2018/05/24 - 2018/05/25
7位(同エリア7318件中)
montsaintmichelさん
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浄土宗系の寺院で、山号を「海光山」と言い、遠くにある長井浜から観音像が光を放っていたことが由来とされます。院号を慈照院と称し、正式名称は「海光山慈照院 長谷寺」と言います。
『鎌倉市史 社寺編』によると、聖武天皇治世の736(天平8)年に大化改新で知られる中臣鎌足の孫 藤原房前が開基と伝えられ、「長谷観音」の名で親しまれる古刹です。奈良県の大和 長谷寺を開山した徳道上人を開山に招き、十一面観音像を本尊に祀り、「新長谷寺」と呼ばれていました。尚、本尊は大和 長谷寺に安置されている十一面観音像と同じ楠から彫られた双子のような存在です。
しかし、この長谷寺が天平の昔から存在したとの記録は何処にもなく、梵鐘の銘文に文永元年 (1264年) の年号があることや銅造懸仏、大きな鰐口 、背の高い板碑などから鎌倉時代には大規模な寺院であったと推測されています。江戸時代には徳川家康などの支援もあり、庶民の信仰の場として関東三十三ヶ所観音霊場廻りの霊場として栄えました。
尚、鎌倉にはアジサイの名所で知られる寺院が数多ありますが、三大名所と言われるのが、明月院、成就院、そして長谷寺です。因みに、「ミシュラン・グリーンガイド」2つ星の観光地です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄
-
江ノ電 長谷駅
長谷寺へのアプローチは、江ノ電「長谷駅」が最寄り駅になります。
長谷駅から、徒歩5分ほどの距離です。 -
駄菓子や 長谷店
懐かしい駄菓子屋です。普通の駄菓子屋と違うのは、鎌倉限定の完全オリジナル商品を取り扱っていることです。
例えば、ありふれたオリオン製菓の「シガレット」は、「ご当地鎌倉シガレット」としてパッケージが大仏仕様になっています。こうした、鎌倉オリジナル商品は、「駄菓子や」でしか買えません。お土産にいいかもしれません。 -
境内案内図
江ノ電「長谷駅」から北側にある高徳院に通じる道は、『新編鎌倉志』が記すところの「長谷小路」(現 県道32号線)の一部です。しかし、御霊神社のところで記したように、『吾妻鏡』には「長谷」の地名は見当たらず、「安達盛長の甘縄(あまなわ)」の屋敷に源頼朝が入ったと記しています。つまり、この地は「甘縄」と呼ばれていました。その後も、「甘縄に火事があった」と火事の記録まで見られます。この事から、鎌倉幕府にとって甘縄が如何に要衝の地であったかが窺えます。 -
山門
江ノ電「長谷駅」から北へ3分程緩い坂道を登り、最初の信号(長谷観音前)を左折するとそこが長谷寺への参道です。
参道の正面には鄙びた趣の山門、その右隣には「タブ」の古木、背後には鬱蒼とした鎮守の杜などが古刹の風情を湛えています。
8時過ぎに到着したので観光客も疎らです。アジサイの季節なら、すでに行列ができている時間かもしれません。 -
山門
長谷寺の表門に当たり、大きな赤提灯と見事な「門かぶりの松」の松木が印象的です。
この風景をTVや雑誌で一度は目にされた方も多いのではないでしょうか?
