鎌倉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
標高147mの六国見山の麓、鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院で、山号は「福源山」です。開基は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)、本尊には聖観音菩薩を祀ります。因みに。「ミシュラン・グリーンガイド」2つ星の観光地です。<br />名月院は、源頼朝の父 義朝と平清盛が戦った平治の乱(1159年)で戦死したこの地の住人 首藤刑部大輔俊道の菩提を弔うため、その子 山ノ内経俊が建立した「明月庵」が前身と伝わります。<br />一方、1256(康元元)年、5代執権 北条時頼の治世には北条政権は盤石となり、深く禅宗に帰依し、「明月庵」の近隣に時頼が持仏堂を造営し「最明寺」と名付けました。時頼の死後に廃絶しますが、8代執権 時宗が蘭渓道隆を開山にその跡地に「禅興寺」を再興しました。その際、「明月庵」は禅興寺の塔頭となりました。<br />1380(康歴2)年、足利氏満が関東官領 上杉憲方に禅興寺の再興を命じ、寺院を拡張しました。「明月庵」は、密室守厳を開山に「明月院」と改名され、塔頭の首位に置かれました。「明月院」の名は、開基 上杉憲方の法号「明月院天樹道合」から採られています。<br />その後、3代将軍 足利義満の治世には禅興寺は関東十刹の一位となり栄えましたが、戦国時代には衰退し、明治初年に廃寺となりました。しかし、塔頭の明月院だけは残され現在に至ります。この禅興寺と明月院の歴史は、本寺と塔頭の関係が下克上のように逆転するという珍しいケースです。<br />明月院は観音霊場めぐり鎌倉三十三ヶ所の第三十番札所でもあります。本尊 聖観音菩薩は「明月(あかつき)の観音さま」と親しまれ、子授の霊験あらたかとされます。 <br />太平洋戦争後、「あじさい寺」として有名になり、北鎌倉の山里にひっそりと佇む女性的な優美さを魅せる禅寺となっています。

問柳尋花 鎌倉紀行③明月院

923いいね!

2018/05/24 - 2018/05/25

4位(同エリア7311件中)

0

63

montsaintmichel

montsaintmichelさん

標高147mの六国見山の麓、鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院で、山号は「福源山」です。開基は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)、本尊には聖観音菩薩を祀ります。因みに。「ミシュラン・グリーンガイド」2つ星の観光地です。
名月院は、源頼朝の父 義朝と平清盛が戦った平治の乱(1159年)で戦死したこの地の住人 首藤刑部大輔俊道の菩提を弔うため、その子 山ノ内経俊が建立した「明月庵」が前身と伝わります。
一方、1256(康元元)年、5代執権 北条時頼の治世には北条政権は盤石となり、深く禅宗に帰依し、「明月庵」の近隣に時頼が持仏堂を造営し「最明寺」と名付けました。時頼の死後に廃絶しますが、8代執権 時宗が蘭渓道隆を開山にその跡地に「禅興寺」を再興しました。その際、「明月庵」は禅興寺の塔頭となりました。
1380(康歴2)年、足利氏満が関東官領 上杉憲方に禅興寺の再興を命じ、寺院を拡張しました。「明月庵」は、密室守厳を開山に「明月院」と改名され、塔頭の首位に置かれました。「明月院」の名は、開基 上杉憲方の法号「明月院天樹道合」から採られています。
その後、3代将軍 足利義満の治世には禅興寺は関東十刹の一位となり栄えましたが、戦国時代には衰退し、明治初年に廃寺となりました。しかし、塔頭の明月院だけは残され現在に至ります。この禅興寺と明月院の歴史は、本寺と塔頭の関係が下克上のように逆転するという珍しいケースです。
明月院は観音霊場めぐり鎌倉三十三ヶ所の第三十番札所でもあります。本尊 聖観音菩薩は「明月(あかつき)の観音さま」と親しまれ、子授の霊験あらたかとされます。
太平洋戦争後、「あじさい寺」として有名になり、北鎌倉の山里にひっそりと佇む女性的な優美さを魅せる禅寺となっています。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
新幹線 JRローカル
  • 門柱<br />鎌倉街道を北上し、JR横須賀線北鎌倉駅の400m程手前で右折して「明月院通り」に入ります。小川沿いに伸びる小径は、古都 鎌倉の風情と静けさに満ちています。<br />建長寺から徒歩7分程の距離です。

    門柱
    鎌倉街道を北上し、JR横須賀線北鎌倉駅の400m程手前で右折して「明月院通り」に入ります。小川沿いに伸びる小径は、古都 鎌倉の風情と静けさに満ちています。
    建長寺から徒歩7分程の距離です。

  • 門柱<br />明月院の門前の石碑には、明月院の上に「本朝十刹第一位 禅興仰聖禅寺跡」と刻まれています。明月院は元々は「明月庵」と呼ばれ、禅興寺という禅寺の塔頭だったことを表わしています。<br />

    門柱
    明月院の門前の石碑には、明月院の上に「本朝十刹第一位 禅興仰聖禅寺跡」と刻まれています。明月院は元々は「明月庵」と呼ばれ、禅興寺という禅寺の塔頭だったことを表わしています。

  • 総門<br />門を入って正面にあるのが総門です。<br />入口は、総門の手前左手にあります。

    総門
    門を入って正面にあるのが総門です。
    入口は、総門の手前左手にあります。

  • パンフレットにある境内マップです。<br />四季折々に境内に咲く花が紹介されています。

    パンフレットにある境内マップです。
    四季折々に境内に咲く花が紹介されています。

  • パンフレットの表紙は、方丈の円窓の前で跳ねるウサギのシルエットです。<br />この明月院では、円窓は「月」の象徴ともされ「月見の窓」とも呼ばれます。<br />つまり、窓の向こう側に見えるのは、月の世界…。パンフレットの写真のように月の夜には、ウサギが跳ねて出てきても何ら不思議ではない雰囲気です。「明月院」の文字には「月」がふたつもあるのですから…。<br />因みに、この明月院は別称「ウサギ寺」とも呼ばれています。実際にウサギも飼われており、境内のそこかしこにウサギの置物が見られます。

    パンフレットの表紙は、方丈の円窓の前で跳ねるウサギのシルエットです。
    この明月院では、円窓は「月」の象徴ともされ「月見の窓」とも呼ばれます。
    つまり、窓の向こう側に見えるのは、月の世界…。パンフレットの写真のように月の夜には、ウサギが跳ねて出てきても何ら不思議ではない雰囲気です。「明月院」の文字には「月」がふたつもあるのですから…。
    因みに、この明月院は別称「ウサギ寺」とも呼ばれています。実際にウサギも飼われており、境内のそこかしこにウサギの置物が見られます。

