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4月半ばより約一か月、バルカン半島から中欧へ。<br />アルバニア、コソボ、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ドイツと廻って来ました。<br /><br /> ボスニアヘルツェゴビナは、ボシュニャク人とクロアチア人主体のボスニアヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人主体のスルプスカ共和国との連合国家です。<br />ボシュニャク人の多くはイスラム教、クロアチア人の多くはキリスト教(カトリック)、セルビア人の多くはキリスト教(正教会)であり、人種も宗教も混在しています。<br />いろいろな火種を今も抱えている国ですが、安心して暮らせる平和な国であってほしいと心から思います。。<br /><br />1ユーロ=1.9マルカ<br /><br /><br />旅程<br /><br />4/17 大阪伊丹→  東京羽田      JAL<br /><br />4/18 成田 →   フランクフルト   JAL<br /><br />4/19 フランクフルト →  ティラナ  アドリア航空   <br /><br />4/20 ティラナ(アルバニア)                				<br />4/21 ティラナ(アルバニア)<br /><br />4/22 ティラナ(アルバニア)<br /><br />4/23 ティラナ(アルバニア)6:00→ プリズレン(コソボ)9:00 バス<br /><br />4/24 プリズレン(コソボ)10:00→ウルツィニ(モンテネグロ)14:45                                バス<br />        ウルツィニ →コトル(モンテネグロ) シェアタクシー<br /><br />4/25 コトル(モンテネグロ)<br /><br />4/26 コトル(モンテネグロ)8:30→ドブログニク(クロアチア)10:45     バス<br /><br />4/27 ドブログニク(クロアチア)<br /><br />4/28 ドブログニク(クロアチア)8:00→サラエボ(ボスニア)14:15    バス<br /><br />4/29 サラエボ(ボスニア)<br /><br />4/30 サラエボ(ボスニア)9:30→ザグレブ(クロアチア)15:45      バス<br /><br />5/1  ザグレブ(クロアチア)<br /><br />5/2  ザグレブ(クロアチア)10:30→ブダペスト(ハンガリー)14:   50  バス<br /><br />5/3  ブダペスト(ハンガリー)<br /><br />5/4  ブダペスト(ハンガリー)<br /><br />5/5  ブダペスト(ハンガリー)9:00→ブラチスラバ(スロバキア)11:50  バス<br /><br />5/6  ブラチスラバ(スロバキア)9:50→プラハ(チェコ)14:052   バス<br /><br />5/7  プラハ(チェコ)<br /><br />5/8  プラハ(チェコ)<br /><br />5/9  プラハ(チェコ)<br /><br />5/10 プラハ8:21→ドレスデン10:40  列車<br /><br />5/11 ドイツ(ドレスデン)<br /><br />5/12 ドレスデン8:21→フランクフルト12:36  列車(ICE)<br /><br />5/13 フランクフルト → <br /><br />5/14 成田   JAL<br />

バルカン半島から中欧へ 5 ボスニアヘルツェゴビナ サラエボ

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2018/04/28 - 2018/04/30

107位(同エリア370件中)

旅行記グループ バルカン半島から中欧へ

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mozuko

mozukoさん

4月半ばより約一か月、バルカン半島から中欧へ。
アルバニア、コソボ、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ドイツと廻って来ました。

 ボスニアヘルツェゴビナは、ボシュニャク人とクロアチア人主体のボスニアヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人主体のスルプスカ共和国との連合国家です。
ボシュニャク人の多くはイスラム教、クロアチア人の多くはキリスト教(カトリック)、セルビア人の多くはキリスト教(正教会)であり、人種も宗教も混在しています。
いろいろな火種を今も抱えている国ですが、安心して暮らせる平和な国であってほしいと心から思います。。

1ユーロ=1.9マルカ


旅程

4/17 大阪伊丹→  東京羽田      JAL

4/18 成田 →   フランクフルト   JAL

4/19 フランクフルト →  ティラナ  アドリア航空   

4/20 ティラナ(アルバニア)                
4/21 ティラナ(アルバニア)

4/22 ティラナ(アルバニア)

4/23 ティラナ(アルバニア)6:00→ プリズレン(コソボ)9:00 バス

4/24 プリズレン(コソボ)10:00→ウルツィニ(モンテネグロ)14:45                                バス
        ウルツィニ →コトル(モンテネグロ) シェアタクシー

4/25 コトル(モンテネグロ)

4/26 コトル(モンテネグロ)8:30→ドブログニク(クロアチア)10:45     バス

4/27 ドブログニク(クロアチア)