この山門は昭和時代に復元されたものですが、関東大震災後に再建された建物が多い長谷寺では貴重な木造建築です。 -
山門
トレードマークの大提灯です。赤地に長谷寺と白抜きで書かれ、遠くからでも目を引きます。寺名の上には、寺紋が描かれています。
山門の親柱は直径40cmもあり、鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさを誇ります。
山門の先に、「鎌倉の西方極楽浄土」が待っています。
高浜虚子や久米正雄など、多くの文人にも愛された寺院です。 -
山門
まじめさが伝わってくるような、実直そうな扁額の文字です。
はじめは、鎌倉 長谷寺は大和 長谷寺の末寺かと思っていましたが、そうではないようです。無関係ながら両寺院には共通項があり、開山 徳道上人と開基 藤原房前です。開創は「唐招提寺」とほぼ同年代で、往時政権にあった中臣鎌足の孫 藤原四兄弟が天然痘の流行によって相次いで病死している最中の時代です。
往時の観音信仰の広がりにより、高野聖をはじめ大寺の聖達が各地を廻って高僧や時の為政者を檀那として観音利益を広めていきました。そうした時代の潮流の中で、東国を拠点に観音信仰の礎を築いた鎌倉 長谷寺は「長谷の観音さん」として観音霊場として今に至ったようです。出自の由緒伝承が大和 長谷寺と同じなのは、そうした時代背景が大いに関係していると思われます。 -
山門
妻側には、親柱の上に三斗に支えられた虹梁が渡され、その上に大瓶束が載り、笈形が両脇に配され、四脚門としては市内有数の堂々たる佇まいです。
ノコギリの様な歯は、後世の追加と思われますが、鳥除けでしょうか? -
山門
虹梁には龍が彫られ、その下には麒麟が透かし彫りされています。 -
山門
大和 長谷寺を意識した寺院であることは明白なため、鎌倉時代には「新長谷寺」とも呼ばれていました。大江広元と忍性が飯山から現在の場所に寺を遷したという言い伝えもありますが、これを『新編鎌倉志』では年代が合わないため否定しています。
いずれにせよ、鎌倉時代に寺院が存在したことは確かであり、鎌倉時代末期にはかなり大きな堂宇だったようです。 -
山門
蟇股には、寺紋を配しています。
寺院を示す「卍(まんじ)」を逆さにしたデザインで、鎌倉 長谷寺オリジナルの紋ですが、この紋に名前は付けられていません。
この寺紋の歴史は比較的浅く、戦後に使い始めたようです。
因みに、大和 長谷寺の寺紋は「輪違い紋」です。2つの輪がチェインのように繋がった紋です。この寺紋の違いから、2つの寺院の繋がりがないことは自明です。 -
庭園
境内は、回遊式の庭園のある下境内と、山の中腹にある上境内の上下に別れています。
入口を抜けると出迎えてくれるのが庭園です。妙智池と放生池があり、その周囲を散策する回遊式庭園となっています。
四季折々の花や木に彩られ、まさに「鎌倉の西方極楽浄土」を演出するスポットです。特に、6月にはアジサイや花菖蒲など、風情のある景色を愉しむことができます。
入口から見て左が妙智池、右が放生池です。 -
高山樗牛住居碑
入口側を振り返ると右隅に「高山樗牛ここに住む」(宮本和吉書)と彫られた石碑が佇みます。
高山樗牛は『滝口入道』の作者として、また美学・哲学・文明批評などで知られています。夏目漱石と共に美学研究のために欧州へ留学する予定でしたが、結核を患って断念。 田中智学に惹かれ、その影響から日蓮の研究を進めることになりました。
樗牛は、31歳の若さで亡くなりましたが、病没する直前の1901年から1年ほど長谷寺の境内に住み、葬儀も長谷寺で行われています。
それを記念して大佛次郎ら往時の文学仲間が発起人となって建てた石碑です。 -
ヒメアジサイ
石碑の先には、カラフルなヒメアジサイが鉢植えされ、すでに満開状態です。 -
放生池
池に浮かべられた花筏には、花菖蒲が咲いています。 -
放生池
花菖蒲のズームアップです。 -
妙智池
新緑に囲まれた池はとても風情があり、鯉や亀も泳いでおり、いつまでも眺めていられそうです。 -
参道 アジサイ「長谷の祈り」
ピンクと紫の中間の花色で、八重咲きの密度の高いアジサイです。