  • 茶々橋<br />この寺は「ウサギ寺」でもあると記しました。<br />小さな橋の上に可愛いらしい動物たちを見つけました。ライバル同士が仲良く並んで月を見つめるのは、禅的に何か意味を持たせたものでしょうか?<br />「競争などそもそも無意味」と説いているのかもしれません。

    茶々橋
    この寺は「ウサギ寺」でもあると記しました。
    小さな橋の上に可愛いらしい動物たちを見つけました。ライバル同士が仲良く並んで月を見つめるのは、禅的に何か意味を持たせたものでしょうか?
    「競争などそもそも無意味」と説いているのかもしれません。

  • 桂橋<br />参道横道の小川の上に架けられた白木で造られた橋です。

    桂橋
    参道横道の小川の上に架けられた白木で造られた橋です。

  • 桂橋<br />桂橋の階段を登っていくと、総門、太鼓橋の「玉澗橋」と先ほど渡った「茶々橋」が見下ろせます。<br />この時期に鎌倉旅行を企画したのは、アジサイシーズン前にゆっくり鎌倉を堪能するためでした。しかし、幸か不幸か季節が10日程先行していることもあり、気の早いアジサイ目当ての参禅者も結構おられ、当てが外れてしまいました。

    桂橋
    桂橋の階段を登っていくと、総門、太鼓橋の「玉澗橋」と先ほど渡った「茶々橋」が見下ろせます。
    この時期に鎌倉旅行を企画したのは、アジサイシーズン前にゆっくり鎌倉を堪能するためでした。しかし、幸か不幸か季節が10日程先行していることもあり、気の早いアジサイ目当ての参禅者も結構おられ、当てが外れてしまいました。

  • 参道<br />この周辺がヒメアジサイの密集地帯です。右側の石段が明月院のアジサイを紹介する旅行ガイドブックなどでよく目にする「アジサイの参道」です。<br />明月院と言えば、条件反射的に「アジサイ」が浮かんできます。境内に植えられたアジサイは約2500株ありますが、ほとんどが「ヒメアジサイ」という日本古来の品種で統一され、鮮やかな濃い青色の花が群がる様は圧巻です。発色の美しさは「明月院ブルー」とも称され、神秘的でもあります。特に山門へと続く石段の両側に咲くアジサイは、フォトジェニックです。

    参道
    この周辺がヒメアジサイの密集地帯です。右側の石段が明月院のアジサイを紹介する旅行ガイドブックなどでよく目にする「アジサイの参道」です。
    明月院と言えば、条件反射的に「アジサイ」が浮かんできます。境内に植えられたアジサイは約2500株ありますが、ほとんどが「ヒメアジサイ」という日本古来の品種で統一され、鮮やかな濃い青色の花が群がる様は圧巻です。発色の美しさは「明月院ブルー」とも称され、神秘的でもあります。特に山門へと続く石段の両側に咲くアジサイは、フォトジェニックです。

  • 参道<br />鎌倉を代表するアジサイの名所「明月院」の代名詞とも言える石段の参道です。<br />参道の両側から覆い被さるように咲き誇るアジサイの花々の見事さは、「あじさい寺」の名に相応しい優美さを湛えています。すり減った砂岩系鎌倉石の石段が古刹の歴史を黙して語ります。

    参道
    鎌倉を代表するアジサイの名所「明月院」の代名詞とも言える石段の参道です。
    参道の両側から覆い被さるように咲き誇るアジサイの花々の見事さは、「あじさい寺」の名に相応しい優美さを湛えています。すり減った砂岩系鎌倉石の石段が古刹の歴史を黙して語ります。

  • 参道<br />地元で「アジサイ公害」と閉口されているのが梅雨の季節です。シーズン中の週末は、JR北鎌倉駅から明月院まで数百mもの大行列が終日続くそうです。境内も押すな押すなの大盛況で、ゆっくり花を愛でたり、気に入った構図で写真を撮るなどすれば白い目で見られるとも。当方のような根性無しでは、シーズン中にアジサイを堪能することは不可能です。どうやら、明月院のアジサイは有名になり過ぎたようです。

    参道
    地元で「アジサイ公害」と閉口されているのが梅雨の季節です。シーズン中の週末は、JR北鎌倉駅から明月院まで数百mもの大行列が終日続くそうです。境内も押すな押すなの大盛況で、ゆっくり花を愛でたり、気に入った構図で写真を撮るなどすれば白い目で見られるとも。当方のような根性無しでは、シーズン中にアジサイを堪能することは不可能です。どうやら、明月院のアジサイは有名になり過ぎたようです。

  • 参道<br />明月院は、昔から「アジサイ寺」として知られていた訳ではありません。そもそもアジサイを植え始めたのは戦後です。先代住職がヒメアジサイを植えた理由には、3つの説があります。まず、「境内を手入れする人手が足りず、手入れが楽なアジサイを植えた」。次に、「物資や人手が不足して参道を整備する杭が足らず、杭の代わりにアジサイを植えた」。最後が、「戦争で荒んでしまった世の中と、人々の心を癒すために植えた」です。そして挿し木を続けた結果、この世とは思えないほど幻想的な花景色をつくりあげ、やがて「アジサイ寺」として名が通ったのは昭和40年代です。しかし、明月院にヒメアジサイがどのようなルートで入ってきたかはようとして定かではありません<br />因みに、明月院のアジサイの花色は「明月院ブルー」が特徴で、95%が明月院ブルーだそうです。アジサイは、湿気が増すと花色が濃くなっていきます。これからひと雨ごとに色濃くなっていきます。

    参道
    明月院は、昔から「アジサイ寺」として知られていた訳ではありません。そもそもアジサイを植え始めたのは戦後です。先代住職がヒメアジサイを植えた理由には、3つの説があります。まず、「境内を手入れする人手が足りず、手入れが楽なアジサイを植えた」。次に、「物資や人手が不足して参道を整備する杭が足らず、杭の代わりにアジサイを植えた」。最後が、「戦争で荒んでしまった世の中と、人々の心を癒すために植えた」です。そして挿し木を続けた結果、この世とは思えないほど幻想的な花景色をつくりあげ、やがて「アジサイ寺」として名が通ったのは昭和40年代です。しかし、明月院にヒメアジサイがどのようなルートで入ってきたかはようとして定かではありません
    因みに、明月院のアジサイの花色は「明月院ブルー」が特徴で、95%が明月院ブルーだそうです。アジサイは、湿気が増すと花色が濃くなっていきます。これからひと雨ごとに色濃くなっていきます。

