鳥取市から入って但馬・丹波 秋の旅(四日目・完)~立雲峡から眺める天空の城、竹田城は、盆地を覆い尽くす雲海の流れが想像以上に壮大。三菱財閥にとって意外に大きな収益源だったという生野銀山の歴史もちょっと興味深いものでした~
2017/11/05 - 2017/11/05
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立雲峡は、雲海の竹田城を眺めるには絶好のスポット。雲海の関係で、夜明けとともに眺めるのですが、朝早くからマイカーでたくさんの観光客が押し寄せると聞いて、ホテルから乗り合いバスを利用して訪ねました。朝5時くらいでしたが、確かに車で大渋滞。乗り合いバスは優先して通してくれるので、一番奥の駐車場まですんなり行けましたが、マイカーで来た人たちはかなりふもとの方で車を止めないといけない人もたくさんいて、やっぱり乗り合いバスにしたのは正解です。
駐車場から展望所に登って行きますが、展望台は第一から第三まで。第二まではまあまあ近いですが、第二から第三はけっこう登ります。ただ、雲海は第二展望台くらいまでは覆ってしまうので、第三まで上った方が確実。この日も大雲海が発生していて、期待していたとおりのダイナミックな景色を眺めることができました。なお、雲海はどんどん変化するし、流れているのもよく分かります。
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雲海の竹田城を眺めるには、乗り合いタクシーを利用するのがベストということがわかって、実は、おととい宿泊したいずみで予約をして、いずみまで迎えに来てもらっていざ出発です。
つまり、今朝は、宿泊した柏原から大返しで和田山に戻ってきて、この朝5時半出発のタクシーに間に合わせたというわけ。昨日は天気が悪かったので、今日にせざるをえなかったという理由もありますが、この荒業。久々に思い切った行動です。 -
竹田城を正面に見るのは立雲峡。確かに、マイカーで来ている人が大勢いましたが、こんな時間ではとても終点の駐車場へはたどり着けません。大渋滞と駐車場は満杯で、そこに向かう道路の脇も駐車している車でどうにもなりません。
乗り合いタクシーは、優先権があるので、渋滞を難なく抜けて、最終地点の駐車場まで。ずいぶん、ふもとの方から登り始めている人も大勢いて、やっぱり乗り合いタクシーをお勧めします。
さて、まだ周囲は真っ暗。ほかの人の灯りを頼りにして、皆さんに着いて行くことにします。 -
少し上がるとおぼろげながら、雲海が見えてきました。
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ゆっくりと盛り上がるように。雲海が盆地に充満してきます。
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街の灯りが雲海の隙間から見えていますが、これもちょっと幻想的ですね。
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つまり、この雲海は街全体を覆い尽くしている。想像以上にスケールの大きな自然の営みだったんですね。
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さて、展望所はまだ上の方。せめて第三展望所までは登らなくては。
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さて、これが第三展望所からの眺め。狭いスペースは、もう人がいっぱい。何とか位置を確保して一安心です。
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なるほどー。竹田城が小さく山の上に見えていますね。
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周囲の雲海はゆっくりですが、大きく流れ続けます。ぐんぐん盛り上がって、竹田城も覆い尽くしそうになるのですが、やっぱりギリギリのところで覆えない。ぽっかり雲海の上にとどまって、大海に漂う船のごとしです。
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ただ、ここまで来たら、やっぱり第一展望所を目指しましょう。せっかく第三展望所で場所を確保しましたが、再び、上りはじめます。
第三展望所から、第一展望所は思いのほか距離があって、なかなか辿り着かない。ちょっと焦りましたが、なんとか到着すると。なんとこっちはさらに大勢の人がいて、大変なことになってますよ~ -
しかし、そこは一人の身。なんとか空いているスペースを見つけてもぐりこみます。
写真だと微妙ですが、不思議なことに、竹田城は第一展望所の方が近くに、またより正面に見えるような気がします。第三展望所からあれだけ上ってきたわけですから、本来は竹田城からの距離は広がっているように思うのですが、眺めはそうではないんですよね。
そうこうしているうちに。。ほー、少し日が差してきました。ピンク色に染まってくるのが分かりますか。 -
イチオシ
日が差すと雲の白さも強調されてくるような。美しいです。
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そして、雲海もますます濃くなったような。
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もう少し待てば、しっかり日が差してくれるんでしょうが、タクシーの帰りの時間もあるし、ここらが限界ですね。しかし、この想像以上に壮大なドラマはしっかり見ることができました。今朝の荒業はやっぱり無駄ではなかったようですね。
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駐車場まではけっこうな距離でした。下り道ですが、急ぎましょう。
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第三展望所まで降りてくると、ここは雲海の中。さっき正面から見えていた竹田城は全然見えません。
そう言う意味でも、第一展望所に上ったことは正解だったようです。危ない、危ない。 -
なんとか、時間内に駐車場に戻ってきました。
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かたわらに、雲海に浮かぶ竹田城の写真がありましたが、これはすごい。プロの写真だし、年に何回あるか分からない最高の条件で撮ったものは違います。
