西国街道から京都嵐山とグルメ・カフェ少々の旅(一日目)~高槻から西国街道を東へ。楠正成・正行別れの地、桜井駅跡に後鳥羽院ゆかりの水無瀬神社は、異次元感覚。一方で「京料理 木乃婦」ランチは、残念。少々期待外れでした~
2017/11/10 - 2017/11/10
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たびたびさん
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今回の旅は3日間。その間に、京都で妹と合流して、用事を済ませがてらに京都市内の観光をします。
初日、朝一の便で羽田から伊丹空港に到着。ランチから合流するので、その前に、この6月に回れなくて課題になっていた高槻駅から東側の西国街道周辺をサクッと歩きます。一番のお目当ては後鳥羽院ゆかりの水無瀬神宮だったんですが、意外な発見は楠正成・正行の別れの地になった桜井駅跡。周囲には明治天皇御製碑以下、様々な石碑が建っていて、古来多くの人が思いを寄せたことがみてとれます。
ただ、前回の西国街道では秀吉の中国大返しや高山右近の高槻城など戦国時代末期のイメージができていた中だったので、鎌倉時代から室町時代初期まで遡ってしまうとちょっと面食らったような感じ。限られたエリアでも街道だけに遺跡はあちこち時代が交錯します。
そして、お昼は、妹と合流して京料理 木乃婦。それなりに名前を知られた老舗のはずだったのですが、結果としては外れでしょう。人気店でお客さんが多いこともあるのでしょうが、大量処理でお客を捌いていくしかないんでしょうか。厳しく言えば、一つ一つの料理が形式的。いわゆる感動というものがほとんどないんですよね。以前もこういうお店に会って、京都の料亭巡りをしばらく控えていたんです。で、やっと最近また復活していたところだったんですが、またやっちゃったかなあという感じです。
それから用事を済ませて、挽回のつもりで、夕飯はCafe Bibliotic Hello!に。全然悪くはないんですが、さすがにこれで挽回とはなりませんよね。初日後半は、ちょっと不満の京都となりました。
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伊丹空港からJR高槻駅に到着。ここから午前中の散策を開始します。
乾性寺は、駅の北側。上宮天満宮のふもとにあるのですが、複雑な住宅地の迷路の細い道が入口で、見つけるのにかなり苦労しました。 -
見どころは、山門入ってすぐの
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イチオシ
境内の梅の古木。
高槻城主永井直種のお手植えで樹齢は300年。話によると、手入れが大変で、年間20~30万円もかかるんですということでした。 -
乾性寺から西国街道に入って、ここから東へ歩きます。最終目標の水無瀬神宮までは5キロ弱です。
西国街道沿いの小さな神社、道祖神神社の祭神は猿田彦命。猿田彦命は、天孫降臨のニニギの道案内をしたという神様です。
祠のような神社ですが、旅人が迷わないよう旅の無事を祈った神社なのだと思います。一方、今では交通安全の神社と紹介されているのが面白いです。 -
東へ向かって、順番に。
浄誓寺は、観応元年(1350年)、南朝の武士、楠木正頼が後醍醐天皇の勅により、剃髪。この寺を創建したという寺。楠木正頼は、楠正成の嫡男、楠木正行に従った武将ということなので、もう旗色は悪い。こうするしかないといった中での剃髪だったかもしれません。 -
一方、境内は緑の濃い松など木々が豊かで本堂もこれに隠れるような感じ。寺を囲む筋壁もその格式を示しています。
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イチオシ
磐手杜神社は、天智天皇5年、藤原鎌足の勧請により創建された神社。始めは安満神社といったそうです。鳥居の正面に「磐手杜神社」と書いた額があって、これにもちょっと格式を感じます。
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拝殿には鹿の絵馬が掛かっていて、これも藤原氏に関係しているのかなと思いました。
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境内の片隅に夜啼石というのがありまして。
これは、高槻城主、永井家の老臣、長田文八郎という人物が当社に参詣し、奇石と認めて自宅の庭園に運んだところ、「あまえいのう、あまえいのう」と啼いたので、再びこちらに返したのだとか。しめ縄が掛けてあって、今はこちらで大事にされています。 -
薬師如来坐像は、山手町薬師堂に鎮座しています。
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平安時代後期の作で、漆箔が施された寄木造り。細身の華奢な感じと説明がありましたが、そういわれるとややそんな感じ。極端なものではありません。光背の丸い輪も印象的です。
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少し西国街道から離れますが。。
西教寺は、真宗本願寺派の寺。 -
ただ、境内も特に変わったところはない。あまり観光のお寺ということではないでしょう。ただ、塀は筋壁。三本の線が入っていて、一定の格式を表してはいます。
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鳥居の正面には、青銅の「春日大明神」の額。