静岡県掛川市の加茂花菖蒲園で作出された、長谷寺オリジナルのアジサイです。「長谷の祈り」と命名されています。
こうした珍しいアジサイも揃えている所が、長谷寺人気の一因のようです。 -
参道 ガクアジサイ「長谷四片(はせよひら)」
こちらも「長谷の祈り」と同じ経緯のものです。 -
参道 ガクアジサイ「長谷の潮騒」
黄色と水色の装飾花がとても綺麗です。 -
参道 海の見える良縁地蔵
長谷寺オリジナルのアジサイがある所から、順路に従い境内の中段にある地蔵堂への石段を登ると、辺りが緑一色に彩れらた雰囲気のいい石畳の参道が地蔵堂まで真っ直ぐに延びています。その参道の途中、右手の苔の上に静かに佇んでいます。
石燈籠の手前です。 -
参道 海の見える良縁地蔵
良縁地蔵は、足元の苔や周りの新緑と同化しています。
御影石を用いて宮城県の石神彫刻工房で作られたもので、工房ではこの地蔵たちを「石んこ地蔵 三人うたごえ」と呼んでいます。 -
参道 海の見える良縁地蔵
小さな3体が仲睦まじく寄り添う姿がとても微笑ましく、見る者の頬を弛ませることから、近年アジサイと同様に長谷寺で衆目を集める存在となっています。
また、トレジャーハンターのように境内の3ヶ所に潜んでいる「良縁地蔵」を全て見つけると、良縁に恵まれると言われています。小さな地蔵ですので、ご利益にあやかりたい方は時間に余裕を持たせて訪れてください。 -
参道 海の見える良縁地蔵
後姿も気になったので一枚撮りました。 -
地蔵堂
境内の中段に控えるのが地蔵堂です。
長谷寺に帰依する信者の方々の発願により建立されました。その後、堂宇の老朽化に伴い2003年に再建されたのが現在の地蔵堂です。鎌倉では事例の少ない扇垂木の屋根が特徴です。福寿地蔵を祀り、子授け・安産の開運スポットとして知られています。
地蔵堂の裏には、奉納された千体地蔵が並びます。 -
卍池
地蔵堂の手前右側にあり、名の通り「卍」の形をした池です。
「卍」は、インドでは幸運のシンボル「吉祥紋」とされ、仏教が日本に伝来した時に寺院を表わすマークになったそうです。ヒンドゥー教ではこれを「ビシュヌ神の印」としています。
インドには「卍」も「逆卍」もありますが、どちらも吉祥の印とされます。その由来は古く、新石器時代の発掘物にもこのマークが刻まれているそうです。 -
地蔵堂 イワタバコ
地蔵堂の左側にある石垣にびっしり生えています。
瑞々しく鮮やかな新緑やアジサイ、花菖蒲は目立ちますが、自生する山野草の美しさも時には参詣者の足を止めます。梅雨の季節には、こうした小さな花がよく似合います。
ここで見られるものは厳密には「ケイワタバコ」という品種です。基本種のイワタバコとは異なり、花茎や萼、葉の裏面に軟毛が生え、花期が6~7月とイワタバコより1ヶ月ほど早いのが特徴です。 -
地蔵堂 イワタバコ
鎌倉では梅雨と言えば「アジサイ」が代名詞のようになっていますが、鎌倉らしい花のひとつが「イワタバコ」です。寺の裏山などの岩肌に紫色の星形の楚々とした花を咲かせてます。
イワタバコ科イワタバコ属に分類される多年草で、大きな葉がタバコの葉に似ており、また湿り気のある岩壁に生えることに因んで命名されています。
しかし、タバコはナス科、イワタバコはイワタバコ科に属する草本ですので、葉も似て非なるものです。葉は胃薬になるとも言われています。
花は、直径1~1.5cm程、放射相称で、花冠は5ないし6枚に裂けます。中央にある雌しべを雄しべが取り囲むように密着しています。
花付きはよいのですが、一輪の寿命が3~4日と短命ですので、長い期間見られる種類ではありません。 -
参道 ホタルブクロ
キキョウ科ホタルブクロ属の多年草で、初夏に大きな釣り鐘状の花を咲かせます。
花色には赤紫のものと白とがあり、関東では赤紫、関西では白が多いそうです。
和名の由来は、子どもが本種の袋のような花にホタルを入れて遊んだことに因むとか、提灯の古名「火垂る袋」が転じたなど諸説あります。 -
観音堂
長谷寺の本堂に当たります。関東大震災で甚大な被害を被り、鉄筋コンクリート造で再建されています。本堂に入る前に、香閣の煙で心を清めます。煙を身体の痛い部分や具合の悪い箇所に当てると治癒するとされます。