ただ、感動という意味では今日の眺めでもそん色はない。人間の脳はよくできていて、ちゃんと上手に構成をしてくれます。
なお、この後、竹田城に上ることも考えたのですが、マイカーは乗り入れ禁止。天空バスを使う必要があるとか、時間が割とかかるとかが分かって、それは断念しました。今日は、もう一つのお楽しみ、生野銀山を訪ねなければいけません。 -
ちなみに、その情報はわだやま観光案内所から。この観光案内所は和田山駅ではなくて、竹田駅の構内。いまや和田山市の最大の観光スポットは竹田城。ここは、竹田城の最寄りの駅だし、ここから竹田城行きの天空バスが出ていて、その時間やバス停から竹田城への行程などを聞きました。結論から言うと、けっこう時間がかかるということ。最寄りのバス停から竹田城までは歩いて20分なので、最終のバス、ラス前のバスでは帰りは歩きになってしまいます。
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ここから朝来周辺の観光スポットもチェックしつつ、生野銀山に向かいます。
この道の駅あさごは、道の駅フレッシュあさごが高速道にあるのに対して、一般道の方の道の駅。ちょっと地味な道の駅ですね。 -
黒豆入りのおばあちゃん手作りの味噌をお土産にしました。さっそく味噌汁にして使っていますが、ただ、まだ慣れないせいか。イマイチピンとこない状況です。
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ところで、朝来町には、鉱石の道という旧明延鉱山への道があって、神子畑鋳鉄橋はその途中。神子畑鋳鉄橋と示された道路標識に、道路沿いには小さな駐車場も整備されています。
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イチオシ
その駐車場から少し歩くと神子畑鋳鉄橋。一見すると木製の橋のように細かな骨組みの橋なんですが、ちゃんと鉄でできているのがすごいところ。きちんきちんと作られた感が面白いですね。なお、橋は1885年に完成。鋳物製です。
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神子畑選鉱場跡に到着して、まずはムーセハウス写真館。明治初期の洋館です。
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これは生野鉱山で働く外国人技術者のために建設された宿舎で、フランス人技師ムーセの住居となっていたもの。その後、神子畑に移築され、事務所兼診療所として利用されました。
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展示は、神子畑選鉱場跡に関するもの。係の人が、鉱物の種類や選鉱場の仕組みをビデオと合わせて詳しく説明してくれます。
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神子畑選鉱場跡は、その背後。山の斜面いっぱいに広がります。
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自動車道から見上げるのですが、スケールが大きな施設なので、全体を一枚の写真に納めることは難しい。これがぎりぎりといったところです。
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このさらに奥にあった明延鉱山から産出、運ばれてきた銀や銅をここで選別していく。上層部からだんだんと選別されて行くのが面白い。
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イチオシ
こうして眺めても大きいと感じますが、写真やビデオでその機能解説と合わせて見るともっとダイナミック。東洋一の選鉱所の実力はすごいです。
ここも必見の場所ですね。 -
再び、生野銀山に向かいます。
道の駅 フレッシュあさごは、播但連絡道路沿いなんですが、一般道からでも裏手の駐車場には行けるので、そっちの方から訪ねてみました。 -
道の駅にしても、この施設は大きくてきれい。産直の売り場とか含めて活気もあって、もうひとつの道の駅あさごとは全然違います。
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もう一つの鉄橋はすぐそば。羽渕鋳鉄橋は、神子畑鋳鉄橋とともに現存する明延鉱山に向かう道路に架けられていた鋳物の橋。こちらも細い線状のデザインが美しいですね。
国道沿いに川を臨んで保存されているので、当時の気分になって眺められる。ただ、標識が分かりにくいのでご注意を! -
この羽渕鋳鉄橋の道路を挟んだ向かい側に山口護国神社という小さな神社がありまして。
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山蔭にある目立たない神社ですが、境内には文久3年に起きた生野義挙の史跡の一つ、志士殉難の地があります。奈良の五條で起きた大和義挙と連携して生野代官所を占拠しようとしたのですが失敗。ここで戦に敗れた13人のうち8人はここで切腹。残りも討ち死に。長州藩を先頭にした尊王攘夷の流れはいったんとん挫することになりました。
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石碑は屋根付の小屋の中に三基。どれがどういう関係なのかはっきりしませんでしたが、今でも重々しく建っています。
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そして、生野銀山に到着。朝来では今やブームとなった竹田城を除けば最もメジャーな観光スポット。
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関所のような入口を
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入った奥が有料エリアです。
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この先の坑道の一部が見学コースになっていて、
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江戸時代から現代までの掘削作業の様子などがリアルに再現されています。
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坑道を進むと次々採掘の様子を再現した人形たちが現れます。
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裸同然のかっこうで、狭い坑道でのみを奮う。
しかし、この姿でも実際よりはかなりいいはず。 -
空調など十分でなかった時代。実際には泥まみれ、埃まみれのどろどろの状態。もしかすると高温や湿気もひどかったことでしょう。
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狸掘りは、鉱脈を辿って辿って、延々と掘り進めた結果です。
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この辺りは、
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イチオシ
江戸時代とか明治時代の様子です。
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坑道をさらに進んで
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さらに奥へと向かいます。
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まあ、一本道なので
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迷うことはありません。
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この辺りからは近代的な作業の様子。
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機械化されて、
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効率はずっとよくなっていることが分かります。
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ただ、重労働であったし、命の危険があったことは同じ。そうして日本の経済を支えたんですね。
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イチオシ
結局、こうした産業は経済の構造変化の中で
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後進国へと移って行くんですが、
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その一方で、アメリカでは原油の生産がサウジを抜くとか抜かないとかのレベルだったはず。日本との差は歴然です。
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日本はどっちにしても、労働力の限界もあるし、
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こうした産業が復活することはまず考えられない。
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3Kの仕事は若者から敬遠されるし、シルバー人材センターに殺到している求人も実は若者が敬遠する3Kが少なくないとか。
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こうした遺産から何を学ばねばならないか。
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ただ、かつてはこうだったというだけではなくて、今の時代を考えるきっかけにもしなければならないと思います。
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資料館は、こちらです。
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鉱山の地図や
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坑道の模型などの展示を拝見しましたが、
「三菱の三代目社長の久彌の在任中、全三菱の利益のうち、炭坑・鉱山の割合は約6割。うち、炭坑と鉱山の比率は3:7。鉱山の中に占める生野銀山の割合は25%だった」という説明がありました。これは、結局、生野銀山の利益は三菱の利益の1割だったことになります。筑豊の炭鉱や常盤炭鉱でも利益で言えば、そこまでのレベルではなかったはず。それだけ効率のいい鉱山だったということなんでしょうが、ここの重要性がそれほどのものだったと知って、けっこう驚きました。 -
資料館を出て、今度は生野銀山の施設の中にある食堂へ。
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かつて、炭坑の労働者も食べていたというハヤシライスが名物です。
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イチオシ
今の感覚でいえば、そう特別なものではないのですが、ちゃんとした牛肉が入っていたりするのは、当時としては豪華なものだったのではないかという感じ。昔の華やかなりし鉱山の時代に思いをはせました。
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生野銀山から生野ダムへ回りましたが、改めて、山奥にどんどん入って行く感じ。
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しばらく上って開けた場所に出たと思ったら、美しいダム湖が現れて、傍らの駐車場に車を止めました。ダムの上から下を見下ろしましたが、けっこうな高さ。ダムの迫力もなかなかです。
そして、そのダム湖が銀山湖。生野ダムの方から眺めましたが、青い水と周囲の紅葉しかかった山々が美しい。湖に沿って自動車道が奥の方まで続いていましたが、一番開けているのは生野ダムの辺り。ここからの眺めが一番いいのではないかと思います。 -
生野銀山の施設と生野の市街は少し離れていて、ここからは生野の市街の散策です。
これは旧生野鉱山職員宿舎。 -
敷地内には、社員の住宅が並んでいますが、
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この一軒は志村喬記念館。
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志村喬というのは、黒沢明の「七人の侍」にも出演した大物俳優。
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お父さんが生野鉱山の技師だったのでここに住んでいたのだそうです。
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生野鉱山は三菱系の鉱山でも収益頭だった鉱山でしたから、社宅もそこそこ余裕がある。
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今の感覚でいっても暮らしやすそうな住宅だと思います。
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ここから裏手通りに入ると寺町筋。生野の市街の山沿いの一段高い場所で、お寺がいくつも並んで建っています。鉱山で働いていた人は大勢いたはずですから、お寺へのニーズもそれなりにあったということでしょう。
これは本行寺。日蓮宗の寺です。 -
石段を上がって山門を入ると、山をバックにした本堂が建つ。本堂前には石塔と緑の濃い松が二つ。すっきりしたお寺です。
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妙詮寺は、「妙詮寺」と大書した石柱の先。
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石段の上には竜宮城のような楼門が建っていて、それがこの寺のシンボルでしょう。ただ、よく見ると楼門はブロックを積んだような簡素な造り。
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ちょっと危うい感じもあるかもしれません。
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禅操寺は、臨済宗妙心寺派の寺。山門横の樹勢のよい松がシンボルです。
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門前に説明板があって、山神社にあった神宮寺がここに移され毘沙門天像が祀られていて、生野鉱山の鉱山長は正月にここにお参りに来ていたのだそうです。
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先に進んで。
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教徳寺は、真宗大谷派の寺。秀吉の時代、本願寺第十二世教如上人の御掛所(お休み処)として、姫路本徳寺の住職によって創建された寺。
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今ははっきりしませんが、かつては5本の筋壁を持つ格式の高い寺です。私は、本堂の前の松の庭とかに少し威厳が残るように感じました。
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金蔵寺は、真宗本願寺派の寺。創建は平安時代後期。
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鎌倉時代に鋳造されたという釣鐘が重要文化財で、第二次世界大戦の拠出も逃れたのだとか。
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青々とした青銅の釣鐘が境内の鐘楼に吊られていました。
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西福寺は、浄土宗西山禅林寺派の寺。
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フランス人鉱山技師ジャン・フランソワ・コアニエ氏が生野を訪れた際、異人館が完成するまでの宿泊所として使用されたのだそう。境内には延命唐辛子、地蔵尊という変わった地蔵さんもあります。
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続いては東西寺。
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生野銀山は関ヶ原の戦い以降、徳川幕府の支配となりまして、家康が亡くなると、当時の銀山奉行は家康の尊像を祭祀。以降、徳川将軍の位牌を安置する習わしとなり、歴代の位牌がこちらに移されているのだそうです。
本堂は赤い屋根。小さなシャチホコが建っています。 -
来迎寺は、もう市街中心部に近い寺。
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境内はモミジがちょうど色付いていて、美しい。急な石段からすると、思いがけず意外にゆったりとした広さです。
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境内に芭蕉の蓑塚というのがあって、蓑塚は、芭蕉の高弟、広瀬惟然が芭蕉の遺品の7点を譲り受け、その一つの古蓑を姫路の増位山に埋めたのが始まり。この蓑塚も芭蕉の古蓑のこぼれを受けて、造られたもの。全国で四カ所しかないということです。
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ここから、市街中心部へ。
今井邸は、明治時代中期に建築された大山師邸宅の別邸。大阪出格子に区切られた西麺の腰板張り、南面の板張り、白漆喰塗壁等が特徴。外観を確認することしかできませんが、風雅な佇まいの雰囲気は感じることが出来ると思います。 -
旧生野警察署は、明治19年に建てられたもの。遠くから見るとライトブルーの瀟洒な感じだったのですが、近づいてみると傷みがそこそこ来ていて、ちょっと心配になる。現在は公民館になっているようですが、大事にしてもらいたいと思います。
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生野市街中心部の広場の端っこにあるのが生野義挙碑。大きな石碑なのですぐにそれと分かります。
