2017/10/23 - 2017/10/23
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ドクターキムルさん
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山崎・寺分・上町屋の境に洲崎富士塚があったという。現在ではこの境界より少し南に下がった寺分・上町屋の境にある。
湘南モノレール上町屋駅前から丸山団地に入って駅側に戻ったところにある。上町屋駅の南東100mくらいのところにある小山である。途中に富士塚公園があるが、この寺分の北の一角はこの公園も含め、野村不動産が開発・分譲した丸山団地の外にあるのだろう。住宅も団地内の住宅とは造りが違うし、畑も点在している。丸山団地造成時に道路が改修されただけであろう。それを示すかのように、富士塚の境界まで宅地が造成され、富士塚との調和は見られない。
富士塚の上り口はコンクリート製の階段になっているが、その前は並行するコンクリート製の階段がある家の駐車場になっている。また、この階段にもこの家の鉢が置いてある。石碑のある下段もおそらくはこの家の庭になっているようだ。
この下段の中央の石碑には「真」と富士の峰をあしらっており、真講社の富士講が天保12年(1841年)に建てた石碑であろう。また、横の石碑は嘉永元年(1848年)に建てられた出羽三山神社の石碑であり、富士講とは違うものである。こうした出羽三山神社の石碑は鎌倉郡内には良く見られる。
山頂はこの下段からは3m程度高いところにあるが、この山頂の中央には頭が無くなった石仏が安置されている。富士塚は鎌倉市内には極稀ではあるが、六国見山の富士塚であれ、横浜市内の富士塚であれ、浅間神社に関わる石碑が建てられているものであるが、石仏は初めて目にした。この南500m余りに駒形神社があるが、ここには同じ富士講により「富士嶽神社」の石碑(明治廿四年(1891年)八月銘)が建てられている(https://4travel.jp/travelogue/10498660)。富士塚という伝承がなければ、上段のマウンドが富士塚の小富士であることにも気が付かなかったかも知れない。あるいは、明治に入るとここの富士塚での信仰は絶え、駒形神社に移っていってしまったのかも知れない。そう考えるとこの富士塚が「丸山」と呼ばれ、「大平山」などと同じ自然の山であるかのような扱いに変わっていったのであろうことが推測されようか。
(表紙写真は洲崎富士塚山頂の石仏)
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丸山団地入口。
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丸山団地入口の崖。
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「大平山丸山町内会の地域は住民協定地区です 住環境を守る会」看板。
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山崎から寺分に。
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表門のあるお宅。分譲住宅ではないだろう。
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富士塚公園。
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「富士塚公園」。
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横は畑。
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角の団地の住宅。
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富士塚手前から見る富士山。
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富士塚。
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富士塚入口。
駐車場になって狭くなっている。この道路のふん詰まりに当たる。 -
階段の踊り場。鉢が置いてある。
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石碑。破棄されたのか?
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石碑の部材。破棄されたのか?
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富士講の石碑(天保12年(1841年)銘)。
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天保12年(1841年)銘。
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出羽三山神社の石碑(嘉永元年(1848年)銘)。
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嘉永元年(1848年)銘。
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「この先行き止まり 通り抜けできません」看板。
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山道。
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山道。
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裏手に上り口。
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洲崎富士塚山頂の石仏。
嘉永2年(1849年)銘。これは釈迦石仏で、台座には世話人や富士講中の人の名が記されているという。 -
富士塚山頂の水準点。
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富士塚山頂。
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富士塚。
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上り口から見た富士塚。
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富士塚手前から見る富士山。
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畑の向こうに富士塚。
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団地の住宅の間に富士塚。
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団地の住宅の奥に富士塚。
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