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小さな集落の神社にしては立派。
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本殿の前の柵も意外に木造りの凝った建築ですね。
ただ、小さな集落の神社ですが、周囲はフェンスに覆われていて、出入りできるのは鳥居の方だけ。近くに来たつもりがなかなか中に入れませんでした。外部の知らない人間があまり域内をうろうろしないようにしている。この集落の用心深い対応の方が気になりました。 -
西法寺は、真宗本願寺派の寺。駐車場の方に面した本堂の壁に分かりやすく書いてあります。
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そこから左手に回って本堂正面に出ましたが、なんとも狭い境内。限られた場所に建っています。いずれにしても、観光の寺という感じではありません。
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イチオシ
西国街道に戻って、今度は畑山神社。
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元亀年間(1570年頃)、丹波守が金仙寺の鎮守であった三十番神を合祀して、永福寺と号したのが始まり。今でも社殿とかは神社ではなくて、お寺のような雰囲気です。
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つまり、鳥居から先はお寺の建物なので、これは神仏習合の名残り。境内は明るくて、古びた感じがほどよいでしょう。
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梶原寺跡は、今の畑山神社とダブります。というのも、梶原寺は、畑山神社が造営される以前の7世紀後半にあった寺院。大門や四方院、末房があって、僧寺と尼寺もあったということですから、官営の大寺院だったことが想像されます。畑山神社の門前に詳しい説明板がありました。なお、畑山神社の境内には、梶原寺を偲べる具体的なものは見当たりませんでした。
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田中寺は、畑山神社の境内を抜けて、裏手に回ったところ。山門の横に封じ寺と書かれた看板があって、がんやぜんそくなどの封じをするということが書かれていました。
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日蓮宗の寺のようです。しかし、ここも観光の寺ではないと思います。
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一乗寺は真言宗で無住となっていたところを京都の一条戻り橋のたもとで辻説法をしていた日親上人に請うて再興し、名前も一乗寺と改められたのだそう。
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イチオシ
境内には、弁慶の駒つなぎという楠木の大木。その他、本堂や山門は立派だし、かつて無住の寺だった風には見えません。きれいに整備された気持ちのよい境内です。
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弁慶の駒つなぎの楠木は、高さ30m、樹齢は800年。西国街道を通りかかった弁慶が馬をとめたとされています。ただ、史実に基づくものかどうかは不明。説明書には素直にあいまいであることを記述してありました。
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妙浄寺は、ここまで来ると上牧駅にも近いでしょう。
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少し山手側に上がったところです。
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日蓮上人の像が立っていて、日蓮宗の寺だということは分かりますが、境内はほとんど限られていて、見応えという意味ではほとんどないかも。淀川の洪水で移転した経緯とか、駒札にはちょこっとした説明がありました。
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ここまでは、ちょっと当たり外れが多いような気もしますが、天気もいいのでまあ良しとしましょうか。
それに、西国街道を歩くことこそ意味がありますので。 -
と、青葉のパン屋という元気そうなパン屋さんを発見。
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店内に入ると大きさはありませんが、棚に並んだパンの焼き色がとても美しい。すぐにいいパン屋さんだということが分かりました。いただいたのはくるみパン。しっくりした歯ごたえがうまいです。また元気が出てきましたよ~
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JR島本駅前までやってきて、これは島本町立歴史文化資料館。この正面にかつての国史跡桜井駅跡があって、
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その記念館として建てられた麗天館を改修した施設です。