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裏面には、義挙の経過が詳しく説明されていますが、いずれにしても義挙は失敗。同じく行動を起こした大和五條の天誅組も失敗。いずれにしても、文久三年は、尊王攘夷がいきなり水を差された年。8・18のクーデターにより、長州藩が都を追われたことは青天の霹靂だったことでしょう。生野ではこれをどう見るのか。五條では明治維新のさきがけという積極的な評価をしていますが、こちらはそこまでではないような。義挙後のビジョンがはっきりしていたのかというとかなり疑わしいし、評価はそんなに単純ではないように思います。
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生野書院は、名前からして公的な建物かと思ったら、これは大正期の材木商の邸宅を利用した施設。
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蔵の展示室が見どころで、生野銀山に関係するものです。
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一部屋の展示ですが、まとまった内容。意外に他ではこれに類する展示はないので、価値ありかなと思います。
なお、母屋の方は公民館みたいに使われていて、この日は地元の人たちの何かの集まり。そういう意味では、いろいろとよく活用されている建物だと思います。 -
市街のレトロ建物ですが、
旧海崎医院は、明治20年ごろに建てられたもの。軒下の蛇腹や鎧戸の付いた両開き窓などが特徴です。外観を見るだけですが、一見して、建物はかなりボロボロ。屋根にシートが覆ってありましたが、保存のためにはかなりの手を入れる必要がある段階に来ているような気がします。 -
松本家住宅母屋は、一般住宅みたいな外観ですが、ここも国登録文化財。明治時代後期から大正時代に建てられた旧松一醤油の邸宅です。
大阪出格子に、大正期の洋風建築に見られる軒蛇腹などが特徴。そう言われると、まあまあおしゃれなデザインに見えなくはないかなという感じです。 -
なお、これが生野の市街から生野銀山に向かう通り。今でも生野では一番立派なメインストリートです。
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佐藤家住宅別邸は、その生野市街のメインストリート沿い。江戸時代に郷宿と掛屋を兼務した建物。重厚な土蔵造りです。真っ白で分厚い漆喰で塗り固められた感じ。二階の窓が右側にまとまって作られていますが、全体のイメージとしては白と黒のツートンカラーが特徴的です。
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生野まちづくり工房井筒屋は、薄茶色の土塀が囲んだちょっと上品な施設。
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鉱山の郷宿として残っていた 吉川邸を改修。観光客を強く意識した生野の街興しのための施設です。
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お土産物販売、暖炉喫茶コーナーもありますが、最大の特徴は当時の暮らしぶりまで残していること。今でもこのまま住めそうなリアティが心を和ませてくれると思います。
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姫宮神社は、生野市街の川を越えた向かい側。専用の橋があって、
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深い谷になった川を越えて行くちょっとダイナミックな橋です。私は歩いて渡るだけでも少し緊張しましたが、なんと車も通っていて、ちょっとびっくり。
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なお、神社の境内は丘陵。
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それなりのスケールもある神社です。
ちょっとこまごましましたが、生野市街の散策はこれで終了。 -
レンタカーを返す和田山駅方面に向かって、戻りながらの観光です。
あさご芸術の森美術館の目玉はなんといっても、朝来市出身の文化勲章受章者、淀井敏夫氏の作品。 -
あさご芸術の森美術館の館内の他、同じ敷地内のにあるあさご芸術の森にも展示されていて、ここだと自由に撮影ができます。芸術の森は、見事なロックフィルダムである多々良木ダムを背景にした芝生の広場。淀井敏夫氏の作品があちこち配されて、それら全体がまた一つの作品にもなっているような。
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この日は天気がよかったので、作品はキラキラ輝いていて。芸術の森というネーミングがまさにピッタリの光景ですね。
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それにしても、針金や木の棒を芯にして、石膏で肉付けしていく創作技術は、
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独特の哀愁を帯びた個性あふれるもの。
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芸術家には個性が大事ですが、これはその最たるもののような作品群。
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イチオシ
淀井敏夫ワールドにたっぷりと浸らせてもらいました。
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せっかくなので、多々良木ダム湖にも上がってみます。
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こちらは、昭和49年に完成した高さ64.5mのロックフィルダム。関西電力が管理を行う発電専用のダムです。
かなり遠くからでもごつごつした岩の斜面が見えて、なんとも美しいし、斜面はなだらかでも独特の迫力がある。傾斜が緩いので、なんだか登れそうでしたが、さすがに立ち入り禁止。危険です。 -
イチオシ
なお、ここのダム湖も素晴らしい眺めです。
