2017/11/01 - 2017/11/01
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belleduneさん
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随分前に父と南禅寺へ行ったことがありますが、紅葉の頃は、混むと思って敬遠していました。今日、御墓参りの後、時間があったので、久し振りに行ってみました。まだ紅葉したばかりという時期の午後遅い時間だったため、あまり混んでいませんでした。
表紙の写真は、帰りに撮った夕方の法堂です。
- 旅行の満足度
- 4.5
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禅宗・臨済宗南禅寺派の大本山全景です。文永元年(1264)に、亀山天皇がこの地を愛されて、離宮禅林寺殿を営まれたのが始まりだそうです。その後、東福寺第三世無関普門禅師に深く帰依されて、法皇となった後、正応4年(1291)、離宮を施捨し、禅寺とされたという。開山は大明国師(無関普門禅師)、開基を亀山法皇、また二世南院国師(規菴祖円禅師)を創建開山と仰いでいる。「五山之上」に列せられたことや当時最も傑出した禅僧が歴代住持として住山したこと、そん結果五山文学の中心地として栄えたことなどが、歴史上の特色となっているそうです。
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夕日に染まる紅葉の木々
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創建当時の伽藍は、室町時代明徳4年、文安4年、応仁元年の3回火災に遭っています。現存しているものは、江戸時代初期以降に再興されてものなので、昔の建物は一切残っていません。
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法堂から右手南禅院の紅葉が夕日に染まって、より生き生きと輝いています。
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着いたのが、4時前だったでしょうか。この日は暖かく、まだ日が沈むまで時間がありますので、三門をじっくりと拝見します。
山門は、仏道修行で悟りに至るために透過すべき三つの関門、空、無相、無作の三つの解脱門を略したものだそうです。寺院を代表する正門で、この南禅寺三門は別名「天下竜門」と呼ばれています。応仁3年(1295)西園寺実兼の寄進で、創建されましたが、文安4年の火災で消失しています。 -
現在のものは、寛永5年(1628)藤堂高虎公が大坂夏の陣の戦没者慰霊のため、寄進建立したものです。楼上には大仏師左京の作の釈尊像、十六羅漢像が安置されて、内部の極彩色画は狩野探幽、土佐徳栄の合作だそうです。
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歌舞伎の「楼門五三桐」の二幕目返しで、『絶景かな 絶景かな』という科白で有名な南禅寺の三門です。五間三戸(正面柱間が五間で、中央三間が出入り口)の二重門です。上層は「五鳳楼」という。知恩院山門、東本願寺御影堂門と共に京都三大門と言われています。
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帰りに撮った同じ山門の屋根ですが、日の当たり方で随分印象が異なりますね。
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屋根の反り具合が美しいです。
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本坊の西側一段低いところに建っている伽藍が法堂です。応仁の乱、文明の乱で焼失したものを文明11年(1479)頃、復興されましたが、慶長11年に豊臣秀頼の寄進で、大改築されたものの、明治26年(1893)に焼失しました。現在の報道は、明治42年に再建されたものです。屋根は林立する巨大な欅の円柱に支えられ、天井の龍図は今尾景年畢生の大作とされています。近年、雨漏りのため、平成2年開山大明国師七百年大逹忌記念事業屋根葺き替え工事と床の敷瓦取替工事を行なっています。
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帰りに撮った夕日に染まる法堂。
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ここからまた帰りに撮ったものが続きます。そろそろ山門を最後に見てからホテルへ向かいます。朝4時起きで、御墓参り、本法寺、南禅寺と廻ったので、疲れてきました。
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三門の両側に山廊があり、各々桁行三間、梁間二間、一重で、切妻造りとなっています。
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