堂内には、721(養老5)年の造立とされる、金色に輝く高さ9.18m、台座を含め12mもある日本最大級の高さを誇る木造十一面観音が祀られています。
右手に数珠と錫杖、左手に蓮華を活けた水瓶を持ち、方形の台座の上に立つ、長谷型観音と称される独特のものです。左小指を立てているのも特徴です。最初は木造の地肌だったそうですが、1342年に足利尊氏が金箔を施したと伝わります。その後、1392年には足利義満が光背を付け足しています。
巨大な光り輝く観音像からは巨大なパワーが放たれているように感じられ、観る者を圧倒します。十一面観音菩薩は、世の中のあらゆる人々を救うため、あらゆる方面に顔を向けて私たちを災いから救ってくれるとされます。 -
観音堂
長谷寺は、創建以来、歴代の権力者によって伽藍や本尊の修繕が度々行われてきました。記録によると、1342年に足利尊氏が伽藍や幾つかの像を修復し、1392年には足利義満が観音像の光背を寄進しています。1547年には北条氏康の寄進を受け、1591年には徳川家康から朱印状を受け、家康が関ヶ原に出陣した際にも立ち寄って戦勝祈願しており、1607年に伽藍が修復されています。更に、1645年には、若狭小浜藩の初代藩主 酒井忠勝により、堂宇が改修されています。
徳川家康による伽藍の修復をきっかけに光明寺の支配下に入り、浄土宗に改宗しています。しかし、太平洋戦争後、金戒光明寺や知恩院といった浄土宗の二大本山が独立したタイミングで再び独立し、現在は浄土宗系統の単立寺院となっています。
観音堂の内部は写真撮影禁止となっており、十一面観音像の写真は撮影できません。 -
観音堂 十一面観音像
寺の縁起によると、721(養老5 )年に大和 長谷寺の開山 徳道上人の本願により、仏師 稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)が1本の楠の霊木から2体の観音像を3日3晩で彫り上げたと伝えます。そのうち1体は、大和 長谷寺の本尊となり、もう1体は縁のある地で人々を救うようにと開眼供養を修した行基によって海中へ奉じられました。この仏師たち、実は「不空絹索観音」と「地蔵菩薩」の化身だったという落ちがあります。
その16年後、観音像は現在の横須賀市長井の浜の沖合に忽然と姿を現しました。それを知った聖武天皇は、大和 長谷寺の開基 藤原房前を遣わし、観音像は鎌倉へと遷座し、鎌倉 長谷寺開創の礎となったとされます。
この写真は、次のサイトから借用いたしました。
https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_786/ -
観音堂 十一面観音像
現在の像は創建当初からのものとは言い難く、また、後世の修復も多く加えられているため、概ね室町時代の作と寺院側は説明に付け加えています。
『風土記稿』には足利尊氏が1342(康永元)年に本尊を金箔で修復し、義満が1392(明徳3)年に光背を寄進したとあります。その後、光背は関東大震災で壊れましたが、一部は宝物館で見られます。現在の光背は高さ11.9mある立派なものですが、1991年に製作されたアルミ製です。
今では鎌倉観光に不可欠な寺院ですが、海上漂着の神仏を祀るという日本人古来の素朴な信仰から創建され、地元民の篤い信仰を集めて発展した、典型的な地域庶民信仰の寺院と言えます。
非現実的な観音像伝説ですが、この不思議な伝説にどのような意味が隠されているのか読み解くのも興味深い所です。ロマン溢れる壮大な伝説を噛み締めながらその姿を見上げると、頼もしさと優しさがより強く伝わってくるようにも思えます。
この写真は、次のサイトから借用いたしました。
http://www.hasedera.jp/en/about/ -
阿弥陀堂
観音堂の右手にあるのが阿弥陀堂です。扁額は「厄除阿弥陀如来」となっています。