  • 参道<br />「ヒメアジサイ」の名付け親は、植物学者 牧野富太郎氏です。1928(昭和3)年に長野県戸隠で古くから栽培されていたアジサイが他に比べて女性的で可憐だったことから、「姫」の名前を贈ったそうです。<br />一重手鞠咲きの「ヒメアジサイ」は、雪国生まれ故に枝はしなやかで垂れ易く、まるでおじきをするように頭を垂れ、参禅者を迎え入れてくれます。花色は、透明感のある咲き始めから次第に濃さを増し、澄み切った空色から深いブルーへと妖艶に移り変わります。<br />ヒメアジサイは古い種であるためその来歴が定かではありませんが、エゾアジサイとホンアジサイの交雑種であると推定されています。装飾花(飾りの花)が重なるようにして手鞠咲きになっているヒメアジサイの中には、ハート型に見えるものもあります。

    参道
    「ヒメアジサイ」の名付け親は、植物学者 牧野富太郎氏です。1928(昭和3)年に長野県戸隠で古くから栽培されていたアジサイが他に比べて女性的で可憐だったことから、「姫」の名前を贈ったそうです。
    一重手鞠咲きの「ヒメアジサイ」は、雪国生まれ故に枝はしなやかで垂れ易く、まるでおじきをするように頭を垂れ、参禅者を迎え入れてくれます。花色は、透明感のある咲き始めから次第に濃さを増し、澄み切った空色から深いブルーへと妖艶に移り変わります。
    ヒメアジサイは古い種であるためその来歴が定かではありませんが、エゾアジサイとホンアジサイの交雑種であると推定されています。装飾花(飾りの花)が重なるようにして手鞠咲きになっているヒメアジサイの中には、ハート型に見えるものもあります。

  • 山門<br />扁額には山号の「福源山」とあります。<br />山門は人が2人並んで通れるくらいのこじんまりしたものです。華やかさや荘厳さはありませんが、境内の自然と調和し、風情が感じられる佇まいです。<br />

    山門
    扁額には山号の「福源山」とあります。
    山門は人が2人並んで通れるくらいのこじんまりしたものです。華やかさや荘厳さはありませんが、境内の自然と調和し、風情が感じられる佇まいです。

  • 山門<br />さりげなく竹筒には楚々とした挿し花がなされ、細やかな心遣いで優しく迎え入れてくれます。<br />明月院の女性的な優美さは、後世に祀られた聖観音菩薩像を本尊としていることが影響しているかもしれません。「観音経」は正式には「観世音菩薩普門品」と言い、「妙法蓮華経」(法華経)の第25品にあります。美しい詩が多数納められた観音経は、明月院の流麗な佇まいと通ずる趣があります。<br />尚、このように聖観音菩薩を「女性」的に見る趣向はインドや中国には見られず、日本独自のものだそうです。

    山門
    さりげなく竹筒には楚々とした挿し花がなされ、細やかな心遣いで優しく迎え入れてくれます。
    明月院の女性的な優美さは、後世に祀られた聖観音菩薩像を本尊としていることが影響しているかもしれません。「観音経」は正式には「観世音菩薩普門品」と言い、「妙法蓮華経」(法華経)の第25品にあります。美しい詩が多数納められた観音経は、明月院の流麗な佇まいと通ずる趣があります。
    尚、このように聖観音菩薩を「女性」的に見る趣向はインドや中国には見られず、日本独自のものだそうです。

  • 方丈(紫陽殿)<br />本尊 聖観音菩薩坐像が祀られています。<br />堂内の中央に密室守厳の木像、向かって左に最明寺、禅興寺、明月院の歴代住持の位牌が祀られています。 <br />密室守厳は、建長寺を開山した蘭渓道隆(大覚禅師)の5代目の法孫に当たります。<br />本堂前に据えられている大香炉には、山ノ内首藤氏の家紋「一文字紋」が輝きます。

    方丈(紫陽殿)
    本尊 聖観音菩薩坐像が祀られています。
    堂内の中央に密室守厳の木像、向かって左に最明寺、禅興寺、明月院の歴代住持の位牌が祀られています。
    密室守厳は、建長寺を開山した蘭渓道隆(大覚禅師)の5代目の法孫に当たります。
    本堂前に据えられている大香炉には、山ノ内首藤氏の家紋「一文字紋」が輝きます。

  • 方丈<br />鴟尾には、迦陵頻伽(天女)が見られます。<br />

    方丈
    鴟尾には、迦陵頻伽(天女)が見られます。

  • 方丈<br />右側の迦陵頻伽は、何かを抱えているように見えます。<br />瓦の紋は、「一文字紋」と「三つ柏紋」を交互に配しています。

    方丈
    右側の迦陵頻伽は、何かを抱えているように見えます。
    瓦の紋は、「一文字紋」と「三つ柏紋」を交互に配しています。

  • 方丈<br />左側の迦陵頻伽は、横笛を吹いています。

    方丈
    左側の迦陵頻伽は、横笛を吹いています。

  • 方丈 円窓<br />アジサイと共に名月院の顔となっているのが、「悟りの窓」です。四季に彩られた、関東十刹の一位を偲ばせる名園「後庭園」の風景が円窓で切り取られ、その眺めはまるで一幅の絵のようです。<br />

    方丈 円窓
    アジサイと共に名月院の顔となっているのが、「悟りの窓」です。四季に彩られた、関東十刹の一位を偲ばせる名園「後庭園」の風景が円窓で切り取られ、その眺めはまるで一幅の絵のようです。

  • 方丈 円窓<br />円は、禅宗においては悟りや宇宙の真理、大宇宙などを表わします。誰もが写真に撮らずにはいられない絵になる光景です。<br />

    方丈 円窓
    円は、禅宗においては悟りや宇宙の真理、大宇宙などを表わします。誰もが写真に撮らずにはいられない絵になる光景です。

  • 方丈 円窓<br />こうした緑一色の空間を円に切り取る風景は、心穏やかにしてくれます。<br />パンフレットの表紙をイメージして一枚撮ろうとカメラを構えると、手前の木の上から、何かが猛スピードで駆け降りてきました。<br />ひょっとして「ウサギ」?<br />そんなわけはありませんが、野生の「リス」でした。<br />年齢と共に反射神経も鈍って来たのか、すんでのところで捕えています。コンデジの応答性だったら、無理だったかもしれません。<br />いずれにしても、千載一遇のショットになりました。<br />これは聖観音菩薩のご利益ということでしょうか?

    方丈 円窓
    こうした緑一色の空間を円に切り取る風景は、心穏やかにしてくれます。
    パンフレットの表紙をイメージして一枚撮ろうとカメラを構えると、手前の木の上から、何かが猛スピードで駆け降りてきました。
    ひょっとして「ウサギ」?
    そんなわけはありませんが、野生の「リス」でした。
    年齢と共に反射神経も鈍って来たのか、すんでのところで捕えています。コンデジの応答性だったら、無理だったかもしれません。
    いずれにしても、千載一遇のショットになりました。
    これは聖観音菩薩のご利益ということでしょうか?