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中に入るとどこか学校の講堂の様な大きな空間。その周囲が展示場となっていて、水無瀬離宮の関係がメイン。
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発掘された瓦や塗物など。
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規模や豪華さは知れていると思いますが、それでも天皇が関係する離宮。
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後世の人が見ても恥ずかしくない
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丁寧な作りを
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感じます。
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イチオシ
そして、これは後鳥羽院の宸翰御手印置文(レプリカ)。北条義時に対し討伐の兵を挙げた承久の乱で敗れ、隠岐に流された後鳥羽院が死の直前に地元の豪族、水無瀬一族に宛て、死後は自分を弔うようにしたためたもの。自身の両手の手形が印となっていて、無念の気持ちなど強い気持ちが込められているように感じました。
ちなみに、承久の乱は1221年。崩御は1239年です。
後鳥羽院は、後白河天皇の孫で安徳天皇の異母弟ですから、たぶん以仁王の令旨を始まりにして平家を打倒した高揚感も十分リアルに残っていた時代。鎌倉幕府は源頼朝亡き後、執権北条氏が実権を握っていましたが、根底には武士など大したことはないという意識も強かったのではないかと思います。
一方で、尼将軍、北条政子の大演説「頼朝の恩は山よりも高く、海よりも深い」が歴史に残ることになったのはご案内の通りです。 -
続いて、向かいの桜井駅跡を訪ねます。
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桜井駅というのは、古代律令制度下の駅家ということですが、何よりも、ここは、足利尊氏を討つべく湊川に向かう決死の覚悟の楠木正成が、まだ幼い嫡男の楠木正行を河内国に帰らせた楠公父子訣別之所。国指定の史跡ともなっています。この別れは有名なものですが、それがここにあるとは知りませんでしたね。ちょっとした広場があって、その中には楠公父子を偲ぶ多くの歌碑や記念碑。
ところで、楠木正成は湊川の戦いで討ち死にしますが、それでもまだ戦いになっていたほう。のちに息子の正行は四條畷の戦いで尊氏の家来、高師直の大軍と 戦いますが、20倍以上の圧倒的な差があって、たぶん戦いは一方的。無惨な最期となりました。 -
イチオシ
多くの碑の中でも、明治天皇御製碑は、表書が東郷平八郎。戦前ですから、当時はすごい聖地だったのではないかと思います。
勤王を掲げ、劣勢の中で奮戦した楠木正成、正行父子の生涯は涙を誘いますが、いったんは鎌倉幕府を倒し建武の新政を実現させている。夢破れた後鳥羽院の怨みも少しは晴らした意味があるでしょう。
後鳥羽天皇の孫にあたる後嵯峨天皇から亀山天皇以降の大覚寺統に現れた後醍醐天皇。時代は見事につながっています。 -
水無瀬神宮は、JR島本駅から歩いて15分くらい。これが最終目的地です。
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この神社は、後鳥羽天皇の離宮であった水無瀬殿の跡に建てられたもの。
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承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇の遺勅に基づき、地元の水無瀬信成、親成父子が上皇甥を祀る御影堂を建てたのが始まりです。先ほどの宸翰御手印置文の通りです。
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境内は涼しげな森のような雰囲気。豪華ではありませんが、独特の清々しさがあるように感じます。
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傍らには離宮の水。名水百選にもなっているそうで、この日も長い行列が出来ていて、すごい人気ぶりですね。
私もちょこっと飲んでみたかったのですが、あまりの行列なのでそれは叶いませんでした。ただ、皆さんがこの水をありがたく感じるのは、後鳥羽院の威徳も少なからずあるのかもしれません。 -
また、こちらは客殿。拝殿の隣りに建つ建物で、桃山時代に建てられた桟瓦葺入母屋造。
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縁がぐるりを巡っているくらいで豪華さはあまり感じられないですが、意外に大きい。境内に向かって建っていて、この神社の主要な施設。内部の拝観はできませんが、外観はあっけないほど簡単に確認できます。
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最後に本殿をお参りして、後鳥羽院の遺徳に思いを馳せました。
さて、これで予定通り西国街道は終了。ここから京都に向かって、妹と合流します。 -
京都でのお昼は、京料理 木乃婦へ。
