2017/11/01 - 2017/11/01
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belleduneさん
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寝殿造りの最も美しい構築と言われる大方丈・小方丈と庭園をゆっくり鑑賞できました。やはり午後4時頃は観光客が帰る頃なので、空いていますね。
方丈は、前庭に面した杮葺の建物で、天正年間に、豊富秀吉が建造し、寄進した御所の殿舎を、慶長16年(1611)、後陽成天皇から拝領し、移建したものと言われています。日本建築のもっとも美しい、豊かさを持った建築構造となっています。
杮葺の屋根に夕日が当たって、綺麗です。
- 旅行の満足度
- 4.5
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庫裏正面から
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方丈は、内陣、御昼の間、鳴滝の間。麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間から構成されています。入母屋造りで杮葺となっています。内部は全て桃山時代前期の狩野派の絵師による障壁画ですが、400年余りの経年劣化で、傷みが見られるため、平成23年12月に124面中84面を収蔵庫へ保管しています。現在、デジタル画像を元に精密に復元した84面の複製を補充して公開してあります。
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写真では分かりづらいですが、南から西にかけて、5本の定規線を配した薄青色の築地塀(筋塀)を立て、東西に細長い庭となっています。石組みは、この筋塀に沿って配置されています。巨大な石を横に寝かせて配する手法は、須弥山・蓬莱山など仏教の世界観を表した庭園から脱した構成となっているのだそうです。
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禅寺の書院から清涼殿(方丈)の広縁前に、方丈庭園が広がっています。代表的な禅院式枯山水の庭園です。清涼殿、庭園、借景の三つがよく調和していて、優雅枯淡で、品格のある借景式庭園なので、じっくり鑑賞したい。慶長年間の小堀遠州によるもので、巨石の姿から「虎の児渡し」と呼ばれて、江戸初期以降に見られる樹木と石組みを1箇所に纏め、広い余白を楽しめる有数の名園となっているという。
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広縁の梁付けられた透かし彫り装飾が夕日に輝いていました。
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方丈から裏手に廻ると、小方丈へと繋がっています。虎の間、三室(9畳、6畳、20畳)からなっています。前面は第方丈に繋がっています。寛永年間(1624~1644)の建築で、伏見城の小書院の遺構とされています。内部には狩野探幽による「群虎図」40面があり、そのため、「虎の間」と呼ばれているのです。中でも、「水呑の虎」は特に名高いそうです。
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昭和41年に造られた「如心庭」
心の字型に庭石を配した枯山水の石庭で、解脱した心の庭という意味です。当時の南禅寺管長だった柴山全慶老師が自ら指導されたそうで、『心を表現せよ』という、悟りの境地の如く、落ち着いた雰囲気の庭になっています。 -
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昭和42年作庭の「六道庭」は、六道輪廻の教えを考えた庭。六道輪廻とは、天上道、人間道、修羅道、畜生道、飢餓道、地獄道の六つの世界から私達は生まれ変わり続けるという仏教の世界観のこと。
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近くへ行けないのですが、向こうに見えるのが、茶席「不識庵」です。昭和29年に茶道宗徧流八世宗有宗匠から寄進されたもの。不識とは、昔達磨大師が梁の武帝と対面した折、「私の前にいるのは誰か」と問われ、「不識」つまり、識らずと答えたことによる。即ち、「自分を言葉で説明しようとしても、真の自分を表現することはできず、自分から離れてしまう。本当の自分とは何なのかを知るためには、心を窮めていかなければならない」ということを言っています。なるほど....
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こちらに見えるのが、「窮心亭」で、昭和43年に同じく宗徧流一門によって寄進されました。修学院離宮・上の茶屋にある後水尾天皇の御命名茶席「窮?軒」の趣を慕って、命名されたそうです。まさに不識の心を窮めていく道場です。
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この垣根は「南禅寺垣」です。
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涵龍池、竜吟庭
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「還源庭」
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大玄関は、特別な行事のみ使用されます。この左手に書院、方丈が配されています。
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先ほどの大方丈の屋根が見えます。
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夕方になると、赤く輝いて綺麗ですね。
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南禅寺僧堂の白壁の塀
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