ここには、金箔を施した坐高2.8mの阿弥陀如来坐像が祀られています。鎌倉幕府初代将軍 源頼朝が自身の42歳の厄除けのために制作したと伝えられています。この伝承から、「厄除け阿弥陀」と呼ばれ、「鎌倉六阿弥陀」のひとつに数えられています。 因みに、第一番札所が高徳院(鎌倉大仏)です。 -
阿弥陀堂 阿弥陀如来坐像
柔らかなその表情は温かな慈愛に溢れ、堂宇の中に座るだけで心が癒やされるようです。頼朝の伝説にあやかり、静かに手を合わせて厄除けを願ってみました。
この像は、元々は廃寺となった長谷村の誓願寺の本尊だったものです。縁あって、1688(元禄元)年頃に長谷寺に遷されています。
三上進著『鎌倉彫刻史論考』には、解体修理中に10種の銘文が発見されており、最古のものは1412(応永19)年の「奉修理」であり、像はそれ以前に作られ、様式等からも「室町時代前期と見て大過ない」としています。つまり、頼朝が厄除けのために制作したという伝説は時系列的に齟齬があります。
しょせん、伝承と言うのはそういうものなのですが…。 -
阿弥陀堂
阿弥陀如来坐像の右側には、左脇侍として無垢の如意輪観音像が遷座しています。檜材を使った寄木造の像です。6本の腕を持つ如意輪観音は六道を司る六観音のひとつとされ、右手で頬杖をつきながら人々の苦しみを如何に救うか思案する姿を表しています。 -
阿弥陀堂
右脇侍には、勢至菩薩像が安置されています。
因みに、日本最大級の十一面観音像や屋外にある小さな地蔵の数を含めれば、鎌倉で最も仏像の数が多い寺院が長谷寺です。 -
かきがら稲荷
本尊の十一面観音像は、その昔、海中を漂流してきたとの伝承があります。その本尊が三浦半島の長井の浜に漂着した際、「牡蠣の殻」が付着していたことから、「かきがら」に守られて辿り着いたことを敬い、豊楽へ導く神として「かきがら」祀っています。 -
かきがら稲荷
牡蠣殻の絵馬は初めて見ました。
牡蠣殻もこれだけ並ぶと壮観です。 -
かきがら稲荷
牡蠣殻を祀る祠は、現在修理中のようです。
神の使いのキツネたちも、どこか手持ち無沙汰のようです。 -
鐘楼
梵鐘は常楽寺・建長寺に次ぐ古さを誇る鎌倉四大古鐘のひとつに数えられ、鎌倉時代を代表するものとして重文に指定されています。
住職 真光の勧進により鋳物師 物部季重が手がけた梵鐘は、現在は観音ミュージアムに収蔵されています、ここに吊るされている梵鐘は、1984年に鋳造されたレプリカです。 -
鐘楼 梵鐘
梵鐘には「文永元年(1264年)甲子7月15日 新長谷寺」の銘文が刻まれており、この銘文から長谷寺がこの時代にはすでに存在していたこと、ならびに「新長谷寺」と呼ばれていたことが判る貴重な史料となっています。 -
釈迦如来坐像・四天王像
中央に石造 釈迦如来坐像、その四隅に仏教の守護神 四天王像(持国天・増長天・広目天・多聞天)が配されています。
その周りには、比較的開花の早いアジサイの鉢が並べられています。 -
釈迦如来坐像・四天王像
増長天は、須弥山の南瑠璃た(みなみるりた)に住み、帝釈天が住む頂上にある喜見城を南の方角から来る悪から護る守護神です。怒りの相を表した赤身に甲冑を着け、矛などを持った姿です。
どの四天王も憤怒の形相で邪鬼を踏みつけ、釈迦の東西南北を護っています。 -
眺望散策路 クロヒメ
「アジサイ散策路」とも呼ばれ、2500株以上のアジサイが植えられ、鎌倉でも人気の名所です。さらに、この散策路には、縁結びにご利益のある「良縁地蔵」も安置されており、縁結びのパワースポットとして女性からの人気を集めています。
「明月院ブルー」一色の明月院とは異なり、カラフルな色彩のアジサイを愛でられるのが特徴です。 -
眺望散策路
長谷寺全体のアジサイは、品種にして40種類以上、数にして約2500株です。非常に種類が豊富なため、早いものでは5月末頃から咲き始めます。平均的な品種のものは例年6月中~下旬にかけて見頃を迎え、7月上旬まで愉しめます。
ただし、7月上旬にはアジサイの剪定が行なわれるので留意してください。 -
眺望散策路 千手観音像
江戸時代の『観音山霊験記』にまつわる千手観音像です。
あらすじを紹介いたします。
昔、相州鎌倉長谷の村に観音山があり、極楽西方浄土と伝う地に華を咲かせたいと願っていた老師は、ある夜、霊夢を見ました。