ネットの評判もとってもいいので、平日のランチのいい方を予約して訪ねました。 -
しかし、玄関を入ると、大勢のお客さん。あれ?団体客みたいなのもいて、もっとこじんまりと楽しめるところと思っていたので、ちょっと予想と違いますね。
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少し不安に思いつつ、
二階の大広間に通されました。 -
お膳はちょっと小さ目かな。金箔は豪華というより、落ち着いた印象です。
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昆布茶をいただいて、料理を待ちます。
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改めてお茶が出て、
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ひと品目は、
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蟹の餡かけゴマ豆腐。
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軽い握りと冷たい煮物など。
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お造りへと続いて、
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お椀は、
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しんじょうのお吸い物。
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天ぷらは、
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イチオシ
秋の香りを演出して、
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熱い土鍋は
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アナゴの柳川です。
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そして、お香と鯛ごはん。
淡々と出てきましたが、何がおいしかったかといわれても印象に残る料理が不思議なほどない。薄味とかそんなんじゃなくて。。香りも含めて素材の味わいがぼんやりしていて、ズバリ言えば、感動がないですねえ。敢えて言えば天ぷらのちょっと酸味のある付け汁にオリジナリティがあったかなと思うくらいで、最後の鯛ご飯も含めて、とにかく日本料理のありきたりの域は出ていないような気がします。
最初に昆布茶が出てきた時に、変な予感がしていましたが、それが的中です。 -
最後にデザート。お重で出てきて、これを見た隣の組からは「わあ」と感嘆の声ががっていましたが、私からすればこんなものでごまかさないでもらいたい。バイキングじゃあるまいし、懐石料理は流れが大事なんですよ。これでは作り手の意図とか感じようがないじゃないですか。
お昼のランチなんで、これがこちらの実力ではないと思いますが、名店といわれる老舗でもランチになると適当に流す場合が少なくない。KとかNとか。昔の失敗体験がまた思い出されてしまいました。 -
お昼の後は、用事があったので、それを済ませるともう夜です。
お昼がイマイチ残念だったので目先を変えるのと、軽い晩飯にしようと思ってCafe Bibliotic Hello!にしてみます。全面がガラス張りなので、夕暮れの街に店内の光が漏れて、これはおしゃれでいい感じじゃないですか。 -
外国の人も多いみたいでメニューは横文字が多いですね。
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サンドイッチにしましたが、まあまあ本格的。
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イチオシ
ドレッシングの酸味も刺激的でおいしくいただきました。
バナナの木の揺れる葉っぱとか、店内のクールな雰囲気とか。単に町家をウリにしている他のカフェとはやっぱり一線を画しているように思います。 -
今日の宿は、西本願寺の界隈。
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これは総門。
西本願寺は、周囲を高い塀が囲んで、立派な門も複数ありますが、この門は西本願寺の面する堀川通りを挟んだ向かい側で、むしろ門前町の入口の門のようですね。 -
安本旅館は、古くからやっている西本願寺の参詣者がリーズナブルに泊まれる宿といったところでしょうか。
駐車場の奥のサッシを開けるとそこがいきなり玄関になっていたり、今の感覚でいうとなにかと使い勝手の悪い建物です。 -
宿の人が奥に隠れているようでどこかでしっかりお客の様子を見ているような感覚があって、いきなり声をかけられたり。。京都人は隣りの人のタンスの中まで知っているという話を思い出しました。
妹はあまりの安宿で苦笑していましたが、私にとってはこれが普通だし、ここも西本願寺にかかわる文化の一端。いい悪いではない、とっても意味ある京都の観光なんですけどね。
明日は、軽く嵯峨野を回ってみようと思います。
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