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イチオシ
少し移動して、今度は茶すり山古墳公園です。これは、5世紀前半の大型円墳。二段になった形で、直径約90m、高さ約18mは近畿地方最大級。全体が芝生で覆われているし、形も整っていて美しいので、遠くからでもかなり目立ちます。
一直線に上っていく階段が設けられていて、それを一気に登りましたが、下から全体を見上げる方がインパクトはあるでしょう。 -
傍らに小さな資料館もあるのですが、開館中という割には、中は荒れていてそれはちょっと残念でした。
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道の駅 但馬のまほろばもほど近くなので、そちらにも寄ってみました。
敷地も広いし、産直の売り場が特に充実していますね。 -
私もつられて、黒豆大豆の枝豆と里いもを買いました。里いもはさっそくいただきましたが、ほっこりした味わいがなかなかいい。野菜はなんであれ、旬のものが一番うまい。改めて実感した次第です。
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道の駅但馬のまほろばの敷地内には、古代あさご館という施設もあります。けっこう大きくて立派な施設です。
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勾玉や銅鏡などさきほどの茶すり山王の副葬品が展示されていましたが、
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イチオシ
目を引いたのは、鉄製の鎧と兜。鉄の加工は高い技術が必要なはずですが、それをなかなか精巧に加工している。鉄製の武具は時代を下っても、鉄砲が出てくるまでは主流にはなっていなかったとも思います。ここまでの武具が本当に必要だったのかも含めて、ちょっと理解に苦しむところもなくはない。
余談ですが、鉄の文化は鉄の武器で圧倒的な武力を誇ったヒッタイトのイメージが強いのですが、日本ではそのようなイメージはありません。鉄器で大事なのは、むしろ、米作とのつながり。農具や住宅を作る技術は鉄器があってのもの。米作文化は高度な技術を必要とする鉄器の技術とセットだったという認識は見落としてはならない視点です。 -
朝来観光の最後は、朝来市和田山郷土歴史館。糸井京極陣屋跡に建っていて、この山門がその遺構です。
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糸井京極家は豊岡藩から分家した2000石の所領。小さな家ですが、その後、そこに小学校が出来たりしているし、和田山では一定のアイデンティティとなっているような位置付けでしょう。
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さて、入口はいってすぐには、地元の神社の祭りの様子など。
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その他資料館の展示は朝来市全体ではなくて、和田山にフォーカスした内容。
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糸井京極家の八代目が優秀で幕末の江戸幕府の第一回欧州使節の大目付となったことも紹介されていましたが、これも地元和田山の誇りの一つなんでしょう。
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古い生活道具もあって。艶やかな美しさをそれなりにとどめています。
ここでレンタカーを返して、帰路につきます。 -
和田山駅からは、特急こうのとりで一旦福知山駅へ。福知山駅で特急はしだてに乗り換えて京都。そこから新幹線で東京です。まだ最終便ではないし、少し余裕はありますね。
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ということで、福知山の乗り換え時間を使って、晩飯はふくちあん。
福知山駅から少し歩きますが、人気のラーメン屋という情報もあって、訪ねました。 -
少し行列が出来ていましたが、ほどなく入店。ちょっとこってり系のラーメンを楽しみます。
なお、小皿の無料サービス券とかリピート客にはいろんなサービスも付いていて、それも人気の理由だと思います。
さて、これで四日間の旅は終了。竹田城を急きょ組み込んだので、もともと予定していた篠山の観光はできずじまい。丹波を理解するためには、リベンジする必要があるかなとかは思いつつも、今回はとにかくこれで精いっぱい。なんとか無事に終了です。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ことりsweetさん 2018/08/22 00:40:54
- 雲海
- たびたびさん、こんばんは。
イタリア旅にイイネと
フォローをありがとうございます。
竹田城の雲海に囲まれている姿は
CMで話題になりましたね。
一回行くチャンスがありましたが
城址あとにいくのがとても大変とのことで
諦めました。
気象の運もあるのであの幽玄な景色は
ちょうど出会えるのは大変なんでしょうね。
最後に登場のらーめん、すごく美味しそうです~
日本の興味深い観光スポットの色々お出かけされた訪問記事に
これからも寄らせていただきます。
よろしくお願いします。
ことりsweet
- たびたびさん からの返信 2018/08/22 11:17:55
- RE: 雲海
- イタリア旅いいですよね。ヨーロッパではギリシャからローマへ至る流れが基本にあって、それを復活したのがルネッサンスの芸術。ただ、それ以前のオールドマイスターの作品も重厚で荘厳。初めてこうした作品群に触れるとちょっと衝撃的です。
言葉を変えて言えば、人生を謳歌し、現世の喜びに疑いを持っていなかったギリシャ・ローマの芸術に対し、暗黒の中世と言われつつも、キリスト教の影響を受けて、心の内面にも目を向け始めた時代も無意味ではない。近代のルネッサンスはそうした栄養分もたっぷり受けて花開いたんですよね。
しかし、反面、どうしてこんな厚い伝統がありながら、軽快なフランスの印象派が生まれたのかは不思議なところ。そして、見るものを圧倒するルネッサンスの芸術にも決して負けていないんですよね。欧州の芸術史に思いを馳せると今でも胸が熱くなります。
たびたび
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