一人の童女が観音山に向かって「この山に花を咲かせ給え」と祈祷すると、空に七色の雲が湧き出でて、やがて山神が現れました。
地の神は長い鉾で地を浄め、雨の神は恵みの雨を降らせ、風の神は袋より花を吹き出させました。忽ち、観音山にはアジサイの花が咲き誇り、極楽浄土の如き七色の華で埋め尽くされました。
霊夢から目覚めた老師が山を眺めると、確かに絢爛な華の山になっていました。老師はこれを大層喜び、その山中に千手観音を祀って祝福しました。
なるほど、今のような「アジサイ散策路」ができたのは、山神のおかげだったということのようです。 -
眺望散策路
アジサイは、昔は今ほど人気のある花ではなかったようです。理由の一つが、次第に花色を変えていく特性にあります。別名「七変化」とも呼ばれ、「心変わり」や「無節操」に通じるためです。
事実、『万葉集』にはアジサイを詠んだ歌が2首しかなく、その内の1首がアジサイをメタファーに欺かれたことを嘆く歌です。「言問はぬ 木すら紫陽花 諸弟らが 練の村戸に あざむかえけり」(大伴家持)。また、正岡子規は「紫陽花や きのふ(昨日)の誠 けふ(今日)の嘘」とまで詠んでいます。
『岩波現代短歌辞典』によると、明治時代にアジサイを詠んだ歌には花の形や色に焦点を当てたものが多く、心象風景を託した歌は少ないようです。「紫陽花も 花櫛したる頭をば うち傾けて なげく夕ぐれ」(与謝野晶子)。これもアジサイを花櫛に見立て、悩んでいる姿を表現しただけです。やがてアジサイのイメージがポジティブに変わったのは、戦後のことです。逆輸入の品種「西洋アジサイ」の恩恵です。
武田幸作著『アジサイはなぜ七色に変わるのか?』によると、色が変わるのは、細胞に老廃物が溜まる、いわゆる老化現象だそうです。どの植物も老化しますが、目立たないだけだそうです。アジサイは花の寿命が極めて長いため、色の変化が知られてしまう哀しい運命を背負っています。
因みに、アジサイにも寿命があり、50年程のようです。 -
眺望散策路
高台からは由比ヶ浜を望むことができ、長谷寺の名物のひとつになっています。 -
眺望散策路 アジサイの良縁地蔵
トライアングルの形で並んでいる「石んこ地蔵三人家族」です。 -
眺望散策路 アジサイの良縁地蔵
とびっきりの笑顔です。 -
眺望散策路 アジサイの良縁地蔵
一番高い展望台から一段降りた参道の途中に、2組目の良縁地蔵が佇みます。
良縁地蔵のあるポジションが判りますか? -
眺望散策路 ピーターパン
加茂花菖蒲園が作出したオリジナル品種です。白とブルーのグラデーションがとても魅力的です。
日本のアジサイの花言葉には「移り気」「高慢」「謙虚」「忍耐強い愛情」などがあり、花色が緑、白、青、赤紫と開花するにつれて変わることをなぞらえ、移り気な花としています。
一方、フランスの花言葉は、「元気な女性」です。フランスではアジサイが咲く頃は温暖で気候が良く、赤やピンクなどのカラフルな花のイメージから、こうした花言葉が付けられました。
同じ花ですが、花言葉が国によって違うのは面白いことです。 -
眺望散策路 かまくら
「かまくら」と命名されており、鎌倉名物のアジサイを代表する新品種のようです。
花言葉「忍耐強い愛情」の由来は結構複雑です。
ドイツ人医師シーボルトは、来日中に長崎の遊女「お滝」に夢中になりました。故郷の両親に宛てて「素晴らしく可愛い日本の女性と結婚しました」と手紙を送り、やがて女の子も生まれ、幸福な日々が続きました。しかし、一時帰国の際の荷物から国外への持ち出しが禁じられていた日本地図や葵の紋の羽織が発見され、スパイ容疑をかけられて国外追放されました。お滝と離別し、泣く泣くドイツへ戻ったシーボルトですが、その後の生涯を「日本学」の研究に捧げ、その研究成果の中に「お滝」の面影を留めたのです。長崎の中国寺で採取した空色のアジサイを「ハイドランドゼア・オタクサ」と名付けたのです。「オタクサ」とは、「お滝さん」のことです。シーボルトが、彼女の名を呼ぶ時の発音そのままを花の名にしたのでした。
この逸話に因んで付けられた花言葉です。 -
眺望散策路 アナベル
北米東部に自生するアメリカ・ノリノキの変種です。園芸品種として作出されたものではなく、イリノイ州アンナ市の近くで発見された、野生のアジサイです。
通常のアメリカ・ノリノキは小さな装飾花がガク状に付きますが、発見された変種は大きな装飾花を手毬状に咲かせるものでした。この変種をオランダで選別、改良し、品種化したのがアナベルです。
アナベルの名の由来には諸説ありますが、いずれにしても美しく繊細な花姿に相応しいものです。
①古代ローマ時代の男性名「アマビリス」を女性化した「アナベル」に由来するとの説。因みに、アマビリスとは「愛すべき」という意味です。
②アナベルの原種が発見されたイリノイ州アンナ市に因むとの説。「Anna belle」とは「アンナの美人」という意味です。
③エドガー・アラン・ポーが最後に残した詩「アナベル・リー」に由来するとの説。この詩は、米国の地方伝説にある「船乗りと娘の悲恋の物語」を元に創作されたとも言われています。伝説は亡くなってしまった娘を思い続ける船乗りの話で、ポーは若くして亡くなった妻への思いの丈をこの詩の中に綴っています。 -
眺望散策路
「あじさい路」は、段々畑を彷彿とさせるアジサイ園が幾重にも重畳し、アジサイ越しに由比ヶ浜も臨めるという、この上なく美しい所です。
ですからアジサイの最盛期には入場制限があります。渋滞ができた際、入山口にて整理券が配られます。本堂の左側から130段ほどの階段が続く山道を10分ほどかけて数珠繋ぎになって登って下りてくるのだそうです。その10分のための待ち時間は、2時間を下らないそうです。 -
眺望散策路 展望台
高台の斜面を登っていくと最高点に展望台(眺望の良いスペース)があります。
ここからは由比ヶ浜や材木座海岸、鎌倉の街並みが一望できます。
山号が「海光山」という意味が、納得できます。 -
眺望散策路 ベニガク
赤くもないのに「ベニガク」の名があるのは、不思議に思いませんか?
実は、最初は装飾花の色が純白ですが、次第に淡紅が差し、最後に紅色に染まる「七変化」を魅せる、額花中随一のものです。
ヤマアジサイの一品種で、江戸時代から知られているそうです。 -
眺望散策路 エーゲ海
加茂花菖蒲園が作出したガクアジサイのひとつです。
淡いピンクの装飾花と両性花の青とのコントラストが何とも個性的です。 -
眺望散策路 シチダンカ(七段花)
装飾花の萼片が重弁化したシチダンカは、兵庫県の六甲山系に自生するヤマアジサイの一種です。ヤマアジサイの八重咲きのものを指し、10~15枚の装飾花の外側は楕円形ですが、内側にいくほど小さく星型に重なり合っています。
和名は、花形が何段も重なったところに因みます。
シーボルトが発見して著書『フローラ・ジャポニカ』の中で「ヒドランゲア・ステルラダ」として紹介し、世界に知られるようになりましたが、日本人では誰も見た者がおらず、幻のアジサイと称されていました。また、江戸時代末期に絶滅したとも言われていました。しかし、1959(昭和34)年に六甲山で再発見され、挿し木によって日本中に広まったとされます。 -
眺望散策路 ベニガク
経蔵を囲む竹林の手前にもベニガクがあります。 -
眺望散策路 竹林の良縁地蔵
経蔵横の竹林に佇みます。 -
眺望散策路 竹林の良縁地蔵
両側の地蔵が手を外側で合わせている「石んこ地蔵三人日だまり」です。 -
経蔵
一切経を収める建物です。「輪蔵」と呼ばれる回転式の書架を時計回りに一回転することで、一切経を全て読んだのと同じ功徳があると言われています。
内部の側面にあるチベット仏教で用いられる、マニ車18基を回しながら一周します。マニ車には仏教用語のマントラが刻まれています。
因みに、輪蔵は、中国梁時代(五世紀)の学者 傅大士の発明によるものです。 -
経蔵
もう少しアジサイの色付きが進めば、経蔵の風鐸とアジサイのコンビネーションも見所です。 -
経蔵 輪蔵
回転させることができるのは、観音様の縁日である毎月18日に限られています。
その代わりに、四方の壁に同じ効能を持つ摩尼車が付けられています。
輪蔵の下には「般若心経」の中の一文字を記した石が納められています。 -
経蔵 輪蔵
近付いてよく観ると、微細な部分に至るまでしっかりと造り込まれています。
柱の上の唐獅子の木鼻もよくできています。 -
経蔵 輪蔵
支輪にも、もみじや波、瑞雲などが彫られ、興味深いものです。
経庫の柱の頂上部には、牡丹の木鼻を付けています。 -
経蔵 輪蔵
柱にも、異なった意匠の繊細な彫刻が施されています。右側の柱は、雲文の一種の州浜型と言われる文様ですが、その中に「葵の紋」が彫られています。
両開きの桟唐戸と柱の間の小脇壁にも植物をあしらった細かい彫り物が施されています。 -
経蔵
昨日のお湿りで青もみじも鮮やかです。 -
食事処「海光庵」
入口の右脇に佇む地蔵です。表情が何とも言えません。
「海光庵」は、精進料理を現代風にアレンジした料理が中心です。
TVでも取り上げられた人気メニューは「お寺のカレー」です。ご飯には雑穀米を使用し、ルーに肉類を一切使わないという拘りようです。 -
苔庭
経蔵に向かって右脇にあります。
深い緑の苔が心を落ち着かせてくれます。 -
方丈池
深い碧の空間に、筧(竹水栓)からの白い水飛沫が映えます。真っ直ぐ池に落ちるのではなく、水面から出っ張った岩に一度当って跳ね返ってから落ちる腰折れになっています。池に棲む鯉や亀への気遣いでしょうか…。
ところで、この筧はとても長いのですが、どのように節に穴を開けているのか気になるところです。 -
和み地蔵
やさしい表情で参拝者を出迎える「和み地蔵」も石神彫刻工房で制作されたものです。弁天窟へ向かうと左手の木陰に潜んでいます。往路は樹木の陰になっているので、見逃すこともあるかも…。
この「和み地蔵」をモチーフにしたお守り「和み地蔵お守り」は、安らぎと幸せを招くとされており、鎌倉土産として人気です。 -
弁天窟
放生池の先へ進むと見えてくる赤い鳥居が「弁天窟」です。
ここは弘法大師空海が参籠して修行した洞窟とされており、薄暗い洞窟内の壁面には弁財天とその従者である十六童子が彫られています。奉納用のローソクに名前を書き、ご利益を授かりたいと思う神にローソクをお供えします。
ここは、金運・仕事運アップのパワースポットです。 -
弁天窟
ここは別料金は不要な施設です。
入口はこんなに狭くなっています。 -
弁天窟 宇賀神
入洞後、直ぐ右側に祀られているのが宇賀神です。
人頭蛇身でとぐろを巻く姿をした、頭部も老翁や女性であったりと諸説あり一様ではありません。弁財天と一体の神として、雨を降らし、穀物を育てる神です。 -
弁天窟 酒泉童子
こちらは十六童子のひとつの「酒泉童子」です。
酒泉童子は、別名「密跡童子」とも言われ、本地は無料寿佛、お酒の神様です。
面白いのは、童子が抱える酒瓶から地下水が染み出しており、まるで酒瓶からお酒が無尽蔵に湧き出しているように見えることです。
そこまで熟慮して彫られたものなら、頭が下がります。 -
弁天窟
弁天窟の壁に彫られた十六童子です。 -
弁天窟 弁財天
琵琶を奏でる弁財天です。 -
弁天窟
ここが洞窟内の最奥エリアです。
屈まないと天井に頭を打ち付けてしまいます。
最奥の壁面に安置された彫像(二臂の弁財天と十六童子)は、1967(昭和42)年に寄進されたものです。 -
弁天窟
洞窟内の最奥にある壁面には二臂の弁財天とその眷属(けんぞく)の十六童子が彫られており、かつては「出世弁財天」として信仰を集めていました。
現在は本尊が観音ミュージアムに移されているため、弁天堂には「福徳弁財天」が祀られています。
本尊は、弘法大師がこの寺に立ち寄った際、自ら「八臂弁財天像」を刻んだと伝えられており、高さ17cm程で、仏像の中でも、1、2を争う可憐なものです。 -
弁天窟
周囲には、奉納された多数のミニ弁財天が無数に安置されています。
弁天様のミニチュアに願いを込めて奉納します。 -
弁天窟
弁財天に絵馬でお願いもできます。
絵馬は、結構、国際色豊かです。
この続きは、問柳尋花 鎌倉紀行⑥高徳員 鎌倉大仏でお届けいたします。
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