  • 絵馬堂<br />絵馬は、シンボルでもある「明月院ブルー」のヒメアジサイです。

    絵馬堂
    絵馬は、シンボルでもある「明月院ブルー」のヒメアジサイです。

  • 枯山水庭園<br />方丈と本堂後庭園の間にあります。こじんまりとした小さな庭園ですが、白砂ときれいに整えられたツツジの植え込みの緑とのコントラストが見事です。<br />この枯山水は須弥山を表しているそうです。須弥山とは仏教世界観の中での世界の中心にある山です。この山裾に人が住んでいると言われています。

    枯山水庭園
    方丈と本堂後庭園の間にあります。こじんまりとした小さな庭園ですが、白砂ときれいに整えられたツツジの植え込みの緑とのコントラストが見事です。
    この枯山水は須弥山を表しているそうです。須弥山とは仏教世界観の中での世界の中心にある山です。この山裾に人が住んでいると言われています。

  • 開山堂(宗猷堂:そうゆうどう)<br />宝珠を載せた茅葺屋根、寄棟造の風情ある小さな庵です。元々禅興寺の明月院の境内にあった宗猷堂をリサイクルしたものです。現存する境内の建物では最古であり、南北朝時代の1380年頃の建立です。仏殿の役割を持ち、堂内には密室守厳(みっしつしゅげん)の木像が安置されています。<br />明月院は室町時代に関東管領 上杉憲方によって前身の名月庵から筆頭 塔頭「明月院」になりました。この時に明月院を開山した禅僧が密室守厳です。

    開山堂(宗猷堂:そうゆうどう)
    宝珠を載せた茅葺屋根、寄棟造の風情ある小さな庵です。元々禅興寺の明月院の境内にあった宗猷堂をリサイクルしたものです。現存する境内の建物では最古であり、南北朝時代の1380年頃の建立です。仏殿の役割を持ち、堂内には密室守厳(みっしつしゅげん)の木像が安置されています。
    明月院は室町時代に関東管領 上杉憲方によって前身の名月庵から筆頭 塔頭「明月院」になりました。この時に明月院を開山した禅僧が密室守厳です。

  • 花想い地蔵<br />開山堂への参道左手に隠れておられます。<br />季節の花が捧げられ、この時期はあじさいの花が飾られます。首飾りやイヤリングもブルーでコーディネートされた、お洒落な地蔵です。<br />立札には、「人は誰しも、はかない花の想い出の中に生きています。大切な人との別れ、いとおし物の別れ。そんな時、ふと目に止まった花の、どんなにか心を慰めてくれたでしょうか」と書かれています。

    花想い地蔵
    開山堂への参道左手に隠れておられます。
    季節の花が捧げられ、この時期はあじさいの花が飾られます。首飾りやイヤリングもブルーでコーディネートされた、お洒落な地蔵です。
    立札には、「人は誰しも、はかない花の想い出の中に生きています。大切な人との別れ、いとおし物の別れ。そんな時、ふと目に止まった花の、どんなにか心を慰めてくれたでしょうか」と書かれています。

  • 明月院やぐら(羅漢洞)<br />人が削ってできた崖を、鎌倉では「切岸(きりぎし)」と呼んでいます。狭い谷戸の土地を広げるために、岩盤を削った跡です。 「やぐら」は、その切岸を更にくり抜いて造った鎌倉特有の中世の洞窟墳墓です。鎌倉は、三方を山、一方を海に囲まれた天然の要害であり、利用できる平地が限られていました。それ故に「鎌倉御符内における墳墓を禁じる法」で平地に墓所を造ることを禁じた結果、平地の面積を減らすことのない崖に横穴を掘った墓所が跋扈しました。

    明月院やぐら(羅漢洞)
    人が削ってできた崖を、鎌倉では「切岸(きりぎし)」と呼んでいます。狭い谷戸の土地を広げるために、岩盤を削った跡です。 「やぐら」は、その切岸を更にくり抜いて造った鎌倉特有の中世の洞窟墳墓です。鎌倉は、三方を山、一方を海に囲まれた天然の要害であり、利用できる平地が限られていました。それ故に「鎌倉御符内における墳墓を禁じる法」で平地に墓所を造ることを禁じた結果、平地の面積を減らすことのない崖に横穴を掘った墓所が跋扈しました。

  • 明月院やぐら<br />時代的には鎌倉~室町時代の間です。明月院の山の壁面には複数のやぐらの遺構があります。その中でも異彩を放つのが鎌倉で最大級とされる「明月院やぐら」です。鎌倉内では彫刻が一番立派なやぐらだそうです。<br />鎌倉を歩くと、随所で「やぐら」に遭遇し、歴史が折り重なった街だということを実感させられます。<br />

    明月院やぐら
    時代的には鎌倉~室町時代の間です。明月院の山の壁面には複数のやぐらの遺構があります。その中でも異彩を放つのが鎌倉で最大級とされる「明月院やぐら」です。鎌倉内では彫刻が一番立派なやぐらだそうです。
    鎌倉を歩くと、随所で「やぐら」に遭遇し、歴史が折り重なった街だということを実感させられます。

  • 明月院やぐら<br />間口7m、奥行き6m、高さ3mあり、現存する鎌倉時代のやぐらとしては最大級です。元々は、平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提を供養した墓所とされます。その約220年後、その墓所に上杉憲方が生前に自分の墓塔を建立したとされます。<br />壁面中央には阿弥陀如来像と多宝如来像の浮き彫りが並び、それらを十六羅漢像が囲んでいます。地蔵でなく仏像が彫られているのは、鎌倉でも珍しいそうです。凝灰岩のため彫り物はかなり風化していますが、その歴史の重みも含めて荘厳な雰囲気を醸しています。

    明月院やぐら
    間口7m、奥行き6m、高さ3mあり、現存する鎌倉時代のやぐらとしては最大級です。元々は、平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提を供養した墓所とされます。その約220年後、その墓所に上杉憲方が生前に自分の墓塔を建立したとされます。
    壁面中央には阿弥陀如来像と多宝如来像の浮き彫りが並び、それらを十六羅漢像が囲んでいます。地蔵でなく仏像が彫られているのは、鎌倉でも珍しいそうです。凝灰岩のため彫り物はかなり風化していますが、その歴史の重みも含めて荘厳な雰囲気を醸しています。

  • 明月院やぐら<br />中央には明月院の開基 上杉憲方の生前墓塔とされる大形の石造宝篋印塔が佇みます。その前には、禅宗様式を表した香炉が安置されています。 <br />

    明月院やぐら
    中央には明月院の開基 上杉憲方の生前墓塔とされる大形の石造宝篋印塔が佇みます。その前には、禅宗様式を表した香炉が安置されています。

  • 明月院やぐら<br />かなり風化していますが、十六羅漢像です。

    明月院やぐら
    かなり風化していますが、十六羅漢像です。

  • 甕(かめ)の井<br />鎌倉十井のひとつですが、内部を見ることはできません。<br />硬い岩盤を垂直に掘って造られたため、内部に水瓶のような膨らみがあり、これが「甕の井」の名の由来です。今でも名水が湧き出す現役の井戸です。<br />アジサイの季節にはつるべの中にアジサイの花が活けられていることもあります。<br /><br />

