2018/01/13 - 2018/01/19
7位(同エリア230件中)
夏子の探検さん
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コロナの影響で、2月に姪っ子の結婚式で名古屋に行ってから、と言うか2月1日からは、公共の交通機関に乗らず、名古屋にも行かず、三重県内での仕事場以外、出かけて居ない・・・仕事には、自家用車か社用車なので・・・
出掛けて無いので、思い出しか、つづれないが、2年前の記録ですが、バルト3国良かったなぁ~と思い、コロナが終結したら、また行きたい場所に成っています。2018年の記録です。
ネムナス川とネリス川に囲まれたカウナスの旧市街は、1時間も有れば周れてしまう程の小さな街です。
此処に行ったのは、杉原千畝記念館にも足を伸ばしたかったからです。
彼を調べれば調べただけ、今私の住んでいる四日市にも幼少のころ住んでいた記録が有り、今夢中になっている「麒麟がくる」にも関係する美濃地方に住み、愛知県でも小中学校を卒業し、私がこの時期、再度学ぶべき人だったんだと思い知らされました。
日程
1月12日 地元四日市駅前発 5時10分のリムジンで中部セントレア 空港6時45分着
JAL3082 Jクラス8時15分発 成田9時25分着
JAL413 Cクラス11時30分発 ヘルシンキ15時着
タリンクシリアライン 19時発 タリン21時着
タリン sokos viru ホテル宿泊
1月13日 タリン~リガに移動 Bellevue park Riga 2泊
1月15日 リガ~トラカイ~ヴィリニュス移動
Europa Royale Vilniius 1泊
1月16日 ヴィリニュス~カウナス~タリン移動
タリン Sokosu Viru 1泊
1月17日 タリン クシリアライン17時発 ヘルシンキ19時着
ヘルシンキ Cumulus City Meilahti Helsinki 1泊
1月18日 ヘルシンキヴァンター空港
JAL414 Cクラス 17時05分発
1月19日 成田 9時35分着 JAL3087 Jクラス 18時30分発(遅延)
中部セントレア 19時50分着(遅延)
セントレア発 21時(遅延の為1時間ずれた)発
リムジンで四日市駅前着 22時20着
ウキペディア参照 https://www.wikiwand.com/ja/杉原千畝 参照
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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カウナス城は、トラカイから車で約1時間のリトアニアの第2の都市であるカウナスにある要塞です。
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13世紀に、ドイツ騎士団の侵攻に備え建築されたものと言われています。1363年に騎士団によって何度も攻撃を受け、破壊してしまいましたが、15世紀に再建。その後、ビタウタス大公の時代に防衛拠点としての役割を終えました。17世紀~18世紀にかけての戦争により、再び大半が破壊してしまい、現在では塔と城壁の一部のみとなっています。
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カウナスの街~表紙の写真は奥に・・・
独ソ戦開始前のカウナスのユダヤ人人口は約4万であり、開戦後わずか2か月で1万人ものユダヤ人が殺害されたらしい。 -
市内を流れるネムナス川
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真っ赤な屋根はこの街でも~
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戦前のカウナスの街
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第二次世界大戦中、外交官であった杉原千畝氏が領事としての任務にあたっていた旧日本領事館です。
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命のビザで有名に成った杉原氏
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こっちは英語とロシア語表記
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ここから入ります。
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領事館だったこの建物は現在、その杉原千畝氏の記念博物館として一般に公開されています
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実はこの訪問日の前日、1月14日に、安倍首相が、奥様とここに来ていました。
当時の記事には、杉原千畝さんのちうねが読めなかったのでは?
