なにやら隣の国の文化大革命ぽいですね。民衆を扇動して政治の実権を握りましたが、その民衆が今度は逆方向に扇動されて、サヴォナローラを追い落とすことになります。 -
ヴェッキオ宮前シニョリーア広場の中央に、こんな円形の石がはめこまれております。ヴィッキオ宮の塔を斜め右に見る位置です。
イタリア旅行のためにイタリア語を勉強し始めました。essereとavereの活用がやっとのレベルですが、無謀にも訳してみます。
「ここで、修道士ドメニコ・ブオンヴィティーニ、修道士シルベストロ・マルッフィとともに、1948年5月23日、不公正な裁判により、修道士ジロラモ・サヴォナローラは絞首刑の上火あぶりにされた。4世紀の後この記念碑を置く。」
遺骨と灰はポンテ・ヴィッキオ(ヴィッキオ橋)からアルヌ川に投げ捨てられました。
当時この橋の上には肉屋が多かった。羊、ウサギや鳥の骨は橋から直接アルヌ川に捨てられていました。サヴォナローラの遺灰も同じ扱いです。
数年前彼を熱狂的に支持したフィレンチェ市民が、今度は燃え上がる遺体に石を投げてたたき落としたそうです。520年前のまさにこの場所でした。
教会の鐘の音が聞こえます。諸行無常、盛者必衰の響きです。 -
マキアヴェッリ(1469-1527)
この文章のガイドブックは塩野七生「わが友マキアベッリ フィレンチェ存亡」(新潮社 電子版)です。
ウッフィツィ美術館前の細長い広場(ウッフィツイ広場)の両側に数十体の彫像がおかれています。アルヌ川に向かって左側、川に近い方から何番目かがマキアヴェッリです。塩野七生にしたがいマキアヴェッリと表記します。
アキアヴェリスムの語源として、権謀術数を肯定した悪名高い思想家ということになっております。しかし彼のいっていることは、政治の実態を冷静に分析しただけで、ただ事実を述べているだけです。
そのマキアヴェッリは1469年フィレンチェに生まれました。生まれた場所は、グイッチャルディーニ通り18番地。 -
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂から来て、ヴィッキオ橋を渡ります。当時は汚く臭い肉屋通りだった橋も、今は豪華な宝石商が軒をつらねるエレガントな通りになっています。この橋の近くにその生家はありました。
グイッチャルディーニ通りを100メートルくらいピッティ宮殿方向に歩いて右が18番地です。
写真の右方向がヴィッキオ橋です。
今はバッグのブティックのようです。 -
塩野七生によれば、このあたりは第2次大戦末期に戦火で焼かれ、彼の生家はそのとき破壊されたそうです。ここには記念碑のようなものがあったと塩野は書いていますが、今はごらんのようになにもありません。この作品が書かれたのは1992年ですから、その後フィレンチェも変わったのでしょう。ブティックは新しい建物でした。
マキアヴェッリが死んだのもこの場所でした。
残念ながら当時の面影を残すものは何もありませんでした。
しかし、どうしても、明日の旅行のために、この場所に来ておく必要がありました。
明日は、今回のイタリア旅行のハイライト、サンタンドレア・イン・ペルクッシーナを訪れます。
マキアヴェッリが「君主論」「政略論」を書いた山荘が今もそのまま残っています。
ところで私は片岡鶴太郎がマキアヴェッリに似ていると思うのですが、みなさんいかがですか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%AA
著作権の関係でWikiのリンクだけ張っておきます。彼の肖像画があります。
片岡鶴太郎はこちら。日本タレント名鑑です。
http://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M93-0819
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねんきん老人さん 2018/12/21 18:15:56
- 遊び心とはこういうものかとニンマリしました。
- シニアの旅人さん、こんにちは。
フィレンツェの街を歩いて銭湯を想起したり、マキャヴェリの像に片岡鶴太郎を思ったり、自由自在な発想にまず驚きました。 言われてみればそうであっても、私が40年ほど前に行ったとき、銭湯のイメージなどまったく湧きませんでした。ましてや片岡鶴太郎など、言われても似ていないと思い、ネットでマキャヴェリの像と鶴太郎の画像を探してみました。 なんと、よく似てるではありませんか!
サヴォナローラという名前に接したのはいったいいつのことであったか? 今では、ああ、そんな名前があったなというだけで、それがどこで何をした人なのかもまったく思い出せませんでした。 シニアの旅人さんの解説を読んでも、初めて知ることばかりで、過去の知識(?)は蘇ってきません。
クーポラにも登っていません。 私のフィレンツェ旅行は何だったんだろうと、忸怩たる思いです。
もう一度行く金銭的余裕がないのがなんとも残念です。 ゴーン会長がくしゃみでもすれば、万札の何枚かがひらひらと落ちてくるだろうと期待しているのですが、拘置所の中ではどうにもなりませんね。
この上はシニアの旅人さんの旅行記を熟読してバーチャルトリップを楽しませていただこうと、現実的なことを考えています。
面白く、示唆に富んだ旅行記を、ありがとうございました。
ねんきん老人
- しにあの旅人さん からの返信 2018/12/22 20:33:41
- コメント有り難うございます
- 褒められて育つ子のようです。れからも、どしどしお褒めの言葉お願いします。
フィレンツェの銭湯は、そのときそう思いました。一面タイル張り、即銭湯という発想でしょうね。でもいまどき銭湯に行かない日本人も多く、この表現通じるかなと思っております。ねんきん老人さんは銭湯はご存じですよね。
片岡鶴太郎は似ていますよね、妻は似ていない派です。私は酷似していると思います。なんというか、こう、貧相なところ。
マキアベリスムというと威勢がいいですが、「君主論」を読むと、自分を追放したメディチ家に対し、最後の章でおべっかを使っています。再度登用してくれというアッピールなのでしょうが、若干気持ちわるい。
なるほど、目的のためには手段を選ばない、マキアベリスムというのはこういうものだと、自ら例を示した、というのは深読みでしょうか。
今年もあとわずかです。ヤマトタケルも今年はもう冬休み休暇で、ヤマトに帰りました。で、新しい旅のブログはもうなし。来年再開します。
夏から始めた4Traのブログは実に面白かった。ねんきん老人さんにお会いできました。
少し早いですが、よいお年を。
奥様にはこういうときはなんと言えばいいのでしょう。合掌。
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