    甕(かめ)の井
    鎌倉十井のひとつですが、内部を見ることはできません。
    硬い岩盤を垂直に掘って造られたため、内部に水瓶のような膨らみがあり、これが「甕の井」の名の由来です。今でも名水が湧き出す現役の井戸です。
    アジサイの季節にはつるべの中にアジサイの花が活けられていることもあります。

  • 周りは崖に囲まれており、山を削って寺院を建立していることが判ります。

    周りは崖に囲まれており、山を削って寺院を建立していることが判ります。

  • 明月院のもうひとつのマニアックな愉しみ方は、「ウサギ」探索です。<br />「月」が付く寺の名に因み、ウサギグッズがそこかしこに見られ、心和ませます。「明月院」→「月」→「ウサギ」と連想させ、ウサギの置物が配置されるようになったそうです。<br />また、本物のウサギと触れ合えるコーナーもあり、ファミリーで過ごせます。

    明月院のもうひとつのマニアックな愉しみ方は、「ウサギ」探索です。
    「月」が付く寺の名に因み、ウサギグッズがそこかしこに見られ、心和ませます。「明月院」→「月」→「ウサギ」と連想させ、ウサギの置物が配置されるようになったそうです。
    また、本物のウサギと触れ合えるコーナーもあり、ファミリーで過ごせます。

  • 足元を照らしてくれるのは、こんな可愛い地蔵です。

    足元を照らしてくれるのは、こんな可愛い地蔵です。

  • 参道<br />山門から参道を見下ろすとこんな様子です。<br />寺院にアジサイが多く植えられている理由として、もうひとつの説があります。 それは、仏教には「諸行無常」の教えがあることです。<br />諸行無常とは、「この世のすべては常に変化し、永久不変なものはない」という意味です。 色が変化していくアジサイは、諸行無常を表現するに適した花ということです。また、地蔵が持つ丸い宝珠があじさいに似ているからとも言われています。

    参道
    山門から参道を見下ろすとこんな様子です。
    寺院にアジサイが多く植えられている理由として、もうひとつの説があります。 それは、仏教には「諸行無常」の教えがあることです。
    諸行無常とは、「この世のすべては常に変化し、永久不変なものはない」という意味です。 色が変化していくアジサイは、諸行無常を表現するに適した花ということです。また、地蔵が持つ丸い宝珠があじさいに似ているからとも言われています。

  • 参道<br />鎌倉の街は、小高い山々が入り組んだ尾根をなしています。尾根が作る谷は、谷戸(やと)と呼ばれ、古寺の多くはこの谷戸にあります。 ここでも谷戸の豊富な水を生かして、花々が育てられています。 <br />

    参道
    鎌倉の街は、小高い山々が入り組んだ尾根をなしています。尾根が作る谷は、谷戸(やと)と呼ばれ、古寺の多くはこの谷戸にあります。 ここでも谷戸の豊富な水を生かして、花々が育てられています。

  • 竹林<br />アジサイの参道の途中からトラバースして、竹林の中も散策してみました。凛とした空気が漂う禅寺の境内には、真っ直ぐに伸びた美しい竹がよく似合います。<br />手前のアジサイがもう少し色付いていれば、最高なのですが…。本来ならアジサイを愛でられる時期ではないので、淡い色のアジサイもご利益と思って感謝します。

    竹林
    アジサイの参道の途中からトラバースして、竹林の中も散策してみました。凛とした空気が漂う禅寺の境内には、真っ直ぐに伸びた美しい竹がよく似合います。
    手前のアジサイがもう少し色付いていれば、最高なのですが…。本来ならアジサイを愛でられる時期ではないので、淡い色のアジサイもご利益と思って感謝します。

  • 竹林<br />「竹を傷つけないで下さい。あなたの心にも大きな傷が残ります」とあります。さすがは精神世界を重んじる禅寺の注意書きです。肝に銘じておきます。<br />余談ですが、京都の観光名所 嵐山の竹林では、竹が刃物のようなもので彫られ、落書きされる被害が相次いでいます。アルファベットや中国語、韓国語などでカップルとおぼしき名前やイニシャル、日付、ハートマークなどが無惨に刻まれています。勿論、日本語もあります。落書きを消すには伐採するしかないそうですが、苦肉の策として傷を隠すために緑色のテープを貼っているようです。こうしたインバウンドによる心無い被害に対する予防策が、観光大国を目指す日本に突きつけられてる現状を政府関係者は知っているのでしょうか?

    竹林
    「竹を傷つけないで下さい。あなたの心にも大きな傷が残ります」とあります。さすがは精神世界を重んじる禅寺の注意書きです。肝に銘じておきます。
    余談ですが、京都の観光名所 嵐山の竹林では、竹が刃物のようなもので彫られ、落書きされる被害が相次いでいます。アルファベットや中国語、韓国語などでカップルとおぼしき名前やイニシャル、日付、ハートマークなどが無惨に刻まれています。勿論、日本語もあります。落書きを消すには伐採するしかないそうですが、苦肉の策として傷を隠すために緑色のテープを貼っているようです。こうしたインバウンドによる心無い被害に対する予防策が、観光大国を目指す日本に突きつけられてる現状を政府関係者は知っているのでしょうか?

  • 竹林<br />方丈の瓦を葺き替えた時のものが竹林に安置されています。<br />宝珠のようなものを抱えている迦陵頻伽(天女)です。<br />鬼瓦には、「三つ柏」紋があります。<br />

    竹林
    方丈の瓦を葺き替えた時のものが竹林に安置されています。
    宝珠のようなものを抱えている迦陵頻伽(天女)です。
    鬼瓦には、「三つ柏」紋があります。

  • 竹林<br />こちらは、横笛を吹く迦陵頻伽です。

    竹林
    こちらは、横笛を吹く迦陵頻伽です。

  • 玉澗(ぎょくかん)橋<br />太鼓橋は、「玉澗橋」と名付けられています。<br />玉澗橋は、室町時代後期から戦国時代初期にかけての臨済宗大覚派の僧侶であり、明月院の住持を勤めていた玉隠英與(ぎょくいんえいよ)の道号「玉澗」に因みます。また、玉隠は建長寺164世住持も務め鎌倉五山のトップに君臨した詩僧でもあります。更には、開山堂が別称「宗猷堂」と呼ばれるのは、禅興寺8世の玉隠が天皇から送られた宗猷大光禅師(そうゆうたいこうでんじ)という名が由来です。<br />里見義豊はじめ古河公方や関東管領、扇谷上杉家の家宰太田道潅などの帰依を受け、戦乱で荒廃した鎌倉の寺社の復興に活躍した他、文芸活動をしていた禅僧 万里集九とも親交があり、鎌倉の中世文化を担った能文家として知られる往時の一流文化人でした。93歳の天寿を全うされています。