疑惑が有名に成りました。 -
こんなビザを手書きで発給
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多くの展示がされていました。
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家族でポーランドに派遣されての写真
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1600枚とあるが、家族単位なので6000人?命を救った。と館内のビデオに流れていたが・・・
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当時のヴィザのコピーが拡大されて展示されています。
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大使館の歓迎パーティー
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家族連れのヴィザ(一人1枚のヴィザで無く、家族ひとまとめで良かったらしい)
6000人助けたと記録に残っているようですが、その子孫は25万人にもなるようです。 -
ドイツ軍の行進(カウナス市内)
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当時の様子
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杉原はナチス・ドイツの迫害から逃れてきた6000人にものぼるユダヤ系の人々(難民状態でした)に大量のビザを発給し避難民を救ったことから“東洋のシンドラー”とも呼ばれています。
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物々しい軍備による街中の様子
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当時使っていた電話やラジオ
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民族衣装の人々と~
難民たちを「見捨て」ることが「神に背く」ことになるとは、「正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない」(旧約聖書のエレミア書、22章3節)という主命に違背することになるということである。 -
和16年(1941年)2月に、在プラハ総領事代理となっていた杉原から本国の外務大臣に宛てて出された電報です。ここでは、リトアニア人と旧ポーランド人に発給したビザの数は2,132枚、このうちユダヤ系については約1,500枚と推定される、と述べられています。ビザは、1家族につき1枚あればよかったことから、杉原千畝が「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6,000人に上ると言われています。
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敗戦に伴い日本政府は海外の日本大使館、領事館を次々を閉鎖した。杉原のいたルーマニア・ブカレスト公使館にも閉鎖の知らせが来たが、その後、どういうわけか帰国の命令が出ず、ソ連軍に1年間拘束されたのである。やっと日本に帰ってきたのは1947年。海外の大使館、領事館の中で、最終であった。
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そして帰国からわずか2ヵ月後に外務省から退職勧告が出されました。事実上の「罷免」です。さらに外務省ではいわれのない誹謗中傷が流されたそうです、「杉原はユダヤ人から金をもらった」というような。こうして杉原は外務省の歴史から消されました、2000年に河野洋平外務大臣によって名誉回復されるまで。
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ドイツ軍
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ビザ発給待ちの人々
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1900年〈明治33年〉1月1日 - 1986年〈昭和61年〉7月31日)は、日本の外交官。早稲田大学高等師範部英語(教育学部英語英文学科)科本科中退。 親の反対の中、英語の教師になりたかったらしい。
在学中に外務省留学生採用試験受験に合格。外務省ロシア語留学生としてハルビンに渡る。 -
晩年の幸子夫人、2008年亡くなったようです。1914年 - 2008年
杉原さんは、ロシア正教の洗礼を受けたいたらしく、神様は人を差別しないと~奥様はずっと傍で杉原氏を支えていたようです。奥様も正教徒の様子 -
ヴィザの発給を待つ人々の列はずっと続いたようです。
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今でも杉原千畝の名前をきちんと読めない人(政治家ですらも)がいるようですが、杉原の名前について杉原夫人が綴ったある挿話がこの本で紹介されています。(『六千人の命のビザ[新版]』より)
ビザを受け取り、無事に脱出したユダヤ人たちは、戦後、夫の行方をずっと探し続けていたのだそうです。しかし外務省に問い合わせても、「該当者なし」という返事しか帰ってはこなかったそうです。夫は自分の名前を「スギハラセンポ」と教えていました。「チウネ」というのは外国人にとっては呼びにくい発音なのです。
杉原夫人は「『スギハラセンポ』という名前で照会していたのでわからなかったのかもしれません」と続けていますが、本当にそうだったのでしょうか? -
当時リトアニアはソ連軍に占領されており
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当時、杉原領事はナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、生命の危機にさらされたポーランドに住むユダヤ人のシベリア鉄道経由での亡命を手助けするために、当時のオランダ領事であったヤン・ツバルテンディックと連携し、日本政府の意に反して「命のビザ」とも呼ばれた日本通過ビザの発給を行いました。領事館だったこの建物は現在、その杉原千畝氏の記念博物館として一般に公開されています。残された執務室からは、杉原氏の勇気とその大いなる決断が感じらます。大勢のユダヤ人を救った杉原氏は「日本のシンドラー」とも呼ばれ、日本人として唯一イスラエルから「諸国民の中の正義の人」として表彰されています。