4/28 ドブログニク(クロアチア)8:00→サラエボ(ボスニア)14:15    バス

4/29 サラエボ(ボスニア)

4/30 サラエボ(ボスニア)9:30→ザグレブ(クロアチア)15:45      バス

5/1  ザグレブ(クロアチア)

5/2  ザグレブ(クロアチア)10:30→ブダペスト(ハンガリー)14:   50  バス

5/3  ブダペスト(ハンガリー)

5/4  ブダペスト(ハンガリー)

5/5  ブダペスト(ハンガリー)9:00→ブラチスラバ(スロバキア)11:50  バス

5/6  ブラチスラバ(スロバキア)9:50→プラハ(チェコ)14:052   バス

5/7  プラハ(チェコ)

5/8  プラハ(チェコ)

5/9  プラハ(チェコ)

5/10 プラハ8:21→ドレスデン10:40  列車

5/11 ドイツ(ドレスデン)

5/12 ドレスデン8:21→フランクフルト12:36  列車(ICE)

5/13 フランクフルト → 

5/14 成田   JAL

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 8時にドブログニクを出発。<br />

    8時にドブログニクを出発。

  • クロアチア出国、ドブログニクが飛び地のため、ボスニア入国・出国、クロアチ入国・出国、そして、ボスニアヘルツェゴビナへ入国しました。ボーダーを3回越えました。

    クロアチア出国、ドブログニクが飛び地のため、ボスニア入国・出国、クロアチ入国・出国、そして、ボスニアヘルツェゴビナへ入国しました。ボーダーを3回越えました。

  • モスタルのバスターミナルで停まりました。

    モスタルのバスターミナルで停まりました。

    バスターミナル (モスタル) バス系

  • サラエボを目指して、バスは走ります。

    サラエボを目指して、バスは走ります。

  • 1時半ごろ、昼食、トイレ休憩がありました。

    1時半ごろ、昼食、トイレ休憩がありました。

  • チキンとサラダと水を注文。7ユーロ。しかし・・・。

    チキンとサラダと水を注文。7ユーロ。しかし・・・。

  • 奥に行くと、ラムを丸焼き中。後で知りましたが、ラムの丸焼きで有名なレストラン「Restoran Sedmica」でした。食べたかった・・・。

    奥に行くと、ラムを丸焼き中。後で知りましたが、ラムの丸焼きで有名なレストラン「Restoran Sedmica」でした。食べたかった・・・。

  • 朝8時にドブログニクを出たバスは、午後4時にサラエボに到着しました。<br />サラエボバスターミナル横、中央駅の前の広場。<br />両替所を探して、人に聞くとポストオフィスへ行けだの、電車の駅に行けだの言われましたが、土曜日の夕方でどこも閉まっていました。<br />ユーロしかなくバスにも乗れないと困りましたが、たまたま聞いたキオスクで両替できました。10ユーロで19マルカ。

    朝8時にドブログニクを出たバスは、午後4時にサラエボに到着しました。
    サラエボバスターミナル横、中央駅の前の広場。
    両替所を探して、人に聞くとポストオフィスへ行けだの、電車の駅に行けだの言われましたが、土曜日の夕方でどこも閉まっていました。
    ユーロしかなくバスにも乗れないと困りましたが、たまたま聞いたキオスクで両替できました。10ユーロで19マルカ。

    サラエボ中央駅

  • ホテルに向かうためトラムの駅で待っていると、大声で叫んでいる男の人がいたり、パトカーが来て別の男の人を尋問していたりで、不穏な雰囲気。裸足の小さな女の子がお金をねだって来ました。この旅で初めてでした。

    ホテルに向かうためトラムの駅で待っていると、大声で叫んでいる男の人がいたり、パトカーが来て別の男の人を尋問していたりで、不穏な雰囲気。裸足の小さな女の子がお金をねだって来ました。この旅で初めてでした。

  • 不安なまま待っていると、やっとホテル方面に行くトラムがやって来ました。<br />

    不安なまま待っていると、やっとホテル方面に行くトラムがやって来ました。

  • ここでも切符はキオスクで買うと1.6マルカ(105円)中で買うと1.8マルカ。

    ここでも切符はキオスクで買うと1.6マルカ(105円)中で買うと1.8マルカ。

  • 乗車したら、この機械にチケットを通して、刻印します。

    乗車したら、この機械にチケットを通して、刻印します。

  • 電車の中はがらがら。大丈夫でしょうか・・。

    電車の中はがらがら。大丈夫でしょうか・・。

  • フェルハディヤ通り。<br />人が多く、ヨーロッパぽい街並みで、きれいな所です。ほっと一安心。<br />

    フェルハディヤ通り。
    人が多く、ヨーロッパぽい街並みで、きれいな所です。ほっと一安心。

  • ユダヤ人博物館。スマホアプリのMAPS.MEでホテルを探すとここがホテルになりました。いやいや、違う違う。30分程うろうろしました。ここの道を挟んだ反対側にホテルがありました。