    玉澗(ぎょくかん)橋
    太鼓橋は、「玉澗橋」と名付けられています。
    玉澗橋は、室町時代後期から戦国時代初期にかけての臨済宗大覚派の僧侶であり、明月院の住持を勤めていた玉隠英與(ぎょくいんえいよ)の道号「玉澗」に因みます。また、玉隠は建長寺164世住持も務め鎌倉五山のトップに君臨した詩僧でもあります。更には、開山堂が別称「宗猷堂」と呼ばれるのは、禅興寺8世の玉隠が天皇から送られた宗猷大光禅師(そうゆうたいこうでんじ)という名が由来です。
    里見義豊はじめ古河公方や関東管領、扇谷上杉家の家宰太田道潅などの帰依を受け、戦乱で荒廃した鎌倉の寺社の復興に活躍した他、文芸活動をしていた禅僧 万里集九とも親交があり、鎌倉の中世文化を担った能文家として知られる往時の一流文化人でした。93歳の天寿を全うされています。

  • 茶々橋<br />どうしても「ウサギとカメ」がアイストップになってしまうのですが、茶々橋にあしらわれたダイヤモンド模様も風情を湛えます。<br />「月にウサギが住んでいる」と言われるのは、月面のクレータなどよる陰影がウサギに見えるからですが、それはある伝説が元になっています。「昔々、猿と狐、兎が山中で倒れている老人を助けようとし、猿は木の実を採り、狐は魚を獲って老人に食べさせました。しかし、兎は、何も提供できなかったため、火を焚いてもらって火中に飛び込み、自分の身を食料として捧げました。すると、帝釈天の正体を隠していた老人は、この慈悲行を後世に伝えるためにウサギを月に昇天させました」。<br />この伝説は、仏教経典において『ジャータカ』と呼ばれる前世の因縁物語のひとつとなり、その後の仏教の広まりにより、日本では『今昔物語』の「月の兎」として取り上げられました。そしてウサギの周囲に見える煙状の影は、自らを焼いた煙だと伝えられ、いつしか月にはウサギが住んでいることになったのです。

    茶々橋
    どうしても「ウサギとカメ」がアイストップになってしまうのですが、茶々橋にあしらわれたダイヤモンド模様も風情を湛えます。
    「月にウサギが住んでいる」と言われるのは、月面のクレータなどよる陰影がウサギに見えるからですが、それはある伝説が元になっています。 「昔々、猿と狐、兎が山中で倒れている老人を助けようとし、猿は木の実を採り、狐は魚を獲って老人に食べさせました。しかし、兎は、何も提供できなかったため、火を焚いてもらって火中に飛び込み、自分の身を食料として捧げました。 すると、帝釈天の正体を隠していた老人は、この慈悲行を後世に伝えるためにウサギを月に昇天させました」。
    この伝説は、仏教経典において『ジャータカ』と呼ばれる前世の因縁物語のひとつとなり、その後の仏教の広まりにより、日本では『今昔物語』の「月の兎」として取り上げられました。そしてウサギの周囲に見える煙状の影は、自らを焼いた煙だと伝えられ、いつしか月にはウサギが住んでいることになったのです。

  • 明月院ブルーだけでなく、こうしたツートンカラーのアジサイもあります。<br />数少ないため、アクセントになっています。<br />アジサイの語源ははっきりしませんが、『万葉集』では「味狭藍」や「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字を当てています。最も有力な説が、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったとするものです。その他、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説、「厚咲き」が転じたものとする貝原益軒の説があります。

    明月院ブルーだけでなく、こうしたツートンカラーのアジサイもあります。
    数少ないため、アクセントになっています。
    アジサイの語源ははっきりしませんが、『万葉集』では「味狭藍」や「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字を当てています。最も有力な説が、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったとするものです。その他、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説、「厚咲き」が転じたものとする貝原益軒の説があります。

  • 月笑軒<br />明月院境内の山裾に佇む「和カフェ」です。<br />赤い傘と緋毛氈の縁台が借景の緑に映えます。<br />月笑軒は、丹下健三氏や岡本太郎氏に師事した山本亮介氏が設計されたもので、ポスト数寄屋という設計論を展開した作品です。<br />また、ここの奥には、水琴窟や庭園があります。

    月笑軒
    明月院境内の山裾に佇む「和カフェ」です。
    赤い傘と緋毛氈の縁台が借景の緑に映えます。
    月笑軒は、丹下健三氏や岡本太郎氏に師事した山本亮介氏が設計されたもので、ポスト数寄屋という設計論を展開した作品です。
    また、ここの奥には、水琴窟や庭園があります。

  • 眩しいほどの緑一色の庭園です。<br />やっぱり、寺院には苔が似合います。

    眩しいほどの緑一色の庭園です。
    やっぱり、寺院には苔が似合います。

  • 北条時頼廟所<br />太鼓橋の「玉澗橋」を渡ると、参道の突き当たりに北条時頼の廟所があります。<br />北条時頼は、明月院が塔頭として属していた禅興寺の前身である最明寺を建立しました。執権を退いた後、僧名を覚了房道崇と号して最明寺で出家生活を送っていましたが、僅か37歳の若さで卒去しています。かつては禅興寺に廟所がありましたが、廃寺になった際に明月院に移されました。こうした歴史から、旧蹟を伝える碑や時頼の墓とされる宝篋印塔が境内に安置されています。

    北条時頼廟所
    太鼓橋の「玉澗橋」を渡ると、参道の突き当たりに北条時頼の廟所があります。
    北条時頼は、明月院が塔頭として属していた禅興寺の前身である最明寺を建立しました。執権を退いた後、僧名を覚了房道崇と号して最明寺で出家生活を送っていましたが、僅か37歳の若さで卒去しています。かつては禅興寺に廟所がありましたが、廃寺になった際に明月院に移されました。こうした歴史から、旧蹟を伝える碑や時頼の墓とされる宝篋印塔が境内に安置されています。

  • 北条時頼廟所<br />二間四方の小さな堂宇です。<br />時頼は20歳で執権に就き、30歳の時に赤痢を罹って出家しました。晩年には、一笠一杖に身を任せて60余州を行脚しながら、貧民の声を聞き漁ったとの逸話があります。例えば、謡曲『鉢木』は、時頼が庶民の暮らしぶりを知るために身分を隠して町や村を訪ねるほど、細かい心配りをする政治家だったと伝えています。これが、『水戸黄門漫遊記』の元ネタなのですが・・・。<br />1260(文永元)年には、日蓮が時頼に『立正安国論』を献上したとされます。 そして、その3年後に病死しています。臨終の際は、袈裟を掛けて縄床に登り、「業鏡高懸・三十七年・一槌打砕・大道担然」の遺偈を唱えて大往生を遂げたと伝わります。<br />因みに、時頼は鎌倉から外に出た形跡が無く、ましてや60余州を行脚するほどの余裕は無かったとの史説もあります。