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残された執務室からは、杉原氏の勇気とその大いなる決断が感じらます。
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杉原はこうしてビザを発給しました。万年筆が折れるほどビザを手書きしたといいます。しかしそのような杉原に対して外務省の杉原への対応は苛酷なものでした。
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最近カウナスの領事館から日本を経由してアメリカ・カナダに行こうとするリトアニア人のなかには、必要なお金を持っていなかったり行先国の手続きが済んでいなかったりなどの理由で、わが国への上陸を許可できずその処置に困ることがあります。避難民と見なしうる者に関しては、行先国の入国手続きを完了し、旅費・滞在費等に相当する携帯金を持っている者でなければビザを与えないよう取りはからって下さい。と日本からは言われていた。
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執務室での杉原さん
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命のペン 親に反対されて、医師への道よりも医師になるのが嫌だった千畝は、京城医専の入試では白紙答案を提出[14]して弁当だけ食べて帰宅[15]した。当初、英語を学び英語教師になるつもりだった[14]千畝は、父の意に反して、1918年(大正7年)4月に早稲田大学高等師範部英語科(現・早稲田大学教育学部英語英文学科)の予科に入学。ペンの先に小さなインク壺を紐で下げて、耳にはさんで[16]登校していた逸話が残る。
ウィキペディアより -
当時のタイプライター
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その机に・・・息が詰まりました。
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ビザを求める人たちと訓令の間にはさまれた杉原。杉原は政府の方針、外務省の訓令にそむいてビザを発給したのです。のちに杉原はこのように回想しています。
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“強固な同盟”を優先した日本政府はナチスのユダヤ人迫害をどう捉えていたのでしょうか。すでにナチス・ドイツのユダヤ政策によって、大量の避難民が発生していました。日本への入国・通過を求めてビザの発給を求めて多くのユダヤ人が日本の領事館へやってきました。その事態に対して日本の外務省は訓令を出します。それはユダヤ人の日本の入国・通過を非とするものでした。
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仮に、本件当事者が私でなく、他の誰かであったならば、百人が百人拒否の無難な道を選んだに違いない。なぜか? 文官服務規程というような条例があって、その何条かに縛られて、昇進停止とか馘首が怖ろしいからである。(略)兎に角、果たして浅慮、無責任、我武者らの職業軍人集団の、対ナチ協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか?それが果たして国益に叶うことだというのか? 苦慮の揚げ句、私はついに人道主義、博愛主精神第一という結論を得ました。
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ビザが下りた人々は、カウナスからモスクワへ向かい、その後シベリア鉄道でウラジオストックへ行き、船に乗って日本へ入って来た。シベリア鉄道での移動は、約2週間を要したと書かれていました。
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杉原千畝がリトアニアに赴任した1939年はどんな年だったのでしょうか。この年にナチスドイツがポーランド西部に侵攻し第2次世界大戦が始まりました。翌年には日独伊3国同盟が結ばれ、日本ではドイツとの“強固な同盟”に熱に浮かされた政府・軍部が戦争の拡大へと舵を切ることになります。
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2015年にはチェリン・グラック監督、唐沢寿明主演で『杉原千畝 スギハラチウネ』として映画化されヒットしたことから日本でもよく知られるようになりました。
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一家族につき一枚のビザで充分であった
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お土産売場
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色々種類が有るが・・・
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お土産売り場(彼らは殆ど日本語を話します)
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記念品(お土産)
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求めたのはこのペンです。杉原氏が、ずっと命のヴィザを書いていたペンと似たものが無かったので・・・今でも思い出しては活躍してくれています。
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お土産の袋
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友人はなんとチョコを買っていた・・・此処では日本円の支払いも出来ます。
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もっとこの街も見たかったなぁ~と思います。
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ソ連政府や本国から再三の退去命令を受けながら、一か月あまり寝る間も惜しんでビザを書き続けた千畝は、本省からのベルリンへの異動命令が無視できなくなると、領事館内すべての重要書類を焼却し、家族とともに今日まで残る老舗ホテル「メトロポリス」に移った。杉原は領事印を荷物に梱包してしまったため、ホテル内で仮通行書を発行した[69]。そして9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして列車と並んで泣きながら走っている人が、千畝たちの姿が見えなくなるまで何度も叫び続けていた[70]。
-
なんと杉原ヴィザリスト成るものが存在し
http://www.sugihara-museum.jp/shared/pdf/about/issued_list.pdf
かなり驚いた!! -
パンフレット~今更ですが、ウキペディアなどで、杉原さんの履歴を読むと、3時間以上かかることが判明。
とても勉強になるともに、有意義な時間が過ごせることが解りました♪
https://www.wikiwand.com/ja/杉原千畝 -
少ないながらも募金をすると頂ける証書~オランダ大使館に頼んで作ったヴィザ用印鑑(今有るのは複製)付き
ゴム印の文面は、英仏語で"TRANSIT VISA. Seen from the journey through (Surinam, Curaçau and other Netherlands' colonies.) Consul du Japon à Kaunas"(通過ビザ スリナム、キュラソーその他のオランダ植民地へは入国ビザ不要と認む。在カウナス日本領事館)というものであり、これは、オランダ領事がタイプで打ち込んだ仏語の書面の英訳 -
私はポーランドのアウシュビッツには行けないけれど(アンネの日記を幼き頃から読んでいて、悲惨さは知っていたのと、私は勘が強いので、アウシュビッツに行くと倒れそうなので)此処でさえ、涙が溢れてきた・・・
-
この日も夕日が綺麗でした☆
やはり、素晴らしい日本人というか、神様の意志の元に生まれ、その教え通りに生きてきた素晴らしい人に、再度出会った気がしていました。 -
悲しみの夕日に見えます。
ウキペディアの杉原さんの記録の中にあったドイツ系リトアニア人のヴォルフガング・グッチェは、ドイツの愛国者ではあったが反ユダヤ主義者ではなかったグッチェは、千畝の仕事を手伝い、神学生のモシェ・ズプニックとの別れ際に、次のような予言的な言葉を残した。「世界は『車輪』だ。今はヒトラーが上だが、いつか車輪が回って下になるさ。希望を失うなよ」
この言葉は、今のコロナウィルスの世界にも、どこか言えるような気がする。 -
今日も終わり・・・今度はいつ出かけられるのだろう・・・
GWの(こどもの日)の中も、ほぼ家に居て、なんだかなぁ~と思いつつ、今日も終わる。。。
未だ先が見えないけど、皆さん元気で頑張りましょうね☆
~~ありがとうございます~~
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この旅行記へのコメント (10)
-
- 2013tomoさん 2020/07/07 01:38:29
- 杉原千畝さんのことを詳しく知ることができてうれしいです。
- 夏子の探検さま
2013tomoです。
夏子の探検さんの杉原千畝記念館のブログを読んで
彼の英雄的行為を詳しく知ることができてうれしいです。
私は杉原千畝さんのことを最近まであまり知りませんでした。
(日本人として恥ずかしいことですが)
2017年5月に私たちがアウシュビッツを訪問する時に関連情報
を調べる中で彼の素晴らしい行為に出逢いました。
夏子の探検さんの記念館訪問時の様子が詳しく書かれた
ブログを読んで彼の行為についてさらに詳しく知ることが
できました。
ありがとうございます。
アウシュビッツ訪問については夏子の探検さんと同じ理由で
長い間訪問を躊躇していました。
学生時代にフランクルの「夜と霧」を読んでその悲惨さに
強いショックを受けていましたので訪問する勇気がなかなか
ありませんでした。
案の定、処刑された人たちが履いていた靴たちがたうずたかく
積まれている展示物を見たときは(特に小さな子供たちの靴)
膝から下の力が抜けてその場に跪きそうになりました。
夏子の探検さんブログの最後に紹介されている
「世界は『車輪』だ。今はヒトラーが上だが、
いつか車輪が回って下になるさ。希望を失うなよ」という
杉原千畝さんの言葉が心に響きます。
コロナ禍でなかなか先が見えないときですが明日に「希望」
を持ちたいと思います。
それにしても早く旅に出たいですね。
人生の残り少なくなった砂時計の砂が今日もサラサラと
流れ落ちて行くようです。
それでは、また。
- 夏子の探検さん からの返信 2020/07/12 05:47:59
- RE: 杉原千畝さんのことを詳しく知ることができてうれしいです。
- 2013tomoさま、おはようございます。
2度もコメント頂いて居るのに、忙しくてお返事も出来ずで、ごめんなさい。
> 夏子の探検さんの杉原千畝記念館のブログを読んで
> 彼の英雄的行為を詳しく知ることができてうれしいです。
そう言って頂けるだけで、逆に感謝です。ありがとうございます。
>
>
> アウシュビッツ訪問については夏子の探検さんと同じ理由で
> 長い間訪問を躊躇していました。
> 学生時代にフランクルの「夜と霧」を読んでその悲惨さに
> 強いショックを受けていましたので訪問する勇気がなかなか
> ありませんでした。
> 案の定、処刑された人たちが履いていた靴たちがたうずたかく
> 積まれている展示物を見たときは(特に小さな子供たちの靴)
> 膝から下の力が抜けてその場に跪きそうになりました。
もう上記の文章を読んだだけで、怖くなってしまいますので・・・
私は絶対行けません・・・
>
> コロナ禍でなかなか先が見えないときですが明日に「希望」
> を持ちたいと思います。
そうですね・・・私もいささか、この4トラベル見ることでさえ、
嫌気がさしてきています。
既に大都市では第2波が・・・と思うほどの状態になって来てて、
それでも、旅好きさん達は、県を超えて、出かけて居ますので・・・
> それにしても早く旅に出たいですね。
本当に、今のコロナの状況も怖くて、何処にも行けない思いが普通だと思うのですが、でも、気軽に行ける方達が羨ましすぎています・・・
> 人生の残り少なくなった砂時計の砂が今日もサラサラと
> 流れ落ちて行くようです。
凄くお気持ちお察し致します。
何度かご一緒していた友人も私より10歳年上なので、同じような事を言って居ました。
やっと定年だ!とか、自由に成っても、この時期が突然やってきて、
う〜〜〜ぅ、動けない!と思って居る人も多い事と思います。
致し方ない時期ですが、兎に角、元気で居る事が大事だと思いますので、
気持ちの落ち込みは有るものの、健康で居て、旅が出来るので、
お互い頑張りましょうね!
コメント、色々とありがとうございました。
夏子
-
- senseさん 2020/06/05 13:45:39
- はじめまして、senseと申します。
- 私の旅日記にご訪問いただき、ありがとうございます。
私も拝見させていただいております。
この時期に親しみやすい文章で書かれた夏子さんのブログは、うん、うん、と頷きながら、楽しく拝見でき、ありがたいです。
ケアンズも、丁度1年前に行かれてたのですね。その頃は。今の事態は、お互いに予想だにしいませんでしたよね。
又伺います。ありがとうございました
- 夏子の探検さん からの返信 2020/06/13 22:48:58
- RE: はじめまして、senseと申します。
- senseさん、こんばんわ☆
わざわさ、コメント頂いたのに、お返事もせず、ごめんなさい。
私こそ、ご覧いただき、ありがとうございました♪
> 私の旅日記にご訪問いただき、ありがとうございます。
> 私も拝見させていただいております。
> この時期に親しみやすい文章で書かれた夏子さんのブログは、うん、うん、と頷きながら、楽しく拝見でき、ありがたいです。
完全に、拙な過ぎる記録が多く、正直お恥ずかしく思って居ますが、これが職業で無く、私の趣味、出かけた記録に成っているので、お付き合い頂きまして、ありがとうございます。
> ケアンズも、丁度1年前に行かれてたのですね。その頃は。今の事態は、お互いに予想だにしいませんでしたよね。
本当にねぇ〜・・・全世界が、コロナによって、こんなにも大変な事に成るとは・・・
実は私自身、このような世の中の変化は、クリスチャンのせいか、私の勘?か、世界が温暖化されてきた頃に、想像していました・・・
だた、こんな疫病が流行かは、全く解りませんでしたが、信徒的にも、このままの地球では危ないのでは?と思っていました。
人口密度の多い場所での、何かの人口減らしの脅威・・・たぶんどこの国かの学者さん達も、その研究はされていると思います。
私はあくまで、勘と神様の言葉で感じただけですが・・・
だから、今年の予定は、去年から入れて無かったのです。
そうして、名古屋に電車で通勤してた夫も、予備校に通って居た夫も、この時期移動しなくて良い事に成っていた事・・・
余りにも不思議です・・・
だからこそ、神に背いて、私はこの街から移動して観光など今は出来ないのです。
でも、人情的には、どこか行きたいなぁ〜と思ってはいますが・・・
あ〜〜〜私は行けない・・・と言う感情の中に居ます。
でも、いつかは、終息し、オリンピックも開いて、人々の移動が出来る日は、たぶん来ると思うので・・・((笑)話ですが、我が家はオリンピック観戦の為に、夫婦で別々にチケットを申し込んで居ましたが、なんと私の分が、カウントされず(私の分は事情が有り電話相談しながら、夫も傍に居て申し込んで居ましたが)兎に角、1席も当たりませんでした。全席当たったら、凄い出費だったはずですが…(笑)
また、アホですが、大好きな「さだまさし」さんの四日市でのコンサートも、事前申し込みしていましたが、これも当たらず(コンサート中止です)なんでかな?と思ったほどでした。つまりキャンセルする事が全く無かったのです(わずらわしさが無い状態)
つまらない話を書いてしまいました・・・ごめんなさい。
ただ、此処まで酷い?(すみませんが、たぶん未だ続くコロナの状況だと)と思うので、
悲しいかな、自分の周囲に患者さんが出ない為にも、自粛の日々が続くと思いますが、
だからと言って、日本は、海外のように、警官が取り締まることもないだろうから、最低限度の自粛で、頑張って行きましょう。
また、私も訪問させて頂きます。
御礼とコメント、ありがとうございます。
どうか、お身体お大事にお過ごし下さいね。
夏子
-
- M-koku1さん 2020/06/01 23:51:36
- 存亡の危機
- https://www.tokyo-np.co.jp/article/25888
夏子の探検さん
最近 コロナの感染拡大の影響で リトアニアにある記念館が 六月一杯で閉館になりそうだという記事を読んだところだったので 残念に思っています。
この悪玉ウイルスは 今のところ人間に 災いしかもたらしませんね。善意まで 破壊されていくのを見るのは とても悲しいです。
神の目には 今の人間社会が ソドムとゴモラに映っているのかも知れませんね。だとしたら 大変なことです。
一つよく知らないので教えてください。赤毛のアンとアウシュビッツの関係は 何ですか?
ではまたMより
- 夏子の探検さん からの返信 2020/06/02 00:50:23
- RE: 存亡の危機〜〜確かに・・・
- こんばんわ☆
下記記事を拝見し、悲しくなっています。
世界経済が、既に全て歯車が狂って、おかしくなっている今、此処だけの問題とは思えません。しかし、この記念館は、寄付金と入場料だけで、運営していたのでしょうか?
それならば、正直情けないと思います・・・日本人の為の博物館なのかしら???
> https://www.tokyo-np.co.jp/article/25888
>
> 夏子の探検さん
>
> 最近 コロナの感染拡大の影響で リトアニアにある記念館が 六月一杯で閉館になりそうだという記事を読んだところだったので 残念に思っています。
>
> この悪玉ウイルスは 今のところ人間に 災いしかもたらしませんね。善意まで 破壊されていくのを見るのは とても悲しいです。
>
> 神の目には 今の人間社会が ソドムとゴモラに映っているのかも知れませんね。だとしたら 大変なことです。
>
> 一つよく知らないので教えてください。赤毛のアンとアウシュビッツの関係は 何ですか?
ごめんねさい・・・アンネフランクのアンネの日記でした(号泣)
どこで、赤毛のアンにすり替わったか?お恥ずかしい・・・
ご指摘ありがとうございます。直します。恥ずかしい・・・すみません。
では、ご丁寧に読んで下さりありがとうございます。
まだまだ、海外にも国内にも自由に行き来が出来るのは、通常の感覚であれば遠い先と思います。悲しいですね・・・
でも、開けない夜は無いので、今は耐え忍びましょうね・・・
ありがとうございます。
> ではまたMより
夏子より
-
- さすらいの旅人マーさん 2020/05/09 17:16:40
- 記念館
- こんにちは。
詳細な旅行記、館内の様子がよく分かりました。前年7月にカウナスを旅した時には時間の都合でスキップして心残りだったので興味深く拝見しました。
以前掲載しましたが、敦賀にも記念館がありますよ。
- 夏子の探検さん からの返信 2020/05/20 17:13:42
- RE: 記念館
- さすらいの旅人マーさん、お返事が遅くなって、ごめんなさい。
いつも私のような拙い旅行記においで下さり、ありがとうございます。
> こんにちは。
> 詳細な旅行記、館内の様子がよく分かりました。前年7月にカウナスを旅した時には時間の都合でスキップして心残りだったので興味深く拝見しました。
> 以前掲載しましたが、敦賀にも記念館がありますよ。
詳細は、私も訪問時に館内のビデオで流れて居たのに、その時だけ感動し、帰国後は忘れていたので、この自宅待機時に、再度調べられたのは、有難い時期だと思いました。
日本人の誇りであり、私にとっては、同じような信者であり、神の教えに従う素晴らしい方だと、再度教えられました。
このような動きのとれない時期ですが、少しでも早くコロナが収束して、自由に出かけられると良いですね♬
そうなるには、お互い身体に注意し、元気に過ごせるよう、頑張りましょうね。
私もお邪魔致しますね♪ これからもさすらいの旅人マーさんの旅行記にお尋ねさせて頂きます。また、宜しくお願い致します。
ありがとうございます。 夏子
-
- jijidarumaさん 2020/05/06 23:25:18
- 似ているかな?