    ユダヤ人博物館。スマホアプリのMAPS.MEでホテルを探すとここがホテルになりました。いやいや、違う違う。30分程うろうろしました。ここの道を挟んだ反対側にホテルがありました。

  • サラエボでは2泊、ゲストハウスムーンライト。1泊42ユーロ。

    サラエボでは2泊、ゲストハウスムーンライト。1泊42ユーロ。

  • リビングと寝室とテラスの広い部屋です。きっと冬は底冷えがして寒いんだろうなという印象の部屋でした。今は暑くもなく寒くもなく快適。

    リビングと寝室とテラスの広い部屋です。きっと冬は底冷えがして寒いんだろうなという印象の部屋でした。今は暑くもなく寒くもなく快適。

  • この部屋についているテラス。

    この部屋についているテラス。

  • テラスから裏を見ると、銃弾跡が残った建物があり、衝撃を受けました。

    テラスから裏を見ると、銃弾跡が残った建物があり、衝撃を受けました。

  • ホテルの前の道を真っ直ぐ行くと、バシュチャルシャ広場の水汲み場(セビリ)がすぐです。

    ホテルの前の道を真っ直ぐ行くと、バシュチャルシャ広場の水汲み場(セビリ)がすぐです。

  • バシュチャルシャ広場の水汲み場(セビリ)<br />1891年に建てられ、サラエボのシンボルになっています。

    バシュチャルシャ広場の水汲み場(セビリ)
    1891年に建てられ、サラエボのシンボルになっています。

    セビリ (水飲み場) モニュメント・記念碑

  • セビリのすぐ前に両替所がありました。1ユーロ=1.955マルカ。<br />やはり観光地の方がレートがいいようで。

    セビリのすぐ前に両替所がありました。1ユーロ=1.955マルカ。
    やはり観光地の方がレートがいいようで。

  • お昼ご飯に「チェバプチチ」を頂きました。<br />ピタパンの中に細長い肉団子が入っていて、生玉ねぎが付いています。<br />ボスニアの代表的な料理だとか。

    お昼ご飯に「チェバプチチ」を頂きました。
    ピタパンの中に細長い肉団子が入っていて、生玉ねぎが付いています。
    ボスニアの代表的な料理だとか。

  • ラテン橋、第一次世界大戦のきっかけとなった1914年のサラエボ事件の現場。

    ラテン橋、第一次世界大戦のきっかけとなった1914年のサラエボ事件の現場。

  • ラテン橋のすぐ近くにいたカラスです。日本のと色が違った。

    ラテン橋のすぐ近くにいたカラスです。日本のと色が違った。

  • ラテン橋の前にあるサラエボ博物館。

    ラテン橋の前にあるサラエボ博物館。

  • 翌日、街が見下ろせる丘の上に行こうと、水汲み場(セビリ)の前の道を渡り、坂道を登って行きます。<br />こんな雰囲気のある木造の建物が並んでいました。

    翌日、街が見下ろせる丘の上に行こうと、水汲み場(セビリ)の前の道を渡り、坂道を登って行きます。
    こんな雰囲気のある木造の建物が並んでいました。

  • 懐かしい雰囲気のパン屋さんです。

    懐かしい雰囲気のパン屋さんです。

  • 坂道を登って行くと、お墓が並んでいました。ツアーコースに入っていて、ツアーの人たちが説明を受けています。ムスリムの人たちの墓地で、1994~1995年に亡くなっている方のお墓が多かった。

    坂道を登って行くと、お墓が並んでいました。ツアーコースに入っていて、ツアーの人たちが説明を受けています。ムスリムの人たちの墓地で、1994~1995年に亡くなっている方のお墓が多かった。

  • さらに登り、石の門をくぐります。

    さらに登り、石の門をくぐります。

  • 石の門をくぐり、右手に行くとイエロー要塞(yellow bastion)があり、そこからの眺め。ちょうど墓地の上部になります。

    石の門をくぐり、右手に行くとイエロー要塞(yellow bastion)があり、そこからの眺め。ちょうど墓地の上部になります。

  • サラエボの街が一望できます。こんなにきれいな所です・・・。

    サラエボの街が一望できます。こんなにきれいな所です・・・。

  • 遠くにも墓地が、いやあちこちに墓地が。

    遠くにも墓地が、いやあちこちに墓地が。

  • 旧市街、バシュチャルシャにもどり、土産物屋さんをのぞきます。

    旧市街、バシュチャルシャにもどり、土産物屋さんをのぞきます。

  • トルコのような土産物がたくさん。オスマン帝国の影響ですか。<br />昔トルコに行ったとき、こんなタイルを買いました。

    トルコのような土産物がたくさん。オスマン帝国の影響ですか。
    昔トルコに行ったとき、こんなタイルを買いました。

  • 日本にもあるような雰囲気のお店です。

    日本にもあるような雰囲気のお店です。

  • 奥の方に見えるのは、旧絹取引所(ブルサ・ベジスタン)

    奥の方に見えるのは、旧絹取引所(ブルサ・ベジスタン)

  • 土産物屋やカフェが立ち並び、観光客も多くて賑やかです。

    土産物屋やカフェが立ち並び、観光客も多くて賑やかです。

  • カフェで一休み、ボスニアコーヒー。<br />コーヒーの細かい粉が入っているので、上澄みを飲みます。甘いロクムというゼリーみたいなお菓子が一緒に出てきます。苦いので角砂糖をかじりながら飲むとか。

    カフェで一休み、ボスニアコーヒー。
    コーヒーの細かい粉が入っているので、上澄みを飲みます。甘いロクムというゼリーみたいなお菓子が一緒に出てきます。苦いので角砂糖をかじりながら飲むとか。

  • ガジフースレフベイモスク。サラエボで最大のモスクです。

    ガジフースレフベイモスク。サラエボで最大のモスクです。

    ガジフースレフベイモスク 寺院・教会

  • ガジフースレフベイモスクの道を挟んだ所にあった、ミナレット。学校がこの中にありました。

    ガジフースレフベイモスクの道を挟んだ所にあった、ミナレット。学校がこの中にありました。

  • 看板に乗ってる料理が美味しそうなので、ここでお昼ご飯を頂きました。

    看板に乗ってる料理が美味しそうなので、ここでお昼ご飯を頂きました。

  • どれも美味しそう。

    どれも美味しそう。

  • 玉ねぎ、ピーマンなどの肉詰め料理(10ユーロ)、トルコ風です。<br />オレンジサラダ(3ユーロ)。

    玉ねぎ、ピーマンなどの肉詰め料理(10ユーロ)、トルコ風です。
    オレンジサラダ(3ユーロ)。

  • ベジ・スタン(Bezistan)<br />バシチャルシヤとフェルハディヤ通りの境目に位置する全長105m、幅19mの屋内ショッピング・モールで、戦争で破壊されましたが、復元されたそうです。

    ベジ・スタン(Bezistan)
    バシチャルシヤとフェルハディヤ通りの境目に位置する全長105m、幅19mの屋内ショッピング・モールで、戦争で破壊されましたが、復元されたそうです。

    Gazi-Husrev Beg's Bezistan お土産店

  • バザールの中。小さな土産物屋さんが並んでいます。

    バザールの中。小さな土産物屋さんが並んでいます。

  • サラエボカトリック大聖堂です。ボスニアヘルツェゴビナで最大。

    サラエボカトリック大聖堂です。ボスニアヘルツェゴビナで最大。

  • フェルハディアモスク。

    フェルハディアモスク。

  • セルビア正教会。ボスニアヘルツェゴビナでは最大。<br />

    セルビア正教会。ボスニアヘルツェゴビナでは最大。

  • 旧市庁舎(図書館)<br />オーストリア・ハンガリー時代(1894年)に市庁舎として建設されたサラエボのシンボルでした。ボスニア戦争で外壁を残し全焼、図書館の蔵書も消失したそうですが、2014年に再建されました。外から見ただけです。<br /><br />

    旧市庁舎(図書館)
    オーストリア・ハンガリー時代(1894年)に市庁舎として建設されたサラエボのシンボルでした。ボスニア戦争で外壁を残し全焼、図書館の蔵書も消失したそうですが、2014年に再建されました。外から見ただけです。

    サラエボ シティ ホール 史跡・遺跡

  • この線は、ここから東はオスマントルコの影響が残された街並み、西がオーストリア・ハンガリー帝国の影響を受けた街並みが残っているという サラエボ ミーティング オブ カルチャー。