    北条時頼廟所
    二間四方の小さな堂宇です。
    時頼は20歳で執権に就き、30歳の時に赤痢を罹って出家しました。晩年には、一笠一杖に身を任せて60余州を行脚しながら、貧民の声を聞き漁ったとの逸話があります。例えば、謡曲『鉢木』は、時頼が庶民の暮らしぶりを知るために身分を隠して町や村を訪ねるほど、細かい心配りをする政治家だったと伝えています。これが、『水戸黄門漫遊記』の元ネタなのですが・・・。
    1260(文永元)年には、日蓮が時頼に『立正安国論』を献上したとされます。 そして、その3年後に病死しています。臨終の際は、袈裟を掛けて縄床に登り、「業鏡高懸・三十七年・一槌打砕・大道担然」の遺偈を唱えて大往生を遂げたと伝わります。
    因みに、時頼は鎌倉から外に出た形跡が無く、ましてや60余州を行脚するほどの余裕は無かったとの史説もあります。

  • 北条時頼廟所<br />屋根には鬼面文鬼瓦が四方に載せられています。鎌倉の寺院の瓦は「三つ鱗」や「笹竜」などの家紋が多いのですが、ここは鬼瓦です。<br />時頼は最明寺入道時頼と呼ばれていました。<br />

    北条時頼廟所
    屋根には鬼面文鬼瓦が四方に載せられています。鎌倉の寺院の瓦は「三つ鱗」や「笹竜」などの家紋が多いのですが、ここは鬼瓦です。
    時頼は最明寺入道時頼と呼ばれていました。

  • 北条時頼墓所<br />廟所の左手奥に墓所があり、宝篋印塔だけの質素な佇まいです。<br />因みに、時頼の母は安達景盛の娘で賢母と言われ、『徒然草』にも登場する松下禅尼です。この辺りが禅興寺の跡だそうです。

    北条時頼墓所
    廟所の左手奥に墓所があり、宝篋印塔だけの質素な佇まいです。
    因みに、時頼の母は安達景盛の娘で賢母と言われ、『徒然草』にも登場する松下禅尼です。この辺りが禅興寺の跡だそうです。

  • 北条時頼墓所<br />北条氏家紋の「三つ鱗」が鎌倉を感じさせます。<br />この三つ鱗は、北条政子の父 北条時政が江ノ島弁財天に子孫の繁栄を祈ったところ、赤い袴の美しい女御が現れて神託をし、去り際に大蛇となって3枚の鱗を残していったと伝わります。やがて、時政は祈願成就を喜び、この三つ鱗をもって旗印の紋としました。

    北条時頼墓所
    北条氏家紋の「三つ鱗」が鎌倉を感じさせます。
    この三つ鱗は、北条政子の父 北条時政が江ノ島弁財天に子孫の繁栄を祈ったところ、赤い袴の美しい女御が現れて神託をし、去り際に大蛇となって3枚の鱗を残していったと伝わります。やがて、時政は祈願成就を喜び、この三つ鱗をもって旗印の紋としました。

  • 北条時頼墓所<br />ある雪の日、時頼は行き暮れて上野(群馬県)の佐野源左衛門の家に泊めてもらいました。その時、源左衛門が粟のご飯をだしたり、大事にしていた鉢の木を火にくべてもてなしたという有名な逸話が伝えられています。<br />また、時頼は武道をさかんに勤め、酒など売ることを禁じました。時頼の母親 松下禅尼は、障子の切り張りをするなど、何事も倹約し、物を大切にするように諭したと伝わります。

    北条時頼墓所
    ある雪の日、時頼は行き暮れて上野(群馬県)の佐野源左衛門の家に泊めてもらいました。その時、源左衛門が粟のご飯をだしたり、大事にしていた鉢の木を火にくべてもてなしたという有名な逸話が伝えられています。
    また、時頼は武道をさかんに勤め、酒など売ることを禁じました。時頼の母親 松下禅尼は、障子の切り張りをするなど、何事も倹約し、物を大切にするように諭したと伝わります。

  • 花壇 ガクアジサイ<br />明月院ブルーのガクアジサイも見応えがあります。<br />ヒメアジサイの命名者 牧野博士の『植物一日一題』には、学者としての気概が詰められています。我々が常識と思っていることを、単刀直入に「間違い」だと正しています。例えば、「ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではない」や「キャベツを甘藍(カンラン)だというのは無学な行為」、「アジサイは紫陽花(=ライラック)ではない」という具合です。「紫陽花」の出典は唐の詩人 白居易の漢詩ですが、「アジサイは日本固有産のガクアジサイを親としてそれから出た花で断じて中国の植物ではない」と断言されています。<br />牧野博士は、94年間の生涯の大半を植物研究に費やされ、新種・変種約2500種を発見し、命名されています。その功績には頭が下がります。

    花壇 ガクアジサイ
    明月院ブルーのガクアジサイも見応えがあります。
    ヒメアジサイの命名者 牧野博士の『植物一日一題』には、学者としての気概が詰められています。我々が常識と思っていることを、単刀直入に「間違い」だと正しています。例えば、「ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではない」や「キャベツを甘藍(カンラン)だというのは無学な行為」、「アジサイは紫陽花(=ライラック)ではない」という具合です。「紫陽花」の出典は唐の詩人 白居易の漢詩ですが、「アジサイは日本固有産のガクアジサイを親としてそれから出た花で断じて中国の植物ではない」と断言されています。
    牧野博士は、94年間の生涯の大半を植物研究に費やされ、新種・変種約2500種を発見し、命名されています。その功績には頭が下がります。

  • 花壇 バラ<br />トイレ前の花壇には様々な花が植えられ、参禅者の目を愉しませてくれます。<br />さすがに「花の寺」と称されるだけのことはあります。アジサイの季節を外しても、ここで多様な花を愛でることができる仕組みです。<br />

    花壇 バラ
    トイレ前の花壇には様々な花が植えられ、参禅者の目を愉しませてくれます。
    さすがに「花の寺」と称されるだけのことはあります。アジサイの季節を外しても、ここで多様な花を愛でることができる仕組みです。

  • 花壇 クレマチス<br />キンポウゲ科クレマチス属の蔓性多年草で、「蔓性植物の女王」と呼ばれています。<br />多彩な花色がある中で、敢えてこの色を選んでいるのは、「明月院ブルー」への拘りだというのは考えすぎでしょうか?