- 夏子の探検さん、
今晩は。
杉原千畝記念館のレポート、たいへん詳細で改めて杉原さんの人物とその仕遂げたことに大いなる敬意を表したく思います。
唯、《東洋のシンドラー》と称するのは、違う気がしますね。小説や映画で世界的になった名前も、かつてはドイツでもあまり知られていなかった。
むしろ《ドイツの千畝》と呼ぶべきかと。
それはともかく、2009年10月中旬に初めてのバルト三国のツアー旅に出かけました。
その第三日・10月21日(水)に山手の高級住宅街にある杉原記念館を訪ねたのです。
8年前に開館した杉原千畝氏ゆかりの旧日本領事館では各種の展示を拝見し、最後に出身地の岐阜県八百津町が制作した20分程のビデオを観ました。
館内の杉原千畝氏の写真を見ていた家内が突然、札幌の兄に似ていると言う。
隣のツアー仲間がご主人にもよく似ていますよ!とおっしゃったが、喜ぶべき事なのか・・・?!と、当時の旅行記に書いています(笑)。
顕彰碑(縁のある早稲田大学が2001年に建立し、60本の桜を植樹した)が立つ桜の丘もあるそうでしたが、残念ながらツールートに無く訪問していない。
碑には「早稲田大学の校友として世界に誇るべき氏の功績を称えて碑を建立すると共に、リトアニア共和国と学術交流による友好関係がさらに深まり花開くことを祈念して桜の木を植樹するものである。2001年10月2日 早稲田大学」と、あるそうですよ。
jijidaruma
- 夏子の探検さん からの返信 2020/05/20 17:03:32
- RE: 似ているかな?
- jijidarumaさん、こんにちわ。
お事が遅くなってごめんなさい。
jijidarumaさんの旅行記を拝見し、お元気で居らっしゃる事を、嬉しく思っておりました。
やっと私も仕事に復帰しております。
> 今晩は。
> 杉原千畝記念館のレポート、たいへん詳細で改めて杉原さんの人物とその仕遂げたことに大いなる敬意を表したく思います。
> 唯、《東洋のシンドラー》と称するのは、違う気がしますね。小説や映画で世界的になった名前も、かつてはドイツでもあまり知られていなかった。
> むしろ《ドイツの千畝》と呼ぶべきかと。
>
> それはともかく、2009年10月中旬に初めてのバルト三国のツアー旅に出かけました。
> その第三日・10月21日(水)に山手の高級住宅街にある杉原記念館を訪ねたのです。
> 8年前に開館した杉原千畝氏ゆかりの旧日本領事館では各種の展示を拝見し、最後に出身地の岐阜県八百津町が制作した20分程のビデオを観ました。
>
> 館内の杉原千畝氏の写真を見ていた家内が突然、札幌の兄に似ていると言う。
> 隣のツアー仲間がご主人にもよく似ていますよ!とおっしゃったが、喜ぶべき事なのか・・・?!と、当時の旅行記に書いています(笑)。
jijidarumaさんが、千畝氏に似ているとのお言葉。
お会いして居ないので、私は解りませんが、千畝氏って、名実共に素敵な方だと思いますので、きっと jijidarumaさんも、素敵な方なのですね♬
> 顕彰碑(縁のある早稲田大学が2001年に建立し、60本の桜を植樹した)が立つ桜の丘もあるそうでしたが、残念ながらツールートに無く訪問していない。
私も早稲田大学には行っていません。都内に居た時代に知っていたら、伺っていたかもですが、今では都内が遠いので・・・
> 碑には「早稲田大学の校友として世界に誇るべき氏の功績を称えて碑を建立すると共に、リトアニア共和国と学術交流による友好関係がさらに深まり花開くことを祈念して桜の木を植樹するものである。2001年10月2日 早稲田大学」と、あるそうですよ。
早稲田大学の方も、このような素晴らしい方が、先輩にいらしたと言うことが、光栄なのでしょうね!私も、都内に行った折は、此処に行ってみたいと思います。
以前早稲田の学食も美味しいと聞いていたので、今も一般人が入れるのか解りませんが、
その際は調べて伺おうと思います。
コロナの時期に、自粛中ですが、お身体に気を付けてお過ごし下さい。
ありがとうございました♪
夏子
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