    この線は、ここから東はオスマントルコの影響が残された街並み、西がオーストリア・ハンガリー帝国の影響を受けた街並みが残っているという サラエボ ミーティング オブ カルチャー。

  • オスマントルコの影響を受けた街並み。

    オスマントルコの影響を受けた街並み。

  • オーストリア・ハンガリーの影響を受けた街並み。ヨーロッパ的です。<br />フェルハディア通り。

    オーストリア・ハンガリーの影響を受けた街並み。ヨーロッパ的です。
    フェルハディア通り。

  • ザクロジュースの売店。

    ザクロジュースの売店。

  • 永遠の炎、フェルハディヤ通りを真っ直ぐ行った、Y字路にあるこの聖火は、24時間365日消えること無く燃えているそうです。第2次世界大戦の犠牲者を追悼している記念碑。

    永遠の炎、フェルハディヤ通りを真っ直ぐ行った、Y字路にあるこの聖火は、24時間365日消えること無く燃えているそうです。第2次世界大戦の犠牲者を追悼している記念碑。

    永遠の炎 モニュメント・記念碑

  • トラムの3番に乗りました。この辺り、ホリデイインホテルの所まで、スナイパー通りと呼ばれていたところです。街一番の大通りで、ここを通る市民はセルビア人の「民族浄化」という名のもと、女子供であろうとも狙撃者に狙われました。

    トラムの3番に乗りました。この辺り、ホリデイインホテルの所まで、スナイパー通りと呼ばれていたところです。街一番の大通りで、ここを通る市民はセルビア人の「民族浄化」という名のもと、女子供であろうとも狙撃者に狙われました。

    スナイパー通り 史跡・遺跡

  • ホリデイインホテルです。ボスニア戦争時にも市内で唯一営業を続け、各国からのジャーナリストたちが宿泊していたそうです。<br />外壁が真っ黄色でとても目立ちます。

    ホリデイインホテルです。ボスニア戦争時にも市内で唯一営業を続け、各国からのジャーナリストたちが宿泊していたそうです。
    外壁が真っ黄色でとても目立ちます。

    ホリデイ イン サラエヴォ ホテル

  • 1994年と言えば、まだ24年しかたっていないのですよね。銃弾跡がそのまま残っています。

    1994年と言えば、まだ24年しかたっていないのですよね。銃弾跡がそのまま残っています。

  • サラエボ中央駅の所にあった、1984年のサラエボオリンピックの銃弾跡がたくさん残っている看板。

    サラエボ中央駅の所にあった、1984年のサラエボオリンピックの銃弾跡がたくさん残っている看板。

    サラエボ中央駅

  • サラエボバスターミナル入り口。<br />マルカをきれいに使い果たし、ネットで買ったバスチケットで中に入ろうとしたら、チェックインが必要だと言われ窓口に行きました。一人2マルカ払えとのこと、粘ったけどユーロ払いはダメだと言われ、急いで、ポストオフィスへ走り、両替をして中に入れました。最後まで、マルカは残しておくべきでした。

    サラエボバスターミナル入り口。
    マルカをきれいに使い果たし、ネットで買ったバスチケットで中に入ろうとしたら、チェックインが必要だと言われ窓口に行きました。一人2マルカ払えとのこと、粘ったけどユーロ払いはダメだと言われ、急いで、ポストオフィスへ走り、両替をして中に入れました。最後まで、マルカは残しておくべきでした。

  • バスターミナルの中です。悔しいので残ったマルカでお菓子とジュースを買い、きっちり使い果たしました。ここで荷物預け代1個1ユーロ。小銭が必要です。<br />ここからクロアチアのザグレブに行きます。<br /><br />バスチケットは日本でこのサイトで購入。<br />https://getbybus.com/en/bus-routes/sarajevo-1602/zagreb-1510/tomorrow

    バスターミナルの中です。悔しいので残ったマルカでお菓子とジュースを買い、きっちり使い果たしました。ここで荷物預け代1個1ユーロ。小銭が必要です。
    ここからクロアチアのザグレブに行きます。

    バスチケットは日本でこのサイトで購入。
    https://getbybus.com/en/bus-routes/sarajevo-1602/zagreb-1510/tomorrow

  • バスに乗り、しばらく走ると「スルプスカ共和国」の看板がありました。<br />セルビア人を主体とする共和国で、ボスニアヘルツェゴビナの全面積の49%を占めるそうです。

    バスに乗り、しばらく走ると「スルプスカ共和国」の看板がありました。
    セルビア人を主体とする共和国で、ボスニアヘルツェゴビナの全面積の49%を占めるそうです。

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