    花壇 クレマチス
    キンポウゲ科クレマチス属の蔓性多年草で、「蔓性植物の女王」と呼ばれています。
    多彩な花色がある中で、敢えてこの色を選んでいるのは、「明月院ブルー」への拘りだというのは考えすぎでしょうか?

  • 花壇 キバナノヤマオダマキ<br />キンポウゲ目キンポウゲ科オダマキ属の多年草です。 <br />和名「オダマキ」の由来は、花の形が麻糸を巻きつけた管に似ていることに因みます。<br />通常は、クリーム色のものが多いのですが、これほど黄色いのははじめて見ます。妖精が舞っているような可愛らしい花です。

    花壇 キバナノヤマオダマキ
    キンポウゲ目キンポウゲ科オダマキ属の多年草です。
    和名「オダマキ」の由来は、花の形が麻糸を巻きつけた管に似ていることに因みます。
    通常は、クリーム色のものが多いのですが、これほど黄色いのははじめて見ます。妖精が舞っているような可愛らしい花です。

  • JR北鎌倉駅界隈<br />雷鳴が聞こえ、空模様が怪しくなってきたため、JR北鎌倉駅へ道を急ぎます。<br />浴衣姿と着物姿のニアミスです。<br />京都もそうですが、観光用のレンタルがあるようです。

    JR北鎌倉駅界隈
    雷鳴が聞こえ、空模様が怪しくなってきたため、JR北鎌倉駅へ道を急ぎます。
    浴衣姿と着物姿のニアミスです。
    京都もそうですが、観光用のレンタルがあるようです。

  • JR北鎌倉駅界隈<br />玄関先に楚々と咲くガクアジサイです。<br />格子戸との組み合わせが情緒を醸します。

    JR北鎌倉駅界隈
    玄関先に楚々と咲くガクアジサイです。
    格子戸との組み合わせが情緒を醸します。

  • 円覚寺 門柱<br />JR横須賀線の沿線にあるこちらの門は、円覚寺の裏門になります。<br />門柱には、円覚寺公認の「招き猫」が佇みます。円覚寺界隈では有名な猫らしく、「しい」ちゃんという名前が付けられています。このように尻尾を足に巻くのが「しい」ちゃんお得意のポーズだそうです。

    円覚寺 門柱
    JR横須賀線の沿線にあるこちらの門は、円覚寺の裏門になります。
    門柱には、円覚寺公認の「招き猫」が佇みます。円覚寺界隈では有名な猫らしく、「しい」ちゃんという名前が付けられています。このように尻尾を足に巻くのが「しい」ちゃんお得意のポーズだそうです。

  • 円覚寺 門柱<br />まったりとし、やがて「眠り猫」になってしまいました。<br />観光客とのコミュニケーションで疲れてしまったのでしょうか?<br />「しい」ちゃんは、ガリガリの瀕死状態で円覚寺山内を彷徨っていた時に雲水さんに救われ、暫くは僧堂で飼われていたそうです。<br />現在は、総門や裏門付近を縄張りにし、職員さんなどから餌をもらって生計を立てているそうです。今の状態からは想像もできませんが、辛い過去を背負いながら、お寺の方々の優しい心遣いでここまで育ったのでしょう。それに報いているのか、きっちりと「招き猫」の役目を果たしているのは微笑ましくもあります。<br />「ウサギとカメ」にはじまり、リス、猫と多彩な動物と触れ合うことができました。

    円覚寺 門柱
    まったりとし、やがて「眠り猫」になってしまいました。
    観光客とのコミュニケーションで疲れてしまったのでしょうか?
    「しい」ちゃんは、ガリガリの瀕死状態で円覚寺山内を彷徨っていた時に雲水さんに救われ、暫くは僧堂で飼われていたそうです。
    現在は、総門や裏門付近を縄張りにし、職員さんなどから餌をもらって生計を立てているそうです。今の状態からは想像もできませんが、辛い過去を背負いながら、お寺の方々の優しい心遣いでここまで育ったのでしょう。それに報いているのか、きっちりと「招き猫」の役目を果たしているのは微笑ましくもあります。
    「ウサギとカメ」にはじまり、リス、猫と多彩な動物と触れ合うことができました。

  • 古民家風甘味処「香下庵茶屋」<br />雨がパラパラと降り出したこともあり、モスグリーンの暖簾と石段、お庭のアジサイに誘われてふらりと入ってしまいました。<br />場所は、北鎌倉駅改札口の前です。<br />2015年まで円覚寺の洪鐘弁天堂横にあった「弁天堂茶屋」が移転移転リニューアルしたショップです。

    古民家風甘味処「香下庵茶屋」
    雨がパラパラと降り出したこともあり、モスグリーンの暖簾と石段、お庭のアジサイに誘われてふらりと入ってしまいました。
    場所は、北鎌倉駅改札口の前です。
    2015年まで円覚寺の洪鐘弁天堂横にあった「弁天堂茶屋」が移転移転リニューアルしたショップです。

  • 古民家風甘味処「香下庵茶屋」<br />店内は窓に沿ってカウンター席がクランクするように続いています。通されたのは、一番奥の席でした。手入れの行き届いたお庭をボ~っと眺めながら、疲れた体を癒します。<br />コーヒーには、「コーヒー・ボール」が付いてきます。コーヒー風味のカステラ菓子です。因みに、形はコーヒー豆を模しています。写真では、梅干にしか見えないようですが…。

    古民家風甘味処「香下庵茶屋」
    店内は窓に沿ってカウンター席がクランクするように続いています。通されたのは、一番奥の席でした。手入れの行き届いたお庭をボ~っと眺めながら、疲れた体を癒します。
    コーヒーには、「コーヒー・ボール」が付いてきます。コーヒー風味のカステラ菓子です。因みに、形はコーヒー豆を模しています。写真では、梅干にしか見えないようですが…。

  • 古民家風甘味処「香下庵茶屋」<br />「あんみつ」は、期待値し過ぎたようです。<br />駅は目と鼻の先ですが、鎌倉方面へ行かれる場合には注意する点があります。切符売り場は大船方面のホームにしかなく、タイミングが悪いと遮断機が降り、電車を見送ることになります。少し余裕を持って駅へ向かってください。<br /><br />この続きは、問柳尋花 鎌倉紀行④街ある記でお届けいたします。

    古民家風甘味処「香下庵茶屋」
    「あんみつ」は、期待値し過ぎたようです。
    駅は目と鼻の先ですが、鎌倉方面へ行かれる場合には注意する点があります。切符売り場は大船方面のホームにしかなく、タイミングが悪いと遮断機が降り、電車を見送ることになります。少し余裕を持って駅へ向かってください。

    この続きは、問柳尋花 鎌倉紀行④街ある記でお届けいたします。

923いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP